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2019年5月15日水曜日

きみにこういうことをすすめたいんだ

――僕としてもね、永遠マイナスn年とまではいいませんよ。しかし、やはり八十年間生きる方が、十四年よりは望ましいと思いますねえ、とカジは伸びのびといった。

――私もカジがそれだけ生きることを望むよ、というギー兄さんの方では、苦痛そのもののような遺憾の情を表していたが。……しかしそうゆかないとすれば、もし十四年間といくらかしか生きられないとすれば、カジね、私としてはきみにこういうことをすすめたいんだよ。これからはできるだけしばしば、一瞬よりはいくらか長く続く間の眺めに集中するようにつとめてはどうだろうか? (大江健三郎『燃え上がる緑の木 第一部』)



死んでもいい 谷川俊太郎

おれは死んでもいいと思う
まだ十六だから今すぐってわけじゃない
かと言って死ぬときをじぶんで選べないから
まあそのときが来たら
死ぬほかないんだから死んでもいい
生きているのがつまらないから
死んでもいいんじゃない
死ぬのが死ぬほどいやだってやつもいるけど
おれはそうじゃない
生きているのがうれしいから
死んでもいいんだ
死んでももしかするとうれしいが続くかも
昨日うちのじいさんに
死ぬのをどう思うってきいたらさ
「死んでこまることはない」だってよ


ーー『おやすみ神たち』2014年 所収


――……この一瞬よりはいくらか長く続く間、という言葉に私が出会ったのはね、ハイスクールの前でバスを降りて、大きい舗道を渡って山側へ行く、その信号を待つ間で…… 向こう側のバス・ストップの脇にシュガー・メイプルの大きい木が一本あったんだよ。その時、バークレイはいろんな種類のメイプルが紅葉してくる季節でさ。シュガー・メイプルの木には、紅葉時期のちがう三種類ほどの葉が混在するものなんだ。真紅といいたいほどの赤いのと、黄色のと、そしてまが明るい緑の葉と…… それらが混り合って、海から吹きあげて来る風にヒラヒラしているのを私は見ていた。そして信号は青になったのに、高校生の私が、はっきり言葉にして、それも日本語で、こう自分にいったんだよ。もう一度、赤から青になるまで待とう、その一瞬よりはいくらか長く続く間、このシュガー・メイプルの茂りを見ていることが大切だと。生まれて初めて感じるような、深ぶかとした気持で、全身に決意をみなぎらせるようにしてそう思ったんだ……

それからは、自分を訓練するようにして、人生のある時々にさ、その一瞬よりはいくらか長く続く間をね、じっくりあじわうようにしてきたと思う。それでも人生を誤まつことはあったけれど、それはまた別の問題でね。このように自分を訓練していると、たびたびではないけれどもね、この一瞬よりはいくらか長く続く間にさ、自分が永遠に近く生きるとして、それをつうじて感じえるだけのことは受けとめた、と思うことがあった。カジね、そしてそれはただそう思う、というだけのことじゃないと私は信じる。

それはこういうことが考えられるからだよ。もう一度、ほとんど永遠に近いくらい永く生きた人間を想像してみよう。それこそ大変な老人になって、皺だらけで縮こまっているだろうけれどもさ。その老人が、とうとう永い生涯を終えることになるんだ。そしてこう回想する。自分がこれだけ生きてきた人生で、本当に生きたしるしとしてなにがきざまれているか? そうやって一所懸命思い出そうとするならば、かれに思い浮ぶのはね、幾つかの、一瞬よりはいくらか長く続く間の光景なのじゃないか? そうすればね、カジ、きみがたとえ十四年間しか生きないとしても、そのような人生と、永遠マイナスn年の人生とは、本質的には違わないのじゃないだろうか?   

――僕としてもね、永遠マイナスn年とまではいいませんよ。しかし、やはり八十年間生きる方が、十四年よりは望ましいと思いますねえ、とカジは伸びのびといった。

――私もカジがそれだけ生きることを望むよ、というギー兄さんの方では、苦痛そのもののような遺憾の情を表していたが。……しかしそうゆかないとすれば、もし十四年間といくらかしか生きられないとすれば、カジね、私としてはきみにこういうことをすすめたいんだよ。これからはできるだけしばしば、一瞬よりはいくらか長く続く間の眺めに集中するようにつとめてはどうだろうか? 自分が死んでしまった後の、この世界の永遠に近いほどの永さの時、というようなことを思い煩うのはやめにしてさ。(大江健三郎『燃え上がる緑の木 第一部』)


⋯⋯⋯⋯

彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンス réminiscences confuses にふけっていた…戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった。(プルースト「ソドムとゴモラ」)
単なる過去の一瞬、それだけのものであろうか? はるかにそれ以上のものであるだろう、おそらくは。過去にも、そして同時に現在にも共通であって、その二者よりもさらにはるかに本質的な何物かである。これまでの生活で、あんなに何度も現実が私を失望させたのは、私が現実を知覚した瞬間に、美をたのしむために私がもった唯一の器官であった私の想像力が、人は現にその場にないものしか想像できないという不可避の法則にしばられて、その現実にぴったりと適合することができなかったからなのであった。

ところが、ここに突然、そのきびしい法則の支配力が、自然のもたらした霊妙なトリックによって、よわまり、中断し、そんなトリックが、過去と現在とのなかに、同時に、一つの感覚をーーフォークとハンマーとの音、本のおなじ表題、等々をーー鏡面反射させたのであった。そのために、過去のなかで、私の想像力は、その感覚を十分に味わうことができたのだし、同時に現在のなかで、物の音、リネンの感触等々による私の感覚の有効な発動は、想像力の夢に、ふだん想像力からその夢をうばいさる実在の観念 l'idée d'existence を、そのままつけくわえたのであって、そうした巧妙な逃道のおかげで、私の感覚の有効な発動は、私のなかにあらわれた存在に、ふだんはけっしてつかむことができないものーーきらりとひらめく一瞬の持続 la durée d'un éclair、純粋状態にあるわずかな時 un peu de temps à l'état pur ――を、獲得し、孤立させ、不動化することをゆるしたのであった。

あのような幸福の身ぶるいでもって、皿にふれるスプーンと車輪をたたくハンマーとに同時に共通な音を私がきいたとき、またゲルマントの中庭の敷石とサン・マルコの洗礼堂との足場の不揃いに同時に共通なもの、その他に気づいたとき、私のなかにふたたび生まれた存在は、事物のエッセンスからしか自分の糧をとらず、事物のエッセンスのなかにしか、自分の本質、自分の悦楽を見出さないのである。私のなかのその存在は、感覚機能によってそうしたエッセンスがもたらさえない現在を観察したり、理知でひからびさせられる過去を考察したり、意志でもって築きあげられる未来を期待したりするとき、たちまち活力を失ってしまうのだ。意志でもって築きあげられる未来とは、意志が、現在と過去との断片から築きあげる未来で、おまけに意志は、そんな場合、現在と過去とのなかから、自分できめてかかった実用的な目的、人間の偏狭な目的にかなうものだけしか保存しないで、現在と過去とのなかの現実性を骨ぬきにしてしまうのである。

ところが、すでにきいたり、かつて呼吸したりした、ある音、ある匂が、現在と過去との同時のなかで、すなわち現勢的でないリアルなもの、抽象的でないイデア的なもの Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits である二者の同時のなかで、ふたたびきかれ、ふたたび呼吸されると、たちまちにして、事物の不変なエッセンス、ふだんはかくされているエッセンスが、おのずから放出され、われわれの真の自我がーーときには長らく死んでいたように思われていたけれども、すっかり死んでいたわけではなかった真の自我がーーもたらされた天上の糧を受けて、目ざめ、生気をおびてくるのだ。時の秩序から解放されたある瞬間が、時の秩序から解放された人間をわれわれのなかに再創造して、その瞬間を感じうるようにしたのだ。それで、この人間は、マドレーヌの単なる味にあのようなよろこびの理由が論理的にふくまれているとは思わなくても、自分のよろこびに確信をもつ、ということがわれわれにうなずかれるし、「死」という言葉はこの人間に意味をなさない、ということもうなずかれる。時のそと hors du temps に存在する人間だから、未来について何をおそれることがありえよう? (プルースト『見出された時』井上究一郎訳、一部変更)


2019年2月19日火曜日

ほんとはおかあさんの/おなかのなかにもどりたいのね

かわいそう 谷川俊太郎

わたしはともだちにうそをつくけど
おとなってじぶんにうそをつくのね
わたしはからだがちいさいけど
おとなってこころがちいさいのね

わたしはのはらであそびたいのに
おとなってほんとはおかあさんの
おなかのなかにもどりたいのね
それなのにおかあさんはもういない

おとなってこどもよりずっとずっと
かわいくてかわいそう


⋯⋯⋯⋯

以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動 Triebe の普遍的性質である。 Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (フロイト『快原理の彼岸』1920年)
人には、出生 Geburtとともに、放棄された子宮内生活 aufgegebenen Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動 Trieb、⋯⋯母胎Mutterleib への回帰運動(子宮回帰 Rückkehr in den Mutterleib)がある。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
人間の生物学的要因とは、人間の幼児がながいあいだもちつづける無力さ(寄る辺なさ Hilflosigkeit) と依存性 Abhängigkeitである。人間が子宮の中にある期間は、たいていの動物にくらべて比較的に短縮され、動物よりも未熟のままで世の中におくられてくるように思われる。したがって、現実の外界の影響が強くなり、エスからの自我に分化が早い時期に行われ、外界の危険の意義が高くなり、この危険からまもってくれ、喪われた子宮内生活 verlorene Intrauterinleben をつぐなってくれる唯一の対象は、極度にたかい価値をおびてくる。この生物的要素は最初の危険状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない「愛されたいという要求 Bedürfnis, geliebt zu werden」を生みだす。(フロイト『制止、症状、不安』最終章、1926年)

ーーこの「愛されたいという要求」は、のちの生で「承認されたい欲望 désir de faire reconnaître son désir」(ラカン、E151)へ、そして見られたい欲望へと移行(昇華)する。






誰もが、誰かに見られていることを求める。どのようなタイプの視線の下で生きていたいかによって、われわれは四つのカテゴリーに区分される。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』)


【第一のカテゴリー】
第一のカテゴリーは限りなく多数の無名の目による視線、すなわち別のことばでいえば、大衆の視線に憧れる。

【第二のカテゴリー】
第二のカテゴリーは、生きるために数多くの知人の目という視線を必要とする人びとから成る。この人たちはカクテル・パーティや、夕食会を疲れを知らずに開催する。

【第三のカテゴリー】
次に愛している人たちの眼差しを必要とする、第三のカテゴリーがある。この人たちの状況は第一のカテゴリーの人の状況のように危険である。愛している人の目が、あるとき閉ざされると、広間は闇となる。

【第四のカテゴリー】
そしてもう一つ、そこにいない人びとの想像上の視線の下に生きる人たちという、もっとも珍しい第四のカテゴリーがある。これは夢見る人たちである。


人はまず誰もがこれを認めることだな。たとえばツイッターで鳥語をひとこと囀れば、この四つのカテゴリーのどれかを実践している筈だ。蚊居肢子のブログももちろん同様。

そしてその根には「ほんとはおかあさんの/おなかのなかにもどりたいのね」があるのさ。

例えば胎盤 placenta は…個体が出産時に喪う individu perd à la naissance 己の部分、最も深く喪われた対象 le plus profond objet perdu を象徴する symboliser が、乳房 sein は、この自らの一部分を代表象 représente している。(ラカン、S11、20 Mai 1964)
反復は享楽回帰 un retour de la jouissance に基づいている。…それは喪われた対象 l'objet perdu の機能かかわる…享楽の喪失があるのだ。il y a déperdition de jouissance.…

フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽 jouissance ruineuse 」への探求の相 dimension de la rechercheがある。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)

「喪われた対象」ってのは、おとし物のことだ。


あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

ーーかなしみ 谷川俊太郎


空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする

ーー六十二のソネット「41」


なんでもおまんこなんだよ

ーーなんでもおまんこ


人間の最初の不安体験 Angsterlebnis は出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢 Kastration der Mutter (子供=ペニス Kind = Penis の等式により)に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)
乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢、つまり自分自身の身体の重要な一部の喪失Verlustと感じるにちがいないこと、規則的な糞便もやはり同様に考えざるをえないこと、そればかりか、出産行為 Geburtsakt はそれまで一体であった母からの分離Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war として、あらゆる去勢の原像 Urbild jeder Kastration であるということが認められるようになった。(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)
出産過程 Geburtsvorgang は最初の危険状況 Gefahrsituationであって、それから生ずる経済的動揺 ökonomische Aufruhr は、不安反応のモデル Vorbild der Angstreaktion になる。

(……)あらゆる危険状況 Gefahrsituation と不安条件 Angstbedingung が、なんらかの形で母からの分離 Trennung von der Mutter を意味する点で、共通点をもっている。つまり、まず最初に生物学的biologischerな母からの分離、次に直接的な対象喪失direkten Objektverlustes、のちには間接的方法indirekte Wegeで起こる分離になる。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)


人間の活動すべては、子宮回帰運動の昇華だよ。だからオマエら、カッコつけるなよ。でも「おとなってじぶんにうそをつくのね」。

人がうそをついていることに気づかなくなるのは、他人にうそばかりついているからだけでなく、また自分自身にもうそをついているからである。(プルースト「ソドムとゴモラ」)

ーー「おとなってこどもよりずっとずっと/かわいくてかわいそう」

⋯⋯⋯⋯

症状はすべて不安を避けるために形成される。(フロイト 『制止、不安、症状』第9章)

症状形成 Symptombildungとは 代理形成 Ersatzbildung の同義であり、欲動過程 Triebvorganges に対する防衛過程 Abwehrvorgangだ。

欲望は享楽に対する防衛である le désir est défense contre la jouissance(ミレール Jacques-Alain Miller、 L'économie de la jouissance、2011)
(原症状治療手段として症例ジョイスから導き出した)ラカンの脚立 escabeau 概念は、はフロイトの昇華 sublimation freudienne の生き生きとした翻訳である(ミレール L'INCONSCIENT ET LE CORPS PARLANT、2014年)

ようするに防衛とは昇華のことだ。

(不安防止の重要な方法の一つは)、われわれの心理機構が許容する範囲でリビドーの目標をずらせること Libidoverschiebungen で、これによって、われわれの心理機構の柔軟性は非常に増大する。つまり、欲動の目標 Triebziele をずらせることによって、外界が拒否してもその目標の達成が妨げられないようにするのだ。この目的のためには、欲動の昇華 Sublimierung der Triebe が役立つ。

一番いいのは、心理的および知的作業から生まれる快感の量を充分に高めることに成功する場合である。そうなれば、運命といえども、ほとんど何の危害を加えることもできない。芸術家が制作――すなわち自分の空想の所産の具体化――によって手に入れる喜び、研究者が問題を解決して真理を認識するときに感ずる喜びなど、この種の満足は特殊なもので、将来いつかわれわれはきっとこの特殊性を無意識心理の立場から明らかにすることができるであろうが、現在のわれわれには、この種の満足は「上品で高級 feiner und höher」なものに思えるという比喩的な説明しかできない。

けれどもこの種の満足は、粗野な一次的欲動の動き primärer Triebre-gungenを堪能させた場合の満足に比べると強烈さの点で劣り、われわれの肉体までを突き動かすことがない。フロイト『文化の中の居心地の悪さ』1930年)


ラカンにおいては(基本的には)剰余享楽は、原初に喪われた対象aの昇華の対象である。

ラカンの昇華の諸対象 objets de la sublimation。それらは付け加えたれた対象 objets qui s'ajoutent であり、正確に、ラカンによって導入された剰余享楽 plus-de-jouir の価値である。言い換えれば、このカテゴリーにおいて、我々は、自然にpar natureあるいは象徴界の効果によって par l'incidence du symbolique、身体と身体にとって喪われたものからくる諸対象 objets qui viennent du corps et qui sont perdus pour le corps を持っているだけではない。我々はまた原初の諸対象 premiers objets を反映する諸対象 objets を種々の形式で持っている。問いは、これらの新しい諸対象 objets nouveaux は、原対象a (objets a primordiaux )の再構成された形式 formes reprises に過ぎないかどうかである。(JACQUES-ALAIN MILLER ,L'Autre sans Autre May 2013)


原初に喪われた対象a(原対象a)とは、上に引用したフロイト文にあったように、《生物学的biologischerな母からの分離》による喪失(おとし物)である。これこそ《去勢の原像》である。

出産行為 Geburtsakt は、それまで一体であった母からの分離Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war として、あらゆる去勢の原像 Urbild jeder Kastration である(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)

ーー《享楽は去勢である la jouissance est la castration。人はみなそれを知っている Tout le monde le sait。それはまったく明白ことだ c'est tout à fait évident 。》(ラカン、 Jacques Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977ーーフロイト・ラカン「固着」語彙群)



2018年12月7日金曜日

俺の中のうその真珠




ここで、咳 Husten や嗄れ声 Heiserkeit の発作に対して見出したさまざまな決定因を総括してみたい。最下層には「器官的な誘引としてのリアルな咳の条件 realer, organisch bedingter Hustenreiz」 があることが推定され、それは「真珠貝がその周囲に真珠を造りだす砂粒 Sandkorn also, um welches das Muscheltier die Perle bildet 」のようなものである。

この刺激は固着しうる Reiz ist fixierbar が、それはその刺激がある身体領域と関係するからであり、ドラの場合、その身体領域 Körperregionが性感帯 erogenen Zone としての意味をもっているからなのである。したがってこの領域は興奮したリビドー erregten Libidoを表現するのに適しており、(このカタル Katarrhs)はおそらく、最初の心的変装 psychische Umkleidungである。(フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片 Bruchstück einer Hysterie-Analyse(症例ドラ)』1905年)



現勢神経症は(…)精神神経症に、必要不可欠な「身体側からの反応 somatische Entgegenkommen」を提供する。現勢神経症は刺激性の(興奮を与える)素材を提供する。そしてその素材は「心的に選択され、心的外被 psychisch ausgewählt und umkleidet」を与えられる。従って一般的に言えば、精神神経症の症状の核ーー真珠の核にある砂粒 das Sandkorn im Zentrum der Perleーーは身体-性的な発露から成り立っている。(フロイト『自慰論』Zur Onanie-Diskussion、1912年)



現勢神経症 Aktualneurosenの三つの純粋な形式 drei reine Formenは、神経衰弱Neurasthenie,、不安神経症 Angstneurose、心気症 Hypochondrie である。…

現勢神経症 Aktualneurose の症状は、しばしば、精神神経症 psychoneurose の症状の核Kernであり、先駆け Vorstufe である。この種の関係は、神経衰弱 neurasthenia と「転換ヒステリー Konversionshysterie」として知られる転移神経症 Übertragungsneurose、不安神経症 Angstneurose と不安ヒステリー Angsthysterie とのあいだで最も明瞭に観察される。しかしまた、心気症 Hypochondrie とパラフレニア Paraphrenie (早期性痴呆 dementia praecox と パラノイア paranoia) の名の下の障害形式のあいだにもある。

ヒステリー 的頭痛あるいは腰痛を例にとろう。分析が示すのは、これは、圧縮Verdichtungと置換 Verschiebung を通しての、一連の全リビドー 的幻想 libidinösen Phantasien あるいは記憶 Erinnerungen にとっての代理満足 Befriedigungsersatz だということである。

しかしこの苦痛はかつてはリアルなものだった Schmerz war auch einmal real。当時、この苦痛は直接の性的中毒症状 sexualtoxisches Symptom だった。すべてのヒステリー症状は、このような核 Kern をもっていると主張するどんな手段もわれわれは持たないが、これはきわめてしばしば起こっており、リビドー 興奮 libidinöse Erregung による身体の上への影響 Beeinflussungen des Körpers の全標準的あるいは病因的なものは、ヒステリー症状形成 Symptombildung der Hysterie の殆どの支柱である。

したがってリビドー興奮は、「母なる真珠の実体 Perlmuttersubstanz の層もった真珠貝を包む砂粒 Sandkorns, welches das Muscheltier mit den Schichten von Perlmuttersubstanz 」の役割を果たす。同様に、性行為 Geschlechtsakt をともなう性的興奮 sexuellen Erregung の一時的徴 vorübergehenden Zeichenは、精神神経症によって、症状形成にとっての最も便利で適当な素材としてつかわれる。(フロイト『精神分析入門』第24章、1917年)



われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧Verdrängungenは、後期抑圧 Nachdrängen の場合である。それは早期に起こった原抑圧 Urverdrängungen を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力 anziehenden Einfluß をあたえる。……

原抑圧 Verdrängungen (=リビドーの固着)は現勢神経症 Aktualneurose の原因として現れ、抑圧Verdrängungenは精神神経症 Psychoneurose に特徴的である。(……)

現勢神経症 Aktualneurosen の基礎のうえに、精神神経症 Psychoneurosen が発達する。(……)

外傷性戦争神経症 traumatischen Kriegsneurosenという名称はいろいろな障害をふくんでいるが、それを分析してみれば、おそらくその一部分は現勢神経症 Aktualneurosen の性質をわけもっているだろう。(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)



⋯⋯⋯⋯

※付記

フロイトのよく知られた隠喩、《真珠貝がその周囲に真珠を造りだす砂粒 Sandkorn also, um welches das Muscheltier die Perle bildet》。この砂粒とは現実界の審級にあり、砂粒に対して防衛されなければならない。真珠は砂粒への防衛反応であり、封筒あるいは容器、すなわち症状の可視的な外部である。内側には、元来のリアルな出発点が「異物」として影響をもったまま置き残されている。

フロイトはヒステリーの事例にて、「身体からの反応 Somatisches Entgegenkommen)」ーー身体の何ものかが、いずれの症状の核のなかにも現前しているという事実ーーについて語っている。フロイト理論のより一般的用語では、この「Somatisches Entgegenkommen」とは、いわゆる「欲動の根 Triebwurzel」、あるいは「固着 Fixierung」点である。ラカンに従って、我々はこの固着点のなかに、対象a を位置づけることができる。(ポール・バーハウPaul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders: A Manual for Clinical Psychodiagnostics,、2004)

この直後、「症状の線形展開図」にて示した次の図があらわれる。



ーーこの図にて境界表象S1とあるのが、欲動の固着のことだ。


そしてもう一文、ラカンのサントームに特化した論文から。

フロイトによる無意識の発見以来、病理過程は「防衛」を基礎に説明されている。そこでは「抑圧(追放・放逐)」が際立った場を占めている。フロイト以後、多かれ少なかれ、忘れられてしまっているのは、病理力動性内部における抑圧自体は既に二次的なものであるということである。実際は、抑圧とは欲動に対する防衛過程の加工 elaboration に過ぎない。

フロイトはその理論の最初から、症状には二重の構造があることを識別していた。一方には「欲動」、他方には「プシュケ(心的なもの)」である。ラカン用語なら、現実界と象徴界である。

これはフロイトの最初の事例研究「症例ドラ」に明瞭に現れている。この事例において、フロイトは防衛理論については何も言い添えていない。防衛の「精神神経症」については、既に先行する二論文(1894, 1896)にて詳述されている。逆に「症例ドラ」の核心は、症状の二重構造だと言い得る。フロイトが焦点を当てるのは、現実界、すなわち欲動に関する要素である。彼はその要素を「身体側からの対応 Somatisches Entgegenkommen」という用語で示している。この語は、後の論文『性欲論三篇』にて、「欲動の固着 Fixierung der Libido、fixierten Trieben」と呼ばれるようになったものである。

この観点からは、ドラの転換症状は、二つの視野から研究することができる。一つは、象徴的なもの、すなわちシニフィアンあるいは抑圧された心因性の代理表象(咳や嗄れ声等)。もう一つは、現実界的なもの、すなわち欲動に関するもの、ドラの事例では口唇欲動である。

フロイトは後の全ての事例研究でも、この症状の異種混合を立証している。少年ハンスの恐怖症は、口唇欲動・肛門欲動・覗見欲動の「上に/対して」構築されている。鼠男の強迫症は、覗見欲動・肛門欲動の上の構築物。狼男の恐怖症と転換症状も、同様に覗見欲動・肛門欲動の上のそれである。

この二重構造の光の下では、どの症状も二様の方法で研究されなければならない。ラカンにとって、恐怖症と転換症状は《症状の形式的封筒 l'enveloppe formelle du symptôme 》(ラカン、E66)に帰着する。つまり欲動の現実界へ象徴的形式を与えるものである。したがって症状とは、享楽の現実界的核のまわりに設置された構築物である。フロイトの表現なら、《真珠貝がその周囲に真珠を造りだす砂粒 Sandkorn also, um welches das Muscheltier die Perle bildet 》(『あるヒステリー患者の分析の断片(症例ドラ)』1905)。享楽の現実界は症状の地階あるいは根なのであり、象徴界は上部構造なのである。(Lacan’s goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way by Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq、2002)




※「異物 Fremdkörper 」についての詳細は、「内界にある自我の異郷 ichfremde」を参照。


⋯⋯⋯⋯


母へのエロス的固着の残余は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への従属として存続する。Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)


裏返せ裏返してくれ俺を
俺の中のうその真珠はくれてやるから
裏返してくれ裏返してくれ俺を
俺の沈黙だけそっとしといて
行かせてくれ俺を
俺の外へ
あの樹陰へ
あの女の上へ
あの砂の中へ

ーー谷川俊太郎「頼み」より(『あなたに』1960)


幼児期に「現在は忘却されている過剰な母との結びつき übermäßiger, heute vergessener Mutterbindung 」を送った男は、生涯を通じて、彼を依存 abhängig させてくれ、世話をし支えてくれる nähren und erhalten 妻を求め続ける。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


2018年12月6日木曜日

マザコンがめだよお

「女なんかめじゃねえよお」ってのは、女にとってもめがあることだよ

だいたい「女なんかめじゃねえ」なんて、かりに詩のなかのことであれ、めじゃないと思っている人間はいわないね。

ニーチェの《能動的忘却 aktiven Vergeßlichkeit》(『道徳の系譜』)ってのがあるが、あれはその数頁後に出てくる次の文と読まなくちゃいけないのと同様。

記憶に残るものは灼きつけられたものである。苦痛を与えることをやめないもののみが記憶に残る」――これが地上における最も古い(そして遺憾ながら最も長い)心理学の根本命題である。(ニーチェ『道徳の系譜』第2論文、第3章、1887年)

ーー忘れられない記憶があってそれが「反復強迫≒永遠回帰」するから、能動的忘却をいったのさ、ニーチェは。

「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫 Wiederholungszwang」は…絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』1939年)
「同一のものの永遠回帰 ewige Wiederkehr des Gleichen」⋯⋯すなわち快原理 Lustprinzip の埒外にある反復強迫 Wiederholungszwang ⋯⋯この運命強迫 Schicksalszwang nennen könnte とも名づけることができるようなものについては、合理的な考察によって解明できる点が多い。(フロイト『快原理の彼岸』1920年〉


谷川俊太郎は自ら言っているように徹底的なマザコンなのさ。「女なんかめじゃねえ」どころじゃまったくないのを自覚している。

子どもが持っている基本的な語彙でけっこう世界は表現できるんです。それは、ぼくの中に3歳や5歳、10歳の子どもがいて、大人の世界を馬鹿にしているゆえかもしれない。マザコンゆえの幼児性ともいえるのだろうけれど。(谷川俊太郎、インタビュー、(語る 人生の贈りもの)朝日新聞、2018)
一人の女性とうまくいかないと、すぐに次を求める。常に女性がそばにいて欲しいわけですよ。これは簡単に言えばマザコン。母性を求めてしまう。母子関係の繰り返しみたいなものですよね。相手を人間として、ちゃんと見ていないんですよね。(同インタビュー、朝日新聞、2018)
ぼくは、ひとりっ子で、
すごい母親っ子だったんです。
母親はけっこう厳しかったんだけど、
わりと、父親が家庭をかえりみないで
ずっと外にいる人だったから、
その代わりにぼくを可愛がったような
ところがありました。
そのせいでぼくは、
すごくマザコンだったんですよ。

自分ではそんなこと自覚してなかったんだけど
恋愛というものがいつでも
自分の母親の願望に
すごく染められていた、というか。

ーー糸井重里インタビュー「谷川俊太郎、kissなどを語る」
(佐野洋子さんに)「あんたは女が一人いれば友達は全然いなくていいんじゃないの」と言われてね、そういうことがパッと見えちゃう。自分では意識してなかったんですけど、本当にそうだったからショックでしたね。(「(語る 人生の贈りもの)谷川俊太郎:10 佐野洋子さんに見抜かれた本質」)


もし「女なんかめじゃねえ」をマジとりするなら、「女の三界」で記したけれど、イマジネールな女なんかめじゃねえ、という心境にはなってるのかも、な。






人間は二つの根源的な性対象、すなわち自己自身と世話をしてくれる女性の二つをもっている der Mensch habe zwei ursprüngliche Sexualobjekte: sich selbst und das pflegende Weib(フロイト『ナルシシズム入門』1914)
ここ(シェイクスピア『リア王』)に描かれている三人の女たちは、生む女 Gebärerin、パートナー Genossin、破壊者としての女 Vẻderberin であって、それはつまり男にとって不可避的な、女にたいする三通りの関係である。あるいはまたこれは、人生航路のうちに母性像が変遷していく三つの形態であることもできよう。

すなわち、母それ自身 Mutter selbstと、男が母の像を標準として選ぶ愛人Geliebte, die er nach deren Ebenbild gewähltと、最後にふたたび男を抱きとる母なる大地 Mutter Erde である。

そしてかの老人は、彼が最初母からそれを受けたような、そういう女の愛情をえようと空しく努める。しかしただ運命の女たちの三人目の者、沈黙の死の女神 schweigsame Todesgöttin のみが彼をその腕に迎え入れるであろう。(フロイト『三つの小箱』1913年)

ーー谷川の「なんでもおまんこ」ってのは、母なる大地との融合の話だよ、ぜんぶ。

おれのからだ
おれの気持ち
溶けてなくなっちゃいそうだよ
おれ地面掘るよ
土の匂いだよ
水もじゅくじゅく湧いてくるよ
おれに土かけてくれよお
草も葉っぱも虫もいっしょくたによお
でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ
笑っちゃうよ
おれ死にてえのかなあ


母へのエロス的固着の残余は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への従属として存続する。Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
幼児期に「現在は忘却されている過剰な母との結びつき übermäßiger, heute vergessener Mutterbindung 」を送った男は、生涯を通じて、彼を依存 abhängig させてくれ、世話をし支えてくれる nähren und erhalten 妻を求め続ける。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


世界は女たちのものである。
つまり死に属している。
人はみな女の掌の上にいる。

Le monde appartient aux femmes.
C'est-à-dire à la mort.
Là-dessus, tout le monde ment.

ーーPhilippe Sollers Femmes



2018年12月4日火曜日

女なんかめじゃねえよお




2018年12月3日月曜日

青い空









2018年8月6日月曜日

詩はコトバの落し物か?


この世には詩しかないというおそろしいことにぼくは気づいた。この世のありとあらゆることはすべて詩だ、言葉というものが生まれた瞬間からそれは動かすことのできぬ事実だった。詩から逃れようとしてみんなどんなにじたばたしたことか。だがそれは無理な相談だった。なんて残酷な話だろう。(谷川俊太郎「小母さん日記」1980年)

もちろん詩人が詩のなかで書いている話である。そのまま信じることはないし、ラブレー曰くの「魂の墓場 ruine de l'âme」であるおバカな科学精神のするだろうように笑ってもならない。とはいえ人間にとって世界は何で出来上がっているんだろう? やっぱりコトバかな、「初めに言葉ありき」。

で、コトバを使用する不幸というものはある。

ヘーゲルが繰り返して指摘したように、人が話すとき、人は常に一般性のなかに住まう。この意味は、言語の世界に入り込むと、主体は、具体的な生の世界のなかの根を失うということだ。別の言い方をすれば、私は話し出した瞬間、もはや感覚的に具体的な「私」ではない。というのは、私は、非個人的メカニズムに囚われるからだ。そのメカニズムは、常に、私が言いたいこととは異なった何かを私に言わせる。前期ラカンが「私は話しているのではない。私は言語によって話されている」と言うのを好んだように。これが、「象徴的去勢」と呼ばれるものを理解するひとつの方法である。(ジジェク、LESS THAN NOTHING, 2012)

⋯⋯⋯⋯

これを読んでいるのは書いた私だ
いや書かれた私と書くべきか
私は私という代名詞にしか宿っていない
のではないかと不安になるが
脈拍は取りあえず正常だ

ーー朝 谷川俊太郎 2015


人は私というたびに、落し物(象徴的去勢)がある。落し物はなによりもまず身体である。

私は私の身体で話している。私は知らないままでそうしている。だから私は、常に私が知っていること以上のことを言う。Je parle avec mon corps, et ceci sans le savoir. Je dis donc toujours plus que je n'en sais. (ラカン, S20. 15 Mai 1973)

ーー常に、《「一」と身体がある Il y a le Un et le corps(Hélène Bonnaud、Percussion du signifiant dans le corps à l'entrée et à la fin de l'analyse、2013)

常に「一」と「他」、「一」と「対象a」がある。il y a toujours l'« Un » et l'« autre », le « Un » et le (a)  (ラカン、S20、16 Janvier 1973)

私という一人称単数代名詞は、S1とも記される。

S1 が「他の諸シニフィアン autres signifiants」によって既に構成されている領野のなかに介入するその瞬間に、「主体が現れる surgit ceci : $」。これを「分割された主体 le sujet comme divisé」と呼ぶ。このとき同時に何かが出現する。「喪失として定義される何かquelque chose de défini comme une perte」が。これが「対象a [l'objet(a)] 」である。…

この喪われた対象 objet perdu の機能、それは、話す存在 être parlant においての反復として、フロイトによって特定化された意味である。(ラカン、S17 26 Novembre 1969 )

だがS1というシニフィアンだけではない。すべてのシニフィアン(表象)を提示するたびに落し物がある。表象にはイマージュも含まれる。


Godaard & Miéville, Liberté et patrie, 2002

すべてのシニフィアンの性質はそれ自身をシニフィアン(徴示)することができないことである il est de la nature de tout et d'aucun signifiant de ne pouvoir en aucun cas se signifier lui-même.( ラカン、S14、16 Novembre 1966)

これが、ラカン派でしばしば語られる「表象は非全体 pastout」 (シニフィアンはすべてではない)というときの最も基本的意味合いである。そしてシニフィアンとは見せかけ(仮象)である。

見せかけ、それはシニフィアン自体のことである! Ce semblant, c'est le signifiant en lui-même ! (Lacan,S18, 13 Janvier 1971)

シニフィアンによって生ずる落し物は、空虚 vide あるいは穴 trou とも呼ばれる(ときに無 rien とも)。

対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel (ラカン、S18, 27 Novembre 1968)

落し物は言語によるものだけではない。徴(シンボル)のあるところ、出来事の記憶のあるところには常に落し物がある。原初の落し物は、母である(母子融合の喪失)。

人間の最初の不安体験は、出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢 Kastration der Mutter (子供=ペニス Kind = Penis の等式により)に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)
例えば胎盤は、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象を象徴する。le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond. (ラカン、S11, 20 Mai 1964)

こっちのほうの去勢は、象徴的去勢というよりも原去勢(現実界的去勢)と呼ぶべきだろう。そして母の去勢だけではなく、乳幼児は去勢されて生まれて来る。

シンボル le symbole は、「モノの殺害 meurtre de la chose」として現れる。そしてこの死は、主体の欲望の終りなき永続性 éterrusation de son désir を生む。(ラカン、E319, 1953)
(フロイトによる)モノ、それは母である。das Ding, qui est la mère,(ラカン、 S7 16 Décembre 1959)

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

ーーかなしみ  谷川俊太郎

現実界の中心にある空虚の存在 existence de ce vide au centre de ce réel をモノ la Choseと呼ぶ。この空虚は…無 rienである。(ラカン、S7、27 Janvier 1960)
モノは無物とのみ書きうる la chose ne puisse s'écrire que « l'achose »(ラカン、S18、10 Mars 1971)
フロイトのモノChose freudienne.、…それを私は現実界 le Réelと呼ぶ。(ラカン、S23, 13 Avril 1976ーー「モノと対象a」)

象徴的去勢、原去勢の両方の落し物は、彷徨える過剰と呼んでもよい。

彷徨える過剰は存在の現実界である。L’excès errant est le réel de l’être.(バディウ Cours d’Alain Badiou) [ 1987-1988 ])

で、「煮ても焼いても食えない」彷徨える過剰が詩なんだろうか?


二人 谷川俊太郎

世界を詩でしか考えない人は苦手
なんだか楽しそうに女は言う
手には濃いめのハイボール
背後の本棚には詩集が目白押し

株価だけで考える人生も悪くないかも
詩を書いている男が言いかけて
こんなやりとりは三文小説みたいだ
と心の中で思っている

この二人は若いころ夫婦だった
女にとっては詩はもう思い出でしかない
男にとってそれは余生そのもの
猫が迷わずに女の膝に乗る

詩集は捨てないの?女が訊く
捨てるくらいなら焚書にすると男
煮ても焼いても食えないものが残る
それが詩だと言いたいのね

ーー『詩に就いて』所収、2015年



2017年6月29日木曜日

むきたてのにおい

ネットで次の詩を拾った。

「におい」 飯島耕一

五月の雨の日
西荻窪の駅のホームのベンチに坐っていると
隣に一人の若い女が坐り
大学の紀要のようなものを
読みはじめる
アメリカ問題の論文で
筆者は女性の名だ
この若い女の名
かもしれない

雨のせいか
そのみしらぬ女の
実にあまい体臭が
こちらに ただよってくる
苦しいほどの 女の 肉体の
におい
衿にこまかい水玉のネッカチーフをまいている
レインコートを着ている
人間の女のにおい

ようやく下りの電車が入ってきた
顔はとうとう見ることができず
別の車輛に乗った
もう二度と会うこともないか

これが東京だ
人生のにおい
論文なんか 読むのはやめたら
という 一語
をささやいてやるべきだった。


ーーじつにクラクラする詩だ。胸キュンとなってしまう。
大都会の駅のホームに長いあいだ坐ることのない環境におかれているせいかもしれないが。

居酒屋でちょっと似た感じをおぼえた経験がある。
隣で小太りの少女が独りでやけ酒を飲んでいた。
目がうるんでいる。
どうしたんだ? 
三十路なかばのこれまた独酌の彼は彼女にたずねる
女はあいまいな顔をしたまま黙っている
しばらくすると、彼がもっとみにくかったらよかったのに、と呟く
そうしたらわたしだけのものになる

よいにおいのする女だった
顔はぶ―だったが

《ほら、四十にもなって若い娘の顔を見れば、むきたてに見えるでしょう。》(古井由吉『蜩の声』除夜)


「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」 谷川俊太郎

男と女ふたりの中学生が
地下鉄のベンチに座っていてね
チェシャイア猫の笑顔をはりつけて
桃色の歯ぐきで話しあってる

そこへゴワゴワオウヤと地下鉄がやってきて
ふたりは乗るかと思えば乗らないのさ
ゴワゴワオウオと地下鉄は出ていって
それはこの時代のこの行の文脈さ

何故やっちまわないんだ早いとこ
ぼくは自分にかまけてて
きみらがぼくの年令になるまで
見守ってやるわけにはいかないんだよ


ーーやっちまったよ早いとこ、
あんな可憐なこというんだから。

シツレイ! 自慢話めいて
でも下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるってやつさ


2016年10月13日木曜日

僕と私と俺

《私は、私という語を口にするたびに想像的なもののうちにいることになる。》(ロラン・バルト『声の肌理』)




じっさい、私がもっとも自分の弱みをさらけ出す羽目になるのは、自分の《私的なこと》を口外するときである。弱みと言っても、「スキャンダル」の危険によって、というわけではなく、むしろ、私的なことをしゃべりながら私は自分という想像物をそのもっとも堅い固形で提示してしまうからなのだ。そして想像物とはすなわち他人の捕獲権の支配下にある姿のことである。(『彼自身によるロラン・バルト』)



夏の宵、なかなか日が暮れないとき、母親たちは小道を散歩していた。子どもがそのまわりでじゃれていて、まさに祭りだった。(『彼自身』)

…………

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

ーー「かなしみ」(『二十億光年の孤独』1952)


◆「私」 谷川俊太郎

四十余年前、主に「僕」という一人称を使って私は詩を書き始めました。ふだんも私は僕と言っていて、友人同士のあいだではときに俺になることもあったにしろ、それはごく自然な選択だったと思います。作品における一人称と現実の私とのあいだに、ほとんど距離はなかったと見ていいでしょう。第二詩集である「六十二のソネット」では一人称は「私」に統一されています。どうして「僕」を「私」に変えたのか、はっきりした記憶はありませんが、もしかすると一種の背伸びだったのかもしれない。本来はなかったであろう「僕」のニュアンス、いささか子どもっぽい、ときにはカマトトともとられかねない感じが一九五〇年代にはもうあって、それを避けたかったのでしょう。

沈黙が名づけ
しかし心がすべてを迎えてなおも満たぬ時
私は知られぬことを畏れ―
ふとおびえた

失われた声の後にどんな言葉があるだろう
かなしみの先にどんな心が
生きることと死ぬことの間にどんなが
私は神―と呟きかけてそれをやめた

常に私が喋らねばならぬ
私について世界について
無知なるものと知りながら

もはや声なくもはや言葉なく
呟きも歌もしわぶきもなく しかし
私が―すべてを喋らねばならぬ

ーー「沈黙」(『六十二のソネット』1953)

それ以後の作では「僕」「私」「俺」などが混在しています。作品の中に作者、すなわち私自身ではない主人公が登場し始めたということもありますが、その主人公が直接話法で語らない場合にも、詩を書いている私と、詩の中の私とのあいだに一篇一篇の作によって異なるにしろ微妙な距離がでてきたことがその理由でしょう。つまり詩を一種のフィクションとして書くことを、私は知らず知らずのうちに覚えたと言えます。しかしこのことはこういう単純な説明では解明できない、詩というものの本質にかかわっています。私はいまだに一貫した一人称を用いることが出来ず、一篇の作を書き始めるごとに、どんな一人称にしようか迷うことが多いのです。

僕は四月に女と別れられなかつた

ーー「二つの四月」『絵本』1956)
   
裏返せ
裏返してくれ 俺を
俺の中の言葉たちを
喋らしてやってくれ 早く
俺の中の弦楽四重奏を
鳴らしちゃってくれ
俺の中の年取った鳥たちを
飛ばしちゃってくれ
俺の中の愛を
すっちゃってくれ 悪い賭場で

裏返せ裏返してくれ俺を
俺の中のうその真珠はくれてやるから
裏返してくれ裏返してくれ俺を
俺の沈黙だけそっとしといて
行かせてくれ俺を
俺の外へ
あの樹陰へ
あの女の上へ
あの砂の中へ

ーー「頼み」(『あなたに』1960)


飲んでるんだろうね今夜もどこかで
氷がグラスにあたる音が聞える
きみはよく喋り時にふっと黙りこむんだろ
ぼくらの苦しみのわけはひとつなのに
それをまぎらわす方法は別々だな
きみは女房をなぐるかい?

ーー「武満徹に」(『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』1965)





近作「世間知ラズ」と「モーツァルトを聴く人」では「ぼく」が使われていて、それは当時の私の気分による、意識的な選択でした。「私」に比べると「ぼく」は一種の傷つきやすさがあり、その頼りなさが私には必要だった。その「ぼく」は「二十億光年の孤独」の中の「僕」とは違うと私は考えています。

そんなに笑いながら喋らないでほしいなと僕は思う
こいつは若いころはこんなに笑わなかった
たまに笑ってくれると嬉しかったもんだ

おまえは今いったいどこにいるつもりなんだい
人と人のつくる網目にすっぽりとはまりこんで
いい仕立てのスーツで輪郭もくっきり

昔おまえはもっと滲んでいたよ
雨降りの午後なんかぼうっとかすんでいた
分からないことがいっぱいあるってことがよく分かった

今おまえは応えてばかりいる
取り囲む人々への善意に満ちて
少しばかり傲慢に笑いながら

おまえはいつの間にか愛想のいい本になった
みんな我勝ちにおまえを読もうとする
でもそこには精密な言葉しかないんだ

青空にも夜の闇にも愛にも犯されず
いつか無数の管で医療機械につながれて
おまえはこの文明の輝かしい部分品のひとつとなるだろう

ーー「もっと滲んで」『世間知ラズ』1993)



(私を魅惑する、背景の、女中 Me fascine, au fond, la bonne.)


六十年生きてきた間にずいぶんピアノを聴いた
古風な折り畳み式の燭台のついた母のピアノが最初だった
浴衣を着て夏の夜 母はモーツァルトを弾いた
ケッヘル四八五番のロンドニ長調
子どもが笑いながら自分の影法師を追っかけているような旋律
ぼくの幸せの原型

(……)

半世紀以上昔のあの夏
父がもう母に不実だったことを幼いぼくは知らなかった。

※

五分前に言ったことを忘れて同じことを何度でも繰り返す
それがすべての始まりだった

何十個も鍋を焦がしながらまだ台所をうろうろし
到来物のクッキーの缶を抱えて納戸の隅に鼠のように隠れ
呑んべだった母は盗み酒の果てにオーデコロンまで飲んだ
時折思い出したように薄汚れたガウン姿でピアノの前に坐り
猥褻なアルペジオの夕立を降らせた
あれもまた音楽だったのか

その後口もきけず物も食べられず管につながれて
病院のベッドに横たわるだけになった母を父は毎日欠かさず見舞った
「帰ろうとすると悲しそうな顔をするんだ」
CTスキャンでは脳は萎縮して三歳児に等しいということだった
四年七ケ月病院にいて母は死んだ

病室の母を撮ったビデオを久しぶりに見ると
繰り返されるズームの度に母の寝顔は明るくなり暗くなり
ぼくにはどんな表情も見わけることができない
うしろでモーツァルトのロンドイ短調ケッヘル五一一番が鳴っている
まるで人間ではない誰かが気まぐれに弾いているかのうようだ

うつろいやすい人間の感情を超えて
それが何かを告げようとしているのは確かだが
その何かはいつまでも隠されたままだろう
ぼくらの死のむこうに

ーー「二つのロンド」『モーツァルトを聴く人』1994)

旅先の殺風景な狭いホテルの一室で朝、イヤフォンでモーツアルトを聴いている。曲は選べないが、このAbacus.fmのMozart Pianoというサイトはここのところ、ずっと内田光子の演奏を流している。グレン・グールドのモーツアルトも好きだが、内田光子を聴いたらグールドが野暮ったく思えてきた。美には冷静で強い透明な意志が必要だと思わせる演奏だ。(俊) 谷川俊太郎.com





ぼくの母はピアノが上手だった
小学生のぼくにピアノを教えるときの母はこわかった
呆けてから毎晩のようにぼくに手紙を書いた
どの手紙にもあなたのお父さんは冷たい人だと書いてあった
お父さんのようにはならないで下さいお願いだから
五年前に母は死に去年父も死んだ

ーー「ザルツブルグ散歩」(『モーツァルトを聴く人』1994)

一篇の詩とその作者である詩人との関係は、ふつう考えられているよりはるかに複雑微妙で流動的です。一篇の詩はたしかにその作者の現実生活なしでは生まれてこないものですが、その詩に述べられた考えや感情が、そのまま作者である詩人が現実に抱いたものであるかと言えば、そうは言えないことも多いのです。詩は思想を伝える道具ではないし、意見を述べる場でもない、またそれはいわゆる自己表現のための手段でもないのです。詩において言葉は「物」にならなければならないとはよく言われることですが、もしそうであるとすれば、たとえば一個の美しい細工の小箱を前にするときと同じような態度が、読者には必要とされるのではないでしょうか。そこでは言葉は木材のような材質としてとらえられ、それを削り、磨き、美しく組み合わせる技術が詩人に求められる倫理ともいうべきものであり、そこに確固として存在している事実こそが、詩の文体の強さであるはずです。作者である詩人は「形」の中にひそんでいる。何かを言いたいから書いたのだという視点からだけでは、詩の中の「私」はとらえられないと思いますし、詩に書かれている内容をもとにして、詩人の正邪を断罪するのも公平でないと思う。とは言うものの、詩が散文による書き物と違って、この世の道徳的判断からまったく免責されているというふうには私も考えていません。詩人はたぶん現実世界から見れば不道徳な存在とならざるをえない一面をもっていて、その自覚なしには彼ないし彼女はこの世に生きてはいけないのです。自らのいかがわしさを通して、詩人は世間にむすびつくと今の私は考えています。(谷川俊太郎「私」) 

(家族主義なしの家族)

手紙で借りる話をまとめておいた家具つきのアパルトマンが、ふさがっていた。彼らは、パリのある十一月の朝、ド・ラ・グラシエール街で、トランクと手荷物をかかえて途方に暮れる羽目となった。近所の乳製品のおかみさんが、うちへ入れて、あついショコラとクロワッサンをご馳走してくれた。(『彼自身によるロラン・バルト』)

…………

《「私」がもはや「自身」でない以上、私が「私自身」について語ってはいけない理由はないではないか。》(『彼自身によるロラン・バルト』)

ーーこの文は邦訳ではややわかりにくい形で訳されているが、英訳では次の通り(仏原文はネット上でざっと探してみたかぎりでは行き当たらないので、当面、英訳をかかげておくーー《why should I not speak of " myself " since this " my" is no longer "the self " ?》)

私にとって家族は、ずっと前から、母と、血を分けた一人の弟だけだった。後にも先にもそれだけである(ただ、祖父母の思い出だけは別であるが)。家族集団を構成するためにどうしても必要とされる単位、《いとこ》は一人もいなかった。それに、家族というものを、もっぱら拘束と儀式だけで成り立っているかのように扱う、あの科学的態度は、どうにも我慢がならなかった。つまり家族は、直接的な帰属集団としてコード化されるか、または、葛藤と抑圧の結節点と見なされるのだ。われわれの学者たちには、《互いに愛し合う》家族もいるということが想像できないかのようである。

そしてまた私は、私の家族を「家族」一般に還元することを欲しないのと同じく、私の母を「母」一般に還元することも欲しない。ある種の一般的研究を読むと、それが私の状況に納得のいく形で適用できるということは私にもわかった。フロイト(『人間モーゼと一神教』)に註釈をほどこしつつ、J・J・グノーが説明するところによれば、ユダヤ教は、聖母崇拝の危険を避けるために偶像を排除したが、キリスト教は、母なる女性の表象を許すことによって「おきて」の厳しさを乗り越え、「想像的なもの」を受け入れたという。私は、偶像をもたず聖母を崇拝しない宗教(新教)に属しているが、しかしおそらく、文化的にはカトリック芸術によって培われてきたので、「温室の写真」を見て、「偶像」に、「想像的なもの」に帰依した、ということになるのである。それゆえ私は、自分に普遍性があることは理解できたのだが、しかし、理解したとはいいながら、どうしても割り切れない気持が残った。「母」一般のうちには、輝かしい、還元しえない一個の核、つまり、私の母が存在していたのである。

私は生涯母と一緒に暮してきたので、悲しみもまたひとしお深いのだ、と人は必ず思いたがる。しかし私の悲しみは、母があのような人であったことから来ているのである。母があのような人であったからこそ、私は母と一緒に暮してきたのである。母は「善」としての「母」であるうえに、さらに一個の人間としての魅力をそなえていた。プルーストの小説の「語り手」が祖母の死について言ったように、私もまたこう言うことができた。《私はただ単に苦しむというだけでなく、その苦しみの独自性をあくまで大事にしたかった》と。なぜなら、その独自性は、母のうちにある絶対に還元不可能なものの反映だったからである。そしてそれが、まさに還元不可能であるゆえに、一挙に、永遠に失われてしまったのだ。

喪は緩慢な作業によって徐々に苦悩を拭い去ると人は言うが、私にはそれが信じられなかったし、いまも信じられない。私にとっては、「時」は死別の悲しみを取り除いてくれる、ただそれだけにすぎないからである(私は単に死別したことを悲しんでいるのではない)。それ以外のことは、時がたっても、すべてもとのまま変わらない。というのも、私が失ったものは、一個の「形象」(「母」なるもの)ではなく、一個の人間だからである。いや、一個の人間ではなく、一個の特質(一個の魂)だからである。必要不可欠なものではなく、かけがえのないものだからである。私は「母」なしでも生きてゆくことができた(われわれはみな、遅かれ早かれそのようにしている)。しかし私に残された人生は、確実に、最後まで、形容しがたい(特質のない)ものとなることであろう。(ロラン・バルト『明るい部屋』花輪光訳 PP.90-92)





ロラン・バルトの一人称単数代名詞使いの極度の繊細さをめぐっては、たとえば次の最晩年の文にも現われる。

……たとえば、カフカは、《自分の不安を根絶する》ために、いいかえれば、《救いを得る》ために日記をつけた。私にはこの動機は自然とは思えない。少なくとも終始不変とは思えない。伝統的に「私的日記」に与える目的についても同様である。もはやそれが適切とは思えない。それは《誠実さ》(自分を語る、自分をさらけ出す、自分を裁く)の効用や威光と結びつけられてきた。しかし、精神分析、サルトルの底意批判、マルクス主義のイデオロギー批判が告白を空しいものとしてしまった。誠実さは第二度の想像物〔イマジネール〕でしかない。そうだ。(作品としての)「私的日記」を正当化する理由は、純粋な意味で、懐古的でさえある意味で、文学的でしかあり得ないだろう。(ロラン・バルト「省察」1979『テクストの出口』所収ーー痛みやすい果実)

「精神分析」とあるが、フロイトの《 私は自分の家の主人ではない(dass das Ich kein Herr sei in seinem eigenen Haus)》がまずはベースとなっている。

これについてはラカンの「愉快な」説明がある。

…教授連中にとって「我思う」が簡単に通用するのは、彼らがそこにあまり詳しく立ち止まらないからにすぎない。

「私は思う Je pense」に「私は嘘をついている Je mens」と同じだけの要求をするのなら次の二つに一つが考えられる。まず、それは「私は考えていると思っている Je pense que je pense」という意味。

これは想像的な、もしくは見解上の「私は思う」 、 「彼女は私を愛していると私は思う Je pense qu'elle m'aime」と言う場合に-つまり厄介なことが起こるというわけだが-言う「私は思う」以外の何でもない。

デカルトの「省察」の中でさえ、 「我思う」を、彼の言う根源的明証性はなにも保証することできない、 まさに想像的次元でしかないものにする遇有的事柄の多さに驚かされる。

もう一つの意味は「私は考える存在である Je suis un être pensant」である。この場合はもちろん、 「我思う」から自分の存在に対して思い上がりも偏見もない立場をまさに引き出そうとすることをそもそも台無しにすることになる。

私が「私はひとつの存在です Je suis un être」と言うと、それは「疑いもなく、私は存在にとって本質的な存在である Je suis un être essentiel à l'être, sans doute」ということで、ただのおもいあがりである。(ラカン、セミネールⅨ「同一化」向井雅明試訳からだが、一部変更)

ラカンは、言表内容の主体 sujet de l'énoncé と言表行為の主体 sujet de l'enonciation が一致している思い込んでいる人々のことを「私は私自身の主人maîtreである」という妄想的(パラノイア的)信念の言説--《m'être à moi même》(Lacan,S.17)ーーの主体としている。





2016年10月2日日曜日

柿の木と梨の木

・私は詩人ではない、だが私は詩である。je ne suis pas un poète, mais un poème. (Lacan,17 mai 1976 AE.572)

・ポエジー poésie だけだ、解釈を許容してくれるのは。私の技能ではそこに至りえない。私は充分には詩人ではない。(ラカン、S.24.1977).

…………

(これは)たんなる詩の問題ではない。これは、意味の効果でありながら、また穴の効果でもある詩である。

意味とはシニフィアンの助けにて共鳴するものだ。しかし共鳴は十分ではない。それはむしろ穏やかだ。意味は共鳴を拭い去る。

意味は我々を眠りに誘う。詩も同じく。もし詩が意味から意味へと移行するなら。

眠りから覚めるのは、我々が理解しないときである。

この「新しいシニフィアン」--問題となっているのはシニフィアンの別の使用法であるーーが目を眩ます効果をもつ。そのとき意味の眠りから身を起こす。
.
この強制するもの forçage が詩を通して作働する。

詩人の「離れ技 tour de force」は、意味を不在にすることである。(ミレール、2007ーーInterprétation, semblant et sinthome por ANNE LYSY-STEVENS)


ああかけすが鳴いてやかましい(西脇順三郎ーー生垣の「結び目をほどく」詩人)


…………

悟り(「禅」における出来事)とは、多少なりとも強い地殻変動であり(厳粛なものではまったくない)、認識や主体を揺らめかせるもの qui fait vaciller la connaissance, le sujet である。つまり、悟りはパロールの空虚 un vide de parole を生じさせてゆく。そして、パロールの空虚こそがエクリチュール écriture をかたちづくる c'est aussi un vide de parole qui constitue l'écriture。(ロラン・バルト『記号の国』)

《現実界は見せかけのなかに穴を開けるものである。ce qui est réel c'est ce qui fait trou dans ce semblant.》(ラカン、S.18)

ーーラカンは、人間の現実を「見せかけの世界 le monde du semblant」と考えた。(ヴェルハーゲ、2001)

《無意識は常に、主体の裂け目のなかに揺らめくものとして顕れる。l'inconscient se manifeste toujours comme ce qui vacille dans une coupure du sujet,ラカン、S.11)

《精神分析とは、見せかけ semblant を揺らめかすことである、機知が見せかけを揺らめかすように。[la psychanalyse fai les semblants , le Witz fait vaciller les semblants]》(ジャック=アラン・ミレール,1996)

《すべてが見せかけではない。ひとつの現実界がある。社会的紐帯の現実界は、性関係の不在であり、無意識の現実界は話す身体である。tout n'est pas semblant, il y a un réel. Le réel du lien social, c'est l'inexistence du rapport sexuel. Le réel de l'inconscient, c'est le corps parlant.》 (ミレール、2014、L'inconscient et le corps parlant par JACQUES-ALAIN MILLER)

プルーストの作品は、過去と記憶の発見とに向けられているのではなく、未来と習得の進展とに向けられている。重要なことは、主人公は最初は或ることを知らなかったが、徐々にそれを習得して、ついには最終的な啓示 révélation を受け取るということである。したがって、彼は必然的に失望を味わう。つまり、彼は《信じ》、幻想 illusions を持っていたが、世界は習得の過程の中で揺らめくのである。il« croyait », le monde vacille dans le courant de l'apprentissage. (ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

・エリオットは、詩の意味とは、読者の注意をそちらのほうにひきつけ、油断させて、その間に本質的な何ものかが読者の心に滑り込むようにする、そういう働きのものだという。(中井久夫「顔写真のこと」)

・散文を歩行に、詩を舞踏に例えたのはポール・ヴァレリーである。T・S・エリオットはこれにやんわりと異議を唱えて、詩と散文とはそれほど明瞭に区別されるものではないと述べている。(中井久夫「訳詩の生理学」)

・「詩とは言語の徴候優位的使用によってつくられるものである」――これが私の詩の定義である。(中井久夫「世界における索引と徴候」)

・詩とは言語の徴候的側面を主にした使用であり、散文とはその図式的側面を主にした使用である。(中井久夫『現代ギリシャ詩選』序文)


…………

We are the hollow men
We are the stuffed men
Leaning together
Headpiece filled with straw. Alas!
Our dried voices, when
We whisper together
Are quiet and meaningless
As wind in dry grass

俺たちのなかみはからっぽ
俺たちのなかみはつめもの
俺たちはよりそうが
頭のなかは藁のくず、ああ!
俺たちがささやきあうと
かわいた声が
うつろにひびく
まるでかわいた草をふきわたる風

ーーエリオット「うつろな人間 the hollow men」より 高松雄一訳


T・S・エリオットは、十七世紀の詩人ジョン・ダンについての評論の中でこの詩人は「観念をバラの花の匂いのごとくに感じる」と述べている。この一句には最近あらためて考えさせられるものがあった。観念には匂いと非常に似ているところがある。まず、それはいっときには一つしか意識の座を占めない。二つの匂いが同じ強度で共在することはありえないが、観念もまた、二つが同じ強度で共存することはーーある程度以下の弱く漠然としたものを除いてはーーきわめて例外的で、病的な状態においてかろうじてありうるか否かというくらいのものである。

第二に、匂いは、たしか二十秒くらいしかとどまらない。匂い物質は送られてきても、それに対する嗅覚は急速に作働しなくなってしまう。これは、嗅覚が新しい入力に対応するためで、こうなくてはならないことである。

観念はどうであろう。観念を虚空に把握しつづけることは、それこそ二十秒以上はむつかしいのではなかろうか。とすれば、持続的といわれる幻覚、妄想、固定観念も、たえざる入力によってくり返しくり返し再出現させて維持されていることを示唆する。ただ、この入力は、決して“ 自由意志 ”によるものではない。

最後に、両者とも、起そうとして起せるものではない。観念も、意識的というか人工的に催起させられるものではない。両者とも、基本的には意識を「襲う」ものである。少なくとも重要な気づきは、はげしい香りと同じく、ひとを打つのである、科学的、思想的発見であっても、パースナルな気づきであっても。(中井久夫「世界における索引と徴候」『徴候・記憶・外傷』所収)


観念と
現実の間に
運動と
行動との間に
影が降りる

Between the idea
And the reality
Between the motion
And the act
Falls the Shadow

ーーT.S Eliot,The Hollow Men


《アクチュアルではないがリアルであり、抽象的ではないが観念的》(プルースト「見出された時」)――この観念的なリアルなもの、この潜在的なものがエッセンスである。« Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits. » Ce réel idéal, ce virtuel, c'est l'essence. réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

……ところが、すでにきいたり、かつて呼吸したりした、ある音、ある匂が、現在と過去との同時のなかで、すなわち現時ではなく現実的であり、抽象的ではなく観念的である Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits →「アクチュアルではなくリアルなもの、抽象的ではなく観念的である」二者の同時のなかで、ふたたびきかれ、ふたたび呼吸されると、たちまちにして、事物の不変なエッセンス、ふだんはかくされているエッセンスが、おのずから放出され、われわれの真の自我がーーときには長らく死んでいたように思われていたけれども、すっかり死んでいたわけではなかった真の自我がーーもたらされた天上の糧を受けて、目ざめ、生気をおびてくるのだ。時間の秩序から解放されたある瞬間が、時間の秩序から解放された人間をわれわれのなかに再創造して、その瞬間を感じうるようにしたのだ。それで、この人間は、マドレーヌの単なる味にあのようなよろこびの理由が論理的にふくまれているとは思わなくても、自分のよろこびに確信をもつ、ということがわれわれにうなずかれるし、「死」という言葉はこの人間に意味をなさない、ということもうなずかれる。時間のそとに存在する人間だから、未来について何をおそれることがありえよう?(プルースト『見出された時』井上究一郎訳)

…………

詩の擁護又は何故小説はつまらないか  谷川俊太郎

ーー「詩は何もしないことで忙しいのです」ビリー・コリンズ(小泉純一訳)

初雪の朝のようなメモ帳の白い画面を
MS明朝の足跡で蹴散らしていくのは私じゃない
そんなのは小説のやること
詩しか書けなくてほんとによかった

小説は真剣に悩んでいるらしい
女に買ったばかりの無印のバッグをもたせようか
それとも母の遺品のグッチのバッグをもたせようか
そこから際限のない物語が始まるんだ
こんぐらかった抑圧と愛と憎しみの
やれやれ

詩はときに我を忘れてふんわり空に浮かぶ
小説はそんな詩を薄情者め世間知らずめと罵る
のも分からないではないけれど

小説は人間を何百頁もの言葉の檻に閉じこめた上で
抜け穴を掘らせようとする
だが首尾よく掘り抜いたその先がどこかと言えば、
子どものころ住んでいた路地の奥さ

そこにのほほんと詩が立ってるってわけ
柿の木なんぞといっしょに
ごめんね

人間の業を描くのが小説の仕事
人間に野放図な喜びをもたらすのが詩の仕事

小説の歩く道は曲がりくねって世間に通じ
詩がスキップする道は真っ直ぐ地平を越えて行く

どっちも飢えた子どもを腹いっぱいにしてやれないが
少なくとも詩は世界を怨んじゃいない
そよ風の幸せが腑に落ちているから
言葉を失ってもこわくない

小説が魂の出口を探して業を煮やしてる間に
宇宙も古靴も区別しない呆けた声で歌いながら
祖霊に口伝えされた調べに乗って詩は晴れ晴れとワープする

人類が亡びないですむアサッテの方角へ

路地を通り抜ける時試に立止つて向うを見れば、此方は差迫る両側の建物に日を遮られて湿つぽく薄暗くなつてゐる間から、彼方遥に表通の一部分だけが路地の幅だけにくつきり限られて、いかにも明るさうに賑かさうに見えるであらう。殊に表通りの向側に日の光が照渡つてゐる時などは風になびく柳の枝や広告の旗の間に、往来の人の形が影の如く現れては消えて行く有様、丁度灯火に照された演劇の舞台を見るやうな思ひがする。夜になつて此方は真暗な路地裏から表通の灯火を見るが如きは云はずとも又別様の興趣がある。川添ひの町の路地は折々忍返しをつけた其の出口から遥に河岸通のみならず、併せて橋の欄干や過行く荷船の帆の一部分を望み得させる事がある。此の如き光景は蓋し逸品中の逸品である。(永井荷風『路地』)


十三秒間隔の光り 田村隆一

新しい家はきらいである
古い家で生れて育ったせいかもしれない
死者とともにする食卓もなければ
有情群類の発生する空間もない
「梨の木が裂けた」
と詩に書いたのは
たしか二十年まえのことである
新しい家のちいさな土に
また梨の木を植えた
朝 水をやるのがぼくの仕事である
せめて梨の木の内部に
死を育てたいのだ
夜はヴィクトリア朝期のポルノグラフィを読む
「未来にいかなる幻想ももたぬ」
というのがぼくの唯一の幻想だが
そのとき光るのである
ぼくの部屋の窓から四〇キロ離れた水平線上
大島の灯台の光りが

十三秒間隔に


・昔は誰でも、果肉の中に核があるように、人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた。

・女が孕んで、立っている姿は、なんという憂愁にみちた美しさであったろう。ほっそりとした両手をのせて、それとは気づかずにかばっている大きな胎内には、二つの実が宿っていた、嬰児と死が。広々とした顔にただようこまやかな、ほとんど豊潤な微笑は、女が胎内で子供と死とが成長していることをときどき感じたからではないか。(リルケ『マルテの手記』)





2016年9月28日水曜日

私は詩人ではない、だが私は詩である。

《私は詩人ではない、だが私は詩である。》(ラカン、1976)

je ne suis pas un poète, mais un poème. (Lacan,17 mai 1976 AE.572)

どうして踊り手と踊りを分つことができようか。

How can we know the dancer from the dance? (イェイツ)

ポール・ド・マンは、「踊り手と踊りをどのように区別するのか(教えてくれ)」ともとれるじゃないか、と言ったらしい(柄谷行人『隠喩としての建築』P.50)


1、どうして詩人と詩を分かつことができようか
2、詩人と詩をどのように区別するのか(教えてくれ)」


世間知ラズ  谷川俊太郎

自分のつまさきがいやに遠くに見える
五本の指が五人の見ず知らずの他人のように
よそよそしく寄り添っている

ベッドの横には電話があってそれは世間とつながっているが
話したい相手はいない
我が人生は物心ついてからなんだかいつも用事ばかり
世間話のしかたを父親も母親も教えてくれなかった

行分けだけを頼りに書きつづけて四十年

おまえはいったい誰なんだと問われたら詩人と答えるのがいちばん安心
というのも妙なものだ
女を捨てたとき私は詩人だったか
好きな焼き芋を食ってる私は詩人なのか
頭が薄くなった私も詩人だろうか
そんな中年男は詩人でなくてもゴマンといる

私はただかっこいい言葉の蝶々を追っかけただけの
世間知らずの子ども
その三つ児の魂は
人を傷つけたことも気づかぬほど無邪気なまま
百へとむかう

詩は
滑稽だ

…………

自由詩における改行の意味はどういうところにあるだろうか? 散文詩とどこが違うのであろうか。これには、十分な説明を聞いたことがない。私はこう考えている。読む速度をひそかに規定しているのであろう、と。長い行は速い速度で、短い行はゆっくりした速度で読みように、という指示を下しているのである。散文詩とは、ほぼ同じ速度で読まれる詩である。音韻的には、散文とはそういうものであるというのが、私だけの定義である。同じエリティスの詩でも「狂ったザクロの木」は「エーゲ海」よりも速い速度で読まれるのが自然だと私は思い、私の翻訳では、そのように訳してある。思い入れたっぷりの現代日本詩の朗読法は私の好みではない。現代ギリシャ詩の朗読のように、もっと速い速度で、過度の抑揚を付けずに、ほとんど散文的に、しかし行の長さによって速度を変えるか、行間休止時間を変え、頭韻や脚韻に注意して読まれるべきである。そうすれば、日本語においても、母音と母音、子音と子音の響き合いによる美しさが現れるはずである。

ついでにいえば、私にとって、詩とは言語の徴候的使用であり、散文とは図式的使用である。詩語は、ひびきあい、きらめき交わす予感と余韻とに満ちていなければならない。私がエリティスやカヴァフィスを読み進む時、未熟な言語能力ゆえに時間を要する。その間に、私の予感的な言語意識は次の行を予感する。この予感が外れても、それはそれで「快い意外さ la bonne surprise」がある。詩を読む快楽とは、このような時間性の中でひとときを過ごすことであると私は思う。(中井久夫「私と現代ギリシャ文学」)


2016年6月10日金曜日

かっこいい言葉の蝶々

自分が愛するからこそ、その愛の対象を軽蔑せざるを得なかった経験のない者が、愛について何を知ろう(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部「創造者の道」)

表題を「かっこいい言葉の蝶々」としたが、わたくしはかっこいい言葉を愛している。そして、いまニーチェを引用したけれどさ・・・

たとえば瀧口修造の詩ってのはかっこいいねえ、たまらんな

地上の星

鳥、千の鳥たちは 
眼を閉じ眼をひらく 
鳥たちは 
樹木のあいだにくるしむ。

真紅の鳥と真紅の星は闘い 
ぼくの皮膚を傷つける 
ぼくの声は裂けるだろう 
ぼくは発狂する 
ぼくは熟睡する。

鳥の卵に孵った蝶のように 
ぼくは土の上に虹を書く 
脈搏が星から聴こえるように 
ぼくは恋人の胸に頬を埋める。






絶対への接吻

…彼女は熱風のなかの熱、鉄のなかの鉄。 しかし灰のなかの鳥類である彼女の歌。 彼女の首府にひとでが流れる。 彼女の彎曲部はレヴィアタンである。 彼女の胴は、相違の原野で、水銀の墓標が妊娠する焔の手紙、それは雲のあいだのように陰毛のあいだにある白昼ひとつの白昼の水準器である。 彼女の暴風。 彼女の伝説。 彼女の営養。 彼女の靴下。 彼女の確証。 彼女の卵巣。 彼女の視覚。 彼女の意味。 彼女の犬歯。 無数の実例の出現は空から落下する無垢の飾窓のなかで偶然の遊戯をして遊ぶ。 コーンドビーフの虹色の火花。 チーズの鏡の公有権。 婦人帽の死。…





遮られない休息  瀧口修造

跡絶えない翅の 
幼い蛾は夜の巨大な瓶の重さに堪えている 
かりそめの白い胸像は雪の記憶に凍えている 
風たちは痩せた小枝にとまって貧しい光に慣れている 
すべて 
ことりともしない丘の上の球形の鏡


…………

若鷲のみ魂にさゝぐ  春とともに  瀧口修造

いまだ 還らず・・・
いまだ 還らず・・・
巨いなる空の涯て
雲は燃え
星はかがやけれど
君はつひに還らず

されど
故里に春はかへりぬ
水温るみ 餅草萌ゆる
あゝ その春のごとくに
ちちははの胸にかへらむ
さとびとの胸にかへりて
はげしくも炎と燃えむ
美まし國の護りとならむ

君は還りぬ

藤堂はTさんの戦時中の詩にこだわっていた。藤堂はTさんが死んで二年にもなるというのに、まだTさんのことを考えていた。……そしてこのところはっきりとしているのは、Tさんがあの詩を書いたのはどうしてなのか、またあの詩を書くことによって、Tさんがその後どんなに苦しい負担を担ってしまったか、ということをめぐって思いが寄って行くということだった。

Tさんは昭和十六年の三月、三人の警視庁特高警察に寝込みを襲われ、杉並区の留置場に連行されていた。取調べは週に一回程度で、内容は主として、日本のシュルレアリスム運動が国際共産党と関係があるかどうかの詮議にかけられていた……やがて夏になった。検事拘留となり、若い検事が取調べをやり直すことになるが、問題がシュルレアリスムの本質論と現実政治の関係になってくると、ことは複維となり、検事も困惑した表情を見せるようになる。Tさん自身、シュルレアリスムの政治的局面は得意とするところではなかったはずだ、と藤堂は思った。秋が更けて十一月中旬に、戦時下という時局に際し、今後慎重に行動するようにとの訓戒ののちに、Tさんは起訴猶予処分のまま釈放された。……

十二月八日、真珠湾の奇襲が起る。

多分その翌年の一月はじめに、Tさんは「大東亜戦争と美術」という二ページほどの評論を発表していた。そして多分その次の年の中頃に、「春とともにーー若鷲のみ魂にささぐ」という詩を書いた。それは十八年の十月出た戦争詩のアンソロジー『辻詩集』に求められての詩作だった。これは名高い詩集だった。ところがTさんの詳細をきわめた自筆の年譜にも、その詩を書き発表したことは記されていなかった。ましてTさん自身、こういう詩を書いたことがあると口にしたことは、Tさんと藤堂のつきあった二十五、六年の間一度もなかった。Tさんは決して口数の少ないほうではなかった……Tさんはこの上もなく自虐的なにがい気持で、「ええいと思って、」一種のしかたのない免罪符を買うつもりで「若鷲のみ魂にささぐ」を書いたのではなかったろうか。……「おれだってこういうとき弁明の詩を書くかも知れない。いや書くだろう」と藤堂は思った。そしてTさんは書いた。しかしこの詩が、以来小骨のようにTさんの咽喉にひっかかったのではなかったか。……

藤堂は「おれにも、無いと思いたい書きものや、行動はいくつもある」と冷静に思うことのできる年齢になっていた。

それにしてもTさんはこの詩にこだわったにちがいなかった。Tさんの戦中についてはよくこういう記述のされ方をした。「一九四一年の春、T氏は、シュルレアリスムと共産主義の関係に目をつけた官憲によって検挙される。この時、すでに美術統制ははぼ完了し、画壇は戦争画の花ざかりを迎えようとしていた。八カ月にわたる拘留ののち、T氏は釈放されるが、その後、雑誌からの原稿依頼も、友人の訪問も絶え、<深い孤独感>(自筆年譜のことば)の中で、敗戦を迎える。批評にかかわるT氏の夢は粉々に砕かれ、戦後にもちこされることになる。」しかし夢が砕かれたのは批評にかかわることにとどまらなかったのではないか。詩にかかわる夢も、一度粉々に砕かれてしまったのではないか。……「八月にわたる拘留ののち、釈放されるが、その後、雑誌からの原稿依頼も、友人の訪問も絶え、<深い孤独感>の中で、敗戦を迎える。」――その言い方の一部に、「止むを得ずして『春とともにーー若鷲のみ魂にささぐ』を執筆、発表」と書き入れるべきではなかったか。雑誌からの依頼もなく、というのは正しくない。重要な、困った、致し方ないというえば致し方ない、少なくとも二つないし三つの原稿依頼があったのではなかったか。そのことを記入すべきだった。そうすることによって、Tさんの思想と行動の一貫性の印象は失われ、傷つけられるかもしれないが、その傷からこそより深く、するどい痛感をともなった、別の何かが生れたのではなかったか。このところの藤堂は、何度も繰り返してそう思った。

Tさんはあの自分の詩を分析し、あの詩をめぐって百枚の論文を書くことによって、戦後の再出発をすることもできた。(飯島耕一「遠い傷痕」『冬の幻』所収)

…………

以下はみずからを凡人という谷川俊太郎の詩と、アランーーラカンが≪チョークの粉がつくる雲の中で教師然としているアラン≫と呼んだアランの「詩と散文」論である。


世間知ラズ  谷川俊太郎


自分のつまさきがいやに遠くに見える
五本の指が五人の見ず知らずの他人のように
よそよそしく寄り添っている

ベッドの横には電話があってそれは世間とつながっているが
話したい相手はいない
我が人生は物心ついてからなんだかいつも用事ばかり
世間話のしかたを父親も母親も教えてくれなかった

行分けだけを頼りに書きつづけて四十年
おまえはいったい誰なんだと問われたら詩人と答えるのがいちばん安心 
というのも妙なものだ 
女を捨てたとき私は詩人だったか 
好きな焼き芋を食ってる私は詩人なのか 
頭が薄くなった私も詩人だろうか 
そんな中年男は詩人でなくてもゴマンといる

私はただかっこいい言葉の蝶々を追っかけただけの 
世間知らずの子ども 
その三つ児の魂は 
人を傷つけたことも気づかぬほど無邪気なまま 
百へとむかう

詩は 
滑稽だ


私は詩人の作品を読むのが苦手だ。必然性のない韻、繰り返し、塞がれた穴が見えすぎるのだ。読んで貰つたら、もつとよく分かつた。さうすると、待つことのない動きに捉へられた。繰り返しを忘れて、それについて考へる時間さへなかつた。 韻は、その度に感じる小さな恐れによつて、どれも心地よかつた。聞こえてゐる詩をうまく終はらせることは、いつも、不可能だと思はれるのだから。この待つことのない動きは、 即興を思はせる。かうして私を旅へと導くものを、私は詩しか知らない。ここには前文もなく、 用心もない。私は自分が動き出すのを感じる。最初の言葉たちにも別れを告げる。リズムで、 私はやつて来るものを察する。述べてみよといふ呼び掛けであり、最高の詩は、これに応じる。

だが、もつと詳しく調べよう。詩の中では、いつでも二つのものが争つてゐる。規則的なリズムがあり、繰り返される韻を伴ふが、私はこれを常に感じてゐる必要がある。リズムに逆らふ物語りがあり、長い時間ではないが、時折そのためにリズムが隠れる。この芸は音楽家のもののやうだが、もつと分かりやすい。また、我々に自由な想像を許さないといふ点で、 より専制的なものでもある。その分、慰められることも少ない。しかし、音楽のときのやうに、 あちこちに、休息のやうな和解がある。リズムのある一節と、語られた一節とが一緒に終はる瞬間が 来るのだから。自然さ、言葉の単純さと意味の豊かさが、奇跡を起こすのはこの時だ。詩人がそれまでに少し苦労をしてゐることさへも、悪くはないのだ。落ちる真似をする軽業師のやうに。しかし、 それはいつでも、船での旅のやうに止まることがない。詩はさういふふうに受け取らねばならない。 この条件がないと、注意を引くリズムとリズムを外さうとする動きを調和させる力が全く理解できないだらう。

雄弁も、また、一種の詩である。そこには音楽的な何かが簡単に見つかる。言ひ回しの強弱、均整、 響きの調整、そして予告され、期待され、言葉が奇跡のやうにそれに応へる結末だ。だが、かうした極まりは隠されてゐる。思ひが脹らむと、演説家はこれに従はないことがよくある。残るのは、時間を 満たすといふ必要と、避けられない動き、心配と苛立つた疲れで、これはやがて聴衆に伝はる。しかし、 ここでも読むのではなく聞かねばならない。さうしないと、繰り返しやつなぎの言葉で嫌になるだらう。 だが、これは、特に演説家が議論を展開してゐるときには、必要なものなのだ。読むのでは、集まつた 人達の抑へた動きが見えない。書斎の静けさと二千人の沈黙には確かな違ひがある。そして、ソクラテスが、 大きな理由を述べてゐる。「君が話の終はりに来たときには、私は最初を忘れて了つた。」さらに、 全ての詭弁は雄弁である。また、さわぐ心はどれも、他の者にも、自分自身にも雄弁である。確信は、 時の歩みにより、また、証明が現れることで、強まる。それで、雄弁は不幸を予言するには、あるいは、 過ぎ去つた不幸を呼び起こすには、特に適してゐるのだ。この人間は、不幸な者が犯罪へと向かふやうに 結論に至る。終つた不幸に戻るといふのは、最悪の道行きだ。運命論的な考へがその証拠を手に入れるのは、 そのやうにしてなのだから。

散文は我々を解放する。それは詩でも、雄弁でも、音楽でもない。中断された歩み、後戻り、 突然の強い調子が、再読と熟考を命ずることからも感じられるやうに。散文は時間から解き放たれてをり、型どほりの議論からも自由である。かういふ議論は雄弁の一手段に過ぎない。真の散文は 私を急せかさない。繰り返しもない。 しかし、このため、人が私に散文を読んでくれるのは、 堪へられない。詩は、自然な言葉が、人々が言語を耳で聞いていた時代に、固定されたものだ。 しかし、今では、人はそれを眼で見る。小さな声に出しながら読むことは、少なくなる一方だ。 人間は殆ど変つてゐないと、私は思ふ。しかし、ここには重要な進展がある。この知的な対象を 眼が追ふのだから。眼はその中心を選び、そこに全てを持ち帰る。画家のやうに。組み直し、 自分で強調し、視点を選び、全ての頂に同じ日の光を求める。散歩する者はこのやうに歩むのだが、 いつでも早足すぎる。特に若く力があると、さうだ。脚が悪い者だけがしつかりと見る。かうして、 散文は、正義と同様に、脚を引きずりながら進む。(アラン「詩と散文について」『精神と情念に関する81章』所収)

…………

私はこれまでに時どき、詩人たちについてかなり手きびしく語ったことがある。雄弁家、それも非凡な雄弁家たちを、私はそれ以上に大して愛しているわけではない。いたって学識のある人が、そのことで私につっかかってきた。どんな話でも心底から出たものは雄弁の動きとリズムをおのずと帯びる。ただすぐれた詩においてのみ、このリズムは一そう規則立っているのだ、と彼はいう。彼はそこで実例をそらで引用したが、なかなかうまく択んだ。私は散文をしかるべく弁護するすべを知らなかった。散文は、読者が声を出して読むとかならず損なわれる。そして目の方がいっそうよく散文をとらえるように私は思う。散文には媚がない。耳の期待をうらぎる。散文は絶対に歌おうとはしない。あの巫女の痙攣など散文は知らない。どんな遠慮も知らず、いかなる宗教臭もない。これこそ、すっかりはだかになった人間性そのものである。筆致が道具のように喰い入るのだ。

ナポレオンはフランス野戦のとき、ソワッソンの町が二日も早く陥落したのち、しばし無言であったが、やがていった、「そんなことは偶発事にすぎぬ。だがあのときは幸運がほしかった。」これが、ほかの時にはまたみずから運命を作った人のことばである。ここには翼のはばたきがある。美辞をつらねる人々は、ためしにやることしかしないが、この人間は勝負に出るのだ。注目にあたいすることだが、訂正加筆をせぬこの術の他の実例を求めにゆくとすれば、ナポレオンと同時代、そして彼と同じ行動の人、スタンダールに、私はそれを求める。「彼は脚下に二十里四方の土地を見た。ハヤブサであろう、彼の頭上の大岩から飛び立った鳥が、いたって大きな輪を、音もなく、えがいているのがときどき彼の視界に入った。ジュリアンの目は、機械的にこの猛禽のあとを辿っていた。その落ち着いた、しかも力強い動きが、彼の心を打った。彼はあの力をうらやんだ。彼はあの孤立をうらやんだ。それはナポレオンの運命であった。いつの日か、それが彼の運命になるだろうか。」(『赤と黒』)

修辞と呼ばれているあの模倣の痕跡のごときを、私はここにはまったく見かけない。しかも、喜劇なきこの散文は、公定の芸術(散文)が美辞をつらねて弁じ立てていた一時代のものなのである。ここには、欲望というよりもむしろ意志が、姿をあらわしている。行動が感情をむさぼり食ってしまう。同様に、この散文は何巻もの詩をむさぼり食ってしまう。ちょうど土が水を吸いこむように。イメージは、ここではオペラの舞台装置とはちがう。イメージは動きであり、稲妻であり、とぶ鳥のかげなのだ。「えがく」というこの語が、二つの意味をもっているとは、すばらしい。動きをえがくことは、まさにその動きをすることである。それゆえ、一方で描写は比較する。しかし他方で、描写は象徴するのだ。

散文とは何か、散文は何をなし得るのか、散文はどうあるべきか。私はこれらを知っているとはまだとてもいえない。絵画について何かと書く芸術批評家たちに、私はしばしばおどろいた。なぜなら、絵画は散文よりもなお一そう隠されているからである。こんにちでは、私は詩と散文のあいだの対立関係に気づいている。詩は、ふとした出会いで集まったイメージを延べ拡げ、かつ成長させる。そしてある種の散文は、こうした装飾を徹底的に叩きのめすのである。しかしながら、ヴァイオリンの弾き方がまなばれねばならぬごとく、散文の弾き方も、まなばずしては体得されえない。スタンダールのなかに、装飾をあまりにうち倒してしまう一つの術を、私は見いだす。ところで一方、シャトーブリアンをまねるのは危険性なきにしもあらず、ということを私は知っている。逆に、スタンダールは、ひとりならずの若い天分を枯渇させるだろう。

スタンダールは、雄弁家から、ありうる限りにおいてはなれている。説教は大げさで冗漫なものである。説教は耳と一致させなばならない。いく度も耳を打ち、そして耳をひき戻さねばならない。用意しておき、前ぶれしておくこと。ともかく、雄弁家の力、抒情の力を作っているのは、期待なのだ。韻の期待、区切りの期待、声の抑揚の期待。一完結文とは、手はずをととのえられ、もつれ、そして解決を見る劇のようなものである。それは窓ごしに見られた嵐なのだ。他方、散文の芸術家は事物の空洞そのもののなかにいる。彼の足音の反響がきこえてくる。だが二度とこだましない。ただ一度きりなのだ。彼は道具を休めて空を仰ぐ。詩の一切が通りすぎてゆく。丘から丘にとどく音のように。あのはだかの文体の魔術、それは喜劇を見る子供のように待っているのではなく、ふりかえって自己のうしろを注視することである。目の一躍によって読みかえす。イメージをもう一度しっかり捉える。あの固定した線条があなたを駆けさせる。これに反して、雄弁の芸術は、坐ってじっとしているわれわれのために駆ける。このゆえに、一方の芸術は朗読されたがり、他方の芸術は彫り刻まれることを求める。散文、つねに片足に体をかける、ブロンズ製の、いそぎの使者。(アラン『プロポ集』井沢義雄/杉本秀太郎訳)

次の文もつけ加えておこう。≪あの「詩人」≫とはもちろんヴァレリーである。

ある日のこと、さながら地獄界に降るようにしてアトリエの階段をきたのは、あの「詩人」だった。いつも何か怒ったような顔をしている彼だ。しかし不機嫌はたちまちほぐれ、彼はにこやかになった。( ……)

こうするうちに、自分の技倆に深くたのむところのある詩人は、詩作というあの長期労働を引き合いに出した。必要なのは、辛抱づよさということだ。不成功におわることがいくらでもあるということ、半成功は不成功よりなおはるかに危険なものだということ、彼はそういった点を説明してくれた。「まさに一歩ごとに、あの何ひとつ書かれていない丸い表面をふり返らねばならない。そうしてあの表面にぴっちり貼りついているような装飾の軌跡を作り出すことは、まずむつかしい。だからこそ、厳密な定型詩でなければ、仕事というものも案出というものも、私には考えられない。定型詩というものを、私は海のあの水位というものにたとえたい。海水は諸大陸のあいだをめぐり、諸海洋を区分しているのに、海の水位は、何物とも一致しない。しかも水位がすべてを決定している。規則に寸分たがわぬ定型詩などというものは、一行たりともありはしないのだ。しかし規則というものは、あの切れ目なく、また歪めようもない海の表面にもひとしい。その表面にわれわれがちっぽけな山々を、つまり語というものになった第二の素材を肉付けするわけだ。それにまた、何もかも詩によって言いつくされるわけでもない。というのも、あの上塗りが、何か意味をおびぬことには、詩にはならないのだから。必要なのは、ただ辛抱づよさだけだ、そう痛感したことが私には何度もあった。しかも、そう痛感したのは、きまって自分に辛抱が掛けているときだった」(アラン『彫刻家との対話』 杉本秀太郎訳)

…………

詩の擁護又は何故小説はつまらないか  谷川俊太郎

ーー「詩は何もしないことで忙しいのです」ビリー・コリンズ(小泉純一訳)

初雪の朝のようなメモ帳の白い画面を
MS明朝の足跡で蹴散らしていくのは私じゃない
そんなのは小説のやること
詩しか書けなくてほんとによかった

小説は真剣に悩んでいるらしい
女に買ったばかりの無印のバッグをもたせようか
それとも母の遺品のグッチのバッグをもたせようか
そこから際限のない物語が始まるんだ
こんぐらかった抑圧と愛と憎しみの
やれやれ

詩はときに我を忘れてふんわり空に浮かぶ
小説はそんな詩を薄情者め世間知らずめと罵る
のも分からないではないけれど

小説は人間を何百頁もの言葉の檻に閉じこめた上で
抜け穴を掘らせようとする
だが首尾よく掘り抜いたその先がどこかと言えば、
子どものころ住んでいた路地の奥さ

そこにのほほんと詩が立ってるってわけ
柿の木なんぞといっしょに
ごめんね

人間の業を描くのが小説の仕事
人間に野放図な喜びをもたらすのが詩の仕事

小説の歩く道は曲がりくねって世間に通じ
詩がスキップする道は真っ直ぐ地平を越えて行く

どっちも飢えた子どもを腹いっぱいにしてやれないが
少なくとも詩は世界を怨んじゃいない
そよ風の幸せが腑に落ちているから
言葉を失ってもこわくない

小説が魂の出口を探して業を煮やしてる間に
宇宙も古靴も区別しない呆けた声で歌いながら
祖霊に口伝えされた調べに乗って詩は晴れ晴れとワープする

人類が亡びないですむアサッテの方角へ


………………

アランについてあまり知らない人たちのためにこうつけ加えておこう。

彼(小林秀雄)の批評の「飛躍的な高さ」は、やはり、ヴァレリー、ベルクソン、アランを読むこと、そしてそれらを異種交配してしまうところにあった。公平にいって、彼の読みは抜群であったばかりでなく、同時代の欧米の批評家に比べても優れているといってよい。今日われわれが小林秀雄の批評の古さをいうとしたら、それなりの覚悟がいる。たとえば、サルトル、カミュ、メルロ=ポンティの三人組にいかれた連中が、いま読むに耐えるテクストを残しているか。あるいは、フーコー、ドゥルーズ、デリダの新三人組を、小林秀雄がかつて読んだほどの水準で読みえているか。なにより、それが作品たりえているか。そう問えば、問題ははっきりするだろう。(柄谷行人「交通について」――中上健次との共著、『小林秀雄をこえて』所収)


アランが世に知られるきっかけとなったのは、ドレフュス事件(1894年)の際に、スパイ容疑をかけられたドレフュス大尉を擁護し軍部を攻撃する論陣を張ったことによるらしい。

ほかにも1936年に組織された反ナチズム知識人連盟の会長になっている。

ーーところで後年レイシズムなんたらと言っていないわけではない1901年生まれのラカンセンセはこの時期なにをしてたんだろ? 臨床家として「ひきこもって」いたのだろうか・・・

1938年に、ラカンは、パリ大学医学部のサンタンヌに収容されているアルトーを訪れ、「この男は決してふたたび書けないだろう」とかオッシャテいたらしいが(後年、アルトーの方から、docteur Lについて、あのおっちゃんは érotomanieだよ、と「診断」している)。

ひきこもりといえば、フロイトーーあの『集団心理学と自我の分析』で、ヒトラーの出現を予言したといえる彼もひきこもり系である。

フロイトの選挙投票の選好(フロイトの手紙によれば、彼の選挙区にリベラルな候補者が立候補したときの例外を除いて、通例は投票しなかった)は、それゆえ、単なる個人的な事柄ではない。それはフロイトの理論に立脚している。フロイトのリベラルな中立性の限界は、1934年に明らかになった。それは、ドルフースがオーストリアを支配して、共同体国家(職業共同体)を押しつけたときのことだ。そのときウィーンの郊外で武装した衝突が起った(とくにカール マルクス ホーフの周辺の、社会民主主義の誇りであった巨大な労働者のハウジングプロジェクトにて)。この情景は超現実主義的な様相がないわけではない。ウィーンの中心部では、有名なカフェでの生活は通常通りだった(ドルフース自身、この日常性を擁護した)、他方、一マイルそこら離れた場所では、兵士たちが労働者の区画を爆撃していた。この状況下、精神分析学連合はそのメンバーに衝突から距離をとるように指令していた。すなわち事実上はドルフースに与することであり、彼ら自身、四年後のナチの占領にいささかの貢献をしたわけだ。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012)

アランの話に戻れば、ボーヴォワールの日記を読むと、ふたつの大戦間、いかにアランが敬愛されていたかを知ることができる。ただし第二次世界大戦間際には、彼のオプティミズムは、ナチの侵攻に対しては通用しない、という意味のことを、サルトルかあるいは他の友人との会話が書かれていたはずだが、いま確めてみることはしない。





2016年2月13日土曜日

生垣の「結び目をほどく」詩人

ラカンの「科学的言説のなかに穴を開ける現実界」«Réel qui fait trou dans le discours scientific » (Lacan,séminaire, livre XVIII).とは「象徴界のなかに穴を開ける現実界」« Réel qui fait trou dans le symbolique »と言い換えられる。

これは、言ってしまえば、欲望(象徴界)の垣根に穴を開ける享楽(現実界)のことだ。

ラカン理論における現実界と象徴界のあいだの関係は、いっそう首尾一貫した観点を提示してくれる。彼のジャー(壺)の隠喩は、ひとが分析の手間を省くことができないことの、より鮮明な例証となる(Lacan, The Ethics of Psychoanalysis : Seminar VII)。ラカンによれば、陶器作りのエッセンスは壺の面を形作ることではない。これらの面がまさに創り出すのは空虚なのであり、うつろの空間なのだ。壺は現実界における穴を入念に作り上げ探り当てる。このエラボレーション(練り上げること)とローカリゼーション(探り当てること)が、正統的な創造に相当する。(Lacan’s goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way.、Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq)
神話において禁止の形式をとるものは、元来、失われたものです。禁止は失われたものについての神話です。「享楽の垣根における欲望の災難[Mesaventure du desir aux haies de la jouissance]」 とラカンが上品に呼んでいるのはこれです。欲望が享楽に向かって進もうとするときはいつでも、それはトカゲの尻尾のように落ちます[ca tombe]。これが-φの素晴らしい表現であり、また、対象a の表現でもあることを認めなければなりません。対象a とは、すなわち、空虚を埋める失われた対象です。また、ここで「同一化は欲動を満たすことなしに欲望によって決定される」とラカンが言うとき、フロイトの第二局所論についてのラカンの読みがその真価を発揮します。

欲望と欲動は混同されてはならない二つの異なった秩序なのです。(ジャック=アラン・ミレールーー「欲望と欲動(ミレールのセミネールより)」)

よく知られているように? 西脇順三郎もほとんど同じことをいっている。言語(象徴界)の垣根に穴を開ける「永遠=詩」と。

人生の通常の経験の関係の世界は
あまりいろいろのものが繁茂してゐて
永遠をみることが出来ない。
それで幾分その樹を切りとるか、
また生垣に穴をあけなければ
永遠の世界を眺めることが出来ない。
要するに通常の人生の関係を
少しでも動かし移転しなければ、
そのままの関係の状態では
永遠をみることが出来ない。(西脇順三郎「詩情」)

西脇順三郎の垣根に穴を開ける仕方とはたとえばこんな具合である。

旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考へよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない
この考へる水も永劫には流れない
永劫の或時にひからびる
ああかけすが鳴いてやかましい
時々この水の中から
花をかざした幻影の人が出る
永遠の生命を求めるは夢
流れ去る生命のせせらぎに
思ひを捨て遂に
永劫の断崖より落ちて
消え失せんと望むはうつつ
さう言ふはこの幻影の河童
村や町へ水から出て遊びに来る
浮雲の影に水草ののびる頃

ーー西脇順三郎「旅人かへらず」

この象徴界のなかのいっけん淡々とした詩の運びの中途であらわれる「ああかけすが鳴いてやかましい」に震えないでいられる人がもしいるなら、享楽不感症というものである。

これは何も西脇順三郎だけではない。すぐれた詩人たちはそのことをとっくの昔から知っている(参照:神々しいトカゲ)。たとえば、谷川俊太郎の「詩の擁護又は何故小説はつまらないか」には、こうある。

詩はときに我を忘れてふんわり空に浮かぶ
小説はそんな詩を薄情者め世間知らずめと罵る
のも分からないではないけれど

小説は人間を何百頁もの言葉の檻に閉じこめた上で
抜け穴を掘らせようとする
だが首尾よく掘り抜いたその先がどこかと言えば、
子どものころ住んでいた路地の奥さ

そこにのほほんと詩が立ってるってわけ
柿の木なんぞといっしょに

ごめんね

エリオットは、詩の意味とは、「読者の注意をそちらのほうにひきつけ、油断させて、その間に本質的な何ものかが読者の心に滑り込むようにする、そういう働きのものだ」と言っているが、これも生垣に穴をあけるのと同じことをいっている。

谷川俊太郎を重ねて引用すれば「意識のほころび」とはそのことだ。

詩はなんというか夜の稲光りにでもたとえるしかなくて
そのほんの一瞬ぼくは見て聞いて嗅ぐ
意識のほころびを通してその向こうにひろがる世界を

「理想的な詩の初歩的な説明」より 

反哲学者、反科学的言説のラカンの《哲学的存在論と平行して動いている存在の「裏面 l'envers 」にて--、パラ存在(横にずれてあること[être à côté]) 》(参照)も、これらのヴァリエーションであるに相違ない。


このことが、かりに無意識的にせよ分かっているのは、なにも詩人たちだけではない。すぐれた「芸術家」たちは当然わかっている。

……だからぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。(岡崎乾二郎ーー共同討議「『ルネサンス 経験の条件』をめぐって」『批評空間』 第3期第2号,2001ーー「得体の知れないものは形式化の行き詰り以外の何ものでもない」)

この文を、たとえば、ジジェクの現実界の説明と「ともに」読んでみよう。ほとんど同じことを言っているのが分かるだろう。

ラカンにとって、現実界は、形式的論理を通してのみ、明示されうる。それは、直接的な方法ではなく、論理的形式化の袋小路を通してのみ、否定的に示されうる。すなわち、現実界は、裂け目・対立 antagonism の見せかけのなかにのみ、見分けうる。現実界の根源の地位は、障害物の地位である。現実界は、失敗の不在の原因ーーそれ自身のなかに、どんなポジティブな存在論的一貫性もない原因であり、しかし、その効果 effects を通してのみ/効果のなかにのみ、顕れるものである。簡潔に言えば、人は現実界を形式化しようと努め、失敗する。そして、現実界はこの失敗である。これが、ラカンの現実界において、対立物が合致する理由だ。つまり、現実界は、象徴化できないものであると同時に、この象徴化を邪魔する障害物である。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012,私訳)

ここで忘れてはならない肝腎なことは、象徴界にのみ汲々とする科学的言説や哲学的言説などは無意味であるなどと思い込み、無闇に詩や芸術を顕揚してしまうマヌケにならないことだ。詩や芸術は、科学的言説の支配があってはじめてその効果を生む。それは、あくまで象徴界の生垣の「結び目を解く」作用をもたらすのであり、科学的言説や哲学的言説がなければもともこうもない。

哲学によって支えられた伝統的な存在論は、ある程度は、超えがたいものだ。パラ存在論は、その名がはっきり示しているように、哲学的存在論を打ち負かしたり揚棄するものではない。哲学的存在論が…無意味だとして、それを除去しようとする動きを装っているのでさえない。(……)そうではなく、パラ存在論はむしろ、哲学的存在論の「全体化への欲望」を弁証する(結び目を解く unsuture)のだ。そして、文字の偶然性と物質性を指差し、その裏面 envers を暴く。……(Lorenzo Chiesa、2014ーー「僕らしい」(ボククラシー je-cratie)哲学者たち)


ーーというわけで、オレは還暦近くになってようやくこんなことに気づいたよ、いささか遅すぎたな。とはいえ、フロイトの「死の欲動」は60歳時の仕事だし、ラカンの「享楽」も事実上、60歳以降だからな、真の「詩人」という例外の種族以外は、この年頃に気づくのさ


…………

※附記

オクシモロンも、象徴界に穴を開けるひとつの手法だろう。

修辞学で言うオクシモロンoxymoronという言葉は、語源の上ではギリシャ語で「鋭い」を表すoxyと「愚か」の意味のmOrosとが結びついたもので、「無冠の帝王」とか「輝ける闇」などの表現のように、通念の上では相反する、あるいは結びつき難い意味を持つ二つの言葉が結びつき、ぶつかりあいながら、思いがけない第三の意味を生み出すという一つの表現技法である。撞着語法とも、矛盾語法とも呼ばれる。(安永愛「 ポール・ヴァレリーのオクシモロンをめぐって」)

【シェイクスピアの例】

ああ喧嘩しながらの恋 、ああ恋しながらの憎しみ、ああ無から創られたあらゆるもの、ああ心の重い浮気、真剣な戯れ、美しい形の醜い混沌、鉛の羽根、輝く煙、燃えない火、病める健康、綺麗は汚い、汚いはきれい……


【ヴァレリーの例】

魅惑の岩、豊かな砂漠、黄金の闇、さすらふ囚われびと、おぞましい補ひ合ひ、昏い百合、凍る火花、世に古る若さ、はかない不死、正しい詐欺、不吉な名誉、敬虔な計略、最高の落下(以上、中井久夫訳ヴァレリー『若きパルク 魅惑』巻末の「「オクシモロンー覧表」」


「海辺の墓地」の鳩歩む海だって、その冒頭一連がオクシモロンのようなものだ。

鳩歩む この静かな屋根は
松と墓の間に脈打って
真昼の海は正に焔。
海、常にあらたまる海!
一筋の思ひの後のこの報ひ、
神々の静けさへの長い眺め 

最終連になって、鳩は、三角帆の漁船(foc)であることが知れる。

風が起こる……生きる試みをこそ
大いなる風がわが書(ふみ)を開き、閉じ、
波は砕けて岩に迸る!
飛び去れ、まこと眩ゆい頁(ページ)!
砕け、高波、昂(たか)まる喜びの水で
三角(さんかく)の帆がついばんでゐた静かな屋根を! (中井久夫訳)





詩なんてアクを掬いとった人生の上澄みね

《僕は四月に女と別れられなかつた》(「二つの四月」『絵本』1956 所収)






◆「情熱大陸、谷川俊太郎の3回結婚離婚した妻や息子、1日1食生活」

1番目の妻は詩人で童話作家の岸田衿子さんで、結婚期間は1954年から1955年のたったの1年間。
ちなみに、岸田衿子さんの妹は女優の岸田今日子さんです。

谷川俊太郎さんの近所に生まれ、幼なじみということで交際が始まり結婚されたようです。
ですが、谷川俊太郎さんが書いた「大きな栗の木」を文学座で大久保知子さんが演じたことで、急接近した谷川俊太郎さんは岸田衿子さんと別居します。その後離婚。

2番目の妻は新劇女優の大久保知子さん。結婚期間は1957年から1989年の32年間。

1960年には長男の賢作さんが生まれます。
(谷川賢作さんは現在作曲家でピアニストです)

1963年に長女の志野さんが生まれます。
(志野さんは現在アメリカ・ニューヨーク在住)

谷川俊太郎さんの母親の介護問題で夫婦に亀裂が入り、母親の死後に以前から知り合いだった岸田衿子さんと再会。2年後の1986年佐野洋子さんとギリシャへ旅行へ。

1989年に谷川俊太郎さんの父親の死後、大久保知子さんと離婚。

3番目の妻は作家で絵本作家の佐野洋子さん。結婚期間は1990年から1996年。
佐野洋子さんと言えば絵本の「100万回生きたねこ」が有名ですね。

正式な離婚理由は不明ですが6年の結婚生活を1996年に終えます。




◆『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』1975所収


きみが怒るのも無理はないさ
ぼくはいちばん醜いぼくを愛せと言っている
しかもしらふで

にっちもさっちもいかないんだよ
ぼくにはきっとエディプスみたいな
カタルシスが必要なんだ
そのあとうまく生き残れさえすればね
めくらにもならずに

(……)

ーー「谷川知子に」1972初出







◆『女に』1991により

指先はなおも冒険をやめない
ドン・キホーテのように
おなかの平野をおへその盆地まで遠征し
森林限界を越えて火口へと突き進む



ーー「指先」

…………

見るだけでは嗅ぐだけでは
聞くだけではさわるだけでは足りない
なめてあなたは愛する
たとえば一本の折れ曲がった古釘が
この世にあることの秘密を

ーー「なめる」

…………

あなたがまだこの世にいなかったころ
私もまだこの世にいなかったけれど
私たちはいっしょに嗅いだ
曇り空を稲妻が走ったときの空気の匂いを
そして知ったのだ
いつか突然私たちの出会う日がくると
この世の何の変哲もない街角で

ーー「未生」

…………

赤いスカートをからげて夏の夕方
小さな流れを渡ったのを知っている
そのときのひなたくさいあなたを見たかった
と思う私の気持ちは
とり返しのつかない悔いのようだ

ーー「素足」

佐野「見えてる通りの人なんじゃない?それでもお育ちもよろしいしお行儀もよろしいし、もみ手もちゃんとなさるし、お作品はあの通り素晴らしいし。

だけどこの人は、見えてる通りぐらいでお付き合いをしていれば、その見えてる通りがずっと通っていく人だと思うんですけれども、よく見ると実に変な人で、言ってみれば地球の上で生きていてはいけないようなとんでもない野郎じゃないか、っていうところはありますね。

たとえば私、この人にはモラルってものがないと思うんですね。「非常識」っていうのは「常識」があって「非」なんですよね、だけどこの人は「無常識」だと思います、私。」(佐野洋子『ほんとのこと言えば?』)


◆『世間知ラズ』1994より


ベッドの横には電話があってそれは世間とつながっているが
話したい相手はいない
(……)

行分けだけを頼りに書きつづけて四十年
おまえはいったい誰なんだと問われたら詩人と答えるのがいちばん安心
というのも妙なものだ
女を捨てたとき私は詩人だったのか
好きな焼き芋を食っている私は詩人なのか
頭が薄くなった私も詩人だろうか
そんな中年男は詩人でなくてもゴマンといる

ーー「世間知ラズ」初出1990 より

…………


詩なんてアクを掬いとった人生の上澄みねと
離婚したばかりの女に寝床の中で言われたことがある

ーー「マサカリ」1990 より

…………

電話をしている最中に女が返事をしなくなった
いくら話しかけても貝のように口を閉ざしている
しわだらけのズボンと薄汚れたTシャツのまま
タクシーを拾って真夜中にぼくは女に会いにいった
黙りこくっている女は人間じゃないみたいだったが
かと言って岩でも木でも動物でもなかった

ーー「言葉の鍵」1990 より

…………

いくら耳をすませても沈黙を聞くことは出来ないが
静けさは聞こうと思わなくても聞こえてくる
ぼくらを取り囲む濃密な大気を伝わって
沈黙は宇宙の無限の希薄に属していて
静けさはこの地球に根ざしている

だがぼくはそれを十分に聞いただろうか
この同じ椅子に座って女がぼくを責めたとき
鋭いその言葉の棘は地下でからみあう毛根につながり

声には死の沈黙へと消え去ることを拒む静けさがひそんでいた

ーー「夕立の前」1991 より


…………

◆『モーツァルトを聴く人』1994より


何年か前モーツァルトを聴きながら車を運転していて
涙で前が見えなくなって危なかったことが何度かあった
もうぼくは人の言葉を聞きたくなかったんだそのころ
特にあの女の言うことは

モーツァルトは許してくれた
少なくともテープが回っている間は
だがあの女は一瞬たりともぼくを許さなかった
当然だ

--ー「つまりきみは」より

ここに収めた作のほとんどは、前集『世間知ラズ』(1993)と平行して書いたものである。(『モーツァルトを聴く人』「あとがき」)

六十年生きてきた間にずいぶんピアノを聴いた
古風な折り畳み式の燭台のついた母のピアノが最初だった
浴衣を着て夏の夜 母はモーツァルトを弾いた
ケッヘル四八五番のロンドニ長調
子どもが笑いながら自分の影法師を追っかけているような旋律
ぼくの幸せの原型

(……)




五分前に言ったことを忘れて同じことを何度でも繰り返す
それがすべての始まりだった

何十個も鍋を焦がしながらまだ台所をうろうろし
到来物のクッキーの缶を抱えて納戸の隅に鼠のように隠れ
呑んべだった母は盗み酒の果てにオーデコロンまで飲んだ
時折思い出したように薄汚れたガウン姿でピアノの前に坐り
猥褻なアルペジオの夕立を降らせた
あれもまた音楽だったのか

その後口もきけず物も食べられず管につながれて
病院のベッドに横たわるだけになった母を父は毎日欠かさず見舞った
「帰ろうとすると悲しそうな顔をするんだ」
CTスキャンでは脳は萎縮して三歳児に等しいということだった
四年七ケ月病院にいて母は死んだ

病室の母を撮ったビデオを久しぶりに見ると
繰り返されるズームの度に母の寝顔は明るくなり暗くなり
ぼくにはどんな表情も見わけることができない
うしろでモーツァルトのロンドイ短調ケッヘル五一一番が鳴っている
まるで人間ではない誰かが気まぐれに弾いているかのうようだ

うつろいやすい人間の感情を超えて
それが何かを告げようとしているのは確かだが
その何かはいつまでも隠されたままだろう
ぼくらの死のむこうに

ーー「二つのロンド」より






ぼくの母はピアノが上手だった
小学生のぼくにピアノを教えるときの母はこわかった
呆けてから毎晩のようにぼくに手紙を書いた
どの手紙にもあなたのお父さんは冷たい人だと書いてあった
お父さんのようにはならないで下さいお願いだから
五年前に母は死に去年父も死んだ

ーー谷川俊太郎「ザルツブルグ散歩」より

旅先の殺風景な狭いホテルの一室で朝、イヤフォンでモーツアルトを聴いている。曲は選べないが、このAbacus.fmのMozart Pianoというサイトはここのところ、ずっと内田光子の演奏を流している。グレン・グールドのモーツアルトも好きだが、内田光子を聴いたらグールドが野暮ったく思えてきた。美には冷静で強い透明な意志が必要だと思わせる演奏だ。(俊) 谷川俊太郎.com




「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聞いていると
ぼくは一生ひとりで暮らすほうがよかったんじゃないかと思う
そば粉のパンケーキを焼いてメープルシロップをかけて
ひとりで食べる自分の姿が目に浮かぶ

友達なんかだあれもいないのだ
もちろん妻も恋人も
従兄弟の名前ひとつ覚えていない
両親の墓参りは嫌いじゃないが
それはもうふたりとも死んでいるから

マスターベーションするんだろうか
それとも女を買うんだろうか
朝までしつこくやるんだろうか
いろんな体位で

赤ん坊の夜泣きも妻の罵声も知らないぼくが
「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聞いている
だがひとりぼっちのぼくはもうひとつの人生を思い描いたりはしない
忠実な老犬のようについてくる旋律を従え
冬枯れの並木道を歩いてゆく
かかわったこともない人間への憐みに満ちて

そうやって精一杯この世を愛しているつもりなのだ
悪意も情熱もなく

――「ひとりで」1990『世間知ラズ』所収






…………

さて用心のために次ぎの文をつけ加えておこう。


四十余年前、主に「僕」という一人称を使って私は詩を書き始めました。ふだんも私は僕と言っていて、友人同士のあいだではときに俺になることもあったにしろ、それはごく自然な選択だったと思います。作品における一人称と現実の私とのあいだに、ほとんど距離はなかったと見ていいでしょう。第二詩集である「六十二のソネット」では一人称は「私」に統一されています。どうして「僕」を「私」に変えたのか、はっきりした記憶はありませんが、もしかすると一種の背伸びだったのかもしれない。本来はなかったであろう「僕」のニュアンス、いささか子どもっぽい、ときにはカマトトともとられかねない感じが一九五〇年代にはもうあって、それを避けたかったのでしょう。

 それ以後の作では「僕」「私」「俺」などが混在しています。作品の中に作者、すなわち私自身ではない主人公が登場し始めたということもありますが、その主人公が直接話法で語らない場合にも、詩を書いている私と、詩の中の私とのあいだに一篇一篇の作によって異なるにしろ微妙な距離がでてきたことがその理由でしょう。つまり詩を一種のフィクションとして書くことを、私は知らず知らずのうちに覚えたと言えます。しかしこのことはこういう単純な説明では解明できない、詩というものの本質にかかわっています。私はいまだに一貫した一人称を用いることが出来ず、一篇の作を書き始めるごとに、どんな一人称にしようか迷うことが多いのです。

 近作「世間知ラズ」と「モーツァルトを聴く人」では「ぼく」が使われていて、それは当時の私の気分による、意識的な選択でした。「私」に比べると「ぼく」は一種の傷つきやすさがあり、その頼りなさが私には必要だった。その「ぼく」は「二十億光年の孤独」の中の「僕」とは違うと私は考えています。

 一篇の詩とその作者である詩人との関係は、ふつう考えられているよりはるかに複雑微妙で流動的です。一篇の詩はたしかにその作者の現実生活なしでは生まれてこないものですが、その詩に述べられた考えや感情が、そのまま作者である詩人が現実に抱いたものであるかと言えば、そうは言えないことも多いのです。詩は思想を伝える道具ではないし、意見を述べる場でもない、またそれはいわゆる自己表現のための手段でもないのです。詩において言葉は「物」にならなければならないとはよく言われることですが、もしそうであるとすれば、たとえば一個の美しい細工の小箱を前にするときと同じような態度が、読者には必要とされるのではないでしょうか。そこでは言葉は木材のような材質としてとらえられ、それを削り、磨き、美しく組み合わせる技術が詩人に求められる倫理ともいうべきものであり、そこに確固として存在している事実こそが、詩の文体の強さであるはずです。作者である詩人は「形」の中にひそんでいる。何かを言いたいから書いたのだという視点からだけでは、詩の中の「私」はとらえられないと思いますし、詩に書かれている内容をもとにして、詩人の正邪を断罪するのも公平でないと思う。とは言うものの、詩が散文による書き物と違って、この世の道徳的判断からまったく免責されているというふうには私も考えていません。詩人はたぶん現実世界から見れば不道徳な存在とならざるをえない一面をもっていて、その自覚なしには彼ないし彼女はこの世に生きてはいけないのです。自らのいかがわしさを通して、詩人は世間にむすびつくと今の私は考えています。


2015年12月30日水曜日

カヴァフィスと谷川俊太郎の第一行

知っているか
詩にはさまざまな書きっぷりがある
カーヴァーの書きっぷり
カヴァフィスの書きっぷり
シェークスピアの書きっぷり
みなそれぞれに胸を打つ
ぼくは翻訳で読むだけだけれど
(ありがとう翻訳家の皆さん・名訳と誤訳の数々)

みんな死ぬまで自分の書きっぷりで書いた
書きっぷりはひとつの運命

だがぼくはいろんな書きっぷりに惑わされる
ひとつ ふたつ みっつ よっつ……

そのどれもに夢中になり
そのどれもにやがて飽きてしまう
ドンファンみたいに

女に忠実
詩には不実?

だがもともと詩のほうが
人間に不実なものではなかったか


ーー谷川俊太郎「北軽井沢日録」『世間知ラズ』所収)

……カヴァフィスの詩の第一行を並べてみるとよい。彼は、われわれをいきなり「事件の核心」に降り立たせる。

「みたことがなかったな、何世紀も、こんなすてきなお供えは、デルフォイに……」(「アレクサンドリアからの使節」)

「夜中の一時だったか、それとも一時半。酒場の隅だったね」(「憩い」)

「何をみたことがなかったのか? 何世紀もだって? すごいお供え? デルフォイに? いったい何ごと?」「夜更けに? 酒場の隅で? 何が?」もし紙幅が許せばいくらでも例を挙げることができるであろう。いつもわれわれは状況の中に文字どおり投入される。前触れも、前置きも、助走も、序曲もなく、いきなりテティスとペレウスとの結婚の場に、帝政ローマの末期のアゴラに、彫刻家ダモンの工房に、ネロの寝室に、あるいはローソクを一本だけともした彼の部屋に。急に状況のただ中に投入された者が皆そうなるように、われわれはしばらく戸惑い、うろたえ、耳をすませ、何かを待つ。劇の開幕直後の、困惑と期待との混ざった独特の沈黙。これはカヴァフィスの詩の発端が持つ独特の力であり、それが私に彼を劇詩人といわせる第一の理由である。意識的に磨きぬかれたものであろう。彼の未完詩編にはこれを欠くものがあるからである。

彼を劇詩人という第二の理由は、カヴァフィス詩が持つ、われわれを巻き込む力である。われわれは詩を読みすすめるにつれて、現場にいあわせるか、登場人物に語りかけられるか、あるいは詩人の打ち明け相手にさせられてしまう。カヴァフィスの詩は、決して人なき部屋の中の独り言にはならない。歴史上の人物がひとりごつ場合でさえ、われわれがすぐ側に位置して聞いているか、あるいは詩の中の聞き手が黙っているだけである。

エリティスなり、セフェリスなり、リッツォスの詩と比べていただきたい。エリティスは青空の下で遠くから澄んだ声で、セフェリスはじゅんじゅんとしばしば小暗い室内で、リッツォスは時には朗々と舞台で、時にはしみじみとランプの下で語る。しかし、いずれもモノローグである。われわれは「聞き手」「読み手」である。(……)

カヴァフィスは、自分は小説家や劇作家にはならないだろうが、歴史家にはなれたはずだと内心ひそかに自負している。彼はどういう歴史家となったであろうか。この楽しい空想にはむろん答えがないけれども、すべての時代を同時代と感覚するような歴史家であったろうと私は思う。「すべての時代を同時代と感じる」ことを歴史的感覚 historical sense というならば彼を「歴史的感覚の詩人」といってよいだろう。(中井久夫「劇詩人としてのカヴァフィス」『家族の深淵』所収)


音楽だってそうさ
前触れや前置きや助走だっぷりの
協奏曲なんて最近はウンザリだな
モーツアルトのピアノコンチェルト9番とか
ベートーヴェンの4、5番があるだろ、ーーだって?
わざとらしいよあれ、
逆張りでしかないな

「リッツォスは時には朗々と舞台で」とあるけれど
いい齢して「月光」をバックによく朗読するもんだよ

Yiannis Ritsos ヤニス・リッツォス
Ρίτσος - Η σονάτα του σεληνόφωτος



でもいい声してるよ 意味がわからなくても
声だけで惚れ惚れするんだけど
ベートーヴェンのムーンライトソナタが邪魔だな

どうもギリシャ人ってのはそういうところがあるのかね
そういうところってなんだろうな
よくいえば悲劇を演じるってのかな
わるくいえばメロドラマ風だな

ーーいやオレが齢をかさねてひねたせいだけさ

テオ・アンゲロプロスにも晩年はいささかついていけなくなったからな





いきなり「事件の核心」に降り立たせる第一行をもつ詩集は
日本では『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』だね
谷川俊太郎の最高傑作じゃないだろうか
1931年生まれの谷川俊太郎の1972年の作品だ
谷川の多くの詩を知っているわけじゃないけどさ
『世間知ラズ』とどっちをとれっていわれたら迷うな


「男と女ふたりの中学生が/地下鉄のベンチに坐っててね」(1)

「飲んでいるんだろうね今夜もどこかで」(2) 武満徹に

「きみが怒るのも無理はないさ」(4) 谷川知子に

「きいた風なこと言うのには飽きちゃったよ」(5)

「全然黙っているっていうのも悪くないね」(6)

「題なんてどうだっていいよ/詩に題をつけるなんて俗物根性だよ」(9)

「寝台の下にはきなれた靴があってね」(10)


ーー『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』より

ゴシップ性もふんだんにある詩の集まりで
谷川が後年カヴァフィス詩を愛したのがよくわかるよ

(8)  飯島耕一に

にわかにいくつか詩みたいなもの書いたんだ
こういう文体つかんでね一応
きみはウツ病で寝てるっていうけど
ぼくはウツ病でまだ起きている
(……)
でも何もかもつまらないよ
モーツァルトまできらいになるんだ
せめて何かにさわりたいよ
(……)
きみはどうなんだ
きみの手はどうしてる
親指はまだ親指かい?
ちゃんとウンコはふけてるかい
弱虫野郎め

ただ、カヴァフィス詩には、たしかにどこか「ゴシップ」的なものがある。われわれ皆がゴシップを楽しむ、その感覚に訴える何ものかがある。上質のゴシップというものなしでは「サロン」は成り立たない。レプシウス街十番地も盛んにゴシップが飛び交っただろう。カヴァフィス詩の「ゴシップ感覚」的側面である。この感覚が、登場人物とわれわれとの近しさをつくりだしているのももしれない。ヘレニズム期ギリシャの市井笑劇家ヘロダスのパピルスはカヴァフィスの若い時にエジプトの砂漠から発見され、それにカヴァフィスは感激している。このヘロダスの「ミーモセス」(擬曲)はゴシップ的快楽から成り立っている。これを「普遍的ゴシップ性」といおうか。

シェイクスピアにはゴシップ的要素がないか、当時の時代的背景の中におけば、たとえば「アントニーとクレオパトラ」にもその要素がある。エリザベス一世とその寵臣エセックスとの重ね合わせである。T・S・エリオットがその「荒地」においてシェイクスピアのこの劇を引く時には、明らかにこの二重性を意識している。また「荒地」自体、特にその前半は「普遍的ゴシップ性」にみちみちている。エズラ・バウンドの手がはいる前の原稿にはいっそう著しい。

状況を共有し、演出者となり、「ゴシップ」感覚を享楽するという、一見矛盾した点からであろうが、カヴァフィス詩の読者の中には、あるふしぎな感覚、「コミットしながらも醒めている」という奇妙な状態が生じる。すなわち、われわれはカヴァフィス詩の状況に共感し共振するが、決して主人公に同一化することはない。彼が感傷的になっている時でさえ、われわれは、その感傷からある距離を保ち、決してこの距離を失うことはない。おそらく、詩人自身が対象との距離を失わないからであろう。カヴァフィス詩の現代性は、安易な感情移入と同一化を許さないというところにある。(中井久夫「劇詩人としてのカヴァフィス」『家族の深淵』所収)

中井久夫はカヴァフィス絶賛ってわけだろうか
でも訳詩の自負はカヴァフィスでもヴァレリーでもなく
エリティスの『アルバニア戦線に倒れた少尉にささげる英雄詩』だそうだ
(前回一部掲げたけどさ)

『日時計の影』の「あとがき」次のように書いている。

…拙い翻訳ながら、私の訳詩の中では最良のものかと、ひそかに思っている。翻訳をしながら、また読み返しながら、涙がこみあげてきたのは、他にも絶無ではないが、訳者を泣かせるパワーがいちばん大きかったのはこの詩である。

実際とてつもなく美しいよ
西脇順三郎のいくつかの詩句とどっちを選ぼうか
迷っちまうぐらいにさ

「向うの家ではたおやめが横になり
女同士で碁をうっている」

「美容師と女あんまは愛らしいひょうたんを
かたむけてシェリー酒をのんでいる」

「女神は足の甲を蜂にさされて
足をひきずりながら六本木へ
膏薬を買いに出かけた」

でもきのこの匂いはしないな
晩年の西脇みたいにさ

「灌木について語りたいと思うが
キノコの生えた丸太に腰かけて
考えている間に」

「もう秋は四十女のように匂い始めた」

ギリシャの文学に親しんでいささか参るのは、裏も表もない若さの賛美である。山間で老人が背を曲げて碁でも打っているといった南画の世界がギリシャから一番遠いものであるという、どなたかの指摘を読んでなるほどと思ったことがある。だから、カヴァフィスのような現代ギリシャ詩人も若い時から老・病・死を恐れる強迫を持ち、この強迫がその詩に隠顕するのだろう。私はたまたま彼の詩をだいたい全部訳したけれども、時には非常に違和感を感じて手に取れないことがある。それは一言にしていえば、菌臭の持つ安らぎから実に遠いということである。(中井久夫「きのこの匂いについて」1986年初出『家族の深淵』所収)

ところでキノコの匂いのする音楽ってのはあるんだろうか
さてとーー。
ちょっと思いつかないな
キノコ研究家のケージの音楽にもにおいを嗅いだおぼえはないよ
武満徹にだってないな

東欧あたりの民謡にはすこしはあるのかな





バルトークは性格わるかったらしいからな
「あんた方はみんなつんぼだっていったんだ。
そら、あれが聞こえないのかい?」 (バルトーク)

キノコのにおい嗅ぐまえに性格の悪さきいちまうな
で「アンタ方はみんな鼻がきかないっていったんだ。
ほら、このにおいに気づかないのかい?」ってわけだ

ヤナーチェクあたりにもキノコはあるのかもな
でもこのところヤナーチェク鼻ずまり症でね

どれもに夢中になり
そのどれもにやがて飽きちまうんだな

女に忠実
音楽には不実?

ショパンにあるとしたらマズルカだけだよ
しかも地元出身のピアニストじゃないとな
Maryla Jonasとかさ
彼女には忠実なままだな今のところ