前回、大江のパンティの話を引用した。再掲しよう。
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暖炉の火が穏やかな気配の弱さになっていたのを、僕は立て直そうとした。〔・・・〕 炎の起こったところでふりかえると、スカートをたくしあげている紡錘形の太腿のくびれにピッチリはまっているまり恵さんのパンティーが、いかにも清潔なものに見えた。マニ教の秘儀ではないが、切磋琢磨する性交をつうじて、生ぐさい肉体に属するものは、根こそぎアンクル・サムに移行し、まり恵さんには精神の属性のみが残ったようだ…… もっともまり恵さんは、僕がスカートの奥に眼をひきつけられているのに気づくと、両腿を狭める動作をするかわりに、あらためて疲れと憂いにみちているが、ベティさん式の派手な顔に微笑を浮べ、かならずしも精神プロパーではない提案をした。さりとて肉体プロパーでもなかったはずだが…… |
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ーー今後もう私には、あなたと一緒に夜をすごすことはないのじゃないかしら? それならば、元気をだして一度ヤリますか? 光さんが眠ってから、しのんで来ませんか? ――……ずっと若い頃に、かなり直接的に誘われながらヤラなかったことが、二、三人についてあったんだね。後からずっと悔やんだものだから、ある時から、ともかくヤルということにした時期があったけれども…… いまはヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあって、ふたつはそうたいしたちがいじゃないと、回想する年齢だね。 ーーつまりヤラなくていいわけね。……私も今夜のことを、懐かしく思い出すと思うわ、ヤッテも、ヤラなくても、とまり恵さんはむしろホッとして様子を示していった。(大江健三郎『人生の親戚』1989年) |
で、別のパンティの話をいくつか思い起こしたのでここに掲げる。
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ナオミさんが先頭で乗り込む。鉄パイプのタラップを二段ずつあがるナオミさんの、膝からぐっと太くなる腿の奥に、半透明な布をまといつかせ性器のぼってりした肉ひだが睾丸のようにつき出しているのが見えた。地面からの照りかえしも強い、熱帯の晴れわたった高い空のもと、僕の頭はクラクラした。(大江健三郎「グルート島のレントゲン画法」『いかに木を殺すか』所収、1984年) |
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《キスしながら、膝にまたがっている娘のパンタロンの下に両掌を差し入れて、腰から尻を撫でさすっている。余分の脂肪はないすべすべして小さな尻、清らかさと、結晶体のようなエロティシズム。そのうち右手が平らな腹へと滑り込む。幾日もかけて、指は腹から下腹へと前進する。陰毛の上のへりに、指がさわる。とくに憤慨しない。それからは、陰毛のへりにふれることがルーティンになる。いったん克ちとった陣地は、奪い返されないから。しかし、さらに下方へ進む指は決して許されない。こちらを傷つけぬ、明快な優しさの拒否。地形を推量するように、範囲が確定されている。》 |
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《抱きあって、ソファに横になる。パンタロンの下に潜り込んだ手が、パンティにそってというより、視覚的なイメージとしてハイレッグスの水着のへりを辿るように、骨盤の下辺から腿の付け根へと降りてゆく。ついに性器にふれてしまえば、決然と拒まれるだろう。やりなおしはできなくなるかも知れない。注意深く、錘りが腿の外側へ指をつねに方向づけているように。しかもその指のゆっくりした進展に切実なエロティシズムをあじわいながら。性的なオスの能動性は、ただキスのみに、またスボンごしに娘の腿にふれているペニスのたかぶりにのみ生きている。いつまでも、そのままキスしている。》 |
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《娘の十八歳の誕生日に、祝いの夕食の席のために、クリーム色の柔かなワンピースを贈った日 ――ベルリンの百貨店の質実さ、妥当な品物を選ばせようとする献身 ――まだそれを着たままの娘は、グラス半分のソーテルヌにほろ酔いで、キスに熱中している。ソファの上で、服が皺だらけになるのもかまわず。腿の付け根にそって辿ってゆく指が、下着のへりの進路からいつか迷ってしまう。激しく下肢をこすりつけあっていた間に、娘のおシャレした薄い下着がよじれたのだろう。ためらいながら、すでに許されているコースに戻ろうとして、人さし指の腹が、ぼってりと厚みのあるところに乗る。その皮膚の端が濡れているのを感じる。指の腹は陰毛のへりでさわっていた柔毛とは別の、たくましく縮れた太い毛を押さえる。娘は断乎腹をよじって、指のみならず掌全体を、腿の外へと追いやる。 ――規則を、約束を破ってはいけない、と勇気にみちた声がいう。いま娘の性器は濡れて、外縁に溢れてさえいたと、発見の喜びが鼓動になって搏つ。キスだけのエロスが、強靭な、全身的なものに変っている。》 |
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《キスをするだけのことが、なぜこれだけ豊かで、複雑で、自分としては使いたくない言葉だけれど、奥が深いと感じられるんだろう? そのように独り言めいたことをいうおれに、娘は答えた。キスだけで、のぼりつけられるまでゆこうとしているから! よく考えぬいておいたことのように彼女はいう。いつか私がキスを途中でやめて、これは色気がありすぎる、といったでしょう? あなたは、日本語の使用法に問題がある、と教育してくれた。けれども私は「ある一線」に達しそうになったから、照れてああいったんです。ひとりだけ、そんな気持になっている、と思って。あの後であなたが、このようにしているとイッテしまいそうだ、といったわね。私は嬉しくて、イッチャエ! と叫んだのよ。 それから娘は、話しの逸脱をもとに戻そうとして、真剣にこういったのだ。あなたとセックスはできないと知っているから、キスがどこまでものぼりつめてゆくんです。》 |
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《帰国がせまった日、一度だけ、パンタロンを脱ごうという合意ができる。ベッドに横になってのことで、はずみにパンティも剥ぎとられた。性器は見ないが、臍のまわりの、丸く薄い餅(ピン)のような脂肪と、やはり真丸な陰毛が見える。身体を重ねあわせてをみよう、窮屈そうだから太いものをーー今日はとくにフトいーー腿の間にいれてもいい、と娘はいう。経験がある者のように(あるいは経験がないゆえにか)娘は膝を高くかかげさえしたが、ペニスは挿入されない。娘の掌に射精することを許されたが、彼女の言葉を使うならそれはセックス以上だが、セックスではなかった。これまでで最高に気持がいいのに、イカなかった、と後から娘はいっていた。そのすべてをふくめて、思いだすと生涯で一、二のエロティックな経験だった。》 |
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(大江健三郎『取り替え子』2000年) |
大江以外にも、私が好む女流作家(詩人)のパンティの話がある。
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この許せないもの 白石かずこ |
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正直いって おれは あれが好きじゃない 全く うそだといってもいい おれ はあれとかかわりたくない そのような あれが あんなに 正装して ぼくの玄関へ ノートへ 土足で はいってくる 〈失礼な〉 といいたいのに おれ の椅子にすでにすわって おれ のパイプで おれ の言葉を吸いはじめているではないか |
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その上 おれ の女をもうくどきはじめている また 彼女は だらしなく パンティなどをぬぐ すると おれなどは汚れて くずかごに捨てられる |
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正直いって おれはあれが好きじゃない ようやく くずかごから這いでる と あれは 退散したようだ が 彼女は 彼女ときたら おれ のパイプにとまったあれの言葉と おれ の言葉に交互にキスしながら ゆっくり なにか なんでもないといった風に ふかしてしまっているのだ |
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列車のなかは、ガラガラに空いていて、わたしたちの他に乗客はなく、それをいいことに、わたしはシートに彼女を横たわらせて抱いた。そんなことがあったはずがないのに(絶対になかったと確信しているわけではないのだが)、以前にも同じように列車のなかで、こうしてシートに横たわった彼女のスカートをまくり上げ、欲情して緊張し、ぴりぴり放電している手で、薄い布地の小さなパンティを脱がし(片方の足首のところに小さな布切れがひっかかったままで)、手よりももっと鋭い欲情に放電しているもので、彼女の内部に深く触れはしなかっただろうか。 |
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窓の外を町並の上空で埃っぽい薔薇色の靄のように不透明な光でけぶっている夜空や、なだらかな黒い背を連ねている丘陵や、淫らな薄い水色の雲に半ば覆われた満月が流れるように遠ざかり、記憶の無重力のなかで、わたしは奇妙な反復を行っているような気持になる。 行っている――いや、行うという意志的な行為ではなく、何かあるものによって、そうすることを決められているような気がするのだ。彼女は以前と同じように、下腹をくぼませ、息をつめ、歯を喰いしばりーー以前と同じように、あるいは、はじめてわたしを受け入れた時と同じようにーー眼を見開いて放心した凝視を注ぎかけながら、ぴったりとわたしに腰を押しつけ、無言のうちに、熱っぽい溶解点に近づきつつあることを示す。 そして、わたしは、撞着的な言いまわしになってしまうのだが、確信をもって、何度も何度も、これと同じことがあったような気がする。その度に彼女と、その度ごとにこの女と――。(金井美恵子「くずれる水」1981年) |
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小田急線喜多見駅周辺 伊藤比呂美 |
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踏切を渡って徒歩10分のアパート の部屋に入る 何週間か前に踏切で飛びこみがあった 踏切に木が敷かれてある 木に血が染みていた 線路のくぼみの中に血のかたまりと 臓器のはへんらしいものが残っていた わたしたちは月経中に性行為した |
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アパートの部屋に入るとラジオをつける わたしは相手の顔にかぶさって 顔のすみずみからにきびを搾った 剃りのこした頬のひげを抜いた 背中を向けさせた 背中にほくろ様のものがある もりあがっているから分かる 搾ると頭の黒い脂がぬるりと出る みみのうらも脂がたまり 搾るとぬるぬるぬるぬると出た |
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はでけをかんで引くと抜ける わたしはつめかみだ つめがない つめではけがつかめない はでやるとかならず抜ける 男の頬がすぐ傍に来るいつもつめたい ひげが皮膚に触れた ひげは剃ってある 剃りあとを感じる 前後に性行為する |
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荒木経惟の写真たちの中に喜多見駅周辺の写真を見てあこれはわたしが性交する場所だと思って恥ずかしいと感じたのだわたしは25歳の女であるからふつうに性行為する。板橋区から世田谷区まで来る来るとちゅうは性行為を思いださない性欲しない車外を行き過ぎる世田谷区の草木を見ているこの季節はようりょくそが層をなしている飽和状態まで水分がたかまる会えばたのしさを感じるだから媚びて手を振るが性行為を思いだすのはアパートの部屋でラジオをつけた時である |
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性行為に当然さがつけ加わった 踏切を渡って駅に出る もしかしてぬるぬるのままの性器にぱんつをひっぱりあげて肉片の残る喜多見の踏切を渡ったかもしれないのである 水分はあとからあとから湧きでて ぱんつに染みた |
もうひとつ、松浦寿輝のバルテュスぱんつの話も掲げておこう。
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時刻は遅い午後、といっても陽が落ちるにはまだ遠く、燦々と輝いていた陽光がその盛りをすぎ、どれほどともわからぬ時間が濃密な密林の液体のようにゆるやかに、淀みながら流れていったことはぼんやりと意識にのぼっているのだが、正確な時刻となると見当もつかない晴れた日の昼すぎ、まるで部屋の外にはなにも存在せず、ただこの室内だけが世界のすべてであるかのようだ。まるで眼につかぬほどゆっくりと、だが着実に翳ってゆく陽射しが、長椅子の肘掛や背凭せ、テーブルの縁、またあれら少女たちのスカートや剥き出しになった下着の上に落ちかかり、それぞれの粒子の物質的な手触りを際立たせながら優しい白さで輝き出させ、穏やかに暖めている。〔・・・〕 |
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まるで浴槽の熱い湯の中に浸りこむようにして、少女は自己の内部の充足のなかに浸りこむ。甘美な自己放棄。視線がうつろになる。もうわたしは何も見ていない。眼をつむる。猫のように、うっとりと伸びをし、軀を丸める。だが、――だがまさにその瞬間、ふと軀から溢れ出すものがある。何かが、足りないような気がするのだ。苛立ちと呼ぶにはあまりに甘ったるく熱っぽい、この胸苦しいやるせなさ。むずかゆさ。これはいったい何なのか。何もかもが満ち足りていたはずなのに、今は、しきりと何かが不足しているように思われてならない。何かが欲しい。われしらず溜息が漏れる。けれども、わたしの息はどうしてこんない熱いのだろう。このせつない欠乏感は決して嫌悪をそそる種類のものではない。むしろ快いとさえ言っていいような、奇妙に甘美なやるせなさ。〔・・・〕少女は眠りの中に閉じてゆきながら、しかも同時に自分を世界に向かって押し広げてみずにはいられない。脚と脚とがわれしらず離れてくる。しだいに頭の上へとあがってゆき、頭部を抱えこんで自分を内へ閉ざそうとする両腕のやるせない動きそれ自体が、そのまま、腕の付け根の柔らかな腋窩を思いきり開ききって外へさらけ出すことになる。〔・・・〕 |
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そして、目に見えないほど細かな粒子として、しかしくまなく全身から、じっとりと滲み出してくる夢を吸いとっているブラウスと下着の、決して純白というわけではない白さの何とすばらしいことだろう。この汚れた白さの何という輝き、捲くれ上がったスカートの下のシュミーズの縁取りのレースのよじれと縮み、股間を覆う下着によった襞。そして、折り曲げた左足によってかたちづくられ、この股間の白いよじれた襞をのぞかせている三角形と照応するもう一つの、逆向きの三角形、襟元のブラウスの下からのぞいている小さな三角形の、何という蠱惑。顔を横に捩っているために筋肉の腱がくっきりと浮かび上がっている首筋の真下に、強く打たれた句読点のように輝いているこの小さな白い三角形の染みこそ、少女の夢がそこから発散してくる負の起源、またそこへと収斂してゆく虚の焦点であるかのようだ。夢想に軀を預け背を後ろに倒しながら、しかし完全な自己放棄には至らず、背筋をわずかにこわばらせ、不安定な角度で身を支えているこの緊張した姿勢のうちに、開くことと閉じることとの官能的な共存が生きられている。その微熱を帯びた緊張のただなかで滲み出した夢の粒子は、あたり一面に拡散して空気中に漂い、椅子やテーブルや水差しや猫や猫がなめているミルクと親しく交流し合う。……(松浦寿輝『官能の哲学』「インテルメッツォ――バルテュスの絵をめぐる」2001年) |
女は少女の頃からこうやって男を狩るものである。
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男の女を猟するのではない。女の男を猟するのである。(芥川龍之介『侏儒の言葉』) |
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ときには父親だって狩られる。 |
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強い父への固着をもった少女の夢[Traum eines Mädchens mit starker Vaterfixierung](フロイト『夢解釈の理論と実践についての見解』1923年) |
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前エディプス期の固着への退行はとてもしばしば起こる。女性の生の過程で、男性性が優勢となる時期と女性性が優勢となる時期が繰り返し交互に訪れるケースもある。 |
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Regressionen zu den Fixierungen jener präödipalen Phasen ereignen sich sehr häufig; in manchen Lebensläufen kommt es zu einem wiederholten Alternieren von Zeiten, in denen die Männlichkeit oder die Weiblichkeit die Oberhand gewonnen hat. 〔・・・〕 |
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女性の母との同一化は二つの相に区別されうる。つまり、①前エディプス期の相、すなわち母への情動的結びつきと母をモデルとすること。そして、② エディプスコンプレックスから来る後の相、すなわち、母を追い払い、母の場に父を置こうと試みること。 |
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Die Mutteridentifizierung des Weibes läßt zwei Schichten erkennen, die präödipale, die auf der zärtlichen Bindung an die Mutter beruht und sie zum Vorbild nimmt, und die spätere aus dem Ödipuskomplex, die die Mutter beseitigen und beim Vater ersetzen will. |
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『新精神分析入門講義』第33講「女性性 Die Weiblichkeit」 1933年) |

