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2026年5月18日月曜日

古い巨木の瘤

 

ペゼシュキヤーンが紹介している樹齢4500年のアバルクーフ糸杉。



戦争をやめてくれ、我々の文明を破壊しないでくれ、というメッセージなのだろうよ



巨大過ぎて糸杉には見えないけど、右の写真の向こうに立ってるのはごく普通の糸杉だからやっぱりそうなんだ



糸杉といえばゴッホだが、さらにボクにとってはベルトリッチの『Novecento』冒頭だ。




どっちも女絡みなんだがな、でも上にはボクの愛人ドミニク・サンダがいないから付け加えとくよ。




ボクは巨木がひどく好きなんだ、藤枝静男並みに、とまではいかないにしろ。

章は、戦後になってから、地方の観光案内とか噂とかを頼りに、方々の古い巨木を訪ねて歩くことを楽しみにするようになっている。


その多くは神社の境内にあったり、名前を持ったりして天然記念物になっているけれど、なかには近くの部落の人がどこそこに大木が生えていると教えてくれるだけで、由来も何もなく、ただ古くて大きいばかりというのもある。


こういう類のものを探して行って、人気のない湿った山の奥で、高い高い梢のあたりを透かして見あげたり幹のまわりをめぐったりしていると、まったく幸福で飽きるということがない。(藤枝静男「木と虫と山」)


章は思い出して、

 「三河の猿投神社にも大きなやつが、三、四本あったね。ありゃ見事だったね」

と云った。彼はあそこにももう一度行って見なければならんな、と心に思っていた。

「方々に女をつくって歩く人があるが、あんたのはそれが木だから可笑しいよ」 とTが云った。

「女だって木だって同じことだ。恰好がちがうだけだ」

「木は騙さないから都合がいいね」

 「都合がいいよ」

と章は云った。 (藤枝静男「天女御座」)



西脇順三郎はこう言ってるがね



美しいものは裸の女神よりも

裸の樹の曲がり方だ。


ーー「一月」



ボクは裸の樹の曲がり方と同じくらい古木の瘤が好きでね、特にインドソケイの瘤はいいよ。





齢を重ねれば重ねるほど触り心地がよくなるのが、裸の女とはわけが違うよ






やあ、自慢じゃないが、蚊居肢庭園は写真に撮るとひどく美しいな






2ヶ月ほど前、大々的にガシュマロの巨木を10メートルぐらいカットしたところなんだけどさ、





ハイネ主義者として、ぶら下げ用の枝もスッキリさせたよ。



私はまったく平和的な人間だ。私の希望といえば、粗末な小屋に藁ぶき屋根、ただしベッドと食事は上等品、非常に新鮮なミルクにバター、窓の前には花、玄関先にはきれいな木が五、六本――それに、私の幸福を完全なものにして下さる意志が神さまにおありなら、これらの木に私の敵をまあ六人か七人ぶら下げて、私を喜ばせて下さるだろう。そうすれば私は、大いに感激して、これらの敵が生前私に加えたあらゆる不正を、死刑執行まえに許してやることだろう――まったくのところ、敵は許してやるべきだ。でもそれは、敵が絞首刑になるときまってからだ。(ハイネ『随想』)

Ich habe die friedlichste Gesinnung. Meine Wünsche sind: eine bescheidene Hütte, ein Strohdach, aber ein gutes Bett, gutes Essen, Milch und Butter, sehr frisch, vor dem Fenster Blumen, vor der Tür einige schöne Baume, und wenn der liebe Gott mich ganz glücklich machen will, läßt er mich die Freude erleben, daß an diesen Bäumen etwa sechs bis sieben meiner Feinde aufgehängt werden. Mit gerührtem Herzen werde ich ihnen vor ihrem Tode alle Unbill verzeihen, die sie mir im Leben zugefügt — ja, man muß seinen Feinden verzeihen, aber nicht früher, als bis sie gehenkt werden. (Heine, Gedanken und Einfälle.)