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2025年11月16日日曜日

原始的淋しさ

 

原始的淋しさは存在という情念から来る。

Tristis post Coitumの類で原始的だ。

孤独、絶望、は根本的なパンセだ。

生命の根本的情念である。

またこれは美の情念でもある。


ーー西脇順三郎『梨の女「詩の幽玄」』



性交後、雄鶏と女を除いて、すべての動物は悲しくなる post coitum omne animal triste est sive gallus et mulier(ラテン語格言、ギリシャ人医師兼哲学者Galen)


……………


…そのとき中戸川が急に声を細めて、女房といふものはたゞ淫慾の動物だよ、毎晩幾度も要求されるのでとてもさうは身体がつゞかないよ、すると牧野信一が我が意を得たりとカラ〳〵と笑ひ、同感だ、うちの女房もさうなんだ、――とみゑさん、ごめんなさい、私はあんたを辱めてゐるのではないのです。どうして私があなたを辱め得ませうか。あなたは病みつかれ、然し、肉慾のかたまりで、遊びがいのちの火であつた。その悲しいいのちを正しい言葉で表した。遊びたはむれる肉体は、あなたのみではありません。あらゆる人間が、あらゆる人間の肉体が、又、魂が、さうなのです。あらゆる人間が遊んでゐます。そしてナマ半可な悟り方だの憎み方だのしてゐます。あなたはいのちを賭けたゞけだ。それにしても、あなたは世界にいくつもないなんと美しい言葉を生みだしたのだらう。(坂口安吾「蟹の泡」1946年)


男と女の一等厄介なちがいは、男にとっては精神と肉体がはっきり区別して意識されているのに、女にとっては精神と肉体がどこまで行ってもまざり合っていることである。女性の最も高い精神も、最も低い精神も、いずれ肉体と不即不離の関係に立つ点で、男の精神とはっきりちがっている(三島由紀夫「不道徳教育講座」1959年)

男と女のちがいの一つは、性について知ることが多くなればなるほど、女は肉体的になってゆくが、男は観念的になってゆくことだ。女は眼をつむってセックスの波間に溺れ込むようになるが、男はますます眼を見開いて観察し、そのことから刺激を得て、かろうじて性感を維持してゆく。(吉行淳之介『不作法紳士―男と女のおもてうら―」1962年)



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男性的な幻想として典型的なのは、セックス中に他の女性と幻想することです。私が発見した女性的な幻想は、より複雑で理解しにくいものですが、セックスをしているのは他の男性であるという幻想ではなく、問題の男性が自分ではない他の女性とヤッテいるという幻想です。問題の患者にとって、この幻想はオーガズムに達するために必要でした。そして彼女がそれについて話したとき(彼女は以前の分析では何年もそれを隠していました)、そして彼女がもうそのようにそれを使用しないと決めたとき、現在の分析結果は、彼女がオーガズムに達するのに困難を抱えているというものでした。幻想の場に位置する、明確に表現された症状があります。この例では、他の女性のポジション、それはヒステリー性幻想において最も隠されている部分であり、そしてあらゆる症例において特定の様相で現れるものを見ることができます。それは非常に深く隠された何ものかです。なぜなら、男・彼女の男・彼女の夫は、それについて何も知らないから。この男は毎晩他の女とヤッテいることを知らない…これがラカンが言及したヒステリー性パントマイムです。その幻想は、同時に最も隠されているものであり、主体のごくありふれた態度や行動に見られるますが、それを位置付けるのは容易ではありません。


A masculine fantasm that is seen as classic is the fantasizing with another woman while fucking. Well, this feminine fantasm that I found, which is more complex and harder to understand, is not the fantasy that it is some other man that is doing the fucking, but rather fantasizing that the man in question is fucking some other woman who isn't her. For the patient in question, this fantasm was necessary to reach orgasm. And when she told about it—she kept it hidden for years in her previous analysis—and when she decided not to use it any more in that way, the current result of the analysis is that she's having difficulties reaching orgasm. There is a well-articulated symptom  taking the place of the fantasm. We can see, in this example, the position of the other woman, which is what is most concealed about the hysterical fantasm, and which is presented in a specific modality in every case. It is something that is very deeply hidden, because the man, her man, her husband, knows nothing about it. He doesn't know that he's fucking another woman every night… Such is the hysterical pantomime that Lacan refers to. Its fantasm, which at the same time is what is most concealed about it, as can be seen in the subject's most commonplace attitudes and behaviors, is not easy to locate.

(ジャック=アラン・ミレール J.-A. Miller, The Axiom of the Fantasm




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ああ   谷川俊太郎


ああ

あああ

ああああ声が出ちゃう

私じゃない

でも声が出ちゃう

どこから出てくるのかわからない

私からだじゅう笛みたいになってる

あつ

うぬぼれないで

あんたじゃないよ声出させてるのは

あんたは私の道具よわるいけど

こんなことやめたい

あんたとビール飲んでるほうがいい

バカ話してるほうがいい

でもいい

これいい

ボランティアはいいことだよね

だから私たち学校休んでこんな所まで来てるんだよね

でもこのほうがずっといい

どうして

苦しいよ私

嬉しいけどつらいよ

何がいいんだなんてきかないで

意味なんてないよ

あんたに言ってるんじゃない

返事なんかしないで

声はからっぽだよこの星空みたいに

もういやだ

ああ

ねえあれつけて

未来なんて考えられない

考えたくない

私ひとりっきりなんだもの今

泣くなっていわれても泣いちゃう

ああ

あああ

いい