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2015年3月26日木曜日

頭のいい奴とは制御棒の足りない不安定な原子炉

…技術の本があっても、それを読むときに、気をつけないといけないのは、いろんな人があみ出した、技術というものは、そのあみ出した本人にとって、いちばんいい技術なのよね。本人にとっていちばんいい技術というのは、多くの場合、その技術をこしらえた本人の、天性に欠けている部分、を補うものだから、天性が同じ人が読むと、とても役に立つけど、同じでない人が読むと、ぜんぜん違う。努力して真似しても、できあがったものは、大変違うものになるの。(……)

といっても、いちいち、著者について調べるのも、難しいから、一般に、著者がある部分を強調してたら、ああこの人は、こういうところが、天性少なかったんだろうかな、と思えばいいのよ。たとえば、ボクの本は、みなさん読んでみればわかるけれども、「抱える」ということを、非常に強調しているでしょ。それは、ボクの天性は、揺さぶるほうが上手だね。だから、ボクにとっては、技法の修練は、もっぱら、「抱えの技法」の修練だった。その必要性があっただけね。だから、少し、ボクの技法論は、「抱える」のほうに、重点が置かれ過ぎているかもしれないね。鋭いほうは、あまり修練する必要がなくて、むしろ、しないつもりでも、揺さぶっていることが多いので、人はさまざまなのね。(神田橋條治「 人と技法 その二 」 『 治療のこころ 巻二 』 )

…………

上の文とはあまり関係がないかもしれないが、「神田橋條治」連鎖によって。

「友人の神田橋條治というと、非常にいい勘をしている治療者なんだが、彼は鬱病では、「いちばん得意と本人が思っている能力がまっさきにやられるからつらいんだ」といっている。そのひそみに倣うと、統合失調症は、発病の過程で「自分がかねがね持ちたくて持てないと思っていた能力が向こうからやってきてやすやすと手に入りそうに思えてくるから誘惑的だ」といいたい。だから、治りそうな時には「ほんとに治っていいの、さびしいよ、ただのひとになるんだよ」と、念をおして、「それでも治ったほうがいい」って心底からいうまで待たないと治っても長つづきしない。どうしてこんなに長引くんだとふしぎな例には、この病気の巧妙な誘惑性がある。今は脳の活動を高めることを善としている社会だからか。

頭のいい奴とは制御棒の足りない不安定な原子炉かもしれない。まして、へんに脳の力を高めるというのは、私のつくって『精神保健いろはカルタ』でいうと、「む」が「無理をとおせばチェルノブイリ」なんだ。重症ではないが難症だといわれる中には高知能者がいる。患者に論理で負けたくない医者が論理でねじふせようとして、患者がメゲる場合もある。医者が敗退する場合もある。……」(中井久夫「世界における索引と徴候」)


というわけで、見たところ「頭のよさそう」だった〈きみ〉は、ここのところ、どうやら福島系になっちまったようだな。炉心全融解さ。いまでは黒バックの壁系だな。揺さぶってワルカッタよ