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2017年8月31日木曜日

20世紀わが日本のサド侯爵

一體文學などいふものは、一人がよいといひだすと、いつまでもその批評が續くもので誰も彼も、前の人の言葉から離れて考へることの出來ないものであつて、存外つまらないものでも、昔の人が讃めたのだからといふので、安心してよいものだと思つてゐることがたび〳〵あります。赤人で例を取つて見ると、先の、

和歌の浦に潮みち來れば、潟をなみ、葦べをさして鶴鳴きわたる 

のようなもので、これがよいと思ふようでは、あなた方の文學を味ふ力が足りないのだと反省して貰はねばなりません。他人がよいからよいと思ふのは、正直でよいことですが、さういふのを支那の人はうまくいひました。それは、耳食といふ言葉で、人がおいしいといふのを聞くとおいしいと思ふのは、口で食べるのではなくて、耳で食べるのだ。見識がないといふ意味に使つてゐます。書物はたくさん讀まなくても、耳食の人にならない用心が必要です。(折口信夫『歌の話』)

いやあすばらしい。この折口信夫の話を読んでいると、多くの万葉秀歌に不感症のままの自らを慰めることができる。

最初期、正岡子規門下だったせいもあるのだろう。

真淵は歌につきては近世の達見家にて、万葉崇拝のところ抔当時にありて実にえらいものに有之候へども、生らの眼より見ればなほ万葉をも褒め足らぬ心地致候。真淵が万葉にも善き調あり悪き調ありといふことをいたく気にして繰り返し申し候は、世人が万葉中の佶屈なる歌を取りて「これだから万葉はだめだ」などと攻撃するを恐れたるかと相見え申候。固より真淵自身もそれらを善き歌とは思はざりし故に弱みもいで候ひけん。しかしながら世人が佶屈と申す万葉の歌や、真淵が悪き調と申す万葉の歌の中には、生の最も好む歌も有之と存ぜられ候。そを如何にといふに、他の人は言ふまでもなく真淵の歌にも、生が好む所の万葉調といふ者は一向に見当り不申候。(尤もこの辺の論は短歌につきての論と御承知可被下候)真淵の家集を見て、真淵は存外に万葉の分らぬ人と呆れ申候。かく申し候とて全く真淵をけなす訳にては無之候。(正岡子規『歌よみに与ふる書』)

みなさんも折口信夫を見倣わなければならない!

加藤守雄『わが師 折口信夫』より。

「中山太郎氏の『日本盲人史』が出版され、それを記念する会合が(中略)催された時のことである。

主賓の中山さんが、演壇に上って挨拶していた。『日本盲人史』をまとめる苦心談のような ものだったが、その中で、折口先生の持っていられる久我家の文書のことにふれた。それは盲人史の資料としては重要なもので、もしそれ借覧することが出来ていたら、私の書物はも っと完全なものになったろう、といった意味のことを、皮肉まじりにのべた。

その時、最前列にいた折口先生が、突然立ち上った。飲みかけた茶碗を手に持ったまま、 つかつかと演壇に近づいた。

「中山さんのことばは、学者を侮蔑するものです。私は資料を貸し惜んだ覚えはありません。 資料をかくして置いて、それをたてに、他人の足をひっぱるような真似をするくらいなら、学問なぞ致しません。あの文書は全部お貸しします。失礼ですが、中山さんの書かれるものより、もっと秀れたものを書く自信が私にはあります」

出版記念会という場所柄から言っても、その主催者という立場から言っても、ほとんど無茶と言うべき発言だった。」

「同じようなことは、日本歌人協会の会長候補に佐佐木信綱博士が選ばれた時にも起きた。

その場にいた人から話を聞いて、私はその光景を目に見る思いがした。」

「「聞いているのが恐ろしいくらいでした」と、その人は言った。

「昭和の歌人のすべてが、佐佐木さんの業績を無条件に讃美していたと思われては、後世への恥辱です。私は皆さんのおっしゃるほどの価値を認めることは出来ません」歯にきぬ着せずに言われたらしい。」

「先生は悪意のある批評や、自分を傷つけようとする言論には、つねに痛烈に反撥された。 被害者意識も強かったようだ。しかし、どの場合にも、陰で足をひっぱったり、悪口をささやいたりはされない。常に、公衆の面前での、したがってしばしば無茶に見える、反撃だった。 先生の怒りは、不当にいためつけられた自我を回復する為の戦いなのだ。

そこには、時と所と相手とを全く顧慮しない、いちずさがあった。」

20世紀わが日本のサド侯爵のようではないか!

作家というものはその職業上、しかじかの意見に媚びへつらわなければならないのであろうか? 作家は、個人的な意見を述べるのではなく、自分の才能と心のふたつを頼りに、それらが命じるところに従って書かなければならない。だとすれば、作家が万人から好かれるなどということはありえない。むしろこう言うべきだろう。「流行におもねり、支配的な党派のご機嫌をうかがって、自然から授かったエネルギーを捨てて、提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり作家どもに災いあれ」。世論の馬鹿げた潮流が自分の生きている世紀を泥沼に引きずりこむなどということはしょっちゅうなのに、あのように自説を時流に合わせて曲げている哀れな輩は、世紀を泥沼から引き上げる勇気など決して持たないだろう。(マルキ・ド・サド「文学的覚書」、『ガンジュ侯爵夫人』)

安藤礼二の『折口信夫』(2014年)ーー、一部で評判がとても高いーーの評言もネット上から拾うことができたので、ここに付け加えておこう。

・折口は自らの最後をすべてが消滅するゼロの地点に定める。・・・すべてをゼロにまで破壊し尽くし、その破滅の果てに新たなものの萌芽を見届けること。ゼロは新たなものの可能性を潜在的に孕んだ生成の場でもあった。

・折口はスサノヲ(出雲)の暴力とアマテラス(伊勢)の愛欲をともに認めてくれるような新たな神道の倫理を創り上げようとしていた。そこでは自然そのものが生ける神だった。自然は静的に理解されるものではなく、動的に生きられるものだった。他力ではなく自力で。(安藤礼二『折口信夫』)

※ここでの記述は、「折口信夫と女たち」とともに読まねばならない。かつまた「藤澤寺の餓鬼阿弥」とともに。