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2017年8月30日水曜日

先史時代人と母との遭遇

折口信夫は「文学の起源」を「神授の呪言」だと言っている。

信仰に根ざしある事物だけが、長い生命を持つて来た。ゆくりなく発した言語詞章は、即座に影を消したのである。私は、日本文学の発生点を、神授(と信ぜられた)の呪言に据ゑて居る。(折口信夫「国文学の発生」)

折口信夫が徹底的に美しいのは、こういう箇所である。

たゞ今、文学の信仰起原説を最頑なに把つて居るのは、恐らくは私であらう。性の牽引や、咄嗟の感激から出発したとする学説などゝは、当分折りあへない其等の仮説の欠点を見てゐる。さうした常識の範囲を脱しない合理論は、一等大切な唯の一点をすら考へ洩して居るのである。音声一途に憑る外ない不文の発想が、どう言ふ訣で、当座に消滅しないで、永く保存せられ、文学意識を分化するに到つたのであらう。恋愛や、悲喜の激情は、感動詞を構成する事はあつても、文章の定型を形づくる事はない。又第一、伝承記憶の値打ちが、何処から考へられよう。口頭の詞章が、文学意識を発生するまでも保存せられて行くのは、信仰に関聯して居たからである。信仰を外にして、長い不文の古代に、存続の力を持つたものは、一つとして考へられないのである。(折口信夫「国文学の発生(第四稿) 唱導的方面を中心として 」)

もちろん「神授の呪言」における「神」や「呪言」をそのまま受けとるのではなく、現在のわれわれにとって神や呪言とは何かを問えばいいのである。ラカンは、神とは実は女のことだと言った。そしてわれわれの起源として母の舌語(ララング lalangue maternelle)、そのリトルネロを語った。

いずれにせよわれわれだれもが先史時代を経てきている。

私たちは成人文法性成立以前の記憶には直接触れることができない。本人にとっても、成人文法性以前の自己史はその後の伝聞や状況証拠によって再構成されたものである。それは個人の「考古学」によって探索される「個人的先史時代」である。縄文時代の人間の生活や感情と同じく、あて推量するしかない。これに対して成人文法性成立以後は個人の「歴史時代」である。過去の自己像に私たちは感情移入することができる。(中井久夫「外傷性記憶とその治療ーー 一つの方針」初出2003年『徴候・記憶・外傷』)

冒頭の折口の文を読んで、蓮實重彦が吉本隆明を引用しつつ書かれた70年代の文の「真意」にようやく接近した心持がする。

実は、この狩猟人と海との遭遇を、人類の歴史的な一時期に、ことによったらありえたかもしれない事実としてではなく、言語的な環境にあってたえず起こりつつあるはずなのに、それが不断に起りそびれていることへのいきどおりに近いものとして想像している吉本隆明を認めること(蓮實重彦)

もっとも以下で記そうとしていることは、「狩猟人と海との遭遇」とは、個人の発達段階においては「個人的先史時代人と母との遭遇」ではなかろうか、ということだが。

さて蓮實重彦文をもうすこし長く引用しておく。

……たとえばそれを「文化」の領域に据えてみた場合、マルクス、フロイト、ソシュール、レヴィ=ストロースといった「文化」的相貌のもとにたやすく傷つく無数の言葉を孕み持った吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』と題された一冊の書物は、「言語学」、「精神分析」、「文化人類学」などの「文化」的体系の中に住まう言葉からの執拗な、そして執拗であるからにはおのずとその限界を露呈せざるをえない攻撃にさらされており、もちろん、その攻撃のいっさいが無償の饒舌だとは断定しえないが、にもかかわらずなお吉本氏の言葉が言葉として自分を支えうるのは、それが言葉自身の孕む夢を虚構として切り捨ててはいないからだ。「たとえば狩猟人が、ある日はじめて海岸に迷いでて、ひろびろと青い海をみたとする」と吉本氏は「発生の機構」と題された冒頭の一節で「言語の本質」を探りつつ書いている。「人間の意識が現実的反射の段階にあったとしたら、海が視覚に反映したときある叫びを〈う〉なら〈う〉と発するはずである。また、さわりの段階にあるとすれば、海が視覚に映ったとき意識はあるさわりをおぼえ〈う〉なら〈う〉という有節音を発するだろう。このとき〈う〉という有節音は海を器官が視覚的に反映したことにたいする反映的な指示音声であるが、この指示音声のなかに意識のさわりがこめられることになる。また狩猟人が自己表出のできる意識を獲取していれば〈海(う)〉という有節音は自己表出として発せられて、眼の前の海を直接的にではなく象徴的(記号的)に指示することになる。このとき、〈海(う)〉という有節音は言語としての条件を完全にそなえることになる」。

差異の概念を導入することなく音声の記号化に言及しているという意味でまさか、と言語学者は絶句するだろうし、言語学者ならずともそれに似た反応をみせるに違いないこの段落において、動物的な条件反射から意識的なしこりをへて自己表出としての指示性を獲得するという言語発生をめぐる吉本的な語彙の強引な展開ぶりに苛立つことは、ほとんど意味を持っておらず、狩猟人と青い海との遭遇によって、フランス人ロラン・バルトが日本語のうちに認めた言語的理想郷と同質の風景を構築した吉本氏が、「われわれの内部で西欧(日本)の総体が動揺し、父親たちから受けついだ国語がぐらりと揺れるにいたるまで、翻訳不能なるものの振動を感知し、それを決して減衰させずにおきたいという夢」をそのきわめて具体的な相貌において記述しているという点がまず何よりも重要なのだ。もちろんここでの吉本的な狩猟人は、西欧人バルトが苛立っている「体系」の重みをまったく背負っていないかにみえるが、実は、この狩猟人と海との遭遇を、人類の歴史的な一時期に、ことによったらありえたかもしれない事実としてではなく、言語的な環境にあってたえず起こりつつあるはずなのに、それが不断に起りそびれていることへのいきどおりに近いものとして想像している吉本隆明を認めることこそが、言語の夢にふさわしい読み方というものだ。おそらく海ばかりでなく「青さ」そのものを知らなかった吉本氏の狩猟人は、それを色彩として捉えうる瞳を持たぬままに、自然が洩らしたとも知れぬ〈う〉の音の声としては響かぬ共鳴ぶりに捉えられて立ちつくし、それがまだ聴いたことのないある響きに酷似していることをすばやく察知するに違いない。(蓮實重彦「言葉の夢と「批評」」『表層批判宣言』所収)

「たとえば狩猟人が、ある日はじめて海岸に迷いでて、ひろびろと青い海をみたとする」を読み換えてみよう。「たとえば個人的先史時代人が、ある日はじめて世界に迷いでて、最初の誘惑者に遭遇したとする」。

…生物学的要因とは、人間の幼児がながいあいだもちつづける無力さ(寄る辺なさ Hilflosigkeit) と依存性 Abhängigkeitである。人間が子宮の中にある期間は、たいていの動物にくらべて比較的に短縮され、動物よりも未熟のままで世の中におくられてくるように思われる。したがって、現実の外界の影響が強くなり、エスからの自我に分化が早い時期に行われ、外界の危険の意義が高くなり、この危険からまもってくれ、失われた子宮内生活をつぐなってくれる唯一の対象は、極度にたかい価値をおびてくる。この生物的要素は最初の危険状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない「愛されたいという要求 Bedürfnis, geliebt zu werden」を生みだす。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)
母は、子供を滋養するだけではなく、世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を彼(女)に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとっての最初の「誘惑者 Verführerin」になる。この二者関係 beiden Relationen には、独自の、比較を絶する、変わりようもなく確立された母の重要性 Bedeutung der Mutterの根が横たわっている。全人生のあいだ、最初の最も強い愛の対象 Liebesobjekt として、のちの全ての愛の関係性Liebesbeziehungen の原型としての母ーー男女どちらの性 beiden Geschlechternにとってもである。(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』草稿、死後出版、1940、私訳)

このフロイトをめぐるラカン派の解釈については後述することにして、ここでは蓮實の『表層批判宣言』における折口信夫の『古代研究』に感嘆する西郷信綱への言及をまず引用しておく。

……「社会」と「個人」という対立の捏造が古代文学をも犯す「制度」になってしまっている現実を苦々しく喚起するのは、ここでは詳述しがたい理由によって井上究一郎とともに現代日本が持ちえた最大の「批評家」として位置づけうるべき西郷信綱である。たとえば「増補・詩の発生」(未来社)におさめられた「文学意識の発生」において、「文学の発生」という彼自身の主題の上を旋回しつづける二冊の書物、風巻景次郎の『文学の発生』と折口信夫の『古代研究』がもたらした感銘について語りながら、その主題探求の一時期に「人間の自我意識」という「近代的な概念」(“近代”傍点 原文)のみに立脚したおのれの方法的混乱を告白している。そしてその混乱は、一般に文学以前と想定される「非文学」の中に、「観念や意識ではなく、形であり造型である」文学の姿をいわば野性の思考として解き放つべく決意したときに解消されたのであり、その苦々しい体験から、「批評」が、井上究一郎の『失われた時を求めて』の翻訳にも比較すべき『古事記注釈』(平凡社)として結実しつつあるのだろうが、その混乱解消の契機となったのが、「社会」と「個人」というあのうんざりするほかない対立の図式の廃棄であったという点は、とりわけ注目されねばなるまい。(蓮實重彦「表層の回帰と「作品」」『表層批評宣言』所収)

こうして蓮實重彦は、90年代には、《「シーニュ」、「シニフィエ」、「シニフィアン」という三つの語彙がきわだたせる言語記号の定義が、ソシュール自身にとっての不幸にとどまらず、いまやその決算期にさしかかりつつある二〇世紀的な「知」の体系が蒙りもした最大の不幸なのもかしれぬという視点が、しかるべき現実感を帯び始めているのはまぎれもない事実だといわねばならない》(蓮實重彦「「魂」の唯物論的擁護にむけて」 1993年)と言うことになる。

上に引用したように西郷信綱は《観念や意識ではなく、形であり造型である》文学、その野性の思考ということを言っているが、ラカン派では言語の物質性(純シニフィアンの物質性)の強調、あるいはこの物質性にかかわるララングについて次のように言われたりする。

身体とララングとの最初期の衝撃。これが、法なき現実界、論理規則なき現実界を構成する。choc initial du corps avec lalangue, ce réel sans loi et sans logique.(ミレール2012、Présentation du thème du IXème Congrès de l'AMP par JACQUES-ALAIN MILLER)

…………

 ーー《ここでニーチェの考えを思い出そう。小さなリフレイン petite rengaine、リトルネロ ritournelle としての永遠回帰。しかし思考不可能にして沈黙せる宇宙の諸力を捕獲する永遠回帰。》(ドゥルーズ&ガタリ『ミラ・プラトー』1980年)

ラカンにとってリトルネロとは、母の言葉である。

リトルネロとしてのララング(母の舌語)lalangue comme ritournelle (Lacan、S21,08 Janvier 1974)

この母の言葉が反復強迫=永遠回帰する。

ラカンは神とは実は女のことだ、と言っている。

精神分析が明らかにしたのは、〈神〉とは単に《女 〉La femme》だということである。 ……Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ».(ラカン、S23、16 Mars 1976ーー玄牝之門・コーラ χώρα・ゾーエー Zoë

こんなことはじつはーー無意識的にはーー誰もが知っている。最も静かな時間に訪れるのは母なる「女主人」である。知らないのは「最も静かな時間」を知らない連中だけである。

きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻 stillste Stunde がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人 meiner furchtbaren Herrinの名だ。

……彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるだろうか。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」)

「わたしの恐ろしい女主人」とは、アリアドネの声、母の声(音調)、そのリトルネロ、母のララングである。 lalangue(ララング)とはまず、喃語 lalationにかかわる。

言語リズムの感覚はごく初期に始まり、母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生れてくる。喃語はそれが洗練されてゆく過程である。さらに「もの」としての発語を楽しむ時期がくる。精神分析は最初の自己生産物として糞便を強調するが、「もの」としての言葉はそれに先んじる貴重な生産物である。成人型の記述的言語はこの巣の中からゆるやかに生れてくるが、最初は「もの」としての挨拶や自己防衛の道具であり、意味の共通性はそこから徐々に分化する。もっとも、成人型の伝達中心の言語はそれ自体は詰まらない平凡なものである。(中井久夫「「詩の基底にあるもの」―――その生理心理的基底」『家族の肖像』1996所収)

《「もの」としての言葉》と記す中井久夫には、「音調」のニーチェ(参照)はもとより、「ララング」や「言語の物質性」のラカン、あるいは折口信夫や西郷信綱、吉本隆明がいる、としてよいだろう。

ラカンは後年、眼差しと声を対象aの主要な化身として分離した。しかし彼の初期理論は眼差しが疑いようもなく特権化されている。だが声はある意味ではるかに際立ち根源的である。というのは声は生命の最初の顕現ではないだろうか?自身の声を聴き、人の声を認知する経験、これは鏡像における認知に先行するのではないか?そして母の声は最初の〈他者〉との問題をはらむつながりではないか?臍の尾に取って換わる非物質的な絆であり、最初期の生のステージの運命の多くを形作るものではないか?(ムラデン・ドラー  『Gaze and Voice as Love Objects』私訳)

◆喃語をしゃべる生後10ヶ月の赤ちゃん




わたくしが知りえたララングの最もすぐれた定義文を、仏女流ラカン派第一人者のコレット・ソレールの近著(ブルース・フィンク英訳2016)から引用しよう。

最初期、われわれの誰にとっても、ララング lalangue は音声の媒体から来る。幼児は、他者が彼(女)に向けて話しかける言説のなかに浸されている。子供の身体を世話することに伴う「母のおしゃべり」(母のララング lalangue maternelle)はこの幼児を情動化する。あらゆることが示しているのは、母の声による情動は意味以前のものであるということである。差分的要素は言葉ではなく、どんな種類の意味も欠けている音素である。母のおしゃべりの谺である子供の片言ーーあるいは喃語 lallationーーは、音声と満足とのあいだの連結を証している。それはあらゆる言語学的統辞や意味の獲得に先立っている。ラカンは強調している、前言葉 pré-verbal 段階のようなものはない、だが前論弁的 pré-discursif 段階はある、と。というのはララング lalangue は言語 language ではないから。

ララングは習得されない。ララングlangageは、幼児を音声・リズム・沈黙の蝕éclipse等々で包む。ララングlangageが、母の舌語(la dire maternelle) と呼ばれることは正しい。というのは、ララングは常に(母による)最初期の世話に伴う身体的接触に結びついている liée au corps à corps des premiers soins から。フロイトはこの接触を、引き続く愛の全人生の要と考えた。

ララングは、脱母化をともなうオーソドックスな言語の習得過程のなかで忘れられゆく。しかし次の事実は残ったままである。すなわちララングの痕跡が、最もリアル、かつ意味の最も外部にある無意識の核を構成しているという事実。したがってわれわれの誰にとっても、言葉の錘りは、言語の海への入場の瞬間から生じる、身体と音声のエロス化の結び目に錨をおろしたままである. (コレット・ソレール2011, Colette Soler, Les affects lacaniens)

折口のいう文学の信仰起原(文学音声一途に憑る外ない不文の発想)、《神授(と信ぜられた)の呪言》は、現代のわれわれにとっては母のリトルネロ(ララング)として解釈されうる。母のララング、すなわち母の呪言=神授の呪言。

「アリアドネ」とディオニュソスが言った。「おまえが迷宮だ。」Ariadne, sagte Dionysos, du bist ein Labyrinth: (ニーチェ遺稿、1887年)

どの女にも母の影は落ちている。それがニーチェのアリアドネヴァリエーションである。

アリアドネはコジマ・ワーグナーだけもなく、ルー・アンドレアス・サロメだけでも彼の妹エリザベートだけでもない。その底には、真の迷宮としての母の呪言がある。

ニーチェは自白しているではないか。

わたしに最も深く敵対するものを、すなわち、本能の言うに言われぬほどの卑俗さを、求めてみるならば、わたしはいつも、わが母と妹を見出す、―こんな悪辣な輩と親族であると信ずることは、わたしの神性に対する冒瀆であろう。わたしが、いまのこの瞬間にいたるまで、母と 妹から受けてきた仕打ちを考えると、ぞっとしてしまう。彼女らは完璧な時限爆弾をあやつって いる。それも、いつだったらわたしを血まみれにできるか、そのときを決してはずすことがないのだ―つまり、わたしの最高の瞬間を狙ってin meinen höchsten Augenblicken くるのだ…。そ のときには、毒虫に対して自己防御する余力がないからである…。生理上の連続性が、こうした 予定不調和 disharmonia praestabilita を可能ならしめている…。しかし告白するが、わたしの本来の深遠な思想である 「永遠回帰」 に対する最も深い異論とは、 つねに母と妹なのだ。― (ニーチェ『この人を見よ』--妹エリザベートによる差し替え前の版 Friedrich Wilhelm Nietzsche: Ecce homo - Kapitel 3

ルー・アンドレアス・サロメは1894年にすでに次のように指摘している。

私にとって忘れ難いのは、ニーチェが彼の秘密を初めて打ち明けたあの時間だ。あの思想を真理の確証の何ものかとすること…それは彼を口にいえないほど陰鬱にさせるものだった。彼は低い声で、最も深い恐怖をありありと見せながら、その秘密を語った。実際、ニーチェは深く生に悩んでおり、生の永遠回帰の確実性はひどく恐ろしい何ものかを意味したに違いない。永遠回帰の教えの真髄、後にニーチェによって輝かしい理想として構築されたが、それは彼自身のあのような苦痛あふれる生感覚と深いコントラストを持っており、不気味な仮面 unheimliche Maske であることを暗示している。(ルー・サロメ、Lou Andreas-Salomé Friedrich Nietzsche in seinen Werken, 1894)

輝かしい理想としての永遠回帰は「不気味なもの」の仮面にすぎない(参照:不気味な仮面と反復強迫)。そしてその不気味なものの核心は、母のリトルネロ(ララング)である。

この「母の呪言」の「母」は、イマジネールな母ではない。大文字の母、母なる偉大な神としての母である。すなち誰にとっても原初にある《偉大な母なる神 große Muttergottheit》(『モーセと一神教』1939)、あるいは「原母 Urmutter」(ポール・バーハウ、1999)である。

〈母〉、その底にあるのは、「原リアルの名 le nom du premier réel」である。それは、「母の欲望 Désir de la Mère」であり、シニフィアンの空無化 vidage 作用によって生み出された「原穴の名 le nom du premier trou 」である。(コレット・ソレール、C.Soler « Humanisation ? »2013-2014セミネールーー「S(Ⱥ)、あるいは欠如と穴」)

この「原穴の名」としての母、その呪言が恐ろしい理由を、死の直前のデリダがたくみに指摘している。

鳩が横ぎる。ツァラトゥストラの第二部のまさに最後で。「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」。

最も静かな時刻は語る。私に語る。私に向けて。それは私自身である。私の時間。私の耳のなかでささやく。それは、私に最も近い plus proche de moi。私自身であるかのようにcomme en moi。私のなかの他者の声のようにcomme la voix de l'autre en moi。他者の私の声のように comme ma voix de l'autre。

そしてその名、この最も静かな時刻の名は、《わたしの恐ろしい女の主人》である。

……今われわれはどこにいるのか? あれは鳩のようではない…とりわけ鳩の足ではない。そうではなく「狼の足で à pas de loup」だ…(デリダ、2004、Le souverain bien – ou l’Europe en mal de souveraineté La conférence de Strasbourg 8 juin 2004 JACQUES DERRIDA

母の呪言が恐ろしいのは、それが鳩の足で近づいてくるように感じられても、実際は狼の足であるからである。すなわち狼に貪り喰われる恐怖である。母なるオルギア(距離のない狂宴)の「声なき声」は、融合不安をももたらす。《…そのとき、声なき声がわたしに語った Dann sprach es ohne Stimme zu mir「おまえはそれを知っているではないか Du weisst es」》ーー《このささやきを聞いたとき、わたしは驚愕の叫び声をあげた。顔からは血が引いた。》(ツァラトゥストラ)