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2015年3月25日水曜日

ロダン、あるいはキクラデス諸島の彫刻

かつては、リルケの『ロダン』を少年時代に読んだせいもあり、おそらくいささか文学的に、ロダンの「思い」をひどく愛した時期がある。




ーーこれは岩波文庫版の『ロダン』に挿差されてあったのと同じ画像である。

……作品はロダンの手を離れると、全くまだ一度も人の手をふれたことのないもののようです。光と影はこの物の上では、もぎたての果実の上でのように、いっそうのやわらかさを持ち、朝風にはこばれて来たようにいっそうの動きに充ちているのです。(……)

或るところでは光はゆるやかに流れているかと思うと、或るところでは滝のように落ちており、あるいは浅く、あるいは深く、あるいは鏡のように輝くかと思えば、またにぶく淀んでいる、--きわめて変化に富んだ傾斜を持つ一種独特なこの表面によって、そういうふうに光が動きを余儀なくさせられるのです。こういう作品の一つにふれる光は、もはやただの光でいることができません、もはや偶然の方向を持つことはできないのです。物が光を所有することになり、自分のもののように使うことになるのです。

明確に決定された表面を持つことから、こういうふうに光を獲得し、わがものとすることを、彫刻的事物の本質的な性質の一つとしてロダンは再認したのです。(……)ロダンは光の獲得を自分の発展の一部とすることによって、太古からの伝統の中へ身を置いたのでした。

実際そこには、リュクサンブール美術館にある『思い』とよばれる、あの石塊の上のうつむいた顔のように、自分自身の光を持った石があります。この顔は影になるまで前に傾いて、石の白い微光の上にささえられていますが、この石の輝きのために影は融け去り、一種の透明なうすら明かりへと移って行くのです。(リルケ『ロダン』高安国世訳)

もっともロダンは、ロマン・ロランやら白樺派やらの文脈で語られすぎ、すこし「芸術通」を気取りたい向きには、口に出さないでおきたい名前になっていた時期があるのではないか(わたくしは森有正、高田博厚、それにアランの書物を少年期に比較的熱心に読んだので、ロダンへの関心は彼らの文章からもーーリルケ以外にーー来るところが多い)。






かつて、どこかで読んだ言葉を劣化させて、ロダンの「思い」は、あたかも大理石から掘り出されたようで、もともと石のなかに隠されていたものが露わになったようではないか、などとエラそうに放言していたものだ。

昭和十六年の夏、私は出征することになった。リルケの《ロダン》と万葉集と《花樫》がとぼしい私の持物だ。(吉岡実「死児」という絵〔増補 版〕)

吉岡実とリルケの組み合せは一見意外ともいえるが、初期の吉岡実にはリルケのかおりがある詩がある。

果実  リルケ

それは地中から実りを目ざしてのぼりにのぼった。
そして静かな幹に黙りこみ
あざやかな開花とともに炎となって
そしてふたたび静かになった。

ひと夏のあいだ夜も昼も
やすみなくいそしむ樹木のなかで成熟し
みまもりつづける周囲にむかって
やがて殺到するわが身をさとった。

そしていまやまるまるした楕円の
ふくらみを見せ円熟を誇ると
それはすべてを断念し果皮のうちの
自らの中心にすべりおちてゆく。

――(神子博昭「詩の暗さーーヘルダーリン、リルケ、ツェラン」より)
静物    吉岡実

夜の器の硬い面の内で
鮮やかさを増してくる
秋のくだもの
りんごや梨やぶどうの類
それぞれは
かさなったままの姿勢で
眠りへ
ひとつの諧調へ
大いなる音楽へと沿うてゆく
めいめいの最も深いところへ至り
核はおもむろによこたわる
そのまわりを
めぐる豊かな腐爛の時間
いま死者の歯のまえで
石のように発しない
それらのくだものの類は
いよいよ重みを加える
深い器のなかで
この夜の仮象の裡で
ときに
大きくかたむく



(ロダン「ダナエ」)


これも名高い作品だが、わたくしは「思いpanse」のほうを格段に愛した。このダナエにはどこかもの足りないところがある。これだったら、ベルニーニBernini の”O rapto de Prosérpina”があるではないか。







この画像を90度、時計と逆廻りに回転させれば次ぎの如し。





汝蚊雷なるものを知るか 
メコンの股間母なる大地 
デルタの藪の接ぎ木は 
蚊雷を潜り抜けねばならぬ 
二肢の向こうの谷間は霞が関 
玄牝の門から洩る蜜には 
蚊に刺されし血汐混じる 
更に別様に刺されしも 
疲れを知らぬその不死身さよ

谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ(老子「玄牝の門」 福永光司氏による書き下し)

…………

さて、なんの話かといえば、現在はロダンでもなくベルリーニでもなく、--ジャコメッティやエジプト彫刻の話はここではしないでおくーーキクラデス Cycladesの小さな彫刻を好む。とはいえそれは齢をとったせいだけではなく、20代のころルーヴルを訪れてキクラデス彫刻のイミテーションを購入している(たしか100ドル近くしたのではなかったか)。




いまでもこれだけは、日本から持ち出して部屋に飾ってある。汚れるたびに丁寧に磨いたので、いまでは色艶がでてきた。もっともときに、亀頭みたいだな、などという「教養のない人」--わたくしのようなーーがいるから困る。

以下は本物である。











もちろん、われわれも縄文時代には、おなじくらい美しい作品をもっている。










《秘訣とは卵のあの曲面ですよ。なぜなら、陶工の轆轤がまずはじめに形を仕上げていれば、見かけ倒しの部分はもうなくなっているから。》

「だから、いつでもかならず素材が話しかけるのだといえる。それに、精神に話しかけるのはほかでもない、素材を扱っている手であり、そのとき手は、素材を介して、精神に話しかけるのだ。これが芸術の、いや少なくとも造型芸術のお作法ではなかろうか。要するに、腹案が作品に先行しているらしいとはいっても、腹案と作品とのあの関係、私の名づけて工業的といっているあの関係は、諸芸術においては、もう一つの別の関係に、完全に従属している。これが腹案だったのかと悟らせてくれるのは、じつはほかでもない作品なのだ、という関係のほうが、立ちまさっているわけだ。作品を作ってみて、自分の表現したかったことに誰よりも先に教えられ、また誰より先におどろくのは、当の芸術家なのだから、この関係はずいぶん逆説的なものだ」(アラン『彫刻家との対話』杉本秀太郎訳)

アランの対話者は、アンリ・ナヴァルという今ではほとんど無名の、メダル職人から叩き上げた彫刻家で、彼はロダンの彫刻を次のように批判している、「ロダンの親指、あれはどうもいけない。親指というやつは、光線をたよりに肉付けしますから。ところが、じっさいに形を作ってゆくのは人指し指なんです」、と。


休憩時間に、シャルトル大寺院の彫像、エーゲのギリシア人の彫刻、中国の仏像の写真をながめていた彫刻家がいう。

「これらには、どこかに共通したところがあります。卵型、壺の丸み、これが共通点です。面のどの起伏も、どの凹みも、すべてあの偉大な法則に服従しているでしょう。ところが、そうだからこそ、何か表情が出ている。表情、そういっていいでしょうね。ただし、何も表現していない表情。そういえますね」

「そういっていい」と私は答えた「いや、そういわねばならない。というのも、言語で説明できそうな感情を彫刻が表現しているとき、われわれは彫刻の外にいるわけだから。それでは完全にレトリックの分野に出て、調子のいいことをしゃべっているだけのことになる。だから私としてはこういいたいと思うのだが、ほんとうの彫刻というものは、ある存在の形体以外のいかなるものも絶対に表現していない。存在の形体、つまり存在のもっとも深い内部という意味だよ。そういう深みから、存在の形はうみ出されて来るし、また奇型の形成を拒否しつつこの世に押し出されもしたのだから」

ある日、あの「詩人」が訪れる、《果実が溶けて快楽(けらく )となるように、/形の息絶える口の中で/その不在を甘さに変へるやうに、/私はここにわが未来の煙を吸ひ/空は燃え尽きた魂に歌ひかける、/岸辺の変るざわめきを。》(ヴァレリー「若きパルク」中井久夫訳)

ある日のこと、さながら地獄界に降るようにしてアトリエの階段をきたのは、あの「詩人」だった。いつも何か怒ったような顔をしている彼だ。しかし不機嫌はたちまちほぐれ、彼はにこやかになった。( ……)

こうするうちに、自分の技倆に深くたのむところのある詩人は、詩作というあの長期労働を引き合いに出した。必要なのは、辛抱づよさということだ。不成功におわることがいくらでもあるということ、半成功は不成功よりなおはるかに危険なものだということ、彼はそういった点を説明してくれた。「まさに一歩ごとに、あの何ひとつ書かれていない丸い表面をふり返らねばならない。そうしてあの表面にぴっちり貼りついているような装飾の軌跡を作り出すことは、まずむつかしい。だからこそ、厳密な定型詩でなければ、仕事というものも案出というものも、私には考えられない。定型詩というものを、私は海のあの水位というものにたとえたい。海水は諸大陸のあいだをめぐり、諸海洋を区分しているのに、海の水位は、何物とも一致しない。しかも水位がすべてを決定している。規則に寸分たがわぬ定型詩などというものは、一行たりともありはしないのだ。しかし規則というものは、あの切れ目なく、また歪めようもない海の表面にもひとしい。その表面にわれわれがちっぽけな山々を、つまり語というものになった第二の素材を肉付けするわけだ。それにまた、何もかも詩によって言いつくされるわけでもない。というのも、あの上塗りが、何か意味をおびぬことには、詩にはならないのだから。必要なのは、ただ辛抱づよさだけだ、そう痛感したことが私には何度もあった。しかも、そう痛感したのは、きまって自分に辛抱が掛けているときだった」




「すべてのものは球か、円錐か円筒形である...それは事実だ。  その観察を最初に(自分が)したのではないのは、なんともうまくない(残念だ)。  セザンヌは正しかった。…

私は内側のことであれこれ考えることはなく、外側だけで問題は山積みだった。(ジャコメッティ)