これは昨日記して、でも「いまさら」だから投稿するのを思い止まった記事だが、前回の捕捉としてやっぱり投稿しとくよ。
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大前研一はいくらか雑なところはあるにしろ、2017年に次のように言ったことは「限りなく正しい」。 |
これからの日本の最大の論点は、少子高齢化で借金を返す人が激減する中、膨張する約1000兆円超の巨大な国家債務にどう対処していくのか、という点に尽きます。 私は、このままいけば、日本のギリシャ化は不可避であろうと思います。歳出削減もできない、増税も嫌だということであれば、もうデフォルト以外に道は残されていません。 日本国債がデフォルトとなれば必ずハイパーインフレが起こります。(大前研一「日本が突入するハイパーインフレの世界。企業とあなたは何に投資するべきか」2017年) |
この観点を抜かして政治の何を語っても徒労だよ、《これからの日本の最大の論点は、少子高齢化で借金を返す人が激減する中、膨張する約1000兆円超の巨大な国家債務にどう対処していくのか、という点に尽きます》を。 つまりは殆どのキミたちの政治語りは寝言だね、ーー《道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である》(二宮尊徳)、《通俗哲学者や道学者、その他のからっぽ頭、キャベツ頭…[Allerwelts-Philosophen, den Moralisten und andren Hohltöpfen, Kohlköpfen… ](ニーチェ『この人を見よ』「なぜ私はこんなによい本を書くのか」第五節) |
デフォルトとは何かについては、キャベツ頭の諸君が大嫌いな、いわゆる「財務省の犬」小幡績の直近のコラムから抜き出しておこう。 |
◼️日本の「財政破綻」はすでに始まっているが、それが誰の目にも明らかになる「きっかけ」は何か? 考えられる「4つのシナリオ」小幡績 2025/5/31 |
「財政破綻の定義は何か」と言われるだろうが、デフォルトと捉えれば、法的に公式な定義は、債務不履行、つまり利払い停止または延期が起きるということだ。 しかし、現実には、「資金調達ができなくなったとき」、それが「実質財政破綻」の定義と言っていいだろう。20世紀であれば、国債発行残高の過半を日銀が保有している段階で、実質財政破綻とみなされただろうから、異次元緩和イコール財政破綻とみなされただろう。 ただ、21世紀、世界的に中央銀行に国債を保有させる行為が広がり、人々の感覚が麻痺してしまい、現在、そういう解釈は少数派だ。しかし、中央銀行が、直接引き受けをしたり、政府に直接融資をしたりすれば、21世紀においても、明らかな財政破綻とみなされるだろう。 |
結局、民間の主体、政府以外の経済主体が金(カネ)を貸してくれなくなったら財政破綻なのである。マネーを大量に発行してハイパーインフレになるのも、この財政破綻に当たると解釈できるから、この定義が実質財政破綻として妥当であろう。 |
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私が「財政破綻が始まっている」という見方に、まだ賛成していない人が多いと思うが、財政破綻が始まったということが誰の目にも(少なくとも債券投資家という買い手の間に)明らかになるには、最後のきっかけが必要だ。 |
そのきっかけはなんでもありうる。シナリオをいくつか挙げてみよう。 1 トランプ大統領の暴挙により、アメリカ国債が暴落すること。これで、世界的に債券が暴落すること 2 日本株が暴落し、それが反転も起きないとき、年金運用などの機関投資家の財務が痛み、債券市場でもリスクがまったく取れなくなったとき。新発債の引き受け手はいなくなるだろう 3 日銀が国債の買い入れ減額を発表したとき、それを勝手にメディアか投機家が、予想以上の減少とハヤしたとき。世界中の投機家が仕掛けてくる。 4 消費税減税など、日本の財政のニュースが世界に広がったとき。日本社会にいると、もはや放漫財政には慣れているから、ニュースを聞き流してしまうが、世界的に、これが「日本売りのチャンスがついに来た」と受け止められると、円売り、株売りで日本売りを仕掛けて、債券もそれに巻き込まれてトリプル安になった場合。これは世界的な投機家の受け止め方、見方、戦略の問題なので、いつでも、それが誤解であったとしても起こりうる。 まだまだシナリオは無限にありうるが、このくらいにしておこう。 |
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少し前にも掲げたが、JPモルガンのダイモンがパニックの訪れを強調している(彼はトランプ政権の財務長官第一候補と噂されたが、そんな気はまったくないのを自ら表明した)。
ダイモンが「パニック」という語で何を言いたいのかは別にして、究極のパニックはハイパーインフレだよ。
◼️岩井克人「グローバル経済危機と 二つの資本主義論」2009年 |
だれでも一万円札を受け取ると嬉しい。 だが、 それは、山羊のように食べたいためでも、福沢諭吉の肖像を眺めたいためでもない。人が貨幣を喜んで受け取るのは、いつかそれを本当の欲しいモノと引き換えに他の人に手渡すためで ある。すなわち、 それは言葉の真の意味での「投機」に他ならない。いや、金融市場の場合は、 そこで投機的に売り買いされる金融商品がどれだけ「派生」的であろうとも、最終的にはどこかで実体的な経済活動とつながっているのに対して、貨幣の場合は、モノとしては何の価値も持たない紙切れや金属片にすぎない。人が貨幣を貨幣として持つのは、意識しているかどうかは別にして、他人に渡すためだけに持つという、 もっとも純粋な「投機」活動なのである。 |
ところで、人が貨幣を受け取るのは、 他人がそれを貨幣として受け取ると予想しているからであるが、他の人がなぜ貨幣を受け取るかというと、やはりモノとして使うためではなく、 誰か他の人が貨幣として受け取ると予想しているからである。皆が貨幣を貨幣として受け取るのは、結局、皆が貨幣として受け取ると予想しているからにすぎない。ここにあるのは、ケインズの美人投票と同じ自己循環論法であり、 しかももっとも純粋な自己循環論法なのである。 |
このように貨幣が投機であるということは、 当然、貨幣にかんしても、バブルやパニックがあることを意味することになる。貨幣のバブルとは、実体経済における恐慌のことである。それは、人々が実際のモノよりも、モノを買う手段でしかない貨幣のほうを欲望するという、皮肉な状態である。 人びとがモノを買わないから、 モノが売れず、企業は雇用を減らし、投資を控える。その結果、人びとの所得が下がり、さらにモノを買わなくなり、モノが売れなくなるという悪循環に陥る。このような不況状態に伴うデフレが、さらなるデフレの予想を引き起こし始めると、 人びとは貨幣を一層ため込み始める。 その極限状態が、だれもモノを買おうとしない恐慌に他ならない。 |
貨幣にかんするパニックとは、逆に、貨幣の価値を人びとが疑い始めることである。はやく貨幣を手離してモノに換えようとすることが、 インフレに火を付け、貨幣価値を下げてしまうという悪循環を生み出す。さらなるインフレが予想されると、 「貨幣からの遁走」が始まってしまう。その極限状態が、誰も貨幣を貨幣として受け入れず、物々交換に戻ってしまうハイパーインフレなのである。 |
貨幣とは、この世にあるすべての商品の交換を可能にする一般的な交換手段である。物々交換経済においては、自分の欲しいモノをもっている人が同時に自分のもっているモノを欲しがっていなければ、交換は不可能である。だが、ひとたび貨幣が導入されると、どのようなモノを持っていても、それを欲している人さえ見つかれば、貨幣と交換に売ることができ、どのようなモノを欲していても、それを手放したい人さえ見つかれば、貨幣と交換に買うことができる。貨幣の存在は、物々交換経済の非効率性をとり除き、人間の交換活動の範囲は時間的にも空間的にも社会的にも飛躍的に拡大することになった。グローバル資本主義という壮大な経済社会システムは、貨幣がなければ、存在しえなかったはずである。だが、まさにその貨幣を持つことが、純粋の投機であることによって、恐慌やハイパーインフレといったマクロ的な不安定性を可能にしてしまうのである。 ここに、資本主義における効率性と安定性との間のもっとも根源的な二律背反が見いだされたことになるのである。 |
「ケインズの美人投票と同じ自己循環論法」とあるが、その詳細については➤ 「ケインズ「美人投票」と基軸通貨ドル危機(岩井克人)」
注意しなければならないのは、恐慌とハイパーインフレとはまったく別物だということだ。岩井克人が「貨幣のバブル」というときの究極は「恐慌」であり、「貨幣のパニック」というときの究極は「ハイパーインフレ」である。 |
貨幣のバブルーーそれは、人が実際のモノよりも貨幣を貨幣として欲しがることである。その結果、モノ全体に対する需要が減ると、生産や雇用が停滞する不況が始まり、それによって不安をかき立てられた人がさらに貨幣を手元に置き始めると、不況が一層進展し始める。その極限状態が、誰も何もモノを買おうとしなくなってしまう恐慌に他ならない。 貨幣のパニックーーそれは、 貨幣が貨幣であることに人が不安を抱き、 それを早くモノに換えたいと思うことである。それによってモノの価格全体が上昇しはじめるとインフレになり、貨幣の価値を押し下げる。一層インフレが進展すると人びとが予想し始めると、貨幣をモノに換えようという動きが加速され、さらにインフレを促進してしまうという悪循環に陥ってしまう。その極限状態が、誰も貨幣を貨幣として受け取ろうとしなくなるハイパーインフレなのである。 (岩井克人「自由放任主義の第二の終焉」2008年、pdf) |