私はカントはよく知らないが、一般的には次の三つの問いが有名だな
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私の理性の一切の関心 (思弁的および実践的な)は以下の三つの問いに集約される。 1、私は何を知りうるか 2、私は何をなすべきか 3、私は何を望んでよいか |
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Alles Interesse meiner Vernunft (das spekulative sowohl, als das praktische) vereinigt sich in folgenden drei Fragen: 1. Was kann ich wissen? 2. Was soll ich tun? 3. Was darf ich hoffen? |
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(カント『純粋理性批判』第二版、1787年) |
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とはいえ後年のカントはーーこれは最近知ったのだがーーこの三つの問いにもう一つ問いを加えている、《人間とは何であるか》と。 |
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世界市民的な意味における哲学の領域は、以下の問いへと集約される。 1、私は何を知りうるか 2、私は何をなすべきか 3、私は何を望んでよいか 4、人間は何であるか 第一の問いに答えるのは形而上学であり、第二の問いに答えるのは道徳であり、第三の問いに答えるのは宗教であり、 そして第四の問いに答えるのが人間学である。だが結局のところ、これらすべての問いは人間学に数えられてよいであろう。なぜなら、最初の三つの問いは、最後の問いにかかわるからである。したがって、哲学者は次のことを明らかにできなければならない。1. 人間の知識の源泉、2. あらゆる知識の可能な、かつ有益な利用の範囲、そして最後に 3. 理性の限界である。 |
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Das Feld der Philosophie in dieser weltbürgerlichen Bedeutung lässt sich auf folgende Fragen bringen: 1. Was kann ich wissen? 2. Was soll ich tun? 3. Was darf ich hoffen? 4. Was ist der Mensch? Die erste Frage beantwortet die Metaphysik, die zweite die Moral, die dritte die Religion, und die vierte die Anthropologie. Im Grunde könnte man aber alles dieses zur Anthropologie rechnen, weil sich die drei ersten Fragen auf die letzte beziehen. Der Philosoph muß also bestimmen können: 1. die Quellen des menschlichen Wissens, 2. den Umfang des möglichen und nützlichen Gebrauchs alles Wissens, und endlich 3. die Grenzen der Vernunft. |
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(カント『論理学』1800年) |
ーー理性の限界[die Grenzen der Vernunft]ともあるがね、これは究極的にはヘーゲルの世界の夜[Nacht der Welt]だろうよ。
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人間存在は、すべてのものを、自分の不可分な単純さのなかに包み込んでいる世界の夜[Nacht der Welt]であり、空無である。人間は、無数の表象やイメージを内に持つ宝庫だが、この表象やイメージのうち一つも、人間の頭に、あるいは彼の眼前に現れることはない。この闇。幻影の表象に包まれた自然の内的な夜。この純粋自己。こちらに血まみれの頭が現れたかと思うと、あちらに不意に白い亡霊が見え隠れする。一人の人間の眼のなかを覗き込むとき、この夜を垣間見る。その人間の眼のなかに、 われわれは夜を、どんどん恐ろしさを増す夜を、見出す。まさに世界の夜がこのとき、われわれの現前に現れている。 |
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Der Mensch ist diese Nacht der Welt, dies leere Nichts, das alles in ihrer Einfachheit enthält, ein Reichtum unendlich vieler Vorstellungen, Bilder deren keines ihm gerade einfällt oder die nicht als gegenwärtige sind. Dies ist die Nacht, das Innere der Natur, das hier existiert – reines Selbst. In phantasmagorischen Vorstellungen ist es ringsum Nacht; hier schießt dann ein blutiger Kopf, dort eine andere weiße Gestalt hervor und verschwinden ebenso. Diese Nacht erblickt man, wenn man dem Menschen ins Auge blickt – in eine Nacht hinein, die furchtbar wird; es hängt die Nacht der Welt einem entgegen.(Hegel, Jenaer Realphilosophie, 1805/6) |
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(ヘーゲル『現実哲学』イエナ大学講義録草稿 Jenaer Realphilosophie 、1805-1806) |
2026年はトランプのベネズエラ急襲で始まり、今はイラン侵攻だ。世界の夜が回帰したんだよ。
少し前、フロイトの第一次世界大戦勃発時の記述を掲げたが再掲しとくよ。
われわれが信じようともしなかった戦争が、今や勃発し、そしてーー幻滅[Enttäuschung]をもたらした。この戦争は、強力に完成された攻撃用ならびに防御用の武器のために、かつてのどの戦争よりも多量の流血と損傷とをもたらしただけではない。これはまた、少なくとも、かつてのどの戦争とも同様に残酷であり、激烈で情け容赦ないものとなったのである。この戦争は、平時には誰もが義務づけられていたすべての制限[Einschränkungen]ーー国際法[Völkerrecht]とよばれていたあの制限を踏みにじり、負傷者や医師の特権も、住民の戦闘部分と非戦闘部分の区別も、そしてまた私有財産の要求も、いっさい認めはしないのである。この戦争はまた、その道を妨ぐものすべてを盲目的な憤怒をもってうち倒し、戦争の終わった後にも、ひとびとのあいだにはおよそ未来も、平和もあってはならないとでもいうかのようである。そしてまた、この戦争は、互いに死闘をつくす諸民族間の、共同性のきずなをひきちぎり、あとに憤怒を残すことにより、それら民族がふたたび結びつくのを長らく不可能にしてしまうのである。 |
この戦争はまた、ほとんど信じられないような現象を出現させた。すなわち、文明諸民族が互いにこのように知りあわず、理解もしあわずにおり、そしてまた、そのため互いに憎しみと嫌悪のみをもってあい対するようになるということである。だが、それだけではない。偉大な文明民族の一つが、このように全体的に嫌われ、その民族を「野蛮である(barbarisch)」として、文明共同体から排除しようとする試みがなされようとすらしているのである。 たといその民族がそのもっとも偉大な貢献により、文明共同体に対する適合性が長いあいだにわたり立証してきたとしても。われわれは希望する。ある公平な歴史記述が、われわれがその言葉を用い、愛する者たちがその勝利のために戦ったまさにこの国民が、人間的礼節の掟を犯すこともっとも少なかったと立証してくれることを。だが、このような時期に、誰が自分自身のことで裁判官であり得ようか。 |
諸民族は、その形成する国家によってほぼ代表され、国家はそれを導く政府によって代表されるものである。個々の民族成員は、この戦争でつぎのことを確かめて驚愕するのである。つまり、国家が個人に不正の使用を禁じたのは、それを絶滅しようとしてではなく、塩や煙草と同様に、それらを専有しようとしてのことなのであるということを。この考えは、実はすでに平時においてもときどき浮かんできたものではあったが。戦争をおし進める国家は、個人であったら汚名を浴びせられるであろうような、あらゆる不正、あらゆる暴力をほしいままにする。国家は敵に対し、許されている策略を用いるばかりではない。 それは、意識的な嘘や、意図的な欺瞞をも用い、しかもその利用の範囲は、かつての戦争で慣用されてきたものをさらに上廻ると思われる。国家はその市民に極度の従順と犠牲とを要求し、しかも同時に、過度の秘密主義と、報道や意見発表に対する検閲とによって、市民を一種の禁治産者にしてしまうのだ。このような検閲は、市民を知的に抑制し、すべての不利な状況や、でたらめな不評に対して、気分的にまいらせてしまうのである。国家は、保証や契約により他の諸国家と結びついているのであるが、それも踏みにじられる。そして国家は、自己の所有欲や権力欲[seiner Habgier und seinem Machtstreben]を公言してはばからず、しかも、愛国心[Patriotismus]の名のもとに、これら渇望を個々の成員が是認することを要求するのである。 |
国家が不正の行使を放棄しえないのは、それを放棄すれば不利に立つからなのだ、という点で異論はありえない。個人にとっても、道徳的規範を守ったり、残忍な権力行使を放棄したりすることは、通常、非常な不利益をもたらす。しかも国家が個人に要求した犠牲の償いをしうることはほとんどないのである。そこで、人類の諸集団間の道徳的関係のゆるみが、個人の道徳性に反作用をおよぼしたからといって、驚くにはあたらない。というのも、われわれの良心は、道徳家のいうような、不屈の裁判官といったものではなく、本来、「社会的不安(soziale Angst)」なのであり、それ以外のなにものでもないからである。共同体が批判をやめるとき、悪の渇望[bösen Gelüste]に対する抑制もやむ。そしてひとびとは、残酷で陰険な行為、裏切りと野卑の行為を犯すのだ。このような行為がありうるということは、彼らの文明水準からは考えられないとされていたにもかかわらず。 |
このようにして、私がこれまで述べてきた文明世界市民は、見知らぬものと化した世界のなかで途方にくれて立ちすくむ。彼の偉大な祖国は崩壊し、共同所有物は荒廃し、そして共同市民は対立しあい、品位を汚しているのである。 共同市民のこの幻滅[Enttäuschung]に対して、若干の批判を加えておくべきであろう。厳密にいって、幻滅は弁護されるべきものではない。なぜならば、幻滅は幻想の崩壊[Zerstörung einer Illusion]なのであるから。幻想は、不快感を免れさせ、そのかわりにわれわれを満足に浸らせることにより、われわれの心にとりいる。幻想は、いつかは現実の断片にぶつかって砕け散るものであり、 その場合にはわれわれは泣きごとをいわずにそれを甘受しなくてはならないのである。 この戦争において、二つのことがわれわれの幻滅をよび起こした。内に対しては道徳的規範の番人としてふるまう諸国家が、外に向かったときにしめす道徳性の欠如がその一つであり、最高度の人間文明への参与者としての個々人が、そのふるまいのなかでしめした、信じられないほどの残虐性が他の一つである。 |
(フロイト『戦争と死に関する時評』Zeitgemasses über Krieg und Tod, 1915年) |
※より詳しくは▶︎参照
まさにこの通りだろ?
◼️Jeffrey Sachs: We Are Now in the Early Days of World War III 2026/03/07 |
ジェフリー・サックス:米国外交政策が通常CIAによって運営されていることは明らかで、彼らは今、この狂気に追いつけずに疲弊しています。不確実性と危険がたくさんあります。私たちは通常の米国の誇大性——ブッシュJr.、オバマ、バイデンの下でも真実である米国の深い特性——の混合を持っていますが、トランプでは、制度的な誇大性と軍国主義の上に個人的レベルの妄想が加わります。 これは歴史から知っています。初めてではありません。しかし、核時代では初めてです。核時代にこれのような状況はこれまでありませんでした。私は、世界がこれまでになく危険な状況にあると言います。以上です。 |
It’s quite clear that US foreign policy is typically run by the CIA, and they’re being run ragged right now because they can’t keep up with this madness. There’s a lot of unpredictability and danger. We have a mix of normal US grandiosity—a deep trait of the United States, true under Bush Jr., Obama, and Biden—but with Trump, you add personal-level delusion on top of institutional grandiosity and militarism. We know this from history. This isn’t the first time. But it is the first time in the nuclear age. We’ve never had a circumstance like this in the nuclear age. I would say the world is in a more dangerous situation than it has ever been. Period. |
で、日本の現政権はこの狂気の操り人形だろうよ。
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つまり世界の夜の操り人形は、ゼレンスキー➤ネタニヤフと来て、今年は高市だな。 |
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ネタニヤフは、ある意味でアメリカの操り人形であり、ゼレンスキーとよく似ていると見ることができます。彼らの立場は、自国民の大多数に対してアメリカに依存しているという点では同じです。You can look at Netanyahu as being, in a way, a U.S. puppet, very much like Zelensky. Their positions are identical in their reliance on the United States against the majority of their own people.(『なぜ米国はイスラエルを支持するのか?経済学者マイケル・ハドソンによる地政学的分析』Why does the US support Israel? A geopolitical analysis with economist Michael Hudson 2023/11/12) |