・・・しかし、世界はよく今までもってきたな、こっちのほうが僥倖かもしれないよ。少なくともサルトルが次のように言ってからさ。
もはや人類という種は存在しない。核爆弾の管理者となった共同体は、自然界の彼岸にいる。なぜなら、自らの生と死に責任があるからだ。〔・・・〕もしも人類が生存し続けて行くとするなら、それは単に生まれてきたからというのではなく、その生命を存続させようという決意をするがゆえに存続しうるということになるだろう。 |
Il n'y a plus d'espèce humaine. La communauté qui s'est faite gardienne de la bombe atomique est au-dessus du règne naturel car elle est responsable de sa vie et de sa mort. (…) l'humanité tout entière, si elle continue de vivre, ce ne sera pas simplement parce qu'elle est née, mais parce qu'elle aura décidé de prolonger sa vie. |
(サルトル「大戦の終末」Jean-Paul Sartre, La Fin de la guerre , 1er octobre 1945) |
核兵器に限定せずに言えば、フロイトが既に1930年に言ってることだな、 |
私の見るところ、人類の宿命的課題は、人間の攻撃欲動ならびに自己破壊欲動による共同生活の妨害を文化の発展によって抑えうるか、またどの程度まで抑えうるかだと思われる。この点、現代という時代こそは特別興味のある時代であろう。 いまや人類は、自然力の征服の点で大きな進歩をとげ、自然力の助けを借りればたがいに最後の一人まで殺し合うことが容易である。現代人の焦燥・不幸・不安のかなりの部分は、われわれがこのことを知っていることから生じている。 |
Die Schicksalsfrage der Menschenart scheint mir zu sein, ob und in welchem Maße es ihrer Kulturentwicklung gelingen wird, der Störung des Zusammenlebens durch den menschlichen Aggressions- und Selbstvernichtungstrieb Herr zu werden. In diesem Bezug verdient vielleicht gerade die gegenwärtige Zeit ein besonderes Interesse. Die Menschen haben es jetzt in der Beherrschung der Naturkräfte so weit gebracht, daß sie es mit deren Hilfe leicht haben, einander bis auf den letzten Mann auszurotten. Sie wissen das, daher ein gut Stück ihrer gegenwärtigen Unruhe, ihres Unglücks, ihrer Angststimmung. |
(フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第8章、1930年) |
現在ならさらにドローンとか生物兵器、さらにもうすぐ殺人ロボットが大活躍するだろうしさ。科学が進歩しすぎたんだよ。
ラブレーはこう書いている、《良心なき科学は魂の墓場にほかならない》と。まさにその通り。坊主の説教なら、昨今の科学は魂の荒廃をもたらしているとの警告になるが、周知の通り、この時世では魂は存在しない。事実、昨今の科学は魂を地に堕としてしまった 。〔・・・〕魂以外に人間は存在しないのにもかかわらず。 ce qu'a écrit RABELAIS… « Science sans conscience - a-t-il dit - n'est que ruine de l'âme ». Eh ben, c'est vrai. C'est à prendre seulement, non pas comme les curés le prennent, à savoir que ça fait des ravages, dans cette âme qui comme chacun sait n'existe pas, mais ça fout l'âme par terre ! …il n'y a pas plus de monde que d'âme(Lacan, S21, 19 Février 1974) |
科学はとりわけ死の欲動と結びついている[La science est liée à ce qu'on appelle spécialement pulsion de mort](ラカン、S 25, 20 Décembre 1977) |
もうすぐ世界は滅びるという前提で日々の生活送ったほうがいいんじゃないかね、特に若い人はやり残していることがまだたくさんあるだろうからさ。
人間は、ぎりぎりの極限状態に置かれるとかえって生命力が亢進します。昨日を失い、明日はない。今の今しかない。時間の流れが止まった時こそ、人は永遠のものを求める。 その時、人間同士の結びつきで一番確かなものは、ひょっとして性行為ではないのか。赤剝けになった心と心を重ね合わせるような、そんな欲求が生まれたんじゃないか。 (古井由吉「サライ」2011年3月号) |
明日はないとしても昨日は失っていないから覚悟が決まらないんだろうけどさ。あとは想像力の問題だけだろうよ |
想像力を欠くすべての人は現実へと逃避する[Tous ceux qui manquent d'imagination se réfugient dans la réalité](ゴダール, Adieu au Langage, 2014) |
仮に稀有の幸運があって世界の終焉が訪れなくてもさ、脳にチップ埋め込まれ、去勢されて宦官になっちまう前に、ヤルことしっかりヤッとかないとな
しかし当時のぼくの生活はとても波乱に満ちたものだった …ほんとうにめちゃくちゃだった …放蕩? そのとおり! ひっきりなしだ …午後、夕方、夜…同時に、三、四人との関係、行きずり、娼婦、なんでもござれ、乱れた暮らし …信じられないくらいの無頓着、やりたい放題やったのだから悔いはない …バー… いくつかの特別の施設 … …女漁り …ぼくはいつもこの上なく若々しかった …結局、男たちが五十や六十で苦労して知ることを、ぼくは二十か三十でやってしまった …彼らは、わざとらしい気難しさから輝きのないゆるんだ衰弱へと進歩するが、ぼくの方は、気違いじみた放蕩から神秘的観想へと移る …人それぞれに道がある…(ソレルス『女たち』) |