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2025年11月9日日曜日

畳のにおい

 

ある時期までの吉行淳之介はひどく好んだ作家なんだ、とくに『砂の上の植物群』は大学時代にしゃぶるように読んだよ、縛って」で引用した文もそうだが特につぎの文がお気に入りだ。


長い病気の恢復期のような心持が、軀のすみずみまで行きわたっていた。恢復期の特徴に、感覚が鋭くなること、幼少年期の記憶が軀の中を凧のように通り抜けてゆくこととがある。その記憶は、薄荷のような後味を残して消えてゆく。

 

立上がると、足裏の下の畳の感覚が新鮮で、古い畳なのに、鼻腔の奥に藺草のにおいが漂って消えた。それと同時に、雷が鳴ると吊ってもらって潜りこんだ蚊帳の匂いや、縁側で涼んでいるときの蚊遣線香の匂いや、線香花火の火薬の匂いや、さまざまの少年時代のにおいの幻覚が、一斉に彼の鼻腔を押しよせてきた。(吉行淳之介『砂の上の植物群』1964年)


ないかい、こういうレミニサンスが? ボクの吉行淳之介への愛はこの文章にあると言っていいぐらいなんだがね。


…………


吉行あぐりは15歳で吉行栄助と結婚して、16歳で長男・淳之介を生んでいる。

私はいわば成り行きで結婚し、十六歳で淳之介を生んで母親になったわけですが、子どもはそれほど好きではありませんでした。けれど、生まれたら責任もありますし、一所懸命、育てているうちに、日に日に愛情も大きくなっていきました。(『あぐり流 夫婦関係 親子関係』2003年)


彼女は長命で、1907年-2015年、107歳まで生きていた。他方、吉行淳之介は1994年70歳で肝臓癌で死んだ。


吉行理恵はこう書いている。


七月二十六日、九年ぶりに会う兄はもう深い眠りに入っていた。十二時間母は兄の左手の親指と人差し指の間を軽くおさえつづけていた。心臓のはたらきがよくなると聞いたことがあったので、黙ってひたすらおさえていた。


母は生後八ヶ月の兄を祖父母のもとにおいて父のいる東京へ出た。そして美容の勉強を(住み込みで)したので二年間兄のもとへ帰れなかった。祖母から母が帰ってくると聞いた兄は、本当だね、この畳の上へ帰ってくるんだね、と畳を叩いたそうだ


孤児のようだったと兄の書いている文章がある。十二時間母と一緒に過すのは初めてだっただろう。もうこれでいいか、母が疲れるから、と思ったのかもしれない。いつ息を引き取ったのか分からないくらい静かに逝った。


私が文学の世界に入るきっかけも兄だった。兄と最後の別れをする時、〈ありがとうございました〉と頭を下げた。〔・・・〕海外で仕事をしていた姉はその日間に合わなかった。(吉行理恵「兄の似顔絵」1995年)


《祖母から母が帰ってくると聞いた兄は、本当だね、この畳の上へ帰ってくるんだね、と畳を叩いたそうだ。》とあるが、ここにも畳がある、冒頭に掲げた『砂の上の植物群』の。繰り返そう、ーー《立上がると、足裏の下の畳の感覚が新鮮で、古い畳なのに、鼻腔の奥に藺草のにおいが漂って消えた。それと同時に、雷が鳴ると吊ってもらって潜りこんだ蚊帳の匂いや、縁側で涼んでいるときの蚊遣線香の匂いや、線香花火の火薬の匂いや、さまざまの少年時代のにおいの幻覚が、一斉に彼の鼻腔を押しよせてきた。》


ま、なかったらないでいいよ、


彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンスにふけっていた[j'étais froid devant des beautés qu'ils me signalaient et m'exaltais de réminiscences confuses]〔・・・〕そして戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった[je m'arrêtai avec extase à renifler l'odeur d'un vent coulis qui passait par la porte. « Je vois que vous aimez les courants d'air », me dirent-ils. ](プルースト「ソドムとゴモラ」)


ボクはしばしばあって、そうするとしばらくのあいだはほかのことはどうでもよくなるんだ。


彼に男兄弟は無く、妹が二人だけ、後年才能を広く世に知られる吉行和子と吉行理恵、お母さんのあぐりさんは、淳之介の少年時代銀座伊東屋上に美容室を開いていた美容師で、其処へ遊びに行って接する母親のお客さんも、当然皆女性、父親はあまり家へ寄りつかなかったようだし、三十四歳の若さで亡くなってしまう。女ばかりに囲まれて大きくなった都会っ子の吉行は、嫉妬深くてしつこいところ、妙に残酷で頑固でつめたいところ、相手によって鷺を烏と言いくるめる小意地の悪さ、女好きの女嫌い、そういう一面を、かなりたっぷり、〈生理〉として持ち合わせていた。〔・・・〕


女性に対する好みも違った。酒場の女から〈タイプがきまっているのね。なんだか小児麻痺みたいなタイプがいいのね〉と言われて、半ば肯定した話を『なんのせいか』という随筆に書いている。以前は〈幽霊のように影の薄い女〉が好きだったのが、段々変化して、言われる通り、〈背の低い、美人顔でない、バランスの取れない女性を好む傾向がでてきたようだ〉と。


三浦朱門、遠藤周作、私の三人で、ひそかにこれを〈吉行の悪食〉と称したが、当人に言わせれば、〈お前たちの好きなのは分りやすーい美人、俺のは分りにくーい美人〉、その道の初心者と奥義を極めた者の違いということになる。(阿川弘之解説ーー新潮社版吉行全集第12巻(エッセイ集))





………………


レミニサンスはトラウマの回帰だ、ここでのトラウマは強度をもった過去の出来事という意味だ、《出来事がトラウマ的性質を獲得するのは唯一、量的要因の結果としてのみである[das Erlebnis den traumatischen Charakter nur infolge eines quantitativen Faktors erwirbt] 〔・・・〕トラウマは自己身体の出来事 もしくは感覚知覚の出来事である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]》(フロイト『モーセと一神教』3.1.3 、1939年 )


ある年齢に達してからは、われわれの愛やわれわれの愛人は、われわれの苦悩から生みだされるのであり、われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷とが、われわれの未来を決定づける[Or à partir d'un certain âge nos amours, nos maîtresses sont filles de notre angoisse ; notre passé, et les lésions physiques où il s'est inscrit, déterminent notre avenir. ](プルースト「逃げ去る女」)

結局、成人したからといって、原トラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)


フロイト(とプルースト)の仮説…精神分析、つまり失われた時を求める探求は、文学のように、際限のないものになるほかはない。それも、歴史という名に値する歴史として、つまり歴史主義ではなくアムネーシスであるような歴史としてなのである。それは、忘却というものが記憶の欠落ではなく、つねに「現前している」が決して今-ここにはないあの記憶され得ぬものであり、習慣的な意識の時間に合っては、つねに早すぎると遅すぎるのあいだで引き裂かれるということを忘れはしない。心的装置にもたらされはするものの、感じずにいる第一撃の早すぎる時機と、何かが感じ取られ、耐えがたい思いのする第二撃の遅すぎる時機のあいだで、そこにあるのは、戦わずして傷つけられた魂ということなのである。

L'hypothèse freudienne (et proustienne)… La psychanalyse, la recherche du temps perdu, ne peut être, comme la littérature, qu'interminable. Et comme la véritable histoire, celle qui n'est pas historicisme, mais anamnèse. Qui n'oublie pas que l'oubli n'est pas une défaillance de la mémoire, mais l'immémorial toujours ‘présent', jamais ici-maintenant, toujours écartelé dans le temps de conscience, chronique, entre un trop tôt  et un trop tard. – le trop tôt d'un premier coup porté à l'appareil qu'il ne ressent pas. , et le trop tard d'un deuxième coup où se fait sentir quelque chose d'intolérable. Une âme a frappé sans porter un coup. 

(ジャン・リオタール『ハイデガーと「ユダヤ人」』本間邦雄訳 Jean-François Lyotard, Heidegger et les Juifs, 1988)


プルーストとフロイトの「過去の復活」ーー、


過去の復活[résurrections du passé] は、その状態が持続している短いあいだは、あまりにも全的で、並木に沿った線路とあげ潮とかをながめるわれわれの目は、われわれがいる間近の部屋を見る余裕をなくさせられるばかりか、われわれの鼻孔は、はるかに遠い昔の場所の空気を吸うことを強制され [Elles forcent nos narines à respirer l'air de lieux pourtant si lointains]、われわれの意志は、そうした遠い場所がさがしだす種々の計画の選定にあたらせられ、われわれの全身は、そうした場所にとりかこまれていると信じさせられるか、そうでなければすくなくとも、そうした場所と現在の場所とのあいだで足をすくわれ、ねむりにはいる瞬間に名状しがたい視像をまえにしたときどき感じる不安定にも似たもののなかで、昏倒させられる。(プルースト「見出された時」)

過去の復活、長い間隔をおいての忘れられたものの回帰[Wiederkehren des Vergessenen nach langen Intervallen](フロイト『モーセと一神教』3.1.4  Anwendung、1939年)



これも何度も引用してるが、喜ばしいトラウマの回帰だってある、《PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。》(中井久夫「記憶について」1996年『アリアドネからの糸』所収)




記憶のそんな復活のことを考えたあとで、しばらくして、私はつぎのことを思いついた、――いくつかのあいまいな印象も、それはそれで、ときどき、そしてすでにコンブレーのゲルマントのほうで、あのレミニサンスというやりかたで、私の思想をさそいだしたことがあった、しかしそれらの印象は、昔のある感覚をかくしているのではなくて、じつは新しいある真実、たいせつなある映像をかくしていて、たとえば、われわれのもっとも美しい思想が、ついぞきいたことはなかったけれど、ふとよみがえってきて、よく耳を傾けてきこう、楽譜にしてみようとわれわれがつとめる歌のふしに似ていたかのように、あることを思いだそうと人が努力する、それと同種の努力で私もそうした新しい真実、たいせつな映像を発見しようとつとめていた、ということを。

Cependant, je m'avisai au bout d'un moment et après avoir pensé à ces résurrections de la mémoire que, d'une autre façon, des impressions obscures avaient quelquefois, et déjà à Combray, du côté de Guermantes, sollicité ma pensée, à la façon de ces réminiscences, mais qui cachaient non une sensation d'autrefois, mais une vérité nouvelle, une image précieuse que je cherchais à découvrir par des efforts du même genre que ceux qu'on fait pour se rappeler quelque chose, comme si nos plus belles idées étaient comme des airs de musique qui nous reviendraient sans que nous les eussions jamais entendus, et que nous nous efforcerions d'écouter, de transcrire. 

(プルースト『見出された時』)







その日、私はしずかに軀を秋子の軀に寄り添わした。傷ついた二匹の獣が、それぞれ傷口を舐めながら、身を寄せ合い体温を伝え合っている形になることをおそれまい、と私は思った。秋子もしずかに私を受容れた。私は全く口をきかなかったが、私は彼女の軀と沢山の入り組んだ会話を取りかわした。荒々しい力を加えていた時には分らなかったさまざまの言葉が、彼女の軀から私の軀に伝わってきた。(吉行淳之介『娼婦の部屋』1959年)


男児は、性行為の醜い規範から両親を例外として要求する疑いを抱き続けることができなくなったとき、彼は皮肉な正しさで、母親と売春婦の違いはそれほど大きくなく、基本的には母親がそうなのだと自分に言い聞かせるようになる。……娼婦愛…娼婦のような女を愛する条件はマザーコンプレクスに由来するのである。

Er vergißt es der Mutter nicht und betrachtet es im Lichte einer Untreue, daß sie die Gunst des sexuellen Verkehres nicht ihm, sondern dem Vater geschenkt hat. (…) 

Dirnenliebe…die Bedingung (Liebesbedingung) der Dirnenhaftigkeit der Geliebten sich direkt aus dem Mutterkomplex ableitet. (フロイト『男性における対象選択のある特殊な型について』1910年、摘要)



ボクには娼婦愛はないがね、あるカタの女性には脊髄反射的に惚れるね。



愛の条件は、初期幼児期のリビドーの固着が原因となっている[Liebesbedingung (…) welche eine frühzeitige Fixierung der Libido verschuldet]( フロイト『嫉妬、パラノイア、同性愛に見られる若干の神経症的機制について』1922年)

ある男がいる。現在、女の性器や他の魅力 [das Genitale und alle anderen Reize des Weibes]にまったく無関心な男である。だが靴を履いた固有の形式の足にのみ抵抗しがたい性的興奮[unwiderstehliche sexuelle Erregung ]へと陥る。


彼は6歳のときの出来事を想い起こす。その出来事がリビドーの固着[Fixierung seiner Libido]の決定因だった。


彼は背もたれのない椅子に座っていた。女の家庭教師の横である。初老の干上がった醜いオールドミスの英語教師。血の気のない青い目とずんぐりした鼻。その日は足の具合が悪いらしく、ビロードのスリッパ [Samtpantoffel]を履いてクッションの上に投げ出していた。

彼女の脚自体はとても慎み深く隠されていた。痩せこけた貧弱な足。この家庭教師の足である。彼は、思春期に平凡な性行動の臆病な試み後、この足が彼の唯一の性的対象になった。男は、このたぐいの足が英語教師のタイプを想起させる他の特徴と結びついていれば、否応なく魅惑させられる。彼のリビドーの固着は、彼を足フェチ[Fußfetischisten]にしたのである。(フロイト『精神分析入門』第22章、1917年)



この足フェチの話はひとつの事例だからな、ボクは女性器に大いに関心があるよ



古井由吉は「幼少の砌の髑髏」を書き続けた作家だ。いや真の作家とは読み込めばすべてそうなのかもしれないが。

頼朝公卿幼少の砌の髑髏〔しゃれこうべ〕、という古い笑い話があるが、誰しも幼少年期の傷の後遺はある。感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃なので、傷はたいてい思いのほか深い。はるか後年に、すでに癒着したと見えて、かえって肥大して表れたりする。しかも質は幼年の砌のままで。


小児の傷を内に包んで肥えていくのはむしろまっとうな、人の成熟だと言えるのかもしれない。幼い頃の痕跡すら残さないというのも、これはこれで過去を葬る苦闘の、なかなか凄惨な人生を歩んできたしるしかと想像される。しかしまた傷に晩くまで固着するという悲喜劇もある。平生は年相応のところを保っていても、難事が身に起ると、あるいは長い矛盾が露呈すると、幼年の苦についてしまう。現在の関係に対処できなくなる。幼少の砌の髑髏が疼いて啜り泣く。笑い話ではない。(古井由吉「幼少の砌の」『東京物語考』1984年)


幼少の砌の傷への固着とは常にトラウマ的固着であり幼児期の外傷神経症だ、《トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]〔・・・〕ここで外傷神経症は我々に究極の事例を提供してくれる。だが我々はまた認めなければならない、幼児期の出来事もまたトラウマ的特徴をもっていることを[Die traumatische Neurose zeigt uns da einen extremen Fall, aber man muß auch den Kindheitserlebnissen den traumatischen Charakter zugestehen]》(フロイト『続精神分析入門』第29講, 1933 年)


古井由吉の幼少の砌の固着のひとつは、女はコワイということだよ。

女は子供を連れて危機に陥った場合、子供を道連れにしようという、そういうすごいところがあるんです。(古井由吉「すばる」2015年9月号)


これは忘れられない過去だね、常にレミニサンスする。

なかなか過ぎ去らない現在、というものがあって、とくに危機に陥ったときにそれはあらわれるんですよ。


記憶とは、取りとめもないものなんですよ。忘れもするし、とつぜん甦ってきたりもする。それから、いつしか記憶していたことが本当のことかどうかわからなくなる。知らないはずのことを思い出したりもする。


記憶は取りとめのないものだけど、じつはそれが何事かなんですよ。根源的な忘却にもつながっている。記憶はそういう根源的な忘却からつねに発してくるものじゃないでしょうか。生まれる前からの記憶みたいなものがあるんじゃないかと思ってね。(古井由吉「群像」2019年4月号/聞き手 蜂飼耳)


危機に陥ったときにあらわれるとは、まさにフロイトのいうつぎの現象だ。


経験された寄る辺なき状況をトラウマ的状況と呼ぶ 。〔・・・〕そして自我が寄る辺なき状況が起こるだろうと予期する時、あるいは現在に寄る辺なき状況が起こったとき、かつてのトラウマ的出来事を呼び起こす。

eine solche erlebte Situation von Hilflosigkeit eine traumatische; …ich erwarte, daß sich eine Situation von Hilflosigkeit ergeben wird, oder die gegenwärtige Situation erinnert mich an eines der früher erfahrenen traumatischen Erlebnisse.(フロイト『制止、症状、不安』第11章B 、1926年)


つまりはトラウマは《時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしている》。

最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収)


古井由吉の幼少の砌の髑髏をもっと一般的にいえば、親子の絆だ。

大震災の後、絆という言葉がしきりに口にされた。それにつけても私が首をかしげさせられたのは、その言葉を口にする人に、絆の苦さを思う心があまり感じられないということだった。絆とは古来、生涯にわたって苦しいものだった。とりわけ親子の絆は。亡き親の姿は苦の中からこそ浮かび出る。

酒に酔って庭の隅の木に登り、そら撃墜だ、また一機堕ちた、と叫んでいる父親を思い出す。それを母親と、女学生の姉と、小学生の私とが、庭の瓦礫の中に坐りこんで、眉をひそめて眺めていた。(古井由吉「PHP」2016 年 4 月号)