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幸福に必要なものはなんとわずかであることか! 一つの風笛の音色。――音楽がなければ人生は一つの錯誤であろう。Wie wenig gehört zum Glücke! Der Ton eines Dudelsacks. - Ohne Musik wäre das Leben ein Irrtum. Der Deutsche denkt sich selbst Gott liedersingend.(ニーチェ『偶像の黄昏』「箴言と矢」33番、1888年) |
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さる集団のBadinerieを聴いていたら、中学一年にとき熱心に聴いたスウィングルシンガーズが戻ってきたよ。
▶︎Orchestral Suite No. 2 in B Minor, BWV 1067: VII. Badinerie · The Swingle Singers
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人が個性を持っているなら、人はまた、常に回帰する自己固有の出来事を持っている。Hat man Charakter, so hat man auch sein typisches Erlebniss, das immer wiederkommt.(ニーチェ『善悪の彼岸』70番、1886年) |
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最近の人はあまり聴かないんだろうがね、やたらに上手いよ。ボクの音楽愛好の起源と言ってもいいくらいなんだけど。
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なおひとこと、選り抜きの耳をもつ人々のために言っておこう、わたしが本来音楽に何を求めているかを。それは、音楽が十月のある日の午後のように晴れやかで深いことである。音楽が独特で、放恣で、情愛ふかく、愛想のよさと優雅さを兼ねそなえた小柄のかわいい女であることである。 – Ich sage noch ein Wort für die ausgesuchtesten Ohren: was ich eigentlich von der Musik will. Daß sie heiter und tief ist, wie ein Nachmittag im Oktober. Daß sie eigen, ausgelassen, zärtlich, ein kleines süßes Weib von Niedertracht und Anmut ist... (ニーチェ『この人を見よ』「なぜ私はこんなに賢いのか」第7節、1888年) |
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今はBadinerieより別のスウィングルシンガーズの演奏を好むがね、 |
▶︎Swingle Singers Bach-Only Playlist
スウィングルシンガーズにゾッコンだった時期にグールドのラルゴにも出会ってね、イカれたなあ、これには。
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Glenn Gould - Bach, Largo |
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高橋悠治のラルゴに今年初めて出会ったのだけれど、これもとってもいいよ。上のグールドからメロさを削ぎ落としたような切れ味鋭い演奏で。 |
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BWV1056 II - Largo · Tokyo Bach Players · Yuji Takahashi |
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高橋悠治はうますぎた不幸があったのかもしれない。
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ピアノは生活の手段だった。〔・・・〕ピアニストとみなされると、人が聞きたがるものを弾くことになる。バッハを弾いているとそればかり求められるが、日本では数十年前のグレン・グールドの代用品にすぎないから、弾くだけむだと最近は思うようになった。〔・・・〕 確信をもっていつも同じ演奏をくりかえす演奏家がいる。この確信は現実の音を聞くことを妨げる障害になるのではないかと思うが、感性のにぶさと同時に芸の傲慢さをしめしているのだろう。演奏が商品でありスポーツ化している時代には、演奏家の生命は短い。市場に使い捨てられないためには、いつも成長や拡大を求められているストレスがあるのかもしれない。(高橋悠治「ピアノを弾くこと」) |
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そういえば、ニーチェニアンのシオランがこう言ってたな、 |
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音楽がなければ、生には何の意味もありませんよ。音楽は私たちの深部に触れます。音楽は、私の人生で途方もなく大きな役割を果たしました。音楽を解さない人間にはまったく興味がありませんね。ゼロですよ。(シオラン『対談集』) |
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でも安心したらいいよ、冷蔵庫の音だって音楽だし、沈黙だって音楽だ。耳をすます力さえあればいい。 |
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身体をとりまく音も なぜなら いまあらわれたこの音も ーー高橋悠治「音の静寂静寂の音」(2000)より |
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私は音楽の形は祈りの形式に集約されるものだと信じている。私が表したかったのは静けさと、深い沈黙であり、それらが生き生きと音符にまさって呼吸することを望んだ。(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』1971年) |
(ひとつのおとに
ひとつのこえに
みみをすますことが
もうひとつのおとに
もうひとつのこえに
みみをふさぐことに
ならないように)
耳をすまさねばならない
ーー谷川俊太郎「みみをすます」より
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匂だって音楽かもしれないよ、 |
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……晦堂は客の言が耳に入らなかつたもののやうに何とも答えなかつた。寺の境内はひつそりとしてゐて、あたりの木立を透してそよそよと吹き入る秋風の動きにつれて、冷々とした物の匂が、あけ放つた室々を腹這ふやうに流れて行つた。 晦堂は静かに口を開いた。「木犀の匂をお聴きかの。」 山谷は答へた。山谷はそれを聞いて、老師が即答のあざやかさに心から感歎したといふことだ。 ふと目に触れるか、鼻に感じるかした当座の事物を捉へて、難句の解釈に暗示を与へ、行詰つてゐる詩人の心境を打開して見せた老師の搏力には、さすがに感心させられるが、しかし、この場合一層つよく私の心を惹くのは、寺院の奥まつた一室に対座してゐる老僧と詩人との間を、煙のやうに脈々と流れて行つた木犀のかぐはしい呼吸で、その呼吸こそは、単に花樹の匂といふばかりでなく、また実に秋の高逸閑寂な心そのものより発散する香気として、この主客二人の思を浄め、興を深めたに相違ないといふことを忘れてはならぬ。(薄田泣菫「木犀の香」) |
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武満は死の2日前にマタイ全曲聴きかえしたらしいがね、よく聴くよ、あんな大曲。体力消耗させて死をはやめたんじゃないかね。ボクは断片だけだな、30年ぐらいそうだ。