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2026年9月29日火曜日

思い切り驚いて発信すべきこと(東大総長選)

 

こういったのは、鈴木泉氏のように思い切り驚いてかつまた発信しないとな。

かつまた




この数字だと何のために投票するのか、ということになるよ。







そういえば元東大総長の蓮實重彥がこう言ってたな。


◼️蓮實重彥「些事にこだわり」第27回・いったいどこの誰が、選挙における「投票」と呼ばれる「儀式」の不気味さに耐えられるというのか 2025年9月25日

〔・・・〕

 ところで、「投票」と呼ばれる行為をめぐっては、一片の紙きれに「他人」の名前を書き入れることの「不気味さ」にもまして、そこに「自分」の名前が複数の「他人」たちによって書き入れられることの「不気味さ」についても触れておかざるをえない。わたくし自身の個人的な体験として、投票用紙に「自分」の名前が書き入れられることの「不気味さ」なるものを、充分すぎるほど知悉させられてしまっているからだ。


 いまを去ること三十年ほど昔のことだったが、当時は国立の機関としてあった大学と呼ばれる教育的かつ学術的な組織の一員だったわたくしは、定年退職を控えたその最晩年に、思いもかけず、わたくし個人の意志などいっさい無視するかたちで、数百枚を超えるものだったと記憶している大量の紙片に、そのほとんどが会ったことも喋ったこともなかったはずの複数の男女がわたくしの名前を涼しい顔で書き入れてしまうという突発事が起こった。もちろん、わたくし以外の人物の名前を書き入れた方々も多くおられたはずだとは思うが、どうやらわたくしの名前が書き込まれていた紙片が、わたくしとは異なる名前が書き込まれた紙片よりも相対的に多かったらしい。もちろん、その得票数を集計するグループとして選挙管理委員会のごときものもあったはずだが、詳しいことはいま記憶からすっかり遠ざけられている。結果として、わたくしは、その教育的な組織を行政的に統括すべき責任者の地位に就任せざるをえなかったのである。


 教師としての在任期間中、教授会を初めとする各種の委員会などへの参加を率先してさぼりまくり、身勝手な振る舞いばかりを演じていたおのれへの罰則として、その組織を「より良い」ものとするための努力に身を捧げる覚悟を決め、わたくしは選挙結果を受け入れた。だが、現実には、政府主導の愚かな「国立大学法人化」政策なるものによって、雪崩を打つかのように「より悪い」方向へ転落し始めた大学の趨勢にいかに抵抗するかという虚しい努力によって、その四年間の在任期間は尽きてしまった。その「虚しい努力」の成果についてはお他人さまの評価を待つしかないが、その間、研究者としての、また批評家としての個人的な仕事のいっさいを自分に禁じたことだけは確かである。その「自粛」の結果についても、みずから評価を下すことは避けておく。ただ、近く刊行予定の『日本映画のために』(岩波書店)には、その「自粛」に先だつ時期に書かれていた論考がかなり収録されているので、読者の判断を仰ぎたく思っている。


 なお、これは「結論」とは無縁に書いておくが、いらい、「一片の紙きれに「他人」の名前を書き入れることの「不気味さ」」に「耐える」ことなど断乎として自粛せずにおくぞとみずからに言いきかせた。実際、過去四半世紀を通じて、いかなる状況であれ、「投票」することだけは一貫して避けている。そのことぐらいは、老後の贅沢として許されるものと信じているからだ。


しかし今から思えば、蓮實は実に惜しまれるね、人生の設計ミスして。


◼️終わらない世界へ 古井由吉✕蓮實重彦 2006年

古井 蓮實さんとは初めての対談になりますが、大学では同級生ですね。


蓮實 そう。東大では駒場の二年間同じクラスだったわけだし、立教大学では紛争中に教員として同僚だった。


古井 そうなんですよ。


蓮實 これも二年一緒でした。二人が立教を離れてからも何かの折りに会って挨拶はしているし、一番最後にお会いしたのは、後藤明生氏の大阪での葬儀のときですね。だから、対談が初めてというのは不思議な気がします。別に避けあったわけではないし、疎遠というのとも違う。古井さんは作家としてしかるべき道を歩んでおられて、私も批評家として古井さんの作品はずっと読んできたわけです。一つ心残りだったのは、『仮往生伝試文』を発表された80年代の終わりから90年代の初めにかけて、古井由吉論を書くぞと決意して準備したことがあるんですが、それがさまざまな理由で流産してしまったことです。


古井 その頃は、分かれ道に直面していたから、僕も書かれると苦しいときでした。


蓮實 それ以後、個人的に妙に忙しくなったり、老後の設計ミスがいろいろあったりして、結局、古井論は書けないままでいました。それでも96年に「新潮」に短いながら『白髪の唄』について「狂いと隔たり」という文章を書き(『魅せられて』所収)、今回また最新作『辻』(小社刊)を読ませていただいたのですが、これにはとても深いところで動かされました。「この人枯れてない」っていう印象が最初に心に浮かびましたが、これはしょうがないんですね。


古井 しょうがないんですね(笑)。書いている最中だけは年齢不詳になる。あんまりいいことではないと思うんだけど。