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2026年9月10日木曜日

モンセラート・カバリェの浮遊するシニフィアン

 

私はエリーザベト・シュヴァルツコップをそれほど聴かないのだが、偶々、彼女の「リタネイ」に出逢って(🎵:Schubert, Litanei auf das Fest Allerseelen, D.343  Elisabeth Schwarzkopf · Gerald Moore)、このピアニッシモはスゴイなあ、と感じ、彼女のほかの歌声もいくつか聴いてみた。


10曲ぐらい聴いてやっぱりシュヴァルツコップは20世紀最高の歌手のひとりなんだとあらためて感じ入ったが、そうこうするうちに、同じムーアの伴奏で、R. シュトラウスの「子守歌」に行き当たった(🎵:Strauss - Wiegenlied - Schwarzkopf / Moore Salzburg 1956)


これはちょっとボクの趣味じゃないな、いやこれもスバラシイんだが、1年ほど前にモンセラート・カバリェのこのWiegenliedに出逢って眩暈がしたからな、アレはスゴイ、カバリェのピアニッシモはほんとにスゴイ。この曲だけでなく、例えばヴェルディのレクイエムのなんという天国感!



🎵

Montserrat Caballé - Wiegenlied 1964

🎵

Caballe in The Verdi Requiem


これこそレヴィ=ストロースがいった浮遊するシニフィアンだよ、


われわれは、マナ型に属する諸概念は、たしかにそれらが存在しうる数ほどに多様であるけれども、それらをそのもっとも一般的な機能において考察するならば(すでに見たように、この機能は、われわれの精神状態のなかでもわれわれの社会形態のなかでも消滅してはいない)、まさしく一切の完結した思惟によって利用されるところの(しかしまた、すべての芸術、すべての詩、すべての神話的・美的創造の保証であるところの)かの「浮遊するシニフィアン(signifiant flottant)」を表象していると考えている。 (レヴィ=ストロース『マルセル・モース著作集への序文』)


つまりはマナの声だよ、モンセラート・カバリェのピアニッシモは。


なにはともあれ、歌ってのは女の声じゃないと本来的にはダメだね、なんたって人はみな女の声を聴くことから始まっているのであってーー胎内でさーー、ボクのオッカサマは「母さんが夜なべして」とかロシア民謡の「赤いサフラン」とか歌ってくれたよ()。みんな、こういった「胎内の記憶」ってあるだろ? 胎児期の記憶は反復強迫するよ、しっかり耳を澄ませばね。



胎内はバイオスフェア(生物圏)の原型だ。母子間にホルモンをはじめとするさまざまな微量物質が行き来して、相互に影響を与えあっていることは少しずつ知られてきた。母が堕胎を考えると胎児の心音が弱くなるというビデオが真実ならば、母子関係の物質的コミュニケーションがあるだろう。味覚、嗅覚、触覚、圧覚などの世界の交歓は、言語から遠いため、私たちは単純なものと錯覚しがちである。それぞれの家に独自の匂いがあり、それぞれの人に独自の匂いがある。いかに鈍い人間でも結婚して一〇日たてば配偶者の匂いをそれと知るという意味の俗諺がある。

触覚や圧覚は、確実性の起源である。指を口にくわえることは、単に自己身体の認識だけではない。その時、指が口に差し入るのか、指が口をくわえるのかは、どちらともいえ、どちらともいえない状態である。口-身体-指が作る一つの円環が安心感を生むもとではないだろうか。それはウロボロスという、自らの尾を噛む蛇という元型のもう一つ先の元型ではないだろうか。


聴覚のような遠距離感覚でさえ、水の中では空気中よりもよく通じ、音質も違うはずだ。母親の心音が轟々と響いていて、きっと、ふつうの場合には、心のやすらぎの妨げになる外部の音をシールドし、和らげているに違いない。それは一分間七〇ビートの音楽を快く思うもとになっている。児を抱く時に、自然と自分の心臓の側に児の耳を当てる抱き方になるのも、その名残りだという。母の心音が乱れると、胎児の心音も乱れるのは知られているとおりである。いわば、胎児の耳は保護を失ってむきだしになるのだ。

視覚は遅れて発達するというけれども、やわらかな明るさが身体を包んでいることを赤児は感じていないだろうか。私は、性の世界を胎内への憧れとは単純に思わない。しかし、老年とともに必ず訪れる、性の世界への訣別と、死の世界に抱かれることへのひそかな許容とは、胎内の記憶とどこかで関連しているのかもしれない(私は死の受容などと軽々しくいえない。死は受容しがたいものである。ただ、若い時とは何かが違って、ひそかに許しているところがあるとはいうことができる)。(中井久夫「母子の時間、父子の時間」2003年 『時のしずく』所収)



この意味でオッカサマの官能の声の癖もきわめて重要だよ、後の生においてね。




そして突然夢のなかでサン=ルーは愛人がいつものくせのように官能の瞬間に規則正しく間歇的に発するあのさけび声をはっきり耳にしたのであった。 (プルースト「ゲルマントのほう Ⅰ」)


ーー《幼児の最初期の出来事は、後の全人生において比較を絶した重要性を持つ[die Erlebnisse seiner ersten Jahre seien von unübertroffener Bedeutung für sein ganzes späteres Leben]》(フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)



ところでボクの母はタイプ的にはルシール・リシャルドー(Lucile Richardot)のようだったな。体形なんかそっくりだね


🎵

Nadia Boulanger | Mon coeur | Lucile Richardot, Anne de Fornel



ルシールには、ラファエル・ピション(Raphaël Pichon)のマタイーーAch Golgatha, unselges Golgatha | RECITATIVE (alto) ーーの「性格の悪そうな」表情に4年前出逢ってそれ以来オッカケ気味なんだ。




言ってしまえば、《ロシアの草原を思わせ、豊かな滋養をさずけ、死をもたらす母[mère des steppes et grande nourrice, porteuse de mort 》(ドゥルーズ『マゾッホとサド』、1967年)ーーの感じだなァ。