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2026年5月22日金曜日

女なる神の股関節ストレッチ

 

やあ、美しい。



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長谷川唯のウォームアップ




私の家族はなぜか数ヶ月前から「家庭菜園」を始めていて、だが私は隣で仕事をしているパートナーに比べ股関節の硬さに気づくことしきりである。




やはり左の姿勢でなくてはならない。というわけで最初は「カエル足ストレッチ」から始め、足首もひどく固まっているので、跪踞や蹲踞などを試み、いまは四股ストレッチに挑戦している。これこそまさに「長谷川唯のウォームアップ」姿勢である。







YouTubeには実に多くの股関節ストレッチ動画があり、かなりの数のものを順繰りに見たのだが、そうするとこんなものまで紹介が来る。



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4K • Morning Glow Yoga & Stretch | Relax and Meditate Deeply with ASMR Music






この方は「青木あさみ」という方で、アメリカ在住のようだが、日本人美女たちの「キヨラカな」股関節ストレッチ動画とは訳が違い、実に見事な「ニクニクしい」姿態であり、これもまた別の意味で「美しい」。


ところで現在はなぜか性的理由で削除されてしまっている(ハミマンがあったわけでもないのにーーかすかなハミ毛はあるが)。幸運にも以前に「感動のあまり」gifで一部を切り取ったので興味のある方のためにここに掲げておこう。





ヨガの根にはやはりこれがあるのだろう。




ヨーガとはサンスクリット語で「結合」「統御」を意味する。ヨーガの伝統には、大きく分けて古典的なヨーガと密教的なヨーガがある。歴史的には、中世になって、 西からの新興勢力、イスラームの影響が強まる中で、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教が、そろってタントリズム(密教)という新しい方法を発展させる。多少のリスクをおかしてでも、より早く解脱の境地に至れるように、身体的、とくに性的な行為をつうじて瞑想を加速させる方法が開発されていった。〔・・・〕


ハタ・ヨーガでは最下部、会陰のムーラーダーラチャクラにクンダリニーという蛇、ないしシャクティという女神によって象徴される[女]性的なエネルギーが眠っており、これを目覚めさせ、 スシュムナーに沿って頭頂まで引き上げることにより、解脱の境地に至る。 そのための身体技法がムドラーで、性的な方法が使用されることもあるため、秘密の方法とされた。ムドラー、つまり封印と呼ばれるのはそのためである。〔・・・〕

性的なエネルギーを上昇させ、昇華させ、性を聖に転化させるというのが、ハタ・ヨーガの基本的な考えである。それに対し、気功には、宇宙の気を吸い込んで眉間の上丹田に集め、それを下腹の下丹田に降ろしていくという呼吸法もあり、小周天という循環の回路も考えられている。一般にインド的な身体技法には、身体を超越するという 彼岸的発想が濃厚で、それに対し漢族的な身体技法には、循環によって身体のバランスをとるという現世的傾向が強い。(蛭川研究室「ヨーガと気功」)



どう見たって青木あさみさんの姿態はこのイメージではなかろうか?






かくの如く私は聞いた。ある時、ブッダは一切如来の身語心の心髄である金剛妃たちの女陰に住しておられた[evaṃ mayā śrutam / ekasmin samaye bhagavān sarvatathāgatakāyavākcittahṛdayavajrayoṣidbhageṣu vijahāra ](『秘密集会タントラ』Guhyasamāja tantra


つまりは青木あさみさんは長谷川唯とは違った意味での?神である、ーー《問題となっている女なるものは神の別の名である[La femme dont il s'agit est un autre nom de Dieu]》(Lacan, S23, 18 Novembre 1975


ところで神なる女の美はきわめて危険な美でもある。


美は、最後の防壁を構成する機能をもっている、最後のモノ、死に至るモノへの接近の前にある。この場に、死の欲動用語の下でのフロイトの思考が最後の入場をする。〔・・・〕この美の相、それはプラトン(『饗宴』)がわれわれに告げた愛についての真の意味である。

« la beauté » …a pour fonction de constituer le dernier barrage avant cet accès à la Chose dernière, à la Chose mortelle,  à ce point où est venue faire son dernier aveu  la méditation freudienne sous le terme de la pulsion de mort. (…) la dimension de la beauté, et c'est cela qui donne son véritable sens à ce que PLATON  va nous dire de l'amour. Lacan, S8, 23  Novembre 1960)


フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976

死の欲動は現実界である。死は現実界の基盤である[La pulsion de mort c'est le Réel … la mort, dont c'est  le fondement de Réel Lacan, S23, 16 Mars 1976

欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel …je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter, Strasbourg le 26 janvier 1975


美しきものは恐ろしきものの発端にほかならず、ここまではまだわれわれにも堪えられる。われわれが美しきものを称賛するのは、美がわれわれを、滅ぼしもせずに打ち棄ててかえりみぬ、その限りのことなのだ。あらゆる天使は恐ろしい。Denn das Schöne ist nichtsals des Schrecklichen Anfang, den wir noch grade ertragen, und wir bewundern es so, weil es gelassen verschmäht, uns zu zerstören. Ein jeder Engel ist schrecklich. (リルケ『ドゥイノ・エレギー』1922年、古井由吉訳)




……………


なおラカンにとって女なる神は超自我のことでもある。

一般的に神と呼ばれるもの、それは超自我と呼ばれるものの作用である[on appelle généralement Dieu …, c'est-à-dire ce fonctionnement qu'on appelle le surmoi. Lacan, S17, 18 Février 1970

一般的に神と呼ばれるものがある。だが精神分析が明らかにしたのは、神とは単に女なるものだということである[C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile  que c'est tout simplement « La femme ».  ](Lacan, S23, 16 Mars 1976


ラカン派においてこの超自我なる女を穴のシニフィアンS(Ⱥ)で示す。

S(Ⱥ)に、フロイトの超自我の翻訳を見い出しうる[S(Ⱥ) …on pourrait retrouver une transcription du surmoi freudien. ](J.-A.MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses Comités d'éthique - 27/11/96

大他者のなかの穴のシニフィアンをS (Ⱥ) と記す[(le) signifiant de ce trou dans l'Autre, qui s'écrit S (Ⱥ)  (J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 15/03/2006)


もちろん?ーー《どの穴も女陰の裂け目の象徴だった[jedes Loch war ihm Symbol der weiblichen Geschlechtsöffnung ]》(フロイト『無意識について』第7章、1915年)


我、汝の裂け目がただ一筋の線にあらざるならば、死をもいとわじ[Rimula, dispeream, ni monogramma tua est.](テオドール・ド・ベーズ Théodore de Bèzeーーモンテーニュ『エッセイ』第3巻第5章より)


ーー《超自我の中で支配しているものは、死の欲動の純粋培養のようなものである[Was nun im Über-Ich herrscht, ist wie eine Reinkultur des Todestriebes. 》(フロイト『自我とエス』第5章、1923年)



私は大他者に斜線を記す、Ⱥ(穴)と。これは、大他者の場に呼び起こされるもの、すなわち対象aである。この対象aは現実界であり、表象化されえないものだ。この対象aはいまや超自我とのみ関係がある[Je raye sur le grand A cette barre : Ⱥ, ce en quoi c'est là, …sur le champ de l'Autre, …à savoir de ce petit(a).   …qu'il est réel et non représenté, …Ce petit(a)…seulement maintenant - son rapport au surmoi : (Lacan, S13, 09 Février 1966)

対象aは、大他者自体の水準において示される穴である[l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel (Lacan, S16, 27 Novembre 1968


ーー《穴Ⱥ の価値を、ラカンはS(Ⱥ) というシニフィアンと等価とした[la valeur de poser l'Autre barréȺ…que Lacan rend équivalent à un signifiant,  S(Ⱥ)  ]》  (J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas 18 décembre 1996)、《言わなければならない、S(Ⱥ)の代わりに対象aを代替しうると[il faut dire … à substituer l'objet petit a au signifiant de l'Autre barréS(Ⱥ)]》(J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 16/11/2005)



もちろんここで老子を引用することもできる。


谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。(老子「道徳経」第六章「玄牝之門」)

谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ。(老子「玄牝之門」福永光司訳)


孔徳之容、唯道是従。道之為物、唯恍唯惚。惚兮恍兮、其中有象。恍兮惚兮、其中有物。窈兮冥兮、其中有精。其精甚真、其中有信。(老子『道徳経』第二十一章)

女性的な「徳(はたらき)」の深い孔のようなゆとりにそって「道」はただ進むだけだ。この道が物を作るのは、ただ恍惚の中でのことだ。恍惚の中で象(かたち)がみえる。その恍惚の中に物があるのだ。そしてその奥深くほの暗い中に精が孕まれる。この精こそ真に充実した存在であって、その中に信が存在する。(同「孔徳之容」保立道久訳)



ところで、である、前回「世界はジャングルの掟へと退行する危険に直面している[世界面倒退回林法的危](習近平)」と投稿したが、ジャングルの掟とは密林の掟であるだろう。これはひょっとして女なる神の掟ではなかろうか?




世界は女なる神の掟へと退行してしまったらどうなるか?

「戦争が男たちによって行われてきたというのは、これはどえらく大きな幸運ですなあ。もし女たちが戦争をやってたとしたら、残酷さにかけてはじつに首尾一貫していたでしょうから、この地球の上にいかなる人間も残っていなかったでしょうなあC'est une chance énorme que les guerres aient été faites par les hommes. Si les femmes avaient fait la guerre, elles auraient été si conséquentes dans leur cruauté qu'il ne resterait aucun être humain sur la planète.(クンデラ『不滅』Milan Kundera, L'Immortalité,1990





ーーなぜこれほど多くの世界の女性指導者たちが血に飢え、戦争に取り憑かれているのか!?(Why are so many female world leaders so bloodthirsty and obsessed with war!?)


ひょっとして穴のシニフィアンS(Ⱥ)の引力のせいではないだろうか。


あなたを呑み込むヴァギナデンタータ、究極的にはすべてのエネルギーを吸い尽すブラックホールとしてのS(Ⱥ)の効果[an effect of S(Ⱥ) as a sucking vagina dentata, eventually as an astronomical black hole absorbing all energy ](ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?1997

ジイドを不安で満たして止まなかったものは、女の形態の光景の顕現、女のヴェールが落ちて、ブラックホールのみを見させる光景の顕現である[toujours le désolera de son angoisse l'apparition sur la scène d'une forme de femme qui, son voile tombé, ne laisse voir qu'un trou noir ](Lacan, JEUNESSE DE GIDE, E750, 1958)



いずれにせよ、ラカニアンにとって時代はとっくに密林の掟に退行している、少なくとも西側社会において。

原理の女性化がある。両性にとって女なるものがいる。過去は両性にとってファルスがあった[il y a féminisation de la doctrine [et que] pour les deux sexes il y a la femme comme autrefois il y avait le phallus.(エリック・ロラン Éric Laurent, séminaire du 20 janvier 2015)


つまりは、唐津の道祖神の表象を例にとって言えば、上のファルスが吹っ飛んでしまい、底部のみの世界となっているのである。





家父長制とファルス中心主義は、原初の全能的母権制(家母長制)の青白い反影にすぎない[the patriarchal system and phallocentrism are merely pale reflections of an originally omnipotent matriarchal system (ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE, 1998)

今日、私たちは家父長制の終焉を体験している。ラカンは、それが良い方向には向かわないと予言した[Aujourd'hui, nous vivons véritablement la sor tie de cet ordre patriarcal. Lacan prédisait que ce ne serait pas pour le meilleur. ]。〔・・・〕

私たちは最悪の時代に突入したように見える。もちろん、父の時代(家父長制の時代)は輝かしいものではなかった〔・・・〕。しかしこの秩序がなければ、私たちはまったき方向感覚喪失の時代に入らないという保証はない[Il me semble que (…)  nous sommes entrés dans l'époque du pire - pire que le père. Cer tes, l'époque du père (patriarcat) n'est pas glorieuse, (…) Mais rien ne garantit que sans cet ordre, nous n'entrions pas dans une période de désorientation totale](ジャック=アラン・ミレール J.-A. Miller, “Conversation d'actualité avec l'École espagnole du Champ freudien, 2 mai 2021