この川上未映子さんが5年前紹介していた金子光晴の詩句は「何たるすばらしさ!」と思っていて、いまでもふと思い起こすのだが、昨日ようやく出典を見出し、《非情》ーー金子光晴五十代の詩集所収の「――老いたるドン・ジュアンの唄へる」からのようだ。 |
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――老いたるドン・ジュアンの唄へる ――舊友前野君に―― 出かけるとしよう。かくべつ、いたくといふほどのこともないが そのむかしの伊達者の名残り、いまは一張羅の、 袖ぐちや、ひぢのあたりのすり切れた、杏びろうどの上着に、そつと刷毛をかけ ちぎれた釦を絲でかがり、さて、わが姿を手鏡にうつし、 おほかたは白髪となつた顎ひげを剃つたあとで、 所持品はそのまゝ、誰の手にうつるともそれでよし、一束にした文殻を、爐火に投げこみ、 よぼよぼの跛馬、むかしの愛馬をひきだして鞍をおき、秣と水を存分にふるまひながら おもふこと。――あゝ、けふまでのわしの一生が、そつくり欺されてゐたとしても この夕映のうつくしさ。女からのよびだしを罠としりつつ乗込んで、 女敵どもの寢刃を胸にうけて死ぬ、この最後ほどわしにふさはしい、冥加な死期が、いつの日待たれようぞ。 …………… いやあ前後関係を知るといっそうスバラシイ。 記念に同じ詩集からもう二篇掲げておく。
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在庫からもーー、 『君、すべての男は……すべての男だよ。一人でも多く異つた種類の女を欲するものなのだ。もし、さうでない男が在るとしたら、その男は無智識であるか、或ひは、臆病で自信がないといふことだけなのだ……』 と、Mが云つた。 『あなた、ちつとも女に就いて御存じがないのネ。女は、あなたのやうな物質的に貧弱なものの御考方に御相伴したがらないものよ。え、一人殘らず……贅澤な飼猫になりたいのよ。誰だつて妾になりうるのよ。もしさうでない女があるとしたら、その女は、そんな世界をしらないとか、或ひは、自分の力に就いて、魅惑に就いて自信がないとかいふこと丈なのですわ……』 とH子が、正面から私のSimpletonを揶揄した。 ーー金子光晴「海邊日記」より
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