「いざという間際に、急に悪人に変る善人」で示した次の図ーー、
例えば次の中井久夫の文も事実上、この図の「以前のリビドー固着の残滓」Reste der früheren Libidofixierungen]のことを言ってんだよ。
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日常生活は安定した定常状態だろうか。大きい逸脱ではないが、あるゆらぎがあってはじめて、ほぼ健康な日常生活といえるのではないだろうか。あまりに「判でついたような」生活は、どうも健康といえないようである。聖職といわれる仕事に従事している人が、時に、使い込みや痴漢行為など、全く引き合わない犯罪を起こすのは、無理がかかっているからではないだろうか。言語研究家の外山滋比古氏は、ある女性教師が退職後、道端の蜜柑をちぎって食べてスカッとしたというのは理解できると随筆に書いておられる。外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及しているおそれがある。 四季や祭りや家庭の祝いや供養などが、自然なゆらぎをもたらしていたのかもしれない。家族の位置がはっきりしていて、その役を演じているというのも重要だったかもしれない。踏み越えは、通過儀式という形で、社会的に導かれて与えられるということがあった。そういうものの比重が下がってきたということもあるだろう。もっとも、過去をすべて美化するつもりはない。 一般に健康を初め、生命的なものはなくなって初めてありがたみがわかるものだ。ありがたみがわかっても、取り戻せるとは限らない。また、長びくと、それ以前の「ふつう」の生活がどういうものか、わからなくなってくる。 |
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私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性は時に紙一重である。それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治ったような気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分の中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。 |
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(中井久夫「「踏み越え」について」初出2003年『徴候・記憶・外傷』所収) |
まず「固着の残滓」文を再掲しとこう。
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常に残滓現象[Resterscheinungen]がある。つまり部分的な置き残し[partielles Zurückbleiben]がある。寛大な保護者が時に吝嗇な様子を見せてわれわれを驚かしたり、ふだんは好意的に過ぎるくらいの人物が、突然敵意ある行動をとったりするならば、これらの「残滓現象」は、疾病発生に関する研究にとっては測り知れぬほど貴重なものである。この現象は、賞讃に値するほどのすぐれて好意的な彼らの性格が、実は敵意の代償や過剰代償にもとづくものであること、しかもそれが期待されたほど徹底的に、全面的に成功していたのではなかったことを示しているのである。リビドー発達についてわれわれが初期に用いた記述の仕方によれば、最初の口唇期は次のサディステック肛門期にとってかわり、これはまたファルス的性器期にとってかわるとされていたが、その後の研究はこれに矛盾するものではなく、それに訂正をつけ加えて、これらの移行は突然にではなく徐々に行なわれるもので、したがっていつでも以前のリビドー組織体が新しいリビドー組織体と並んで存続しつづける、そして正常なリビドー発達においてさえもその変化は完全に起こるものではなく、最終的に形成されおわったものの中にも、なお以前のリビドー固着の残滓[Reste der früheren Libidofixierungen]が保たれている。 |
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精神分析とはまったく別種の領域においても、これと同一の現象が観察される。とっくに克服されたと称されている人類の誤信や迷信にしても、どれ一つとして今日われわれのあいだ、文明国民の比較的下層階級とか、いや、文明社会の最上層においてさえもその残滓が存続をつづけていないものはない。一度生まれ出たものは執拗に自己を主張するのである。われわれはときによっては、原始時代のドラゴン[Drachen der Urzeit ]は本当に死滅してしまったのだろうかと疑うことさえできよう。 |
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Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. Wenn der freigebige Mäzen uns durch einen vereinzelten Zug von Knauserei überrascht, der sonst Übergute sich plötzlich in einer feindseligen Handlung gehenläßt, so sind diese »Resterscheinungen«unschätzbar für die genetische Forschung. Sie zeigen uns, daß jene lobenswerten und wertvollen Eigenschaften auf Kompensation und Überkompensation beruhen, die, wie zu erwarten stand, nicht durchaus, nicht nach dem vollen Betrag gelungen sind. Wenn unsere erste Beschreibung der Libidoentwicklung gelautet hat, eine ursprüngliche, orale Phase mache der sadistisch-analen und diese der phallisch-genitalen Platz, so hat spätere Forschung dem nicht etwa widersprochen, sondern zur Korrektur hinzugefügt, daß diese Ersetzungen nicht plötzlich, sondern allmählich erfolgen, so daß jederzeit Stücke der früheren Organisation neben der neueren fortbestehen, und daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. |
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Auf ganz anderen Gebieten sehen wir das nämliche. Keiner der angeblich überwundenen Irr- und Aberglauben der Menschheit, von dem nicht Reste heute unter uns fortleben, in den tieferen Schichten der Kulturvölker oder selbst in den obersten Schichten der Kulturgesellschaft. Was einmal zu Leben gekommen ist, weiß sich zäh zu behaupten. Manchmal könnte man zweifeln, ob die Drachen der Urzeit wirklich ausgestorben sind. |
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(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
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《最初の口唇期は次のサディステック肛門期にとってかわり……》とあるが、厳密には次の通り。 |
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最初期の口唇期[die erste orale Phase]。この第一段階では、問題になっているのは口唇的な取り入れ[orale Einverleibung]だけで、母の乳房の対象[Objekt der Mutterbrust]との関係には両価性はまったくない。噛みつき行為の出現によって特徴づけられる第二段階は、口唇サディスティック[oralsadistische]と表現することができる。この段階で初めて両価性の現象が現れ、その後、次のサディスティック肛門期[sadistisch-analen Phase]において非常に明確になる。これらの新しい区別の価値は、強迫神経症やメランコリーのような特定の神経症の場合に、リビドーの発達における気質のポイントを探す場合に、特によく見られる。ここで、リビドー固着、気質、退行[Libidofixierung, Disposition und Regression]のあいだの関連について学んだことを思い起こす必要がある。(フロイト『新精神分析入門』第32講、1933年) |
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つまり原口唇期は母に受動的に乳を与えられる口唇マゾヒズム期だが、その後に口唇サディズム期があり、サディスティック肛門期に続く。《リビドー固着、気質、退行[Libidofixierung, Disposition und Regression]のあいだの関連について学んだこと》ともあるがこれは後述。 まず原幼児期はマゾヒズム期だ。 |
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マゾヒズム用語は、性生活および性対象に対するあらゆる受動的な態度を包括している[die Bezeichnung Masochismus alle passiven Einstellungen zum Sexualleben und Sexualobjekt,](フロイト『性理論三篇』第一篇、1905年) |
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母のもとにいる幼児の最初の出来事は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動性である[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年) |
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無意識的なリビドーの固着は性欲動のマゾヒズム的要素となる[die unbewußte Fixierung der Libido …vermittels der masochistischen Komponente des Sexualtriebes](フロイト『性理論三篇』第一篇, 1905年) |
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その後にサディズム期がある。 |
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マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている。(…) そしてマゾヒズムはサディズムより古い。サディズムは外部に向けられた破壊欲動であり、攻撃性の特徴をもつ。或る量の原破壊欲動は内部に居残ったままでありうる。〔・・・〕我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊傾向から逃れるために、他の物や他者を破壊する必要があるようにみえる。ああ、モラリストにとって、実になんと悲しい開示だろうか! |
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Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat. (…) daß der Masochismus älter ist als der Sadismus, der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstrieb, der damit den Charakter der Aggression erwirbt. Soundsoviel vom ursprünglichen Destruktionstrieb mag noch im Inneren verbleiben; (…)es sieht wirklich so aus, als müßten wir anderes und andere zerstören, um uns nicht selbst zu zerstören, um uns vor der Tendenz zur Selbstdestruktion zu bewahren. Gewiß eine traurige Eröffnung für den Ethiker! |
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(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活」1933年) |
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ここで先の中井久夫に戻ろう、《私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性は時に紙一重である。それは、天秤の左右の皿かもしれない》とあったが、《自己破壊性と他者破壊性は時に紙一重》とは「マゾヒズム性とサディズム性は紙一重」ということだ。 |
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要するに欲動はどちらに回帰(退行)するかだな。 |
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以前の状態に回帰しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である〔・・・〕。この欲動的反復過程…[…ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (…) triebhaften Wiederholungsvorgänge…](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年、摘要) |
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退行、すなわち以前の発達段階への回帰[eine Regression, eine Rückkehr zu einer früheren Entwicklungsphase hervorrufen. ](フロイト『性理論』第3篇1905年) |
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固着と退行は互いに独立していないと考えるのが妥当である。発達の過程での固着が強ければ強いほど、固着への退行がある[Es liegt uns nahe anzunehmen, daß Fixierung und Regression nicht unabhängig voneinander sind. Je stärker die Fixierungen auf dem Entwicklungsweg, …Regression bis zu jenen Fixierungen ](フロイト『精神分析入門」第22講、1917年) |
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つまりマゾヒズム的固着点への退行か、サディズム的固着点への退行か、あるいは前者に退行しても防衛としてサディズム的他者破壊に向かうかもしれない。これが中井久夫の言ってることだ。 で、《今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか》ともあった。これは主に他者破壊だよ、人は機会がある毎にサディストとして振る舞ってるんだ、無自覚に「退行」して。時に正義の名の下に。ーー《外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及しているおそれがある》ともあったがね。 これが冒頭図の具体的事例だ。 |
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仮に自らのサディズム性に自覚的でないにしろ、《言葉と眼差しによる危害や拷問》と指摘されたら、ある程度は気づく筈。 |
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人はよく頽廃の時代はより寛容であり、より信心ぶかく強健だった古い時代に対比すれば今日では残酷性が非常に少なくなっている、と口真似式に言いたがる。しかし、言葉と眼差しによる危害や拷問は、頽廃の時代において最高度に練り上げられる。 nur so viel gebe ich zu, dass jetzt die Grausamkeit sich verfeinert, und dass ihre älteren Formen von nun an wider den Geschmack gehen; aber die Verwundung und Folterung durch Wort und Blick erreicht in Zeiten der Corruption ihre höchste Ausbildung](ニーチェ『悦ばしき知』23番、1882年) |
で、これが原点にある抑圧されたものの回帰だーー、
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「抑圧」は三つの段階に分けられる[das »Verdrängung«… den Vorgang in drei Phasen zu zerlegen]〔・・・〕 ①抑圧の第一段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ] 固着は次のように説明できる。ある欲動または欲動的要素が、予想された正常な発達経路をたどることができず、その発達が制止された結果、より幼児期の段階に置き残される。問題のリビドーの流れは、その後の心的構造との関係で、無意識体系に属するもの、抑圧されたもののように振舞う。[Die Tatsache der Fixierung kann dahin ausgesprochen werden, daß ein Trieb oder Triebanteil die als normal vorhergesehene Entwicklung nicht mitmacht und infolge dieser Entwicklungshemmung in einem infantileren Stadium verbleibt. Die betreffende libidinöse Strömung verhält sich zu den späteren psychischen Bildungen wie eine dem System des Unbewußten angehörige, wie eine verdrängte.] この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する。そしてさらに、とくに三段階目の抑圧の相を生み出す決定因となる[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen, die Determinierung vor allem für den Ausgang der dritten Phase der Verdrängung. ] |
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②抑圧の第二段階は、正式の抑圧である。この段階は精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているが、これは自我のより高度に発達した意識システムから生じ、実際には「後期抑圧」と表現できる[Die zweite Phase der Verdrängung ist die eigentliche Verdrängung, die wir bisher vorzugsweise im Auge gehabt haben. Sie geht von den höher entwickelten bewußtseinsfähigen Systemen des Ichs aus und kann eigentlich als ein »Nachdrängen« beschrieben werden.] 後期抑圧は本質的に能動的な過程であるという印象を与えるが、他方、固着は本来的に受動的な置き残しに見える[Sie macht den Eindruck eines wesentlich aktiven Vorganges, während sich die Fixierung als ein eigentlich passives Zurückbleiben darstellt. ]〔・・・〕 |
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③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰である [Als dritte, für die pathologischen Phänomene bedeutsamste Phase ist die des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. ] この侵入は固着点から始まる。そしてリビドー的展開の固着点への退行を意味する[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』「症例シュレーバーSCHREBER 」第3章、1911年) |
フロイトは分析治療だけではなく、日常的観察からもこういうことを言ってるんだ。ま、日常的観察視点からは先の中井久夫の記述はきわめて優れているがね。とはいえほとんど誰もあの文が「抑圧されたものの回帰」の事例とは気づいていないよ、学者でさえ。
………………
※附記
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中井久夫は「抑圧」という語を好まず、「解離」用語を使った。 |
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抑制されつづけてきた自己破壊衝動が「踏み越え」をやさしくする場合がある。「いい子」「努力家」は無理がかかっている場合が多い。ある学生は働いている母親の仕送りで生活していたが、ある時、パチンコをしていて止まらなくなり、そのうちに姿は見えないが声が聞こえた。「どんどんすってしまえ、すっからかんになったら楽になるぞ」。解離された自己破壊衝動の囁きである。また、四十年間、営々と努力して市でいちばんおいしいという評価を得るようになったヤキトリ屋さんがあった。主人はいつも白衣を着て暑い調理場に出て緊張した表情で陣頭指揮をしてあちこちに気配りをしていた。ある時、にわかに閉店した。野球賭博に店を賭けて、すべてを失ったとのことであった。私は、積木を高々と積んでから一気にガラガラと壊すのを快とする子ども時代の経験を思い合わせた。主人が店を賭けた瞬間はどうであったろうか。(中井久夫「「踏み越え」について」2003年『徴候・記憶・外傷』所収) |
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しかしこの解離こそ抑圧である。 |
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精神分析は、心的解離の起源(ジャネもその重要性を認識していた)を、先天的な障害による心的統合の失敗ではなく、抑圧[Verdrängung]と呼ばれる特別な心的過程に求めている。 Psycho-analysis …it ascribed the origin of psychical dissociation [seelischen Dissoziation](whose importance had been recognized by Janet as well) not to a failure of mental synthesis resulting from a congenital disability, but to a special psychical process known as ‘repression' (‘Verdrängung'). (フロイト『精神分析について』(英語講義)Freud, ‘On Psycho-Analysis' [in English]Transactions of the Ninth Session, held in Sydney, New South Wales, Sept. 1911) |
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中井久夫曰くの「解離された自己破壊衝動」とは、抑圧された欲動である。 |
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抑圧された欲動は、一次的な満足体験の反復を本質とする満足達成の努力をけっして放棄しない。あらゆる代理形成と反動形成と昇華は、欲動の止むことなき緊張を除くには不充分であり、見出された満足快感と求められたそれとの相違から、あらたな状況にとどまっているわけにゆかず、詩人の言葉にあるとおり、「束縛を排して休みなく前へと突き進む」(メフィストフェレスーー『ファウスト』第一部)のを余儀なくする動因が生ずる。 Der verdrängte Trieb gibt es nie auf, nach seiner vollen Befriedigung zu streben, die in der Wiederholung eines primären Befriedigungserlebnisses bestünde; alle Ersatz-, Reaktionsbildungen und Sublimierungen sind ungenügend, um seine anhaltende Spannung aufzuheben, und aus der Differenz zwischen der gefundenen und der geforderten Befriedigungslust ergibt sich das treibende Moment, welches bei keiner der hergestellten Situationen zu verharren gestattet, sondern nach des Dichters Worten »ungebändigt immer vorwärts dringt« (Mephisto im Faust, I, Studierzimmer) (フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年) |
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そして欲動の原点にあるのは、マゾヒズム的自己破壊欲動である。 |
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欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist]〔・・・〕自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年) |
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ちなみに中井久夫のプルースト小論には次のような記述もある。 |
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(プルーストの)「心の間歇 intermittence du cœur」は「解離 dissociation」と比較されるべき概念である。…解離していたものの意識への一挙奔入…。これは解離ではなく解離の解消ではないかという指摘が当然あるだろう。それは半分は解離概念の未成熟ゆえである。フラッシュバックも、解離していた内容が意識に侵入することでもあるから、解離の解除ということもできる。反復する悪夢も想定しうるかぎりにおいて同じことである。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」2007年『日時計の影』所収) |
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中井久夫が「抑圧」の代わりに「解離」を使ったのはきわめて意図的である。 |
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中井久夫)「抑圧」の原語 Verdrängung は水平的な「放逐、追放」であるという指摘があります。(中野幹三「分裂病の心理問題―――安永理論とフロイト理論の接点を求めて」)。とすれば、これをrepression「抑圧」という垂直的な訳で普及させた英米のほうが問題かもしれません。もっとも、サリヴァンは20-30年代当時でも repression を否定し、一貫して神経症にも分裂病にも「解離」(dissociation)を使っています。(「共同討議」トラウマと解離」(斎藤環/中井久夫/浅田彰、批評空間2001Ⅲー1) |
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先に示したように原点にある「抑圧されたものの回帰=解離されたものの回帰」とは「固着への退行」である。中井久夫は、私の知る限りで「固着」という語は使っていない。だがフロイトの「異物」 Fremdkörperは使っている(私は身体的要素を強調するために「異者としての身体」と訳すのを好むが)。 |
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一般記憶すなわち命題記憶などは文脈組織体という深い海に浮かぶ船、その中を泳ぐ魚にすぎないかもしれない。ところが、外傷性記憶とは、文脈組織体の中に組み込まれない異物であるから外傷性記憶なのである。幼児型記憶もまたーー。(中井久夫「外傷性記憶とその治療―― 一つの方針」2000年『徴候・記憶・外傷』所収) |
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外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(中井久夫「発達的記憶論」2002年『徴候・記憶・外傷』所収) |
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この「異物」こそ冒頭図に示したように固着である。 ここでは簡潔にラカンを引用して確認しておこう。 |
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固着は、言説の法に同化不能なものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1 07 Juillet 1954) |
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そして《同化不能な異物(異者としての身体)[unassimilierte Fremdkörper ]》(フロイト『精神分析運動の歴史』1914年) |
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つまり固着=同化不能=異物である。ラカンの《固着は言説の法に同化不能なもの》と中井久夫の《文脈組織体の中に組み込まれない異物》《語りとしての自己史に統合されない「異物」》とは等価である。 つまり解離されたものの回帰とは異物への退行なのである。 というわけで少しマガオで記してしまったが、ボクはツイッターを開けていくらか観察すると、ああ、また幼児期の異物への退行やってるヤツばかりが目につくな、と思ってしまうことがままあるがね、ーー《前エディプス期の固着への退行はとても頻繁に起こる[Regressionen zu den Fixierungen jener präödipalen Phasen ereignen sich sehr häufig; ]》(フロイト『続精神分析入門』第33講、1933年)
ドウダイ、このブログ記事も。外科医になったらヨロコビ溢れる筈だぜ。 |
