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2025年3月11日火曜日

国際政治学者たちの「みんなで黙れば怖くない」

 


上のようにトーマス・ファジが、タッカー・カールソンによるジェフリー・サックスインタビューを紹介する折、「私のように、情報を真に消化できるのは文字形式だけなら」云々と言って文字起こしを掲げていたが(▶︎The Jeffrey Sachs-Tucker Carlson interview: the most important interview ever? , THOMAS FAZI JUN 05, 2024)、私の場合も文字形式ではないと消化できない。すぐ忘れる。


とはいえ欧州議会(2025年2月19日)でのジェフリー・サックスの演説は迫力がある。渾身の演説である。以下は前半部分だけだが、字幕付きでもあり、現在の混沌に関心があってまだ見ていない人がいるなら、是非とも見ておいたほうがいい、と私は思う。


▶︎動画


少し前、後半部分も含めていくつかの箇所を抜き出して文字で掲げたが、以下は上の動画の23分40秒過ぎからの箇所である。


◼️ジェフリー・サックス「平和の地政学」於欧州議会、2025年2月19日

The Geopolitics of Peace, Jeffrey Sachs' speech in the European Parliament on Feb. 19, 2025

「プーチンがロシア帝国を再建しようとしている」という考えは、幼稚なプロパガンダです、失礼ながら。もし誰かが日々の歴史やそして一年一年の歴史を知っていれば、これは幼稚な話です。子供じみたものは、大人のものよりも効果があるようです。

つまり、2014年のクーデター以前には領土要求は全くなかったのです。しかし、米国は、ヤヌコビッチが中立を支持し、NATOの拡大に反対していたため、彼を打倒しなければならないと決定しました。これは政権交代作戦と呼ばれるものです。

The idea that Putin is reconstructing the Russian empire is childish propaganda. Excuse me. If anyone knows the day-to-day and year-to-year history, this is childish stuff. Yet childish stuff seems to work better than adult stuff. So, there were no territorial demands at all before the 2014 coup. Yet the United States decided that Yanukovych must be overthrown because he favored neutrality and opposed NATO enlargement. It's called a regime change operation.

〔・・・〕

アメリカでは、相手が気に入らなければ、交渉ではなく秘密裏に、相手を転覆させるようとします。秘密裏にうまくいかなければ、あからさまにやります。そして常に「私達は悪くない。彼らは攻撃者であり敵であり、ヒトラーだ」と言います。これはサダム・フセインであれ、 アサドであれプーチンであれ、 2、3年ごとに出てくる話です。これは非常に都合がいい。それがアメリカの人々に与えられる唯一の外交政策の説明です。

In the American Government, if you don't like the other side, you don't negotiate with them, you try to overthrow them, preferably, covertly. If it doesn't work covertly, you do it overtly. You always say it's not our fault. They're the aggressor. They're the other side. They're “Hitler.” That comes up every two or three years. Whether it's Saddam Hussein, whether it's Assad, whether it's Putin, that's very convenient. That's the only foreign policy explanation the American people are ever given. 



で、どうなんだろう、もう3週間たつが、サックス曰くの「幼稚なプロパガンダ」に精を出した人たちはほとんどダンマリのままのように見えるが、もし3年間続いた自らの態度がいまだ幼稚でないとするなら反論があってもいいようなものじゃないか? 


私にとってジャーナリストやら軍事評論家やらはどうでもよろしい。問題は国際政治学者たちである。彼らのなかには、X、つまり旧ツイッターでサックスの演説に「批判なしで」僅かばかり触れている人物がいないではないが、論文、いやコラム形式でもいいからしっかり批判(吟味)すべきではないか。それともこのまま「みんなで黙れば怖くない」やり続けるつもりかね。


伝統的にロシア(ソ連)に対して悪いイメージが支配する日本の政治・社会がロシアのウクライナに対する武力侵攻に対してロシア非難・批判一色に染まったのは、予想範囲内のことでした。しかし、一定の肯定的評価を得ている学者、研究者、ジャーナリストまでが一方的な非難・批判の側に組みする姿を見て、私は日本の政治・社会の根深い病理を改めて思い知らされました。〔・・・〕日本の政治・社会の際立った病理の一つは、「赤信号一緒に渡れば怖くない」という集団心理の働きが極めて強いということです。ロシア非難・批判一色に染まったのはその典型的現れです。(東アジアの平和に対するロシア・ウクライナ紛争の啓示 浅井基文 3/21/2022



もしそうなら子供じみた病気というほかない。



文学や自然科学の学生にとってお極まりの捌け口、教職、研究、または何かはっきりしない職業などは、また別の性質のものである。これらの学科を選ぶ学生は、まだ子供っぽい世界に別れを告げていない。彼らはむしろ、そこに留まりたいと願っているのだ。教職は、大人になっても学校にいるための唯一の手段ではないか。文学や自然科学の学生は、彼らが集団の要求に対して向ける一種の拒絶によって特徴づけられる。ほとんど修道僧のような素振りで、彼らはしばらくのあいだ、あるいはもっと持続的に、学問という、移り過ぎて行く時からは独立した財産の保存と伝達に没頭するのである。〔・・・〕


彼らに向かって、君たちもまた社会に参加しているのだと言ってきかせるくらい偽りなことはない。〔・・・〕彼らの参加とは、結局は、自分が責任を免除されたままで居続けるための特別の在り方の一つに過ぎない。この意味で、教育や研究は、何かの職業のための見習修業と混同されてはならない。隠遁であるか使命であるということは、教育や研究の栄光であり悲惨である。(レヴィ= ストロース『悲しき熱帯』 Ⅰ 川田順造訳 p77-79)




レヴィ= ストロースの言っているのとは違った意味でも、学者集団は何か特殊な病理があるんじゃないか。

蓮實)プロフェッショナルというのはある職能集団を前提としている以上、共同体的なものたらざるをえない。だから、プロの倫理感というものは相対的だし、共同体的な意志に保護されている。〔・・・〕プロフェッショナルは絶対に必要だし、 誰にでもなれるというほど簡単なものでもない。しかし、こうしたプロフェッショナルは、それが有効に機能した場合、共同体を安定させ変容の可能性を抑圧するという限界を持っている。 (柄谷行人-蓮實重彦対談集『闘争のエチカ』1988年)


あるいは、ちょうど一年間、與那覇潤氏が実に正鵠を射たことを言っている。


◼️「専門家の時代」の終焉 Yonaha Jun 2024年3月11日 

……真に反省すべきは、「専門家」の看板を掲げれば批判はおろか、一切の疑問さえも封殺でき、そうした厚遇を自明視して異論の持ち主(と本人が見なした相手)をいくらでも罵倒することが許される状況。そうした環境を作り出し、その下で収益や視聴率から「いいね」の数まで、おこぼれにあずかってきた人たちの全体であると思う。


13年前の3月11日以降、私たちは誰もが、立場や分野を問わず「専門家」を盲信することの危うさを見せつけられたはずだった。しかしその記憶はいつしか立ち消え、瞬間ごとの空気を読んで「専門家の私が言うから信じろ」と時の世論にお墨つきを与える、民意ロンダリングのようなビジネスが定着してしまった。


眼前の問題への発言権を独占する「専門家」という、正体不明の「言いたい放題パスポート」の発給を、私たちはもうやめる時が来ている。それがコロナで、ワクチンで、ウクライナで、パレスチナで、トランスジェンダーやフェミニズムで、多大な犠牲を払いながらこの社会が学んだ教訓であるべきだ。〔・・・〕


読者に乞いたい。「専門家」なる肩書を識者の免罪符に使うことを、もうやめてほしい。それはあなた自身の知性を損ねるだけでなく、当の専門家をも甘やかし、スポイルし、堕落させる。

彼や彼女が専門家か否かは、一切重要ではない。その人は時間が経ち情勢が変わった後でも、自身がかつてなした言動の責任を引き受ける人か。それとも単に「言い逃げ」して姿をくらます人か。それだけを見てほしい。

ホンモノを、応援してください。それができないなら、せめてニセモノの言論を拡散するのを、やめてください。そこにしか、私たちが嵌まり込んだ2020年代の迷路からの出口は、ないと思います。




国際政治学者たちがこのいまホンモノになる最も重要なひとつは、これだけ世界的に話題になったジェフリー・サックスの演説「平和の地政学」をしっかり吟味して、過去の「幼稚なプロパガンダ」がなぜ集団的に起こってしまったを問い詰めることではないか。それとも逆に厳密な反論をしてみるならそれもまた評価に値する。


與那覇潤曰くの《その人は時間が経ち情勢が変わった後でも、自身がかつてなした言動の責任を引き受ける人か。それとも単に「言い逃げ」して姿をくらます人か》。これだけは許されない、と私は思うが、どうも「黙り逃げ」の気配が濃厚のように感じる。