この男はこの男だな、2022年3月2日にこう言った男だ。
この男は2014年3月9日にはまったく逆のことを言った男だ。
この男は何ものかに操られている男としか思えないね。
例えば小泉悠と笹川平和財団で検索するといくらでも出てくる。
今見たら「ディープステートさん」なる方がこういう「噂話」をしてるな、
さあって、と。知らないよ、俺は。この手の事には単純な知見しか持ち合わせていない者が単純に検索した結果を掲げただけさ。
いずれにせよ、日本にはニーチェやウィトゲンシュタインの鼻毛ぐらいでもいいから、まともな知識人が必要だな、 |
われわれの最高の洞察は、その洞察を受けとる資質もなく、資格もない者たちの耳に間違って入ったときには、まるでばかげたことのように、ことによると犯罪のように聞こえなければならないし――そうあるべきである! Unsre hoechsten Einsichten muessen - und sollen! - wie Thorheiten, unter Umstaenden wie Verbrechen klingen, wenn sie unerlaubter Weise Denen zu Ohren kommen, welche nicht dafuer geartet und vorbestimmt sind. (ニーチェ『善悪の彼岸』第30番、1886年) |
いつもそうなのだが、わたしたちは土台を問題にすることを忘れてしまう。疑問符をじゅうぶん深いところに打ち込まないからだ[Man vergißt immer wieder, auf den Grund zu gehen. Man setzt die Fragezeichen nicht tief genug.](ウィトゲンシュタイン『反哲学的断章』) |
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知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本人に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と、思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。(渡辺一夫『敗戦日記』1945 年 3 月 15 日) |
以上、鼻くそをほじりながらの記事でした。 |
尾崎行雄が、初めて新聞記者になって、福沢のところに挨拶に行った時、君は誰を目当てに書く積りかと聞かれた。勿論、天下の識者の為に説こうと思っていると答えると、福沢は、鼻をほじくりながら、自分はいつも猿に読んでもらう積りで書いている、と言ったので、尾崎は憤慨したという話がある。彼は大衆の機嫌などを取るような人ではなかったが、また侮蔑したり、皮肉を言ったりする女々しい人でもなかったであろう。恐らく彼の胸底には、啓蒙の困難についての、人に言い難い苦しさが、畳み込まれていただろう。そう想えば面白い話である。(小林秀雄「福沢諭吉」) |