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2019年3月16日土曜日

永遠の生ゾーエーの女神

まずハイデガーが愛したリルケの次の文で始める。

死とは、私たちに背を向けた生の相であり、私たちが決して見ることのない生の相である。Der Tod ist die uns abgekehrte, von uns unbeschienene Seite des Lebens(リルケ書簡 Rainer Maria Rilke, Brief an Witold von Hulewicz vom 13. November 1925ーー「ドゥイノの悲歌」について)

この文の直後ーーここはハイデガーはなぜか引用していないーーに、《das größeste Bewußtsein unseres Daseins zu leisten》とあるので当然ではある(参照)。

そしてケレーニーである。

ゾーエー(永遠の生)は、タナトス(個別の生における死)の前提であり、この死もまたゾーエーと関係することによってのみ意味⋯⋯がある。死はその時々のビオス(個別の生)に含まれるゾーエーの産物なのである。(カール・ケレーニイ『ディオニューソス 破壊されざる生の根 』1976年)

このリルケとケレーニーの二文は「実は同じことを言っている」と主張するつもりは「今は」ない。

まずケレーニーの「ゾーエー/ビオス」ーー、ゾーエーを「剥き出しの生」としたアガンベン解釈とは全く異なるーーこの二語の基本的注釈を示しておかなくてはならない。

古代ギリシア語における「生」を表現する二つの語ーー「ゾーエーZoë」と「ビオス Bios」ーーとのあいだの本源的相違は次のように言いうる。

ゾーエーは永遠の生、無限の生である。ビオスは有限の生、個人の生である。ゾーエーは無限の「存在 being」であり、ビオスは、ゾーエーという永遠の世界の生死の顕現である。古代ギリシア研究者カール・ケレーニーKarl Kerenyiはこう説明している。

《ゾーエーはすべての個々のビオスをビーズのようにつないでいる糸のようなものである。そしてこの糸はビオスとは異なり、ただ永遠のものとして考えられるのである。》(カール・ケレーニイ『ディオニューソス.破壊されざる生の根』1976年)

これを「月」に関連づければ、ゾーエーは月の満ち欠けの全体の相となり、ビオスは個別の相となる。ゾーエーは超越的でありかつ内在的 transcendent and immanent である。ビオスはゾーエーの内在形態である。このように、ビオスはゾーエーのなかに包含されている。全体のなかに部分が含まれるように。(The Myth of the Goddess by Jules Cashford, Anne Baring, 1993)

ーーJules Cashford & Anne Baringは一見ふつうのおばちゃんであるが、実にケレーニー派として正当的な注釈である。

月とある。月女神の「新月→満月→旧月」の循環原理とはゾーエーに他ならない。人はまずこれに気づかなければならない。ギリシア概念ゾーエーは、古代のあらゆる文明域にその相似形がある。

月女神によって創造された無限に広がる大宇宙、無限に広がる大海原と「母なる大地」、そして、女性だけの能力の出産と育児、「有限の命(bios) 」を母から娘、娘から孫娘へと繋ぐ「無限の命(zoe) 」の神秘。「創造の言葉」logosから見離された男性たちはこの万物の創造のプロセスから完全に疎外されていた。「創造→維持→破壊」は、月母神、大地母神、母親だけの特権であった。宇宙原理、自然原理、女性原理の前に、男性たちは成す術が全く無かった。女性たちは、宇宙と大地と女性が、「創造→維持→破壊」の三相一体の母性力に従って連動しており、月女神がこの原理を支配していると信じていた。夜空で仰ぎ見る「新月→満月-旧月」の周期が、なによりのその証拠であった。

このようなものの見方、考え方、感受性の心の習慣(habitus mentalis)は、インドからヨーロッパの地域まで広がっていた。月女神のことを、例えばインドではKali Ma、ギリシアではEurynome、キプロスではAphrodite、ローマではLat. Luna, Venus. シリアではAstarte, Asherah、エジプトではIsisと呼び崇拝していた。(「古代母権制社会研究の今日的視点 一 神話と語源からの思索・素描」松田義幸・江藤裕之、2007年)

古代のある時期までのほとんどあらゆる(月)女神とは、「永遠の生=死」の女神である。

ほかにもたとえばフロイトは、女という「創造→維持→破壊」のトリアーデを示すシェイクスピア論を書いている。

ここ(シェイクスピア『リア王』)に描かれている三人の女たちは、生む女 Gebärerin、パートナー Genossin、破壊者としての女 Vẻderberin であって、それはつまり男にとって不可避的な、女にたいする三通りの関係である。あるいはまたこれは、人生航路のうちに母性像が変遷していく三つの形態であることもできよう。

すなわち、母それ自身 Mutter selbstと、男が母の像を標準として選ぶ愛人Geliebte, die er nach deren Ebenbild gewähltと、最後にふたたび男を抱きとる母なる大地 Mutter Erde である。

そしてかの老人は、彼が最初母からそれを受けたような、そういう女の愛情をえようと空しく努める。しかしただ運命の女たちの三人目の者、沈黙の死の女神 schweigsame Todesgöttin のみが彼をその腕に迎え入れるであろう。(フロイト『三つの小箱』1913年)

そしてドゥルーズもマゾッホ論で、ニーチェの師バハオーフェンに触れつつ、このフロイトのトリアーデを示しているのである。これにいまだ冷感症のインテリ諸君は、そうそうに永遠の生の世界へと撤退すべきである。そうすれば冷感症はいくらか是正される筈である。

もっとも彼らの眠る場所にはキクラデス女神はもったいない。コケシ程度でよろしい。






ところでゾーエーに関してケレーニー派の木村敏はこう言っている。

わたしがケレーニイから学んだことは、ゾーエーというのはビオスをもった個体が個体として生まれてくる以前の生命だということです。ケレーニイは「ゾーエーは死を知らない」といいますが、そして確かにゾーエーは、有限な生の終わりとしての「死」は知らないわけですが、しかしゾーエー的な生ということをいう場合、わたしたちはそこではまだ生きていないわけですよね。ビオス的な、自己としての個別性を備えた生は、まだ生まれていない。そして私たちが自らのビオスを終えたとき、つまり死んだときには、わたしたちは再びそのゾーエーの状態に帰っていくわけでしょう。

だからわたしは、このゾーエーという、ビオスがそこから生まれてきて、そこに向かって死んでいくような何か、あるいは場所だったら、それを「生」と呼ぼうが「死」と呼ぼうが同じことではないかと思うわけです。ビオス的な個人的生命のほうを「生」と呼びたいのであれば、ゾーエーはむしろ「死」といったほうが正解かもしれない。(木村敏 『臨床哲学の知-臨床としての精神病理学のために』2008年)

木村敏はこの論で、「ゾーエーはエスと重なる、グロデックが「生命の根源」という意で用いたエスと重なる」という意味合いのこととも言っている。グロデックは、もちろんニーチェのエスとフロイトのエスを架橋した人物である。

いま、エスは語る、いま、エスは聞こえる、いま、エスは夜を眠らぬ魂のなかに忍んでくる、nun redet es, nun hört es sich, nun schleicht es sich in nächtliche überwache Seelen:(ニーチェ「酔歌」『ツァラトゥストラ』)

フロイトは以下の文で、ニーチェの「権力への意志 Willen zur Macht」ーークロソウスキーが示した「至高の欲動 impulsion suprême」ーーの Macht という語さえ使ってエスを語っている。

エスの力能( 権力Macht)は、個々の有機体的生の真の意図 Einzelwesens を表す。それは生得的欲求 Bedürfnisse の満足に基づいている。己を生きたままにすること、不安の手段により危険から己を保護すること、そのような目的はエスにはない。それは自我の仕事である。…

エスの欲求によって引き起こされる緊張 Bedürfnisspannungen の背後にあると想定された力 Kräfte は、欲動 Triebe と呼ばれる。欲動は、心的な生 Seelenleben の上に課される身体的要求 körperlichen Anforderungen を表す。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

そしてニーチェにはツァラトゥストラののグランフィナーレには決定的な文がある。

おまえたちは、かつて享楽にたいして「然り」と言ったことがあるか。おお、わたしの友人たちよ、そう言ったことがあるなら、おまえたちはいっさいの苦痛にたいしても「然り」と言ったことになる。すべてのことは、鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされているのだ。

Sagtet ihr jemals ja zu Einer Lust? Oh, meine Freunde, so sagtet ihr Ja auch zu _allem_ Wehe. Alle Dinge sind verkettet, verfädelt, verliebt, -


……いっさいのことが、新たにあらんことを、永遠にあらんことを、鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされてあらんことを、おまえたちは欲したのだ。おお、おまえたちは世界をそういうものとして愛したのだ、――

- Alles von neuem, Alles ewig, Alles verkettet, verfädelt, verliebt, oh so _liebtet_ ihr die Welt, - (ニーチェ『ツァラトゥストラ』酔歌 )

これをケレーニーの次の文と読み比べれば、もはや何もいいたくなくなる。

ゾーエーはすべての個々のビオスをビーズのようにつないでいる糸のようなものである。そしてこの糸はビオスとは異なり、ただ永遠のものとして考えられるのである。(カール・ケレーニイ『ディオニューソス.破壊されざる生の根』1976年)

ーーすべての解はニーチェにありき。

学者とはニーチェの酔歌における「lust」をわたくしが「享楽」と訳したことにごねる種族である。その学者さん方々の頭に刺激を与えるために、lustをリビドーと訳したってよろしい、「おまえたちは、かつてリビドーに対して然りと言ったことがあるか」と。あるいはゾーエーの代りにリビドーを代入したってよろしい。「リビドーとは個々のビオスをビーズのようにつないでいる糸のようなものである」と。

学問的に、リビドーLibido という語は、、日常的に使われる語のなかでは、ドイツ語の「快 Lust」という語がただ一つ適切なものではあるが、残念なことに多義的であって、欲求 Bedürfnisses の感覚と同時に満足 Befriedigungの感覚を呼ぶのにもこれが用いられる。(フロイト『性欲論』1905年ーー1910年註)


ところで「ゾーエー(永遠の生)とエスは重なる」とする木村敏、あのラカンをひどく嫌う木村だが(気持ちはわからないでもない)、ラカンは、リビドー は「不死の生」だと言っている。リビドーとはもちろんエスとほとんど等価の概念である。木村はラカンと同じことを言っているのである。

リビドー libido 、純粋な生の本能 pur instinct de vie としてのこのリビドーは、不死の生vie immortelleである。…この単純化された破壊されない生 vie simplifiée et indestructible は、人が性的再生産の循環 cycle de la reproduction sexuéeに従うことにより、生きる存在から控除される soustrait à l'être vivant。(ラカン、S11, 20 Mai 1964)

リビドーは不死の生、すなわち永遠の生であり、フロイトにとってはプラトンのエロスである。

リビドーは情動理論 Affektivitätslehre から得た言葉である。…

われわれは、この欲動エネルギー Energie solcher Triebe をリビドーLibido と呼んでいるが、それは愛Liebeと総称されるすべてのものを含んでいる。


……哲学者プラトンのエロスErosは、その由来 Herkunft や作用 Leistung や性愛 Geschlechtsliebe との関係の点で精神分析でいう愛の力 Liebeskraft、すなわちリビドーLibido と完全に一致している。…

この愛の欲動 Liebestriebe を、精神分析ではその主要特徴と起源からみて、性欲動 Sexualtriebe と名づける。(フロイト『集団心理学と自我の分析』1921年)


リビドー とは「エロスエネルギー」とも表現される。

すべての利用しうるエロスのエネルギーEnergie des Eros を、われわれはリビドーLibidoと名付ける。…(破壊欲動のエネルギーEnergie des Destruktionstriebesを示すリビドーと同等の用語はない)。(フロイト『精神分析概説』死後出版1940年)

現在になっても日本学者ムラではまったく理解されていないが、エロス欲動とは、「永遠の生=死」、つまりゾーエーに向かう動きである。他方、タナトス欲動とは、「個別の生(ビオス)」に向かう動きである。これが(古臭い通念とは異なった)真の「エロス/タナトス」である。つまり、最晩年のフロイトが「エロス /タナトス」を「融合/分離」、「引力/斥力」と言っている内実に他ならない(参照:「エロス欲動という死の欲動」)。





ところでフロイト寄りのラカン派ポール・バーハウは、21世紀に入ってからの三つの論文で、ゾーエーとビオスに触れている。彼の最終的結論はこうである。

フロイトのエロスはゾーエー欲動であり、タナトスはビオス欲動である。
Freud's Eros is a Zoë drive, and Thanatos is a bios drive. (ポール・バーハウ Paul Verhaeghe、Phallacies of binary reasoning: drive beyond gender 2004)


この文だけでは(即座の理解のためには)やや難があるが、この豊かな示唆をもった文を、「原エロス」という造語を使ってわたくしなりに解きほぐせばこうなる。





上辺(分子)が示すのは、まず第一に、人はみな永遠の生=死の引力に誘引される動きをするということである。これがエロス欲動(ゾーエー欲動)である。だが分母(母胎)にある原エロスに魅惑されつつもその死の相に戦慄し斥力が働く。これがタナトス欲動(ビオス欲動)である。このエロスとタナトスの欲動融合が人間の生の姿である。

実はラカンの享楽も死である。すくなくとも原享楽は死である。

死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S17、26 Novembre 1969ーー「究極のエロス・究極の享楽とは死のことである」)

そして享楽はリビドーである。

ラカンは、フロイトがリビドーとして示した何ものか quelque chose de ce que Freud désignait comme la libido を把握するために仏語の資源を使った。すなわち享楽 jouissance である。(Miller, L'Être et l'Un, 30/03/2011)

ヒエロニムス・ボスの「悦楽の園 Tuin der lusten」とは、実は「リビドーの園」、「享楽の園」のことである。






厳密に記せば話が長くなるので、これ以上は記さないでおくが、ここでの話題であるケレーニを基盤とした図ぐらいは示しておこう。



こうしてケレーニー、フロイト、ラカン、そして木村敏は瞭然と繋がるのである。

ビオスと死(タナトス)との関係は、一方の死を排除してしまうような対立状態にはない。そうではなく、特徴的な死は特徴的な生の一部なのである。そればかりか、生はみずからの活動を停止する仕方によってさえも特徴づけられる。あるギリシャ語の言い回しは、<独自の死によって生を終える>ことが特徴ある死であると述べて、この点を実に端的に言い表している。それとは逆に、タナトスをしめ出す生がギリシャ語のゾーエーである。

ゾーエーにもし輪郭があるとしてもそれは稀であるが、その代わりにゾーエーは、死すなわちタナトスとことのほか対立的な関係にある。ゾーエーから明瞭に <ひびく>ところのものは< 非死>である。それは死を自分に近寄せない何ものかである。(カール・ケレーニイ『ディオニューソス.破壊されざる生の根 』1976年)

ーーケレーニイはドイツ語で書いてから、英語でも書いているのだが、上の箇所の英文は「Dionysos: Archetypal Image of Indestructible Life Carl Kerenyi、pdf」にある。


実は1960年代のドゥルーズも似たようなことを言っているのである。ただしドゥルーズの使う用語が、日本学者ムラのセンセたちにはまったく理解されていないようで、ネット上で二人の関西系ドゥルーズ派のエライセンセがゾーエーに触れているのを見てしまったが、まったく頓珍漢でドゥルーズの洞察につなげる気は毛ほどもないらしい・・・

ドゥルーズはマゾッホ論で「死の欲動 pulsions de mort」と「死の本能 Instinct de mort 」を区別している(参照)。核心はこれである。ドゥルーズ自身、どうせわかっちゃもらえないと思ったのか、マゾッホ論以降、--プルースト論でこの区分を匂わせる以外はーー示していない不幸はあるが。

彼の三つの論文のエロス/タナトスの捉え方はこうである。



三区分があったり二区分があったりして即座にビオス/ゾーエーの観点と繋がらないように一見みえるが、マゾッホ論の「欲動混淆」の箇所に「ビオス」、「超越論的原理」の箇所に「ゾーエー」を代入すれば、一丁上がりである。

でももうやめておこう、精神の中流階級を相手にしても致し方ないのである。

学者というものは、精神の中流階級に属している以上、真の「偉大な」問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』1882年)

肝腎なのは精神の貴族階級ではなく、精神の下層階級として、リビドーの園を憧憬し、月女神の彫像や母なる大地をじっくり愛でることである。





ところで墓の語源であるギリシア語 tumbos とラテン語 tumulus は、「膨れる、受胎している」という意味のラテン語 tumere と同語源であるのを御存知だろうか。すなわち墓とは子宮のことである。

ここでもう一つ、ゾーエーとビオスのヴァリエーションを示しておこう。

以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動 Triebe の普遍的性質である。 Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (フロイト『快原理の彼岸』1920年)
人には、出生 Geburtとともに、放棄された子宮内生活 aufgegebenen Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動 Trieb、⋯⋯母胎Mutterleib への回帰運動(子宮回帰 Rückkehr in den Mutterleib)がある。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

中井久夫は安永浩のファントム空間をめぐって次の図を示している。




安永(安永浩)と、生涯を通じてのファントム空間の「発達」を語り合ったことがある。簡単にいえば、自極と対象極とを両端とするファントム空間軸は、次第に分化して、成年に達してもっとも離れ、老年になってまた接近するということになる。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)

上の図は容易に次のように示し直せる。





⋯⋯⋯⋯


さて最後に冒頭のリルケ、「死とは、私たちに背を向けた生の相であり、私たちが決して見ることのない生の相である」に戻ろう。

この文は、ドゥイノの悲歌を読み込めば、こう言い換えうるのではないか。

すなわち、「永遠の生である死(ゾーエー)とは、私たちに背を向けたビオスの彼岸の相であり、この無限の生であるゾーエーは、私たちが決して見ることのない個別の生(ビオス)の彼岸にある永遠の相である」と。


「第一の悲歌」より

天使たちは(言いつたえによれば)しばしば生者たちのあいだにあるのと
死者たちのあいだにあるのとの区別を気づかぬという。永劫の流れは
生と死の両界をつらぬいて、あらゆる世代を拉し、
それらすべてをその轟音のうちに呑み込むのだ。

Engel (sagt man) wüßten oft nicht, ob sie unter
Lebenden gehn oder Toten. Die ewige Strömung
reißt durch beide Bereiche alle Alter
immer mit sich und übertönt sie in beiden.

あるいはマルテに戻ってもよい。

・昔は誰でも、果肉の中に核があるように、人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた。

・女が孕んで、立っている姿は、なんという憂愁にみちた美しさであったろう。ほっそりとした両手をのせて、それとは気づかずにかばっている大きな胎内には、二つの実が宿っていた、嬰児と死が。広々とした顔にただようこまやかな、ほとんど豊潤な微笑は、女が胎内で子供と死とが成長していることをときどき感じたからではないか。(リルケ『マルテの手記』)

と引用したら、蚊居肢子の偏愛の対象キクラデス女神像をまたまた貼り付けざるをえない。なぜあの時代の多くの死者たちは、この彫像と一緒に埋められたのかは、もはや言うまでもなかろう。ゾーエー(永遠の生)とともに埋葬されたのである。




これはおそらく古代であればどこもかしこも似たようなことがなされていた筈である。たとえばわが縄文土器の多くには女陰や妊娠の形態の徴がある。






2017年11月17日金曜日

美は恐ろしきものの始まり

美しきものは恐ろしきものの発端にほかならず、ここまではまだわれわれにも堪えられる。われわれが美しきものを称賛するのは、美がわれわれを、滅ぼしもせずに打ち棄ててかえりみぬ、その限りのことなのだ。あらゆる天使は恐ろしい。(リルケ『詩への小路』ドゥイノ・エレギー訳文1、古井由吉)

Denn das Schöne ist nichts
als des Schrecklichen Anfang, den wir noch grade ertragen,
und wir bewundern es so, weil es gelassen verschmäht,
uns zu zerstören. Ein jeder Engel ist schrecklich.

なぜなら美は/怖るべきものの始めにほかならぬのだから。われわれがかろうじてそれに堪え、嘆賞の声をあげるのも、それは美がわれわれを微塵にくだくことを/とるに足らぬこととしているからだ。すべての天使はおそろしい。( 手塚富雄訳、リルケ『ドゥイノの悲歌』第一の悲歌)
そして私たちが美をあのように嘆美するのは それが私たちを粉砕することを/平然と蔑(さげす)んでいるからなのだ あらゆる天使は恐ろしい(富士川英郎訳)
そしてわれわれが美をこのように賛美するのは/美がわれわれを破壊するのを何とも思っていないからだ。どの天使も恐ろしい。(神品芳夫訳)

ーーいやあ、実に皆さん苦労されているようだ。手許には手塚富雄訳しかないのだが、意味内容をとらえるには古井由吉訳がいいのではなかろうか。

独語のことはまったく不案内だが、次の美の定義の信奉者としては、古井訳がもっともピッタリくる。

美には傷 blessure 以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。(ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』宮川淳訳)
美は現実界に対する最後の防衛である。la beauté est la défense dernière contre le réel.(ジャック=アラン・ミレール、2014、L'inconscient et le corps parlant)

――《私は…問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマ traumatismeと呼ばれるものの価値を持っていると考えている。…これは触知可能である…人がレミニサンス réminiscence と呼ぶものに思いを馳せることによって。》(ラカン、S23, 13 Avril 1976)

……彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンス réminiscences confuses にふけっていた…戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった。(プルースト「ソドムとゴモラⅡ」)
無意志的記憶 la mémoire involontaire の啓示は異常なほど短く、それが長引けば我々に害をもたらさざるをえない。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)
PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年)


(ジャコメッティ、「宙吊りになった玉 Boule suspendue」、1930)

・《「触るなかれ」としての美 beau : ne touchez-pas》(S7、18 Mai 1960) 、これがカントの「美は無関心」のラカンによる「概念的翻訳」である。

・美はラカンの外密Extimité の効果の名である。これが正確に、カントの「美は無関心」が目指したものである。(ジュパンチッチ、The Splendor of Creation: Kant, Nietzsche, Lacan by Alenka Zupančič, pdf

《外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。外密は、最も親密なもの le plus intimeが外部にあるl'extérieur ことである。それは、フロイトの異物 corps étranger (Fremdkörper ≒トラウマ) 、あるいは不気味なもの Unheimlich にかかわる》(ミレール、Miller Jacques-Alain, Extimité、13 novembre 1985)

ベケットがはっきりと口に出してなにかを評価することはめったになかったが、評価を口にするときは必ず美と恐怖の関係への問いが背景に潜んでいた。わたしたちはジャン・ジュネの『シャティーラでの四時間』を読んだ。無感動な語り口が、犯された行為の残虐さをいかに正しく伝えているか、そして、それを絶対的なものとし、それでいながら、なにか気詰まりなものを保持している、——そんなことをわたしは言った。「そうだね、カフカの場合と同じパラドックスだ。内容のおぞましさと形式の清らかさ」——それがベケットの答えだった。(アンドレ・ベルノルド『ベケットの友情』)

◆Webern - 5 Movements for String Quartett Op5



人はなぜ音楽を聴くのか? 対象としての声との遭遇の恐怖を避けるためである。リルケが美について言っていること(美は恐ろしきものの始まり)は音楽にも当てはまる。美=音楽は、囮・スクリーン・最後のカーテンである。音楽は、声の対象aとの遭遇の恐怖とのから我々を防御してくれる。(ジジェク、"I Hear You with My Eyes"、1996)
ベンヤミンは、対象を取りかこむアウラは、眼差しを送り返す合図だと注意を促した。彼が素朴にもつけ加えるのを忘れたのは、アウラの効果が起こるのは、この眼差しが覆われ、「上品化」されたときだということだ。この覆いが除かれれば、アウラは悪夢に変貌し、メドゥーサの眼差しとなる。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012)

ーー「メドゥーサの首 Medusenhaupt」 としての偉大の思想。すべての世界の特質は石化(硬直 starr)する。「凍りついた死の首 gefrorener Todeskampf」》(ニーチェ、KSA11.360.31 [4])、これはまさにヘーゲルの「世界の夜 Nacht der Welt」のことである。

人間存在は、すべてのものを、自分の不可分な単純さのなかに包み込んでいる世界の夜 Nacht der Weltであり、空無 leere Nichts である。人間は、無数の表象やイメージを内に持つ宝庫だが、この表象やイメージのうち一つも、人間の頭に、あるいは彼の眼前に現れることはない。この闇。幻影の表象に包まれた自然の内的な夜。この純粋自己 reines Selbst。こちらに血まみれの頭 blutiger Kopf が現れたかと思うと、あちらに不意に白い亡霊 weiße Gestalt が見え隠れする。一人の人間の眼のなかを覗き込むとき、この夜を垣間見る。その人間の眼のなかに、 われわれは夜を、どんどん恐ろしさを増す夜を、見出す。まさに世界の夜 Nacht der Welt がこのとき、われわれの現前に現れている。 (ヘーゲル『現実哲学』イエナ大学講義録草稿 Jenaer Realphilosophie 、1805-1806)


リルケのドゥイノ第三の悲歌にも「世界の夜」が現われる。

愛するものを歌うのはよい。しかしああ、あの底ふかくかくれ棲む
罪科をになう血の河神をうたうのは、それとはまったく別のことだ。(⋯⋯)

ああ、いかに奇怪なものをしたたらしながらその巨大な頭をもたげたことだろう、
夜を呼び起こして果てしない擾乱へと駆り立てながら
おお、血のネプチューン、恐ろしいその大戟、
おお、ねじくれた法螺貝を吹きどよもす胸底からの暗い息吹よ。
聴け、いかに夜がくぼみ、またえぐられるかを。(手塚富雄訳)

⋯⋯⋯⋯

「美は恐ろしきものの始まり das Schöne ist nichts als des Schrecklichen Anfang」の箇所の英訳はどうかとすこしだけ調べてみたら、Reading Rilke: Reflections on the Problems of Translation, William H. Gass,1999には次のような列挙がある。









2017年2月16日木曜日

真理と嘘とのあいだには対立はない

人は、山頂で生活することに、――政治や民族的我慾の憐れむべき当今の饒舌を、おのれの足下にながめることに、熟達していなければならない。人は無関心となってしまっていなければならない Man muß gleichgültig geworden sein、はたして真理は有用であるのか、はたして真理は誰かに宿業となるのかとけっして問うてはならない・・・(ニーチェ『反キリスト者』「序文」1888年)

上にあるようにニーチェは1888年、真理をめぐって《人は無関心 gleichgültig となってしまっていなければならない》とした。

ところで前年、すなわち1887年に出版された書には名高いカント批判がある。

「美とは関心なし(ohne interesse)に人の気に入る(gefallen)何かである」とカントは言った。この定義を、本当の「鑑賞者」であり芸術家である人がなした定義と比較して頂きたい。つまりスタンダールは、美は幸福を約束するものと呼んだのである。ここではいずれにせよ、カントが美的状態において浮き彫りにしたことがまさに拒絶され、消し去られているのである。それは無関心(le désintéressenment)である。果たしてカントが正しいのかスタンダールか。もっとも我らの美学者諸氏がカントを贔屓目にこんな事を量りに掛けてみたらどうだろう。美という魔法が掛けられて、いやそれどころか一糸纏わぬ女性の銅像を「関心なしに」観ることができるかどうかということである。おそらく彼らの無駄な努力に人はいささか笑いを禁じ得ないだろう。芸術家の諸々の経験はこのデリケートな点に関して「より関心を引く」ものであり、またピグマリオンが「審美的でない(unästhetisch)人間」であったというのはいずれにせよ当を得ていないのである。(ニーチェ『道徳の系譜』1887年)

はて「関心なし ohne interesse」と「無関心 gleichgültig」の相違があるのだろうか。

ドイツ語の辞書を眺めると、次の例文が掲げられている、

ohne Interesse, ohne Anteilnahme Er steht dieser Sache völlig gleichgültig gegenüber.

ーー「関心なくohne Interesse、共感なく、彼は全くgleichgültig である」とあり、ohne Interesseとgleichgültig は殆ど同意ではなかろうか? 独語に疎いものとしてあまり確たることはいえないが、ここでは「同意」の前提で話をすすめる。

とすれば、美に「関心なし」では許されないが、真理には「無関心」であるべきなのであろうか。

いやさらにもう一年前年の1886年の書にはこうある。

真理が女である、と仮定すれば-、どうであろうか。すべての哲学者は、彼らが独断家であったかぎり、女たちを理解することにかけては拙かったのではないか、という疑念はもっともなことではあるまいか。彼らはこれまで真理を手に入れる際に、いつも恐るべき真面目さと不器用な厚かましさをもってしたが、これこそは女っ子に取り入るには全く拙劣で下手くそな遣り口ではなかったか。女たちが籠洛されなかったのは確かなことだ。(ニーチェ『善悪の彼岸』序文)
女は真理を欲しない。女にとって真理など何であろう。女にとって真理ほど疎遠で、厭わしく、憎らしいものは何もない。――女の最大の技巧は嘘をつくことであり、女の最大の関心事は見せかけと美しさである。われわれ男たちは告白しよう。われわれが女がもつほかならぬこの技術とこの本能をこそ尊重し愛するのだ。われわれは重苦しいから、女という生物と附き合うことで心を軽くしたいのである。女たちの手、眼差し、優しい愚かさに接するとき、われわれの真剣さ、われわれの重苦しさや深刻さが殆んど馬鹿馬鹿しいものに見えて来るのだ。(『善悪の彼岸』)

《女の最大の技巧は嘘をつくことであり、女の最大の関心事は見せかけと美しさである》とあった。

女は、見せかけに関して、とても偉大な自由をもっている!la femme a une très grande liberté à l'endroit du semblant ! (Lacan、 S18)

ーーよく知られているように、ラカンはパクリの天才である(そもそも初期ラカンの鏡像段階とはヴァレリーのナルシス断章のパクリでなくて何だというのか)。とはいえニーチェもパクリの天才であることはさらによく知られている。初期の『悲劇の誕生』におけるバッハオーフェン剽窃に始まり、晩年の遺稿にはこうもある、 《あらゆる『創造』の99パーセントは、音楽であれ思想であれ、模倣だ。窃盗、多かれ少なかれ意識して》とある。 マンフレート・エーガーは、ニーチェを「受容の天才」と呼び、さらに後の書『ニーチェとバイロイトの受難劇』においては「盗みの天才」と 呼ぶようになる。

さてパクリではなく見せかけの話に戻るが、見せかけsemblant をめぐっては次の視点を忘れてはならないであろう。

分節化ーー見せかけの代数的 algébrique, du semblant 分節化という意味だがーー、これによって我々は文字 lettres だけを扱っている。そしてその効果。これが実在 réelと呼ばれるものを我々に提示可能にしてくれる唯一の装置である。何が実在 réel かといえば、この見せかけに穴を開けること fait trou dans ce semblant である。

科学的言説であるところの分節化されたこの見せかけ ce semblant articulé qu'est le discours scientifique のなかに 、科学的言説は、それが見せかけの言説か否かさえ悩まずに進んでゆく。

しばしば言われるように、科学的言説がかかわる全ては、そのネットワーク・その織物・その格子によって、正しい場所に正しい穴が現れるようにすること fasse apparaître les bons trous à la bonne place である。

この演繹によって到達される唯一の参照項は不可能である。この不可能が実在 réelである。我々は物理学において、言説の装置の助けをもって、実在 le réel であるところの何かを目指す。その厳格さのなかで、一貫性の限界に遭遇するのである。》(Le séminaire, livre XVIII. D'un discours qui ne serait pas du semblant,1970-1971、私訳)

ーー見せかけでも徹底化すれば、リアルが現われるのである! !

というわけでーー何が「というわけ」か知らぬが、論理の飛躍をするときは便利な言葉であるーー、ニーチェの文の矛盾を突くのは児戯に類する。なぜなら真理は女なのだから。さらにはこう言ってさえよい、真理はレトリックである、と。ナイーヴにレトリックが悪いなどと寝言を言ってはならぬ。数学がレトリックであることは、20世紀になってようやく認知された。そしてそのレトリックを基にした物理学が世界を変えてきた。

証明の背後にある何かが証明するのではなく、証明が証明するのである。…数学はいつも新しい規則をつくり続け、いつも新しい交通路をつくっている、古い道路網をひろげることによって。/数学者は発明家であり、発見家ではない。/数学者はいつも新しい表現形式をつくりだす、といえよう。(ウィトゲンシュタイン「数学の基礎」)

われわれはニーチェのそれぞれの文を楽しめばよいのである。重苦しさや深刻さがお好きな謹厳居士連は、カントやハイデガーにでも専念しておればよろしい。フモールと哄笑を聞き分ける耳をもった精神の貴族だけがニーチェの読者に相応しい。

さてここで、上に引用した『道徳の系譜』に、《一糸纏わぬ女性の銅像を「関心なしに」観ることができるかどうか》とあったことを思い出そう。

この問いへの応答はーー間接的であるとはいえーー先ずはラカンによる次の文がよい。

美は、欲望の宙吊り・低減・武装解除の効果を持っている。美の顕現は、欲望を威嚇し中断する。…que le beau a pour effet de suspendre, d'abaisser, de désarmer, dirai-je, le désir : le beau, pour autant qu'il se manifeste, intimide, interdit le désir.(ラカン、S.7)

よく知られているように、あまり美女すぎると、男のオチンチンは萎えてしまう。なんでもほどほどがよろしい。

ニーチェに戻るが、《真理が女》であるなら、《一糸纏わぬ女性の銅像を「関心なしに」観ることができるかどうか》とは、一糸纏わぬ真理に「関心なしに」向かうことができるかどうか、と変奏しうる。

真理のほうは、わたくしには容易にできそうである(だが「一糸纏わぬ真理」とは一体なんなのか。ここでは当面この問いを保留しておく)。美女の裸にはーーいま上に記したところではあるがーー無関心であるのは正直言っていささか自信がない。ラカンによる《美は欲望の宙吊り・武装解除の効果がある》とは理想的な、崇高な美である。クレオパトラ程度の美女や日本的隣のお姉さん的美女なら、わたくしは勃然としたままである可能性が高い。

ここまで「敢えて」文字通りに読んできたが、実はニーチェの〈女〉とは--当然のことながらーー隠喩である。

ここでもまた先ずラカン文にて補足しよう。

真理は乙女である。真理はすべての乙女のように本質的に迷えるものである。「我思う」にしても同様である。教授連中にとって「我思う」が簡単に通用するのは、彼らがそこにあまり詳しく立止まらないからにすぎない。(ラカン、セミネール9「同一化」)
大他者の大他者はない il n'y a pas d'Autre de l'Autre、それを徴示するのがS(Ⱥ) である …« Lⱥ femme 斜線を引かれた女»は S(Ⱥ) と関係がある。…彼女は« 非全体 pas toute »なのである。(ラカン、セミネール20「アンコール」)

「大他者の大他者はない」とは、真理を支えるものは何もないということである。これが、« Lⱥ femme»である。

だがこれは何もラカンの専売特許ではない。真理が女であり、非全体であることは、ニーチェの次の文があまりにも明瞭に教えてくれる。

………確信は虚言にもまして危険な真理の敵ではなかろうかとは、すでに長いこと私の考慮してきたところのことであった(『人間的、あまりに人間的』第一部 四八三)。このたびは私は決定的な問いを発したい、すなわち、虚言と確信とのあいだには総じて一つの対立があるのであろうか? ――全世界がそう信じている、しかし全世界の信じていないものなど何もない! ――それぞれ確信は、その歴史を、その先行形式を、その模索や失敗をもっている。長いこと確信ではなかったのちに、なおいっそう長いことほとんど確信ではなかったのちに、それは確信となる。えっ? 確信のこうした胎児形式のうちには虚言もまたあったかもしれないのではなかろうか? ――ときおり人間の交替を必要とするだけのことである。すなわち父の代にはまだ虚言であったものが、子の代にいたって確信となるのである。――私が虚言と名づけるのは、見ているものを見ようとしないこと、見えるとおりにものを見ようとしないことである。はたして目撃者の面前で虚言するのか、目撃者がいないとき虚言するのかは、考慮しなくともよいことなのである。最もふつうの虚言は、おのれ自身を欺くそれであり、他人を欺くということは比較的に例外の場合である。――ところで、この見ているものを見ようとしないこと、この見えるとおりに見ようとしないことは、なんらかの意味で党派的であるすべての人にとっては、ほとんど第一条件である。すなわち、党派人は必然的に虚言者となる。(ニーチェ『反キリスト者』)

他方、ラカンの「真の」専売特許とは、真理が、女が、ーーあるいは《 Lⱥ femme 斜線を引かれた女»は S(Ⱥ) と関係がある》とあったようにーーS(Ⱥ) が、ヴァギナ・デンタータやブラック・ホールであり得ることを示唆した点である。《あなたを吸い込むヴァギナデンタータ(歯のはえた膣)、究極的にはすべてのエネルギーを吸い尽すブラックホールとしてのS(Ⱥ) の効果》(ポール・バーハウ1999、PAUL VERHAEGHE ,DOES THE WOMAN EXIST?,1999、,PDF)

上に、一糸纏わぬ真理に「関心なしに」向かうことが容易にできると記したが、あれはレベルの低いレトリックであったことを自覚している。真理がヴァギナ・デンタータやブラック・ホールであるなら、オチンチンの即座の武装解除はあまりにも瞭然としており、さらに武装解除どころか戦慄・苦悶・恐慌・奈落の底への崩落でさえありうる・・・

ジイドを苦悶で満たして止まなかったものは、女性のある形態の光景、彼女のヴェールが落ちて、唯一ブラックホールのみを見させる光景の顕現である。あるいは彼が触ると指のあいだから砂のように滑り落ちるものである。.(ラカン, « Jeunesse de Gide ou la lettre et le désir »,Écrits, 1966)
Ⱥの最も重要な価値は、ここで(以前のラカンと異なって)、大他者のなかの欠如を意味しない。そうではなく、むしろ大他者の場における穴、組み合わせ規則の消滅である。 (ジャック=アラン・ミレール,Lacan's Later Teaching、2002、私訳)

ヴァギナデンタータでもあるS(Ⱥ) とは、もちろんȺ を徴示するシニフィアンである。

欠如とは空間的で、空間内部の空虚 void を示す。他方、穴はもっと根源的で、空間の秩序自体が崩壊する点(物理学の「ブラックホール」のように)を示す。(ミレール、2006,Jacques‐Alain Miller, “Le nom‐du‐père, s'en passer, s'en servir,”)

これらの核心が「性関係はない=Ⱥ 」である(もうひとつは「身体の享楽」)。真理とは性関係の不在と身体の享楽である。あとはすべて見せかけ semblant 、レトリック、昇華である、というのがラカン専売特許の教えである。もちろん「教え」であり、これ自体のレトリックを疑わねばならない。すなわち「真理と嘘とのあいだには対立はない」。

ーーさてミナさん、ここに書かれたことをまさか「まがお」で読んではならない、笑って読めばよいのである。蛇足ながら、ネット上のことであり、そう断っておく。

…………

蛇足ついでに「性関係がない」について触れておこう。

全てが見せかけ semblant ではない。或る現実界 un réel がある。社会的紐帯の現実界は、性関係の不在である。無意識の現実界は、話す身体 le corps parlant である。象徴秩序が、現実界を統制し、現実界に象徴的法を課す知として考えられていた限り、臨床は、神経症と精神病とにあいだの対立によって支配されていた。象徴秩序は今、見せかけのシステムと認知されている。象徴秩序は現実界を統治するのではなく、むしろ現実界に従属していると。それは、性関係の不在という現実界へ応答するシステムである。(ミレー 2014、L'INCONSCIENT ET LE CORPS PARLANT

ここでジャック=アラン・ミレールは性関係の不在以外に、話す身体ということをいっている。これは身体の享楽、そして自閉症的享楽、分裂病的享楽ということである(参照:だれもが自閉症的資質をもっている)。

昇華のひとつはこの「身体の享楽」の昇華である。

もう一つの「性関係の不在」の昇華、これについてはジジェクのあまりにも分かりやすい文章を掲げておくことにする(人はジジェクを侮ってはならない)。

二、三年前、イギリスのTVでビールの面白いCMが放映された。それはメルヘンによくある出会いから始まる。小川のほとりを歩いている少女がカエルを見て、そっと膝にのせ、キスをする。するともちろん醜いカエルはハンサムな若者に変身する。しかし、それで物語が終わったわけではない。若者は空腹を訴えるような眼差しで少女を見て、少女を引き寄せ、キスする。すると少女はビール瓶に変わり、若者は誇らしげにその瓶を掲げる。女性から見れば(キスで表現される)彼女の愛情がカエルをハンサムな男、つまりじゅうぶんにファロス的な存在に変える。男からすると、彼は女性を部分対象、つまり自分の欲望の原因に還元してしまう。この非対称ゆえに、性関係は存在しないのである。女とカエルか、男とビールか、そのどちらかなのである。絶対にありえないのは自然な美しい男女のカップルである。幻想においてこの理想的なカップルに相当するのは、瓶ビールを抱いているカエルだろう。この不釣り合いなイメージは、性関係の調和を保証するどころか、その滑稽な不調和を強調する。われわれは幻想に過剰に同一化するために、幻想はわれわれに対して強い拘束力をもっているが、右のことから、この拘束から逃れるにはどうすればよいかがわかる。同時に、同じ空間内で、両立しえない幻想の諸要素を一度に抱きしめてしまえばいいのだ。つまり、二人の主体のそれぞれが彼あるいは彼女自身の主観的幻想に浸かればいいのだ。少女は、じつは若者であるカエルについて幻想し、男のほうは、実は瓶ビールである少女について幻想すればいい。(ジジェク『ラカンはこう読め!』 鈴木晶訳p99~)

瓶ビールを抱いているカエル、これがわれわれの性関係のあり方である。じつは誰もが知っていることだ。

とはいえ奇跡的に雌雄カエルのカップルが生まれ得ないわけではなかろう、たとえそれが「カエル」同士であろうとも。

なにが雌雄カエルカップルを「奇跡的に」生むのか。ここではセミネール10「不安」のラカンの言明を「格調高く」訳しておくのみにする。

愛だけである、享楽が欲望に恵みを与えてくれることを許したもうのは。
« Seul l'amour permet à la jouissance de condescendre au désir ».(Lacan,S10, l3 Mars l963)

もちろんよく知られているように、《愛ゆえにわが救い主は死に給う Aus Liebe will mein Heiland sterben》

ここではカエル顔の美女Dorothee Mields 歌唱によるマタイ「愛ゆえに」を聴くことにする。

◆J. S. Bach - Aus Liebe will mein Heiland sterben - Herreweghe 




ーー人生の目的は、バッハを愛することである。もっとも武満徹のようにーーいや武満もちがっただろうーーマタイだけを特別視する必要はない。

昨日はマタイ受難曲を全部聴いたんだよ。いやぁバッハはすごいね。僕らはクリスチャンじゃないけどなんなんだろう……(武満徹 1996年2月19日)

翌日、武満は亡くなる(1930年10月8日 - 1996年2月20日)。

(ネット上では、バッハを愛することというのはもちろん隠喩である、と付け加えておかないとヒステリー的反応が生まれる怖れがある・・・)

だが愛とは究極的に何なのか? 完璧な美女を愛することなのか? 完璧な芸術を愛することなのか? バッハなど当時の音楽に潮流のなかでは田舎音楽ではなかっただろうか?

真理の愛とは、弱さの愛、弱さを隠していたヴェールを取り払ったときのその弱さの愛、真理が隠していたものの愛、去勢と呼ばれるものの愛である。

Cet amour de la vérité, c’est cet amour de cette faiblesse, cette faiblesse dont nous avons su levé le voile, et ceci que la vérité cache, et qui s’appelle la castration. (Lacan, S17, 14 Janvier 1970)

究極の愛とは、去勢の愛である。弱さへの愛である。だれかを、あるいは何かを愛したなら、その欠陥を見出さなければならない。それが究極の愛である・・・

(くり返すが、わたくしはテキトウに書いている。この記事自体を笑ってやりすごしてもらわなければならない、そういうメッセージをところどころで挿しはさんでいるつもりである。実は最晩年のラカンの究極の愛とはさらにリルケ的愛ーー神への愛、見返りのない愛(リルケの『ドゥイノの悲歌』的な愛)があるのだが(Lacan in Italia, Milan: La Salamandra 1978)、それは割愛)。

ここではその見返りのない愛が謳われる「第七の悲歌」ではなく、わたくしがさらに愛する「第九の悲歌」の断片を掲げる。

幸福とはまぢかに迫りつつある損失の性急な先触れにすぎないのだ
……
たとえば閾。愛しあう二人は、昔からある扉口の閾を
かれら以前の多くの人、またかれらの後にくる未来の人々と同様に
すこしばかり踏みくぼめるが、それは二人にとって 通常の閾だろうか……、いな、かろやかに越える閾なのだ、(リルケ、『ドゥイノの悲歌』「第九の悲歌」手塚富雄訳)

ーーいやあすばらしい、いつ読んでも。



《人は、山頂で生活することに、……おのれの足下にながめることに、熟達していなければならない》だけではなく、人は谷間で生活することにも熟達していなければならぬ。

谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ(老子「玄牝の門」)





2016年10月2日日曜日

柿の木と梨の木

・私は詩人ではない、だが私は詩である。je ne suis pas un poète, mais un poème. (Lacan,17 mai 1976 AE.572)

・ポエジー poésie だけだ、解釈を許容してくれるのは。私の技能ではそこに至りえない。私は充分には詩人ではない。(ラカン、S.24.1977).

…………

(これは)たんなる詩の問題ではない。これは、意味の効果でありながら、また穴の効果でもある詩である。

意味とはシニフィアンの助けにて共鳴するものだ。しかし共鳴は十分ではない。それはむしろ穏やかだ。意味は共鳴を拭い去る。

意味は我々を眠りに誘う。詩も同じく。もし詩が意味から意味へと移行するなら。

眠りから覚めるのは、我々が理解しないときである。

この「新しいシニフィアン」--問題となっているのはシニフィアンの別の使用法であるーーが目を眩ます効果をもつ。そのとき意味の眠りから身を起こす。
.
この強制するもの forçage が詩を通して作働する。

詩人の「離れ技 tour de force」は、意味を不在にすることである。(ミレール、2007ーーInterprétation, semblant et sinthome por ANNE LYSY-STEVENS)


ああかけすが鳴いてやかましい(西脇順三郎ーー生垣の「結び目をほどく」詩人


…………

悟り(「禅」における出来事)とは、多少なりとも強い地殻変動であり(厳粛なものではまったくない)、認識や主体を揺らめかせるもの qui fait vaciller la connaissance, le sujet である。つまり、悟りはパロールの空虚 un vide de parole を生じさせてゆく。そして、パロールの空虚こそがエクリチュール écriture をかたちづくる c'est aussi un vide de parole qui constitue l'écriture。(ロラン・バルト『記号の国』)

《現実界は見せかけのなかに穴を開けるものである。ce qui est réel c'est ce qui fait trou dans ce semblant.》(ラカン、S.18)

ーーラカンは、人間の現実を「見せかけの世界 le monde du semblant」と考えた。(ヴェルハーゲ、2001)

《無意識は常に、主体の裂け目のなかに揺らめくものとして顕れる。l'inconscient se manifeste toujours comme ce qui vacille dans une coupure du sujet,ラカン、S.11)

《精神分析とは、見せかけ semblant を揺らめかすことである、機知が見せかけを揺らめかすように。[la psychanalyse fai les semblants , le Witz fait vaciller les semblants]》(ジャック=アラン・ミレール,1996

《すべてが見せかけではない。ひとつの現実界がある。社会的紐帯の現実界は、性関係の不在であり、無意識の現実界は話す身体である。tout n'est pas semblant, il y a un réel. Le réel du lien social, c'est l'inexistence du rapport sexuel. Le réel de l'inconscient, c'est le corps parlant.》 (ミレール、2014、L'inconscient et le corps parlant par JACQUES-ALAIN MILLER

プルーストの作品は、過去と記憶の発見とに向けられているのではなく、未来と習得の進展とに向けられている。重要なことは、主人公は最初は或ることを知らなかったが、徐々にそれを習得して、ついには最終的な啓示 révélation を受け取るということである。したがって、彼は必然的に失望を味わう。つまり、彼は《信じ》、幻想 illusions を持っていたが、世界は習得の過程の中で揺らめくのである。il« croyait », le monde vacille dans le courant de l'apprentissage. (ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

・エリオットは、詩の意味とは、読者の注意をそちらのほうにひきつけ、油断させて、その間に本質的な何ものかが読者の心に滑り込むようにする、そういう働きのものだという。(中井久夫「顔写真のこと」)

・散文を歩行に、詩を舞踏に例えたのはポール・ヴァレリーである。T・S・エリオットはこれにやんわりと異議を唱えて、詩と散文とはそれほど明瞭に区別されるものではないと述べている。(中井久夫「訳詩の生理学」

・「詩とは言語の徴候優位的使用によってつくられるものである」――これが私の詩の定義である。(中井久夫「世界における索引と徴候」)

・詩とは言語の徴候的側面を主にした使用であり、散文とはその図式的側面を主にした使用である。(中井久夫『現代ギリシャ詩選』序文


…………

We are the hollow men
We are the stuffed men
Leaning together
Headpiece filled with straw. Alas!
Our dried voices, when
We whisper together
Are quiet and meaningless
As wind in dry grass

俺たちのなかみはからっぽ
俺たちのなかみはつめもの
俺たちはよりそうが
頭のなかは藁のくず、ああ!
俺たちがささやきあうと
かわいた声が
うつろにひびく
まるでかわいた草をふきわたる風

ーーエリオット「うつろな人間 the hollow men」より 高松雄一訳


T・S・エリオットは、十七世紀の詩人ジョン・ダンについての評論の中でこの詩人は「観念をバラの花の匂いのごとくに感じる」と述べている。この一句には最近あらためて考えさせられるものがあった。観念には匂いと非常に似ているところがある。まず、それはいっときには一つしか意識の座を占めない。二つの匂いが同じ強度で共在することはありえないが、観念もまた、二つが同じ強度で共存することはーーある程度以下の弱く漠然としたものを除いてはーーきわめて例外的で、病的な状態においてかろうじてありうるか否かというくらいのものである。

第二に、匂いは、たしか二十秒くらいしかとどまらない。匂い物質は送られてきても、それに対する嗅覚は急速に作働しなくなってしまう。これは、嗅覚が新しい入力に対応するためで、こうなくてはならないことである。

観念はどうであろう。観念を虚空に把握しつづけることは、それこそ二十秒以上はむつかしいのではなかろうか。とすれば、持続的といわれる幻覚、妄想、固定観念も、たえざる入力によってくり返しくり返し再出現させて維持されていることを示唆する。ただ、この入力は、決して“ 自由意志 ”によるものではない。

最後に、両者とも、起そうとして起せるものではない。観念も、意識的というか人工的に催起させられるものではない。両者とも、基本的には意識を「襲う」ものである。少なくとも重要な気づきは、はげしい香りと同じく、ひとを打つのである、科学的、思想的発見であっても、パースナルな気づきであっても。(中井久夫「世界における索引と徴候」『徴候・記憶・外傷』所収)


観念と
現実の間に
運動と
行動との間に
影が降りる

Between the idea
And the reality
Between the motion
And the act
Falls the Shadow

ーーT.S Eliot,The Hollow Men


《アクチュアルではないがリアルであり、抽象的ではないが観念的》(プルースト「見出された時」)――この観念的なリアルなもの、この潜在的なものがエッセンスである。« Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits. » Ce réel idéal, ce virtuel, c'est l'essence. réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

……ところが、すでにきいたり、かつて呼吸したりした、ある音、ある匂が、現在と過去との同時のなかで、すなわち現時ではなく現実的であり、抽象的ではなく観念的である Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits →「アクチュアルではなくリアルなもの、抽象的ではなく観念的である」二者の同時のなかで、ふたたびきかれ、ふたたび呼吸されると、たちまちにして、事物の不変なエッセンス、ふだんはかくされているエッセンスが、おのずから放出され、われわれの真の自我がーーときには長らく死んでいたように思われていたけれども、すっかり死んでいたわけではなかった真の自我がーーもたらされた天上の糧を受けて、目ざめ、生気をおびてくるのだ。時間の秩序から解放されたある瞬間が、時間の秩序から解放された人間をわれわれのなかに再創造して、その瞬間を感じうるようにしたのだ。それで、この人間は、マドレーヌの単なる味にあのようなよろこびの理由が論理的にふくまれているとは思わなくても、自分のよろこびに確信をもつ、ということがわれわれにうなずかれるし、「死」という言葉はこの人間に意味をなさない、ということもうなずかれる。時間のそとに存在する人間だから、未来について何をおそれることがありえよう?(プルースト『見出された時』井上究一郎訳

…………

詩の擁護又は何故小説はつまらないか  谷川俊太郎

ーー「詩は何もしないことで忙しいのです」ビリー・コリンズ(小泉純一訳)

初雪の朝のようなメモ帳の白い画面を
MS明朝の足跡で蹴散らしていくのは私じゃない
そんなのは小説のやること
詩しか書けなくてほんとによかった

小説は真剣に悩んでいるらしい
女に買ったばかりの無印のバッグをもたせようか
それとも母の遺品のグッチのバッグをもたせようか
そこから際限のない物語が始まるんだ
こんぐらかった抑圧と愛と憎しみの
やれやれ

詩はときに我を忘れてふんわり空に浮かぶ
小説はそんな詩を薄情者め世間知らずめと罵る
のも分からないではないけれど

小説は人間を何百頁もの言葉の檻に閉じこめた上で
抜け穴を掘らせようとする
だが首尾よく掘り抜いたその先がどこかと言えば、
子どものころ住んでいた路地の奥さ

そこにのほほんと詩が立ってるってわけ
柿の木なんぞといっしょに
ごめんね

人間の業を描くのが小説の仕事
人間に野放図な喜びをもたらすのが詩の仕事

小説の歩く道は曲がりくねって世間に通じ
詩がスキップする道は真っ直ぐ地平を越えて行く

どっちも飢えた子どもを腹いっぱいにしてやれないが
少なくとも詩は世界を怨んじゃいない
そよ風の幸せが腑に落ちているから
言葉を失ってもこわくない

小説が魂の出口を探して業を煮やしてる間に
宇宙も古靴も区別しない呆けた声で歌いながら
祖霊に口伝えされた調べに乗って詩は晴れ晴れとワープする

人類が亡びないですむアサッテの方角へ

路地を通り抜ける時試に立止つて向うを見れば、此方は差迫る両側の建物に日を遮られて湿つぽく薄暗くなつてゐる間から、彼方遥に表通の一部分だけが路地の幅だけにくつきり限られて、いかにも明るさうに賑かさうに見えるであらう。殊に表通りの向側に日の光が照渡つてゐる時などは風になびく柳の枝や広告の旗の間に、往来の人の形が影の如く現れては消えて行く有様、丁度灯火に照された演劇の舞台を見るやうな思ひがする。夜になつて此方は真暗な路地裏から表通の灯火を見るが如きは云はずとも又別様の興趣がある。川添ひの町の路地は折々忍返しをつけた其の出口から遥に河岸通のみならず、併せて橋の欄干や過行く荷船の帆の一部分を望み得させる事がある。此の如き光景は蓋し逸品中の逸品である。(永井荷風『路地』)


十三秒間隔の光り 田村隆一

新しい家はきらいである
古い家で生れて育ったせいかもしれない
死者とともにする食卓もなければ
有情群類の発生する空間もない
「梨の木が裂けた」
と詩に書いたのは
たしか二十年まえのことである
新しい家のちいさな土に
また梨の木を植えた
朝 水をやるのがぼくの仕事である
せめて梨の木の内部に
死を育てたいのだ
夜はヴィクトリア朝期のポルノグラフィを読む
「未来にいかなる幻想ももたぬ」
というのがぼくの唯一の幻想だが
そのとき光るのである
ぼくの部屋の窓から四〇キロ離れた水平線上
大島の灯台の光りが

十三秒間隔に


・昔は誰でも、果肉の中に核があるように、人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた。

・女が孕んで、立っている姿は、なんという憂愁にみちた美しさであったろう。ほっそりとした両手をのせて、それとは気づかずにかばっている大きな胎内には、二つの実が宿っていた、嬰児と死が。広々とした顔にただようこまやかな、ほとんど豊潤な微笑は、女が胎内で子供と死とが成長していることをときどき感じたからではないか。(リルケ『マルテの手記』)





2016年2月3日水曜日

たかだか根源的なと呼ばれる程度の問いを「安易に」口にだす連中

「僕らしい」(ボククラシー je-cratie)哲学者たち」にて、例外の論理/非全体の論理(男性の論理/女性の論理)をめぐって記したが、より具体的な例を掲げよう。

前期ヴィトゲンシュタインの「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」、後期ヴィトゲンシュタインの「家族的類似性」がまずは例外の論理/非全体の論理となる。前回、中井久夫の家族的類似性をめぐる叙述を引用したが、その核心箇所を再掲すれば、次の通り。

「究極には「世界を一つの宇宙方程式に還元する」ことをよしとする人と「世界は多様であること」をよしとする人があるのであろう。(……)前者を「公理指向性」、後者を「範例〔パラダイム〕指向性」と呼んだことがある。(中井久夫『治療文化論』)

この「公理指向性」と「範例指向性」の対比を前提とするなら、まずは、例外の論理は大陸法のようなものであり、非全体の論理はイギリス法のようなものと考えたらよいはずだ。なおかつ、われわれのこうやって使っている「言語」自体が「非全体 le pas tout」であることを忘れてはならない。このことが、ラカンが「メタランゲージはない il n'y a pas de métalangage」と「大他者の大他者はない il n'y a pas d'Autre de l'Autre.」と言い続けたことの核心のひとつである(参照)。

…………

さて、ここでの話題(表題をめぐる)に入ることにする。

《たかだか根源的なと呼ばれる程度の問いを口にして書くことの不自由を曖昧にやり過ごすのではなく、「批評」について書きつらねられようとする言葉そのものを途方もなく希薄化し、遂には凡庸な匿名性へと埋没させてしまう力が何であるか、その機能するありさまを事件として生き》ること。(蓮實重彦『表層批判宣言』)

蓮實重彦はここで、実は「非全体の論理」を語っていると捉えうる。それは、巷間に猖獗する「例外の論理」を罵倒しつつ、である。非全体の論理とは、前回も記したように、パラ存在 para-being としてあること、横にずれてある[être à côté]ことだ。

対して、例外の論理とは、「たかだか根源的なと呼ばれる程度の」もの、物自体やら存在の深淵やら表象の不可能性やらを「向う側」に・彼岸に「神」のように設置して語る言説である(前回もみたように、ラカン派の立場からは、デリダにもメイヤスーにもその気味がある)。

人はここで、アドルノやデリダなどによるハイデガー批判の文脈での、《深遠な理念であれ、深さを誇るならすぐさまいかがわしいものと堕する》という言葉を思い起すこともできる(ジャック・デリダ「異邦人の言語」)。

(ハイデガーの)「存在者の存在の中」というような存在論とこじつけめいた語源学のたぐいは、ある肝心な事柄を見失わせる。それは、彼らが「立った」のは、共同体の外だということだ。(柄谷行人『探求 Ⅱ』ーー  「“A is A” と “A = A”」より)

さて、これらの議論は、ここのところ続けた「得体の知れないものは形式化の行き詰り以外の何ものでもない」や「「言い得ぬもの」はアンチノミーの場にあり、何ら神秘的な意味合いはない」などを見ていただくとして、蓮實重彦に戻ろう。

以下の文で、蓮實重彦は、大江健三郎と江藤淳の「例外の論理」(男性の論理)を批判している。

江藤氏の想像力が「海」、大江氏のそれが「森林」というイメージをほとんどロマンチックなまでに希求し、いわば、いまここにはない失われた風景としての「海」と「森林」とを背景として、「航海者」と「狩猟者」の相貌を浮きあがらせずにはいないのだから、二人の言葉の類似ぶりはただごととも思えないのだが、実はそうした類似するさして重要なものではない。真に驚くべき類似は、にもかかわらず江藤氏と大江氏とがたがいに違ったことを語っていると信じ込み、しかもその確信において、才能の点で自分たちより遥かに劣っているはずのあまたの「批評家」や「小説家」たちといともたやすく馴れあって、薄められた「貧しさ」としての「戦後文学」のうちに埋没してしまう自分に無自覚だという類似であろう。書こうとする個体の意志や欲望にさからいもなくしなだれかかり、馴致されつくしているかとみえる言葉が、実は素直さを装って気軽に存在を招き寄せ、そのしなやかな可塑的流動性によっていとも円滑に筆に乗るかとみせて人目を欺き、かえって言葉への至上権をかすめとって、その洞ろな内面に充実ぶりの錯覚をそっとまぎれこませてしまうという危険を顧みることもなく、書けば書けてしまうという事実のうちに「作家」の特権的視座が確立しうると思いこむことの類似性、それが今日の「文学」的頽廃をあたりに蔓延させているのだが、そんな頽廃を江藤氏も大江氏もまぬがれていないのだ。誰もがそれなりに二つや三つは存在の暗部に隠し持っているだろう「切実な主題」をめぐり、「文学」がたえず捏造してやまない幾つもの疑問符に言葉を妥協させ、前言語的地熱の程よい高まりが、「普遍的」かつ「現代的な課題」と折合いをつけるのを待つといった怠惰な作業が、それにしてもいつから、書くことなどと信じられてしまうようにいたったのか。(蓮實重彦「言葉の夢と「批評」」『表層批判宣言』所収)

もっとも大江健三郎はこれだけではない(例外の論理だけではない)のは、「蓮實重彦の「大江健三郎殺し」」に記した。そもそもすぐれた小説家が例外の論理(男性の論理)による書き手であるはずはない。

中上健次は私の家に泊っていった時、ホモの家に来たみたいだな、と言ったものですが、私はといえば、彼を、まったくこれは中上のオバだ、と思いましたし、第一、彼の書く小説は、ある意味で女性的です――そして、それが秀れた小説の特徴なのです。(金井美恵子 『小説論』)

…………

かつては、不可能な享楽、不可能なリアルを強調しすぎた、とジジェクは『ジジェク自身によるジジェク』2004で語っている。

彼は最近は次のように言う、《われわれは「現実界の侵入は象徴界の一貫性を蝕む」という見解から、いっそう強い主張「現実界は象徴界の非一貫性以外のなにものでもない」という見解へと移りゆくべきだ。》。つまり不可能な例外にリアルはあるのではなく、非全体の論理における象徴界の非一貫性、その裂け目にリアルはある、と。それは、「現実界は分節化された象徴界の内部に外立Ex-sistenzする」(Paul Verhaeghe)ということでもある。ここで上に引用した柄谷行人の言葉を再度ならべておこう、《肝心な事柄……それは、彼らが「立った」のは、共同体の外だということだ》と。

ジジェクのいっている意味は次ぎのようなことだ。

現実界 a Real があるのは、象徴界がその外部にある現実界を把みえないからではない。そうではなく、象徴界が十全にはそれ自身になりえないからだ。存在(現実)being (reality) があるのは、象徴システムが非一貫的で欠陥があるためだ。というのは、現実界 the Real は形式化の行き詰りだから。この命題は、完全な「観念論者的」重要性を与えられなければならない。すなわち、現実 reality があまりに豊かで、したがってどの形式化もそれを把むのに失敗したり、よろめいたりするというだけではない。そうではなく、現実界 the Real は形式化の行き詰り以外の何ものでもないのだ。濃密な現実 dense reality が「向こうに out there」にあるのは、象徴秩序のなかの非一貫性と裂け目のためである。 (ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012)

ここにも暗黙に「外立」がある(外立の詳細については、「ラカンのExtimité とハイデガーのExsistenz」を参照のこと)。

ジジェクの上の文は、あたかも蓮實重彦のジジェク罵倒に応えているかのようである。

映画批評が存在しなければいけないという決定的な原理はなにもありません。なにごとについてもそうだといえばそれまでですが、映画批評というものが存在しなければいけないということを原理的に説明しようとすると、比較の問題としてないよりあったほうがいいんじゃないということぐらいで、絶対になければならないということは誰もいえずにいる。じゃあ絶対にやらなければいけないことは何かといったとき、ラカン的な意味での「réel(現実)」について論ずることがそうかというと、そうではないと思う。その種の「réel」について論ずることには形式的にある種の安易さがあって、その安易さは、ニーチェもいうようにカントの「物自体」から始まったといってもいいですけれど、やたらな人間がそれに言及すると、世界を必要以上に単純化してしまう。ですから、許せないのは、私ひとりが許せないっていったってどういう意味もないんですが(笑)、ジジェクの書いている映画論なんか読むと、腹が立ちます。世界も、映画も、それほど単純なものではない。そもそも無限の情報量で充満した画面を、お前さんはくまなく見ているのか。見ているはずがありません。ラカンだって見ていない。にもかかわらず、「réel」という殺し文句を口にしてしまう。そのことの安易さについては、フィクション論の『「赤」の誘惑』でも論じておきました。「表象不可能なもの」について論じるひとの多くもそうですが、ごく単純に言語記号の配置が読めない主体に、仮眠中の記号を目覚めさせる資質も能力もない主体に、「réel」など論じてほしくない。

 これは批評一般についていえることですが、映画批評とは本質的に言い換えの試みです。ある意味では、翻訳といってもいい。しかし、その翻訳は、映像記号=音声記号からなるフィルムの言語記号への読み替えといった単純なものではありません。フィルムに触れることで、批評する主体は、まず、眠っている記号を覚醒させる、つまり潜在的なものを現行化させるという体験をくぐりぬけるのであり、そのことによって自分も変化せざるをえず、主体がいつまでも維持される静態的な記号の解読ではありません。しかし、それがそのつど覚醒化というできごとと同時的な言い換えの試みである限り、どこまでいっても翻訳には終わりはなく、決定的な言い換えというものは成立しようがない。だから、あるとき、自分にこの翻訳をうながしているものはなにか、また、その言い換えが可能であるかにみえるのはいかなる理由によるのかと自問せざるをえません。そのとき、批評家は、いわば「原=翻訳」ともいうべきものと直面し、言葉を失います。そんなものが現実にあるかどうかは問題ではありません。しかし、どこかで言い換えの連鎖を断ちきるような高次の力に触れるしかありません。ひとまず「réel」としか呼びえないものとひとが出会うのは、そうした場合にかぎられている。

 だから、「réel」と口にするひとは、そう口にしてしまった自分にその資格があるかどうかという疑いを持たねばなりません。ところが、「réel」について語ることは、その資格もないひとたちがもっとも楽天的に戯れうる制度になってしまった。この制度は、なんらかのかたちでもう一度わさわさと揺り動かさなければならない。無限の翻訳の連鎖に組み入れられた体験を持たないひとが、「原=翻訳」なんていっちゃいけないわけですよね、本来は。にもかかわらず、現代では、自分に果たしてその権利があるのかどうかを誰も反省しなくなっているという怖さがあります。それは、思考の頽廃でしかありません。自分がそれを語るにふさわしい人間か、また、そのかたちで語っていいのかということに対する反省が、いたるところで失われてゆきます。そのとき、職業ではなく、体験としての批評が改めて意味を持ち始めるのですが、言い換えの無限の連鎖に取り込まれるより、ひとこと「réel」といっているほうが、疲れなくていいのかもしれません。。(蓮實重彦インタビュー ──リアルタイム批評のすすめ vol.2


蓮實重彦は、『表象の奈落』の「あとがき」でもほとんど同じ内容をくり返している。

「批評」は、本質的に言い換えの作業にほかならない。翻訳とも呼べるその作業は、言い換えるべき対象としての他者の言説の中でまどろんでいるしかるべき記号に触れ、それを目覚めさせることから始まる。数ある記号のどれに触れて目覚めさせるかで、読む主体の「動体視力」が問われることにもなろうが、それは、読むことで、潜在的なものを顕在化させる作業だといってよい。その覚醒によって、他者の言説は、誰のものでもない言説へと変容する。その変容は、 “できごと” として生起し、「批評」の主体をもいくぶんか変容させずにはおくまい。言い換えれば、その二重の変容を通して、とりあえずの翻訳におさまるのだが、「批評」は、それがあくまでとりあえずのものでしかないことを知っている。また、それを知らねば、たんなる「厚顔無恥」に陥るほかはない。

決定的な翻訳にたどりつくことなく、「厚顔無恥」に陥ることも避けながら、とりあえずの翻訳にとどまるしかない「批評」は、あるとき、その宿命として、「表象の奈落」を目にする。そこには、もはや、他者の言説など存在せず、覚醒すべき記号さえ見あたらない。その視界ゼロの世界で、とりあえずのものでしかないにせよ、主体にこの不断の翻訳をうながすものは何か、どんな力に導かれて「批評」は記号の覚醒を目ざしたりするのか、それが物として生みだされるのではなく、事件として起こることを許すものは何か、等々、いくつもの声として響かぬ疑問を前にして、人は言葉を失う。「批評」が「批評」を超えた何かに触れることで陥る失語に言葉を与えるものは、もはや「批評」ではない。だかれといって、それが「哲学」かといえば、それは大いに疑わしい。(蓮實重彦『表象の奈落』「あとがき」より)

これらの考え方は、浅田彰もはやい時期から、蓮實重彦を引用しつつ次のように記している。

……クリステヴァが差異の共時的体系とその外部の相互作用を分析するのに千言万語を費しているのを後目に、デリダは初めから差異と同一性や共時態と通時態の双対性をとびこえた差延化のたわむれを語ってみせるのである。それにしても、差延化といい、パルマコンといい、hymenといい、デリダがのっけからあからさまに舞台に上せるこれらの言葉たちは、蓮實重彦が述べたように(『事件の現場』)、それを言ってしまえば何もかもおしまいだという類の言葉ではなかったろうか? 口に出して言わずにおいたまま、それに無限に漸進していく長い長い道筋を辿る方が、有効な戦略だとしたら? それは措くとしても、デリダの戦略は侵犯のエネルギーを中性化してしまうという、クリスティヴァの弱々しい批判を、簡単に黙殺するわけにはいかないだろう。ともあれ、デリダの恐るべき手がそうした言葉たちを敢えて書きつけてしまった時から、我々はそれを避けて通ることができなくなったのである。(浅田彰『構造と力』PP.97-98)

とはいえ、人は表象不可能なものや深淵を語るのが好きだ。たとえば、高橋悠治は次ぎのように書いている。これは詩の形式をとっているという理由で、〈あなた〉は許せるだろうか?

存在の夜にめざめている詩人だけが その一瞬の深淵を感じとる
だからことばは おのずから生まれる 向こうからやってくる
言語がまずあり 意味が決められている単語を組み合わせ あやつって造り上げる詩なるもの ではない
詩と同時に生まれることばでなくては 詩は世界に向かい合っていない
ゲーテの原言語よりも 原植物に近い 言語にならないことば
滝の前の歌い手は じっさいには習い覚えた歌の一節をうたっているだけだ
それは歌い手の内部ではじける滝の音の粒子である移された炎を 覆い隠している殻 残り火に内部から照らされる消し炭の白い灰
そのように ことばにひそむうごき ことばという殻の外から察知される内部の空洞

ーーー高橋悠治「声・文字・音」より

わたくしもかつてはひどい「深淵愛好家」症状をもっていたのだが・・・

さらにふたたび

ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳

さらにふたたび、よしや私達が愛の風景ばかりでなく、
いくつも傷ましい名前をもつた小さな墓地をも、
他の人達の死んでいつた恐ろしい沈默の深淵をも
知つてゐようと、さらにふたたび、私達は二人して
古い樹の下に出ていつて、さらにふたたび、身を横たへよう
花々のあひだに、空にむかつて。




……作品はロダンの手を離れると、全くまだ一度も人の手をふれたことのないもののようです。光と影はこの物の上では、もぎたての果実の上でのように、いっそうのやわらかさを持ち、朝風にはこばれて来たようにいっそうの動きに充ちているのです。(……)

或るところでは光はゆるやかに流れているかと思うと、或るところでは滝のように落ちており、あるいは浅く、あるいは深く、あるいは鏡のように輝くかと思えば、またにぶく淀んでいる、--きわめて変化に富んだ傾斜を持つ一種独特なこの表面によって、そういうふうに光が動きを余儀なくさせられるのです。こういう作品の一つにふれる光は、もはやただの光でいることができません、もはや偶然の方向を持つことはできないのです。物が光を所有することになり、自分のもののように使うことになるのです。

明確に決定された表面を持つことから、こういうふうに光を獲得し、わがものとすることを、彫刻的事物の本質的な性質の一つとしてロダンは再認したのです。(……)ロダンは光の獲得を自分の発展の一部とすることによって、太古からの伝統の中へ身を置いたのでした。

実際そこには、リュクサンブール美術館にある『思い』とよばれる、あの石塊の上のうつむいた顔のように、自分自身の光を持った石があります。この顔は影になるまで前に傾いて、石の白い微光の上にささえられていますが、この石の輝きのために影は融け去り、一種の透明なうすら明かりへと移って行くのです。(リルケ『ロダン』高安国世訳)

ーーかつてはこのような文章を読んでクラクラしたものだ。とはいえよく読んでみると、ここには「深淵」という言葉はない。むしろ今は《明確に決定された表面を持つことから、こういうふうに光を獲得し、わがものとすること》という表現に注目したい。

おそらく「深淵」という言葉は(すくなくとも散文にては)、次ぎのように使うべきなのだ。ここには象徴界の内部の非一貫性(非全体)において垣間見られて裂け目としての「深淵」が語られているのではないか。それはリルケの散文と同じく。

彼の演奏した曲のなかには、世界の果てに位置し、作品の内部から発せられる光に包まれていると思われるものがある。質量なき光、厚みも色もない光、われわれを待ってはいない光、人が見る以前にすでにそこにあった光だ。(この光のことを理解するには、サン=ヴィクトル学派の人々によってなされた、世俗的で苦しみをともなう光〔ルーメン〕と貧しくとも法悦をもたらす光〔ルクス〕との対比をふたたび取り上げなければならない。こうしてグールドは曲のどの部分においても無知のままに問いかける者のようにして歩む。なぜこの音が書かれているのか。この転調はどこにゆこうとしているのか。明るいタッチをここにおくならば夜はどう反応するだろうか。肯定する音楽(バッハの<組曲>を演奏しなかったわけではない。だがそのとき彼が肯定するのは、問いはなおも持続するということだったはずだ。しかも沈黙がある。この沈黙の全体、呼吸するためではなくて、誰かの息が絶えるときのように、もはや自己の内部にあるのか外部にあるのかわからないが、いきなり口をあける深淵。音それ自体があまりにも稠密な光を放っているので、音は裏側にあるくぼみの反射でしかないのではないかと思われてしまう。音たちがみずからあがなうべき影、目に見えるものと目に見えないもののあいだにある絶対的な均衡の法則にしたがって音たちが死者の国から連れてくる影。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド 孤独のアリア』千葉文夫訳)
グールドの場合には、なによりもヘルダーリンが望んだ表現の透明さ die Klarheit der Darstellungがある。このような透明な光は熱狂的な憑依体験の対極にあるわけではない。このような光は、静謐なものでもなければ抑制されたものでもない。それは奪い取ることであり、切開を意味するのだ。それでいてこの光は冷たく遠くにある。神的なるものの訪れは火、炎、煙の上がる光景を意味しない。グールドを訪れた神はヘルダーリンを訪れた神と同一である。ディオニュソスではない。熱狂的な暗闇の神ではない。アポロンであり、正しきもの、透明なるものなのだ。(同上)

さて〈あなた〉は、たとえばハイデガーの Abgrund[深淵]やら Zerklüftung[裂開]、Riß[断裂]、Lichtungーーー 「森林の空地 」「開存」「出存」「脱存」「脱我的実存」「存在の開け」「存在の明るみ」「存在の光」]などをどう取るだろうか。

これらはラカンが béance[裂口]、coupure[切れ目]、fente[裂け目]、refente[裂割]、division[分裂],faille[断層]、trou[穴]などの語彙群で言い換えたものだーー。

そしてこれらの中心となる概念が、ラカンのex-sistence(ハイデガーのExsistenzの訳語)やExtimité( 最も親密な intimate 部分の何かでありながら、つねに他の場所、主体の外 ex に現れ、捉えがたいもの)である。

要するに、私たちのもっとも近くにあるものが、私たちのまったくの外部にあるのです。ここで問題となっていることを示すために「外密 extime」という語を使うべきでしょう。(ラカン、セミネールⅩⅥ)

…………

おそらく最も大切なのは、「深淵」を安易に語ることによって、次の罠に陥っていないかどうかをつねに自問することだろう。

人がかくも熱心に言葉を取り交わしあって止まないのは、背後にさし迫った沈黙の深淵を忘れるためではなかったか。(浅田彰)
人が何ごとかを語るのは、そのことが生起しつつある瞬間から視線をそらせるためである。(蓮實重彦)

2015年10月23日金曜日

昔からある扉口の閾を踏みくぼめる恋人たち

ただ一人の者への愛は一種の野蛮である。それはすべての他の者を犠牲にして行なわれるからである。神への愛もまた然りである。(ニーチェ『善悪の彼岸』)
愛は、人間が事物を、このうえなく、ありのままには見ない状態である。甘美ならしめ、変貌せしめる力と同様、幻想の力がそこでは絶頂に達する。(ニーチェ『反キリスト者』)

…………
《愛しているときのわたしはいたって排他的になる》(フロイト『書簡集』)

――フロイトがそう言っている(ここでのフロイトは、正常さの典型とみなされるだろう)。(ロラン・バルト『恋愛のディスクール』「嫉妬」の項より)

これらは「神への愛」に代表される愛への「標準的な」警告だろう。《他の者を犠牲にして行なわれる》のであり《排他的になる》ということだ。

ところで聖女神谷美恵子の息子さんはなんといったか。

「神谷美恵子の子どもであることはメイワクなことです」と御子息の一人が口走ったように、彼女の家族であることも希有な難行である。(中井久夫「書評『神谷美恵子』江尻恵美子著」)

《なぜ私たちではなくあなたが?》(神谷美恵子「らいと私」 )と問い続ける母親をもって、子供はひどくメイワクだとはどういうことか。

ここには排他的な愛がない、子どもを排他的に愛する母親がない、ということだろう。それは子どもにとっては残酷であり迷惑だということだろう。

ところでリルケの詩には無償の愛(見返りのない愛)というものがある。

愛の応答〔いらえ〕を求めての叫びかけではない、もはやそのような呼びかけではなく
おさえてもおさえきれぬ声のほとばしり、それがおまえの叫びの本性であれ。おまえは鳥のように無垢にさけびもしよう、
……
思ってはいけない、運命は幼い日の密度よりゆたかだと。
いかにしばしばおんみらは恋人を追いぬいたことか、いかなる獲得をも目ざさず、
ただ自由の世界へ突きすすむ至福の疾駆に息をはずませながら。
……
ただわれわれは、笑いさざめく隣人たちが
承認してはくれぬもの、うらやんではくれぬものを忘れやすいのだ。疑いようのないものとして
われわれは隣人たちに承認された幸福を高くかかげようとする。疑いようのない幸福が
われわれに顕現するのは、ただわれわれがそれをわれわれの内部において変化さすときだけなのに。
……
天使よ、そしてたとい、わたしがおんみを求愛〔もと〕めたとして! おんみは来はしない。なぜならわたしの
声は、呼びかけながら、押しもどす拒絶〔こばみ〕につねに充ちているのだから。このように強い
気流に逢ってはおんみはそれを冒して歩みよることはできない。さながら高くさしのべられた
腕だ、わたしの呼びかけは。そして摑もうとして花さいた指は、
捉ええぬもの天使よ、おんみを前にして
大きく押しひろげられたままなのだ
さながら拒否と警告のしるしとして。(リルケ『ドゥイノの悲歌』「第七の悲歌」(手塚富雄訳)
幸福とはまぢかい迫りつつある損失の性急な先触れにすぎないのだ
……
たとえば閾。愛しあう二人は、昔からある扉口の閾を
かれら以前の多くの人、またかれらの後にくる未来の人々と同様に
すこしばかり踏みくぼめるが、それは二人にとって
通常の閾だろうか……、いな、かろやかに越える閾なのだ、(同「第九の悲歌」手塚富雄訳)

あのラカンもーー「性関係はない」のラカンであるーーこのリルケの見返りのない愛と似たようなことを晩年語っている。

驚くことに、後期ラカンには再び現れるのだ、別の、正統的な、あるいは純粋な大他者への愛、私のイマジネールな他者ではなく、大他者自体への愛が。ラカンが言及するのは、中世と初期近代の神学理論(フェヌロン)であり、それは「肉体的」愛と純粋な「法悦的」愛を区別するものだ。

まず最初に(アリストテレスとアクィナスによって詳述されたように)、人が他者を愛することができるのは彼が私の善である限りだ。だから我々は神を至高善として愛する。次に、愛する主体は完全な自己抹消を生む。その他者性のなかにある大他者への完全な献身である。なんの見返り、どんな聖職禄もなしで。…

ここでラカンは極度の神学的思弁に引き込まれて、不可能な状況を思い描いている、《神への愛の絶頂は彼にこう告げることではなかろうか、「これがそなたの意志なら、どうか私を責め給え」と。すなわち、至高善への切望とは全くの反対である》( Lacan in Italia, Milan: La Salamandra 1978)

神からのなんの慈悲もなくてさえ、神が私を地獄に落としてさえ、私の神への愛は途轍もなく大きく、私はいまだ全身全霊で彼を愛しつづける。これが愛だ、もし愛がわずかでも意味 le moindre sens があるなら。

ここで François Balmès は正当な問いを発している、いったい神はどこにいるのか、なぜ神学なのか? と。

彼が鋭い注釈をしているように、純粋な愛は純粋欲望と区別されなければならない。後者は対象の殺害である。それはすべての病理的な対象を浄化した欲望であり、空虚あるいは欠如自体への欲望である。他方、純粋な愛は呼びかけるための根源的な大他者が必要である(Balmès, Dieu, le sexe et la vérité)。…(zizek,2012,私訳)

Lacan in Italia, Milan: La Salamandra 1978においてであり、1901生ー1981没のラカンである。

ここで次の文を抜き出すこともできる。

彼は講義によってなんとか切り抜けていた…自分のミサによって、抑圧された宗教的なものすべてが、そこに生じたのだ…「ファルスが? ご冗談を、偉大な合理主義者だよ」、彼の側近の弟子たちはそう言っていた、彼らにとって父とは、大して学識のあるものではない。「高位の秘儀伝授者、《シャーマン》さ」、他の連中はそう囁いていた、ピタゴラス学派のようにわけ知り顔で…(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)

この神への愛はニーチェにさえ言えるのではないだろうか。

《自分が愛するからこそ、その愛の対象を軽蔑せざるを得なかった経験のない者が、愛について何を知ろう》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部「創造者の道」手塚富雄訳)

ニーチェは卓越した人間であった。文献学の優等生。メッツの城壁の下では良き看護兵。勤勉で控え目な青年。屈託よりも病気で身を退いた優れた教授。狂気にいたってもなお静かな人柄であった。彼の生涯は真のキリスト教徒の、あるいは賢者の生涯であった。いや、賢者よりもキリスト教徒としてこそ適わしいと思える貞節、そのような貞節のつらぬく生涯であった

ところが彼の存在の、さほど重要でもない内的部分が、書くことへと向かった。そしてこの部分こそが心神喪失をきたしたものと思える。全体的には穏和で規則正しいこの体系〔人間〕が、ある熱狂的な一部分に、錯乱した冗漫な一部分に、とり憑かれたのだ。(ポール・ヴァレリー『ニーチェに関する手稿』sur les manuscrits de Paul Valery au sujet de Nietzsche)

《書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるのではないか。( ……)すべての哲学はさらに一つの哲学を隠している。すべての意見はまた一つの隠れ家であり、すべてのことばはまた一つの仮面である。》(ニーチェ『善悪の彼岸』 289番)

…………

人は、なぜ死について語る時、愛についても語らないのであろうか。愛と性とを結び付けすぎているからではないか。愛は必ずしも性を前提としない。性行為が必ずしも(いちおう)前提とせずに成り立つのと同じである。私はサリヴァンの思春期直前の愛の定義を思い出す。それは「その人の満足と安全とを自分と同等以上に置く時、愛があり、そうでないならばない」というものである。平時にはいささかロマンチックに響く定義である。私も「いざという時、その用意があるかもしれない」ぐらいにゆるめたい。しかし、いずれにせよ、死別の時にはこれは切実な実態である。死別のつらさは、たとえ一しずくでもこの定義の愛であってのことである(ここには性の出番がないことはいうまでもあるまい)。

私は最近、若い弟子(この言葉自体は好きではないが他の言い方がない)を非業の死によって失い、私の中に生まれる哀切感の強さに自ら驚いた。逆縁という語が自然に浮んだ。この定義によれば、友人にも、師弟にも、患者と医師との間にも愛はありうる。おのれの死は、その人たちすべてに、すなわち愛のすべてに別れるからつらいのである。あの人間嫌いとされるスウィフトが『ガリヴァー旅行記 第三部』において、ほんとうに不死の人間が時々生まれる国を描いて、友人知人の全てから生き残る不死人間の悲惨を叙述している時、彼は同じことを言っているのだといえば驚く人があるであろうか。(中井久夫「「「祈り」を込めない処方は効かない(?) 」ーー京城の深く青く凛として透明な空




2015年3月25日水曜日

ロダン、あるいはキクラデス諸島の彫刻

かつては、リルケの『ロダン』を少年時代に読んだせいもあり、おそらくいささか文学的に、ロダンの「思い」をひどく愛した時期がある。




ーーこれは岩波文庫版の『ロダン』に挿差されてあったのと同じ画像である。

……作品はロダンの手を離れると、全くまだ一度も人の手をふれたことのないもののようです。光と影はこの物の上では、もぎたての果実の上でのように、いっそうのやわらかさを持ち、朝風にはこばれて来たようにいっそうの動きに充ちているのです。(……)

或るところでは光はゆるやかに流れているかと思うと、或るところでは滝のように落ちており、あるいは浅く、あるいは深く、あるいは鏡のように輝くかと思えば、またにぶく淀んでいる、--きわめて変化に富んだ傾斜を持つ一種独特なこの表面によって、そういうふうに光が動きを余儀なくさせられるのです。こういう作品の一つにふれる光は、もはやただの光でいることができません、もはや偶然の方向を持つことはできないのです。物が光を所有することになり、自分のもののように使うことになるのです。

明確に決定された表面を持つことから、こういうふうに光を獲得し、わがものとすることを、彫刻的事物の本質的な性質の一つとしてロダンは再認したのです。(……)ロダンは光の獲得を自分の発展の一部とすることによって、太古からの伝統の中へ身を置いたのでした。

実際そこには、リュクサンブール美術館にある『思い』とよばれる、あの石塊の上のうつむいた顔のように、自分自身の光を持った石があります。この顔は影になるまで前に傾いて、石の白い微光の上にささえられていますが、この石の輝きのために影は融け去り、一種の透明なうすら明かりへと移って行くのです。(リルケ『ロダン』高安国世訳)

もっともロダンは、ロマン・ロランやら白樺派やらの文脈で語られすぎ、すこし「芸術通」を気取りたい向きには、口に出さないでおきたい名前になっていた時期があるのではないか(わたくしは森有正、高田博厚、それにアランの書物を少年期に比較的熱心に読んだので、ロダンへの関心は彼らの文章からもーーリルケ以外にーー来るところが多い)。






かつて、どこかで読んだ言葉を劣化させて、ロダンの「思い」は、あたかも大理石から掘り出されたようで、もともと石のなかに隠されていたものが露わになったようではないか、などとエラそうに放言していたものだ。

昭和十六年の夏、私は出征することになった。リルケの《ロダン》と万葉集と《花樫》がとぼしい私の持物だ。(吉岡実「死児」という絵〔増補 版〕)

吉岡実とリルケの組み合せは一見意外ともいえるが、初期の吉岡実にはリルケのかおりがある詩がある。

果実  リルケ

それは地中から実りを目ざしてのぼりにのぼった。
そして静かな幹に黙りこみ
あざやかな開花とともに炎となって
そしてふたたび静かになった。

ひと夏のあいだ夜も昼も
やすみなくいそしむ樹木のなかで成熟し
みまもりつづける周囲にむかって
やがて殺到するわが身をさとった。

そしていまやまるまるした楕円の
ふくらみを見せ円熟を誇ると
それはすべてを断念し果皮のうちの
自らの中心にすべりおちてゆく。

――(神子博昭「詩の暗さーーヘルダーリン、リルケ、ツェラン」より)
静物    吉岡実

夜の器の硬い面の内で
鮮やかさを増してくる
秋のくだもの
りんごや梨やぶどうの類
それぞれは
かさなったままの姿勢で
眠りへ
ひとつの諧調へ
大いなる音楽へと沿うてゆく
めいめいの最も深いところへ至り
核はおもむろによこたわる
そのまわりを
めぐる豊かな腐爛の時間
いま死者の歯のまえで
石のように発しない
それらのくだものの類は
いよいよ重みを加える
深い器のなかで
この夜の仮象の裡で
ときに
大きくかたむく



(ロダン「ダナエ」)


これも名高い作品だが、わたくしは「思いpanse」のほうを格段に愛した。このダナエにはどこかもの足りないところがある。これだったら、ベルニーニBernini の”O rapto de Prosérpina”があるではないか。







この画像を90度、時計と逆廻りに回転させれば次ぎの如し。





汝蚊雷なるものを知るか 
メコンの股間母なる大地 
デルタの藪の接ぎ木は 
蚊雷を潜り抜けねばならぬ 
二肢の向こうの谷間は霞が関 
玄牝の門から洩る蜜には 
蚊に刺されし血汐混じる 
更に別様に刺されしも 
疲れを知らぬその不死身さよ

谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ(老子「玄牝の門」 福永光司氏による書き下し)

…………

さて、なんの話かといえば、現在はロダンでもなくベルリーニでもなく、--ジャコメッティやエジプト彫刻の話はここではしないでおくーーキクラデス Cycladesの小さな彫刻を好む。とはいえそれは齢をとったせいだけではなく、20代のころルーヴルを訪れてキクラデス彫刻のイミテーションを購入している(たしか100ドル近くしたのではなかったか)。




いまでもこれだけは、日本から持ち出して部屋に飾ってある。汚れるたびに丁寧に磨いたので、いまでは色艶がでてきた。もっともときに、亀頭みたいだな、などという「教養のない人」--わたくしのようなーーがいるから困る。

以下は本物である。











もちろん、われわれも縄文時代には、おなじくらい美しい作品をもっている。










《秘訣とは卵のあの曲面ですよ。なぜなら、陶工の轆轤がまずはじめに形を仕上げていれば、見かけ倒しの部分はもうなくなっているから。》

「だから、いつでもかならず素材が話しかけるのだといえる。それに、精神に話しかけるのはほかでもない、素材を扱っている手であり、そのとき手は、素材を介して、精神に話しかけるのだ。これが芸術の、いや少なくとも造型芸術のお作法ではなかろうか。要するに、腹案が作品に先行しているらしいとはいっても、腹案と作品とのあの関係、私の名づけて工業的といっているあの関係は、諸芸術においては、もう一つの別の関係に、完全に従属している。これが腹案だったのかと悟らせてくれるのは、じつはほかでもない作品なのだ、という関係のほうが、立ちまさっているわけだ。作品を作ってみて、自分の表現したかったことに誰よりも先に教えられ、また誰より先におどろくのは、当の芸術家なのだから、この関係はずいぶん逆説的なものだ」(アラン『彫刻家との対話』杉本秀太郎訳)

アランの対話者は、アンリ・ナヴァルという今ではほとんど無名の、メダル職人から叩き上げた彫刻家で、彼はロダンの彫刻を次のように批判している、「ロダンの親指、あれはどうもいけない。親指というやつは、光線をたよりに肉付けしますから。ところが、じっさいに形を作ってゆくのは人指し指なんです」、と。


休憩時間に、シャルトル大寺院の彫像、エーゲのギリシア人の彫刻、中国の仏像の写真をながめていた彫刻家がいう。

「これらには、どこかに共通したところがあります。卵型、壺の丸み、これが共通点です。面のどの起伏も、どの凹みも、すべてあの偉大な法則に服従しているでしょう。ところが、そうだからこそ、何か表情が出ている。表情、そういっていいでしょうね。ただし、何も表現していない表情。そういえますね」

「そういっていい」と私は答えた「いや、そういわねばならない。というのも、言語で説明できそうな感情を彫刻が表現しているとき、われわれは彫刻の外にいるわけだから。それでは完全にレトリックの分野に出て、調子のいいことをしゃべっているだけのことになる。だから私としてはこういいたいと思うのだが、ほんとうの彫刻というものは、ある存在の形体以外のいかなるものも絶対に表現していない。存在の形体、つまり存在のもっとも深い内部という意味だよ。そういう深みから、存在の形はうみ出されて来るし、また奇型の形成を拒否しつつこの世に押し出されもしたのだから」

ある日、あの「詩人」が訪れる、《果実が溶けて快楽(けらく )となるように、/形の息絶える口の中で/その不在を甘さに変へるやうに、/私はここにわが未来の煙を吸ひ/空は燃え尽きた魂に歌ひかける、/岸辺の変るざわめきを。》(ヴァレリー「若きパルク」中井久夫訳)

ある日のこと、さながら地獄界に降るようにしてアトリエの階段をきたのは、あの「詩人」だった。いつも何か怒ったような顔をしている彼だ。しかし不機嫌はたちまちほぐれ、彼はにこやかになった。( ……)

こうするうちに、自分の技倆に深くたのむところのある詩人は、詩作というあの長期労働を引き合いに出した。必要なのは、辛抱づよさということだ。不成功におわることがいくらでもあるということ、半成功は不成功よりなおはるかに危険なものだということ、彼はそういった点を説明してくれた。「まさに一歩ごとに、あの何ひとつ書かれていない丸い表面をふり返らねばならない。そうしてあの表面にぴっちり貼りついているような装飾の軌跡を作り出すことは、まずむつかしい。だからこそ、厳密な定型詩でなければ、仕事というものも案出というものも、私には考えられない。定型詩というものを、私は海のあの水位というものにたとえたい。海水は諸大陸のあいだをめぐり、諸海洋を区分しているのに、海の水位は、何物とも一致しない。しかも水位がすべてを決定している。規則に寸分たがわぬ定型詩などというものは、一行たりともありはしないのだ。しかし規則というものは、あの切れ目なく、また歪めようもない海の表面にもひとしい。その表面にわれわれがちっぽけな山々を、つまり語というものになった第二の素材を肉付けするわけだ。それにまた、何もかも詩によって言いつくされるわけでもない。というのも、あの上塗りが、何か意味をおびぬことには、詩にはならないのだから。必要なのは、ただ辛抱づよさだけだ、そう痛感したことが私には何度もあった。しかも、そう痛感したのは、きまって自分に辛抱が掛けているときだった」




「すべてのものは球か、円錐か円筒形である...それは事実だ。  その観察を最初に(自分が)したのではないのは、なんともうまくない(残念だ)。  セザンヌは正しかった。…

私は内側のことであれこれ考えることはなく、外側だけで問題は山積みだった。(ジャコメッティ)