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2025年5月26日月曜日

書くことはみな「なぞり書き」

 

前回引用したロラン・バルトの《引用の織物[un tissu de citations]》というのは、すこし前はいろんな言い方されたんだよ、例えば福田和也が、柄谷行人の師匠ポール・ド・マンに依拠しつつ、《書くことはみな「なぞり書き」》と言ってるがね。


福田和也)ぼくは、書くことはみな「なぞり書き」だと思う。あらゆる意味でなぞり書きであって、それこそド・マンが、古典主義は意識的ななぞり書きをやって、ロマン主義は無自覚ななぞり書きだという言い方をしている。要するになんにもなしに書くことなんていうことはありえないわけで、いずれもなぞり書きである。ただそれに対して自覚的な人が批評家で、無自覚な人が批評家でないというわけではない。自覚的でありながら、それを非顕在的にするのが一応近代小説だったと思う。それがなぞり書きであるということは、非顕在的で、ナラティヴには表われない。それに対して批評というのは、無自覚な人であっても、それはなぞり書きだということがわかる構造になっているのが近代までの性格だったのでしょうね。(共同討議「批評の場所をめぐって」『批評空間』1996Ⅱ-10 )



柄谷の言い方ならこうなる。

言語とはもともと言語についての言語である。すなわち、言語は、たんなる差異体系(形式体系・関係体系)なのではなく、自己言及的・自己関係的な、つまりそれ自身に対して差異的であるところの、差異体系なのだ。自己言及的(セルフリファレンシャル)な形式体系あるいは自己差異的(セルフディファレンシャル)な差異体系には、根拠がなく、中心がない。あるいはニーチェがいうように多中心(多主観)的であり、ソシュールがいうように混沌かつ過剰である。ラング(形式体系)は、自己言及性の禁止においてある。( 柄谷行人「言語・数・ 貨幣」『内省と遡行』所収、1985 年)


でも、これは一般には難し目だろうから、先の福田和也=ド・マンの《書くことはみな「なぞり書き」》でいいよ。そう思っていない人はロマン派に過ぎない。



と、ここでやめとけばわかりやすくていいんだが、引用の織物の引き出しの奥からなにやら芋づる式に出てくるよ、軽いジャブ程度の難し目版の、まだ若い時期の柄谷をもう2つばかり掲げとくよ。



われわれは、反ロマン派的であること自体がロマン派的であるような「ロマン派のディレンマ」に依然として属している。しかし、それを「リアリズムのディレンマ」といいかえてもさしつかえない。なぜなら、リアリズムはたえまない非親和化の運動であり、反リアリズムこそリアリズムの一環にほかならないからである。この困難がいかなるものかをみるためには、むろん狭義のロマン主義・リアリズムといった概念から離れなければならない。〔・・・〕


小林秀雄の批評は、「ロマン派のディレンマ」を全面的に示している。彼にとっては「時代意識は自意識より大き過ぎもしなければ小さ過ぎもしない」(「様々なる意匠」)。いいかえれば、われわれが「現実」とよぶものは、すでに内的な風景にほかならないのであり、結局は「自意識」なのである。小林秀雄がたえずくりかえしてきたのは、「客観的なもの」ではなく「客観」にいたろうとすること、「自意識の球体を破砕する」ことだったといえる。だが、そのことの不可能性を小林秀雄ほど知っていた者はいない。たとえば、彼の『近代絵画』は風景画論であり、さらにそこにある「遠近法」から脱しようとするはてしない認識的格闘の叙述である。だが、小林秀雄だけでなく、『近代絵画』の画家たちもまた「風景」から出られなかったのであり、日本の浮世絵やアフリカのプリミティヴな芸術に彼らが注目したことすら「風景」のなかでの出来事なのである。だれもそこから出たかのように語ることはできない。私がここでなそうとするのは、しかし風景という球体から出ることではない。この「球体」そのものの起源を明らかにすることである。(柄谷行人「風景の発見」初出『季刊芸術』1978年夏号『日本近代文学の起源』1980年)


《主観が主観に関して直接問いたずねること、また精神のあらゆる自己反省は危険なことである》と、ニーチェは言っている。《それゆえ私たちは身体に問いたずねる》。このようにいうとき、彼は、意識への問い、すなわち内省からはじまった「哲学」がすでに一つの決定的な隠蔽の下にあることを告げている。《私たちが意識するすべてのものは、徹頭徹尾、まず調整され、単純化され、図式化され、解釈されている》。意識に直接問いたずねるということにおける現前性・明証性こそ、「哲学」の盲目性を不可避的にする。だが、ニーチェは同時に「意識に直接問わない」ような方法をも斥けていることに注意すべきである。たとえば、彼が「身体と生理学とに出発点をとること」を提唱するとしても、それは意識を意識にとって外的な事実から説明するということではない。というのは、そうした外的・客観的な事実は意識の原因ではなくて結果であり、すでに「意識」にからめとられてしまっているからだ。意識に直接問わないで身体に問うということは、意識に直接問いながら且つそのことの「危険」からたえまなく迂回しつづけるということにほかならない。(柄谷行人『内省と遡行』1985年)


ーーこの頃の柄谷はキレキレだったな、冷戦終了後、政治的になってキレを抑えたのか、キレなくなったのかは知らないがね。


で、ホントはウィトゲンシュタインなんだがな、引用の織物どころか言語の網目の直接的起源は。ーー《言語、それは互いに重なり合い交差してできあがった類似性の複雑な網状組織[»Sprachen«. …kompliziertes Netz von Ähnlichkeiten, die einander übergreifen und kreuzen]》『哲学探究』65-67節)。でもそれは上を消化してからだね、特に退行の世代のみなさんにとっては。


簡単系に戻って言えば、言語の問題はなぜ私を私と呼ぶんだろう、というところから始めたほうがいいんじゃないかな



言葉に愛想を尽かして と

こういうことも言葉で書くしかなくて

紙の上に並んだ文字を見ている

からだが身じろぎする と

次の行を続けるがそれが真実かどうか


これを読んでいるのは書いた私だ

いや書かれた私と書くべきか

私は私という代名詞にしか宿っていない

のではないかと不安になるが

脈拍は取りあえず正常だ


ーー「朝」より、谷川俊太郎『詩に就いて』所収(2015年)



「私」自体、他者の言葉だよ、間違いなく。

私は他者だ ''JE est un autre.'' ( ランボー)


このランボーは、いろんな解釈する人がいるが、まずは大文字の私(JEになってるとこが味噌だよ。