君にいわせれば、僕は批評的言語の混乱というものを努めて作り出そうと心掛けて来た男だ。そして愚かなエピゴオネンを製造し、文学の進歩を妨害している。そういう奴は退治してしまわねばならぬという。豪そうな事をいうなとは言うまい。しかし、君が僕を眺める眼は大変感傷的なのである。もし僕がまさしく君のいう様な男であったら、僕が批評文で飯を食って来たという事がそもそも奇怪ではないか。批評的言語の混乱に努力し、その努力を批評文に表現する様な人間は、どんな混乱した社会にあっても、存在する事が出来ないのは、わかりきった話だ。僕が批評家として存在を許されて来た事には自ら別の理由がある。その理由について僕は自省している。君の論難の矢がそこに当る事を僕は望んでいたのである。君は僕の真の姿を見てくれてはいない。君の癇癪が君の眼を曇らせているのである。(……)
僕は「様々なる意匠」という感想文を「改造」に発表して以来、あらゆる批評方法は評家のまとった意匠に過ぎぬ、そういう意匠を一切放棄して、まだいう事があったら真の批評はそこからはじまる筈だ、という建前で批評文を書いて来た。今もその根本の信念には少しも変わりはない。僕が今まで書いて来た批評的雑文(謙遜の意味で雑文というのではない、たしかに雑文だと自分で思っているのだ)が、その時々でどんな恰好を取ろうとも、原理はまことに簡明なのである。原理などと呼べないものかも知れぬ。まして非合理主義だなぞといわれておかしくなるくらいである。愚かなるエピゴオネンの如き糞でも食らえだ。(……)
君は僕の文章の曖昧さを責め、曖昧にしかものがいえない男だとさえ極言しているが、無論曖昧さは自分の不才によるところ多い事は自認している。又、以前フランス象徴派詩人等の強い影響を受けたために、言葉の曖昧さに媚びていた時期もあった。しかし、僕は自分の言葉の曖昧さについては監視を怠った事はない積りである。僕はいつも合理的に語ろうと努めている。どうしても合理的に語り難い場合に、或は暗示的に或は心理的に表現するに過ぎぬ。その場合僕の文章が曖昧に見えるというところには、僕の才能の不足か読者の鈍感性か二つの問題しかありはしない。僕が論理的な正確な表現を軽蔑していると見られるのは残念な事である。僕が反対して来たのは、論理を装ったセンチメンタリズム、或は進歩啓蒙の仮面を被ったロマンチストだけである。(……)
僕等は、専門語の普遍性も、方言の現実性も持たぬ批評的言語の混乱に傷ついて来た。混乱を製造しようなどと誰一人思った者はない、混乱を強いられて来たのだ。その君も同様である。今はこの日本の近代文化の特殊性によって傷ついた僕等の傷を反省すべき時だ、負傷者がお互いに争うべき時ではないと思う。(小林秀雄「中野重治君へ」昭和十一年四月二日―三日『東京日日新聞』初出)
実に美しい文章だ。「豪そうな事をいうな」、「批評文で飯を食って来た」、「癇癪が君の眼を曇らせている」などの生きた言葉遣い、あるいは、《僕が反対して来たのは、論理を装ったセンチメンタリズム、或は進歩啓蒙の仮面を被ったロマンチストだけである》という対句。
論理を装ったセンチメンタリズム
啓蒙の仮面を被ったロマンチスト
ーーところで、この21世紀、これ以外の批評の書き手などいるんだろうか・・・
《専門語の普遍性も、方言の現実性も持たぬ批評的言語の混乱》などという問いさえもとっくの昔に何処かに行ってしまった(これは加藤周一がいった「雑種文化」にもかかわるはずだが、問いが消えたのは雑種文化が定着したってことだろうか)。
こういったこととは別に、あのような時代もあったのだ、という感慨が沸き起こってくる。
小林秀雄は《批評的言語の混乱に努力し、その努力を批評文に表現する様な人間は、どんな混乱した社会にあっても、存在する事が出来ないのは、わかりきった話だ》と言っているが、これは或る意味で、当時の知識人階級をいまだ信頼していたからこそこう言えたのだろう。そして小林秀雄のこの勇ましい断言は甘すぎるとする観点もあるはずだ。たとえばここでプルーストの文章を引用してみよう。
批評は、何一つ新しい使命をもたらさない作家を、彼に先立った流派にたいする彼の横柄な口調、誇示的な軽蔑のゆえに、予言者として、祀りあげる。批評のこのような錯誤は、常習となっている(プルースト『見いだされた時』)
この有様が「批評文で飯を食って来た」書き手の常道だったのは、かつてからだったといえる。少なくとも「馬鹿」を相手にする大衆文化が生まれて以降は。
……一八六三年の二月一日に一部五サンチームで売り出された小紙面の『ル・プチ・シュルナル』紙は、その安易な文体と情報の単純さによって、日刊紙としては初めて数十万単位の読者を獲得することに成功する。一八五〇年当時、パリの全日刊紙をあわせても三十万程度であったことを考えれば、一紙で三十五万の読者を持つ『ル・プチ・シュルナル』紙の創刊は、言葉の真に意味でマス・メディアと呼ばれるにふさわしいものの出現を意味することになる。(……)ここでの成功が、みずからの凡庸さを装いうるジャーナリストの勇気に負うものだという点を見落としてはなるまい。人類は、おそらく、一八六三年に、初めて大量の馬鹿を相手にする企業としての新聞を発明したのである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)
だがインターネットが普及した現在ーーつまりは大量の馬鹿が書くようになった時代ーーには、「批評的言語の混乱に努力」する批評家が大手をふるって存在できるようになった。いや批評はそうでなくては読まれない。もちろん批評だけではない。《いいものは売れなくて当然》(蓮實重彦)は昔からだったかもしれないが、《愚かさは進歩する!》(フローベール)のだから、いまではいっそうそうだ。
つまり比較的よく読まれている書き手の文章とは馬鹿向けの寝言だと疑わなくてはならない(これはツイッターでの大量RTの囀りをすこしでも垣間見れば歴然としている)。
ここでジジェクのジョン・グレイ罵倒を掲げよう。現在の批評とはこの程度のものだということを示すために。
あなたは、あなたが批評しているところの著作がどのようなものであるかを全く無視している。あなたは論争の道筋を再構成する試みを全く放棄している。その代わりに、曖昧模糊とした教科書的な通則やら、著者の立場の粗雑な歪曲、漠然とした類推、その他諸々を一緒くたにして放り投げ、そして自身の個人的な従事を論証するために、そのような深遠に見せかけた挑発的な気の利いたジョークのガラクタに、道義的な義憤というスパイスを加えているのだ(「見ろ!あの著者は新たなホロコーストを主張しているみたいだぞ!」といったように)。真実など、ここでは重要ではない。重要なのは影響力である。これこそ今日のファストフード的な知的消費者が望んでいたものだ。道義的な義憤を織り交ぜた、単純で分かりやすい定式である。人々を楽しませ、道徳的に気分を良くさせるのだ。(スラヴォイ・ジジェク:彼の批判に応答して)
ーーこれはジョン・グレイの『LESS THAN NOTHING』 (ジジェク 2012)『Living in the End Times』(同)の書評「The Violent Visions of Slavoj Žižek」(John Gray)に対するジジェクの反論の断片である。
ジョン・グレイ(1948~)は、イギリスの政治哲学者であり、オックスフォード大学教授を経て、現在、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス名誉教授。1949年生れのジジェクと同世代ということになる。
グレイの著作は、バラードなどにも賞賛されたことがある。
《Gray’s work has been praised by, amongst others, the novelists J. G. Ballard, Will Self and John Banville,etc》(Wikepedia)
だがジジェクの反論は明らかに正しい。このそれなりに名高い政治哲学者のジジェク批判は、ジジェクの著書をまともに読んでさえいなくて書かれており、まさに「ファストフード的な知的消費者」向けのものである。
そして、いま日本のネット界に流通する「批評」などというものはーーほんの僅かの例外を除いて、と一応留保しておこうーーさらにいっそう、ファストフード的な知的消費者が望んでいるもの、《道義的な義憤を織り交ぜた、単純で分かりやすい定式……人々を楽しませ、道徳的に気分を良くさせる》ものでしかないのは明らかだろう(書いている本人はそのつもりがなくても)。
その書き手が信頼されるのはすぐれた批評を書くせいではまったくない。記号の記号の流通の海を巧みに泳いでいる者のみが信用される。それが知の大衆化現象である。
大衆化現象は、まさに、そうした階層的な秩序から文化を解放したのである。そしてそのとき流通するのは、記号そのものではなく、記号の記号でしかない。(……)読まれる以前にすでに記号の記号として交換されているのである。したがって、まだ発表されてさえいない作品の作者たる人物が、そこで交換されているものの特権的な発信者とは呼べないだろう。
(……)聴衆が競いあってオッフェンバックの喜歌劇の切符を買い求め、読者が先を争ってポンソン・デュ・デラーユの連載小説の載る『ラ・プチット・プレス』紙の予約購読を申し込むのは、ぜひともその作品に接したいという欲望とはまったく別の理由からである。それは、みずからも、記号の記号としての固有名詞の流通に加担したいという意志にほかならない。
この意志は、隣人の模倣に端を発する群集心理といったことで説明しうるものではない。そこに、流行という現象が介在していることはいうまでもないが、実は流行現象そのものでもない。問題は、欠落を埋める記号を受けとめ、その中継点となることなのではなく、もはや特定の個人が起源であるとは断定しがたい知を共有しつつあることが求められているのである。新たな何かを知るのではなく、知られている何かのイメージと戯れること、それが大衆化現象を支えている意志にほかならない。それは、知っていることの確認がもたらまがりなす安心感の連帯と呼ぶべきものだが、マクシムが苛立っているのも、まさにそれなのだ。そこにおいて、まがりなりにも芸術的とみなされる記号は、読まれ、聴かれ、見られる対象としてあるのではない、ともにその名を目にしてうなずきあえる記号であれば充分なのである。だから、それを解読の対象なのだと思ってはならない。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)
蓮實重彦がこう書いたのは、1980年代である。いまではこういったことさえ全く念頭にない読み手が、そこらじゅうを大手を振るって歩き回り頷き合っている。
ある証人の言葉が真実として受け入れられるには、 二つの条件が充たされていなけらばならない。 語られている事実が信じられるか否かというより以前に、まず、 その証人のあり方そのものが容認されていることが前提となる。 それに加えて、 語られている事実が、 すでにあたりに行き交っている物語の群と程よく調和しうるものかどうかが問題となろう。 いずれにせよ、 人びとによって信じられることになるのは、 言葉の意味している事実そのものではなく、 その説話論的な形態なのである。 あらかじめ存在している物語のコンテクストにどのようにおさまるかという点への配慮が、 物語の話者の留意すべきことがらなのだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)