キミたちは飽きないのかね、同じ写真ばかりが出回ってるけど。ボクは気分転換するよ。
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ある夕暮れ、Jは国電中央線の下り快速電車に乗っていた。かれのすぐまえに、かれと同年輩の娘が、かれと直覚に、そしてかれの胸、腹、腿のあわせめに、その体をおしつけて立っていた。Jは娘を愛撫していた。右手は娘の尻のあいだの窪みからその奥にむかって、左手は娘の下腹部の高みから窪みにむかって。そしてJのむなしく勃起した男根は女の腿の外側にふれていた。Jと娘との身長はほぼおなじだった。Jの吐く息は薔薇色に上気している娘の耳朶の生毛をそよがせつづけた。はじめのうちJは恐怖におののき息づかいを荒かった。娘は叫ばないだろうか? その自由な二本の腕でJの腕をつかみ周囲の人々に救いをもとめないだろうか? 最も激しく恐怖しているときJの性器は最も硬くなって娘の腿にむかってきつくおしつけられている。Jは娘の端正な横顔をいかにもまぢかに見つめながら深甚な恐怖のうちにたゆたう。皺はないが短い額、短く上向きに反っている鼻梁、コオフィ色の生毛のはえた皮膚のしたの大きい唇、しっかりした顎、それに色素の濃すぎるせいで全体が黒っぽく曇って見える立派な眼、それはほとんどまばたくことがない。Jは粗い手ざわりのウールのスカートごしに愛撫しつづけながら、不意に失神しそうになる。もしいま娘が嫌悪か恐怖の叫び声をあげれば自分はオルガスムにいたるであろうと感じる。かれは懼れのように、あるいは、熱望のように、その空想に固執する。しかし娘は叫ばない。唇はかたくひきしめられたままだ。そして舞台に切られた垂れ幕がおりるように、瞼が不意にきつく閉じられる。その瞬間、Jの両手は尻と腿の拒否から自由になる。柔らかくなった尻の間をなぞって右手はその奥にとどく。ひろがった腿のあいだを左手は正確に窪みにいたる。 |
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そしてJは恐怖感から自由になる、同時にかれ自身の欲望も稀薄になる。すでにかれの性器は萎みはじめている。かれはいま義務感あるいは好奇心のみにみちびかれて執拗な愛撫をつづけているだけだ。そのときJは、ああ、いつものとおりだ、こういう風にすべて容認され、この状態をこえたひとつの核心にいたることが不可能となるのだ、というようなことを冷たくなってくる頭で考えていたのだった。そこまでは、かれが痴漢になることを決意した日から幾度となくくりかえされた、おなじ様式の一過程にすぎなかった。やがてJは自分のふたつの指先に、その見知らぬ他人の孤独なオルガスムを感じとった。(大江健三郎『性的人間』1963年) |
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電車の中は、そう混雑していたわけではない。井村は窓際に立っていた。傍らに、人妻風の二十七、八歳にみえる女性が立っていた。〔・・・〕青春の日々のことが、鼻の奥に淡い揮発性の匂いを残して掠め去って行った。 その瞬間から、傍らの女の存在が、強く意識されはじめた。それも、きわめて部分的な存在として、たとえば腕を動かすときの肩のあたりの肉の具合とか、乳房の描く弧線とか、胴から腰へのにわかに膨れてゆく曲線とか、尻の量感とか……、そういう離れ離れの部分のなまなましい幻影が、一つの集積となって覆いかぶさってきた。 |
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いつの間にか、彼は青春の時期の井村誠一になっていた。肘を曲げて、軽く女の腕に触れてみると、女は軀を避けようとしない。さらに深く曲げた肘で、女の横腹を擦り上げるようにして、乳房を下から持ち上げた。身を堅くした気配が伝わってきたが、相変わらず女は軀を避けようとしない。乳房の重たさが、ゆっくりと彼の肘に滲み込んできた。次の瞬間、彼はその肘を離し、躊躇うことなく、女の腿に掌を押し当てた……。〔・・・〕 女は位置を少しも動かず、井村の掌は女の腿に貼り付いている。女も井村も、戸外を向いて窓際に立っていた。掌の下で、女の腿が強張るのが感じられた。やがて、それが柔らかくほぐれはじめた頃、女は腿を曲げて拳を顔の前に持上げると、人差指の横側で、かるく鼻の先端を擦り上げた。女はその動作を繰返し、彼はそれが昂奮の証拠であることを知っていた。衣服の下で熱くなり、一斉に汗ばんできている皮膚を、彼は掌の下に思い描いた。 |
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窓硝子に映っている女の顔を、彼は眺めた。電車の外に拡がっている夜が、女の映像を半ば吸い取って、黒く濡れて光っている眼球と、すこし開いたままになっている唇の輪郭だけが、硝子の上に残っている。 その眼と唇をみると、彼は押し当てている掌を内側に移動させていった。女は押し殺した溜息を吐き、わずかに軀を彼の方に向け直した。その溜息と軀の捩り方は、あきらかに共犯者のものだった。〔・・・〕 大学生の頃、井村がしばしば体験した状況になったのである。不思議におもえるほど、女たちは井村の掌から軀を避けようとしなかった。一度だけ、手首を摑まれて高く持ちあげられたことがあったが、それ以外は女たちは井村の掌を避けようとせず、やがて進んで掌に軀を任せた。 |
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当時、井村誠一は童貞であった。彼は掌に全神経を集め、その掌に未知なるものへの憧れを籠め、祈りさえ籠めて押し当てた。 そして、掌の当る小部分から、女体の全部を、さらには女性という存在全部を感じ取ろうとした。彼女たちが軀を避けなかったのは、彼の憧れを籠めた真剣さ、むしろ精神的といえる行為に感応したためか。 あるいは、誰にも知られることのない、後腐れのない、深刻で重大な関係に立至ることもない、そういう状況の中で快楽を掠め取ることには、もともと多くの女性は積極的姿勢を示すのであろうか。〔・・・〕 |
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「それはともかく、電車の中でいろいろなことを学んだよ。女の怖ろしさの片鱗も、最初に知ったのは電車の中だ。夏だった。三十くらいの人妻とおもえる女でね、丁度きのうのように、電車は空いていたが、並んで窓に向いて立って、触っていた。ブラウスの胸がしだいに盛り上がってきた。電車が停って、三人の乗客が入ってきた。そのうちの一人に、その女と知り合いの女がいたんだな。同年配の女だ。どういう具合になるかみていると、今まで乱れていた呼吸がすうっとおさまって、いかにも親しげで同時に儀礼的な挨拶を換しはじめた。顔色も態度も少しも乱れたところがない。こわいとおもったね」(吉行淳之介『砂の上の植物群』1964年) |
僕は一度だけやったことがあるんだがね、一度というか一週間。高校一年のときの通学電車で。ま、でも大したことない、《肘を曲げて、軽く女の腕に触れてみると、女は軀を避けようとしない。さらに深く曲げた肘で、女の横腹を擦り上げるようにして、乳房を下から持ち上げた。身を堅くした気配が伝わってきたが、相変わらず女は軀を避けようとしない。乳房の重たさが、ゆっくりと彼の肘に滲み込んできた。》ーーこの程度だ。実際、少女は《軀を避けようとしない》。毎朝、同じ車両の同じ扉の近くに少女は懲りずに乗ってきて、互いに無言のままの交感が一週間続いた。土曜日に勇気を奮って《女の腿に掌を押し当てた》ら、次の週からいなくなっちまったよ。ひどく惜しまれる出来事だった。もっと積極的にやっておけばよかったよ、《掌に全神経を集め、その掌に未知なるものへの憧れを籠め、祈りさえ籠めて押し当てた》という風に。さらには《柔らかくなった尻の間をなぞって右手はその奥にとどく。ひろがった腿のあいだを左手は正確に窪みにいたる》という風に。半世紀後の今から振り返っても一生の悔いだ。
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私はいまも思いだす、そのときの暑かった天気を、そんな日なたで給仕に立ちはたらいている農園のギャルソンたちの額から、汗のしずくが、まるでタンクの水のように、まっすぐに、規則正しく、間歇的にしたたっていて、近くの「果樹園」で木から離れる熟れた果物と、交互に落ちていたのを。そのときの天候は、かくされた女のもつあの神秘とともに、こんにちまでもまだ私に残っている、――その神秘は、私のためにいまもさしだされている恋なるもののもっとも堅固な部分なのだ。(プルースト「ソドムとゴモラ」) |
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私たち二人は、連れだって夕食をとりに出かけた。私は階段をおりながら、ドンシエールを思いだした、ドンシエールでは私は毎晩外出してホテルのレストランでロベールと顔をあわせた、また私は忘れていたほかの小さな食堂のあれこれを思いだした。そんな一つの部屋が回想によみがえった、まだ一度も思いかえしたことがなかったその食堂は、サン=ルーが夕食をとることにしていたホテルにはなかった、それはもっとずっと粗末な、旅館と下宿との中間のようなホテルにあった、そしてそこではおかみさんと女中の一人とか給仕してくれた。雪が私をそこに足どめしたのだった。それにロベールはちょうどその晩はホテルで夕食をとることになっていなかったし、私は足どめされたそこより遠くへ食事に行きたくなかった。私に料理がはこばれてきたのは、階上の、全体が木造の小さな部屋だった。食事中にランプが消え、女中が私のためにそうそくを二本ともした。その私は、彼女に皿をさしだしながら暗くてよく見えないふうを装い、彼女がその皿にじゃがいもを入れているあいだに、まるで彼女の手をとって誘導しようとするかのように、片方の手で彼女のむきだしの前腕をにぎった。その前腕をひっこめないのを見て私はそれを愛撫した、それから、ひとことも発しないで、彼女のからだをそのままぐっと私のほうにひきよせ、ろうそくの火をふきけした。そうしておいて、お金をすこしやるつもりで、ポケットをさぐるようにといった。それにつづいた数日のあいだ、肉体的快楽が満喫されるには、単にこの女中だけでなく、そんなにも孤立した木造のこの食堂が必要であると私には思われた。(プルースト「ゲルマントのほう」) |
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隣のテーブルにいる女の匂[l'odeur de la femme qui était à la table voisine]…それらの顔は、私にとって、節操のかたいこちこちの女だとわかっているような女の顔よりもばるかに好ましいのであって、後者に見るような、平板で深みのない、うすっぺらな一枚張のようなしろものとは比較にならないように思われた。〔・・・〕それらの顔は、ひらかれない扉であった[ces visages restaient fermés]。しかし、それらの顔が、ある価値をもったものに見えてくるためには、それらの扉がやがてひらかれるであろうことを知るだけで十分なのである・・・ (プルースト「花咲く乙女たちのかげに」) |
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におい 飯島耕一 五月の雨の日 西荻窪の駅のホームのベンチに坐っていると 隣に一人の若い女が坐り 大学の紀要のようなものを 読みはじめる アメリカ問題の論文で 筆者は女性の名だ この若い女の名 かもしれない 雨のせいか そのみしらぬ女の 実にあまい体臭が こちらに ただよってくる 苦しいほどの 女の 肉体の におい 衿にこまかい水玉のネッカチーフをまいている レインコートを着ている 人間の女のにおい ようやく下りの電車が入ってきた 顔はとうとう見ることができず 別の車輛に乗った もう二度と会うこともないか これが東京だ 人生のにおい 論文なんか 読むのはやめたら という 一語 をささやいてやるべきだった。 |