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2026年6月10日水曜日

国を憂えるなんてのはウソ

 

ははあ、大江健三郎はいいこと言ってるな。どこで言ってるのかは不明だが。


国を憂えるなんてのはウソだ、《書くことがなくなったにすぎない》と。

プルーストが同様のことを言ってるがね。

未知の表徴(私が注意力を集中して、私の無意識を探索しながら、海底をしらべる潜水夫のように、手さぐりにゆき、ぶつかり、なでまわす、いわば浮彫状の表徴)、そんな未知の表徴をもった内的な書物といえば、それらの表徴を読みとることにかけては、誰も、どんな規定〔ルール〕も、私をたすけることができなかった、それらを読みとることは、どこまでも一種の創造的行為であった、その行為ではわれわれは誰にも代わってもらうことができない、いや協力してもらうことさえできないのである。

Le livre intérieur de ces signes inconnus (de signes en relief, semblait-il, que mon attention explorant mon inconscient allait chercher, heurtait, contournait, comme un plongeur qui sonde), pour sa lecture personne ne pouvait m'aider d'aucune règle, cette lecture consistant en un acte de création où nul ne peut nous suppléer, ni même collaborer avec nous.

〔・・・〕

だから、いかに多くの人々が、そういう書物の執筆を思いとどまることだろう! そういう努力を避けるためなら、人はいかに多くの努力を惜しまないことだろう! ドレフェス事件であれ、今次の戦争であれ、事変はそのたびに、作家たちに、そのような書物を判読しないためのべつの口実を提供したのだった。彼ら作家たちは、正義の勝利を確証しようとしたり、国民の道徳的一致を強化しようとしたりして、文学のことを考える余裕をもっていないのだった。

しかし、それらは、口実にすぎなかった、ということは、彼らが才能〔ジェニー génie〕、すなわち本能をもっていなかったか、もはやもっていないかだった。なぜなら、本能は義務をうながすが、理知は義務を避けるための口実をもたらすからだ。ただ、口実は断じて芸術のなかにはいらないし、意図は芸術にかぞえられない、いかなるときも芸術家はおのれの本能に耳を傾けるべきであって、そのことが、芸術をもっとも現実的なもの、人生のもっとも厳粛な学校、そしてもっとも正しい最後の審判たらしめるのだ。そのような書物こそ、すべての書物のなかで、判読するのにもっとも骨の折れる書物である、と同時にまた、現実がわれわれにうながした唯一の書物であり、現実そのものによってわれわれのなかに「印刷=印象」された唯一の書物である。

Aussi combien se détournent de l'écrire, que de tâches n'assume-t-on pas pour éviter celle-là. Chaque événement, que ce fût l'affaire Dreyfus, que ce fût la guerre, avait fourni d'autres excuses aux écrivains pour ne pas déchiffrer ce livre-là ; ils voulaient assurer le triomphe du droit, refaire l'unité morale de la nation, n'avaient pas le temps de penser à la littérature. Mais ce n'étaient que des excuses parce qu'ils n'avaient pas ou plus de génie, c'est-à-dire d'instinct. Car l'instinct dicte le devoir et l'intelligence fournit les prétextes pour l'éluder. Seulement les excuses ne figurent point dans l'art, les intentions n'y sont pas comptées, à tout moment l'artiste doit écouter son instinct, ce qui fait que l'art est ce qu'il y a de plus réel, la plus austère école de la vie, et le vrai Jugement dernier. Ce livre, le plus pénible de tous à déchiffrer, est aussi le seul que nous ait dicté la réalité, le seul dont « l'impression » ait été faite en nous par la réalité même. De quelque idée laissée en nous par la vie qu'il s'agisse, sa figure matérielle, trace de l'impression qu'elle nous a faite, est encore le gage de sa vérité nécessaire.

〔・・・〕

印象だけが、たとえその印象の材料がどんなにみすぼらしくても、またその印象の痕跡がどんなにとらえにくくても、真実の基準となるのであって、そのために、印象こそは、精神によって把握される価値をもつ唯一のものなのだ、ということはまた、印象からそうした真実をひきだす力が精神にあるとすれば、印象こそ、そうした精神を一段と大きな完成にみちびき、それに純粋のよろこびをあたえうる唯一のものなのである。

作家にとっての印象は、科学者にとっての実験のようなものだ、ただし、つぎのような相違はある、すなわち、科学者にあっては理知のはたらきが先立ち、作家にあってはそれがあとにくる。われわれが個人の努力で判読し、あきらかにする必要のなかったもの、われわれよりも以前にあきらかであったものは、われわれのやるべきことではない。われわれ自身から出てくるものといえば、われわれのなかにあって他人は知らない暗所から、われわれがひっぱりだすものしかないのだ……

Seule l'impression, si chétive qu'en semble la matière, si invraisemblable la trace, est un critérium de vérité et à cause de cela mérite seule d'être appréhendée par l'esprit, car elle est seule capable, s'il sait en dégager cette vérité, de l'amener à une plus grande perfection et de lui donner une pure joie. L'impression est pour l'écrivain ce qu'est l'expérimentation pour le savant, avec cette différence que chez le savant le travail de l'intelligence précède et chez l'écrivain vient après : Ce que nous n'avons pas eu à déchiffrer, à éclaircir par notre effort personnel, ce qui était clair avant nous, n'est pas à nous. Ne vient de nous-même que ce que nous tirons de l'obscurité qui est en nous et que ne connaissent pas les autres.

(プルースト「見出された時」)


ジイドによるヴァリエーションもある。

今日、社会問題が、私の思想を占めているのは、創造の魔神が退いたからである。これらの問題は、創造の魔神がすでに敗退したのでないなら、席を占めることはできなかったのである。どうして自己の価値を誇称する必要があろう、(かつてトルストイに現れたもの)、すなわち否定し難い減退を自分のうちに認めることを何故拒否する要があろう。(「ジイドの日記」1932 7 19 日)

Si les questions sociales occupent aujourd'hui ma pensée, c'est aussi que le démon créateur s'en retire. Ces questions n'occupent la place que l'autre ne l'ait déjà cédée. Pourquoi chercher à se surfaire ? refuser de constater en moi (ce qui m'apparaît en Tolstoï) ; une indéniable diminution ?

Andre Gide Journal, [19 juillet 1932]


しかし創造の魔神って何だろうな、あるいはプルーストのいう《われわれのなかにあって他人は知らない暗所から、われわれがひっぱりだすもの》って? 

究極的にはエロじゃないかね。

芸術とは所詮、情慾の一変形に外ならぬ。名文家と好色家との間にある心理的もしくは生理的な必然の関係は将来必ず研究発表されるであらう。ダンヌンチオの詩文、レニヱーのもの、わが荷風文学も亦その時の有力な証左として引用さるべきものであらう。色情は本来、生物天与の最大至高のものである。それを芸術にまで昇華発散させるのが人間獣の能力、妙作用である。色情によつて森羅万象、人事百般を光被させるのが所謂芸術の天分である。グルモンの所説の如く美学の中心は心臓よりももつと下部にある。この認識が荷風文学を理解の有力な鍵である。(佐藤春夫「永井荷風」1952年)


老齢になったらエロスが劣えるのは仕方がないよ、エロスを次のように捉える作家以外は。


エロスの力は取り戻さなければまずいんです。社会の存亡にかかわるんです。少なくとも、 エロスがなくなれば小説はなくなり、文学がなくなる。(古井由吉『人生の色気』2009年)

エロスの感覚は、年をとった方が深くなるものです。ただの性欲だけじゃなくなりますから。(古井由吉『人生の色気』2009年)

歳をとりますとね、エロスは深まります。死が近くにあるわけですから。子供の頃、よく不思議な夢の話を聞いた。暗いトンネルの出口の向こうに、お花畑が広がっている。人が生死の境にいる時、そういう夢を見る、と。( 古井由吉「サライ」2011年3月号)



そもそも2人とも死ぬまで創造の魔神の退化なんてのは皆無の作家だったようだからな、

古井由吉:古井さん、なんでそんなに立て続けに仕事をなさるのですか」なんて聞かれるのだけれど、仕事を続けるにもエネルギーが要るけど、仕事をしないでいるにもエネルギーが要るんです(笑)。で、年老いてから仕事をしないでいるのに耐えるのはなかなか難しい。第一、過去の作品が次の作品を要求するでしょう? 著者は仕事をしようと思わなくても、作品が次を要求する。〔・・・〕

 

大江健三郎:私は仕事をしないでいる勇気と根気がないんです。子供の時、青年の時以来、なにかする持続力がない。というのじゃなく、なにもしないでじっとしている持続力がないのが、私の根本的な欠陥なんです。(大江健三郎×古井由吉「文学の淵を渡る」2015年)



作家ではまったくないボクも、最近は漸々エロに専念したくなってきたよ、やっぱりこうだからな。


死は愛である la mort, c'est l'amour(Lacan, L'Étourdit  E475, 1970)

タナトスの形式の下でのエロス Eρως [Éros]…sous  la forme du Θάνατος [Tanathos] ](Lacan, S20, 20 Février 1973


若い人も「恋い=乞ひ」をしてるときは、政治の話に無関心になるのは、きわめて当然だよ、


こゝに予め、説かねばならぬ一つは、恋愛を意味するこひなる語である。

こひは魂乞ひの義であり、而もその乞ひ自体が、相手の合意を強ひて、その所有する魂を迎へようとするにあるらしい。玉劔を受領する時の動作に、「乞ひ度(わた)す」と謂つた用語例もある。領巾・袖をふるのも、霊ごひの為である。又、仮死者の魂を山深く覓め行くのも、こひである。魂を迎へることがこひであり、其次第に分化して、男女の間に限られたのが恋ひであると考へてゐる。うたがきの形式としての魂ごひの歌が、「恋ひ歌」であり、同時に、相聞歌である。(折口信夫「日本文学の発生」)

こふ(恋ふ)と云ふ語の第一義は、実は、しぬぶとは遠いものであつた。魂を欲すると言へば、はまりさうな内容を持つて居たらしい。魂の還るを乞ふにも、魂の我が身に来りつく事を願ふ義にも用ゐられて居る。たまふ(目上から)に対するこふ・いはふに近いこむ(籠む)などは、其原義の、生きみ魂の分裂の信仰に関係ある事を見せてゐる。(折口信夫「国文学の発生(第四稿)唱導的方面を中心として」)



あるいはーー《愛への意志、それは死をも意志することである[ Wille zur Liebe: das ist, willig auch sein zum Tode]。おまえたち臆病者に、わたしはそう告げる[Also rede ich zu euch Feiglingen! ]》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』  2部「無垢な認識」1884年)


もっとも巷のこういう愛はまったく別だぜ、

愛という語[Wort »Liebe«この語ががこれほど頻繁にくりかえされてしかるべきものとは思えなかった。それどころか、この二音綴は、まことにいとわしきもの「recht widerwärtig]と思えるのだった。水っぽいミルクとでもいうか、青味を帯びた白色の、なにやら甘ったるいしろもののイメージに結びついていた eine Vorstellung verband sich für ihn damit wie von gewässerter Milch, - etwas Weißbläulichem, Labberigem](トーマス・マン『魔の山』1924年)


とはいえーー話を戻せばーー、ボクの場合はまだ中途半端なんだな、まだ「かろうじて」六十代で、この心境には程遠いなぁ、《歳をとりますとね、エロスは深まります。死が近くにあるわけですから。子供の頃、よく不思議な夢の話を聞いた。暗いトンネルの出口の向こうに、お花畑が広がっている。人が生死の境にいる時、そういう夢を見る、と。》( 古井由吉「サライ」2011年3月号)


ギー兄さん自身、梅雨の頃に手紙をよこして、確かにかれの内部で、すっかり新しい事態とはいわぬまでも、めざましい勢いの展開が起り始めていることをつたえるようだったのである。ギー兄さんは、それがかれの性癖のひとつだが、気軽な間柄での手紙でも相手の書いた文章を要約しない。直接に引用しながら、次のように書いていた。


《きみは出版社の宣伝用小冊子にこういうことをしゃべっていたね。――僕は少し前から、自分の一番根幹にある感情は、「悲嘆グリーフ」だと感じてきました。これは、学生の頃フォークナーやブレイクの文章に見出した言葉ですが、最近ではスタイロンの評論集『この静まりかえった塵』にも、その感情が充ちていることを感じました。若いときも、ある悲嘆の感情を持ったけれど、それは荒あらしかった。年をとってきて、気がついてみると、非常に静かな悲嘆というものになってきている。これからも年をとるにつれて、この感情は深まってゆくのではないかと思います。……

きみのいう「悲嘆グリーフ」の感情が、ある年齢を越えた者を繰りかえしとらえるという観察には、経験に立つ言葉として自分も賛成します。われわれをとらえる「悲嘆グリーフ」の感情といいたいほど、じつは共感してもいる。しかしきみより少し年をとっているこちらの、やはり経験にそくしての言葉をのべれば、きみのいうこととちがうところもあるわけなのだ。


若いときも、ある悲嘆の感情を持ったけれど、それは荒あらしかった。この観察にはまったく賛成。自分のも、きみのそれもさ、お互いの若かった時の顔つきにかさねてね、思い起こすことがある。あの時分というと、漠然とした話になるが、感じはつたわるだろう。あの時分さ、Kちゃんよ。きみは額が狭いといって気にかけていたね。ところがこの春、テレヴィで話すきみを見て額のあたりに眼がいって、ある種の感慨があったよ。


さて、つづいてきみのいう、年をとってきて、気がついてみると、非常に静かな悲嘆というものになってきている。その考えにも、いうならば段階的・過程的に賛成なのだ。自分も、ついこの間まで、そのように自覚していたことを思い出すからね。ところが、きみより五歳年長の自分は、次の一節に、決して賛成するわけにはまいらぬ。これからも年をとるにつれて、(非常に静かな悲嘆ともいうものとしての)この感情は深まってゆくのではないかと思います。

をとる、そして突然ある逆行が起る。非常に荒あらしい悲嘆というものが自分を待ちかまえているかも知れぬと、Kちゃんよ、きみは思うことはないか? いつまでも本気でダンテを読みはじめる気配のないきみに、こうしたことをいうのもセンないことだが、かれの地獄にも煉獄にも、荒あらしい老年の悲嘆者たちは充ちているよ。きみの談話筆記を眼にして、それに触発された、自分の近況報告として、これを書きました。ともかくもきみとオユーサンと子供たちの健康を祈念しています。ギー》(大江健三郎『懐かしい年への手紙』1987年)


ボクはまだ静かなエロスの段階だよ、荒あらしいエロスには到ってないな、


暖炉の火が穏やかな気配の弱さになっていたのを、僕は立て直そうとした。〔・・・〕


炎の起こったところでふりかえると、スカートをたくしあげている紡錘形の太腿のくびれにピッチリはまっているまり恵さんのパンティーが、いかにも清潔なものに見えた。マニ教の秘儀ではないが、切磋琢磨する性交をつうじて、生ぐさい肉体に属するものは、根こそぎアンクル・サムに移行し、まり恵さんには精神の属性のみが残ったようだ……


もっともまり恵さんは、僕がスカートの奥に眼をひきつけられているのに気づくと、両腿を狭める動作をするかわりに、あらためて疲れと憂いにみちているが、ベティさん式の派手な顔に微笑を浮べ、かならずしも精神プロパーではない提案をした。さりとて肉体プロパーでもなかったはずだが……

ーー今後もう私には、あなたと一緒に夜をすごすことはないのじゃないかしら? それならば、元気をだして一度ヤリますか? 光さんが眠ってから、しのんで来ませんか?


――……ずっと若い頃に、かなり直接的に誘われながらヤラなかったことが、二、三人についてあったんだね。後からずっと悔やんだものだから、ある時から、ともかくヤルということにした時期があったけれども…… いまはヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあって、ふたつはそうたいしたちがいじゃないと、回想する年齢だね。


ーーつまりヤラなくていいわけね。……私も今夜のことを、懐かしく思い出すと思うわ、ヤッテも、ヤラなくても、とまり恵さんはむしろホッとして様子を示していった。(大江健三郎『人生の親戚』1989年)


この時期の大江はーー彼は1935年生まれだからーーまだ五十代なんだな、余裕だね、仮に額面通り取れば、《いまはヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあって、ふたつはそうたいしたちがいじゃないと、回想する年齢だね》なんて。ボクは五十代だったら必ずヤッタよ。


おい、そんな若いうちからありえないよ、ウソ書くなよな、