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2025年9月6日土曜日

おもふこと。――あゝ、けふまでのわしの一生が、そつくり欺されてゐたとしても/この夕映のうつくしさ

 



この川上未映子さんが5年前紹介していた金子光晴の詩句は「何たるすばらしさ!」と思っていて、いまでもふと思い起こすのだが、昨日ようやく出典を見出し、《非情》ーー金子光晴五十代の詩集所収の「――老いたるドン・ジュアンの唄へる」からのようだ。



――老いたるドン・ジュアンの唄へる

                  ――舊友前野君に――


出かけるとしよう。かくべつ、いたくといふほどのこともないが

そのむかしの伊達者の名残り、いまは一張羅の、


袖ぐちや、ひぢのあたりのすり切れた、杏びろうどの上着に、そつと刷毛をかけ

ちぎれた釦を絲でかがり、さて、わが姿を手鏡にうつし、


おほかたは白髪となつた顎ひげを剃つたあとで、

所持品はそのまゝ、誰の手にうつるともそれでよし、一束にした文殻を、爐火に投げこみ、


よぼよぼの跛馬、むかしの愛馬をひきだして鞍をおき、秣と水を存分にふるまひながら

おもふこと。――あゝ、けふまでのわしの一生が、そつくり欺されてゐたとしても


この夕映のうつくしさ。女からのよびだしを罠としりつつ乗込んで、

女敵どもの寢刃を胸にうけて死ぬ、この最後ほどわしにふさはしい、冥加な死期が、いつの日待たれようぞ。



……………


いやあ前後関係を知るといっそうスバラシイ。


記念に同じ詩集からもう二篇掲げておく。




男について


女たちが、日に、日にきれいになるのをみて、僕は、

『どつこい。まだ、死ぬにははやい』とおもつたが。――どんなに女が淫猥を裝つても、


女を物色する男の針の眼の、ものほしさには、遠く及ばぬ。

その眼がおづおづとさぐるきもののしたの鹽氣のない膚。風にふくれた天幕のやうなその女は、


種痘のあとの目に立つふとい腕をだして、麻雀を並べては

くづす。あゝ、僕らの愛情とはかゝはりなく、よそにはこばれてゆく果物籠の


みごとさ、ゆたかさ。芳ばしさ。盛りあげられた女の人生から、

おもはず、その一つをとつて齒型をあてれば、耳もとで青天霹靂、『たうとう罠にかゝつたわ。そいつよ。その助平おやぢよ。』



花火


きれい好きな掃除女のぬれ雑巾のやうに、『時』は、すぐさま

僕らのしたあとを拭ひとる。皿をなめとる野良犬の舌のやうに、


うまいあと味をのこす暇がない。すばやくこころにしまひそこなつたら、 

それこそしまひまで、僕らの人生は無一物だ。仕掛花火のやうにみてゐるひまに


僕らの目の前で蕩尽される人生よ。花火を浴びて柘榴のやうに割れた笑はふたたび闇に沈み、 

今夜のできごとは、一まとめにして、投込み墓地に


葬られる。歪れた手足も、くひしばつた歯も、ぬれた陰部も、 

決してうかびあがらないのだ。痕跡すらも、世界に、おぼえてゐるものはないのだ。






在庫からもーー、


『君、すべての男は……すべての男だよ。一人でも多く異つた種類の女を欲するものなのだ。もし、さうでない男が在るとしたら、その男は無智識であるか、或ひは、臆病で自信がないといふことだけなのだ……』

と、Mが云つた。


『あなた、ちつとも女に就いて御存じがないのネ。女は、あなたのやうな物質的に貧弱なものの御考方に御相伴したがらないものよ。え、一人殘らず……贅澤な飼猫になりたいのよ。誰だつて妾になりうるのよ。もしさうでない女があるとしたら、その女は、そんな世界をしらないとか、或ひは、自分の力に就いて、魅惑に就いて自信がないとかいふこと丈なのですわ……』

とH子が、正面から私のSimpletonを揶揄した。


ーー金子光晴「海邊日記」より




この年になって、もっとしっかり女性器を見ておくんだった、と後悔している。目もだいぶみえなくなってきたが、女性器の細密画をできるだけ描いてから死にたい。

ーー金子光晴、79歳 死の前年(吉行淳之介対談集『やわらかい話』より)