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2026年4月17日金曜日

茹でガエル理論と三匹の蛙

 

前々回、「茹でガエル理論」を語る人のツイートをいくつか掲げた。例えばこうである。



これを読んで、鴎外の『寿阿弥の手紙』の記述を想起したのだが、やや文脈が異なるので敢えては引用しなかった。だが一晩経ってなぜかどうしても掲げたい心持ちになった。


壽阿彌の手紙には、多町の火事の條下に、一の奇聞が載せてある。此に其全文を擧げる。「永富町と申候處の銅物屋大釜の中にて、七人やけ死申候、(原註、親父一人、息子一人、十五歳に成候見せの者一人、丁穉三人、抱への鳶の者一人)外に十八歳に成候見せの者一人、丁穉一人、母一人、嫁一人、乳飮子一人、是等は助り申候、十八歳に成候者愚姪方にて去暮迄召仕候女の身寄之者、十五歳に成候者愚姪方へ通ひづとめの者の宅の向ふの大工の伜に御坐候、此銅物屋の親父夫婦貪慾強情にて、七年以前見せの手代一人土藏の三階にて腹切相果申候、此度は其恨なるべしと皆人申候、銅物屋の事故大釜二つ見せの前左右にあり、五箇年以前此邊出火之節、向ふ側計燒失にて、道幅も格別廣き處故、今度ものがれ可申、さ候はば外へ立のくにも及ぶまじと申候に、鳶の者もさ樣に心得、いか樣にやけて參候とも、此大釜二つに水御坐候故、大丈夫助り候由に受合申候、十八歳に成候男は土藏の戸前をうちしまひ、是迄はたらき候へば、私方は多町一丁目にて、此所よりは火元へも近く候間、宅へ參り働き度、是より御暇被下れと申候て、自分親元へ働に歸り候故助り申候、此者の一處に居候間の事は演舌にて分り候へども、其跡は推量に御坐候へ共、とかく見せ藏、奧藏などに心のこり、父子共に立のき兼、鳶の者は受合旁故彼是仕候内に、火勢強く左右より燃かかり候故、そりや釜の中よといふやうな事にて釜へ入候處、釜は沸上り、烟りは吹かけ、大釜故入るには鍔を足懸りに入候へ共、出るには足がかりもなく、釜は熱く成旁にて死に候事と相見え申候、母と嫁と小兒と丁穉一人つれ、貧道弟子杵屋佐吉が裏に親類御坐候而夫へ立退候故助り申候、一つの釜へ父子と丁穉一人、一つの釜へ四人入候て相果申候、此事大評判にて、釜は檀那寺へ納候へ共、見物夥敷參候而不外聞の由にて、寺にては(自註、根津忠綱寺一向宗)門を閉候由に御坐候、死の縁無量とは申ながら、餘り變なることに御坐候故、御覽も御面倒なるべくとは奉存候へ共書付申候。」


此銅物屋は屋號三文字屋であつたことが、大郷信齋の道聽途説に由つて知られる。道聽途説は林若樹さんの所藏の書である。


 釜の話は此手紙の中で最も欣賞すべき文章である。叙事は精緻を極めて一の剩語をだに著けない。實に據つて文を行る間に、『そりや釜の中よ』以下の如き空想の發動を見る。壽阿彌は一部の書をも著さなかつた。しかしわたくしは壽阿彌がいかなる書をも著はすことを得る能文の人であつたことを信ずる。(森鴎外『寿阿弥の手紙』)



さらにこれに併せて、加藤周一の三匹の蛙の話も掲げておこう。


三匹の蛙が牛乳の容器の中に落ちた。悲観主義の蛙は、何をしてもどうせだめだからと考え何もせずに溺れ死んだ。楽観主義の蛙は、何もしなくても結局うまくゆくだろうと考えて、何もせずに溺れ死んだ。

現実主義の蛙は、蛙にできることはもがくことだけだと考え、もがいているうちに、足もとにバターができたので、バターをよじ登り、一跳びして容器の外へ逃げた。世界の、また日本の、現状からの脱出は、倫理的・政治的・文化的必要だろう、と私は思う。私はこの比喩を好むのである。(加藤周一「〈夕陽妄語〉三匹の蛙の話」『朝日新聞』夕刊、1992.8.18



こちらの方が、現在の事態には相応しい教えかもしれない。