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2026年5月7日木曜日

イジメのすすめ

 

池内恵と篠田英朗による細谷雄一への突っ込み。これはなかなかいいんじゃないか。












細谷雄一が「御用学者」か否かはいざ知らずーーと一応「遠慮して」言っておくよーー、これは事実上、構造的観点に目を塞いだ素朴なタテマエ派の細谷雄一に対する池内恵と篠田英朗によるイジメだな。こういういじめはドンドンやらないとな、代理戦争の捨て駒となる宿命に対する最後の抵抗としても。





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安保三文書改訂「有識者」の構成に見る高市政権の方向感覚 篠田英朗 2026.04.22


ま、国際政治学者だったら下から順番に(御用度?の高さ順に)、イジメの対象だよ。




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おっと、直近ではこうも言ってるな、



要するに有識者会議のメンバーになった学者は属米日本の構造批判をせよ、そうでなければ御用学者だよ、ということだ。


けだし政治的意味をもたない文化というものはない。獄中のグラムシも書いていたように、文化は権力の道具であるか、権力を批判する道具であるか、どちらかでしかないだろう。(加藤周一「野上弥生子日記私註」1987年)



戦後の日本の外交に関しては、もちろん、さまざまな要因を考慮しなければならない。

2・26事件の1936年以後敗戦の45年まで陸軍は事実上外交を無視していた。45年から52年まで占領下の日本には外交権がなかった。52年から「冷戦」の終わった89年まで、日本は「米国追随」に徹底していた。

ということは、事実上外交的な「イニシアティブ」をとる余地がほとんどなかった、ということである。日本国には半世紀以上も独自の外交政策を生み出す経験がなかった。そこでわずかに繰り返されたのが、情勢の変化に対するその場の反応、応急手当、その日暮らし、先のことは先のこととして現在にのみこだわることになったのだろう。
おそらく過去を忘れ、失策を思い煩わず、現在の大勢に従って急場をしのぐ伝統文化があった。(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年)