前回、向井雅明氏の自閉症論を引用したのだが、そこでの「自閉症」と現在の「自閉症」、あるいは「自閉症スペクトラム」概念は--わずかに重なる部分もあるがーー、ほとんど関係がないようだ。わたくしは「自閉症」についてほとんど無知なので、若草マークレベルのことをすこし調べてみた。
まずDSM4からDSM5にて次のような移行があったようだ。
そして自閉症といわれるものの増加率は次のようらしい。
まずDSM4からDSM5にて次のような移行があったようだ。
そして自閉症といわれるものの増加率は次のようらしい。
ーーやあスゴイね、自閉症の伸び率ってのは。
これホントかな、ともう少し調べてみたら、どうやらホントらしい。
(Top 3 Causes of the Autism Epidemic and What We Can Do About It) |
これは米国のことだと思うが、さて他の国もそうなのかどうかはちょっと分からない。
で、原因は? 次のようなことらしい。
(What is causing the increase in autism?) |
一般的には次のようには説明されている。
自閉症やASDはどうして急増しているのだろうか。自閉症の啓発に努める非営利団体Autism Speaksで主任科学者を務めるロブ・リング氏がまず指摘するのは、自閉症の診断基準であり、長年にわたって改訂が行われているDSM(精神障害の診断と統計の手引き)の1994年版「DSM-4」で、アスペルガー症候群が自閉症に加えられたことだ(それまでは「2000~5000人に1人」とされていた自閉症が、DSM-4以降、20~40倍に増加した。なお、2013年の「DSM-5」では、アスペルガー症候群はASDに包括された)。
リング氏はさらに、「(自閉症に関する)意識が確実に高まっているため、家族が早い段階で行動を起こし、(中略)早い年齢で専門家に疑問を投げかけるようになっており、そのことも発見の可能性を高めている」と米ハフィントン・ポストに対して述べている。
ほかにも、「親の年齢が上がると、(自閉症の子供の数が)やや増える可能性のあることがわかっている」とリング氏は指摘する(40歳以上の父親から生まれた場合、30歳未満の父親の場合の約6倍、30~39歳の父親と比較すると1.5倍以上とされる)。「遺伝と環境の間で起こる興味深い相互作用が、科学によって明らかになってきている」(「自閉症の子供」が急増している理由とは?2014年04月)
アスペルガーが自閉症になったことを含めた後も、増加が著しい。だから上のような別の理由づけがされる。だがほんとうにそれだけだろうか? いやそれだけではないだろう、だから unexplained 比率が44%と高いのだろう。
さあてっと、天邪鬼のわたくしであり、いささか言いたいことがないではないが、ーー遺伝とか言っている人もいるが、何かかならずそれ以外の要因があるはずなのであって(アスペ合体等だけでもなく)、…………だがいまは一夜漬けの身として口を慎んでおく・・・
ここではたまたま遭遇した次の文だけを掲げておくことにする。
英国心理学会( BPS)と世界保険機関(WHO)は最近、精神医学の正典的 DSM の下にある疾病パラダイムを公然と批判している。その指弾の標的である「メンタルディスオーダー」の診断分類は、支配的社会規範を基準にしているという瞭然たる事実を無視している、と。それは、科学的に「客観的」知に根ざした判断を表すことからほど遠く、その診断分類自体が、社会的・経済的要因の症状である。(Capitalism and Suffering, Bert Olivier 2015,PDF)
とすれば、この批判の先駆として読める次の文をも付記しておこう。
精神医学診断における想定された新しいバイブルとしての DSM(精神障害の診断と統計の手引き)…。このDSM の問題は、科学的観点からは、たんなるゴミ屑だということだ。あらゆる努力にもかかわらず、DSM は科学的たぶらかしに過ぎない。…奇妙なのは、このことは一般的に知られているのに、それほど多くの反応を引き起こしていないことである。われわれの誰もが、あたかも王様は裸であることを知らないかのように、DSM に依拠し続けている。 (“Chronicle of a death foretold”: the end of psychotherapy. Paul Verhaeghe )
DSMの診断は、もっぱら客観的観察を基礎とされなければならない。概念駆動診断conceptually-driven diagnosis は問題外である。結果として、どのDSM診断も、観察された振舞いがノーマルか否かを決めるために、社会的規範を拠り所にしなければならない。つまり、異常 ab – normal という概念は文字通り理解されなければならない。すなわち、それは社会規範に従っていないということだ。したがって、この種の診断に従う治療は、ただ一つの目的を持つ。それは、患者の悪い症状を治療し、規範に従う「立派な」市民に変えるということだ。(同上、ポール・バーハウ、 Paul Verhaeghe – Dublin, September 2007、PDF )
ところで社会的・経済的要因、あるいは社会的規範とは何か。21世紀の現在、「新自由主義」という非イデオロギー的イデオロギーがまず思い浮かぶ。とすれば、米国で新自由主義のバイブルとして読まれているアイン・ランドにまずは登場願おう。
お金があらゆる善の根源だと悟らない限り、あなたがたは自ら滅亡を招きます。(アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』)
というわけでまずは「金」である。金のせいで自閉症スペクトラム症は増加したのである・・・
以下はADHDについての記事だが、自閉症スペクトラムも同様な現象があるに相違ない。
ーー記事を引用するまえに、自閉症スペクトラムという区分ができた後の、ADHDのポジションはどこにあるのか。一応、いまだ外部にはあるらしい。
多動性、不注意、衝動性などの症状を特徴とする発達障害の注意欠陥・多動性障害(ADHD)は治療薬にメチルフェニデートという薬を必要とするとされていますが、「ADHDの父」と呼ばれるレオン・アイゼンバーグ氏は亡くなる7カ月前のインタビューで「ADHDは作られた病気の典型的な例である」とドイツのDer Spiegel誌に対してコメントしました。アイゼンバーグ氏は2009年10月に亡くなっており、インタビューはその前に実施されました。DER SPIEGEL 6/2012 - Schwermut ohne Scham
当初「幼少期の運動過剰反応」と呼ばれており、後に「ADHD」と名付けられた注意欠陥・多動性障害は1968年から40年以上にわたって他の精神疾患と並んで精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM-IV-TR)に名を連ねています。
障害の定義付けに伴いADHDの治療薬の売上も増加し、1993年に34kgだったものが2011年には1760kgになり、18年間で約50倍に跳ね上がっています。薬の投与が広まった結果、アメリカでは10歳の男の子10人のうち1人がすでにADHDの治療薬を飲んでいます。アイゼンバーグ氏によれば、実際に精神障害の症状を持つ子どもは存在するものの、製薬会社の力と過剰な診断によってADHD患者の数が急増しているとのこと。
また、カリフォルニア大学のアーウィン・サヴォドニック教授は「精神医学の用語はまさしく製薬会社によって定義されているのです」と語っており、その一例として、マサチューセッツ総合病院の小児精神薬理学科やハーバード・メディカル・スクールの准教授は2000年から2007年までの間に製薬会社から100万ドル(約1億円)以上を受け取っていたことが発覚しています。
自閉症の領野の拡大は、市場のひどく好都合な拡大をもたらす。まだ他にもある。現在の 「遺伝的自閉症」の主張と助長において、DSM は新しい市場を創造する。私は確実視している、数千ユーロの費用がかかる一回の遺伝テストが同じ薬品企業からすぐに提供されるだろうことを。(Report on autism,2012)
そして仏の医師が製薬会社からの賄賂だらけなのは、米国に似てきた、と。
…………
これらは「穏やかに言えば」、DSM病であるだろう、あの診断区分システムそのものが新自由主義が生んだ「やまい」でありうる。
すくなくとも、いわゆるエビデンス主義といわれる現代の症状のひとつに相違ない。
逆説的なことに、エビデンス主義って、まさしくポスト真理なんですね。エビデンスって、「真理という問題」を考えることの放棄だから。エビデンスエビデンス言うことっていうのは、深いことを考えたくないという無意識的な恐れの表明です。 (千葉雅也ツイート)
これは最近のツイートだが千葉氏は、たしか一年ほど前だったと思うが、次のように言っている。
根源的な問いを多様に議論するのをやめ、人それぞれだからという配慮で踏み込まなくなるというのは、精神医学の領域ですでに起こった変化だ。文明全体がそういう方向に向かっていると思う。残される課題は「現実社会の苦痛にどう対処するか」だけ。そもそも苦痛とは何かという問いは悪しき迂回になる。(千葉雅也ツイート)
それぞれひどく正当的な指摘だろう。
精神医学の領域ですでに起こった変化とは、まずなによりもDSMという「黒船」到来である。
1980年に米国でDSM‐Ⅲが公刊されると、この黒船によって、日本の精神医学はがらりと変わった。本質的にクレペリン精神医学によって立ち、クルト・シュナイダーK.schneiderの操作主義とエルンスト・クレッチマーE.Kretschmerの多次元診断によって補強されたDSM体系は、日本の精神医学の風土を変えた。(中井久夫『関与と観察』)
「操作主義」とは結局、「原因」を問わない精神を育てる。それは精神科医においても著しい。
現在の米国の有様を見れば、精神病の精神療法は、医師の手を離れて看護師、臨床心理士の手に移り、医師はもっぱら薬物療法を行っている。わが国もその跡を追うかもしれない。すでに精神療法を学ぼうという人たちの多くは、医師よりも臨床心理士ではないだろうか。(中井久夫「統合失調症の精神療法」1989年)
もちろん上にあるように、薬物で精神疾患がある程度おさまるようになったのは事実なのだから、現在のやり方は全面批判されるべきものでもない、とは言える。
斎藤環) ……ボーダーラインの治療経験から思うのは、ある種の心の状態というのは薬ではどうにもならない、ということです。中井さんも書いておられるように、向精神訳だけでは人間は変わらない。旧ソ連で政治犯を「怠慢分裂病」などと称して大量に薬を投与したことがあったらしいけれでも、全く転向はなかった。薬物の限界があるんですね。
中井久夫) それが人間の砦でしょう。
(批評空間2001Ⅲ-1 「共同討議」トラウマと解離(斎藤環/中井久夫/浅田彰)
そのうち続く(たぶん)。