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2015年1月20日火曜日

詩人暁方ミセイの「わたし」

以下に詩人暁方ミセイのツイートを引用するが、このツイートの前には、――二日前だがーー次のようなツイートがあるので、たぶんこのイベントのトークをめぐる「密かな」感想なのだろう。

 《ワタリウム美術館に着きました!二時から詩と旅についてのトーク。来てね!》

《本日のワタリウム美術館でのイベント、ありがとうございました!楽しかった!詩のイベントは、もっとお祭りみたいな感じでもいいよね。楽しいって大切だと思うの。おやすみなさい〜。》

暁方ミセイ @kumari_kko

ワ〜ッとはしゃいだあと、よく、その賑やかさが妙に不快に思い出されてしまうよ。実際は楽しく何も問題なんかなくても。たくさんの声の高低、ざわめきから飛び出して聞こえる不愉快な単語、目つき、表情、繰り返し繰り返し、ぐちゃぐちゃになって自分の声でかき消す。

全然なにもわかってもらえてないし、だからといって言い訳みたいに話すつもりもないし、自ら話すほどわかってもらえてないわけではないかもしれない。誰かから見たわたしは、自分で思うわたしと同じくらい、あるいはそれ以上に、わたしなんだろうなあ。

わたしが自分で思うわたしは、みんなと同じ「わたし」なんだ。複雑で、闇の中に色彩がチラチラ飛び交っているような形をしていて、開いていて輪郭がない。だからわたしは、誰も否定しないし、誰もばかにしたりしないよ。恐ろしい、宇宙よりもわけのわからない場所に、意識をおいてる生き物みんな。

どこか、山の奥かどこかに、見えなくなりたいなあと思うことはある。でもいずれは、望まなくてもそうなるから、いまはやる。やれることやる。そんな感じ。

暁方ミセイはなにを言おうとしているのだろう。すこし〈わたくし〉は摑みかねている。が、なにやら繊細な神経をもって生まれてしまった者の孤独感を漂わせているように感じられ、それが〈わたくし〉の胸をうつ。

①《ワ〜ッとはしゃいだあと、よく、その賑やかさが妙に不快に思い出されてしまう》

②《全然なにもわかってもらえてないし、だからといって言い訳みたいに話すつもりもないし、自ら話すほどわかってもらえてないわけではないかもしれない》

 ③《わたしが自分で思うわたしは、みんなと同じ「わたし」なんだ。複雑で、闇の中に色彩がチラチラ飛び交っているような形をしていて、開いていて輪郭がない。だからわたしは、誰も否定しないし、誰もばかにしたりしないよ》

④《どこか、山の奥かどこかに、見えなくなりたいなあと思うことはある》

ーーチベットにたしか何度も旅行している彼女である。

@kumari_kko 2014年10月27日 ただいま…!チベットは補陀落の名に相応しく、いろんな意味で天国に近い場所でした。高山病による高熱と嘔吐で七転八倒した時と、それと戦いつつ海抜3600mで360段の階段や急な上り坂をのぼった時と、断崖絶壁の、下にトラック落ちてる峠を越える時に、もはやこれまでか〜と思った。笑

たぶんこれらの言葉から、若年時にイカれたトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』にある文と似たようなものを感じとっているのだろう。

認識と創造の苦悩との呪縛から解き放たれ、幸福な凡庸性のうちに生き愛しほめることができたなら。…もう一度やり直す。しかし無駄だろう。やはり今と同 じことになってしまうだろう。-すべてはまたこれまでと同じことになってしまうだろう。なぜならある種の人々はどうしたって迷路に踏み込んでしまうから だ。
私は、偉大で魔力的な美の小道で数々の冒険を仕遂げて、『人間』を軽蔑する誇りかな冷たい人たちに目をみはります。-けれども羨みはしません。なぜならもし何かあるものに、文士を詩人に変える力があるならば、それはほかならぬ人間的なもの、生命あるもの、平凡なものへの、この私の俗人的愛情なのですから。 すべての暖かさ、すべての善意、すべての諧謔はみなこの感情から流れ出てくるのです。


それ以外も暁方ミセイは一人称単数代名詞「わたし」をめぐって語っている。

《誰かから見たわたしは、自分で思うわたしと同じくらい、あるいはそれ以上に、わたしなんだろうなあ。》

《わたしが自分で思うわたしは、みんなと同じ「わたし」なんだ。複雑で、闇の中に色彩がチラチラ飛び交っているような形をしていて、開いていて輪郭がない》

これはおそらく古井由吉の問いと同じような話ではないか。

古井由吉の文章 @furuiyo
一人称の問題があると。それは当然二人称、三人称との関連になります。そうすると、歴史の問題じゃないかと思うわけね。その言語圏がどういう闘争を経てきたかという、それによるんじゃないかしら。(「文芸思潮」2010初夏)

日本の中世近世からずっと見ると、それほど強い内部的な抗争は経てないというふうに思える。とにかく自他の区別をはっきりしないと、どうつけこまれるかわかりゃしないっていうような、そういうことが少なかったんでしょうね。その中で文章が丸く完成していった。(「文芸思潮」2010初夏)

で、近代に入ってからも、どっちかっていうと集団でふるまうでしょ。だからひょっとして「私」っていう立場が歴史的に薄いんじゃないか。それが今も続いて、お陰さまで経済成長が楽に行ったということになるか(笑)。(「文芸思潮」2010初夏)

これからどうするんだろうね。僕なんかもう残りの年が少ないから、もういいやと思っているけど、若い人はどうするんだろう。主語をはっきりさせて日本語が成り立つかどうかの問題があるんですよね。(「文芸思潮」2010初夏)

社会生活の中で「私」っていうのは、自分は何者かということでしょ? 個人のことでもなくてね、その親の代から祖父の代から何者であるかっていうことのはずなんですよ。(「文芸思潮」2010初夏)

で、文学はそれだけだったら駄目なはずですよね。そこで「私」に関するフィクションが出てくるんだと思うんです。ただ、フィクションと現実との間にどういう緊張があるかということではありませんか。「私」とは険しいものでね。(「文芸思潮」2010初夏)

※参照:日本語と下からの目線

日本人は相手のことを気にしながら発言するという時、それは単に心理的なものである以上に、人間関係そのもの、言語構成そのものがそういう構造をもっているのである。(森有正全集12 P86-87 )
言語は集団的なものです。だから、個人は言語の習得を通して、集団的な経験を継承するということができる。つまり、言語の経験から出発すれば、集団心理学と個人心理学の関係という厄介な問題を免れるのです。ラカンは、人が言語を習得することを、ある決定的な飛躍として、つまり、「象徴界」に入ることとしてとらえました。その場合、言語が集団的な経験であり、過去から連綿と受け継がれているとすれば、個人に、集団的なものが存在するということができます。

このことは、たとえば、日本人あるいは日本文化の特性を見ようとする場合、それを意識あるいは観念のレベルではなく、言語的なレベルで見ればよい、ということを示唆します。(柄谷行人「日本精神分析再考(講演)(2008)」)

…………

ところで、あの2011年春の事故の二年目の「追悼」の日、この若い詩人が次のように呟いていた。

@kumari_kko: 「東北が被災した」と思うことに、まず断絶を生む原因があると思う。被災したのはわたしたちで、日本だと、感じられたらいいよね。そして本当にはそうなんだけどね。

@kumari_kko: いや、それはわたしが特に、自分のことだと思わないと無関心になりがちな人間だからなのかもしれないけど!去年、一人で中国にいて、新聞のトップ記事が追悼記事だったの。嬉しいなと素直に思えた。

このツイートを読んでから、彼女の本業だけでなく、ツイートにも注視するようになった。

わたくしは、彼女の詩集が手元にあるわけではなく、すなわち彼女の詩を多く読んでいるわけではないが、いくつかのインターンネット上で読むことができる暁方ミセイの詩の断片を好む、いやとても「ひどく」好む詩がある(参照:逃げ水と海へ向かう道)。すくなくとも若い詩人たちのなかでは、すでにナンバーワンの書き手であるとの「錯覚」に閉じこもり得ている。しかもそれは「すくなくとも」であり、ほとんど「日本現代詩人のなかで」、と口が滑りそうになってしまう。


さて、《フィクションと現実との間にどういう緊張があるか》と上に引用された古井由吉の文にあったので、かさねて《自分が見る、自分を見る、見られた自分は見られることによって変わるわけです。見た自分は、見たことによって、また変わる。》(古井由吉『「私」という白道』)、あるいは次ぎの文を引用しておこう。

「私」が「私」を客観する時の、その主体も「私」ですね。客体としての「私」があって、主体としての「私」がある。客体としての「私」を分解していけば、当然、主体としての「私」も分解しなくてはならない。主体としての「私」がアルキメデスの支点みたいな、系からはずれた所にいるわけではないんで、自分を分析していくぶんだけ、分析していく自分もやはり変質していく。ひょっとして「私」というのは、ある程度以上は客観できないもの、分解できない何ものかなのかもしれない。しかし「私」を分解していくというのも近代の文学においては宿命みたいなもので、「私」を描く以上は分解に向かう。その時、主体としての「私」はどこにあるのか。(中略)この「私」をどう限定するか。「私」を超えるものにどういう態度をとるか。それによって現代の文体は決まってくると思うんです。 (古井由吉『ムージル観念のエロス(作家の方法)』)

かつまた谷川俊太郎の一人称単数代名詞の扱いをめぐる文を附記しておこう(「フィクションの一人称単数代名詞(谷川俊太郎)」より)。


◆「私」 谷川俊太郎


 四十余年前、主に「僕」という一人称を使って私は詩を書き始めました。ふだんも私は僕と言っていて、友人同士のあいだではときに俺になることもあったにしろ、それはごく自然な選択だったと思います。作品における一人称と現実の私とのあいだに、ほとんど距離はなかったと見ていいでしょう。第二詩集である「六十二のソネット」では一人称は「私」に統一されています。どうして「僕」を「私」に変えたのか、はっきりした記憶はありませんが、もしかすると一種の背伸びだったのかもしれない。本来はなかったであろう「僕」のニュアンス、いささか子どもっぽい、ときにはカマトトともとられかねない感じが一九五〇年代にはもうあって、それを避けたかったのでしょう。

 それ以後の作では「僕」「私」「俺」などが混在しています。作品の中に作者、すなわち私自身ではない主人公が登場し始めたということもありますが、その主人公が直接話法で語らない場合にも、詩を書いている私と、詩の中の私とのあいだに一篇一篇の作によって異なるにしろ微妙な距離がでてきたことがその理由でしょう。つまり詩を一種のフィクションとして書くことを、私は知らず知らずのうちに覚えたと言えます。しかしこのことはこういう単純な説明では解明できない、詩というものの本質にかかわっています。私はいまだに一貫した一人称を用いることが出来ず、一篇の作を書き始めるごとに、どんな一人称にしようか迷うことが多いのです。

 近作「世間知ラズ」と「モーツァルトを聴く人」では「ぼく」が使われていて、それは当時の私の気分による、意識的な選択でした。「私」に比べると「ぼく」は一種の傷つきやすさがあり、その頼りなさが私には必要だった。その「ぼく」は「二十億光年の孤独」の中の「僕」とは違うと私は考えています。

 一篇の詩とその作者である詩人との関係は、ふつう考えられているよりはるかに複雑微妙で流動的です。一篇の詩はたしかにその作者の現実生活なしでは生まれてこないものですが、その詩に述べられた考えや感情が、そのまま作者である詩人が現実に抱いたものであるかと言えば、そうは言えないことも多いのです。詩は思想を伝える道具ではないし、意見を述べる場でもない、またそれはいわゆる自己表現のための手段でもないのです。詩において言葉は「物」にならなければならないとはよく言われることですが、もしそうであるとすれば、たとえば一個の美しい細工の小箱を前にするときと同じような態度が、読者には必要とされるのではないでしょうか。そこでは言葉は木材のような材質としてとらえられ、それを削り、磨き、美しく組み合わせる技術が詩人に求められる倫理ともいうべきものであり、そこに確固として存在している事実こそが、詩の文体の強さであるはずです。作者である詩人は「形」の中にひそんでいる。何かを言いたいから書いたのだという視点からだけでは、詩の中の「私」はとらえられないと思いますし、詩に書かれている内容をもとにして、詩人の正邪を断罪するのも公平でないと思う。とは言うものの、詩が散文による書き物と違って、この世の道徳的判断からまったく免責されているというふうには私も考えていません。詩人はたぶん現実世界から見れば不道徳な存在とならざるをえない一面をもっていて、その自覚なしには彼ないし彼女はこの世に生きてはいけないのです。自らのいかがわしさを通して、詩人は世間にむすびつくと今の私は考えています。