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2018年6月14日木曜日

人類は、このシーンを見て泣く人と泣かない人に分けられる

たった1枚の絵画だけで20分も30分もその場に人を釘付けにできるのだとしたら、映画も少ないカットでそういう事ができるのを感覚的に目標にしている。(「This is 読売」北野武監督対談蓮實重彦 1998年2月号)



究極の映画とは、10枚の写真だけで構成される映画であり、回ってるフィルムをピタッと止めたときに、2時間の映画の中の何十万というコマの中の任意の1コマが美しいのが理想だと思う。(北野武「週刊ポスト」 2002年2月1日号)

ーーそうだろうな、 そもそも映画の1時間半とか2時間とかいうのは長すぎるよ、商業的な理由でやむえないのだろうけど、本来は10分か15分でいいね、ながくても30~40分でいいな。

侯孝賢の『最好的時光』(邦題「百年恋歌」)は三つの話があって、それぞれの40分前後なんだけど、一話だけで観たらいいんだ、この長さがボクには限界だな。





蓮實重彦は『百年恋歌』の冒頭のシーンについて、「人類は、このシーンを見て泣く人と泣かない人に分けられる」と言ったそうだが(参照)、とはいえこうも言っている。

蓮實重彦   『百年恋歌』の第三話こそが真に素晴らしい

 ここで一つ、ゲームをしてみたいと思います。侯孝賢監督のもっとも素晴らしい映画は何か、ただし『非情城市』だけは挙げないという条件をゲームの規則と考えてください。そういうと、皆、妙に興奮し始めるわけです。『恋恋風塵』などの自伝三部作がもっていたどこか叙情的な感性は素晴らしいと思います。しかし、私はここで『憂鬱な楽園』と『フラワーズ・オブ・シャンハイ』と『ミレニアム・マンボ』の三作を挙げます。実は『フラワーズ・オブ・シャンハイ』がどのように優れているかということは、まだ世界的にも充分いわれていません。『憂鬱な楽園』も、好きな人はかなりいる。『ミレニアム・マンボ』もこれを無視してはいけないという人は多くいる。しかし、どこがどうよいのかはまだ語られていないのが実情です。今後、彼の映画について語る場合、このあたりが注目すべきところではないかという気がしています。

<中略>

 侯孝賢は"侠"の人で、決して素人さんには悪いことをしない人です。しかし彼が本当のところで何を考えているかというのは誰にもわかりません。彼はいまフランスで新作を撮っていますが、この映画作家がいったいどこへいくのかという興味はつきません。しかし、その前に10月12日から始まる『百年恋歌』をぜひご覧ください。この映画の最初の数ショットを見ただけで、またとない緊張感と至福感で、背中がぞくぞくするほどです。

 これは三つのエピソードからなっており、1910年代と、60年代と現代の恋物語です。三つのエピソードの男女は、いずれも同じ役者によって演じられていますが、そのいずれもが素晴らしい。にもかかわらず、もっとも侯孝賢らしさがよく出ているのは現代篇だとはっきり申し上げておきます。1966年のパートに惹かれる人がいるのは、それはまあ素人さんとしてしょうがない。それから、1911年、これは無声映画のかたちで素晴らしいに違いないのですが、しかし、侯孝賢が真に描きたかったもの、もっとも大きな野心をこめて描きたかったのは、最後の現代篇のエピソードだといえます。おそらく『憂鬱な楽園』が人々を興奮させなかったように、最後の現代のエピソードは素直に人を興奮させないかもしれません。しかし実は、「侯孝賢の新作は最後がいちばんいい」といい聞かせつつ、ここはひとつ私の騙しに乗っていただきたい。第一話はとにかくいい。ぞくぞくします。しかし、そんなことは、侯孝賢にとっては朝飯前の話なのです。『フラワーズ・オブ・シャンハイ』を思わせる第二話にもぞくぞくとした感覚がまるで夢のように拡がっていく。だが、第三話は、そのような意味では背筋に震えが走り抜けません。逆に、ああ、どうしたらいいだろう、彼はこれをどう処理するだろうという戸惑いが、見る者を強く映画へさし向けることなる。ここには、侯孝賢的な"侠"の世界が、まがまがしく拡がりだしているのです。

 あまり丁寧に見られることのなかった『憂鬱な楽園』、『フラワーズ・オブ・シャンハイ』、『ミレニアム・マンボ』などを改めて評価するために、これらの作品にこめられた潜在的な力を受け止めるにふさわしく、侯孝賢の新作『百年恋歌』を見ていただきたい。この『百年恋歌』の第三話こそが真に素晴らしいのだという私の興奮が、この中においでの100分の1の方にでも伝われば、こんな素晴らしいことはありません。(蓮實重彦『映画論講義』 東京大学出版会)

第一話の《1966年のパートに惹かれる人がいるのは、それはまあ素人さんとしてしょうがない》だってよ、ボクは素人でいいから、(いまのことろ)第一話がトビヌケテいいな。

第三話だったら、なによりもまずモーターバイクシーンがいいね、初期侯孝賢の自転車シーンと同じくらい。







2018年2月18日日曜日

「あなたに音楽を愛しているとは言わせない」

蓮實重彦の「映画狂人、神出鬼没」(2000年)で発表したらしい「映画ベスト141」は、次のとおり(わたくしはこの書は手元になくネット上から拾ったものである)。


ゲームの規則/ジャン・ルノワール
駅馬車/ジョン・フォード
晩春/小津安二郎
のらくら兵/ジャン・ルノワール
香も高きケンタッキー/ジョン・フォード
非常線の女/小津安二郎
十字路の夜/ジャン・ルノワール
周遊する蒸気船/ジョン・フォード
父ありき/小津安二郎
素晴らしき放浪者/ジャン・ルノワール
散り行く花/D・W・グリフィス
結婚行進曲/エリッヒ・フォン・シュトロハイム
キッド/チャールズ・チャップリン
キートンの蒸気船/バスター・キートン
スピオーネ/フリッツ・ラング
栄光/ラオール・ウォルシュ
サンライズ/F・W・ムルナウ
あるじ/カール・テオドール・ドライエル
港々に女あり/ハワード・ホークス
帽子箱を持った少女/ボリス・バルネット
紐育の波止場/ジョセフ・フォン・スタンバーグ
風/ヴィクトル・シェストレム
十月/セルゲイ・M・エイゼンシュテイン
アッシャー家の末裔/ジャン・エプスタイン
イタリア麦の帽子/ルネ・クレール
パンドラの箱/ゲオルク・ヴィルヘルム・パプスト
ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険/レフ・クレショフ
アンダルシアの犬/ルイス・ブニュエル
ウィンダミア夫人の扇/エルンスト・ルビッチ
鉄路の白薔薇/アベル・ガンス
偉大なるアンバーソン家の人々/オーソン・ウェルズ
赤ちゃん教育/ハワード・ホークス
忘れじの面影/マックス・オフュルス
我輩はカモである/レオ・マッケリー
第3逃亡者/アルフレッド・ヒッチコック
丹下左膳餘話 百萬兩の壺/山中貞雄
踊らん哉/マーク・サンドリッチ
女性たち/ジョージ・キューカー
暗黒街の弾痕/フリッツ・ラング
祗園の姉妹/溝口健二
パームビーチ・ストーリー/プレストン・スタージェス
死刑執行人もまた死す/フリッツ・ラング
フィラデルフィア物語/ジョージ・キューカー
いちごブロンド/ラオール・ウォルシュ
牛泥棒/ウィリアム・A・ウェルマン
霧の波止場/マルセル・カルネ
脱出/ハワード・ホークス
曳き舟/ジャン・グレミヨン
偽れる装い/ジャック・ベッケル
デデという娼婦/イヴ・アレグレ
河/ジャン・ルノワール
夏の嵐/ルキノ・ヴィスコンティ
裸の拍車/アンソニー・マン
女の一生/アレクサンドル・アストリュック
この女たちのすべてを語らないために/イングマール・ベルイマン
バンド・ワゴン/ヴィンセント・ミネリ
女は女である/ジャン=リュック・ゴダール
暗殺のオペラ/ベルナルド・ベルトルッチ
パジャマゲーム/スタンリー・ドーネン
シェルブールの雨傘/ジャック・ドゥミ
ラルジャン/ロベール・ブレッソン
捜索者/ジョン・フォード
エル/ルイス・ブニュエル
ヴァニナ・ヴァニニ/ロベルト・ロッセリーニ
黄金の馬車/ジャン・ルノワール
イワン雷帝/セルゲイ・M・エイゼンシュテイン
東京物語/小津安二郎
飾窓の女/フリッツ・ラング
めまい/アルフレッド・ヒッチコック
西鶴一代女/溝口健二
夜の人々/ニコラス・レイ
緑色の髪の少年/ジョセフ・ロージー
勝手にしやがれ/ジャン=リュック・ゴダール
大人は判ってくれない/フランソワ・トリュフォー
殺し/ベルナルド・ベルトルッチ
ポケットの中の握り拳/マルコ・ベロッキオ
アンナ・マグダレーナ・バッハの日記/ストローブ=ユイレ
時は止った/エルマンノ・オルミ
ミツバチのささやき/ヴィクトル・エリセ
ストレンジャー・ザン・パラダイス/ジム・ジャームッシュ
ママと娼婦/ジャン・ユスターシュ
さすらい/ヴィム・ヴェンダース
ラ・パロマ/ダニエル・シュミット
あんなに愛しあったのに/エットレ・スコーラ
カサノバ/フェデリコ・フェリーニ
クレールの膝/エリック・ロメール
恋のエチュード/フランソワ・トリュフォー
狩人/テオ・アンゲロプロス
オトン/ストローブ=ユイレ
拳銃王/ヘンリー・キング
ちゃちなブルジョワ/マリオ・モニチェリ
生き残るヤツ/アイヴァン・パッサー
ガルシアの首/サム・ペキンパー
リトアニアへの旅の追憶/ジョナス・メカス
アラモの砦/フランク・ロイド
不戦勝/イエジー・スコリモフスキー
夕なぎ/ジョセフ・ロージー
現金に体を張れ/スタンリー・キューブリック
キング・コング/メリアン・C・クーパー
クレオパトラ/ジョセフ・L・マンキウィッツ
華氏451/フランソワ・トリュフォー
ハメット/ヴィム・ヴェンダース
悪の塔/アベル・ガンス
シャイアン/ジョン・フォード
地獄の黙示録/フランシス・フォード・コッポラ
天国の門/マイケル・チミノ
断絶/モンテ・ヘルマン
ある女の存在証明/ミケランジェロ・アントニオーニ
ポパイ/ロバート・アルトマン
勇者の赤いバッヂ/ジョン・ヒューストン
不実な女/クロード・シャブロル
熱砂の秘密/ビリー・ワイルダー
乙女の星/クロード・オータン=ララ
挑戦/フランチェスコ・ロージ
ミュリエル/アラン・レネ
神秘の騎士/リカルド・フレーダ
リリー/チャールズ・ウォルターズ
成功の甘き香り/アレクサンダー・マッケンドリック
家族日誌/ヴァレリオ・ズルリーニ
夏の遊び/イングマール・ベルイマン
四十二番街/ロイド・ベーコン
傷心/クロード・オータン=ララ
ブーベの恋人/ルイジ・コメンチーニ
避暑地の出来事/デルマー・デイヴィス
君去りし後/ジョン・クロムウェル
弾痕/アンリ・ドコアン
秘めたる情事/フィリップ・ダン
さすらいの涯/ジーン・ネグレスコ
想い出/アナトール・リトヴァク
かくて我が恋は終りぬ/コンプトン・ベネット
荒野の女たち/ジョン・フォード
ガートルード/カール・テオドール・ドライエル
悲しみは空の彼方に/ダグラス・サーク
パサジェルカ/アンジェイ・ムンク
今は死ぬ時だ/B・ベティカー
日曜日が待ち遠しい!/フランソワ・トリュフォー
捕えられた伍長/ジャン・ルノワール
ルイジアナ物語/ロバート・J・フラハティ
ヒッチコックのファミリー・プロット/アルフレッド・ヒッチコック
スチームバス 女たちの夢/ジョセフ・ロージー
イノセント/ルキノ・ヴィスコンティ


かつて『映画に目が眩んで』という分厚い本を比較的熱心に読んだことがあるが、だいたいこれと同じような作品群の名が(まずは)挙げられていた記憶がある。




「映画ベスト141」は、たぶん最初はベスト100を選ぼうとしたのだろうが、どうしてもそれだけではすまずに、41作品が付加されたのではないだろうか。

わたくしは三十前後に、蓮實重彦にひどくイカレテおり、上の作品群をできるだけ観てみようとしたことがある。当時は京都に住んでいたので、もちろんあのような作品が上演されることは稀である。レンタルビデオ屋を探し回ったが、一軒だけ京都大学のある東大路通りに、それなりの作品が置いてあった。だから、たぶん半分ぐらいは観たかな、ーーいやいや今チェックしてみると、そこまではいかない。

なにはともあれ、「あなたに映画を愛しているとは言わせない」の人、蓮實重彦である。ああやって「自信をもって」--人によっては偽伯爵の「ハッタリの力」で、と言うのかもーー列挙する「愛の力」にまずはオマージュを捧げよう。

映画でなくてもいい。たとえば文学、絵画、音楽でも。列挙するには愛の力がなくてはできない。わたくしには映画も文学も絵画もとうていできない。

音楽なら「音楽ベスト141」を列挙しうるかもしれない。実はすこしまえ試みようとしたことがあるのだが、半分くらいはバッハの作品になってしまって、これはどうもいけない。偏っているのである。そもそも多くの作品をきいていない。

おい、誰かやってみないか。文学ベスト141、絵画ベスト141、音楽ベスト141等を。

わたくしの心持としては、「あなたに音楽を愛しているとは言わせない」と一度でもいいから言ってみたいね。でもベスト141を列挙するとバッハおたくと言われるんだろうな。

音楽がムリだったら、「あなたに女を愛しているとは言わせない」にしてみる手もあるな・・・

好きな女優ーーわたくしの場合は音楽家もふくまれるーーや絵のなかの女を列挙するのさ

たとえば現在一般にはあまり知られていないだろう女優のあの時のあの表情をね。



人は忘れ得ぬ女たちに、偶然の機会に、出会う、都会で、旅先の寒村で、舞台の上で、劇場の廊下で、何かの仕事の係わりで。そのまま二度と会わぬこともあり、そのときから長いつき合いが始まって、それが終ることもあり、終らずにつづいてゆくとこもある。しかし忘れ得ないのは、あるときの、ある女の、ある表情・姿態・言葉である。それを再び見出すことはできない。

再び見出すことができるのは、絵のなかの女たちである。絵のなかでも、街のなかでと同じように、人は偶然に女たちに出会う。しかし絵のなかでは、外部で流れ去る時間が停まっている。10年前に出会った女の姿態は、今もそのまま変わらない、同じ町の、同じ美術館の、同じ部屋の壁の、同じ絵のなかで。(加藤周一『絵のなかの女たち』)



ゴダールも、ひょっとして、「あなたに女を愛しているとは言わせない」をやろうとしたのではないかな。




マネやダビンチ、フェメールの女たちと同様、マルタ・アルゲリッチは欠かせないね、ボクにとっても。

◆Martha Argerich et Charles Dutoit (1972)




いやあ、どこにもこんな美しくて官能的な女優はいない。






2017年11月11日土曜日

蓮實重彦の「表象の奈落」とラカン派の「表象の非全体」

浅瀬さえない表面としての女」で記した例外の論理(男性の論理)、例外なしの論理(女性の論理)については、すでに蓮實重彦が繰り返し表現して来ている。

あらゆる「制度」に蔓延している怠惰な事実誤認、それは、「未知」なるものはいま、この瞬間にここにはなく、したがって見えてはいないと信ずることであり、そんな「貧しい」確信が、「未来」だの「彼方」だの「深さ」だのを捏造してもっと奥、もっと遠くへと困難な距離を踏破して進まんとするあまたの擬似冒険者を生み落すのであり、そうした楽天的な魂たちは、自分に最もふさわしい仕草を、「未知」なるものを「既知」なるものへと移行させんとする「発見」の旅だと信じて疑わない。だが、存在が真に有効な視線を欠いているのは、まさしく、いま、この瞬間に、ここにあるものをめぐってなのであり、そのとき瞳を無効にされた存在は、「彼方」を見やって視力の回復をはかるのではなく、むしろ自分自身の瞳を積極的に放棄して、「既知」と思われた領域の一劃に不意に不可解な陥没点を現出せしめ、そこで、いま、この瞬間に、ここにあるものと接しあいながら、もはや自分自身には属さない非人称的な瞳を獲得して、世界を新たな相貌のもとに把えることになるだろう。(蓮實重彦「言葉の夢と「批評」」『表層批判宣言』所収、1979)

《「未来」だの「彼方」だの「深さ」だのを捏造》すること、これが例外の論理である。



たとえば、1973年に書かれた小論(ドゥルーズのマゾッホ論訳者解説)に既に、男性の論理である「体系化」に対する「非=全体化の法則」の顕揚がある。

…真理と呼ばれる巨大な疑問符の解明に奉仕する科学的なディスクールが、心理的事象から追放してしまった「精神分析体験」をそっくり救い出すために、「非=排除の法則」と「非=全体化の法則」とを心理学に導入することで、逆に「精神分析学」を科学として確立したのがラカンのフロイディスムの革命であるとするなら、「還る」べきフロイトとは、実はどこにもない場所のことにほかならぬからである。「排除」と「体系化」とは、単一者の表象的な影としてあるあの途方もない疑問符を光源とする、小規模な無数の「なぜ」を脈絡づけるに恰好な、絶句を隠蔽する饒舌に属するものなのだ。(蓮實重彦「問題・遭遇・倒錯」1973)

ここでの「非=全体化の法則」とは非全体 pastoutの論理のことに他ならない。そして「体系化」とは pourtout である。

ラカンの L'ÉTOURDIT(14 juillet 72、オートルエクリ所収)には、pourtout 全体化(全てに向って)/pastout 非全体(全てではない)という表現が現われている。蓮實の言っているのは、まさにこのことである。

そして例外なしの論理に徹するからこそ、表象(象徴界)は非全体化する。

ドゥルーズとガタリとの共著には次のようにある。

オイディプス的顰め面の背後で derrière la grimace œdipienne プルーストとカフカをゆさぶる分裂的笑いーー蜘蛛になること、あるいは虫になること。

le rire schizo qui secoue Proust ou Kafka derrière la grimace œdipienne - le devenir-araignée ou le devenir-coléoptère. (ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス L'ANTI-ŒDIPE』、1972年)

「エディプス的顰め面 grimace œdipienne」とあるが、これはフロイト・ラカン派語彙に変換すれば「ファルス秩序の裂目、象徴秩序の裂目、欲望の裂目、表象の非全体 pastout」のことである。

現実 réalité は象徴界によって多かれ少なかれ不器用に飼い馴らされた現実界 Réel である。そして現実界は、この象徴的空間に、傷、裂け目、不可能性の接点として回帰する。(François Balmès, Ce que Lacan dit de l'être,1999)

非全体の論理ゆえに、表象の非全体が 外立 ex-sist(脱自)する。全体化の論理では表象は安定化してしまう。

《現実界とは形式化の袋小路である Le reel est un impasse de formalization》(ラカン、S20)であり、《現実界は外立する Le Réel ex-siste》(S22)のである。

最近になってラカン派のムラデン・ドラ―は「表象の非全体」と口に出している。

表象は「すべてではない」。表象は非全体 pastout である。表象が非全体なのは、主体の刻印のためである。表象自体の領野のなかに、主体にとっての何かが代理されているのだが、その主体の刻印のためである。

⋯⋯ここで問題になっている事はまた、ある種の「表象の彼岸」ではない。あるいはラカンが用いるカント的用語における、現象の領域の彼岸ではない。…(ムラデン・ドラ―2016, Mladen Dolar, Anamorphosis, pdf

蓮實重彦は21世紀に入ってからも「表象の奈落」というが、これは「表象の非全体」のことに他ならない。

「批評」は、本質的に言い換えの作業にほかならない。翻訳とも呼べるその作業は、言い換えるべき対象としての他者の言説の中でまどろんでいるしかるべき記号に触れ、それを目覚めさせることから始まる。数ある記号のどれに触れて目覚めさせるかで、読む主体の「動体視力」が問われることにもなろうが、それは、読むことで、潜在的なものを顕在化させる作業だといってよい。その覚醒によって、他者の言説は、誰のものでもない言説へと変容する。その変容は、 “できごと” として生起し、「批評」の主体をもいくぶんか変容させずにはおくまい。言い換えれば、その二重の変容を通して、とりあえずの翻訳におさまるのだが、「批評」は、それがあくまでとりあえずのものでしかないことを知っている。また、それを知らねば、たんなる「厚顔無恥」に陥るほかはない。

決定的な翻訳にたどりつくことなく、「厚顔無恥」に陥ることも避けながら、とりあえずの翻訳にとどまるしかない「批評」は、あるとき、その宿命として、「表象の奈落」を目にする。そこには、もはや、他者の言説など存在せず、覚醒すべき記号さえ見あたらない。その視界ゼロの世界で、とりあえずのものでしかないにせよ、主体にこの不断の翻訳をうながすものは何か、どんな力に導かれて「批評」は記号の覚醒を目ざしたりするのか、それが物として生みだされるのではなく、事件として起こることを許すものは何か、等々、いくつもの声として響かぬ疑問を前にして、人は言葉を失う。「批評」が「批評」を超えた何かに触れることで陥る失語に言葉を与えるものは、もはや「批評」ではない。だかれといって、それが「哲学」かといえば、それは大いに疑わしい。(蓮實重彦『表象の奈落』2006)

⋯⋯⋯⋯

最後にジジェクによる現実界の定義を掲げておこう。

現実界 The Real は、象徴秩序と現実 reality とのあいだの対立が象徴界自体に固有のものであるという点、内部から象徴界を掘り崩すという点にある。すなわち、現実界は象徴界の非全体 pas-tout である。一つの現実界 a Real があるのは、象徴界がその外部にある現実界を把みえないからではない。そうではなく、象徴界が十全にはそれ自身になりえないからである。

存在 being(現実 reality)があるのは、象徴システムが非一貫的で欠陥があるためである。なぜなら、現実界は形式化の行き詰りだから。この命題は、完全な「観念論者」的重みを与えられなければならない。すなわち、現実 reality があまりに豊かで、したがってどの形式化もそれを把むのに失敗したり躓いたりするというだけではない。現実界 the Real は形式化の行き詰り以外の何ものでもないのだ。濃密な現実 dense reality が「向こうに out there」にあるのは、象徴秩序のなかの非一貫性と裂け目のためである。 現実界は、外部の例外ではなく、形式化の非全体 pas-tout 以外の何ものでもない。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012、私訳)


2017年8月30日水曜日

先史時代人と母との遭遇

折口信夫は「文学の起源」を「神授の呪言」だと言っている。

信仰に根ざしある事物だけが、長い生命を持つて来た。ゆくりなく発した言語詞章は、即座に影を消したのである。私は、日本文学の発生点を、神授(と信ぜられた)の呪言に据ゑて居る。(折口信夫「国文学の発生」)

折口信夫が徹底的に美しいのは、こういう箇所である。

たゞ今、文学の信仰起原説を最頑なに把つて居るのは、恐らくは私であらう。性の牽引や、咄嗟の感激から出発したとする学説などゝは、当分折りあへない其等の仮説の欠点を見てゐる。さうした常識の範囲を脱しない合理論は、一等大切な唯の一点をすら考へ洩して居るのである。音声一途に憑る外ない不文の発想が、どう言ふ訣で、当座に消滅しないで、永く保存せられ、文学意識を分化するに到つたのであらう。恋愛や、悲喜の激情は、感動詞を構成する事はあつても、文章の定型を形づくる事はない。又第一、伝承記憶の値打ちが、何処から考へられよう。口頭の詞章が、文学意識を発生するまでも保存せられて行くのは、信仰に関聯して居たからである。信仰を外にして、長い不文の古代に、存続の力を持つたものは、一つとして考へられないのである。(折口信夫「国文学の発生(第四稿) 唱導的方面を中心として 」)

もちろん「神授の呪言」における「神」や「呪言」をそのまま受けとるのではなく、現在のわれわれにとって神や呪言とは何かを問えばいいのである。ラカンは、神とは実は女のことだと言った。そしてわれわれの起源として母の舌語(ララング lalangue maternelle)、そのリトルネロを語った。

いずれにせよわれわれだれもが先史時代を経てきている。

私たちは成人文法性成立以前の記憶には直接触れることができない。本人にとっても、成人文法性以前の自己史はその後の伝聞や状況証拠によって再構成されたものである。それは個人の「考古学」によって探索される「個人的先史時代」である。縄文時代の人間の生活や感情と同じく、あて推量するしかない。これに対して成人文法性成立以後は個人の「歴史時代」である。過去の自己像に私たちは感情移入することができる。(中井久夫「外傷性記憶とその治療ーー 一つの方針」初出2003年『徴候・記憶・外傷』)

冒頭の折口の文を読んで、蓮實重彦が吉本隆明を引用しつつ書かれた70年代の文の「真意」にようやく接近した心持がする。

実は、この狩猟人と海との遭遇を、人類の歴史的な一時期に、ことによったらありえたかもしれない事実としてではなく、言語的な環境にあってたえず起こりつつあるはずなのに、それが不断に起りそびれていることへのいきどおりに近いものとして想像している吉本隆明を認めること(蓮實重彦)

もっとも以下で記そうとしていることは、「狩猟人と海との遭遇」とは、個人の発達段階においては「個人的先史時代人と母との遭遇」ではなかろうか、ということだが。

さて蓮實重彦文をもうすこし長く引用しておく。

……たとえばそれを「文化」の領域に据えてみた場合、マルクス、フロイト、ソシュール、レヴィ=ストロースといった「文化」的相貌のもとにたやすく傷つく無数の言葉を孕み持った吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』と題された一冊の書物は、「言語学」、「精神分析」、「文化人類学」などの「文化」的体系の中に住まう言葉からの執拗な、そして執拗であるからにはおのずとその限界を露呈せざるをえない攻撃にさらされており、もちろん、その攻撃のいっさいが無償の饒舌だとは断定しえないが、にもかかわらずなお吉本氏の言葉が言葉として自分を支えうるのは、それが言葉自身の孕む夢を虚構として切り捨ててはいないからだ。「たとえば狩猟人が、ある日はじめて海岸に迷いでて、ひろびろと青い海をみたとする」と吉本氏は「発生の機構」と題された冒頭の一節で「言語の本質」を探りつつ書いている。「人間の意識が現実的反射の段階にあったとしたら、海が視覚に反映したときある叫びを〈う〉なら〈う〉と発するはずである。また、さわりの段階にあるとすれば、海が視覚に映ったとき意識はあるさわりをおぼえ〈う〉なら〈う〉という有節音を発するだろう。このとき〈う〉という有節音は海を器官が視覚的に反映したことにたいする反映的な指示音声であるが、この指示音声のなかに意識のさわりがこめられることになる。また狩猟人が自己表出のできる意識を獲取していれば〈海(う)〉という有節音は自己表出として発せられて、眼の前の海を直接的にではなく象徴的(記号的)に指示することになる。このとき、〈海(う)〉という有節音は言語としての条件を完全にそなえることになる」。

差異の概念を導入することなく音声の記号化に言及しているという意味でまさか、と言語学者は絶句するだろうし、言語学者ならずともそれに似た反応をみせるに違いないこの段落において、動物的な条件反射から意識的なしこりをへて自己表出としての指示性を獲得するという言語発生をめぐる吉本的な語彙の強引な展開ぶりに苛立つことは、ほとんど意味を持っておらず、狩猟人と青い海との遭遇によって、フランス人ロラン・バルトが日本語のうちに認めた言語的理想郷と同質の風景を構築した吉本氏が、「われわれの内部で西欧(日本)の総体が動揺し、父親たちから受けついだ国語がぐらりと揺れるにいたるまで、翻訳不能なるものの振動を感知し、それを決して減衰させずにおきたいという夢」をそのきわめて具体的な相貌において記述しているという点がまず何よりも重要なのだ。もちろんここでの吉本的な狩猟人は、西欧人バルトが苛立っている「体系」の重みをまったく背負っていないかにみえるが、実は、この狩猟人と海との遭遇を、人類の歴史的な一時期に、ことによったらありえたかもしれない事実としてではなく、言語的な環境にあってたえず起こりつつあるはずなのに、それが不断に起りそびれていることへのいきどおりに近いものとして想像している吉本隆明を認めることこそが、言語の夢にふさわしい読み方というものだ。おそらく海ばかりでなく「青さ」そのものを知らなかった吉本氏の狩猟人は、それを色彩として捉えうる瞳を持たぬままに、自然が洩らしたとも知れぬ〈う〉の音の声としては響かぬ共鳴ぶりに捉えられて立ちつくし、それがまだ聴いたことのないある響きに酷似していることをすばやく察知するに違いない。(蓮實重彦「言葉の夢と「批評」」『表層批判宣言』所収)

「たとえば狩猟人が、ある日はじめて海岸に迷いでて、ひろびろと青い海をみたとする」を読み換えてみよう。「たとえば個人的先史時代人が、ある日はじめて世界に迷いでて、最初の誘惑者に遭遇したとする」。

…生物学的要因とは、人間の幼児がながいあいだもちつづける無力さ(寄る辺なさ Hilflosigkeit) と依存性 Abhängigkeitである。人間が子宮の中にある期間は、たいていの動物にくらべて比較的に短縮され、動物よりも未熟のままで世の中におくられてくるように思われる。したがって、現実の外界の影響が強くなり、エスからの自我に分化が早い時期に行われ、外界の危険の意義が高くなり、この危険からまもってくれ、失われた子宮内生活をつぐなってくれる唯一の対象は、極度にたかい価値をおびてくる。この生物的要素は最初の危険状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない「愛されたいという要求 Bedürfnis, geliebt zu werden」を生みだす。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)
母は、子供を滋養するだけではなく、世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を彼(女)に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとっての最初の「誘惑者 Verführerin」になる。この二者関係 beiden Relationen には、独自の、比較を絶する、変わりようもなく確立された母の重要性 Bedeutung der Mutterの根が横たわっている。全人生のあいだ、最初の最も強い愛の対象 Liebesobjekt として、のちの全ての愛の関係性Liebesbeziehungen の原型としての母ーー男女どちらの性 beiden Geschlechternにとってもである。(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』草稿、死後出版、1940、私訳)

このフロイトをめぐるラカン派の解釈については後述することにして、ここでは蓮實の『表層批判宣言』における折口信夫の『古代研究』に感嘆する西郷信綱への言及をまず引用しておく。

……「社会」と「個人」という対立の捏造が古代文学をも犯す「制度」になってしまっている現実を苦々しく喚起するのは、ここでは詳述しがたい理由によって井上究一郎とともに現代日本が持ちえた最大の「批評家」として位置づけうるべき西郷信綱である。たとえば「増補・詩の発生」(未来社)におさめられた「文学意識の発生」において、「文学の発生」という彼自身の主題の上を旋回しつづける二冊の書物、風巻景次郎の『文学の発生』と折口信夫の『古代研究』がもたらした感銘について語りながら、その主題探求の一時期に「人間の自我意識」という「近代的な概念」(“近代”傍点 原文)のみに立脚したおのれの方法的混乱を告白している。そしてその混乱は、一般に文学以前と想定される「非文学」の中に、「観念や意識ではなく、形であり造型である」文学の姿をいわば野性の思考として解き放つべく決意したときに解消されたのであり、その苦々しい体験から、「批評」が、井上究一郎の『失われた時を求めて』の翻訳にも比較すべき『古事記注釈』(平凡社)として結実しつつあるのだろうが、その混乱解消の契機となったのが、「社会」と「個人」というあのうんざりするほかない対立の図式の廃棄であったという点は、とりわけ注目されねばなるまい。(蓮實重彦「表層の回帰と「作品」」『表層批評宣言』所収)

こうして蓮實重彦は、90年代には、《「シーニュ」、「シニフィエ」、「シニフィアン」という三つの語彙がきわだたせる言語記号の定義が、ソシュール自身にとっての不幸にとどまらず、いまやその決算期にさしかかりつつある二〇世紀的な「知」の体系が蒙りもした最大の不幸なのもかしれぬという視点が、しかるべき現実感を帯び始めているのはまぎれもない事実だといわねばならない》(蓮實重彦「「魂」の唯物論的擁護にむけて」 1993年)と言うことになる。

上に引用したように西郷信綱は《観念や意識ではなく、形であり造型である》文学、その野性の思考ということを言っているが、ラカン派では言語の物質性(純シニフィアンの物質性)の強調、あるいはこの物質性にかかわるララングについて次のように言われたりする。

身体とララングとの最初期の衝撃。これが、法なき現実界、論理規則なき現実界を構成する。choc initial du corps avec lalangue, ce réel sans loi et sans logique.(ミレール2012、Présentation du thème du IXème Congrès de l'AMP par JACQUES-ALAIN MILLER)

…………

 ーー《ここでニーチェの考えを思い出そう。小さなリフレイン petite rengaine、リトルネロ ritournelle としての永遠回帰。しかし思考不可能にして沈黙せる宇宙の諸力を捕獲する永遠回帰。》(ドゥルーズ&ガタリ『ミラ・プラトー』1980年)

ラカンにとってリトルネロとは、母の言葉である。

リトルネロとしてのララング(母の舌語)lalangue comme ritournelle (Lacan、S21,08 Janvier 1974)

この母の言葉が反復強迫=永遠回帰する。

ラカンは神とは実は女のことだ、と言っている。

精神分析が明らかにしたのは、〈神〉とは単に《女 〉La femme》だということである。 ……Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ».(ラカン、S23、16 Mars 1976ーー玄牝之門・コーラ χώρα・ゾーエー Zoë

こんなことはじつはーー無意識的にはーー誰もが知っている。最も静かな時間に訪れるのは母なる「女主人」である。知らないのは「最も静かな時間」を知らない連中だけである。

きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻 stillste Stunde がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人 meiner furchtbaren Herrinの名だ。

……彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるだろうか。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」)

「わたしの恐ろしい女主人」とは、アリアドネの声、母の声(音調)、そのリトルネロ、母のララングである。 lalangue(ララング)とはまず、喃語 lalationにかかわる。

言語リズムの感覚はごく初期に始まり、母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生れてくる。喃語はそれが洗練されてゆく過程である。さらに「もの」としての発語を楽しむ時期がくる。精神分析は最初の自己生産物として糞便を強調するが、「もの」としての言葉はそれに先んじる貴重な生産物である。成人型の記述的言語はこの巣の中からゆるやかに生れてくるが、最初は「もの」としての挨拶や自己防衛の道具であり、意味の共通性はそこから徐々に分化する。もっとも、成人型の伝達中心の言語はそれ自体は詰まらない平凡なものである。(中井久夫「「詩の基底にあるもの」―――その生理心理的基底」『家族の肖像』1996所収)

《「もの」としての言葉》と記す中井久夫には、「音調」のニーチェ(参照)はもとより、「ララング」や「言語の物質性」のラカン、あるいは折口信夫や西郷信綱、吉本隆明がいる、としてよいだろう。

ラカンは後年、眼差しと声を対象aの主要な化身として分離した。しかし彼の初期理論は眼差しが疑いようもなく特権化されている。だが声はある意味ではるかに際立ち根源的である。というのは声は生命の最初の顕現ではないだろうか?自身の声を聴き、人の声を認知する経験、これは鏡像における認知に先行するのではないか?そして母の声は最初の〈他者〉との問題をはらむつながりではないか?臍の尾に取って換わる非物質的な絆であり、最初期の生のステージの運命の多くを形作るものではないか?(ムラデン・ドラー  『Gaze and Voice as Love Objects』私訳)

◆喃語をしゃべる生後10ヶ月の赤ちゃん




わたくしが知りえたララングの最もすぐれた定義文を、仏女流ラカン派第一人者のコレット・ソレールの近著(ブルース・フィンク英訳2016)から引用しよう。

最初期、われわれの誰にとっても、ララング lalangue は音声の媒体から来る。幼児は、他者が彼(女)に向けて話しかける言説のなかに浸されている。子供の身体を世話することに伴う「母のおしゃべり」(母のララング lalangue maternelle)はこの幼児を情動化する。あらゆることが示しているのは、母の声による情動は意味以前のものであるということである。差分的要素は言葉ではなく、どんな種類の意味も欠けている音素である。母のおしゃべりの谺である子供の片言ーーあるいは喃語 lallationーーは、音声と満足とのあいだの連結を証している。それはあらゆる言語学的統辞や意味の獲得に先立っている。ラカンは強調している、前言葉 pré-verbal 段階のようなものはない、だが前論弁的 pré-discursif 段階はある、と。というのはララング lalangue は言語 language ではないから。

ララングは習得されない。ララングlangageは、幼児を音声・リズム・沈黙の蝕éclipse等々で包む。ララングlangageが、母の舌語(la dire maternelle) と呼ばれることは正しい。というのは、ララングは常に(母による)最初期の世話に伴う身体的接触に結びついている liée au corps à corps des premiers soins から。フロイトはこの接触を、引き続く愛の全人生の要と考えた。

ララングは、脱母化をともなうオーソドックスな言語の習得過程のなかで忘れられゆく。しかし次の事実は残ったままである。すなわちララングの痕跡が、最もリアル、かつ意味の最も外部にある無意識の核を構成しているという事実。したがってわれわれの誰にとっても、言葉の錘りは、言語の海への入場の瞬間から生じる、身体と音声のエロス化の結び目に錨をおろしたままである. (コレット・ソレール2011, Colette Soler, Les affects lacaniens)

折口のいう文学の信仰起原(文学音声一途に憑る外ない不文の発想)、《神授(と信ぜられた)の呪言》は、現代のわれわれにとっては母のリトルネロ(ララング)として解釈されうる。母のララング、すなわち母の呪言=神授の呪言。

「アリアドネ」とディオニュソスが言った。「おまえが迷宮だ。」Ariadne, sagte Dionysos, du bist ein Labyrinth: (ニーチェ遺稿、1887年)

どの女にも母の影は落ちている。それがニーチェのアリアドネヴァリエーションである。

アリアドネはコジマ・ワーグナーだけもなく、ルー・アンドレアス・サロメだけでも彼の妹エリザベートだけでもない。その底には、真の迷宮としての母の呪言がある。

ニーチェは自白しているではないか。

わたしに最も深く敵対するものを、すなわち、本能の言うに言われぬほどの卑俗さを、求めてみるならば、わたしはいつも、わが母と妹を見出す、―こんな悪辣な輩と親族であると信ずることは、わたしの神性に対する冒瀆であろう。わたしが、いまのこの瞬間にいたるまで、母と 妹から受けてきた仕打ちを考えると、ぞっとしてしまう。彼女らは完璧な時限爆弾をあやつって いる。それも、いつだったらわたしを血まみれにできるか、そのときを決してはずすことがないのだ―つまり、わたしの最高の瞬間を狙ってin meinen höchsten Augenblicken くるのだ…。そ のときには、毒虫に対して自己防御する余力がないからである…。生理上の連続性が、こうした 予定不調和 disharmonia praestabilita を可能ならしめている…。しかし告白するが、わたしの本来の深遠な思想である 「永遠回帰」 に対する最も深い異論とは、 つねに母と妹なのだ。― (ニーチェ『この人を見よ』--妹エリザベートによる差し替え前の版 Friedrich Wilhelm Nietzsche: Ecce homo - Kapitel 3

ルー・アンドレアス・サロメは1894年にすでに次のように指摘している。

私にとって忘れ難いのは、ニーチェが彼の秘密を初めて打ち明けたあの時間だ。あの思想を真理の確証の何ものかとすること…それは彼を口にいえないほど陰鬱にさせるものだった。彼は低い声で、最も深い恐怖をありありと見せながら、その秘密を語った。実際、ニーチェは深く生に悩んでおり、生の永遠回帰の確実性はひどく恐ろしい何ものかを意味したに違いない。永遠回帰の教えの真髄、後にニーチェによって輝かしい理想として構築されたが、それは彼自身のあのような苦痛あふれる生感覚と深いコントラストを持っており、不気味な仮面 unheimliche Maske であることを暗示している。(ルー・サロメ、Lou Andreas-Salomé Friedrich Nietzsche in seinen Werken, 1894)

輝かしい理想としての永遠回帰は「不気味なもの」の仮面にすぎない(参照:不気味な仮面と反復強迫)。そしてその不気味なものの核心は、母のリトルネロ(ララング)である。

この「母の呪言」の「母」は、イマジネールな母ではない。大文字の母、母なる偉大な神としての母である。すなち誰にとっても原初にある《偉大な母なる神 große Muttergottheit》(『モーセと一神教』1939)、あるいは「原母 Urmutter」(ポール・バーハウ、1999)である。

〈母〉、その底にあるのは、「原リアルの名 le nom du premier réel」である。それは、「母の欲望 Désir de la Mère」であり、シニフィアンの空無化 vidage 作用によって生み出された「原穴の名 le nom du premier trou 」である。(コレット・ソレール、C.Soler « Humanisation ? »2013-2014セミネールーー「S(Ⱥ)、あるいは欠如と穴」)

この「原穴の名」としての母、その呪言が恐ろしい理由を、死の直前のデリダがたくみに指摘している。

鳩が横ぎる。ツァラトゥストラの第二部のまさに最後で。「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」。

最も静かな時刻は語る。私に語る。私に向けて。それは私自身である。私の時間。私の耳のなかでささやく。それは、私に最も近い plus proche de moi。私自身であるかのようにcomme en moi。私のなかの他者の声のようにcomme la voix de l'autre en moi。他者の私の声のように comme ma voix de l'autre。

そしてその名、この最も静かな時刻の名は、《わたしの恐ろしい女の主人》である。

……今われわれはどこにいるのか? あれは鳩のようではない…とりわけ鳩の足ではない。そうではなく「狼の足で à pas de loup」だ…(デリダ、2004、Le souverain bien – ou l’Europe en mal de souveraineté La conférence de Strasbourg 8 juin 2004 JACQUES DERRIDA

母の呪言が恐ろしいのは、それが鳩の足で近づいてくるように感じられても、実際は狼の足であるからである。すなわち狼に貪り喰われる恐怖である。母なるオルギア(距離のない狂宴)の「声なき声」は、融合不安をももたらす。《…そのとき、声なき声がわたしに語った Dann sprach es ohne Stimme zu mir「おまえはそれを知っているではないか Du weisst es」》ーー《このささやきを聞いたとき、わたしは驚愕の叫び声をあげた。顔からは血が引いた。》(ツァラトゥストラ)



2017年2月28日火曜日

蓮實重彦と藤枝静男

・短篇集『愛国者たち』は、人を不条理な絶句ぶりへ導くしかないただならぬ言葉を宙に漂わせ、『美しい』という一言を口にせよと強要してかかる。

・文学という制度的な場にあって、『山川草木』『風景小説』といった作品群の口にする言葉が(……)まるで声として大気をふるわせることを恥じているかのように、言葉が生まれ落ちようとする瞬間に口をつぐんでしまうがゆえに、これは途方もなく『美しい』のだ。

・藤枝にとって、書くとは、無限の『分枝』を演ずる言葉を前にした不断の『迷い』そのものであったはずだ。そのおぼつかない仕草を模倣しつつ、だからわれわれも『迷う』姿勢をうけ入れ、『作家』藤枝静男の言葉をただ『美しい』とだけ書いておこう。(蓮實重彦

蓮實重彦の強烈な「恋文」である。

人がこのような強い愛を抱くほとんどの場合、その原因は作品の質に由来するだけではない。作品に彼が書き込まれているから、強い愛が生まれる。その徴をーードゥルーズ的には純粋現前 présentations pures  ・純粋差異 pure différence  ーー、たとえばフロイトなら「一の徴einzigen Zug」といい、ラカンなら同じく「一の徴 trait unaire」、「一のようなものがある Ya d’l’Un」(純粋差異 différence pure)、あるいは対象a、ロラン・バルトならプンクトゥムと呼ぶ。

フロイトの《同情は「一の徴 einzigen Zug」との同一化によって生まれる》とは、愛は「一の徴」との同一化によって生れると言い換えうる。

次のラカン文の眼差しとは、欲望の原因としての対象aのひとつである。

…眼差し regard は、例えば、誰かの目を見る je vois ses yeux というようなことを決して同じではない。私が目すら、姿すら見ていない誰かによって自分が見られていると感じることもある。Je peux me sentir regardé par quelqu'un dont je ne vois pas même les yeux, et même pas l'apparence,。他者がそこにいるかもしれないことを私に示す何かがあればそれで十分である。

例えば、この窓、あたりが暗くて、その後ろに誰かがいると私が思うだけの理由があれば、その窓はその時すでに眼差しである。こういう眼差しが現れるやいなや、私が自分が他者の眼差しにとっての対象になっていると感じる、という意味で、私はすでに前とは違うものになっている。(ラカン、S.1)

愛する芸術作品があなたを眼差すことを経験したことがないだろうか ? もしあったなら、それが対象aでありプンクトゥムである。

ロラン・バルトのプンクトゥムについては、ジャック=アラン・ミレールが最近になって、プンクトゥムはラカン=アリストテレスの 「テュケーTuché」だといっているが( jacques-alain miller 2011,L'être et l'un)、『明るい部屋』のなかに、《「偶然 la Tuché」の、「機会 l'Occasion」の、「遭遇 la Rencontre」の、「現実界 le Réel」の、あくことを知らぬ表現》とあり、まさにセミネールⅩⅠにおけるラカンの言葉をそのまま使用している。これは、後年のラカンの《書かれぬことをやめぬもの ce qui ne cesse de ne pas s'écrire》(Lacan, S.20)、あるいはトラウマ(穴ウマ troumatisme)でもある。

ストゥディウム(studium)、――、この語は、少なくともただちに《勉学》を意味するものではなく、あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する。その思い入れには確かに熱意がこもっているが、しかし特別な激しさがあるわけではない。
プンクトゥム(punctum)、――、ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。(……)プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことであり――しかもまた骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。(『明るい部屋』)

《ストゥディウムは、好き(to like)の次元に属し、プンクトゥムは、愛する(to love)の次元には属する》。

たいていの場合、プンクトゥムは《細部》である。つまり、部分対象 objet partiel である。それゆえ、プンクトゥムの実例をあげてゆくと、ある意味で私自身を引き渡すことになる。(『明るい部屋』)
ある種の写真に私がいだく愛着について(……)自問したときから、私は文化的な関心の場(ストゥディウム le studium)と、ときおりその場を横切り traverser ce champ やって来るあの思いがけない縞模様 zébrure とを、区別することができると考え、この後者をプンクトゥム le punctum と呼んできた。さて、いまや私は、《細部》とはまた別のプンクトゥム(別の《傷痕 stigmate》)が存在することを知った。もはや形式ではなく、強度 intensité という範疇に属するこの新しいプンクトゥムとは、「時間 le Temps」である。「写真」のノエマ(《それは = かつて = あった ça—a-été》)の悲痛な強調であり、その純粋表象 représentation pure である。ーー「偶然/遇発性(Chance/Contingency)

さらにはこうも引用できる。

「温室の写真」をここに掲げることはできない。それは私にとってしか存在しないのである。読者にとっては、それは関心=差異のない一枚の写真、《任意のもの》の何千という表われの一つにすぎないだろう……読者にとっては、その写真には、いかなる心の傷もないのである。(同『明るい部屋』)

対象aもプンクトゥムも「あなたの中にはなにかあなた以上のもの」であり、「自我であるとともに、自我以上のもの」である。

あなたの中にはなにかあなた以上のもの、〈対象a〉 quelque chose en toi plus que toi, qui est cet objet(a)(ラカン、セミネール11) 
……自我であるとともに、自我以上のもの(内容をふくみながら、内容よりも大きな容器、そしてその内容を私につたえてくれる容器)だった。 il était moi et plus que moi (le contenant qui est plus que le contenu et me l’apportait). (プルースト『ソドムとゴモラ Ⅱ』「心情の間歇」)

…………

藤枝静男の作品に蓮實重彦のプンクトゥムが書き込まれているのは、すこし読むだけで瞭然とする。

金剛石も磨かずば
珠の光は添はざらん
人も学びて後にこそ
まことの徳は現るれ

これは昭憲皇太后が作詞して女子学習院に下賜された御歌の冒頭の四行であるが、章は小学生のじぶんに女の教師から習って地久節のたびごとに合唱していたから、今でもその全節をまちがいなく歌うことができるのである。

そのとき章は、この「たま」とは金玉のことであると一人合点で思いこんでいた。それで或る日父に
「父ちゃん、なぜ女が金玉を磨くだかえ」
と訊ねた。すると父は、
「なによ馬鹿を言うだ」
と答えた。しかし後々まで、不合理とは知りながらも、章の脳裡には、裾の長い洋服に鍔広の帽子をかぶった皇太后陛下が、どこかで熱心に睾丸を磨いている光景が残った。今でもこの歌を思い出すたびに(ごく微かにではあるが)同じ映像の頭に浮かぶことを防ぎ得ないのである。

こういうことを書いて何を言おうとするわけでもない。

次手に言うと、章は同じく小学校入りたての七つ八つのころ父から「蒙求」と「孝経」の素読を授けられていたが、ときおり父が「子曰ク」という個所を煙管の雁首で押さえながら「師の玉あ食う」と発音してみせて、厭気のさしかかった章を慰めるようなふうをしたことを、無限の懐かしさで思い起こすことができる。多分、父はかつての貧しい書生生活のなかで、ある日そういう読みかたを心に考えつき、それによって僅かながらでもゆとりと反抗の慰めを得たのであったろう。そしてその形骸を幼い章に伝えたのであろうと想像するのである。(藤枝静男「土中の庭」1970初出)

藤枝文学においてその父親のイメージがまとっている鮮烈な抒情、そして愛と呼ぶにはあまりに寡黙なその言動につつまれて藤枝少年が過ごした大正期の東海地方の風景といったものの美しさについては、すでに度々書く機会を持ったので、もう繰り返すにはおよばない。『藤枝静男著作集』も刊行され始めたので、まさに「毅」の一語がこの作者のために存在しているとしか思えない文章に、じかに触れていただくことにする。と、ここまで書いてきた瞬間、机上の電話が鳴って、受話器のむこう側から、遂に藤枝さんに確定しましたというはずんだ声が鼓膜をふるわせる。本年度の谷崎潤一郎賞が、藤枝静男氏に決定したというニュースを、親しい編集者の安原顯氏が知らせてくれたのである。われわれは、こんなとき誰もが口にする祝福の言葉をかわしあってたがいの喜びを確認しあうのだが、しかしその喜びには、どこかがっかりしたような調子がただよっている。すでにその名声が高まっているとはいえ、これを機に、あれほど絶版が続いて読むのがむずかしかった藤枝文学が、とうとう読者の前にいかにもたやすく投げだされてしまうことを、二人してそれと口にせずに惜しんでいるようだ。

そうか、藤枝氏が谷崎賞を受賞されることになったのか。まるで年甲斐もない恋文のような藤枝静男論を発表したばかりのころ、安原氏の後について行って一度だけお逢いしたことのある藤枝氏に心からの祝福をささげながらも、これでは何かできずぎているような気がする。この一文を『欣求浄土』の「土中の庭」の冒頭の挿話から始めたものの、残りがどんなふうに書きつがれ、どんなふうに書き終わるのか、不意にわからなくなってしまう。藤枝氏にならって、「こういうことを書いて何を言おうとするわけでもない」と書き記し、しかしいつとはなしに一篇がいかにも「毅」の字にふさわしく書きつがれてゆく言葉を絶ち切るといって芸当はどうもできそうにない。いったい、どうすればよいか。(蓮實重彦「皇太后の睾丸」『反=日本語論』所収)

《昭憲皇太后が作詞して女子学習院に下賜された御歌の冒頭》、そして《藤枝少年が過ごした大正期の東海地方の風景》とあった。

蓮實鉄太郎

正五位勲三等功四級
明治5、旧黒羽藩祐筆、栃木県士族・蓮實啓之進の長男
陸軍士官学校
陸軍歩兵中佐、静岡俘虜収容所長
蓮實重康

明治37、鉄太郎二男
蓮實重康(はすみ しげやす、1904年5月30日 - 1979年1月11日)は、日本美術史学者、元京都大学教授。東京市麻布生まれ。

旧制静岡中学、旧制静岡高等学校を経て、1930年京都帝国大学哲学科(美学専攻)卒業、同大学院進学、1932年帝室博物館美術課嘱託、1941年同鑑査官、出征ののち、1952年奈良国立博物館学芸課長、1957年京都大学文学部助教授、1960年教授。1961年 「雪舟等揚―その人間像と作品」で京都大学文学博士、1968年定年退官、東海大学文学部教授。

東大総長を務めた蓮實重彦の父。
妻・田鶴子
大正2、内大臣秘書官・小野八千雄二女
小野八千雄 従五位勲四等

明治11、長野、小野八雄長男
昭和3、家督相続
長野県立中学卒
宮内省東宮職、掌典、皇太后宮職御用掛、内大臣秘書官

蓮實重彦の父蓮實重康は、1904年生れとあった。

藤枝静男(ふじえだ しずお、1907年12月20日 - 1993年4月16日)は、日本の作家、眼科医。本名勝見次郎。静岡県藤枝出身

成蹊学園から名古屋の旧制第八高等学校を経て1936年に千葉医科大学(現在の千葉大学医学部)を卒業。伊東弥恵治に師事した。勤務医生活ののち独立、1950年から浜松市で眼科医院を営む傍ら、小説を書き続けた。1968年『空気頭』で芸術選奨文部大臣賞、1974年『愛国者たち』で平林たい子文学賞、1976年『田紳有楽』で谷崎潤一郎賞、1979年には『悲しいだけ』で野間文芸賞を受賞。

だが、《こういうことを書いて何を言おうとするわけでもない》。

こういった事実関係を《精神分析的に解読した場合になる解釈……そんな解釈を得意がって提起するほどわれわれは文学的に破廉恥ではないつもりだ。そうした事実とは、どんな不注意な読者でも見逃しえない図式として、そこに露呈されているだけなのである》(蓮實重彦『小説から遠く離れて』)

とはいえ最も肝腎なのは次のことである。

我々のどの印象もふたつの側面を持っている。《あらゆる印象は、二重構造になっていて、なかばは対象の鞘におさまり、他の半分はわれわれ自身の内部にのびている A demi engainée dans l'objet, prolongée en nous-même par une autre moitié que seul nous pourrions connaître》(プルースト)。それぞれのシーニュはふたつの部分を持っている。それはひとつの対象を指示しdésigne、他方、何か別のものを徴示する signifie。客観的側面は、快楽 plaisir、直接的な悦楽 jouissance immédiate 、それに実践 pratique の側面である。

我々はこの道に入り込む。我々は《真理》の側面を犠牲にする。我々は物を再認reconnaissons する。だが、我々は決して知る connaissons ことはない。我々はシーニュが徴示すものを、それが指示する存在や対象と混同してしまう。我々は最も美しい出会いのかたわらを通り過ぎ、そこから出て来る要請 impératifs を避ける。出会いを深めるよりも、容易な再認の道を選ぶ。ひとつのシーニュの輝きとして印象の快楽を経験するとき、我々は《ちぇ、ちぇ、ちぇ zut, zut, zut 》とか、同じことだが《ブラボー、ブラボー》とかいうほかない。すなわち対象への賞賛を表出する表現しか知らない。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

《われわれ自身の内部にのびている》最も美しい出会いを深めた批評文が蓮實重彦にあったか否かは、あなたの判断にお任せする。

(ここで丸括弧付きでこっそり挿入しておくが、蓮實重彦の藤枝讃における「美しい」の連発は、「ブラボー」連発とどう異なるのか? ーーという問いがあってもいいはずである、もっとも次のようにオッシャッテオラレルのを知らないわけではない・・・、《‟美しい”という言葉を僕はよく使うことがあるんだけれども、その「美しい」という言葉は全部フィクションで、現実の美しさにも、共同体が容認するイメージにも絶対に到達することがないと確信しているがゆえに使っているにすぎないのです》(『闘争のエチカ』))。

いずれにせよ『反=日本語論』はーーいまでは言及されることが少ないがーー、蓮實が最も直接に自らの内部にのびている何ものかに近づいた書き物のひとつに他ならない、とわたくしは思う。

誰もが「金剛石を磨かずば」の歌に似た一人合点の勘違いの体験を持っているはずだ。そして、後にその誤りが正されてからも、当初の勘違いが「ごく微かにであるが」生き伸びたりするものだ。たとえばその後に獲得しえた漢字の知識によって「シャベルで掘る人/鶴嘴で掘る人/道普請の工夫さん/一生懸命働く」と再現しうる奇妙な歌を戦時下の幼稚園で声をはりあげて何度もおさらいをしていた少年にとって、銃後のまもりを強調するものであったのだろう「道普請の工夫さん」の一行は、セーヨーケンとかマツモトローとかに類する西洋料理屋の一つミシブチンで働くコックさん以外のものでありえようはずもなかった。それだから、白く長くとんがり帽子を頭の上で揺さぶりながら甲斐甲斐しく働く何人ものコックたちが、シャベルやツルハシで何やら大きな鍋をかきまわしている光景が、今日に至るも心のかたすみにごく曖昧ながらも消えずに残っている。
藤枝氏にならって「次手に言うと」、このミシブチンの少年の頭脳は、ゾケサなるもののイメージをもありありと思い描くことができる。「明けてぞ今朝は/別れ行く」という『蛍の光』の最後の一行に含まれる強意の助詞「ぞ」の用法を理解しえなかった少年は、なぜか佐渡のような島の顔をした「ゾケサ」という植物めいた動物が、何頭も何頭も、朝日に向かってぞろぞろと二手に別れて遠ざかってゆく光景を、卒業式の妙に湿った雰囲気の中で想像せずにはいられないのだ。ゾケサたちは、たぶん彼ら自身も知らない深い理由に衝き動かされて、黙々と親しい仲間を捨てて別の世界へと旅立ってゆくのだろう。生きてゆくということは、ことによると、こうした理不尽な別れを寡黙に耐えることなのだろうか、可哀そうなゾケサたちよ。(蓮實重彦『『反=日本語論』)

もちろんこのエッセイ集をわたくしが愛するのは、最初に蓮實重彦という人物の書き物を読んだのがこの書でありーー学生時代四畳半の下宿の万年床で寝転がって読んだことまで覚えているーー、わたくしの対象aがこの書に書き込まれているせいでもある、ということが言える。その対象aは上に掲げた文ではないが、--《ああ、久しぶりに、海がみたいと妻は時折り嘆息する。ああ、海がみたい。》





2017年2月9日木曜日

エビデンスに基づく「科学的」精神

神田橋條治)…わたくしは EBM をめぐってイライラしていた。EBM(エビデンスに基づく医療)推進派の意見は正当なものだと思えるのに、わたくしの中では嫌悪感が湧くのだった。(……)イライラから注意をそらさないことで連想が進んだ。そして分かった。EBM は医療の場に多数決を持ち込むことであり、患者とはおおむね少数者であり少数者に寄り添うという医療者の体質となじまないのだと分かった。(……)

分かったあとで連想すると、多数者が病む状況、例えばインフルエンザへの対策について考えるときには、わたくしのなかに EBM への反感が湧かないことにも気がついた。しかし、教育の場に EBM が導入されると、少数者へ寄り添うという医療者の気質は抑圧されて、公衆衛生行政官のような、正しい判断に終始する臨床家(?)が育つだろうと心配になった。 (『精神科における養生と薬物』 神田橋條治 八木剛平 )

ーーという文をネット上から拾ったので、以下いくらかのメモ。

…………

「エビデンス」という言葉でインターネット上で検索すると、まず医療にかかわるものが多く出現するので、この語が今のように流通するようになった起源とは、もともと「医療」からなのだろうと推測するが、詳しいことは分からない。

まず官僚ーーいわゆる「公衆衛生行政官」の範疇に属するだろう人ーーによって書かれたもの。

◆エビデンスに基づく医療政策の必要性―医療の質と費用対効果―調査と情報―ISSUE BRIEF― NUMBER 907(2016. 3.29.)   国立国会図書館 調査及び立法考査局社会労働課 (田辺智子)、PDF

医療政策に関する議論の中では、「エビデンス」や「科学的根拠」という用語がしばしば 使われる。医療費が増大する中、限られた資源を有効に利用し、医療の質と費用対効果を 高めるために、エビデンスに基づく医療政策の必要性が議論されている。日本でもエビデ ンスの活用が進められているものの、諸外国と比較して遅れている部分も存在する。
「エビデンスに基づく医療」 (Evidence-Based Medicine: EBM)とは、医師が診療を行う際、患者に合った最善のエビデンスに基づいて意思決定を行おうとする医療のあり方である。1991 年にカナダのマクマスター大学の臨床疫学・生物統計学部教授ゴードン・ガイアット (Gordon Guyatt) によって提唱された後、 それまでの経験主義的な医療に代わる新しいパラダイムとして急速に普及し、医療の世界を大きく塗り替えたと言われている。

医療におけるエビデンスとは、治療や予防等の有効性についての信頼性の高い研究結果を意味する。この場合の研究とは、実験室でマウスを使って行うような基礎医学の研究ではなく、人間集団を対象に行われる臨床研究や疫学と呼ばれる研究である。たとえ動物実験によって、ある治療法に効果があると示唆されたとしても、それが種の違いを越えて人間に当てはまるかどうかは、最終的には臨床研究によってしか明らかにできない。

臨床研究の方法にも様々なものがあり、どの研究方法を採用するかによって結果の信頼性は大きく異なる。 有効性を最も厳密に評価できるのは、 対象者を無作為に 2 集団に分け、一方にのみ効果を確認したい治療法を適用し、もう一方の適用しなかった集団と結果を比較する実験(臨床試験)である。ただし、研究対象によっては常にこのような実験が可能なわけではなく、観察研究という方法も用いられる。観察研究には、集団を継続して観察することで疾病と治療法等の関係を分析するコホート研究と、ある集団を対象に過去にさかのぼって調査することで同様の関係性を分析する症例対照研究(ケースコントロール研究)がある。これらと比較すると、単一の症例報告や、多数の症例を集積して報告する症例集積、専門家の意見等は、信頼性のレベルが低いとされる。

ーーいやスバラシイ、《限られた資源を有効に利用し、医療の質と費用対効果を高める》という文がなかったらとても素直に読める・・・

次に小中校の先生によって書かれたもの。

◆エビデンスに基づく教育とは何か(森 俊郎,中井俊之,大村正樹,PDF

医療の世界では, 「エビデンスに基づく医療 (Evidence Based Medicine:EBM)」という言葉がある(名郷,1999)。EBMとは, 「科学的に証明された根拠に基づいて医療行為を行なう」ということである。その背景には, 「これまでずっと行なわれてきた治療方法は正しい」, 「経験豊かな医師の言うことには従い, 口出ししない」, 「少しでも努力した人が早く治せる」, 「24時間懸命に治療すれば必ず治せる」といった, 科学的根拠のない治療が行われてきた歴史があったようである(佐々木,2010)。

しかし近年, この「エビデンスに基づく」という考え方による医療行為が定着しつつある。そして, 医療の分野に留まらず, 「エビデンスに基づく (Evidence Based)」という考え方は現在, 様々な分野に広まりつつある (津谷,2000;岩崎,2012)。

それでは, 教育の場合はどうであろうか。「これまでやってきた指導をあえて変える必要はない」, 「経験豊かな教師が言ったことには従い, 口出ししない」, 「24時間懸命に指導すれば必ず子どもは伸びる」, そんな言葉を耳にしたことはないだろうか。…………
Pollard(2008)は,「 エビデンスは万能薬ではない。しかし, 教育は, 今よりももっとエビデンスに基づく必要がある」と指摘する。筆者も, エビデンスに基づく教育の根底にあるこの考え方を支持したい。

ーーこれもとても「正しい」見解だろう。

次に安永浩のもとで鍛えられ、木村敏から多くを学んできた日本精神病理学の正統的嫡子の代表的一人である内海健の講演より(エビデンスというよりDSM(精神障害の診断と統計マニュアル)批判にかかわるが、その裏にはエビデンス批判(=吟味)があるだろう)。

◆うつ病の臨床診断について 内海健(東京藝術大学保健管理センター、PDF)

現在の DSM の骨格は,第Ⅲ版(1980 )で作られました.当時,策定に当たった Andreasenら中大西洋学派を中心とするメンバーは,精神科診断から精神分析を一掃し,そこに彼らの信奉する欧州の精神病理学を導入しました.周知のことですが,DSM の第Ⅱ版までは,Meye rの精神生物学と自我心理学派の精神分析学が主導的な原理でした.中大西洋学派はそれを一挙に書き換えることに成功したのです .

DSM - Ⅲの根幹をなす思想が 2つあります.1つは,いましがた述べた欧州,それもおもにドイツの精神病理学です.注意深く目を配れば,Kraepelinや Schneiderの影響が読み取れるでしょう.これはいわゆる英米圏で“phenomenology”とよばれるものですが,いわゆる日本で「現象学」と呼ばれるものとは異なり,記述症候学のようなものです.実際にできたものをみればわかるように,精神病理学といってもごく初歩的なものです.

もう 1つの軸となるのが,「論理実証主義」です.論理実証主義とはウィーン学団に由来し,第二次世界大戦を機にアメリカに活動拠点を移した科学哲学の思潮です.

それは,事象を観察言語によって命題とし,理論言語によって説明することにより,人文・社会科学を含めてすべての学を,数学と物理学に還元することを基本思想としています.しかし,DSM- Ⅲで取り入れられたのは,観察言語に対応する「無- 理論主義」の方だけでした.もう一方の理論言語は DSM には存在しません .

ところで,論理実証主義はすでに当時,科学哲学の舞台からほぼ退場していました.Popperの反証主義やプラグマティズムによって取って代わられていたのです.

こうしてみると,DSM は精神病理学と科学哲学を 2つの柱にしつつ,そのいずれもが,専門的見地からみるなら初歩的な水準にとどまっています.そのようなものが,その後3 0 年以上も生き延び,それどころか世界の精神医学の指導原理となっているのは,不思議といえば不思議なことです.
私は 1 9 7 9年に精神科医になったので,臨床の修練を積むにあたって,DSM の影響はほとんど受けていません.ですから,日本の臨床現場に操作的診断学が浸透してきた時も,多少の戸惑いはありましたが,自分のそれまでの経験が大きくゆらぐようなことはありませんでした.いわゆるダブル・スタンダードと呼ばれる構えでさばいていたと思います.DSM や ICD は大数研究や疫学,そして行政的な文脈に限定して用いられれば,何の問題もないように思います.

ところが,近年では,DSM で臨床を学んだ人たちが増えてきました.もしかしたら日本の精神科医の半数近くがそうした世代にあたるのかもしれません.これは倒錯的といってもよい現象です.

DSM が臨床の現場に弊害を与えたとしたならば,それは第Ⅲ版ではなく,第Ⅳ版(1 9 9 4 )の時代ではないでしょうか.第Ⅲ版も第Ⅳ版も操作的診断学として,その基本骨格は同じです.しかし第Ⅲ版では, 「この診断マニュアルは,精神科の基本的診断ができるようになっている人が使用するように」 ,という但し書きが付けられています.つまり一定の臨床経験を積んだうえで使うものと位置付けられているのです.われわれもそれを確認して納得したものです.

実は,第Ⅳ版にもそうした但し書きがいくらか記載されているのですが,たいていは無視されています.ちなみにその箇所を読まれた方はどれくらいおられるでしょうか.第Ⅳ版の時代になって,米国の精神医学は謙虚さを失いました.そして誇りと自信を失った日本は,それに唯々諾々と従っているわけです.
診断の正しさには,2つの基軸があります.いわゆる妥当性(validity)と信頼性(reliability)です.妥当性とは,どれだけ真理に近いかということです.かつては神の智が真理の保証人として背後に控えていました.現在の身体医学では,病理所見やそれに準ずる生物学的マーカーと一致することです.

精神科疾患の場合には,そうした gold standard が確立したものはほとんどありません.ですから妥当性とは,名人あるいは達人と呼ばれる人が診た時の診断ということになります.操作的診断学を称揚する人は,こうした名人・達人といったものが,診断の斉一性,ひいては科学性と相容れないことを指摘しますが,私はどうしてもそうした批判の裏に,ルサンチマンを嗅ぎ取ってしまいます.

他方,信頼性とは,誰がみても同じ診断になるということです.そのために,診断のための規約をつくり,それをみんなが遵守するということが求められます.この考え方の背景には, 「真理というようなものなどないのだ」という断念があります.その意味では,神なきポストモダンにふさわしい正しさの基準と言えるでしょう.

だとすれば,信頼性は謙虚なたたずまいをしていなければなりません. 「所詮われわれは真理を知ることはできないのだ」という慎ましさをもってしかるべきでしょう.

操作的診断学は,経験を積んだ臨床家の間で形成される大まかなコンセンサスといった程度のものでよいのではないかと思います.おそらく第Ⅲ版を策定した人たちは,そうしたことを目論んでいたのでしょう.

ところが,現在の診断学では信頼性が暴走しています .たとえば経験豊かな精神科医でも,駆け出しの研修医でも同じ診断にならなければならないというのは乱暴な話です.さらには臨床に携わったことのない研究者でも同じ診断になるならば,臨床知は捨て去られることになります.なぜなら,一致させるためには,低きに合わせざるをえないからです.こうした体たらくでは,素人にばかにされるのもいたしかたありません

…………

次に手許にある書から中井久夫による「科学とは何か」。今読み返してみると、エビデンス批判としても読める論である(もっともここでも主にDSMにかかわるには相違ない)。

◆「医学・精神医学・精神療法とは何か」2002年

【科学とは、その方法を、徹底的に対象化したモノに対して適用するものである】
私は、科学は一つのネットワークを成していて、ある命題が科学に属するかどうかということは、このネットワークに属するかどうかで決まると考えている。それは、ポール・ディージングという科学哲学者の考えから出発している。彼は、科学の方法論を四つにわけて、どれも他に優先するものではないとした。私は、彼の四つの方法が相互にからみあっているということを付け加える。その四つの方法論とは①モデルづくり、②実験、③統計、④事例研究である。

②の実験は科学の王であるという固定観念があって、クロード・ベルナールの『実験医学序説』の影響が大きいわが国では特にそうであるが、実験とは条件をできるだけ簡略化して、数え上げられる範囲の僅かな変数だけで規定される場にだけ可能である。実験の場はそれだけ「現実離れ」している。(……)

場合によっては、この簡略化が大きな偏りのもととなる。(……)

③の統計的方法は、ランダム・サンプリングや二重盲検法やマッチングを使って対象を(近似的に)等質化したと仮定するところに成り立っている。(……)

①のモデルづくりには事実にもとづく個別性が強い意識的な実験モデルから始まって、しばしば美学(あるいはそのくつがえし)に導かれる大局モデル(たとえば「セントラル・ドグマ」)から、個人の意識を超えたパラダイム(トーマス・クーンの意味での)までがあるが、これらのモデルの導きなくして科学の門を叩いた者は遠くまで歩めない、いや、多くの科学者はモデルの魅力にひかれて科学者となる。

このように、これらの方法は相互浸透的で、全体としてひとつのネットワークを作っている。たとえばモデルはしばしばある事例、統計、実験結果からヒントを得る、逆も真である。

ここで④の事例研究が確固たる方法論の一つに挙げられていることに首をひねる向きもあるだろう。これは「一つだけしか存在しないものに対する科学はありうるか」という問題に置き換えればわかりやすいだろう。(……)

事例研究から出発する方法論にも、実験や統計もあるかもしれないが(……)、ここでは比較と重ね合わせという、質のレベルの方法も重要である。実際には地理学の基礎的方法はこちらである。そこからモデルづくりに進む。地質学でもそうであろう。この「事例の重ね合わせ」は、臨床心理学における方法にも通じるものがある。

最後に、科学とは、その方法を、徹底的に対象化したモノに対して適用するものである。実際、科学と、これから挙げるものを区別する一つは、徹底的対象化ができるか否かである。もっとも、科学も、観測主体ではなく対象から引き出されて生まれ発展してきたというアフォーダンス的な考え方も可能である。

すなわち、ふつうそう考えられているように科学とは徹底的能動者である観測主体と徹底的受動者である観測主体との関係であるとみることもでいるが、これは後から整理してつくられた、いわば後知恵であり、反対に観測主体は観測対象にも導かれ「教えられて」はじめて何ごとかをなしうると考えることもえきる。実際の科学体験はむしろ後者ではないだろうか。(……)ちなみにアフォーダンスという考え方は、失明者が自己世界を創りだしてゆく過程をよく理解させてくれる(統合失調症の作業療法の理解にも使われている)。精神医学、臨床心理学の科学的部分はなおさら対象が差し出すものに依拠して成り立っているのではないだろうか。

【怠惰な精神は規格化を以て科学化とする】
怠惰な精神は規格化を以て科学化とする。DSM体系は、20世紀前半に統合失調症の一次症状と二次症状との区別に倦んだ後、その断念の上で、代案として生まれたクルト・シュナイダーの「一級症状」の延長上にある。これは一つの便宜的な申し合わせである(もっとも、現在シュナイダーの一級症状のほとんどがPTSDにも存在することが明らかにされている)。それはリューマティズムにおける「ジョーンズの基準」に似ていて、ただ重みづけが欠けている。すべての基準は等価値的である。これ自体科学からはむしろ遠ざかっている。「有用性」と「便宜性」が出発点にあることは、「無理論的」「(症状)記述的」をうたっている点からも明らかである。基底機制 underlying mechanisms を問わず、その研究の出発点になるということである。DSM体系に魂があれば、自分の役割はいったん黒板を拭いて出直そうということであって、自己完結的体系として精神医学に君臨しようとするつもりはないというであろう。すなわち、次の順番は改めて基底機制を問うことである。

【質の異なるものを一つの尺度に収めることは原則的に科学ではない】
……科学の定義、その限界の画定は、最初思ったほど容易なものではないことが次第に明らかとなっていった。定義を狭く取ると、明らかに科学として通用しているものが除外され、広く取ると、その定義では占星術も入るのではないか、という揶揄が巻き起こったりする。

19世紀と20世紀の、この領域におけるもっとも大きな相違は、19世紀では数学を科学に数えていたのに対して、20世紀になって数学は科学ではないと確定したことである。(……)

この発見が驚くほど遅れたのは、科学は、数学的表現ができる領域で長足の進歩を遂げたからであり、実際、物理学をモデルとして科学は、数式化、数量化を目指す。(……)

科学的数量化が意味を持つためには質が同一でなければならない。質の異なるものを一つの尺度に収めることは原則的に科学ではない。(中井久夫「医学・精神医学・精神療法は科学か」2002年初出『徴候・記憶・外傷』所収)

さらに中井久夫の別のエッセイからいくらか抜き出しておこう。

【硬い現実主義からやわらかな現実主義へ】
観測の精度を上げても、予測の精度がどこまでも向上するということはない。現実の世界は予想外を含むものである以上、因果律によって織られた「硬い現実主義」に対して、少なくとも「やわらかな現実主義」のほうが〝現実的″であることを示唆している。

リハビリテ-ションの領域においても、観測の精度を上げようと、多くのテストや計測を実施するのに比例して、予後や改善の予測の精度がどこまでも向上したり、介入すべき問題点がより明瞭になる訳ではない。むしろ、観察者のあらさがしの眼にさらされることによる対象者の心身の緊張が増すことの不利益が問題になることもあるのである。(中井久夫『隣の病い』)

【医療は呪術である】
一般に「不確実な事態に不確実な技術で対応する場合に呪術があり、確実に成功する技術に呪術はない」(マリノフスキー)。医療は明らかに前者である。方角で病院を決めても咎められることではない。医師も大手術の前には祈る。不祥事の続く病室をこっそりお祓いする・良質な抗体を得るコツはウサギに抗原を注射するとき、「よい抗体を作ってくれよな」と頼むことだとアメリカのマニュアルにあるそうである。こういうのは無害である。(……)

医療・教育・宗教を「三大脅迫産業」というそうだからひとのことはいえないが、罪や来世や過去の因縁などで脅かすことは非常に困る。また、自分の偉さやパワーを証明するために患者を手段とすることは、医者も厳に自戒しなければならないが、宗教者も同じであると思う。カトリックの大罪である「傲慢」(ヒュブリス)に陥らないことが大切である。(中井久夫「宗教と精神医学」初出1995年『精神科医がものを書くとき』所収)

この見解はラカン派の見解とともに読むことができる。

ラカンは『科学と真理』で強調している。科学による真理と知との共約不可能性を認知することの拒絶は、魔術や宗教よりもさらにいっそう根源的であると。

事実、宗教家は、「神が知っていることを知らない」ことを知っている。また文化人類学者が示したように、呪術師は、「己の行為の有効性が欺瞞的実践に依拠している」ことを知っている。 (ロレンツォ・キエーザ、 2010, Chiesa, L., ‘Hyperstructuralism's Necessity of Contingency',PDF)
科学は、象徴界内部で形式化されえないどんなリアルもないという仮定に基づいている。すべての「モノ das Ding 」は徴示化 signifying 審級に属するか翻訳されるという仮定である。言い換えれば、科学にとって、モノは存在しない。モノの蜃気楼は我々の知の(一時的かつ経験上の)不足の結果である。ここでのリアルの地位は、内在的であるというだけではなく手の届くもの(原則として)である。しかしながら注意しなければならないことは、科学がモノの領野から可能なかぎり遠くにあるように見えてさえ、科学はときにモノ自体(破局に直に導きうる「抑え難い」盲目の欲動)を体現するようになる。(アレンカ・ジュパンチッチ 2013、Alenka Zupančič、The Splendor of Creation: Kant, Nietzsche, Lacan、PDF

さらに中井久夫からもうひとつ。

【分裂病の遺伝性とは手足や顔の形態や機能の遺伝と同じ】
分裂病の遺伝性に関するタブーに触れそうだが、私が問題にしている機能自体は遺伝しなければ人間の形をなさないもので、手足や顔の形態や機能の遺伝と同じである。失調するかどうかは、非常に多くの要因がからんでいるであろう。なお、この機能は必ずしも人間に限らなくて、ひょっとすると系統発生的に古い成分を含んでいるかもしれない。変化しか認知しないという点(分裂病の微分回路的認知)では、嗅覚がそれに近いと思う。また、調節遺伝子を含む多因子遺伝は、古典的な遺伝対環境論を無効にする。(中井久夫「精神分裂病の病因研究に関する私見」1994年『精神科医がものを書くとき』所収)

この文は、たとえば死後脳研究などを素朴に信じ込み、自閉症や統合失調症が脳の問題などとーー留保なしに言ってしまうエビデンス主義者批判とも読める。

※より理論的に語られた、《遺伝学は分裂病の遺伝性を多因子遺伝であると言っているが、これは環境因というのにほぼ等しい》(中井久夫『治療文化論』1983年)をめぐっては「家族的類似性」を参照。

統合失調症の発病(発症)は,精神病エピソード発現時ではなく,それ以前の「警告期」や ARMS(at risk mental state)を呈する時期に起こっている可能性があり,精神病エピソード発現までの間に,既に存在していた認知機能障害や脳萎縮のさらなる進行が起きる。初回精神病 エピソード発現から治療介入がなされるまでの未治療期間(DUP : duration of untreated psy-chosis)が長いほど,治療反応性の低下 ,寛解 到達レベルの低下,寛解到達までの期間の延長な どが惹起される。

また,初回精神病エピソード発現後数年の間に,左上側頭回の萎縮およびこれと関連した認知機能障害の基盤である神経生理学的異常が進行する。精神病エピソードの反復回数が多いほど,実行機能,言語記憶障害,注意力などの障害が進行し ,5 年の間の精神病エピ ソードを示唆する入院回数が多いほど,左前頭領 域灰白質の萎縮が進行する 。(「統合失調症の病態進行のメカニズム」安部川智浩 ,伊藤侯輝 ,仲唐安哉 ,小山司、2009,PDF

ーーこれは最も基本的な観点だろう。死後脳研究においても、病を得たから脳の萎縮があったのではないか、という側面を取り逃してはならない。

…………

ここでいくらか引用者に顔を出さしてもらって、「エビデンスなし」の非科学的見解を言い放っておこう。

人は、スピノザやニーチェ流にいえば「遠近法的倒錯」に陥っていないかを常に疑わなければならない。

系譜学的な思考、つまり原因と結果の遠近法的倒錯を見出す思考は、《超越論的》な思考に固有のものである。実際に、そのことを最初にいったのは、前章で引例したようにスピノザである。

《……いまや、自然が自分のためにいかなる目的因もたてず、またすべての目的因が人間の想像物にすぎないことを示すために、われわれは多くのことを論ずる必要はない。(中略)だが私は、さらにこの目的に関する説が自然についての考えをまったく逆転させてしまうことをつけくわえておきたい。なぜならこの目的論は、実は原因であるものを結果と見なし、反対に〈結果であるものを原因と見なすからである。》(『エチカ』第一部付録)

ーー柄谷行人『探求Ⅱ』1989

《しばしば原因は結果によって遡及的に構成されている。》(柄谷行人『トランスクリティーク』2001)

ラカンの「原初 primaire は最初 premier のことではない」(『アンコール』)も同じことを言っている。すなわち原初の原因は結果から遡及的 rétroactivement に構成される。

そもそもエビデンスの本質とは何か? という基本的な問いを放ってみよう。エビデンスとはーー究極的にはーー認識論的パラダイムの下で見出されるレトリックである。あるいは社会的諸関係の所産にすぎない。それが、上に引用した中井久夫の《私は、科学は一つのネットワークを成していて、ある命題が科学に属するかどうかということは、このネットワークに属するかどうかで決まると考えている》という文の含意(のひとつ)である。

ここでマルクスとニーチェを引用しておこう。

個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。(マルクス『資本論』)
現象に立ちどまって、「あるのはただ事実のみ」と主張する実証主義に反対して、私は言うだろう。いや、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ、と。われわれは、いかなる事実「自体」をも確かめることはできない。おそらく、そのようなことを欲するのは背理だろう。(ニーチェ『力への意志』)

認識論的パラダイムとはようするに「幻想の窓枠」である。

……描写はすべて一つの眺めである。あたかも記述者が描写する前に窓際に立つのは、よくみるためではなく、みるものを窓枠そのものによって作り上げるためであるようだ。(ロラン・バルト『S/Z』)

このバルトの観点は、世界、そして我々が世界に関わる関係性は、《幻想の窓 fenêtre du fantasme》(ラカン、S11)によって仲立ちされている、ということである。

経験科学の真理にかんしては、「確証可能性」をあげる論理実証主義者(カルナップ)と「反証可能性」をとなえるポパーとのあいだに、有名な論争があった。ポパーの考えでは、科学法則はすべて帰納的な支持をもつ仮説でしかなく、観察によってそれと衝突する「否定的データ」が発見されると、その例を肯定的事例として証明できるような新しい包括的な理論が設定され、理論の転換がおこる。したがって、「否定的データ」の発見が科学の進歩や発展の原動力である。

ところが、T.クーンらに代表される近年の科学史家は、観察そのものが「理論」に依存していること、理論の優劣をはかる客観的基準としての「純粋無垢なデータ」が存在しないことを主張する。すなわち、経験的データが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわち認識論的パラダイムの下で見出される、と。そして、それが極端化されると、「真理」を決定するものはレトリックにほかならないということになる。(柄谷行人『隠喩としての建築』1983年)

この文は、上に引用した内海氏の《論理実証主義はすでに当時,科学哲学の舞台からほぼ退場していました.Popperの反証主義やプラグマティズムによって取って代わられていたのです.》とともに読むことができる。

そしてこれらは蓮實重彦の簡潔な表現なら、《解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線》となる。

………解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話論的要素として風景の一部に分節化されてしまっており、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がた がいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。(蓮實重彦「風景を超えて」『表層批判宣言』所収、1979年)

ーーもちろんこう記された諸見解でさえ「遠近法的倒錯」を疑う必要がある。それがラカンの《メタランゲージはない》の究極の意味である(参照:ゲーデルの不完全性定理とラカンの Ⱥ)。

とはいえ小中学校の先生が書かれた文に、《Pollard(2008)は,「 エビデンスは万能薬ではない。しかし, 教育は, 今よりももっとエビデンスに基づく必要がある」と指摘する。筆者も, エビデンスに基づく教育の根底にあるこの考え方を支持したい》とあったように、現場にはとんでもない「反エビデンス」の経験主義者がいることはまちがいないので、エビデンスに依拠する考え方を全面的に否定してはならない。

もっと一般的に言えば、われわれは通常はーー現在の認識論的パラダイムの下であれーー誰もが効能という「エビデンス」が高い薬を飲みたい。効率という「エビデンス」が高い勉強方法をしたい。性能という「エビデンス」が高い機器を購入したい。

だが、エビデンスに基づく考え方が、たとえばマニュアル化されてそれを「真理」として無暗に信奉されてしまったときが問題なのであって、必要なのはマニュアルとしてではなく、あくまでレシピとして捉えることだろう。それは複雑な問いであればあるほどそうなる。

医学・精神医学をマニュアル化し、プログラム化された医学を推進することによって科学の外見をよそおわせるのは患者の犠牲において医学を簡略化し、疑似科学化したにすぎない。複雑系においては「プログラム」は成立せず、もっと柔軟でエラーの発生を許容する「レシピ―」の概念によって止揚されねければならないことは数学者の金子・津田(金子邦彦・津田一郎『複雑系のカオス的シナリオ』)の述べるとおりであると思う。「レシピ―」によれば状況に応じていろいろ似たものを使い、仕方を変えてもとにかくそれらしい料理ができる。「レシピ―」の実現のために用いられるのが「スキル」であり「技術・戦術・戦略のヒエラルキー」である。(中井久夫「医学・精神医学・精神療法とは何か」2002年)

もしそうでないなら、つまりエビデンスを闇雲に信奉する「科学的」態度とは、ラカン曰くの《呪術師は、「己の行為の有効性が欺瞞的実践に依拠している」ことを知っている》ーーを超えた超呪術師となってしまう。今後、二言目にはなんの留保もなしに「エビデンス」、あるいは「エビデンスがない」と口にだす連中を、超呪術師、超「シャーマン的主体(sujet chamanisant:ラカン、エクリP.871)」と呼ぶべきである!

中井久夫の文に《怠惰な精神は規格化を以て科学化とする》とあったが、これは、怠惰な精神はエビデンス信奉を以て科学化とする、と読み換えてなんの問題があろう? 

(ここでの記述は実は現代日本に跳梁跋扈する「超呪術師」たちに向けて書かれたものだが、わたくしは遠慮深いタチなので、引用の仮装を纏いつつその仮装の綻び目から最後にこうやってボロっと口に出すだけにしておく・・・)

最後にもう一度、精神医療関係者の発言に戻って次の文を再掲しておこう。

信頼性とは,誰がみても同じ診断になるということです.そのために,診断のための規約をつくり,それをみんなが遵守するということが求められます.この考え方の背景には, 「真理というようなものなどないのだ」という断念があります.その意味では,神なきポストモダンにふさわしい正しさの基準と言えるでしょう.

だとすれば,信頼性は謙虚なたたずまいをしていなければなりません. 「所詮われわれは真理を知ることはできないのだ」という慎ましさをもってしかるべきでしょう.(内海健「うつ病の臨床診断について」2011、PDF)) 

…………

※付記

ここでさらに以前にメモした文を貼り付けておこう(わたくしはもともと全く科学的人間ではなく、そして「科学」にかかわる問いを発する日本の著者はほとんど中井久夫しか読んだことがないので、また中井久夫の文であり、上に引用した箇所と全く重なる部分もあるが、あえてその箇所を(文脈上)削除せず引用する)。

スキルは、言語によって伝達できない部分を含む。理論的には言語化できるかもしれないが、具体的には異星人に鉛筆の削り方を教える場合を考えてみればよい。鉛筆をみたことのない者に対する「鉛筆の削り方マニュアル」を作成すれば何ページになるであろうか。(……)しかし、眼の前で削ってみせればあっという間に伝達される。これを行動による伝達としよう(これは神経心理学にいう「手続き記憶」にほぼひとしい)。最近の医学教育には、鉛筆を削るマニュアルを、鉛筆を削ってみせることよりも何か正しいこと、新しいことのように考えるきらいがある。その傾向は現場を知らずに育った医学教育者に特にみられる(……)。スキルにはそういう実践的にしか伝達しえないものがある。スキルにはドレファスのいう五段階があり、現実に相渉るには「技術」「戦術」「戦略」のヒエラルキーがある。(……)

医学・精神医学をマニュアル化し、プログラム化された医学を推進することによって科学の外見をよそおわせるのは患者の犠牲において医学を簡略化し、疑似科学化したにすぎない。複雑系においては「プログラム」は成立せず、もっと柔軟でエラーの発生を許容する「レシピ―」の概念によって止揚されねければならないことは数学者の金子・津田の述べるとおりであると思う。「レシピ―」によれば状況に応じていろいろ似たものを使い、仕方を変えてもとにかくそれらしい料理ができる。「レシピ―」の実現のために用いられるのが「スキル」であり「技術・戦術・戦略のヒエラルキー」である。(中井久夫「医学・精神医学・精神療法は科学か」)

スキルとエビデンス至上主義とは相いれない。エビデンス的マニュアルとは、結局、スキルの最も初歩的な「技術」にかかわる。いやそれさえ疑わしい。

ただしわれわれは皆みずからの専門以外の分野ではこの「技術」さえない。そのときの参照として「エビテンス的マニュアル」を馬鹿にしてはならないだろう。

福島震災からしばらくたった時点でーーいわゆる「科学者」のとんでもツイートに業を煮やしてかーー、鈴木健は次のようにツイートしている。

要は専門家のもっている専門てほんとに狭くって、世界に数人〜数十人しか分かる人がいない。それでも業界外に位置づけを説明するために自分が数千人から数十万人のコミュニティに属しているように説明する。素人から期待される質問に答えようとするととたんに擬似専門家になる。

ドレファス兄弟のスキルをめぐる書を眺めると次のような図表が提示されている。

◆Hubert Dreyfus and Stuart Dreyfus Mind Over Machine:1986



以下も同様に中井久夫の「医学・精神医学・精神療法は科学か」より。

【スキルの五段階】
第一段階「ビギナー」は、Context-free rules すなわち文脈の如何にかかわらず成功する規則にもとづくスキルである。

第二段階「中級者」は状況依存の要素が加わった行動規則を使いこなすスキルの段階である。この段階で言語表現不能の要素が出現する。

第三段階「上級者」 これは文脈依存・非依存の諸要素の間に目的に適った優先順位をつけて状況を整理し計画を立て、しかも実践の途中において質的に変化する自己および周囲の状況に対応してこれを変化させ、目的を達成するスキルである。(……)

第四段階「プロフェッショナル」は大局観にもとずくスキルであるが、この場合、客観的選択や検討はもはや重要でなく、特定の視点を重視して状況を構成する要素を直感的に選択して予測を立てる。おそらく過去の成功経験を重ね合わせて予測を立てていると推測される(「全体観的類似性認知」)。ただし、直観によって予測を立てるが、目標達成の過程においては、しばしば意識的分析に戻る。

第五段階「エキスパート」においては、経験に裏打ちされた円熟した理解力にもとづいて、刻々と変わる状況に対処することに没頭し、先の心配をしたり計画を立てたりもしない。すなわち、スキルは身体の一部になっている。ボクサーであるモハメッド・アリの行動をヴィデオ解析すると、相手が全く行動を起こしていない時点で、対処行動を起こし「チョウのごとく舞い、ハチのごとく刺す」。この行動は時遅れにならざるをえないフィード・バックにもとずく行動選択を超えている。多くの人間も自動車運転においては人車一体のこの段階に達している。

(……)なお、「スキル」に対応する語がドイツ語に(フランス語にも)見出せないのはバリントの指摘するとおりである(『スリルと退行』)。ことばのなおところ、概念は洗練されない。

【「技術」「戦術」「戦略」のヒエラルキー】
「技術」technic は当面の問題を端的に解決するスキルであり、たとえば「個々の手術手技」である。「戦術」tactics は「技術」をいつどのように組み合わせてどこに適用して、当面の状況を好ましい方向に導くかという複合的スキルである。たとえば、手術の適応と時期を決定し、実践の途中においても逐次変更――時には中止――する手術者のスキルである。「戦略」strategy は、この手術がその人の人生全体をどのように好ましい方向に変え、QOLと寿命とを積分した値を最大にするように考えて、いつどのような手術をどこで誰によって行うかという、全体的・大局観的スキルである。この三段階は、スキルの五段階と微妙にからみあうが、「ビギナー」段階においても、すでに存在し、次第に複雑なヒエラルキーを作ってゆく。………

…………

もうひとつこんな文章はどうだろうか。以下に出て来る「証拠」とはもちろん「エビデンス」のことである。

一般に治療文化において、患者とその家族は、治ってきたということ以外というか以上というか、治療費と家族の分担した治療努力とに対する反対給付をもとめるものである。それは、理由の解明あるいは治療の証拠である。歯科医は抜歯した歯を患者にみせる。外科医も切断した虫垂をみせる。精神医学的治療文化においては、最初期から「見せる物」に腐心してきた。シャーマン文化においては、ボアスの報告するカセリドというシャーマンは血まみれのミミズを口からだして、これを病いの原因として提示することによって乗り切っている。むろん、ミミズを口中にふくんだ上で口腔粘膜のどこかを自分で噛み切ったわけだ。精神医学という、治療にかんしてもっともあいまいな医術において「洞察」という治癒の証拠を発見したことは、力動精神医学の重要なポイントであった。すくなくとも「理由」を重視するヨーロッパ文化の下位文化としての精神医学的治療文化には要石である。それだけでなく患者と治療者との相互作用性を回復した。これなくしては、いかに「人道的」な精神病院も患者の排除というそしりを完全には免れることはできないだろう。治療文化はシャーマニズムのごとく重要な成員として患者をふくむのであって、そうでなければ、治療文化として大いに欠けるところがある。(中井久夫『治療文化論』p.141)

人はこのようにして「エビデンス」をもとめる。呪術師(シャーマン)たちが最初から知っていたように。


2017年2月2日木曜日

「自閉症」増大という新自由主義のやまい

さて「自閉症」第三弾である。

①「現代の流行病「自閉症」」にて自閉症診断増大は、「金」のせいであるとした。
②「だれもが自閉症的資質をもっている」にてはこの表題が示す通りのことを示した。
③そして今回は、「自閉症」増大という新自由主義のやまい、という表題を掲げた。

なにかそれぞれ言っていることが相矛盾しているようにも感じられるが、これはヘーゲル流の「否定の否定」である・・・

…………

まず、①にて引用したなかでの核心的な文のひとつをいくらか長く訳出して再引用する。

英国心理学会( BPS)と世界保険機関(WHO)は最近、精神医学の正典的 DSM の下にある疾病パラダイムを公然と批判している。その指弾の標的である「メンタル・ディスオーダー」の診断分類は、支配的社会規範を基準にしているという瞭然たる事実を無視している、と。それは、科学的に「客観的」知に根ざした判断を表すことからほど遠く、その診断分類自体が、社会的・経済的要因の症状である。その要因とは、諸個人が常には逃れえないものである社会的・経済的要因であり、犯罪・暴力・居住環境の貧困・借金などだが、人はそこに、仲間‐競争者を凌ぐように促す新自由主義的圧力を付け加えうる。(Capitalism and Suffering, Bert Olivier 2015,PDF)

ここに社会的・経済的要因として付け加えられた「新自由主義的圧力」とは次のようなものである。

我々の社会は、絶えまなく言い張っている、誰もがただ懸命に努力すればうまくいくと。その特典を促進しつつ、張り詰め疲弊した市民たちへの増えつづける圧迫を与えつつ、である。 ますます数多くの人びとがうまくいかなくなり、屈辱感を覚える。罪悪感や恥辱感を抱く。我々は延々と告げられている、我々の生の選択はかつてなく自由だと。しかし、成功物語の外部での選択の自由は限られている。さらに、うまくいかない者たちは、「負け犬」あるいは、社会保障制度に乗じる「居候」と見なされる。(ポール・バーハウ「新自由主義はわれわれに最悪のものをもたらした、ガーディアン (The Guardian、2014.09.29

これはすでに日本でも1989年以降指摘されている内容とほとんど等価である。

「帝国主義」時代のイデオロギーは、弱肉強食の社会ダーウィニズムであったが、「新自由主義」も同様である。事実、勝ち組・負け組、自己責任といった言葉が臆面もなく使われたのだから。(柄谷行人「長池講義」2009
今、市場原理主義がむきだしの素顔を見せ、「勝ち組」「負け組」という言葉が羞かしげもなく語られる時である。(中井久夫「アイデンティティと生きがい」『樹をみつめて』所収)。

冒頭の文で、英国心理学会( BPS)と世界保険機関(WHO)のDSM批判とされる「メンタル・ディスオーダー」の診断区分は、《支配的社会規範を基準にしているという瞭然たる事実を無視している》とされていた。

環境のせいか、あるいは資質のせいかは別にして、支配的社会規範(新自由主義)に適合性が欠けるようになり、他者との折り合いがうまくいかなくなった人たちが、「メンタル・ディスオーダー」の範疇に入れられがちだ。そして彼等は「社会的負け犬」への道を歩む。そのようにここでのわたくしは当面捉えることにする。

この社会的負け犬、あるいはその予備軍の指標として、現代の流行語「自閉症スペクトラム」は機能している側面はないだろうか。

ところで上に引用しベルギーのラカン派精神分析者ポール・バーハウーー英語圏では代表的ラカン派論客のひとりであるーーは、別の論文で次のように言っている。

私の見解では、若年層における自閉症の増大は伝統的な自閉症とはほとんど関係がない。それは社会的孤立増大の反映、〈他者〉によって引き起こされる脅威からの逃走の反映である。

この見解の正否については議論があるだろうが、その前段もふくめて引用しよう。

どの社会秩序も、その成員のアイデンティティの展開を決定づける。それと同時に、そのメンバーの潜在的な障害 disorders を決定づける。(フロイト時代の)ヴィクトリア朝社会は、超厳格な超自我の圧制下、神経症の市民を生みだした。彼らは集団として、つねに自らの家父長にためにーー他の集団の家父長に対してーー、戦う用意があった。

エンロン Enron(ポストモダン)社会は、互いに競争する個人的消費者を生みだす。ラカンにとって、ポストモダンの超自我の命令は「享楽せよ!」である。

ヴィクトリア朝時代の病は、あまりにも多く集団にかかわり、あまりにも少なく享楽にかかわることだった。ポストモダンの個人たちの現代的病は、あまりにも多く享楽にかかわり、あまりにも少なく集団にかかわることである。

我々は狂ったように自ら享楽しなければならない。より正しく表現するなら、狂ったように消費しなければならない。数年前に比べてさえも享楽の限界は最小にしなければならない。草叢の蛇(目に見えない敵 snake in the grass)は、文字通りあるいは比喩としても、首尾よく捕まえなければならないーーそれは我々の義務であるーー。その捕獲方法は、もちろん絶えまない他者との競争によってである。このようなシステムは、トーマス・ホッブズの恐怖を正当づける、すなわち、Homo homini lupus est(人間は人間にとって狼である)。

結果は、Mark Fisher が印象的に名付けた「抑鬱的ヘドニア(快楽)depressive hedonia」である。

(新自由主義の)能力主義システムは、自らを維持するため、特定のキャラクターを素早く特権化し、そうでない者たちを罰し始めている。競争心あふれるキャラクターが必須であるため、個人主義がたちまち猖獗する。

また融通性が高く望まれる。だがその代償は、皮相的で不安定なアイデンティティである。

孤独は高価な贅沢となる。孤独の場は、一時的な連帯に取って代わられる。その主な目的は、負け組から以上に連帯仲間から何かをもっと勝ち取ろうとすることである。

仲間との強い社会的絆は、実質上締め出され、仕事への感情的コミットメントはほとんど存在しない。疑いもなく、会社や組織への忠誠はない。

これに関連して、典型的な防衛メカニズムは冷笑主義である。それは本気で取り組むことの失敗あるいは拒否の反映である。個人主義・利益至上主義・オタク文化 me-culture は、擬似風土病のようになっている。…表層下には、失敗の怖れからより広い社会不安までの恐怖がある。

この精神医学のカテゴリーは最近劇的に増え、製薬産業は莫大な利益を得ている。私は、若い人たちのあいだでの自閉症の診断の増大の中にこの結果を観察する。私の見解では、若年層における自閉症の増大は伝統的な自閉症とはほとんど関係がない。それは社会的孤立増大の反映、〈他者〉によって引き起こされる脅威からの逃走の反映である。(ポール・バーハウ2009,Paul Verhaeghe, Identity and Angst: on Civilisation's New Discontent,PDF)

フロイト時代の超強制倫理社会が生み出したのが「神経症」であるならば、我々の新自由主義社会が生みだしたのが「メンタル・ディスオーダー」ーーそしてその代表的なものが「自閉症」あるいは現在なら「自閉症スペクトラム」である、という論旨である。

かつまた《この精神医学のカテゴリーは最近劇的に増え、製薬産業は莫大な利益を得ている》とあるように、「金」のせいで自閉症診断が増えたのではないか、という「現代の流行病「自閉症」」に記した内容の暗示もある。

そしてこの小論文は「文明の中の新しい居心地の悪さ」という副題をもっている。フロイトの「文化の中の居心地の悪さ」1930年の21世紀版の導入版としても読んでほしいという著者の意図だろう。

これが極論であるか否かの判断は、読み手に任せる。

ただし《(新自由主義の)能力主義システムは、自らを維持するため、特定のキャラクターを素早く特権化し、そうでない者たちを罰し始めている》というのは否定できない厳然とした事実だろう。

我々の時代の標語は、生産性、競争性、革新、成長、アウトプット、プレゼンテーション等々であり、すべて「経済のディスクール」である。そこでは、策謀や計略や慎重さを身につけ、また自分の勧告をおしつけ、相手に信じさせ、同意をうばいとってしまう種族は生きやすいだろう。

だがそうでないキャラクターは負け犬になりがちだ。

ポール・バーハウは最近の書では次のように記している。

疑いもなく、エゴイズム・他者蹴落し性向・攻撃性は人間固有の特徴である、ーー悪の陳腐さは、我々の現実だ。だが、愛他主義・協調・連帯ーー善の陳腐さーー、これも同様に我々固有のものである。どちらの特徴が支配するかを決定するのは環境だ。(ポール・バーハウ2014、Paul Verhaeghe What About Me? )

悪の陳腐/善の陳腐の戦いにおいて、我々の時代は前者を特権化する。そうではないだろうか?以前からそうだったという観点もあろうが、すくなくとも「新自由主義」的非イデオロギーの時代により一層そうであるようになったのは、確かである。

…………

ここでやや飛躍して記すが、フロイト・ラカン派的な精神分析的治療は終焉間近であるのは、ほぼ間違いない。

精神医学ではDSM などの影響で精神分析的な観点は捨て去られ、現在では精神疾患には薬物療法以外の治療法はほとんどなくなっています。そして、精神療法の領域では認知行動療法が主流になってきています。(向井雅明「自閉症について」2016年)

中井久夫はすでに1989年の段階で、次のように言っている。

現在の米国の有様を見れば、精神病の精神療法は、医師の手を離れて看護師、臨床心理士の手に移り、医師はもっぱら薬物療法を行っている。わが国もその跡を追うかもしれない。すでに精神療法を学ぼうという人たちの多くは、医師よりも臨床心理士ではないだろうか。(中井久夫「統合失調症の精神療法」1989年)

だがフロイト・ラカン派の視点は、現在の経験主義的な現場の精神科医や心理士たちの多くに欠けているものがある。それはフロイト・ラカン派の精神分析的治療が斜陽であってもすこぶる貴重である。

(もっともわたくしの場合、精神医学関係の論についてはほとんどフロイト・ラカン派のみを基本的に読むので偏見があるのを疑わなくてはならない。)

フロイトもラカンも破門経験者である。フロイト自身は当時のユダヤ人ということもあり、生まれつき社会から破門されていた。ラカンは1963年に国際精神分析協会 IPA によって破門されている。

人は「被破門」マインドがなければ、制度批判的精神をもちにくい。

ユダヤ人であったおかげで、私は、他の人たちが知力を行使する際制約されるところの数多くの偏見を免れたのでした。ユダヤ人の故に私はまた、排斥運動に遭遇する心構えもできておりましたし、固く結束した多数派に与することをきっぱりあきらめる覚悟もできたのでした。(フロイト『ブナイ・ブリース協会会員への挨拶』)

もちろんある意味でさらに上には上がいるのであり、スピノザはユダヤ人共同体を異端の廉で、追われたのち、レンズ磨き職人として生計を立てた。

フロイト・ラカン派ではないが、わたくしが敬愛する日本の精神科医中井久夫も「破門」経験者である。

私がヴァレリーを開くのは、決って危機の時であった。

私が自由検討を維持するためにはかなりの努力を要する状況があった。ヴァレリーは、頭をまったく自由な状態に保つために役にたってくれた。主に彼の散文である。ヴァレリーは危機感受性とでもいうべきものがある。個人的危機の解決が政治的危機への対応を呼び醒ますのである。私の場合がそうであるかどうか、おのれでは定めがたいが、私には二十歳代は個人的にも家庭的にも職場的にも危機が重なってきた。私はそれらを正面から解決していったが、ついに、医学部の構造を批判的に書いた匿名の一文が露頭して私は“謝罪”を拒み、破門されて微生物の研究から精神科に移った。移った後はヴァレリー先生を呼び出す必要は地震まで生じていない。(中井久夫「ヴァレリーと私」2008.9.25(書き下ろし)『日時計の影』所収)

たとえば多くの場合「制度の人」たちである経験論的専門家たちは社会批判に向うことはすくない。

制度とは、語りつつある自分を確認する擬似主体にまやかしの主体の座を提供し、その同じ身振りによってそれと悟られぬままに客体化してしまう説話論的な装置にほかならない。それは、存在はしないが機能する装置なのである。(蓮實重彦『物語批判序説』)
説話論的磁場。それは、誰が、何のために語っているのかが判然としない領域である。そこで口を開くとき、人は語るのではなく、語らされてしまう。語りつつある物語を分節化する主体としてではなく、物語の分節機能に従って説話論的な機能を演じる作中人物の一人となるほかないのである。にもかかわらず、人は、あたかも記号流通の階層的秩序が存在し、自分がその中心に、上層部に、もっと意味の濃密な地帯に位置しているかのごとく錯覚しつづけている。

近代、あるいは現代と呼ばれる同時代的な一時期における自我、もしくは主体とは、この錯覚に与えられたとりあえずの名前にすぎない。(蓮實重彦『物語批判序説』)

わたくしは今回、日本の精神科医やその関係者による「自閉症スペクトラム」の記述がある10ほどの論ーー精神科医らしきひとのブログ記事も含めばもうすこし多いーーを読んでみたが、半数ほどは、その猫撫で声文体と社会規範に折り合いをつけるのみのマインドに溢れ返った様に罵倒したくなった。いやいやこの話題はやめておこう・・・

とはいえどうしようもない連中が多すぎる、医師といえばある程度「聡明な人たち」の集団であるはずだが、《世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿》(小林秀雄)と呟きたくなってしまう。たとえば「自閉症スペクトラム」が、現在の社会で負け犬、あるいは負け犬予備軍の「有徴」印として機能しているのではないかと疑う素振りさえない連中が多く、のほほんとエビデンス主義にのっとって感想文でしかないことを学会などで発表している・・・

逆説的なことに、エビデンス主義って、まさしくポスト真理なんですね。エビデンスって、「真理という問題」を考えることの放棄だから。エビデンスエビデンス言うことっていうのは、深いことを考えたくないという無意識的な恐れの表明です。 (千葉雅也ツイート)

《医療・教育・宗教を「三大脅迫産業」という》(中井久夫『精神科医がものを書くとき』)のだそうだが、実にいつわりのへりぐたりによる猫なで声で脅しマインドを隠蔽しつつもっともらしく語っているあの連中・・・制度の腐臭にまみれたアホウドリども・・・

いやいやもうやめておこう……いずれにせよ社会批判の観点が生まれるのは「心理学」ではなく、フロイト・ラカン派の「メタ心理学」的態度である。

フロイトの精神分析は経験的な心理学ではない。それは、彼自身がいうように、「メタ心理学」であり、いいかえると、超越論的な心理学である。その観点からみれば、カントが超越論的に見出す感性や悟性の働きが、フロイトのいう心的な構造と同型であり、どちらも「比喩」としてしか語りえない、しかも、在るとしかいいようのない働きであることは明白なのである。

そして、フロイトの超越論的心理学の意味を回復しようとしたラカンが想定した構造は、よりカント的である。仮象(想像的なもの)、形式(象徴的なもの)、物自体(リアルなもの)。むろん、私がいいたいのは、カントをフロイトの側から解釈することではない。その逆である。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

「超越論的」とは、最も基本的には、自分が暗黙に前提している諸条件そのものを吟味にかけるということである。

ここでバーハウの「激烈な」DSM批判の文を「現代の流行病「自閉症」」から再掲しよう。

DSMの診断は、もっぱら客観的観察を基礎とされなければならない。概念駆動診断conceptually-driven diagnosis は問題外である。結果として、どのDSM診断も、観察された振舞いがノーマルか否かを決めるために、社会的規範を拠り所にしなければならない。つまり、異常 ab – normal という概念は文字通り理解されなければならない。すなわち、それは社会規範に従っていないということだ。したがって、この種の診断に従う治療は、ただ一つの目的を持つ。それは、患者の悪い症状を治療し、規範に従う「立派な」市民に変えるということだ。(“Chronicle of a death foretold”: the end of psychotherapy. Paul Verhaeghe – Dublin, September 2007、PDF )
精神医学診断における想定された新しいバイブルとしての DSM(精神障害の診断と統計の手引き)…。このDSM の問題は、科学的観点からは、たんなるゴミ屑だということだ。あらゆる努力にもかかわらず、DSM は科学的たぶらかしに過ぎない。…奇妙なのは、このことは一般的に知られているのに、それほど多くの反応を引き起こしていないことである。われわれの誰もが、あたかも王様は裸であることを知らないかのように、DSM に依拠し続けている。 (“Chronicle of a death foretold”: the end of psychotherapy. Paul Verhaeghe – Dublin, September 2007 – Health4Lifeconfererence – DCU)

そして、もしDSM が裸の王様であるにもかかわらず、精神医療に携わる人がそれに依拠し続けているのなら、それはおそらく、専門家とは、自らを支えるパラダイム(諸条件)の変容を抑圧する集団から、ということが言いうる。

プロフェッショナルというのはある職能集団を前提としている以上、共同体的なものたらざるをえない。だから、プロの倫理感というものは相対的だし、共同体的な意志に保護されている。(…)プロフェッショナルは絶対に必要だし、 誰にでもなれるというほど簡単なものでもない。しかし、こうしたプロフェッショナルは、それが有効に機能した場合、共同体を安定させ変容の可能性を抑圧するという限界を持っている。 (蓮實重彦『闘争のエチカ』)

だが我々にとって、《もっと重要なことは、われわれの問いが、我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられているのだということ、したがってそれは普遍的でもなければ最終的でもないということを心得ておくことである。》(柄谷行人『隠喩としての建築』)

誠実・真摯・聡明な人たちでさえ(おおむね)、新自由主義という釈迦の掌で、なにやら対策を練ったつもりになっている猿に過ぎない。

そしてその対策は事実上、次のような形で機能する。

要するに、「善い」選択自体が、支配的イデオロギーを強化するように機能する。イデオロギーが我々の欲望にとっての囮として機能する仕方を強化する。ドゥルーズ&ガタリが言ったように、それは我々自身の抑圧と奴隷へと導く。(Levi R. Bryant 2008,PDF)

というわけだが、このあたりで「自閉症」についての話題はやめにしておく。以上は、一夜漬けならず三日漬けの「成果」であり、つまり自閉症についてほとんど無知であった「蚊居肢散人」が記しているわけで、「強い疑い」をもちつつ読まねばならぬ・・・


…………

※付記

日本でもやや年配の「まともな」精神科医が次のように言っているのを見出した。

……こうしてみると,DSM は精神病理学と科学哲学を 2つの柱にしつつ,そのいずれもが,専門的見地からみるなら初歩的な水準にとどまっています.そのようなものが,その後3 0 年以上も生き延び,それどころか世界の精神医学の指導原理となっているのは,不思議といえば不思議なことです.
DSM が臨床の現場に弊害を与えたとしたならば,それは第Ⅲ版ではなく,第Ⅳ版(1 9 9 4 )の時代ではないでしょうか.第Ⅲ版も第Ⅳ版も操作的診断学として,その基本骨格は同じです.しかし第Ⅲ版では, 「この診断マニュアルは,精神科の基本的診断ができるようになっている人が使用するように」 ,という但し書きが付けられています.つまり一定の臨床経験を積んだうえで使うものと位置付けられているのです.われわれもそれを確認して納得したものです.

実は,第Ⅳ版にもそうした但し書きがいくらか記載されているのですが,たいていは無視されています.ちなみにその箇所を読まれた方はどれくらいおられるでしょうか.第Ⅳ版の時代になって,米国の精神医学は謙虚さを失いました.そして誇りと自信を失った日本は,それに唯々諾々と従っているわけです.
…現在の診断学では信頼性が暴走しています.たとえば経験豊かな精神科医でも,駆け出しの研修医でも同じ診断にならなければならないというのは乱暴な話です.さらには臨床に携わったことのない研究者でも同じ診断になるならば,臨床知は捨て去られることになります.なぜなら,一致させるためには,低きに合わせざるをえないからです.こうした体たらくでは,素人にばかにされるのもいたしかたありません.([うつ病の臨床診断について]、内海健、2011、PDF)

DSM第Ⅳ版(1 9 9 4 )以降の世代の精神医療にたずさわる人たち、すなわちこれまた市場原理主義がおおっぴらに席捲するようになった時代の人たちはおおむね、わたくしのような《素人にばかにされるのもいたしかたありません》テイタラクにあるらしいよ




2016年12月1日木曜日

ファストフード的知的消費者向け作文

以下、まずは1902年生の小林秀雄の1936年の文章である。

君にいわせれば、僕は批評的言語の混乱というものを努めて作り出そうと心掛けて来た男だ。そして愚かなエピゴオネンを製造し、文学の進歩を妨害している。そういう奴は退治してしまわねばならぬという。豪そうな事をいうなとは言うまい。しかし、君が僕を眺める眼は大変感傷的なのである。もし僕がまさしく君のいう様な男であったら、僕が批評文で飯を食って来たという事がそもそも奇怪ではないか。批評的言語の混乱に努力し、その努力を批評文に表現する様な人間は、どんな混乱した社会にあっても、存在する事が出来ないのは、わかりきった話だ。僕が批評家として存在を許されて来た事には自ら別の理由がある。その理由について僕は自省している。君の論難の矢がそこに当る事を僕は望んでいたのである。君は僕の真の姿を見てくれてはいない。君の癇癪が君の眼を曇らせているのである。(……)

僕は「様々なる意匠」という感想文を「改造」に発表して以来、あらゆる批評方法は評家のまとった意匠に過ぎぬ、そういう意匠を一切放棄して、まだいう事があったら真の批評はそこからはじまる筈だ、という建前で批評文を書いて来た。今もその根本の信念には少しも変わりはない。僕が今まで書いて来た批評的雑文(謙遜の意味で雑文というのではない、たしかに雑文だと自分で思っているのだ)が、その時々でどんな恰好を取ろうとも、原理はまことに簡明なのである。原理などと呼べないものかも知れぬ。まして非合理主義だなぞといわれておかしくなるくらいである。愚かなるエピゴオネンの如き糞でも食らえだ。(……)

君は僕の文章の曖昧さを責め、曖昧にしかものがいえない男だとさえ極言しているが、無論曖昧さは自分の不才によるところ多い事は自認している。又、以前フランス象徴派詩人等の強い影響を受けたために、言葉の曖昧さに媚びていた時期もあった。しかし、僕は自分の言葉の曖昧さについては監視を怠った事はない積りである。僕はいつも合理的に語ろうと努めている。どうしても合理的に語り難い場合に、或は暗示的に或は心理的に表現するに過ぎぬ。その場合僕の文章が曖昧に見えるというところには、僕の才能の不足か読者の鈍感性か二つの問題しかありはしない。僕が論理的な正確な表現を軽蔑していると見られるのは残念な事である。僕が反対して来たのは、論理を装ったセンチメンタリズム、或は進歩啓蒙の仮面を被ったロマンチストだけである。(……)

僕等は、専門語の普遍性も、方言の現実性も持たぬ批評的言語の混乱に傷ついて来た。混乱を製造しようなどと誰一人思った者はない、混乱を強いられて来たのだ。その君も同様である。今はこの日本の近代文化の特殊性によって傷ついた僕等の傷を反省すべき時だ、負傷者がお互いに争うべき時ではないと思う。(小林秀雄「中野重治君へ」昭和十一年四月二日―三日『東京日日新聞』初出)

実に美しい文章だ。「豪そうな事をいうな」、「批評文で飯を食って来た」、「癇癪が君の眼を曇らせている」などの生きた言葉遣い、あるいは、《僕が反対して来たのは、論理を装ったセンチメンタリズム、或は進歩啓蒙の仮面を被ったロマンチストだけである》という対句。

論理を装ったセンチメンタリズム
啓蒙の仮面を被ったロマンチスト

ーーところで、この21世紀、これ以外の批評の書き手などいるんだろうか・・・

《専門語の普遍性も、方言の現実性も持たぬ批評的言語の混乱》などという問いさえもとっくの昔に何処かに行ってしまった(これは加藤周一がいった「雑種文化」にもかかわるはずだが、問いが消えたのは雑種文化が定着したってことだろうか)。

こういったこととは別に、あのような時代もあったのだ、という感慨が沸き起こってくる。

小林秀雄は《批評的言語の混乱に努力し、その努力を批評文に表現する様な人間は、どんな混乱した社会にあっても、存在する事が出来ないのは、わかりきった話だ》と言っているが、これは或る意味で、当時の知識人階級をいまだ信頼していたからこそこう言えたのだろう。そして小林秀雄のこの勇ましい断言は甘すぎるとする観点もあるはずだ。たとえばここでプルーストの文章を引用してみよう。

批評は、何一つ新しい使命をもたらさない作家を、彼に先立った流派にたいする彼の横柄な口調、誇示的な軽蔑のゆえに、予言者として、祀りあげる。批評のこのような錯誤は、常習となっている(プルースト『見いだされた時』)

この有様が「批評文で飯を食って来た」書き手の常道だったのは、かつてからだったといえる。少なくとも「馬鹿」を相手にする大衆文化が生まれて以降は。

……一八六三年の二月一日に一部五サンチームで売り出された小紙面の『ル・プチ・シュルナル』紙は、その安易な文体と情報の単純さによって、日刊紙としては初めて数十万単位の読者を獲得することに成功する。一八五〇年当時、パリの全日刊紙をあわせても三十万程度であったことを考えれば、一紙で三十五万の読者を持つ『ル・プチ・シュルナル』紙の創刊は、言葉の真に意味でマス・メディアと呼ばれるにふさわしいものの出現を意味することになる。(……)ここでの成功が、みずからの凡庸さを装いうるジャーナリストの勇気に負うものだという点を見落としてはなるまい。人類は、おそらく、一八六三年に、初めて大量の馬鹿を相手にする企業としての新聞を発明したのである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

だがインターネットが普及した現在ーーつまりは大量の馬鹿が書くようになった時代ーーには、「批評的言語の混乱に努力」する批評家が大手をふるって存在できるようになった。いや批評はそうでなくては読まれない。もちろん批評だけではない。《いいものは売れなくて当然》(蓮實重彦)は昔からだったかもしれないが、《愚かさは進歩する!》(フローベール)のだから、いまではいっそうそうだ。

つまり比較的よく読まれている書き手の文章とは馬鹿向けの寝言だと疑わなくてはならない(これはツイッターでの大量RTの囀りをすこしでも垣間見れば歴然としている)。

ここでジジェクのジョン・グレイ罵倒を掲げよう。現在の批評とはこの程度のものだということを示すために。

あなたは、あなたが批評しているところの著作がどのようなものであるかを全く無視している。あなたは論争の道筋を再構成する試みを全く放棄している。その代わりに、曖昧模糊とした教科書的な通則やら、著者の立場の粗雑な歪曲、漠然とした類推、その他諸々を一緒くたにして放り投げ、そして自身の個人的な従事を論証するために、そのような深遠に見せかけた挑発的な気の利いたジョークのガラクタに、道義的な義憤というスパイスを加えているのだ(「見ろ!あの著者は新たなホロコーストを主張しているみたいだぞ!」といったように)。真実など、ここでは重要ではない。重要なのは影響力である。これこそ今日のファストフード的な知的消費者が望んでいたものだ。道義的な義憤を織り交ぜた、単純で分かりやすい定式である。人々を楽しませ、道徳的に気分を良くさせるのだ。(スラヴォイ・ジジェク:彼の批判に応答して)

ーーこれはジョン・グレイの『LESS THAN NOTHING』 (ジジェク 2012)『Living in the End Times』(同)の書評「The Violent Visions of Slavoj Žižek」(John Gray)に対するジジェクの反論の断片である。

ジョン・グレイ(1948~)は、イギリスの政治哲学者であり、オックスフォード大学教授を経て、現在、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス名誉教授。1949年生れのジジェクと同世代ということになる。

グレイの著作は、バラードなどにも賞賛されたことがある。

《Gray’s work has been praised by, amongst others, the novelists J. G. Ballard, Will Self and John Banville,etc》(Wikepedia)

だがジジェクの反論は明らかに正しい。このそれなりに名高い政治哲学者のジジェク批判は、ジジェクの著書をまともに読んでさえいなくて書かれており、まさに「ファストフード的な知的消費者」向けのものである。

そして、いま日本のネット界に流通する「批評」などというものはーーほんの僅かの例外を除いて、と一応留保しておこうーーさらにいっそう、ファストフード的な知的消費者が望んでいるもの、《道義的な義憤を織り交ぜた、単純で分かりやすい定式……人々を楽しませ、道徳的に気分を良くさせる》ものでしかないのは明らかだろう(書いている本人はそのつもりがなくても)。

その書き手が信頼されるのはすぐれた批評を書くせいではまったくない。記号の記号の流通の海を巧みに泳いでいる者のみが信用される。それが知の大衆化現象である。

大衆化現象は、まさに、そうした階層的な秩序から文化を解放したのである。そしてそのとき流通するのは、記号そのものではなく、記号の記号でしかない。(……)読まれる以前にすでに記号の記号として交換されているのである。したがって、まだ発表されてさえいない作品の作者たる人物が、そこで交換されているものの特権的な発信者とは呼べないだろう。

(……)聴衆が競いあってオッフェンバックの喜歌劇の切符を買い求め、読者が先を争ってポンソン・デュ・デラーユの連載小説の載る『ラ・プチット・プレス』紙の予約購読を申し込むのは、ぜひともその作品に接したいという欲望とはまったく別の理由からである。それは、みずからも、記号の記号としての固有名詞の流通に加担したいという意志にほかならない。

この意志は、隣人の模倣に端を発する群集心理といったことで説明しうるものではない。そこに、流行という現象が介在していることはいうまでもないが、実は流行現象そのものでもない。問題は、欠落を埋める記号を受けとめ、その中継点となることなのではなく、もはや特定の個人が起源であるとは断定しがたい知を共有しつつあることが求められているのである。新たな何かを知るのではなく、知られている何かのイメージと戯れること、それが大衆化現象を支えている意志にほかならない。それは、知っていることの確認がもたらまがりなす安心感の連帯と呼ぶべきものだが、マクシムが苛立っているのも、まさにそれなのだ。そこにおいて、まがりなりにも芸術的とみなされる記号は、読まれ、聴かれ、見られる対象としてあるのではない、ともにその名を目にしてうなずきあえる記号であれば充分なのである。だから、それを解読の対象なのだと思ってはならない。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

蓮實重彦がこう書いたのは、1980年代である。いまではこういったことさえ全く念頭にない読み手が、そこらじゅうを大手を振るって歩き回り頷き合っている。

ある証人の言葉が真実として受け入れられるには、 二つの条件が充たされていなけらばならない。 語られている事実が信じられるか否かというより以前に、まず、 その証人のあり方そのものが容認されていることが前提となる。 それに加えて、 語られている事実が、 すでにあたりに行き交っている物語の群と程よく調和しうるものかどうかが問題となろう。 いずれにせよ、 人びとによって信じられることになるのは、 言葉の意味している事実そのものではなく、 その説話論的な形態なのである。 あらかじめ存在している物語のコンテクストにどのようにおさまるかという点への配慮が、 物語の話者の留意すべきことがらなのだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)




2016年11月4日金曜日

ナイーヴな「科学者」を相手にするつもりはない

いやあ、またなんだか言ってる「猿」がいるが、投稿しないままの在庫をーーヤムエズーー投稿しておくよ。すまんねえ、蚊居肢散人は「科学」にはとんと縁がないんだな、いわゆる「理系」の連中とかかわると寒イボが立っちまうぐらいでね、こういったことは投稿してもしようがないんだが、やむえない・・・

物理学の言説が物理学者を決定づける。その逆ではない。 c'est que c'est le discours de la physique qui détermine le physicien, non pas le contraire (ラカン、S.16,1968年ーー潜在的リアルについて初歩的なこともわかっておらん

ーーいやあ、この文でさえまったく意味がわからんらんようだからな、一度、脳味噌のなかを覗いてみたいもんだ・・・潜在的リアルどころの話じゃないわけだ・・・


…………

近代科学は…対象の数学化を要求する。それは対象が数学的本質であることを要求しない。したがって対象が永遠・完璧であることを要求しない。……むしろ、反対に、数学化の手段によって、対象の把握を目指す。数学化において、対象はそれ自体と異なることもありうる。対象は、実験上の、偶然的・反復的、したがって一時的な性質をもちうる。(ジャン=クロード・ミルネールJean-Claude Milner, Le périple structural, 2002、私訳)

《科学的認識の変化は非連続的であること、それが受けいれられるか否かは好み(プレファレンス)あるいは宣伝(プロパガンダ)・説得(レトリック)による》(柄谷行人、1983)

コペルニクス以前にも以後にも太陽はある。それは東に昇り、西に沈む。しかし、コペルニクス以後の太陽は、計算体系から想定されたものである。つまり、同じ太陽でありながら、われわれは違った「対象」をもっているのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』2001, p.61)

・自然は「非一 pas-une」だと私は言おう。(S.23)
・世界が「一」として構成されている Un constitue l'Univers などというのは信じ難い。(ラカン、S.23)

ーーラカンは何を言っているのか。

まずは、物理学の言説あるいは科学の言説が変われば、別の世界・別の自然がある、と言っていると捉えうる。これは、上の柄谷文の《われわれは違った「対象」をもっている》云々とともに読むことができるはずだ。もっともラカンのこのあたりの議論は錯綜してはいる(参照:ロレンツォ、2010, Chiesa, L., ‘Hyperstructuralism's Necessity of Contingency',PDF)。

いずれにせよラカンは、ナイーヴな科学者、その実在論者と唯物論者の議論を相手にするつもりはない、ということを言っている。

あれらの現実主義者 realist ……その「自然は常にそこにある la nature, dit-on, est toujours là 。我々がそこにいようといまいと nous soyons là ou pas 独立して」という考え方(信仰)に抵抗できない。我々と我々の科学…あたかも科学が実際に我々のものであり、我々は科学に決定づけられていないと考える。もちろん私はこれについて論争するつもりはない。(ラカン、S.16)

さて、ジャン=クロード・ミルネールの言っていることが分からない御仁もいると思われるので、柄谷ともう一度ラカンにて補足しよう。

数学者が――つねにきわめて少数であるが――数学の“基礎”に関して絶望的であるかすくなくとも謙虚であるにもかかわらず、科学者が抱いている数学的基礎づけに対するオプティミズムは、現代においては、代数的な「構造」にもとづく構造主義において典型的に示されている。それについてはのちにのべるが、逆説的なことは、科学者が、経験あるいは知覚に背を向けて、それらに何一つ負うていないかのようにみえる数学的な“建築”にもとづくことを科学的な知の保証とみなすにもかかわらず、諸科学の、そして数学そのものの発展を可能にしてきたのは、そのような厳密な建築性であるどころか、あるあいまいさにほかならなかった。(柄谷行人『隠喩としての建築』)

ラカンはセミネール16の段階では、数学的言説(あるいは科学の言説)をめぐって、次のような言い方をしている、「その全体化するメタ言語、つまり、《数学的論理 logique mathématique》の導入は、自然言語としての言語のなかのメタ言語の欠如として現れるものを補填しようと努めることによって、《論証的亀裂 clivage discursif》を生み出すことに終わる。というのは《どんな論理もすべての言語を囲い込むことはできない pas plus de logique qui enserre tout le langage》から」(S.16、摘要)と。

そしてセミネール18ではあらためて次のように言うことになる。これは上の柄谷行人の文と「ともに」読むことができるだろう。

分節化ーー見せかけsemblantの代数的 algébrique分節化という意味だがーー、これによって我々は文字 lettres だけを扱っている。そしてその効果。これが実在 réelと呼ばれるものを我々に提示可能にしてくれる唯一の装置である。何が実在 réel かといえば、この見せかけに穴を開けること fait trou dans ce semblant である。

科学的言説であるところの分節化されたこの見せかけ ce semblant articulé qu'est le discours scientifique のなかに 、科学的言説は、それが見せかけの言説か否かさえ悩まずに進んでゆく

しばしば言われるように、科学的言説がかかわる全ては、そのネットワーク・その織物・その格子によって、正しい場所に正しい穴が現れるようにすること fasse apparaître les bons trous à la bonne place である。

この演繹によって到達される唯一の参照項は不可能である。この不可能が実在 réelである。我々は物理学において、言説の装置の助けをもって、実在 le réel であるところの何かを目指す。その厳格さのなかで、一貫性の限界に遭遇する rencontre les limites de sa consistanceのである。(ラカン、S.18、1970-1971、私訳)


もちろん世界にはナイーヴでない科学者も――つねにきわめて少数であるが――いる。

科学における信仰の必要について私がのべたことは、純粋に因果的な世界や、確率が支配する世界にもひとしくあてはまる。純粋に客観的な個々の観察をいくら大量にあつめても、確率という概念が正当であることを証明することはできない。いいかえれば、論理学における帰納法の法則は、演繹によって樹立されることはできない。帰納的論理、すなわちいいかえればベーコンの論理は、われわれが証明しうる種類のものではなく、われわれの行動の土台にしうる種類のものであり、それに基づいて行動するということは、信仰の最高の表明である。(ノーバート・ウィーナー『人間機械論』1950)
J・ブローフスキー博士は、われわれの大部分があらゆる学問の中で最も事実に基づく科学だとみている数学は、頭に浮かべうる最も突飛なメタファー (隠喩)からなると指摘し、美的にも知的にも、そのメタファーの成功の程度によって判断されねばならないものだと唱えた。(ノーバート・ウィーナー『人間機械論』第二版)

日本にだって比較的まともな「理系」の方はすくなくともかつてはイラッシャラレタ。

◆野家啓一
柄谷は「形式化」の極限において体系がパラドックスに陥り、内部から自壊せざるをえない構造機制を不完全性定理にちなんで「ゲーデル問題」と名づけてい る。かつて『隠喩としての建築』を読んだ時、私はその着眼の卓抜さと鮮かなレトリックには感嘆したものの、「専門学者」としての見地から、彼のゲーデル理解とその敷衍の仕方には一種の「あやうさ」を感じざるをえなかった。というより、その「あやうさ」が後にエピゴーネンたちによって増幅され、「ゲーデル問題」が過剰な意味づけをされたまま安易なメタファーとして一人歩きし始めたことに危惧の念を覚えたのである。柄谷の問題提起の切実さに比して、一般に流布した「不完全性定理」の解釈はいかにも厳密さを欠き、寸足らずの安手の衣服をまとわされているように見えた。しかし、柄谷が抱え込まざるをえなかった困 難、あるいは彼がそのような〈問題〉に逢着した必然性は、私なりによく理解できたつもりである。(野家啓一「柄谷行人の批評と哲学」(『国文学』1989年1月号))


◆森毅
この本(柄谷行人『探求Ⅰ』)は、題名から知れるように、ウィットゲンシュタインから始まる。その上に、もうつきあうことに辟易している、マルクスまでが登場する。

それだのに、この本を読むことが、なぜか快感なのだ。おそらく、この一年ほどに読んだ本のうち、もっとも引きこまれた本のひとつだろう。

ウィットゲンシュタインの言語学批判と、マルクスの経済学批判とに、同型な構造を見る、その場所のゆえかもしれない。しかし、それだけではあるまい。

すごく明晰な論理はこびなのに、半分も読んで行くと、どこへ持って行かれるのか、いくらか不安になる。キルケゴールとか、レヴィナスとか、ぼくのもっとも苦手とする思想家どもが、現われはじめることになる。それに、数学論とドストエフスキー論とが入り乱れると、数学少年と文学少年のはさみうちに合うときのことを連想する。(森毅 『一刀斎の古本市』)
「柄谷のおもしろいところは、何をやっても愛嬌があって、ちょっととんちんかんなようで、なにかしらこちらがう-んと考えさせられるというところです。彼はムチャクチャ言っても済んじゃうわけです。 『あの頃、ちょっとぼく、頭がおかしくなっててね』とか言うと、みんな喜んじゃうんです。そういうイメージがあるから、かなりきついことを言っても愛嬌があるんです」(森毅『ゆきあたりばったり文学談義』)

…………

以下、30年以上前の論から、抜き書きする。これが今でも正しいのか否かは、わたくしには「正確には」瞭然としないが、ーーだがこれが誤謬であるならば、どんな見解があるというだろうか? 19世紀に「退行」するほかないのではないだろうか・・・すまんねえ、蚊居肢散人の文系頭は30年前のままなんだな、現在の「聡明な」理系頭の方にぜひ反論してもらいたいものだ。ただし19世紀に退行しないでイタダキタイ・・・


【柄谷行人、1983】 
二十世紀において顕在化しはじめた文学や諸芸術の変化、たとえば抽象絵画や十二音階の音楽などは、互いに並行し関連しあっているだけではなく、物理学、数学、論理学の変化にも根本的に対応している。一般に、この変化を形式化(フォーマライゼーション)と呼ぶことができる。形式化とは、指示対象(レフアレント)や意味内容・文脈(コンテクスト)をカッコにいれて、項(それ自体は意味のない)と項の関係のみを考察することだといってよい。(……)

たとえば、ポパー、クーン、ファイヤアーベントらの「科学史」にかんする事実においては、科学が事実・データからの帰納や“発見”によるのではなく、仮説にもとづく“発明”であること、科学的認識の変化は非連続的であること、それが受けいれられるか否かは好み(プレファレンス)あるいは宣伝(プロパガンダ)・説得(レトリック)によること……などという考えが前提になっている。考えてみればすぐわかることだが、このような科学史(メタ科学)的認識そのものが、その対象、たとえば量子力学やサイバネティックスにもとづいいる。科学史をそのように変化させたののは、すでに現代の科学が経験・データではなく知的構成(建築)にもとづくといわざるをえない事態である。科学史あるいはもっと広く思想史において用いられる理論的枠組(たとえば構造主義)は、科学自体から導入されている。この関係はのちに説明するように自己言及的(セルフ・リファレンシャル)である。すなわち、科学史あるいは思想史は、それが対象とするものに逆に属してしまうのであって、それらはけっして外在的、あるいは“超越的”(メタ)であることができない。

二十世紀の知において生じた事態は、さまざまな個別領域における変化だけでなく、またそれらが諸関係の網目をなすということですらもなく、そのことについての知がもはやそこから超越的ではありえないことなのである。くりかえしていえば、この事態の真に奇妙な性質は、知における変化にあるのではなく、むしろ知についての知(メタ科学・メタ数学・メタ歴史学)がもはや知に対して超越的ではないこと、ホッフシュタッターのことばでいえば、strange loop(不思議な円環)が形成されてしまっていることにある。「形式化」こそがそれを不可避にするのだ。(柄谷行人「隠喩としての建築」『隠喩としての建築』所収pp.40-41)
経験科学の真理にかんしては、「確証可能性 confirmability」をあげる論理実証主義者(カルナップ)と「反証可能性 falsifability」をとなえるポパーとのあいだに、有名な論争があった。ポパーの考えでは、科学的法則はすべて帰納的な支持をもつ仮説でしかなく、観察によってそれと衝突する「否定的データ」が発見されると、その例を肯定的事例として証明できるような新しい包括的な理論が設定され、理論の転換がおこる。したがって、「否定的データ」の発見が科学の進歩や発展の原動力である。ところが、T.クーンらに代表される近年の科学史家は、観察そのものが「理論」に依存していること、理論の優劣をはかる客観的基準としての「純粋無垢なデータ」が存在しないことを主張する。すなわち、経験的データが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわち認識論的パラダイムの下で見出される、と。そして、それが極端化されると、「真理」を決定するものはレトリックにほかならないということになる。

しかし、こうした考えは、それ自体、“事物”や“意味”は言語的あるいは理論的網目組織によって分節化されたものだという「形式主義」的観点にほかならない。しかも、このような科学史(メタ科学)的認識は、その対象、たとえば量子力学やサイバネティックスにもとづいている。科学史をそのように変化させたのは、すでに現代の科学が経験・データではなく知的構成(建築)にもとづくといわざるをえない事実であうる。科学史あるいはもっと広く思想史において用いられる理論的枠組(たとえば構造主義)は、科学自体から導入されている。この関係はのちに説明するように自己言及的である。すなわち、科学史あるいは思想史は、それが対象とするものに逆に属してしまうのであって、それらはけっして外在的、あるいは“超越的”(メタ)であることができない。同じことが、フランス的な文脈で語られたフーコーの“アルケオロジー”についてもあてはまる。「構造主義」を知における一つの徴候として読む「立場」は、超越的なものではありえず、それ自体「構造主義」に内属している。このような「不思議な円環」(ホッフシュタッター)を不可避的にするものをこそ、私は「形式化」とよぶのである。(柄谷行人「形式化の諸問題」『隠喩としての建築』所収P96-98)


【蓮實重彦、1979】 
だが、解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話論的要素として風景の一部に分節化されてしまっており、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がた がいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。

それにもかかわらずクーンが提起したパラダイムの概念、およびそれが煽りたてたもろもろの議論に何がしかの意味があったとするなら、それは、科学の客観性と連続性という双生児的概念に人びとがようやく疑いの目を注ぎはじめたからではなく、科学をも含めたあらゆる今日的思考が、風景論の時代に属しているという現実をクーンが無意識ながら告白しているからにほかならない。またそれにもまして興味深いのは、風景論の時代に特有な認識の配置図や「知」の流通形態の全域を理論的に踏査しつくしたわけでもないのに風景論の時代の言説をもてあそび、そのことできわめて逆説的ながらみずからの立場を証拠だてているかにみえるクーンが、なおそのパラダイム概念の提起にあたって、ほとんどデカルト的というほかない認識のパターンに頼って自分を科学史という物語の話者に仕たてあげ、その視点を修正したり再強化したりしているという点である。その一点に限っていえば、あたかも彼は自分自身が世界の物語による分節をまぬがれ、風景の汚染に抗いうるとでも信じているかにみえる制度的楽天性がそこに露呈しており、その意味でクーンはいささかも革命的ではないし、ましてや反科学的でもない。彼は風景による教育にことのほか忠実なる風景論の饒舌な語り手にすぎないのだ。(蓮實重彦「風景を超えて」『表層批判宣言』所収)

《あたかも彼は自分自身が世界の物語による分節をまぬがれ、風景の汚染に抗いうるとでも信じているかにみえる制度的楽天性がそこに露呈》しているようなクーンのような姿勢を、蓮實はのちに、《自分が批判している対象とは異質の地平に立って、そこに自分の主体が築けるんだと思うような形で語られている抽象的な批評がいまなおあとを絶たない》(『闘争のエチカ』1988)と言っている。

…………

※付記

ジジェクはかねてよりストレンジ・アトラクターへの言及をしていたが、2012年にこう記している(この文だけでは分かりづらいようであったら、「〈モノ das Ding〉というアトラクター」を見よ。ジジェクは1991年の段階ですでに「自然は存在しない」と言っている)。

数学におけるアトラクターを例にとろう。アトラクションの領野内の全ての線や点は、絶え間なく、アトラクターに接近するのみで、決して実際にはその形式に到らない。この形式の存在は、純粋にヴァーチャルなものであり、線と点がアトラクターに向かう形以外の何ものでもない。しかしながら、まさにそれ自体として、そのヴァーチャルな形式が、この領野の現実界なのである。すなわち、全ての要素がそのまわりを旋回する不動の中心的な点が。

このようにして、これらの捻りのヘーゲリアンの論理は、さらにいっそう正確に与えられうる。三段階ではないのだ。ここでは四つの段階が作用している。最初に、一貫的な大他者。次に、侵入する残余としての対象a に非一貫化された大他者。そして、大他者の「一貫性」を支えるものとしてのこの対象(多様な非一貫的象徴化は、侵入する対象への反応のネットワークとしてのみ「全体化」される)。最後に、最初に戻る。だが異なったレヴェルの最初だ。すなわち、「現実界」としての対象a は、象徴秩序自体の、純粋に形式的な歪曲・内的湾曲にとっての「名」に過ぎない。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012、私訳)

最後に最も基本的な「愚直なnaive 科学者」への問いかけを掲げておこう。19世紀に退行してしまった連中にはこういったことも、おそらく意味不明なのだろうが。

今思えばカントの超越論的な次元に辿りついたとき、私は哲学とは何たるかを間違いなく初歩的なレヴェルでしか理解してなかったのだ、と思いました。つまり、私は哲学が一種の誇大妄想的な企て――ほら、「世界の基本的な構造を理解しましょう」というたぐいのものです――ではないという重要なポイントを理解したとき、哲学はそんなものではないとわかったのです。

あるいは、よりハイデガー的な言い回しを使えばこうです。世界の構造を理解すべく根本的な問いがある場合、世界という観念は単に宇宙であるとか、存在する万物であるというものではないのです。むしろ「世界」というのは、ある種の歴史的カテゴリーであり、世界が何たるかを理解することは、超越論的な用語で言えば、歴史的に以前から存在するアプリオリ(先験的)な構造――世界がいかに私たちに露呈されているのかをどう理解するかを決定する構造――を理解することなのです。

哲学は誇大妄想的なもの megalomaniac enterprise ではないと私が知ったのは、愚直なnaive 科学者から「われわれが合理的な仮説にもとづいた厳然たる現実を扱っているのに対して、君たち哲学者は単にあらゆる事物の構造を夢見ているだけではないのかね」というありがちな反論を受けたときでした。そのとき、哲学はある意味で科学より批判的で、より用心深くさえあるのだということに気づきました。哲学はより初歩的な疑問さえ投げかけます。例えば、科学者がある問いにアプローチする際、哲学のポイントは、「万物の構造は何か」ではなく、「その問いを定式化するために科学者がすでに前提としなければならない概念とは何なのか」ということです((スラヴォイ・ジジェク『ジジェク自身によるジジェク』)

※文句を言ってくる人がいるが、「猿の沈没」を読んでからにしていただきたい。

2016年10月8日土曜日

悪意プラス罪

やあ、蓮實重彦かい?数多くの罵倒・嘲弄芸をしてきた人物なんだから敵が多いに決まってるし、あのバルト論の「美しい嘘」はたしかに笑えるよ。

敵が多いだろうその「芸風」は、1970ー80年代はとくに際立っていたけど、最近でもーーわたくしの知っている限りでもーー内田樹嘲弄とか宇野邦一罵倒があるし。

この退屈な年中行事に三度もつきあわされてしまったという律儀なブログの書き手には、あまりにも意識の低いマスメディアから適当にあしらわれているという屈辱感がまるで感じられない。多少ともものを書いたことのある人間なら誰もが体験的に知っているだろうが、この種のコメントを求められて断れば、相手は涼しい顔で別の人間にあらためて依頼するだけのことだ。このブログの書き手は、自分がいくらでもすげ替えのきく便利な人材の一人であることを隠そうとする気さえない。(蓮實重彦『随想』2010)
宇野邦一の「フレームという恐ろしいもの」……ほんの思いつき程度の貧しい発想をいささか大袈裟に論じたてただけのもにすぎず、……宇野氏の粗雑な指摘は、誰もがそこで読むのをやめてもよいと判断するに充分なものである。(『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』2008,pp.120-127)

だがら蓮實重彦の欠陥見出して、罵倒し返すのもいいさ。

ま、どうでもいいんだけど、最近罵倒し合いがすくなくなったんじゃないだろうか、それがあればこの退屈な世界はもうすこしはおもしろくなるのに(ネット上で程度の極めて低い炎上が起こるせいでやらなくなったのだろうか)。

でも、たとえば40歳前後の「哲学者」やら「批評家」やらに対して、なんで誰もまともに罵倒しないんだろ、たとえば浅田彰程度には。

・僕は國分功一郎というのに驚いたんだけど、「議会制民主主義には限界があるからデモや住民投票で補完しましょう」と。 21世紀にもなってそんなことを得々と言うか、と。あそこまでいくと、優等生どころかバカですね。

・國分は、驚くべきことに、ドゥルーズやネグリのみならず、古典的なスピノザ研究の蓄積についてもほとんど言及せず、ひたすら「僕のスピノザ」を大声で得々と語るわけ-腐っても人文研の研究会で。 思わず「あなた、バカって言われない?」と聞いちゃった。(参照

とはいえ蓮實への罵倒については、なんだか次のフロイトの文、思い出しちまったなーーわたくしがいまだそれなりのファンのせいかもしれないけど。

私の身辺にある人間がいる。私はその人を憎んでいる。だからその人が何かの不幸にもで遭えば、私の中には烈しい喜びの気持が動く。ところが私の徳義心は、私自身のそういう気持を肯定しようとしない。私はあえて呪いの願望を外に出すことをしかねている。

さて偶然その人の身の上に何か悪いことが起こったとき、私はそれに対する私の充足感を抑えつけ、相手を気の毒に思うことを口にも出すし、自分の気持にも強制するであろう。誰にもこんな経験はあるにちがいない。

ところがその当の人間が不正を犯してそれ相当の罰をこうむるというようなことでも起ると、そのときこそ私は、彼が正当にも罰をこうむったことに対する私の充足感を自由に外に出すことができる。そして、彼に対して愛憎を持っていない多くの人々と自分もこの点では同意見だとはっきり口外する。
しかし私の充足感はほかの人たちのそれよりも一段と強いものであることを、私は自分自身のうえに観察しうる。私の充足感は、情念動出を内心の検閲によってそれまでは妨げられていたが、今や事情が一変してもはやそれを妨げられることのなくなった私の憎悪心という源泉からエネルギーの補助を受けているのである。

こういう事情は、反感をいだかれている人物であるとか、世間から好かれていない少数党に属する人間であるとかがなんらかの罪を己が身の上に招くようなときには普通世間でよく見られるところのものである。こういう場合、彼らの受ける罰は彼らの罪に釣り合わないのが普通で、むしろ彼らに対して向けられていたが外に出ることのなかった悪意プラス罪というものに釣り合うのである。

処罰者たちはこの場合明らかに一個の不正を犯す。彼らはしかし自分たちが不正を犯しているということを認め知ることができない。なぜならかれらは、永いこと一所懸命に守ってきた抑制が今こそ排除されて、彼らの心の中には充足感が生まれてきて、そのために眼が眩んでしまっているからである。こういう場合、情動はその性質からすれば正当なものであるが、その度合からすれば正当なものではない。そして第一の点では安心してしまっている自己批評が、第二の点の検討を無視してしまうのはじつに易々たることなのである。扉がいったん開かれてしまえば、もともと入場を許可しようと思っていた以上の人間がどやどやと入りこんでくるのである。

神経症患者における、情動を湧起せしめうる動因(きっかけ)が質的には正常だが量的には異常な結果を生むという神経症的性格の著しい特色は、それがそもそも心理学的に説明されうるかぎりではこのようにして説明されるのである。しかしその量的過剰は、それまでは抑制されて無意識のままにとどまっていた情動源泉に発している。そしてこれらの源泉は現実的動因(きっかけ)と連想的結合関係を結びうるものであり、また、その情動表出には、何の要求をも持たないところの、天下御免の情動源泉が望みどおりの途を拓いてくれるのである。

抑制を加える心的検問所と抑制を受ける心的な力とのあいだにはいつも必ずしも相互的妨害の関係が存するばかりではないということにわれわれは気づかされるわけである。抑制する検問所と抑制される検問所とが協同作業をして、相互に強化しあい、その結果ある病的な現象を生じせしめるというようないくつかの場合も同様注目に値する。 ……(フロイト『夢判断』高橋義孝訳 文庫 下 P219-221)

もっと一般的にいえば、こういうことでもあるかも

耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。(ドゥルーズ『シネマⅡ』)
私は相対的にはマヌケ débile mental だよ…言わせてもらえば、全世界の連中と同様にマヌケだ。というのは、たぶん私は、いささか啓蒙されている une petite lumière からな(ラカン、S.24,17 Mai 1977)
精神分析的記述(ラカンの記述である。語る人なら誰でも、ここで、その洞察の鋭さを確かめ得るだろう)に従えば、教師が聴講者にしゃべる時、「他者」はつねに存在し、彼の言述に穴をあける。そして、たとえ彼の言述が無謬の知性で完結し、科学的《厳密さ》や政治的急進性で武装していても、やはり穴はあけられるだろう。私がしゃべりさえすれば、私のパロールが流れさえすれば、私のパロールは外に流出するのである。もちろん、すべての教師が精神分析の被験者の立場にあるとはいっても、受講する学生が逆の状況を利用できるわけではない。なぜなら、まず第一に、精神分析的な沈黙には、何ら優越する点がないからである。第二に、時折、被験者が殻を破り、こらえることができず、パロールに身を焼き、弁論の淫らなパーティーに加わるからである(たとえ被験者が頑固に押し黙っているとしても、彼はまさに自分の沈黙の頑固さを語っているのだ)。 (ロラン・バルト『作家、知識人、教師』)




2016年10月7日金曜日

愛を語るときに生まれる「演出」

人間は、自身で経験した事件についてさえ、数日後には噂話に影響された話し方しかしないものだ。 (小林秀雄「ペスト」『作家の顔』所収)

…………

僕が、はじめてランボオに出くわしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いていた、と書いてもよい。向うからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである。僕には、何の準備もなかった。ある本屋の店頭で、偶然見付けたメルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本に、どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えてはいなかった。しかも、この爆弾の発火装置は、僕の覚束ない語学の力なぞ殆ど問題でないくらい敏感に出来ていた。豆本は見事に炸裂し、僕は、数年の間、ランボオという事件の渦中にあった。それは確かに事件であった様に思われる。文学とは他人にとって何んであれ、少なくとも、自分にとっては、或る思想、或る観念、いや一つの言葉さえ現実の事件である、と、はじめて教えてくれたのは、ランボオだった様にも思われる。(小林秀雄「ランボオ Ⅲ」『作家の顔』所収)

蓮實重彦は、この小林秀雄のランボー小論に「嘘」が混じっていると指摘しているのは比較的よく知られているだろう(高橋悠治による小林秀雄のモーツァルトにおけるメロドラマの指摘と同様に。--《小林秀雄は作品に対することをさけ、感動の出会いを演出する。その出会いは、センチメンタルな「言い方」にすぎないし、対象とは何のかかわりもない》)。

……高橋(英夫)氏が引用するのは、いうまでもなく、「僕が、はじめてランボオに、出くはしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いてい た、と書いてもよい。向こうからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである」で始まる一節である。だがそれにしても、これが「一種の狂暴 な〈出会い〉として一挙に起こったのだ」という点に注意すべきだとする高橋氏が、すかさず「精神が精神に触れ合う危機」を語り始めるとき、ここで小林氏が 嘘をついているという事実になぜ気づこうとしないのだろう。というより、小林氏は嘘をつくべく強いられているのだ。「神田をぶらぶら歩いていた、と“書い てもよい”」の、動詞「書く」がフランス語の譲歩による語調緩和の「条件法」に置かれている点を見逃してはなるまい。それに続く瞬間的な衝撃性の比喩とし ての「見知らぬ男」の殴打、「偶然見付けたメルキュウル版」に「仕掛けられてて」いた「爆薬」、「敏感」な「発光装置」、「炸裂」などの比喩は、事件としてあったはずのランボー体験を青春の邂逅の光景としてしか語りえない「貧しさ」に苛立っていた言葉が、「書いてもよい」を恰好な口実として一挙に溢れだして小林氏を裏切り、ほとんど無償に近い修辞学と戯れさせてしまったが結果なのであり、問題の一節にあって「条件法」的語調緩和の余韻をわずかにまぬがれている文章は、最後に記される「僕は、数年の間、ランボオといふ事件の渦中にあった」という一行のみである。つまり、真の小林的ランボー体験は、その装われ た性急さにもかかわらず、徐々に、ゆっくりと引き伸ばされ、時間をかけて進行した事件だったのである。わざわざ「『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」とことわっている小林氏は、書物の言葉をかいくぐって一挙に「精神が精神に触れ合う危機」などを演じてしまうほどに、「精神」を信用してはおらぬ、それとも高橋英夫は、小林氏が言葉にもまして「精神」を尊重していたとする確かな証拠でも握っているのであろうか。(……)

……だが、多少とも具体 的な夢へと立ち戻りうる者になら、人が「未知」の何かと「偶然」に遭遇したりはしないという点が素直に理解できるだろうし、そればかりか、むしろ「出会い」を準備しうる環境と徐々に馴れ合い、それを通じて出会うべき対象をかりに無意識であるにせよ引き寄せ始めていない限り、遭遇などありえはしないとさえ 察知しうるはずだ。つまり、小林秀雄は、大学における専攻領域の選択、交遊関係などにおいて、詩人ランボーの書物と「出会い」を演じて決して不思議ではな い環境にあらかじめ住まっていた「制度」的存在なのであり、そのときすでに、ボードレールもパルナシアンの何たるかも知らされてしまっていたのだ。そうで なければ、「メルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」を「ある本屋の店頭で、偶然見付け」るといったペダンチックなメロドラマは起こったりし まい。いずれにせよ、こちらがそれらしい顔でもしていない限り、「見知らぬ男」が都合よく「僕を叩きのめし」てくれるはずがなく、だからあらゆる「出会 い」は「制度」的に位置づけられ準備され組織された遭遇なのであって、その位置づけられ組織されたさまを隠蔽するために、人は「出会い」を擬似冒険的な色 調に塗りこめ「文学」と「青春」との妥協に役立てずにはいられないのだ。(蓮實重彦「言葉の夢と批評」『表層批評宣言』所収)

こういった「メロドラマ」とは、蓮實重彦が制度(あるいは物語)という言葉で批判しつづけてきた言説のあり方である。

制度とは、語りつつある自分を確認する擬似主体にまやかしの主体の座を提供し、その同じ身振りによってそれと悟られぬままに客体化してしまう説話論的な装置にほかならない。それは、存在はしないが機能する装置なのである。(蓮實重彦『物語批判序説』)
「制度」…。本当はそんな身振りを演ずべき必然性などどこにも見当たらないのに、誰もがついついそんな身振りを演じてしまうことで支えられたかりそめの葛藤劇。それは、かりそめとはいえ、かりそめであるが故に可能な執拗性を帯びている。「制度」が恐ろしいのは、そのかりそめの執拗性という奴が唯一の基盤であるからだ。(蓮實重彦『表層批評宣言』)

なかんずく、人は愛を語ろうとすると、こういった現象に陥りがちだろう。もっと一般的に、 《主体の最も深刻な疎外は、主体が我々に彼自身について話し始めたときに、起こる》(ラカン、E.281)、あるいは《人はつねに愛するものについて語りそこなう》(ロラン・バルト)と言ってもよい。

ところで蓮實重彦は、2003年の国際シンポジウムで、ロラン・バルトへの愛を口頭で(仏語によって)語っている(後に、自ら日本語訳して「文學界」(2006、01)に発表された)。

それはとても「美しい」文であり、とくにその冒頭箇所はーー下記に引用するがーーロラン・バルトファンのわたくしにとって鍾愛してやまないものである。

とはいえそこには、《二五年の余も、バルトを論じることなくすごしていた》とある。ロラン・バルトが《パリ街頭での自動車事故で呆気なく他界》したのは、1980年である。1980年以降、25年のあいだバルトを論じることなくすごしていた、と言っていることになるのだが、1985年に出版された『物語批判序説』の結論部分にはプルーストをめぐる叙述のあとに「Ⅲ ロラン・バルト あるいは受難と快楽』という章があり、247頁から306頁までがそれに当たる(初出は1984年の『海』)。

ーーというわけで、やはり蓮實重彦もロラン・バルトへの愛を「美しく」語ったとき、なんらかの「演出」をしている、あるいは物語の制度に囚われてしまっていると言ってよいだろう。

長いこと、バルトについて語ることを自粛していた。パリ街頭での自動車事故で呆気なく他界してから、その名前を主語とする文章をあえて書くまいとしてきたのである。いきなり視界にうがたれた不在を前にしての当惑というより、彼自身の死をその言葉にふさわしい領域への越境として羨むかのような文書を綴ったのが一九八〇年のことだから、もう二五年の余も、バルトを論じることなくすごしていたことになる。とはいえ、その抑制はあくまで書くことの水準にとどまり、バルトを読むことの意欲が衰えたことなどあろうはずもない。

二〇歳ほどの年齢差にもかかわらず彼との同時代を生きえたわたくしにとって、ロラン・バルトは語の最良の意味における「批評家=エッセイスト」と呼ぶべき存在にほかならない。彼は、「現在」というとりとめのない瞬間に、そのつどほんの思いつきといった身軽さで、しかも、これしかないという鮮やかな身振りで触れてみせる希有の才能に恵まれていた。そのとき、言葉とともにあろうとする彼の身振りのえもいわれぬものやわからさを、その場で気持ちよく「消費」していればよかった。彼のテクストは、大量消費社会が奇蹟のようにもたらす贅沢きわまりない「消費」の対象だったとさえいえる。その言葉を心地よく「消費」しようとする姿勢を、彼自身なら「くつろぎ」《 aise》という言葉で肯定してくれることだろう。

さいわいなことに、この「批評家=エッセイスト」は、あくまで「消費」されることをこばむ「芸術家」などではついぞなかった。読まれることの「現在」と「永遠」との修正しがたいひずみにどこまでも無頓着な「理論家」でもなかった。バルトは、あくまで「現在」に生きるジャーナリスティックな「批評家=エッセイスト」だったのであり、それは、プロに徹した純粋なアマチュアともいうべきすぐれて矛盾した存在だったといってよい。その姿勢は、コレージュ・ド・フランスの教授として「文学記号論」を講じ始めてからも変わることがない。実際、「形容詞は一つの商品である」といった言葉で「中性」的なものを位置づけようとするそのディスクールは、講壇批評の厳密さとはおよそ異なる自在さにおさまっていた。

そうしたバルトのテクストが、死のもたらすだろう「永遠」の時間と触れあうための配慮をあれこれ身にまとっていたとはとても思えない。「永遠」という概念ほど、この「批評家=エッセイスト」にふさわしからぬものも想像しがたいからだ。つかの間の移ろいやすさと真摯に触れあうこと。それが、プロに徹したアマチュアとしてのバルトの決定的な「美しさ」だったはずである。新しい「芸術家」も新しい「理論家」も存在しがたい二〇世紀後半におけるバルトの貴重さは、そこにあったとさえいえる。その死を願ってもない好機ととらえたかのように、さまざまな地域のーーとりわけ合衆国のーー大学がやってのけるバルトの学術的な「カノン」化には、ただただ呆気にとられたというのが正直なところだ。「永遠」の時間とは容易に折り合いをつけがたい彼にふさわしい「くつろぎ」の維持に、人々は率先して目をつむっているかにみえたからだ。

死後出版というかたちで流通しはじめたバルトの「新刊」のいくつかには、何よりもまず、その場で「消費」されることへの心遣いが影をひそめており、そのほとんどを読んでも心が揺れなかった。何にもまして、そこに「くつろぎ」にふさわしい配慮を見いだしえなかったからだ。『全集』にいたっては、心もとない撒布状態を生きることで初めて意味を持つそのテクストに惹かれていたわたくしに、「可哀想なバルト ……」とつぶやかせるのがせいぜいだった。「伝記」と呼ばれるものを目にしても、読む意識をバルトのテクストへと向わせる刺激が徹頭徹尾欠けていることに、うんざりするほかはなかった。コレージュ・ド・フランスの「講義録」の新たな刊行に対しては、いまなお態度を決めかねている。『全集』も「伝記」も「講義録」も、書物としては、バルトのおぼつかない「現在」におよそふさわしからぬもので、それと向かい合うには、バルトが嫌った「厚顔無恥」《 arrogance》に陥るほかはないという危惧の念を捨てきれぬからである。この四文字の漢語を「はしたなさ」という和語に置き換えた方がよかろうとは思うが、いずれにせよ、そうしたことが、わたくしに、四半世紀にもおよぶ短くはない沈黙を選ばせたのかもしれない。「はしたなさ」ばかりが跳梁跋扈する世紀末から二一世紀にかけての「文学理論」や「批評」がもたらす苛立ちも、沈黙を破らせることにはならなかった。

いま、その無言状態からふとぬけだそうとすることに、深い理由があるわけではない。あたりにはりつめていた禁止の力学が、ようやくときほぐれ始めたというのでもない。バルトをめぐってたち騒ぐあたりの饒舌を、雄弁な沈黙によっておきかえようと思いいたったのでもない。そもそも、雑駁きわまりない呼び方で「現代思想」 ――または、店晒しにされた「厚顔無恥」 ――などと分類されたりもするフランスの他の作家たちにくらべてみれば、バルトに対して、人は、あまりにも少なく饒舌だったというべきだろう。

何かを書くというあてもないままの無言状態の中で、わたくしは、好みのテクストにひたすら読み耽っていた。それは、『ミシュレ』であり、『ラシーヌ論』であり、『サド、フーリエ、ロヨラ』であり、『テクストの快楽』であり、『彼自身によるロラン・バルト』であり、『明るい部屋』でもあったりしたのだが、それらを、ちょうどプルーストを読むバルト自身のように、これという確かな方法もなく、一冊のモノグラフィーにも仕立てあがるというひそかな野心もいだかぬまま、読了するという「はしたなさ」をもおのれに禁じつつ、もっぱら贅沢な暇つぶしとして「消費」していただけなのである。暇つぶしとして「消費」しえないことがその価値を高める書物など、現在の地球に、また歴史的にいっても、ごくまれにしか存在しない。

バルトにとってのプルーストが「永遠」の作家ではなく、とだえることのない永続的な「消費」の対象だったように、わたくしにとってのバルトもまた、とだえることのない永続的な「消費」の対象だった。ごく個人的なものにとどまるその「消費」は、あるとき、間違っても刊行されるあてのない不在の書物の構想へとゆきつく。「消費」する者として気ままに思い描いていたわたくしなりのコンテクストにしたがって、この「批評家=エッセイスト」の声のいくつかをよみがえらせてみたいというとりとめもない思いへと誘われたのである。それは、『彼自身によるロラン・バルト』を自在に「リメイク」するという映画のようなフィクションとして、漠たる輪郭におさまることになる。バルトの「全体像」には背を向け、ある任意の一点でバルトを横切るとき、そこにはバルトが書いたわけではないが、バルトの「くつろいだ」声が低く聞きとれるかに錯覚されるフィクションとしての「リメイク」が切りとられるはずだ。

ここに読まれようとしているのは、その「リメイク」の書かれるあてのないシナリオのほんの一部 ――どこかに隠匿されているかもしれない全体の一部ではなく、一部としてしかありえないーーにすぎず、生前のバルトが、ことあるごとに「中性」的な領域に描きだしていた「病気」、「失敗」、「倦怠」という三つの光景をとりあえずの舞台装置として語られることになるだろう。その「シナリオ」は「批評」として読まれることがあってはならず、アマチュアの言葉としてもっぱら「消費」されることのみを願っている。(蓮實重彦「バルトとフィクション 『彼自身によるロラン・バルト』を《リメイク》する試み」)