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2015年1月21日水曜日

日本的「融合と共存」と母性的「ヤンキー」集団

前投稿で、《主語をはっきりさせて日本語が成り立つかどうかの問題があるんですよね》(古井由吉)と引用した。あるいはそれにかかわって次ぎのような引用もした。

日本人は相手のことを気にしながら発言するという時、それは単に心理的なものである以上に、人間関係そのもの、言語構成そのものがそういう構造をもっているのである。(森有正全集12 P86-87 )
言語は集団的なものです。だから、個人は言語の習得を通して、集団的な経験を継承するということができる。つまり、言語の経験から出発すれば、集団心理学と個人心理学の関係という厄介な問題を免れるのです。ラカンは、人が言語を習得することを、ある決定的な飛躍として、つまり、「象徴界」に入ることとしてとらえました。その場合、言語が集団的な経験であり、過去から連綿と受け継がれているとすれば、個人に、集団的なものが存在するということができます。

このことは、たとえば、日本人あるいは日本文化の特性を見ようとする場合、それを意識あるいは観念のレベルではなく、言語的なレベルで見ればよい、ということを示唆します。(柄谷行人「日本精神分析再考(講演)(2008)」)

以下は一年ほどまえ、これらの日本語の構造、あるいは日本人の精神構造をめぐってメモしたものの一つだが、なぜか投稿せずの記事である。なぜ投稿しなかったのかは、はっきりとは覚えていないが、たぶんこんなことをいまさら言ってもはじまらない、という気持があったか、逆に当時このたぐいの話ばかり書いていたのでくどくなることを怖れたのかもしれない。いわゆる「共感の共同体」批判としてもある文であり、これも識者によって何度もくり返されているが、今ではいささか失念気味であるので、この機会に投稿しておく。

一般に、日本社会では、公開の議論ではなく、事前の「根回し」によって決まる。人々は「世間」の動向を気にし、「空気」を読みながら行動する。(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」
この共同体では人々は慰め合い哀れみ合うことはしても、災害の原因となる条件を解明したり災害の原因を生み出したありその危険性を隠蔽した者たちを探し出し、糾問し、処罰することは行われない。(酒井直樹「共感の共同体批判」

…………

たとえば、「ぼくときみと彼は、成功を確信していた」という日本語をフランス語に訳すなら、それぞれの代名詞を強調形に改めた上で、Moi,toi et lui,nous sommes persuadés de la réussite. というフランス語の文章を構成しなければならない。この例からも明らかなとおり、フランス語の「ぼくたち」Nousとは、「ぼく」の数倍化されたものではなく、この「ぼく」と「ぼく」ならざる他の人称の集合からなりたっていて、その構成要素相互のあいだには「排他的な関係」が成立しているのだ。すなわち、「ぼくたち」Nousが主語になった場合には、「ぼく」Jeが、「きみ」Tuと「きみたち」Vous、「彼(または彼女)Ilと「彼ら」ILSに対して「優位」な地位を占める、ということである。(蓮實重彦)「「あなた」を読む」『反=日本語論』所収)

ここで蓮實重彦は西欧的思考における言語構造そのものの「差別」の構造を語っている。

《「排除」と「選別」による思考……彼らの言葉がその基盤を置いている「差異」の概念とは、われわれ日本人にとっては、どこか血なまぐさい殺伐たる気配を漂わしている。》

だが日本語的環境はどうなのか、それは《「排除」と「選別」よりは、遥かに「融合」と「共存」と親しく戯れる機会》を与えてくれる。

ところで、日本語の「ぼくたち」、「われわれ」には、こんな「排斥」作用が含まれているのであろうか。そこにあるのは、「ぼく」あるいは「われ」の、無数の共犯的融合ばかりではないか。そもそも文法的にいって、日本語の「ぼく」と「ぼくたち」の間に、単数、複数の対立関係が存在しているのか。あるのは、意識の上での孤立と融合だけであって、数の概念そのものが日本語にかけているのではないか。はたして「人称代名詞」などと呼ばれるものが、日本語にあるのだろうか。「ぼく」なり「私」なりを、「普通名詞」、「固有名詞」とから区別しうる言語学的水準が、いったい想定できるのであろうか。時枝誠記によれば、日本語における「人称代名詞」は、事物の属性的概念を表現することなく、話し手との関係概念の明確化を目ざすものとして定義されているが、そこには、文章全体にまで波及する「排除」の体系は認められない。また、複数と単数の関係も、決して排他的ではない。では、いったい「人称代名詞」とは何なのか。(同上)

《文章全体にまで波及する「排除」の体系》とは次の構造のことである。

たとえば人類学者レヴィ=ストロースのあげたいわゆる「構造」なるものの定義には、ある一つの系〔セリー〕を構成する諸要素の一つを変化させた場合、その変化の影響が、他の諸要素の全域にまで及ぶもの、という語があったと記憶するが、そうした意味からすると、フランス語の人称代名詞の相互間には、明らかに「排除」の関係が働いており、一たんある人称と数を「選別」したなら、その影響がすぐさま動詞、所有形容詞にまで及ぶという明確な構造を持っているといえる。(同上)

この「排除」と「選別」――《この日々の殺戮行為は、なにも言語的領域ばかりに限られてはおらず、政治的、文化的、経済的な諸分野でたえず進行中の現実なのである。何かが選ばれるとき、何かが殺される。》

そこには、たとえばジャック・デリダが批判する音声中心的な言語観とともに、キリスト教、ユダヤ教的な一神教的思考が直接的に反映しており、われわれが生きる政治的、文化的、社会的状況は、それをいかに処すべきかまだ気づいてはいない。だというのに、あたかも日本に一神教的思考がはびこり、音声中心的な言語観が根づいているかのごとく議論が展開し、西欧の言語観が無媒介的に輸入されてしまうのは、どうしてか。明治以後の概念輸入の歴史が、今日もなお無自覚に生きのびて、まるで日本語が、インド=ヨーロッパ語系の国語であるかに議論が進展してしまうのは、いったいなぜなのか。(同上)

これはなにも言語観だけではない。いまだに「差別」をめぐる言説でさえ、西欧的な一神教的な思考の無自覚な輸入によって議論されていることはないか。たとえば「差別」にかかわるとはそのまま言い難いが、ニーチェのルサンチマン批判は、あきらかに一神教的な西欧思考批判のなかの文脈にあるにもかかわらず、一神教ではまったくありえない日本で無闇・無自覚に参照されているなどということはないか。フロイトの「超自我」やラカンの「父の名」もしかり。

かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。その分、母親もいくぶん超自我的であった。財政を握っている日本の母親は、生活費だけを父親から貰う最近までの欧米の母親よりも社会的存在であったと私は思う。現在も、欧米の女性が働く理由の第一は夫からの経済的自立――「自分の財布を持ちたい」ということであるらしい。

明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになるーーそういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003 『時のしずく』2005所収)

日本的差別の構造はむしろ村八分の文脈で捉えなければならないことが多いはずだ、《公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェルで構成される共感の共同体。......それ はむしろ、われわれを柔らかく、しかし抗しがたい力で束縛する不可視の牢獄と化している。》(浅田彰「むずかしい批評」(『すばる』1988 年 7 月号)

もちろん村八分そのものも排除と選別の構造であるが、それ以前に「融合」と「共存」、「ぼく」あるいは「われ」の、無数の共犯的融合が前提となっている。

日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(……)

労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』)

西欧的集団に共犯的融合がないわけではない。たとえばフロイトが『集団心理学と自我の分析』で示したように、人物や理念(自我理想)に象徴的同一化することによる仲間同士の想像的同一化は、ある意味で「共犯的融合」としてよいのだろう。

だが日本的な共犯的融合は、《一次的な集団とは、同一の対象を自我理想とし、その結果おたがいの自我で同一視し合う個人の集りである》(『集団心理学と自我の分析』)の「自我理想」の箇所が空虚であってさえ、《多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合を呼び起こす》(フロイト 同)であるかのようにみえる。

それを自我理想が空虚であるというのが言い過ぎであるなら、「みせかけsemblant」としてのサンブランを介しての自我ー理想自我のあいだを揺れ動くナルシシズム(「私に似た」他の人々、競争や相互承認といった鏡像的関係を結ぶ私の同類たちとの湿った瞳の交し合いやら頷き合い、羨望など)による共犯的融合関係が安易に生まれてしまうということだ。すなわち自我理想としてのたとえば「理念」をまともに問うことのない仲間たちの集団。そこから村八分としての「仲間はずれ」がほとんど無意味な形式的差異によって生じる。(参照:いつのまにかそう成る「会社主義corporatism」


たとえば、次の図は、ラカン派精神分析医の藤田博史氏のものだが、日本的ファンタスムのありようを示している。





通常の(いわゆる従来の西欧の)「幻想=ファンタスム」$→aの式を分解すれば、、$ ー (-φ) ー Φ ー A ー aとなる(参照:「みせかけsemblant」の国)。

すなわち「斜線を引かれた主体=無意識の主体」$は、φ (自我 le moi )あるいは-φ(理想自我)の母子の想像的関係が象徴的ファルス(「父」)に介入されることによって、 大文字の A (超自我 le sur moi )に接続し、その彼方の小文字の a (永遠に到達できない愛)に向かう。

だが、日本的な幻想の場合はーーおそらく日本だけではなく「父なき時代」は世界的にその傾向があるのだろうが、今はその議論は割愛ーー、 $ーφーAsー-φーa という Φ を回避した流れがある。すなわち、本来 A に隠喩作用を及ぼしている Φ を経ず、φ が直接 As(見せかけの大文字の他者) に接続されることによって、世界が自我との一対一の関係の中で意味を持ってくるようになる。この結果、自我の投影のみによる特異な世界が構築されてしまう。これは、ラカンの娘婿ジャック=アラン・ミレールによる「二十世紀の神経症の時代から二十一世紀のふつうの精神病の時代へ」の「ふつうの精神病」的あり方とほとんど同じである(参照:ラカン派の「ふつうの精神病」概念をめぐって)。

そもそも「ふつうの精神病」概念などといささか厄介なことを言わないまでも、ラカン派では「精神病」とは想像的なものである。

セミネール III でさえ、 ラカンは精神病を本質的に想像的なものによって定義していました。ラカンはある意味、精神病と想像的なものは等価であると考えていたのです。ラカンの著作における想像的なものは、このように精神病的なものでありますから、鏡像段階をパラノイアの記述として読み直すこともできるでしょう。すなわち、他者との基礎的な衝突があり、それは他者が私の役割を強奪していくからである、と。鏡像段階は投影によって構造化されているのです。主体の天然のパラノイア、想像的レベルに位置する主体、正常性(象徴的正常性)へと加入することを許可する象徴的秩序、をラカンはたびたび強調していました。しかし最後には、ラカンは精神病的主体はまったく正常であると喜んでいうようになりました。これは、アブノーマルなのは象徴的秩序の方であり、人間の性質は基本的にパラノイア的であるということを意味しています。(ミレール『ラカンの臨床パースペクティヴへの導入』

とするなら、日本はその心理的機制の先進国とさえいいうる。かねてから指摘される日本的「共感の共同体」とはほとんどこのメカニズムによる日本的精神構造の現れではないだろうか。

柄谷行人がすでに二十年以上前に指摘している日本人の精神構造に、「排除」、あるいは「原抑圧の失敗」という語彙が出てくるが、これはラカン派的には「精神病的」であることを表わしている。

さらに「去勢の否認」という語彙があるが、これはラカン派では「倒錯」を表わす語彙群であり、それが混在しているのは、非専門家としての柄谷行人のご愛嬌である。とはしつつ、現在、ラカン派では、二十一世紀はミレールの「ふつうの精神病」ではなく、「ふつうの倒錯」だという主張する流派(メルマン派)もあり、柄谷行人はこの意味でまったく咎められることはない。瑣末なラカン派内の相剋を超えて、核心をついているとさえいいうる。

日本において、権力の中心はつねに空虚である。だが、それも権力であり、もしかすると、権力の本質である。フーコーは、精神分析の「抑圧」という概念に反対した。その意味では、日本には「抑圧」とそれが生み出す「主体」はない。しかし、ラカン的にいえば、「排除」があるというべきだろう。すなわち、それは原抑圧の失敗であり、去勢の否認である。日本の言説空間は、外からの原理による去勢を排除してしまった分裂病的な空間であるといえるかもしれない。見かけの統合はなされているが、それは実は空虚な形式である。私は、こうした背景に、母系制(厳密には双系制)的なものの残存を見たいと思っている。それは、大陸的な父権的制度と思考を受け入れながらそれを「排除」するという姿勢の反復である。

日本における「権力」は、圧倒的な家父長的権力のモデルにもとづく「権力の表象」からは理解できない。しかし、そのことに批判的にこだわることは、逆にそれに閉じこめられうことに帰結する。フーコーは「日本」を愛さなかった。そして、私がフーコーに共感するのは、具体的に「生」の形態を変える「自由」を楽天(ゲイ)的に求めようとしたことにおいてである。(柄谷行人「フーコーと日本」1992 『ヒューモアとしての唯物論』所収)


さて日本の反差別運動者たちのそれぞれの部族中心主義者(「アーバン・トライバリスト」にて、いがみあいが生じやすいのも、基礎となる理念(自我理想)への問いが充分になされていないことから帰結する機微があるのではないだろうか。あるいは母系的な集団であることによるものではないか。

すなわち彼らは、斎藤環の説明なら「ヤンキー集団」なのである。

與那覇:知性をもっていると思う側は、しばしばヤンキーを「反知性主義」といって叩きがちですけど、反知性主義というのは単なるバカとは違うわけですね。

斎藤:それははっきりと違います。私がよく言ってるのは、ヤンキーの成功者は「地頭がいい」ということです。地頭がいいヤンキーがいちばん日本人では尊敬されると。そこで最近よく挙げるのが白洲次郎です。あのあたりの人がヒーロー像としてはいちばん印象的なんだろうなと思うわけですね。反知性というよりも「反教養主義」に近いかもしれません。

與那覇:反知性主義を単に「お前ら知性ないじゃん」と攻撃してもダメで、「彼らはなぜ、地頭がいいにもかかわらずインテリ的なものを嫌悪するのか」という部分を問わなければならないと。そこで斎藤さんがご著書で示された手がかりが、“ヤンキーはエクリチュール(書かれたもの)的でない”という指摘と、“つっぱったヤンキーは一見マッチョで父性的に見えても、じつは母性的なんだ”という議論の2点だったと思うんです。

斎藤:そうですね。ネオリベというのは基本的に、良くも悪くも父性的な考え方だと思いますが、ヤンキーの場合は「厳しい母性」なんですね。保護的なんですけど、スパルタ的でもあるということ。母性的だからこそ、気合いとかアゲアゲとか、身体性に依拠するんでしょう。彼らにとって真実を担保してくれるものは常に行動であり、行動を可能にしてくれる「夢見る身体」なんです。

與那覇:わかる気がします。父性的というのは、最後は自分から独立させて切り離すということですね。お前とはもう他人だから、一個人として自分の判断で生きていけと。

斎藤:そうです。切断的なものは父性ですね。それで、連続的、包摂的なものを母性と考えれば、厳しい母性がヤンキーだとなる。

與那覇:それは自分の頭で考えたいインテリにとっては、いちばん生きづらい……。

斎藤:生きづらい! そして、日本の大衆にとっては、いちばん心やすらぐということですね。

與那覇:厳しくするくらいなら「ほっといてよ」と思うのに、「でも私に合わせるなら、受け入れてあげるのよ」と追いかけてくる。体罰教師の生徒指導みたいな話ですよね。

斎藤:そうです! 体罰の背景にあるのは母性なんですよ。ルール無き恣意的暴力で包み込もうとする。決してほっといてくれないんですよ。ルールの厳格な適用なら父性的と言えるんですけどね。(「おみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ


…………

※附記

蓮實重彦の文に、西欧的な「排除と選別」/日本的な「融合と共存」に絡んで、一人称複数代名詞の話が出てきているが、次のような言語もある。


■ 一人称(複数形)
 ベトナム語の「私たち」には、聞き手を含むもの(包括形)と含まないもの(除外系)の二種類があります。


chúng ta:聞き手側を含む「私たち」(包括形)
chúng tôi:聞き手側を含まない「私たち」(除外系)


 例えばあるパーティーに同じ大学のベトナム語科と日本語科の学生が参加しているとします。
 そのうち、ベトナム語科の学生が、

"chúng ta" と言えばパーティーに参加している全員を指し、
"chúng tôi" と言えばベトナム語科の学生のみを指します。

 一方で日本語科の学生が、
"chúng ta" と言えばパーティーに参加している全員を指すことに変わりはありませんが、
"chúng tôi" と言うと日本語科の学生のみを指します。

 ここで、ベトナム語科の学生がある出し物をするとして、「私たちは○○をやります」と言うとき、その「私たち」は話し手の属しているグループ内に範囲が限られるので "chúng tôi" を使います。これとは別に、パーティーの参加者全体を指すときには、話し手のグループ内にとどまらず聞き手も含むために "chúng ta" を使います。(ベトナム語文法