ロリコンをひどく蔑視しつつ語っている人を見たが、ボクはロリコンだよ。2年前に「ロリコンの必然性」という投稿をしたことがあるがね。ここではそこで記したこととはいくらか異なった角度からそれを示そう。少し遠回りするが。
以下、中井久夫(1934 -2022)による村瀬嘉代子(1935 - 2025)の『子どもと大人の心の架け橋 - 心理療法の原則と過程』(1995年)の書評。実に美しい文である。
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私たちは子どもをどれだけ知っているか? 子どもと目の高さが違うことはいちおう誰でも知っている。大人になってから訪れた小学校の運動場がいかに狭いか。しかし、もっと重大なことは時間感覚の相違である。時間を時間で微分できはしないが、年齢による、時間の経過感覚の圧倒的な差は断固ある。ミルトン・エリクソンは、安易に次回の面接を一週間先延ばしした弟子を叱って「子どもには一週間は永遠に等しい」と語っている。幼かった私の子に聞くと「あったりまえよ」という返事が返ってきた。 この時間感覚の差は一九九五年一月の阪神・淡路大震災の体験からの子どもの回復を大人が理解する際にも、いじめの問題を理解する際にも、どこか靴を隔ててかゆみを搔く思いをさせる理由の一つである。大人でさえバスを待つ時間は長い。いじめられる子どもは強烈な理不尽感のもと、永遠の劫苦に疲れるのだ。三年のいじめられ期間は永遠の永遠の永遠である。大人の、やみやみと経つ三年間ではない。 |
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また思春期。すべてが流砂の中にあるような身体の変化。それは時間感覚の長短ではない。それは、奇妙な言い方だが「永遠を越える」変化である。質の変化は量の変化を越えるからだ。私は長い間、少女たちがいつも同じ、眼の思い切り大きくつぶらな、中原淳一ふうの少女の顔を描き続けるのをいぶかってきた。おそらく、少年よりも短期間に大幅に眼に見えて変わる少女の身体像に対して対抗するには思い切りステロタイプな少女像しかないのだ。まさに「乙女の姿しばしとどめん」である。そういえば多くの少女像が斜め左を、つまり多少過去をみつめて、一雫の涙が今にもこぼれんばかりである。 しかし、少年の思春期は身体表現を持たないことによる独特の辛さがある。少年期の訪れとともに泣けなくなるのはなぜだろう。一部の少年に、急速に伸びゆく体験と知性との二つの間の独特な比によって数学と詩とに向って不思議な開けが起こるのも、泣けなくなるからではないだろうか。自殺する中学生たちは果たして泣けていたのだろうか。いっしょに泣いてくれる親友がいたら彼らは死ぬだろうか。親友がありえないように孤立させられていたら、せめてそのそばで泣けるような大人がいてくれればーー。 |
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こういうことをすべて忘れて、人は大人になる。なりふりかまわずといってもよいほどだ。ただ、少数の人間だけが幼い時の夕焼けの長さを、少年少女の、毎日が新しい断面を見せて訪れた息つく暇のない日々を記憶に留めたまま大人になる。村瀬嘉代子さんは間違いなくそういう人であって、そういう人として「子どもと大人の架け橋」を心がけておられるのだ。より正確には、運命的に「架け橋」そのものたらざるを得ない刻印を帯びた人である。 あるいは村瀬さんは私にも同じ刻印を認めておられるのかもしれない。その当否はともかく、何年に一度かお会いするだけであるのに、私も村瀬さんに独特の近しさを感じている。それは、精神療法の道における同行の士であると同時に、朝礼で整列している時に、隣りにいるまぶしいばかりの少女に少年が覚えるような羞恥と憧憬と、近しさと距離との同時感覚である。この本の中に村瀬さんの症例への私のコメントが一つ掲載されているが、それを書いた時の感覚がそのようなものであったことを昨日のように思い出す。 |
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そのような文ならば書けるだろう。しかし、書評とは。私は三ヶ月、道を歩く時も書評のための言葉を求めて頭の中をさまよっていた。私の考えはいつもこのような文に戻って行った。一言のキャッチフレーズによって知られ、或いはそれによって要約される人もあるが、村瀬さんはそういう人ではない。村瀬さんの心理療法にはそういう一語はない。学寮の若き日々を共にしたモートン・ブラウンが神谷美恵子さんの追悼に捧げた言葉を借りれば、村瀬さんは「行為」である。そして行為の軌跡として村瀬さんの著書はある。それは一つの「山脈」であって、年齢とともに山容は深みを帯びるのであるが、妻となり母となった経験を重ねつつも、その中で「むいたばかりの果物のような少女」も決して磨耗していない。村瀬さんが患者を前にして覚えるおそれとつつしみとはその証しであり、それを伝えることがこの本に著者が託した大切なメッセージではなかろうかと私は思う。 |
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(中井久夫:書評「村瀬嘉代子『子どもと大人の心の架け橋――心理療法の原則と過程』」「こころと科学」第六六号、1996年初出『精神科医がものを書くときⅡ』所収) |
ここでは村瀬嘉代子さんとは関係なしに記すが、《朝礼で整列している時に、隣りにいるまぶしいばかりの少女に少年が覚えるような羞恥と憧憬と、近しさと距離との同時感覚》《むいたばかりの果物のような少女》とある。私はこういった少女たちーー特に小学校5年から中学校2年のあいだに出会った何人かの少女をこよなく愛し、今でも彼女らと似た面影や仕草をもった少女にふと出会うと、茫然自失してしまうという意味での「ロリコン」だ。
「むいたばかりの果物」という表現を中井久夫は何度か使っている。ここではそのうちのひとつを掲げておこう。
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精神科で診療を始めたことは、私には、文学への回帰でもあった。ちょうどその時に出会ったのが多田さんのサン=ジョン・ペルス詩集であった。いっとき、私は、それまでの日本詩を挨っぽいものと感じた。それほど、彼女の訳文は、むいたばかりの果実のように汚れがなくて、滴したたるばかりにみずみずしかった。 「..…ところでこの静かな水は乳である/また 朝の柔らかな孤独にひろがるすべてのものである。/夜明け前、夢の中のように曙を溶かした水で洗われた橋が空と美しい交わりをむすぶ。そして讃うべき陽光の幼い日々が いくつも巻いたテントの棚をつたって じかにぼくの歌に降りてくる。/…/いとしい幼年期よ、追憶に身をゆだねさえすればよい…あのころぼくはそう云ったろうか? もうあんな肌着などほしくない/…/そしてこの心、この心、ほらあそこに、心は橋の上をずるずると裾ひきずって行くがよいのだ、古びた雑巾ぼうきよりもつつましく 荒々しく/くたびれ果てて…」 私は、そのような形で幼年期に訣別したわげではなかったけれども、いっときは、幻想の中で、カリブ海で幼年期を過ごしたかのような錯覚に陥ったほどであった。この今は三四年を経ていかにも古びた詩集は、私にとって大きな里程標となってなお本棚にある。(中井久夫「多田智満子訳『サン=ジョン・ペルス詩集』との出会い」2001年) |
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・・・という具合だが、しかし人はあの頃のことを忘れてしまうものかね、《こういうことをすべて忘れて、人は大人になる。なりふりかまわずといってもよいほどだ。ただ、少数の人間だけが幼い時の夕焼けの長さを、少年少女の、毎日が新しい断面を見せて訪れた息つく暇のない日々を記憶に留めたまま大人になる》とあるが。少なくとも私にはあまりにもしばしば当時の「過去の復活」がある。 |
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もし現時の場所が、ただちに勝を占めなかったとしたら、私のほうが意識を失ってしまっただろう、と私は思う、なぜなら、そうした過去の復活[résurrections du passé ]は、その状態が持続している短いあいだは、あまりにも全的で、並木に沿った線路とあげ潮とかをながめるわれわれの目は、われわれがいる間近の部屋を見る余裕をなくさせられるばかりか、われわれの鼻孔は、はるかに遠い昔の場所の空気を吸うことを強制され[Elles forcent nos narines à respirer l'air de lieux pourtant si lointains]、われわれの意志は、そうした遠い場所がさがしだす種々の計画の選定にあたらせられ、われわれの全身は、そうした場所にとりかこまれていると信じさせられるか、そうでなければすくなくとも、そうした場所と現在の場所とのあいだで足をすくわれ[trébucher entre eux et les lieux présents]、ねむりにはいる瞬間に名状しがたい視像をまえにしたときに感じる不安定にも似たもののなかで、昏倒させられるからである。(プルースト『見出された時』) |
侯孝賢『童年往事』の辛樹芬を追い回す「彼」は中学2年、13歳から14歳にかけてのボクだ、完全に。
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もう半世紀以上前の話だーー、 |
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……その,まよわれることのなかった道の枝を,半せいきしてゆめの中で示されなおした者は,見あげたことのなかったてんじょう,ふんだことのなかったゆか,出あわなかった小児たちのかおのないかおを見さだめようとして,すこしあせり,それからとてもくつろいだ.そこからぜんぶをやりなおせるとかんじることのこのうえない軽さのうちへ,どちらでもないべつの町の初等教育からたどりはじめた長い日月のはてにたゆたい目ざめた者に,みゃくらくもなくあふれよせる野生の小禽たちのよびかわしがある. またある朝はみゃくらくもなく,前夜むかれた多肉果の紅いらせん状の皮が匂いさざめいたが,それはそのおだやかな目ざめへとまさぐりとどいた者が遠い日に住みあきらめた海辺の町の小いえの,淡い夕ばえのえんさきからの帰着だった.(黒田夏子「abさんご」) |
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| 小津安二郎『晩春』 |
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ある年齢に達してからは、われわれの愛やわれわれの愛人は、われわれの苦悩から生みだされるのであり、われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷とが、われわれの未来を決定づける[Or à partir d'un certain âge nos amours, nos maîtresses sont filles de notre angoisse ; notre passé, et les lésions physiques où il s'est inscrit, déterminent notre avenir. ](プルースト「逃げ去る女」) |
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…あのときのミモザの茂み、靄に包まれた星、疼き、炎、蜜のしたたり、そして痛みは記憶に残り、浜辺での肢体と情熱的な舌のあの少女はそれからずっと私に取り憑いて離れなかった──その呪文がついに解けたのは、24年後になって、アナベルが別の少女に転生したときのことである。(ナボコフ『ロリータ』) |
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おっと、海辺の墓地が向こうからやってきたな 果実が溶けて快楽(けらく)となるように、 形の息絶える口の中で その不在を甘さに変へるやうに、 私はここにわが未来の煙を吸ひ 空は燃え尽きた魂に歌ひかける、 岸辺の変るざわめきを。 ――ポール・ヴァレリー「海辺の墓地」第五節(中井久夫訳) Comme le fruit se fond en jouissance, Comme en délice il change son absence Dans une bouche où sa forme se meurt, Je hume ici ma future fumée, Et le ciel chante à l’âme consumée Le changement des rives en rumeur. ーーPaul Valéry, LE CIMETIÈRE MARIN |

