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2026年6月12日金曜日

漱石の創作活動の根にあるもの

 

前回記した話を、漱石に絞って補足するなら、まずはまだ30代の柄谷が書いた次の内容がキモだよ。


漱石は幼児に養子にやられ、ある年齢まで養父母を本当の両親と思って育っている。彼は「とりかえ」られたのである。漱石にとって、親子関係はけっして自然ではなく、とりかえ可能なものにほかならなかった。ひとがもし自らの血統〔アイデンティティ〕に充足するならば、それはそこにある残酷なたわむれをみないことになる。しかし、漱石の疑問は、たとえそうだとしても、なぜ自分はここにいてあそこにいないかというところにあった。すでにとりかえ不可能なものとして存在するからだ。おそらく、こうした疑問の上に、彼の創作活動がある。(柄谷行人『日本近代文学の起源』1980年)


例えばこうある。

私には私の心を腐蝕するような不愉快な塊が常にあった。(夏目漱石『硝子戸の中』1915年)

実父から見ても養父から見ても、彼は人間ではなかった。むしろ物品であった。ただ実父が我楽多として彼を取り扱ったのに対して、養父には今に何かの役に立てて遣ろうという目算があるだけであった。(夏目漱石『道草』1915年)


あるいは『明暗』の第二章にはこうある。

どうしてあの女はあすこへ嫁に行ったのだろう。それは自分で行こうと思ったから行ったに違ない。しかしどうしてもあすこへ嫁に行くはずではなかったのに。そうしてこのおれはまたどうしてあの女と結婚したのだろう。それもおれが貰おうと思ったからこそ結婚が成立したに違ない。しかしおれはいまだかつてあの女を貰おうとは思っていなかったのに。(夏目漱石『明暗』「二」1916年)


終わり近くの章ではこうだ。


温泉宿で迷子になって彷徨う主人公津田が鏡のなかに自らの「暗」の分身と出会う「百七十五」、結婚直前に《逃げられちまった》女(百四十一)、その清子と廊下と階段のあいだで遭遇して互いに凍りつく「百七十六」、そして最終章の二つ前の「百八十六」では、津田は清子の部屋を訪れ、彼女がなぜあんなに驚いたのかを問い詰めると、清子の返事はーー、


今まで困っていたらしい清子は、この時急に腑に落ちたという顔つきをした。

「ああ、それがお聴きになりたいの」

「無論です。先刻からそれが伺いたければこそ、こうしてしつこくあなたを煩わせているんじゃありませんか。それをあなたが隠そうとなさるから――」

「そんならそうと早くおっしゃればいいのに、私隠しも何にもしませんわ、そんな事。理由は何でもないのよ。ただあなたはそういう事をなさる方なのよ

待伏せをですか」

「ええ」

「馬鹿にしちゃいけません」

「でも私の見たあなたはそういう方なんだから仕方がないわ。嘘でも偽りでもないんですもの」

「なるほど」 

津田は腕を拱いて下を向いた。(夏目漱石『明暗』百八十六)




結局、漱石の創作活動の根には《幼少の砌の髑髏が疼いて啜り泣く》事態があるんじゃないだろうか。


頼朝公卿幼少の砌の髑髏〔しゃれこうべ〕、という古い笑い話があるが、誰しも幼少年期の傷の後遺はある。感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃なので、傷はたいてい思いのほか深い。はるか後年に、すでに癒着したと見えて、かえって肥大して表れたりする。しかも質は幼年の砌のままで。


小児の傷を内に包んで肥えていくのはむしろまっとうな、人の成熟だと言えるのかもしれない。幼い頃の痕跡すら残さないというのも、これはこれで過去を葬る苦闘の、なかなか凄惨な人生を歩んできたしるしかと想像される。しかしまた傷に晩くまで固着するという悲喜劇もある。平生は年相応のところを保っていても、難事が身に起ると、あるいは長い矛盾が露呈すると、幼年の苦についてしまう。現在の関係に対処できなくなる。幼少の砌の髑髏が疼いて啜り泣く。笑い話ではない。(古井由吉「幼少の砌の」『東京物語考』1984年)


※上にある「固着」については▶︎「いざという間際に、急に悪人に変わる善人




前回引用した若き加藤周一(まだ20代である)の文は、『明暗』だけを称揚する仕方はいささか過剰だとはいえ、やはりきわめて秀逸である、と私は思う。

私は、『明暗』によって、又『明暗』によってのみ、漱石は不朽であると思う。そして、『明暗』は、漱石の「知性人たる本質」によってではなく、知性人たらざる本質によって、その他のすべての小説が達し得なかった、今日なお新しい現実、人間の情念の変らぬ現実に達し得たと思う。〔・・・〕


そのデーモンは、『明暗』の作者を、捉えたのであり、生涯に一度ただその時にのみ捉えたのである。それが修繕時の大患にはじまったか、何にはじまったか、私は知らない。確実なのは、小説の世界が今日なお新しい現実を我々に示すということであり、それに較べれば、知的な漱石の数々の試みなどは何ものでもないということである。〔・・・〕


我々の憎悪や愛情やその他もろもろの情念は、しばしば極端に到り、爆発的に意識をかき乱し、ながく注意され、ながく論理的に追求されれば、意識の底からは奇怪なさまざまの物が現れるであろう。我々の日常生活にそういうことが少ないのは、我々の習慣が危険なものを避け、深淵が口を開いても、その底を見極めようとはしないからである。しかし、その底に、我々の行動を決定する現実があり、日常的意識の奥に、我々を支配する愛憎や不安や希望がある。それは、日常的生の表面に多様な形をとって現れるが、その多様な現象の背後に、常に変らざる本質があり、プラトン風に言えば、影なる現象世界の背後に、観念なる実在がなければならない。観念的なものは現実的であり得るし、むしろ観念的なもののみが現実的であり得る。なぜなら、それが、小説家に、深く体験され、動かしがたく確実に直感されたものであるからだ。(加藤周一「漱石に於ける現実 ――殊に『明暗』に就いて――」1948年)