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愛する理由は、人が愛する対象のなかにはけっしてない[les raisons d'aimer ne résident jamais dans celui qu'on aime](ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』第二版、1970年) |
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これはどういう意味かわかるかい? |
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私がジルベルトに恋をして、われわれの恋はその恋をかきたてる相手の人間に属するものではないことを最初に知って味わったあの苦しみ[cette souffrance, que j'avais connue d'abord avec Gilberte, que notre amour n'appartienne pas à l'être qui l'inspire](プルースト「見出された時」) |
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そのようにして、アルベルチーヌへの私の愛は、それがどのような差異を見せようとも、ジルベルトへの私の愛のなかにすでに書きこまれていた……[Ainsi mon amour pour Albertine, et tel qu'il en différa, était déjà inscrit dans mon amour pour Gilberte ...](プルースト「見出された時」) |
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愛する理由はジルベルトにもアルベルチーヌにもないんだよ。どこにあるかといえば潜在的対象(対象=x)[l'objet virtuel (objet = x) ]だろうよ、たぶん。 |
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反復は、ひとつの現在からもうひとつへ向かって構成されるのではなく、むしろ、潜在的対象(対象=x)[l'objet virtuel (objet = x) ]に即してそれら二つの現在が形成している共存的な二つの系列のあいだで構成される。La répétition ne se constitue pas d'un présent à un autre, mais entre les deux séries coexistantes que ces présents forment en fonction de l'objet virtuel (objet = x). (ドゥルーズ『差異と反復』第2章、1968年) |
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潜在的対象(対象=x)というのは、少し前記したが、固着だよ。 |
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固着と退行概念、それはトラウマと原光景を伴ったものだが、最初の要素である。自動反復[automatisme] という考え方は、固着された欲動の様相、いやむしろ固着と退行によって条件付けれた反復の様相を表現している。 Les concepts de fixation et de régression, et aussi de trauma, de scène originelle, expriment ce premier élément. […] : l'idée d'un « automatisme » exprime ici le mode de la pulsion fixée, ou plutôt de la répétition conditionnée par la fixation ou la régression.(ドゥルーズ『差異と反復』第2章、1968年) |
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欲動蠢動は「自動反復」の影響の下に起こるーー私はこれを反復強迫と呼ぶのを好むーー。そして抑圧において固着の契機は「無意識のエスの反復強迫」であり、これは通常の環境では、自我の自由に動く機能によって排除されていて意識されないだけである[Triebregung … vollzieht sich unter dem Einfluß des Automatismus – ich zöge vor zu sagen: des Wiederholungszwanges –… Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es, der normalerweise nur durch die frei bewegliche Funktion des Ichs aufgehoben wird. ](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年、摘要) |
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この固着のせいで「無意識のエスの反復強迫」が起こるんだ。 |
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だから潜在的対象xは対象aだよ。 |
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私はあなたを愛している。だが私が愛しているのは、奇妙にも、あなたの中にある何かあなた以上のもの、つまり対象aを愛しているのだ[Je t'aime, mais parce que j'aime inexplicablement quelque chose en toi plus que toi, qui est cet objet(a)](ラカン, S11, 24 Juin 1964) |
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対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963) |
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これは基本だからな、忘れちゃいけない。 |
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忘れないようにしよう、フロイトが明示した愛の条件のすべてを、愛の決定性のすべてを。N'oublions pas … FREUD articulables…toutes les Liebesbedingungen, toutes les déterminations de l'amour (Lacan, S9, 21 Mars 1962) |
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愛の条件は、初期幼児期のリビドーの固着が原因となっている[Liebesbedingung (…) welche eine frühzeitige Fixierung der Libido verschuldet]( フロイト『嫉妬、パラノイア、同性愛に見られる若干の神経症的機制について』1922年) |
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愛は常に反復である。これは直接的に固着概念を指し示す。固着は欲動と症状にまといついている。愛の条件の固着があるのである。L'amour est donc toujours répétition, […]Ceci renvoie directement au concept de fixation, qui est attaché à la pulsion et au symptôme. Ce serait la fixation des conditions de l'amour. (David Halfon,「愛の迷宮 Les labyrinthes de l'amour 」ーー『AMOUR, DESIR et JOUISSANCE』論集所収, Novembre 2015) |
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欲動とあるが、もちろん欲動=リビドー=エロスだ。 |
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リビドーは欲動エネルギーと完全に一致する[Libido mit Triebenergie überhaupt zusammenfallen zu lassen]フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第6章、1930年) |
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すべての利用しうるエロスエネルギーを、われわれはリビドーと名付ける[die gesamte verfügbare Energie des Eros, die wir von nun ab Libido heissen werden](フロイト『精神分析概説』第2章, 1939年) |
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フロイトにとってエロスはトラウマ[参照]であり、固着は常に《トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]》(フロイト『続精神分析入門』第29講, 1933 年)だ。 プルーストにもトラウマ的固着に近似したものがあるよ、「過去が刻印された肉体の傷」と「記憶の固着」とあるんだから。 |
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ある年齢に達してからは、われわれの愛やわれわれの愛人は、われわれの苦悩から生みだされるのであり、われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷とが、われわれの未来を決定づける[Or à partir d'un certain âge nos amours, nos maîtresses sont filles de notre angoisse ; notre passé, et les lésions physiques où il s'est inscrit, déterminent notre avenir. ](プルースト「逃げ去る女」) |
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人間たちを変化させる時も、われわれが記憶にとどめている彼らのイマージュを変更することはない。人間の変質と記憶の固着[la fixité du souvenir]とのあいだの対立ほど痛ましいものはない。そんな対立に気づくとき、われわれは否応なく納得させられるのだ、記憶のなかにあれほどの新鮮さを残してきたひとが、実生活ではもはやそれをもちこたえることができないのを、そしてわれわれの内部であのように美しく見えるひと、もう一度会いたいというそれも非常に個人的な欲望をわれわれのなかにそそりたてるひと、そういうひとに外部に近づくことができるには、いまそれとおなじ年齢のひと、すなわち別人のなかに、そのひとを求めるよりほかはないのを。 Le temps qui change les êtres ne modifie pas l'image que nous avons gardée d'eux. Rien n'est plus douloureux que cette opposition entre l'altération des êtres et la fixité du souvenir, quand nous comprenons que ce qui a gardé tant de fraîcheur dans notre mémoire n'en peut plus avoir dans la vie, que nous ne pouvons, au dehors, nous rapprocher de ce qui nous parait si beau au dedans de nous, de ce qui excite en nous un désir, pourtant si individuel, de le revoir, qu'en le cherchant dans un être du même âge, c'est-à-dire d'un autre être.(プルースト「見出された時」) |
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というわけで、差異と反復の秘密のひとつは冒頭の《愛する理由は、人が愛する対象のなかにはけっしてない》にあるかもよ。 ところで、究極の潜在的対象xはなんだろうな、プルーストにとって。たぶんプチット・マドレーヌだよ➤[プチットとマドレーヌは女性器?]
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アンドレ・ジイドはブラックホールが怖くて怖くてたまらないタイプだったらしいがね。 |
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ジイドを不安で満たして止まなかったものは、女の形態の光景の顕現、女のヴェールが落ちて、ブラックホールのみを見させる光景の顕現である[toujours le désolera de son angoisse l'apparition sur la scène d'une forme de femme qui, son voile tombé, ne laisse voir qu'un trou noir ](Lacan, JEUNESSE DE GIDE, E750, 1958) |
ま、男にはいろんなタイプがあるもので、サルトルは逆系だったようだよ。
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穴は埋められることを切望するものである。小さな子供はまるで魔法にかかったかのように穴に引き寄せられる。指や腕全体を入れずにはいられない。空虚を消し去り、存在の豊かさを存在させるために、彼は象徴的な肉体の犠牲を払う。穴を塞ごうとする人間の根源的な性向は、象徴的にも現実的にも、生涯を通じて持続する。そして、この観点からのみ、女性の性がなぜ猥褻なのかを理解できる。それは穴であるがゆえに、そして肉の豊かさを求める訴えを発するがゆえに、猥褻なのである。女性もまた、自身の状態をそのような訴え、誘惑として感じる。このように、あらゆる穴は「猥褻な期待」であるがゆえに、猥褻なものとなるのである。 |
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The hole is something which longs to be filled. The small child is drawn as if by magic to holes. He can not restrain himself from putting in his finger or his whole arm. He makes a symbolic sacrifice of his body to cause the void to disappear and a plenitude of being to exist. The fundamental tendency of human beings to stop up holes persists throughout life, symbolically and in reality. And only from this standpoint can we understand why the feminine sex is obscene. It is obscene because it is a hole and because it sends out an appeal for a plenitude of flesh. A woman also senses her condition as such an appeal, such an enticement. Thus every hole becomes something obscene because it “is an expectation.” |
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( ジャン=ポール・サルトル『非難された自由へ:哲学入門』Jean-Paul Sartre, To Freedom Condemned: A Guide to His Philosophy) |
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ふつうはサルトル系じゃないかね、チガウカイ? |
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予は節子以外の女を恋しいと思ったことはある。他の女と寝てみたいと思ったこともある。現に節子と寝ていながらそう思ったこともある。そして予は寝た――他の女と寝た。しかしそれは節子と何の関係がある? 予は節子に不満足だったのではない。人の欲望が単一でないだけだ。〔・・・〕 余は 女のまたに手を入れて、手あらく その陰部をかきまわした。しまいには 5本の指を入れて できるだけ強くおした。・・・ ついに 手は手くびまで入った (啄木のローマ字日記) |
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かなしきは かの白玉のごとくなる腕に残せし キスの痕かな(石川啄木) |
……………
さて最後に冒頭の話に戻れば、もちろんドゥルーズ研究者の方々は次のような記述を読み込めばいいのである。
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潜在的対象は純粋過去の切片である。 L'objet virtuel est un lambeau de passé pur(ドゥルーズ 『差異と反復』1968年) |
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マドレーヌの味、ふたつの感覚に共通な性質、ふたつの時間に共通な感覚は、いずれもそれ自身とは別のもの、コンブレーを想起させるためにのみ存在している。しかし、このように呼びかけられて再び現われるコンブレーは、絶対的に新しいかたちになっている。コンブレーは、かつて現在であったような姿では現われない。コンブレーは過去として現われるが、しかしこの過去は、もはやかつてあった現在に対して相対するものではなく、それとの関係で過去になっているところの現在に対しても相対するものではない。それはもはや知覚されたコンブレーでもなく、無意識的記憶の中のコンブレーでもない。コンブレーは、体験さええなかったような姿で、実在(リアリティ)においてではなく、その真実において現われる Combray apparaît tel qu'il ne pouvait pas être vécu: non pas en réalité, mais dans sa vérité。コンブレーは、純粋過去 passé pur の中に、ふたつの現在と共存して、しかもこのふたつの現在に捉えられることなく、現在の無意識的記憶と過去の意識的知覚の到達しえないところで現われる。それは、《純粋状態での短い時間 Un peu de temps à l'état pur》である。つまりそれは、現在と過去、現実的な(アクチュアルな)ものである現在 présent qui est actuel と、かつて現在であった過去との単純な類似性ではなく、ふたつの時間の同一性でさえもなく、それを越えて、かつてあったすべての過去、かつてあったすべての現在よりもさらに深い、過去のそれ自体における存在〔即自存在〕である。《純粋状態での短い時間 Un peu de temps à l'état pur》とは、局在化した時間の本質である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』) |
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(プルーストの作品は)ジョイスの聖体顕現 épiphanies とはまったく異なった構造をもっている。しかしながらまた、それは二つの系列の問いである。 すなわち、かつての現在(生きられたコンブレー)と現勢的 actuel な現在の系列。疑いもなく経験の最初の次元にあるのは、二つの系列(マドレーヌ、朝食)のあいだの類似性であり、同一性でさえある(質としての味、二つの瞬間における類似というだけでなく自己同一的な質としての味覚)。 しかしながら、秘密はそこにはない。味覚が力能をもつのは、それが何か=X を包含するenveloppe ときのみである。その何かは、もはや同一性によっては定義されない。すなわち味覚は、それ自身のなか en soi にあるものとしてのコンブレー、純粋過去の破片 fragment de passé pur としてのコンブレーを包んでいるenveloppe Combray 。それは、次の二つに還元されえない二重性のなかにある。すなわち、かつてあったものとしての現在(知覚)、そして意志的記憶 mémoire volontaire によって再現されたり再構成されたりし得るかもしれないアクチュアルな現在への二重の非還元性のなかにある。 それ自身のなかのこのコンブレーは、己れの本質的差異 différence essentielle によって定義される。「質的差異 qualitative difference」、それはプルーストによれば、「地球の表面には à la surface de la terre」存在せず、固有の深さのなかにのみ存する。この差異なのである、それ自身を包むことによって、諸々の系列のあいだの類似性を構成する質の同一性を生み出すのは。 |
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したがって再びまた、同一性と類似性は「差異化するもの différenciant」の結果である。二つの系列が互いに継起するなら、それにもかかわらず、二つの系列に共鳴を引き起こすもの、すなわち対象=X としてのそれ自身のなかのコンブレーとの関係において共存する。さらに、二系列の共鳴は、その系列をともに越えて溢れ返る déborde 死の本能 instinct de mort をもたらす。たとえば半長靴と祖母の記憶である。 エロスは共鳴 résonanceによって構成されている。だがエロスは、強制された運動の増幅 l'amplitude d'un mouvement forcé によって構成されている死の本能に向かって己れを乗り越える(この死の本能は、芸術作品のなかに、無意志的記憶のエロス的経験の彼方に、その輝かしい核を見出す)。プルーストの定式、《純粋状態での短い時間 un peu de temps à l'état pur》が示しているのは、まず純粋過去 passé pur 、過去それ自身のなかの存在、あるいは時のエロス的統合である。しかしいっそう深い意味では、時の純粋形式・空虚な形式 la forms pure et vide du temps であり、究極の統合である。それは、時のなかに永遠回帰 l'éternité du retour dans le temps を導く死の本能 l'instinct de mort の形式である。(ドゥルーズ『差異と反復』1968) |
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永遠回帰 L'éternel retourは、同じものや似ているものを回帰させることはなく、それ自身が純粋差異 pure différenceの世界から派生する。… 永遠回帰 L'éternel retour には、つぎのような意味しかない―――特定可能な起源の不在 l'absence d'origine assignable。それを言い換えるなら、起源は差異である l'origine comme étant la différence と特定すること。 …永遠回帰はまさに、起源的・純粋な・総合的・即自的差異 une différence originaire, pure, synthétique, en soi の帰結である(この差異はニーチェが「力への意志」と呼んでいたものである)。差異が即自(それ自身における差異 l'en-soi )であれば、永遠回帰における反復は、差異の対自(それ自身に向かう差異 le pour-soi)である。Si la différence est l'en-soi, la répétition dans l'éternel retour est le pour-soi de la différence.(ドゥルーズ『差異と反復』1968年) |
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だが究極の絶対的差異 différence ultime absolue とは何か。それは、ふたつの物、ふたつの事物の間の、常にたがいに外的な extrinsèque、経験の差異 différence empirique ではない。プルーストは本質について、最初のおおよその考え方を示しているが、それは、主体の核の最終的現前 la présence d'une qualité dernière au cœur d'un sujet のような何ものかと言った時である。すなわち、内的差異 différence interne であり、《われわれに対して世界が現われてくる仕方の中にある質的差異、もし芸術がなければ、永遠に各人の秘密のままであるような差異 différence qualitative qu'il y a dans la façon dont nous apparaît le monde, différence qui, s'il n'y avait pas l'art, resterait le secret éternel de chacun》(「見出された時」)である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』第4章「Les SIgnes de l'art et l'Essence 」第2版1970年) |
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反復とは…一般的差異から単独的差異へ、外的差異から内的差異への移行として理解される。要するに、差異の差異化としての反復である。la répétition comme passage d'un état des différences générales à la dillérence singulière, des différences extérieures à la différence interne ― bref la répétition comme le différenciant de la différence. (ドゥルーズ 『差異と反復』第2章、1968年) |
とはいえドゥルーズがこう記してから半世紀経っても、なかなか研究者諸君はおわかりになっていないようなので、ありうる具体的事例としての仮説を提示したまでである。
なおフロイトにとってはエスの欲動ーー先に示した固着を通した無意識のエスの反復強迫ーーは次の用語群に収斂する[参照]。
