大昔からこうだからな、
◼️マルクス・ポルキウス・カトー・ケンソリウス Marcus Porcius Cato Censoriu (紀元前234年 - 紀元前149年)の予言 |
諸君、我々一人一人が各家庭で夫の権威と権利を守り抜いていたら、こんなことにはならなかったはずですぞ。今や事態はここまで来た。女がのさばり、家庭でのわれわれの行動の自由を粉砕しただけではあきたらず、広場におけるわれわれの自由をさえ粉砕にかかっているのではないか。法が男性の権利を保証している間でさえ、女たちをおとなしくさせ、勝手なことをさせないために、どんなに苦労してきたか、よくお分りと思う。もし女どもが法的にも男と同等の立場に立つならいったいどうなることか、よくよくお考えあれ。女というものをよく御存知の諸君、かりに連中がわれわれと同等の地位に立つとすれば、きっとわれわれを支配するようになりましょうぞ。どこの世界でも男たちが女を支配しておる。ところが世界の男たちを支配する男たち、つまりわれわれローマ人がだ、女たちに支配されることになるのですぞ。(大カトーの演説――ティトゥス・リウィウス「ローマ建国史」) |
法的に男女同権にしたら女のほうが強くなるに決まっている。
ラディカルフェミニストのカミール・パーリアはこう言ってるがね、
男はみな、母に支配された内なる女性的領域を抱えており、そこから完全に逃れることは決してできない。 Every man harbors an inner female territory ruled by his mother, from whom he can never entirely break free. (カミール・パーリアCamille Paglia, Sexual Personae, 1990) |
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私が言いたいのは、男女間の問題の多くは、社会化以前の何かから生じているということだ。それは、すべての男子が女の身体の中に生まれ、幼少期から女神のような巨大で母権的な影に圧倒されてきたことに関係する動揺である。 何十年にもわたってこのことを研究してきた結果、私は、男性は女性への依存感、つまり、母親の影にいた少年時代に女性の支配下で経験した奴隷的で隷属的な状態に、いつ戻されてもおかしくないという感覚に苦しんでいると感じている。 私は、世界のあらゆる文化を研究し、さまざまな文化に同じようなパターンがあることを比較し、気づいた。 レイプや暴力、暴行などに発展する多くのことは、女性が恐怖と依存のボタンを押しているときに起こっているのだ。 |
I am saying that many of the problems between the sexes are coming from something prior to socialization, a turbulence that has to do with every boy’s origin in a woman’s body, and the way he is overwhelmed by this huge, matriarchal shadow of a goddess figure from his childhood. And I feel, after so many decades of studying this, that men are suffering from a sense of dependence on women, their sense that at any moment they could be returned to that slavery and servitude they experienced under a woman’s thumb, when they were a boy in the shadow of the mother. I got this from studying all world culture, and comparing and noticing how often there were these similar patterns in many different cultures. Many things that erupt in rape or violence, or battery and so on, are happening when a woman is pushing that button of fear and dependency. |
(カミール・パーリアCamille Paglia, Sex, Art and American Culture ,1992) |
パーリアは熱心なフロイト読みであって、《フロイトを研究しないで性理論を構築しようとする女たちは、ただ泥まんじゅうを作るだけである[Trying to build a sex theory without studying Freud, women have made nothing but mud pies]》(カミール・パーリアCamille Paglia "Sex, Art and American Culture", 1992年)と言っているが、上の内容もおそらくフロイトの次のあたりから示唆を受けている筈。
不安は乳児の心的な寄る辺なさの産物である。この心的寄る辺なさは乳児の生物学的な寄る辺なさの自然な相同物である。出産不安も乳児の不安も、ともに母からの分離を条件とするという、顕著な一致点については、なんら心理学的な解釈を要しない。これは生物学的にきわめて簡単に説明しうる。すなわち母自身の身体器官が、原初に胎児の要求のすべてを満たしたように、出生後も、部分的に他の手段でこれを継続するという事実である。 出産行為をはっきりした切れ目と考えるよりも、子宮内生活と原幼児期のあいだには連続性があると考えるべきである。心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な胎内状況の代理になっている。 |
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die Angst als Produkt der psychischen Hilflosigkeit des Säuglings, welche das selbstverständliche Gegenstück seiner biologischen Hilflosigkeit ist. Das auffällige Zusammentreffen, daß sowohl die Geburtsangst wie die Säuglingsangst die Bedingung der Trennung von der Mutter anerkennt, bedarf keiner psychologischen Deutung; es erklärt sich biologisch einfach genug aus der Tatsache, daß die Mutter, die zuerst alle Bedürfnisse des Fötus durch die Einrichtungen ihres Leibes beschwichtigt hatte, dieselbe Funktion zum Teil mit anderen Mitteln auch nach der Geburt fortsetzt. Intrauterinleben und erste Kindheit sind weit mehr ein Kontinuum, als uns die auffällige Caesur des Geburtsaktes glauben läßt. Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation. |
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(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
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寄る辺なさ[Hilflosigkeit]は「無力」とも訳せる語だが、要するに母は人間の最初のトラウマなんだよ、今も昔も。 |
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母は幼児にとって過酷なトラウマの意味を持ちうる[die Mutter … für das Kind möglicherweise die Bedeutung von schweren Traumen haben](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年) |
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不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma]。(フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
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自我が導入する最初の不安条件は、対象の喪失と等価である。〔・・・〕母を見失う(母の喪失)というトラウマ的状況〔・・・〕。このこの見失われた対象(喪われた対象)への強烈な切望備給は、飽くことを知らず絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給と同じ経済論的条件を持つ。Die erste Angstbedingung, die das Ich selbst einführt, ist (…) Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter (…) Die intensive, infolge ihrer Unstillbarkeit stets anwachsende Sehnsuchtsbesetzung des vermißten (verlorenen) Objekts schafft dieselben ökonomischen Bedingungen wie die Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle (フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年) |
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で、フロイトの臨床観察の下では、このトラウマは回帰するんだな、成人になっても。 |
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結局、成人したからといって、原トラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年) |
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そして、当たり前のことだが、すべての女には母の影が落ちている。とすれば、社会的権利を男女同権にしてしまえば、男女の私的権利は女が必ず強くなる。日本のフェミニストの敵、吉行淳之介は1962年に既にこう言ってるがね、《現在の天下の形勢は、男性中心、女性蔑視どころか、まさにその反対で女性が男女同権を唱えるどころか、せめて男女同権にしていただきたいと男性が哀訴嘆願し失地回復に汲々としている有り様だ。》(吉行淳之介「わたくし論」1962年) あるいは、フェミニスト・クリステヴァの旦那で2年前に死んでしまった(ラカンの若き友だった)ソレルス曰くーー、
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パーリアの言葉は、「Wikiquote:Camille Paglia」にそれなりの量がまとまっているから、これだけでも眺めてみることをお勧めするよ。
なお誤解なきよう断っておくが、私は1948年の『世界人権宣言』に端を発する初期フェミニズムを否定するものではまったくない。人権宣言が主に扱ったのは、女性・子供の権利であり、かつまた教育・医療等の権利のようなコミュニティの関心領域だった。そしてフェミニズム運動はその是正に大いに貢献した。でもある時期以降、おそらく欧米では1960年代中葉ぐらいから、徐々にポリコレフェミ運動に変貌してしまった。日本のフェミニズムへそれよりもだいぶ遅れをとって実質的な運動を開始したのだろうから、早くて70年代、実際は80年代あたりから「男女関係疎外運動」が始まったんじゃないかね。