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2019年3月5日火曜日

モラリスト柄谷と浅田

知らないわけじゃないよ、柄谷行人や浅田彰がこう言っているのをね。

柄谷)文化に対して自然を回復せよというロマン派と、それを成熟によって乗り越えよというロマン派がいて、それらは現在をくりかえされている。後期フロイトはそのような枠組を脱構築する形で考えたと思います。文化あるいは超自我とは、死の衝動そのものが自分に向かったものだという、これはすごく大きな転回だと思う。彼はある意味で、逃げ道を絶ってしまった。

浅田)ニーチェが言っていたのもそういうことなんじゃないか。力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる。ドゥルーズやフーコーがニーチェから取り出したのもそういう見方なんで、それがさっきストア派的と言っていた姿勢にも結びつくわけでしょ。(「「悪い年」を超えて」『批評空間』1996 Ⅱ-9 坂本龍一 浅田彰 柄谷行人 座談会)

ーー「ドゥルーズやフーコーがニーチェから取り出した」とあるのは、ニーチェの「力への意志」から、ということだ。

ハイデガーが『力への意志』の617番をニーチェの核としたり、ドゥルーズが619番を核としたり、ミュラー=ラストが、あんなものニーチェ草稿編集者ガストの修正版だとしたりしているのだけれど(参照)、ま、それはこの際どうでもよろしい。

ここでは「禁止のない社会における「奴隷状態」」で引用した、ニーチェ自身によって上梓されている文のみを再掲しておこう。

たとえば偉大さにおける安らぎ、理想的な志操、高い単純さをギリシア人で驚嘆しつつ、「美しい魂」、「黄金中庸」、その他の完全性をギリシア人のうちから嗅ぎ出すということーーこうした「高い単純さ」から、結局のところドイツ的愚かしさから私を守ってくれたのは、私がおのれのうちにもっていた心理学者のおかげである。私は、ギリシア人の最も強い本能、力への意志を見てとり、私は彼らがこの欲動の飼い馴らされていない暴力に戦慄するのを見てとった、ーー私は、彼らのあらゆる制度が、彼らの内部にある爆発物に対してたがいに身の安全を護るための保護手段から生じたものであるのを見てとったのである。

In den Griechen »schöne Seelen«, »goldene Mitten« und andre Vollkommenheiten auszuwittern, etwa an ihnen die Ruhe in der Größe, die ideale Gesinnung, die hohe Einfalt bewundern - vor dieser »hohen Einfalt«, einer niaiserie allemande zu guter Letzt, war ich durch den Psychologen behütet, den ich in mir trug. Ich sah ihren stärksten Instinkt, den Willen zur Macht, ich sah sie zittern vor der unbändigen Gewalt dieses Triebs - ich sah alle ihre Institutionen wachsen aus Schutzmaßregeln, um sich voreinander gegen ihren inwendigen Explosivstoff sicher zu stellen.(ニーチェ「私が古人に負うところのもの」『偶像の黄昏』1889年)

ここには浅田のいう《力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる》とは異なったことが書かれている。すくなくともボクにはそう読める。

なにはともあれ、「力へ意志 Willen zur Macht」=「欲動の飼い馴らされていない暴力 unbändigen Gewalt dieses Triebs」=「内部にある爆発物 inwendigen Explosivstoff 」に対する防衛が、ギリシア人の「あらゆる制度」の起源だとされている。

これはラカン的に言えば、こういうことだ。

欲望は防衛である。享楽へと到る限界を超えることに対する防衛である。le désir est une défense, défense d'outre-passer une limite dans la jouissance.( ラカン、E825、1960年)

簡潔に言い直せばこうである。

欲望は享楽に対する防衛である。le désir est défense contre la jouissance (ミレール Jacques-Alain Miller、 L'économie de la jouissance、2011)

ここでミレールがいう「享楽」とは、「自ら享楽する身体 corps qui se jouit」(参照)のことであり、ニーチェの「欲動の飼い馴らされていない暴力 unbändigen Gewalt dieses Triebs」と等置しうる。

欲動蠢動は刺激無秩序への呼びかけ、いやさらに暴動への呼びかけである la Regung est stimulation, l'appel au désordre, voire à l'émeute(ラカン、セミネール10、1962)

で、柄谷と浅田の話に戻れば、柄谷行人は、2007年にも1996年の話と同じようなことを言っている。

超自我は「死の欲動」という概念の結果として考えられたのではない。逆に、欲動を自己規制するような自律的な超自我を説明するためにこそ、フロイトは「死の欲動」を想定したのだ。それによって、攻撃性は「死の欲動」の一部であると考えられる。そして、攻撃性を抑えるのは(内に向けられた)攻撃性である。そうだとすれば、攻撃性を抑制することは不可能ではない。そして、それが文化=文明化にほかならない。一言でいえば、文化=文明化とは、攻撃性を自己抑制するような社会的装置である。(柄谷行人「超自我と文化=文明化の問題」ーー『フロイト全集』 第4巻 月報2007.03.08)

これはちょっと受けいれ難いのだな、この死の欲動の捉え方は。フロイトの死の欲動概念は、第一次世界大戦参戦兵士たちの「外傷性戦争神経症 traumatischen Kriegsneurosen」の続出に主要な淵源があるとする中井久夫のほうが正当的だな。

フロイトは反復強迫を例として「死の本能(死の欲動)」を提出する。これを彼に考えさえたものに戦争神経症にみられる同一内容の悪夢がある。…これが「死の本能」の淵源の一つであり、その根拠に、反復し、しかも快楽原則から外れているようにみえる外傷性悪夢がこの概念で大きな位置を占めている。(中井久夫「トラウマについての断想」2006年)


浅田彰も2005年にもふたたび1996年と同じ様なことを言っている。

キリスト教以前の古代ギリシア・ローマには、性の問題に関しても、そういう厳格な法はほとんどない。法のないところで、自分が好きなことをして、しかし行き過ぎると自分にとってもおぞましい結果になってしまうから、自ずと程を得たところに行き着く、それが自律だと言っているわけです。法に抑えられていた力が暴発するのではない、力が自由に発揮されるところで自分自身を矯めるのだ、と。(浅田彰「不安から自律へ」2005田中康夫×浅田彰×宮台真司:「『不安』の時代から『自律』の時代へ」)

ーーより長い引用は、→「参照


柄谷や浅田はフロイトとニーチェの次の文に依拠しながらも、たぶんああ言っているわけだが。

われわれの攻撃欲 Aggressionslustを無力化するため、どんな方法がとられているだろうか。…われわれの攻撃性を取りこみ、内面化する方法である。しかし実のところこれは、攻撃性をその発祥地へ送り返すこと、つまり自分自身へと向けることに他ならない。Die Aggression wird introjiziert, verinnerlicht, eigentlich aber dorthin zurückgeschickt, woher sie gekommen ist, also gegen das eigene Ich gewendet. (フロイト『文化への不満』第7章、1930年)
外へ向けて放出されないすべての本能は内へ向けられるーー私が人間の内面化と呼ぶところのものはこれである。後に人間の「魂」と呼ばれるようになったものは、このようにして初めて人間に生じてくる。当初は二枚の皮の間に張られたみたいに薄いものだったあの内的世界の全体は、人間の外への捌け口が堰き止められてしまうと、それだけいよいよ分化し拡大して、深さと広さとを得てきた。……粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを人間自身の方へ向かわせた。敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、――これらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、これこそ「良心の疚しさ」の起源である。外部に敵や抵抗がなくなったために慣習の狭苦しさと単調さのうちへ押し込められた人間は、耐え切れなくてわれとわが身を引き裂き、追い詰め、食い齧り、掻き立て、虐げた。自分の檻の格子に身を打つけて傷を負うこの動物(それを諸君は「飼い馴ら」そうとしているのだ)。この窮乏した者、荒野への郷愁に憔悴した者(彼らは自ら冒険を、拷問所を、不安で危険な蛮地を創り出さずにはいられなかった)、――この阿呆が、憧憬に悴れ絶望に陥ったこの囚人が「良心の疚しさ」の発案者となったのだ。(ニーチェ『道徳の系譜』第二論文 木場深定訳)

それ以外に、柄谷行人は「超自我と文化=文明化の問題」(2007)に引用があるようにフロイトの「ヒトはなぜ戦争をするのか」の次の文にも依拠がある。

・戦争への拒絶は、単なる知性レベルでの拒否、単なる感情レベルでの拒否ではないと思われるのです。少なくとも平和主義者なら、拒絶反応は体と心の奥底からわき上がってくるはずなのです。戦争への拒絶、それは平和主義者の体と心の奥底にあるものが激しい形で外にあらわれたものなのです。私はこう考えます。このような意識のあり方が戦争の残虐さそのものに劣らぬほど、戦争への嫌悪感を生み出す原因となっている、と。

・どのような道を経て、あるいはどのような回り道を経て、戦争が消えていくのか。それを推測することはできません。しかし、今の私たちにもこう言うことは許されていると思うのです。文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!(フロイト「ヒトはなぜ戦争をするのかーアインシュタインとフロイトの往復書簡」浅見昇吾訳、1933年)

でもこれは、フロイトはモラリストとして振る舞っただけだよ、この書簡は1933年に出版されているけれど、アインシュタインとの対話自体は前年の1932年になされている。

フロイトは翌年の1933年(77歳)に(自らのモラリスト性を恥じて?)次のように言っている。

マゾヒズムはその目標 Ziel として自己破壊 Selbstzerstörung をもっている。…そしてマゾヒズムはサディズムより古い der Masochismus älter ist als der Sadismus。

他方、サディズムは外部に向けられた破壊欲動 der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstriebであり、攻撃性 Aggressionの特徴をもつ。或る量の原破壊欲動 ursprünglichen Destruktionstrieb は内部に居残ったままでありうる。…

我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊欲動傾向 Tendenz zur Selbstdestruktioから逃れるために、他の物や他者を破壊する anderes und andere zerstören 必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとってなんと悲しい暴露だろうか![traurige Eröffnung für den Ethiker! ](フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)

そして「自己破壊欲動(マゾヒズム)は死の欲動である」としている。

我々が、欲動において自己破壊 Selbstdestruktion を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動 Todestriebes の顕れと見なしうる。(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)

なぜエロス欲動は死の欲動なのか」にて次の図を示したところだけれど。





これは1924年のマゾヒズム論の原マゾヒズム≒原サディズムという表現を活かして、あえて二次サディズムという語を想定して図示したものだ。

もしわれわれが若干の不正確さを気にかけなければ、有機体内で作用する死の欲動 Todestrieb ーー原サディズム Ursadismusーーはマゾヒズム Masochismus と一致するといってさしかえない。…ある種の状況下では、外部に向け換えられ投射されたサディズムあるいは破壊欲動 projizierte Sadismus oder Destruktionstrieb がふたたび取り入れられ introjiziert 内部に向け換えられうる。…この退行が起これば、二次的マゾヒズム sekundären Masochismus が生み出され、原初的 ursprünglichen マゾヒズムに合流する。(フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)

上の図でよいのだが、上に引用した1933年の発言にもとづけば、もっと簡潔に図示できる。すなわち次の図がフロイトの「死の欲動」である。




※「なぜエロス欲動は死の欲動なのか」ではラカンの発言を混在させてマゾヒズムについて記述したが、フロイトの記述にほぼ焦点を絞った詳細は、「エロス欲動という死の欲動」にまとめてある。


上に示したように、浅田はもちろんのこと、柄谷が《攻撃性を抑えるのは(内に向けられた)攻撃性である。そうだとすれば、攻撃性を抑制することは不可能ではない。そして、それが文化=文明化にほかならない》等と言っているのは、たんなる「二次マゾヒズム」にすぎない。誤謬とはいわないが、原マゾヒズムが十分に視野に入っていないように思える。

自己破壊欲動として原初にあるマゾヒズムへの思考の欠如は、上にも引用した浅田彰の次の二文が端的に示している。

・力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる(浅田彰、1996)

・力が自由に発揮されるところで自分自身を矯める(浅田彰、2005)

これはフーコーの《自己による自己の支配》にも依拠してもこう言っている筈(参照:エンクラティア enkrateia とソフロシューネ sophrosyne)。




ようするに、最晩年のフロイトの思考においては、最初に自己破壊欲動ありき、であり、それが外部に投射されたものが他者破壊欲動であり、さらにその他者破壊欲動が内部に退行して原初の自己破壊欲動に合流する。それがふたたび外部に向かわなければ、人は純粋な自己破壊に向かう。

以下のジジェク文は強度の「事故的トラウマ」による自己破壊だが、人が皆もっている幼児期の「構造的トラウマ」においても、強度の差はあれメカニズムは一緒。身体の上への刻印としてのトラウマは外部に投射されなければ内に籠って自己破壊的に作用する。

想いだしてみよう、奇妙な事実を。プリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちによって何度も引き起こされる事実をだ。生き残ったことへの彼らの内奥の反応が、いかに深刻な分裂によって刻印されているか。

意識的には彼らは十全に気づいている、自らの生存は意味のない偶然の結果であることを。彼らが生き残ったことについて何の罪もない。責めを負うべき加害者はたただナチの拷問者たちのみであると。

だが同時に、彼らは「非合理的な」罪の意識にとり憑かれている。まるで彼らは他者たちの犠牲によって生き残ったかのように、そしていくらかは他者たちの死に責任があるかのようにして。

よく知られているように、この耐えがたい罪の意識が生存者の多くを自殺に追いやるのだ。これが示しているのは、最も純粋な超自我の審級である。この猥雑な審級、それがわれわれを操り、自己破壊の渦巻く奈落へと導く。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012)

「最も純粋な超自我の審級」とジジェクが言っているのは、実質上、リビドー固着である。ラカン派において、超自我には「母なる超自我 S(Ⱥ)」と「父なる超自我 S1あるいは Φ」があり、S(Ⱥ)とはリビドー固着マテームでもある。





ようするに次の語彙群はすべて代置しうる。






ラカンがフロイトの遺書と呼んだ『終りある分析と終りなき分析』で《原始時代のドラゴン Drachen der Urzeit wirklich 》(参照)とか《魔女のメタサイコロジー Hexe Metapsychologie 》とか言っているのは、このリビドー固着に由来する原破壊欲動という奔馬の飼い馴らせなさを言っている。

「欲動要求の永続的解決 dauernde Erledigung eines Triebanspruchs」とは、欲動の「飼い馴らし Bändigung」とでも名づけるべきものである。それは、欲動が完全に自我の調和のなかに受容され、自我の持つそれ以外の志向からのあらゆる影響を受けやすくなり、もはや満足に向けて自らの道を行くことはない、という意味である。

しかし、いかなる方法、いかなる手段によってそれはなされるかと問われると、返答に窮する。われわれは、「するとやはり魔女の厄介になるのですな So muß denn doch die Hexe dran」(ゲーテ『ファウスト』)と呟かざるをえない。つまり魔女のメタサイコロジイ Hexe Metapsychologie である。(フロイト『終りある分析と終わりなき分析』第三章、1937年)

ま、言ってしまえば、柄谷行人も浅田彰も死の欲動や力への意志に関して、ちょっと甘いんじゃないかな。最近そう思うようになってきたね。

力への意志 la volonté de puissanceは…至高の欲動 l'impulsion suprêmeのことではなかろうか?(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』1969年)

至高の欲動とは、フロイト・ラカンにとって自己破壊欲動である。

でもなぜ自己破壊欲動なんてものが原初的なものとして人にはあるんだろう?

さあてね、これを言い出すと、このマザコン野郎とか言われちまうからな→「最初に分離不安ありき

ま、ボクも確としたことを言うつもりはないけどさ、でも柄谷や浅田の言っていることを文字通り受けとる必要はケほどもないことは確かだよ。ボクは両者をそれなりに長年「敬愛」してきたけどさ。





2019年2月5日火曜日

岡崎乾二郎「賛」

岡崎乾二郎の立場は、芸術制作においても芸術批評においても現在に至るまで、次のものだろう。

岡崎乾二郎)……だから、ぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。(共同討議「『ルネサンス 経験の条件』をめぐって」『批評空間』 第3期第2号, 2001)


この岡崎の立場を浅田彰は、少なくとも1990年代以降、称揚し続けている。

浅田彰)…美共闘か村上隆か、「美共闘」の歴史主義かポストモダン消費社会の歴史否定かというのは不毛な対立にすぎない。個人的に言うと、いわばその中間に隠れている岡崎乾二郎が圧倒的に重要だと思うんです。[…]アーティストとしても、ああいう理論的な人は世界的にはほとんど受け入れられない。日本人アーティストが理論的に考えるなどということは認められないので、アニメのパロディでもやってないと受け入れられないわけですよ。だとすれば、批評はまずそういう人存在にこそ焦点を当てるべきではないか。(浅田彰・椹木野衣対談「新世紀への出発点」)

岡崎乾二郎の理知的な批評という相は、高橋悠治に始まった反小林秀雄の立場であり(参照)、これについては1990年の大江健三郎との対談で浅田彰は明瞭に語っている。

浅田:批評的立場を選んだからには、徹底して明晰であろうとすべきでしょう。僕は奇妙な形で文学にひかれています。妙に小器用で、他のジャンルのことはよく分かったような気がするのに、文学はどうしても隅々まで理解できない。ただ、そういう不可解なものを語るとき、それをまねるのではなく、明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまって、ギリギリのところで書いていきたい。それが、自分にとって本当に分からないものの発見につながると思っていますから。

大江:浅田さんには「自分は単なる明晰にすぎない」という、つつましい自己規定があるんですね。明晰な判断力ではとらえきれないものがあって、それは明晰さより上のレベルだと思っていられる。天才というようなものが働くレベルというか。文学というあいまいな場所で生きている人間からすると、上等な誤解を受けている気がします・・・・・・(笑い)。

浅田:ところが不思議な転倒現象があるんです。戦後の文学界で最も明晰なのは三島由紀夫であり、明晰であるべき批評家たちが不透明に情念を語ることに終始したんですね。三島は、最初から作品の終わりが見え、そこから計算しつくされたやり方で作品を組み立てて、きらびやかであるだけいっそう空虚な言葉の結晶を残した。他方、小林秀雄の亜流の批評家たちは、作品をダシにおのれを語るばかりだった。二重の貧困です。(平成2年5月1日朝日新聞夕刊  対談 大江健三郎&浅田彰)


浅田は、《戦後の文学界で最も明晰なのは三島由紀夫》と言っているが、岡崎乾二郎もたぶん戦後の芸術界で最も明晰なんだろう。で、「芸術制作者としての岡崎乾二郎の貧困」と浅田彰はなぜ言わないんだろ?

《小林秀雄の亜流の批評家たちは、作品をダシにおのれを語るばかり》の時代への反動としての理知的「批評」にそれほど文句をつけるつもりはないが(オベンキョウとしてはそれでいいんだろう)、制作者の態度としてあれでいいんだろうかね、ほんとに。いま、まったく門外漢として言うが。要するに《明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまっ(た)》芸術制作ってありなんだろうか? 

ラカンに壺作りの話があるが、たぶん可能なのはそのセンだろうな。

現実界の中心にある空虚の存在 existence de ce vide au centre de ce réel をモノ la Choseと呼ぶ。この空虚は…無rienである。

…壺作り職人potierは、彼の手で空虚の周りに壺を創造する crée le vase autour de ce vide avec sa main (ラカン、S7、27 Janvier 1960)
壺は穴を創造するものである。その内部の空虚を。芸術制作とは無に形式を与えることである。創造とは(所定の)空間のなかに位置したり一定の空間を占有する何ものかではない。創造とは空間自体の創造である。どの(真の)創造であっても、新しい空間が創造される。

別の言い方であれば、どの創造も覆い(ヴェール)の構造がある。創造とは「彼岸」を創り出し暗示する覆いとして作用する。まさに覆いの織物のなかに「彼岸」をほとんど触知しうるものにする。美は何か(別のもの)を隠蔽していると想定される表面の効果である。(ジュパンチッチ1999、 Alenka Zupančič、The Splendor of Creation: Kant, Nietzsche, Lacan, 1999)

とはいえ、《明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまっ(た)》とは「精神の中流階級」の態度だ。その態度に居残ったままで真の創造行為ができるもんなんだろうか?

学者というものは、精神の中流階級に属している以上、真の「偉大な」問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』1882年)


精神の中流階級から離反するとは、中井久夫によれば「退行」することだ。

何人〔じん〕であろうと、「デーモン」が熾烈に働いている時には、それに「創造的」という形容詞を冠しようとも「退行」すなわち「幼児化」が起こることは避けがたい。…

思い返せば、著述とは、宇宙船の外に出て作業する宇宙飛行士のように日常から離脱し、頭蓋内の虚無と暗黒とに直面し、その中をさしあたりあてどなく探ることである。その間は、ある意味では自分は非常に生きてもいるが、ある意味ではそもそも生きていない。日常の生と重なりあってはいるが、まったく別個の空間において、私がかつて「メタ私」「メタ世界」と呼んだもの、すなわち「可能態」としての「私」であり「世界」であり、より正確には「私 -世界」であるが、その総体を同時的に現前させれば「私」が圧倒され破壊されるようなもの、たとえば私の記憶の総体、思考の総体の、ごく一部であるが確かにその一部であるものを、ある程度秩序立てて呼び出さねばならなかった。(中井久夫「執筆過程の生理学」初出1994年『家族の深淵』所収)


ところで岡崎、浅田などが批判した小林秀雄はこう言っている。

人々は批評といふ言葉をきくと、すぐ判断とか理性とか冷眼とかいふことを考へるが、これと同時に、愛情だとか感動だとかいふものを、批評から大へん遠い処にあるものの様に考へる、さういふ風に考へる人々は、批評といふものに就いて何一つ知らない人々である。

この事情を悟るには、現実の愛情の問題、而もその極端な場合を考へてみるのが近道だ。(小林秀雄「批評について」)

※より詳しくは、 「こんなに恥ずかしいこと言うやついるのか」(浅田彰)。

小林秀雄の立場とはムッシュー・クロッシュの立場だな。

(ムッシュー・クロッシュ曰く)作品を通して、それらを生み出させた様々な衝動や、それらが秘めている内的な生命を見ようとするんです。めずらしい時計かなぞのように作品を分解することで成り立つ遊びより、ずっと面白くはありませんか ? (『ドビュッシー作曲論集 反好事家八分音符氏』)

小倉朗もこう言っている、《バッハの作品を見て、それが理論的であり、規則に厳格であると人はしばしば感嘆する。しかし、理論的であり、規則に厳格だからバッハの音楽が美しいと考えたら嘘になろう》(ツイッターbot)。

たとえば浅田は岡崎の作品に衝動力を感ずることあるんだろうかね。優等生として形式的には頑張ってるんだろうけど(繰り返せば門外漢として言わせてもらえば)岡崎の作品は、ネット上の画像を見る限りでは、おおむね退屈だな。カンセイユタカナ浅田くんはきっとちがうだろうけどさ。

フロイトは巧みに書いてる、理知的な態度と創造者の態度の相違を。

われわれの方法の要点は、他人の異常な心的事象を意識的に観察し、それがそなえている法則を推測し、それを口に出してはっきり表現できるようにするところにある。一方作家の進む道はおそらくそれとは違っている。彼は自分自身の心に存する無意識的なものに注意を集中して、その発展可能性にそっと耳を傾け、その可能性に意識的な批判を加えて抑制するかわりに、芸術的な表現をあたえてやる。このようにして作家は、われわれが他人を観察して学ぶこと、すなわちかかる無意識的なものの活動がいかなる法則にしたがっているかということを、自分自身から聞き知るのである。(フロイト「W・イェンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢」1907年)

岡崎や浅田のいう形式的態度に徹してしまえば、《無意識的なものに注意を集中して、その発展可能性にそっと耳を傾け》ることにおろそかになりがちなんじゃないだろうか。

すこし飛躍して言わせてもらえば、なんでもパララックスなんだから、そろそろ揺り戻しが必要なんじゃないか。

思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、 合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理論からそれを批判した。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)」)

つまり批評世界で、理知論がドミナントになってしまったのだから、そろそろ衝動論を復活させるべきじゃないのか。貧乏人は小林秀雄の真似するな! なんてケチなこと言わないでさ。

ショボい理知的批評ばっかりだよ、いまでは。たとえば田中純が岡崎乾二郎の新著『抽象の力』の書評してるがね、「谺する言語」「谺するかたち」と。で、どうした?と言いたくなるね。

ダニエル・ヘラー=ローゼンの『エコラリアス──言語の忘却について』(関口涼子訳、みすず書房、2018)…。「エコラリアス」とは「谺する言語」の意味であり 、そこで谺となるのはそれ自体としては消滅して忘れ去られた言語、たとえば、言葉を話すようになる前に 幼児が発する雑音めいた喃語である。喃語の谺はオノマトペや或る言語の発話者が別の言語を模倣しようとするときの「異言語の音」、あるいは感嘆詞のほか、人間ではないものを人間が模倣しようとして発する音声のうちに聞き取れる、と著者は言う──「言語は、それ自身の音から離れ、言葉を持たない、あるいは持ち得ないものの音、すなわち動物の鳴き声、自然や機械の出す音を引き受ける時にこそもっとも言葉そのものになりうる」。この表現を借りれば、「抽象の力」とは「具象的イメージがそれ自身の形態から離れ、 形態を持たない、あるいは持ち得ないものの形態」になったときの形態の力ではないだろうか。幼児用遊具や玩具とは「人間ではないものを人間が模倣しよう」とするときに手がかりとする事物ではないか。つまり 、抽象とは「谺するかたち」ではないだろうか。(田中純「谺するかたち ──岡崎乾二郎『抽象の力』、ダニエル・ヘラー=ローゼン『エコラリアス 』2018年)

遡求的に「谺する言語」と「谺するかたち」への認識に至ってゆく方法なんだろうが、人間の原体験はもともと「谺する言語」と「谺するかたち」だよ。前者は「母の言葉の永遠回帰」、後者は「ロスコとプロトパシー」にメモがある。

そもそも幼児が《視力が1.0になるには、3歳頃まで時間を要する》そうだからな(参照:寺師恵子「赤ちゃんの視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の不思議な発達!」)。

母の乳房だってロスコの作品のように見えてる筈さ、われわれの原感覚においてはね。




ーーすこし人は幼児化もしくは退行したら、最初の世界はこのようなものだとワカルハズだけどね・・・

で、なぜ原感覚ーー原初の視覚映像における「唯物論的」な「身体の出来事」--が「谺するかたち」であることに気づかないんだろ? たぶんやっぱり「精神の中流階級」のせいなんだろうよ、「精神の貴族階級」なんて言わなくとも、一度でもいいから「精神の下層階級」になったらーー蓮實重彦のいう「凡庸」から「愚鈍」に移行したらーーすぐ分かることなんだがな。

そう、たとえばフーコーのように。

じっと耳を傾けて、世界のあのつぶやきのほうへかがみこみ、けっして詩とならなかったあの多くのイマージュ、けっして覚醒状態の色調をおびなかったあの多くのファンタスムを知覚する努力をしなければならないだろう。(フーコー『狂気の歴史』)

そう、たとえばドゥルーズ が言うように。

われわれは、無理に contraints、強制されて forcés、時間の中でのみ真実を探求する。真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である 。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは、天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらくは創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密な圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともの、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「思考のイマージュ」の章


つまりはプルーストのように。

未知の表徴 signes inconnus(私が注意力を集中して、私の無意識を探索しながら、海底をしらべる潜水夫のように、手さぐりにゆき、ぶつかり、なでまわす、いわば浮彫状の表徴 signes en relief)、そんな未知の表徴をもった内的な書物といえば、それらの表徴を読みとることにかけては、誰も、どんな規定〔ルール〕も、私をたすけることができなかった、それらを読みとることは、どこまでも一種の創造的行為であった、その行為ではわれわれは誰にも代わってもらうことができない、いや協力してもらうことさえできないのである。

だから、いかに多くの人々が、そういう書物の執筆を思いとどまることだろう! そういう努力を避けるためなら、人はいかに多くの努力を惜しまないことだろう! ドレフェス事件であれ、今次の戦争であれ、事変はそのたびに、作家たちに、そのような書物を判読しないためのべつの口実を提供したのだった。彼ら作家たちは、正義の勝利を確証しようとしたり、国民の道徳的一致を強化しようとしたりして、文学のことを考える余裕をもっていないのだった。

しかし、それらは、口実にすぎなかった、ということは、彼らが才能〔ジェニー génie〕、すなわち本能をもっていなかったか、もはやもっていないかだった。なぜなら、本能は義務をうながすが、理知は義務を避けるための口実をもたらすからだ。ただ、口実は断じて芸術のなかにはいらないし、意図は芸術にかぞえられない、いかなるときも芸術家はおのれの本能に耳を傾けるべきであって、そのことが、芸術をもっとも現実的なもの réel、人生のもっとも厳粛な学校、そしてもっとも正しい最後の審判たらしめるのだ。そのような書物こそ、すべての書物のなかで、判読するのにもっとも骨の折れる書物である、と同時にまた、現実réalité がわれわれにうながした唯一の書物であり、現実 réalité そのものによってわれわれのなかに「印刷=印象 l'impression」された唯一の書物である。

人生がわれわれのなかに残した思想が何に関するものであろうとも、その思想の具体的形象、すなわちその思想がわれわれのなかに生んだ印象の痕跡は、なんといってもその思想がふくむ真理の必然性を保証するしるしである。単なる理知のみのよって形づくられる思想は、論理的な真実、可能な真実しかもたない、そのような思想の選択は任意にやれる。われわれの文字で跡づけられるのではなくて、象形的な文字であらわされた書物、それこそがわれわれの唯一の書物である。といっても、われわれが形成する諸般の思想が、論理的に正しくない、というのではなくて、それらが真実であるかどうかをわれわれは知らない、というのだ。

印象だけが、たとえその印象の材料がどんなにみすぼらしくても、またその印象の痕跡 trace がどんなにとらえにくくても、真実の基準となるのであって、そのために、印象こそは、精神によって把握される価値をもつ唯一のものなのだ、ということはまた、印象からそうした真実をひきだす力が精神にあるとすれば、印象こそ、そうした精神を一段と大きな完成にみちびき、それに純粋のよろこび pure joie をあたえうる唯一のものなのである。

作家にとっての印象は、科学者にとっての実験のようなものだ、ただし、つぎのような相違はある、すなわち、科学者にあっては理知のはたらきが先立ち、作家にあってはそれがあとにくる。われわれが個人の努力で判読し、あきらかにする必要のなかったもの、われわれよりも以前にあきらかであったものは、われわれのやるべきことではない。われわれ自身から出てくるものといえば、われわれのなかにあって他人は知らない暗所 l'obscurité qui est en nous et que ne connaissent pas les autres から、われわれがひっぱりだすものしかないのだ。(プルースト「見出された時」)


というわけだが、岡崎乾二郎の「抽象の力」ーー豊田美術館ーーのとってもかっこいいフライヤーについて書こうとしたんだけど、ま、やめとくよ。これは「批評としては」まったく悪くない、とシロウトのぼくは感じているだけだから、たいしたことが言えるわけではない。





ボクがなにやら記すより、プルーストでも貼り付けておくほうが、よっぽどためになるからな。

【批評の遊戯】
・昔から、一つの作品が完全に理解され勝利を博するころには、まだ無名の、べつの作家の作品が、一段と気むずかしい何人かの知識人のまわりに、新しい礼讃をまきおこしはじめ、やがて強い威力をほとんど失ってしまった有名作家にとってかわらなかったためしはめったにない。

・私は知っていた、――あまりにも長期にわたってかがやかしい名声を博していたものを闇に投じたり、決定的に世に埋もれるように運命づけられたかと思われたものをその闇からひきだしたりする批評の遊戯なるものは、諸世紀の長い連続のなかで、単にある作品と他の作品とのあいだにのみおこなわれるものではなく、おなじ一つの作品においてさえもおこなわれるものであることを。(……)天才たちがあきられたというのも、単に有閑知識人たちがそれらの天才たちにあきてしまったからにすぎないのであって、有閑知識人というものは、神経衰弱症患者がつねにあきやすく気がかわりやすいのに似ているのである。(『ゲルトマントのほうⅡ』)


【株の値上がり】
……証券取引所で一部の値あがりの動きが起きると、その株をもっているグループの全体がそれによって利益を受けるように、これまで無視されていた何人かの作曲家たちが、この反動の恩恵を受けるのであった、それは彼らがそのような無視に値しなかったからでもあるし、また単にーーそんな彼らを激賞することが新しいといえるのであればーーただ彼らがそのような無視を受けたからでもあった。

さらにまた人々は、孤立した過去のなかに、何人かの不羈独立の才能を求めにさえ行くのであった、現在の芸術運動がそれらの才能の声価に影響しているはずはないように思われたのに、新しい巨匠の一人が熱心に過去のその才能ある人の名を挙げるといわれていたからであった。それはつまり、一般に、誰でもいい、どんな排他的な流派であってもいい、ある巨匠が、彼独自の感情から判断し、自分の現在の立場を問わずにどこにでも才能を認めるということ、また才能とまでは行かなくても、彼の青春の最愛のひとときにむすびつくような、彼がかつてたのしんだ、ある快い霊感といったものを認めるということ、しばしばそういうことによるのであった。(プルースト 「ソドムとゴモラⅠ」)


【自分でやりたかったと思ったことを過去の作品に見出す】
またあるときは、自分でやりたかったと思ったことにあとでその巨匠が次第に気づくようになった、そんな仕事に似た何かを、べつの時代のある芸術家たちが、何気ない小品のなかですでに実現していた、ということにもよるのである。そんなとき、その巨匠は、古い人のなかに先覚者を見るのであって、巨匠は、べつの形による一つの努力、一時的、部分的に自分と一心同体の関係にある努力を、古い人のなかで愛するのである。

プッサンの作品のなかにはターナーのいくつかの部分があるし、モンテスキューのなかにはフローベールの一句がある。そしてときにはまた、その巨匠の好みが誰それであるといううわさは、どこから出たとも知れずその流派のなかにつたえられた一つのまちがいから生まれたのだ。しかし、挙げられた名がたまたまその流派の商号とちょうどうまくだきあわされてその恩恵を受けることができたのは、巨匠の選択には、まだいくらかの自由意志があり、もっともらしい趣味もあったのに、流派となると、そのほうはもう理論一辺倒に走るからなのである。

そのようにして、あるときはある方向に、つぎには反対の方向に傾きながら、脱線しそうになって進むというそんな通例のコースをたどることによって、時代の精神は、いくつかの作品の上に天来の光を回復させたのであって、そうした諸作品にショパンの作品が加えられたのも、正当な認識への欲求、または復活への欲求、またはドビュッシーの好み、または彼の気まぐれ、またはおそらく彼が語ったのではなかった話によるのである。人々が全面的に信頼感を抱いていた正しい審判者たちによって激賞され、『ペレアス』がひきおこした賞賛によって恩恵を受けながら、ショパンの作品は、ふたたび新しいかがやきを見出したのであった、そして、それをききなおさないでいた人たちまでが、どうしてもそれを好きになりたくなり、自分の自由意志かれではなかったのに、そうであったような幻想にとらえられて、それを好きになるのであった。(プルースト 「ソドムとゴモラⅠ」)

以上、『抽象の力』を読んでいない者が記した衝動的「印象批評」でした。みなさん、けっしてマネをしないでください!

⋯⋯⋯⋯

※付記

岡崎乾二郎が美術展フライヤーで《物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける》とか、『抽象の力』冒頭で《人が感覚を超えて把握し認識している対象のリアルかつ確実な姿》とか言っているのは、ボクの憶測と、この半年ぐらい、ラカンのボロメオ結びのヴァリエーションとして使っているスキーマで言えば、∅の箇所(身体の出来事、あるいはリビドー固着、表象代理)に相当するんじゃないかな。



(モノ、自我、言語の円は、ラカン用語では、それぞれ現実界、想像界、象徴界)

ようするに多くの芸術作品、あるいは今までの鑑賞法は、モノから時計の針と反対まわり(⤴)で自我まで来ていたけれど(言語的、物語的、フェティッシュ的に)、抽象芸術の本質は、モノから「身体の出来事」をとおして直接、自我に来るもの、その鑑賞を促すものとしているんじゃないか(いま、岡崎乾二郎の『抽象の力』を読んでいない人間としてテキトウに言っていることを念押ししておくけど)。

∅(身体の出来事)とは、ラカン=フロイトの表象代理 Vorstellungsrepräsentanz だ。

世界が表象 représentation(vótellung)になる前に、その代理représentant(Repräsentanz)ーー私が意味するのは表象代理 le représentant de la représentationであるーーが現れる。 (ラカン, S13, 27 Avril 1966)

これはニーチェ図式でも相同的(参照





2017年9月8日金曜日

音楽日記:大江光と坂本龍一

以下、大江健三郎、大江光、浅田彰、坂本龍一をめぐって記すが、この四者になんらかの文句をつけるつもりはない。それどころか、それぞれ敬意を表したい四人である。

浅田)大江健三郎は、文学には言葉の壁があるのに対し、息子の音楽は世界中の人に即座に伝わるって言うんだけれど、それは逆でしょう。

柄谷)音楽はまた別の言語であって、評価はもっと厳しいよ。

浅田)音楽の中でみれば、あれはハンディキャップを背負ったアマチュアの心温まる達成ではあるけれど……。

柄谷)しかし、プロの作品ではない。

坂本)評価できない。

浅田)その点、大江健三郎の小説は、どんな翻訳であれ、普遍性をもった本物の作品だよ。

柄谷)本人がそう思うべきだ(笑)。

坂本)本人は痛いほどわかっているはずだけど。

浅田)でも、そういうことがわからずに、徹底してずれているのが、大江健三郎の才能かもしれない。……

(「「悪い年」を超えて」坂本龍一 浅田彰 柄谷行人 座談会 『批評空間』1996Ⅱ-9)

わたくしはラジオから流れてきた聴いた以外で、大江光の作品を聴いたのは、テレビで一度だけある(テレビからも流れてきてほかにも聴いたことはあるかもしれないが、いまはそう記しておく)。

それは、大江光のチェロとピアノのための「お話-A Talk」であり、マルタ・アルゲリッチとロストロポーヴィチの共演(1995年の小澤征爾のバースデイ・コンサート)にて聴いた。そして「惚れ惚れ」した。この小澤の還暦祝いのコンサートはビデオに録画して何度もくり返して鑑賞したのでとても印象に残っているが、いまはビデオが劣化してしまって観ることはできない。

この「お話-A Talk」という作品は、ネット上を探しても見当たらない。

いまは別の作品を貼付しておく。

◆大江 光 هيكاري اوية Hikari Oe


ーー美しいが、シンプルすぎる。血がにじんでいない、ということは言えるかもしれないが、アルゲリッチやロストロポーヴィチのような至高の息づかいをもつ演奏家が演奏すれば、ひどく美しくきこえてくる、ということはありうると思う。

粗悪な音楽を嫌悪したまえ、しかし侮ることなかれ。いい音楽以上にうまく演奏したり歌つたりすれば、音楽は徐々に夢と人の涙で満たされる。(……)粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ。(プルース『ジャン・サントゥイユ』「粗悪音楽礼賛」)

いやいやけっして粗悪な音楽であるなどというつもりはない。だがアルゲリッチとロストロポーヴィチの共演で聴いた大江光はかぎりなく美しかった、ということがいいたいだけである。

ところで、大江光の作品は、坂本龍一のたとえば次のような作品とどう違うんだろうか?

◆Ryuichi Sakamoto-Energy Flow




わたくしにはあまり変わりばえのしない印象をうけるが、これはわたくしの音楽の基礎的素養のなさのせいかもしれない。

…………

大江健三郎は「小説」である『取り替え子』にて、次のように記している。

アカリさんのCDは、それが美しいと口にする必要もないことだが、と一種の欠語法を用いて主題を示してからーーいま考えてみると、CDの評価について言質をとられぬように、という慎重さだったのかも知れないーー、最近ニューヨークに本拠を置く日本人の作曲家兼俳優が、ポリティカル・コレクトネスで知的障害者の音楽を押し通されちゃたまらない、と最先端の文化英雄相手に話していたが、とさらにも含みのありそうな言い方をするのだ。(大江健三郎『取り替え子』2000)

そして浅田彰は『取り替え子』の書評で次のように記している。

……私はそのとき坂本龍一と話したこと(重い障害をもつ子どもを立派な大人にまで育て上げたことはパーソナルには素晴らしいことで感嘆に値するものの、そのこととアーティスティックな評価は別であり、大江光の音楽はあきらかに大江健三郎の文学のような普遍性を持たない)をまったく撤回する気はないが、それに対する大江健三郎の怒りを理解し、尊敬しさえする。驚くべきことは、時として正当な、だが時として被害妄想に傾く場合もある、いずれにせよ個人的なレヴェルでの生々しい怒りと悲しみから出発しながら、この小説が見事な普遍性をもった作品として立ち上がってくることだ。(浅田彰【大江健三郎「取り替え子」】

わたくしは『取り替え子』とともに、大江健三郎の『燃え上がる緑の木』三部作を好んで読むが、今読み返すと、たとえば次のような記述はやや傷になっているという感がしないでもない。

テーブルに挨拶に来て、悪天候を自分の落ち度のように嘆いた女主人が、テーブルのDATに眼をつけて、このホテルを常宿にするマエストロたちがーーそこには泉さんの離婚した夫である名高い日本人指揮者もふくまれていて、かれのネームプレートをつけた椅子が食堂にあったーーこぞって日本の録音機を評価している、と話した。そこで思い立ったように、女主人がフロントから持って来たのが、ヒカリさんのCD!

もともと、総領事に当のHotel Kobenzlを紹介したのがK伯父さんなのである。一昨年、ヒカリさんが永らく作曲してきた小さな曲を集めて、ピアノとフルートのCDが出ていた。それを記念して、ちょうど一年前、K伯父さんの一家はザルツブルグに旅行し、このホテルに滞在した。たまたまヒカリさんの誕生日を祝うファックスが絵入りで届き、それを見た女主人がお祝いの贈り物をくれた。お返しに手渡したCDを聴いて彼女は感動した。

女主人はそのいきさつを総領事に語り、――私ハ小サナほてる経営者ノ娘ニ生マレタガ、コノ伝統アルほてるノ一族ノ夫ト結婚シ、子供タチヲ後継者ニ育テアゲモシタ。ソレハ父ノぽじてぃう゛ナ生キ方ヲスルヨウニ、トイウ教エニシタガッテノコトダッタ。アノ障害ヲ持ッタ青年トソノ両親ヲ見テ、マタソノ音楽ヲ聴イテ、ソレコソぽじてぃう゛ナ生キ方ヲ伐リ拓イテイルト共感シタ、と話した。(『燃え上がる緑の木』第二部、PP195-196)

いやひょっとしてこれが神や魂のことをめぐって書き綴られるこの小説の「裂目」として効果を生んでいるのかもしれないとは疑うべきかもしれない。

私は、この国で恩寵という言葉の通俗的な使われ方に、疑問を持ってきたんだよ。(……)

身近なだけ、気になる例をあげればね、このところザッカリーがよく弾いている、ヒカリさんのピアノ曲集に、自費出版ということで気軽だったのか、K伯父さんがこういいうことを書いているだろう? 《僕は信仰を持たない人間ですが、恩寵ということを音楽に見出すといわずにはいられません。この言葉を、品の良さ(グレイス)とも美質(グレイス)とも、感謝の祈り(グレイス)ともとらえたい思いで、僕はヒカリの音楽とその背後にある現世の自分たちを超えたものに耳を澄ませているのです。》

私が厭なのは、K伯父さんの言葉遊びのような展開なんだね。実体を摑めないでいて、言葉で手探りするだけで、どの程度深いことが表現できるんだろう? それも恩寵というような大きい課題について。

ーーK伯父さんは言葉を書くことで生きている人なんだから、言葉をつうじて手探りするのはむしろ自然なんじゃないの? 私はこれを読んで、ヒカリさんの音楽には確かに恩寵があると了解したわ。

――もし、ヒカリさんの音楽に恩寵があるとすれば、とギー兄さんは、すでによく考えていることを示して固執した。それが意味しているのは、ヒカリさんが神によって創られたことと、ヒカリさんが神を知っていることのふたつでなければならないよ。ところがね、K伯父さんはそのことも、やはり信仰の外側から憶測するだけじゃないだろうか?

K伯父さんがCD発売についてヒカリさんと一緒に新聞写真に写っているのは恥かしいとか、花田が攻撃する。そのやられ方について、私もK伯父さんは災難だと思うよ。しかし、ヒカリさんの精神的な遅れが、K伯父さんに自分と神との関係について突きつめることをさせないで、猶予期間をあたえてきたということは、やはりあると思うよ。(同上、PP.291-291)



2017年3月29日水曜日

「父の溶解霧散」後の「文化共同体病理学」

あらゆる堅牢なものが溶けて霧散し、あらゆる聖なるものが世俗のものとなり、人はついには自分たちのほんとうの生活状態および仲間との関係に、醒めた感覚で直面せざるをえなくなる。(マルクス・エンゲルス『共産党宣言』)

《あらゆる堅牢なものが溶けて霧散する》とは、仏訳では《Tout ce qui paraissait solide et fixe s'évapore》である。ラカンが1968年の学園紛争のおりに言い放った《évaporation du père》 とは、この仏訳のパクリらしい。訳して「父の溶解霧散」とでもしておく。

…………

フロイトは『文化の中の居心地の悪さ』(旧訳名『文化への不満』1930年)の結論箇所で、「文化共同体病理学」のすすめを叙述している。

……文化発展のさまざまな相の中に超自我の役割を探ろうとするこの観察方法は、まだまだ数多くの解明をあたえてくれそうに思われる。

私は(……)一つの疑問だけはどうしても避けて通ることができない。文化の発展と個々の人間の発展のあいだにこれほど広範囲な類似が見られるとすれば、文化ないし文化時期の中のあるもの、場合によっては全人類が、文化努力の影響によって「神経症」になっていると診断してもよいのではないかという疑問である。

もしそうだとすると、文化ないし全人類にかかわるこの神経症を精神分析の手段を使って詳細に分析した上は、その治療方法についての提案も出てきてよいわけで、そうなれば、実際問題として大きな関心の的になるにちがいない。精神分析の対象を文化共同体 Kulturgemeinschaft にまで押し広げようとするこうした試みが馬鹿げたことないし失敗するにきまったことであるかどうかは、断定の限りではあるまい。けれども、もしそうした試みをするとすれば、非常に慎重な態度が必要だろう。

われわれは、文化の発展と個々人の人間の発展とはいくつかの点で類似しているだけで同一ではないこと、および、人間の場合だけではなく、概念 Begriffen の場合にも、それが発展してきた場所から引き抜いて他の場所へ移すことが危険なことを忘れてはなるまい。

それに共同体神経症 Gemeinschaftsneurosen の診断には独特の困難がつきまとう。つまり、個人神経症の場合には、病人とそのいわゆる「正常な」周囲との対比が、診断にとってのさしあたりの手がかりになりうる。ところが、集団全体が同様に侵されている場合には、対比の対象となるこうした背景がないわけで、どこか別のところからそうしたものを探してくる必要があるだろう。

それに、診断がきまりそれを治療に応用する件に関して言えば、社会全体の神経症 sozialen Neurose がどれほど正確に分析されたとしても、その集団に無理にでも治療を押しつけるだけの権力を持った者は誰もいないのだから、結局はそれも無駄ではないのか。

これらのさまざまの困難があるにもかかわらず、われわれとしては、いつの日か、この種の文化共同体病理学 Pathologie der kulturellen Gemeinschaften という冒険をあえて試みる人が現われることを期待せずにはいられない。

(……)私の見るところ、人類の宿命的課題は、人間の攻撃欲動ならびに自己破壊欲動Aggressions- und Selbstvernichtungstrieb による共同生活の妨害を文化の発展によって抑えうるか、またどの程度まで抑えうるかだと思われる。この点、現代という時代こそは特別興味のある時代であろう。いまや人類は、自然力の征服の点で大きな進歩をとげ、自然力の助けを借りればたがいに最後の一人まで殺し合うことが容易である。現代人の焦燥・不幸・不安のかなりの部分は、われわれがこのことを知っていることから生じている。そしてわれわれの期待は、「天上の二つの力 himmlischen Mächte」のいま一方である永遠のエロスが、自分と同じく不死身であるこの相手との戦いに負けないよう一所懸命に頑張ってくれることにかかっている。(フロイト『文化の中の居心地の悪さ』、1930年)

上の文でフロイトは、「共同体神経症」や「社会全体の神経症」という言葉を出しているが、これは一般的にラカンのいう「主人の言説(支配の言説)」の時代の病理である。

他方、ラカンは1968年の学園紛争後、「主人の言説」から「資本家の言説」への移行を語っている(参照)。

日本でも中井久夫が次のように言っている。

中井)確かに1970年代を契機に何かが変わった。では、何が変わったのか。簡単に言ってしまうと、自罰的から他罰的、葛藤の内省から行動化、良心(あるいは超自我)から自己コントロール、responsibility(自己責任)からaccountability〔説明責任〕への重点の移行ではないか。(批評空間2001Ⅲ-1 「共同討議」トラウマと解離(斎藤環/中井久夫/浅田彰)

ここでの中井久夫の「超自我」とはラカンの主人S1である。ようするに1970年前後から「父なき」時代に入ったのである。それがいっそう鮮明になるのは、1989年の冷戦終結後だが。

社会構造が異なれば、社会の病理も異なる。「文化共同体病理学」を念頭に置くとき、そのことを忘れてはならないだろう。これはマルクスの教えでもある。

個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。(マルクス『資本論序文』)

…………

ところでフロイトにはーーほとんど忘れられているがーー「現勢神経症」と「精神神経症」の区分がある。上にも記したが、フロイトの『文化の中の居心地さ』に現れる「共同体神経症」や「社会全体の神経症」の「神経症」とは、その文脈からみるに「精神神経症」のことを示している。だが超自我≒自我理想(精神神経症にかかわる)の斜陽時代である現代は、現勢神経症をもふくめて考える必要がある。

以下、まずフロイトの精神神経症/現勢神経症の記述をいくらか抜き出そう。

現勢神経症 Aktualneurose の症状は、しばしば、精神神経症 psychoneurose の症状の核であり、そして最初の段階である。(フロイト『精神分析入門』1916-1917)
精神神経症と現勢神経症は、互いに排他的なものとは見なされえない。(……)精神神経症は現勢神経症なしではほとんど出現しない。しかし「後者は前者なしで現れるうる」。(フロイト『自己を語る』1925)
……もっとも早期のものと思われる抑圧(原抑圧 :引用者)は 、すべての後期の抑圧と同様、エス内の個々の過程にたいする自我の不安が動機になっている。われわれはここでもまた、充分な根拠にもとづいて、エス内に起こる二つの場合を区別する。一つは自我にとって危険な状況をひき起こして、その制止のために自我が不安の信号をあげさせるようにさせる場合であり、他はエスの内に出産外傷 Geburtstrauma と同じ状況がおこって、この状況で自動的に不安反応の現われる場合である。第二の場合は根元的な当初の危険状況に該当し、第一の場合は第二の場合からのちにみちびかれた不安の条件であるが、これを指摘することによって、両方を近づけることができるだろう。また、実際に現れる病気についていえば、第二の場合は現勢神経症 Aktualneurose の原因として現われ、第一の場合は精神神経症 Psychoneurose に特徴的である。

(……)外傷性戦争神経症という名称はいろいろな障害をふくんでいるが、それを分析してみれば、おそらくその一部分は現勢神経症の性質をわけもっているだろう。(フロイト『制止、症状、不安』1926ーーフロイト引用集、あるいはラカンのサントーム

最後の『制止、症状、不安』にて、フロイトは抑圧/原抑圧を、精神神経症/現勢神経症の区分としている。

21世紀に入る前後に、ジャック=アラン・ミレールは、《20世紀の神経症の時代からふつうの精神病の時代へ》(ミレール)と言っているが、ミレールのいう神経症とは「精神神経症」のことであり、他方「ふつうの精神病」は「現勢神経症」とほぼ等価である。

ほぼ等価とは、たとえば次のように言われていることが示している。

この10年のあいだに、ラカンの精神病概念理論化をめぐる二つの重要な発展があった。ポール・バーハウの「現勢神経症」とジャック=アラン・ミレールの「ふつうの精神病」である。(Contemporary perspectives on Lacanian theories of psychosis, Jonathan D. Redmond, 2013、PDF

ーー臨床的には若干異なるところはあるようだが、ここではそれに触れることはしない。

さて、主人の言説から資本家の言説への移行とは、おおむね、抑圧の時代から原抑圧の時代への移行といってよい。

危機 la crise は、主人の言説 discours du maître というわけではない。そうではなく、資本の言説 discours capitalisteである。それは、主人の言説の代替 substitut であり、今、開かれている ouverte。

私は、あなた方に言うつもりは全くない、資本の言説は醜悪だ le discours capitaliste ce soit moche と。反対に、狂気じみてクレーバーな follement astucieux 何かだ。そうではないだろうか?

カシコイ。だが、破滅 crevaison に結びついている。

結局、資本の言説とは、言説として最も賢いものだ。それにもかかわらず、破滅に結びついている。この言説は、支えがない intenable。支えがない何ものの中にある…私はあなた方に説明しよう…

資本家の言説はこれだ(黒板の上の図を指し示す)。ちょっとした転倒だ、そうシンプルにS1 と $ とのあいだの。 $…それは主体だ…。それはルーレットのように作用する ça marche comme sur des roulettes。こんなにスムースに動くものはない。だが事実はあまりにはやく動く。自分自身を消費する。とても巧みに、ウロボロスのように貪り食う ça se consomme, ça se consomme si bien que ça se consume。さあ、あなた方はその上に乗った…資本の言説の掌の上に…vous êtes embarqués… vous êtes embarqués…(ラカン、Conférence à l'université de Milan, le 12 mai 1972、私訳)



このルーレットのように作用する資本家の言説は、主人の言説の「拘束」がない「一次過程」の自由に流動するエネルギーにかかわり、一次過程とは原抑圧と相同的である(参照:「父の名/母の欲望」→「S1/S(Ⱥ)」 、「I(Ⱥ)/S(Ⱥ)」

心的装置の最初の、そしてもっとも重要な機能として、侵入する欲動興奮 anlangenden Triebregungen を「拘束 binden」すること、それを支配する一次過程 Primärvorgang を二次過程 Sekundärvorgang に置き換えること、その自由に流動する備給エネルギー frei bewegliche Besetzungsenergie をもっぱら静的な(強直性の)備給 ruhende (tonische) Besetzung に変化させることを我々は認めた。(フロイト『快原理の彼岸』最終章、1920年)

事実、現在ラカン派では次のようなことが言われている。

資本家の言説は、「一般化された倒錯」の用語で叙述しうる。(ANDREA MURA. 2015, Lacan and Debt: The Discourse of the Capitalist in Times of Austerity, PDF)
臨床的観点からは、主人の言説から資本家への言説は、現代的精神病理の中の、ある変貌において証拠づけられている。このいわゆる現代的症状については、ラカン派のあいだで数多くの議論がなされている(例えば Miller, 1993; Loose, 2002; Verhaeghe, 2004, 2014; Voruz and Wolf, 2007; Goldman-Baldwin et al., 2011; Redmond, 2013)。

この現代的症状は、依存症、パニック障害、境界例等を含むものだが、解読されるべき隠喩的構築物ではなく、圧倒的な剰余享楽(すなわち心的に破壊的影響をもたらす身体上の緊張)に直面した主体の表出あるいは反応として捉えられている。言い換えれば、これらの症状は、もはや本質的には他者との関係における相剋や不可能性を反映しているのではなく、根本的「非関係non-rapport」との遭遇への反応における危機である。(Capitalist Discourse, Subjectivity and Lacanian Psychoanalysis Stijn Vanheule、2016、PDF
…これは我々に「原 Ur」の時代、フロイトの「原抑圧 Urverdrängung」の時代をもたらす。Anne Lysy は、ミレールがなした原初の「身体の出来事 un événement de corps」とフロイトが「固着 Fixierung」と呼ぶものとの連携を繰り返し強調している。フロイトにとって固着は抑圧の根(欲動の根Triebwurzel)である。それはトラウマの記銘ーー心理装置における過剰なエネルギーの(刻印の)瞬間--である。この原トラウマは、どんな内容も欠けた純粋に経済的瞬間なのである。(Report on the Preparatory Seminar Towards the 10th NLS Congress "Reading a Symptom"Tel Aviv, 27 January, 2012

…………

上に、現在は抑圧の時代から原抑圧の時代に移行しているとしたが、原抑圧の時代といっても、欧米基準の話であり、日本はもともと超自我という「父」など機能していなかった社会(もともと原抑圧の社会)だったという捉え方がある。

とすれば、日本人は元来「精神神経症」的ではなく「現勢神経症」的な民だったとすることさえできる。もっともここでの現勢神経症はフロイト自身の定義よりもやや広義の意味で使用している、つまり精神病的なものだけではなく倒錯も含めている。[参照]。

(Adam Phillips,2014)



つまり、上の図に則れば、倒錯より左側の症状すべてが「現勢神経症」という捉え方をしている。これはポール・バーハウの観点であり、彼は「現勢病理」と呼んでいる。標準的な言葉遣いをすれば、精神神経症/現勢神経症とは、エディプス的病理/前エディプス的病理であり、ラカン語を使えば、象徴界病理/現実界病理としてもよいかもしれない。

「標準的な言葉遣い」というのは次の文がよく表している。

今、エディプス期以後の精神分析学には誤謬はあっても秘密はない。精神分析学はすでに一九一〇年代から、特にハンガリー学派が成人言語以前の時期に挑戦し、そして今も苦闘している。ハンガリー学派の系譜を継ぐウィニコット、メラニー・クライン、バリントの英国対象関係論も、サリヴァンあるいはその後を継ぐ米国の境界例治療者たちも、フランスのかのラカンも例外ではない。

この領域の研究と実践とには、多くの人が臨床の現場でしているような、成人言語以前の世界を成人言語に引き上げようとすること自体に無理があるので、クラインのように一種の幼児語を人造するか、ウィニコットのように重要なことは語っても書かないか、ラカンのようにシュルレアリスムの文体と称する晦渋な言語で語ったり高等数学らしきものを援用するかのいずれかになってしまうのであろう。(中井久夫「詩を訳すまで」『アリアドネからの糸』所収)

もう一つ、日本では「超自我」(父なる超自我)など機能していなかったとは、これも中井久夫の観点である。

かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。その分、母親もいくぶん超自我的であった。財政を握っている日本の母親は、生活費だけを父親から貰う最近までの欧米の母親よりも社会的存在であったと私は思う。現在も、欧米の女性が働く理由の第一は夫からの経済的自立――「自分の財布を持ちたい」ということであるらしい。

明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになるーーそういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003 『時のしずく』2005所収)

日本の環境で、「文化共同体病理学」を試みるとき、欠かせないのが厄介な中井久夫のいう「疑似一神教」から象徴天皇制への移行もふくめた「天皇制」の機能であるだろう。

たとえば、浅田彰は1980年代にすでに次のように言っている。

公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェルで構成される共感の共同体。......それ はむしろ、われわれを柔らかく、しかし抗しがたい力で束縛する不可視の牢獄と化している。(浅田彰「むずかしい批評」1988年)

「共感の共同体」とは、丸山昌男の「無責任の体系」と直結しており、そして丸山が無責任の体系の起源を「天皇制」としたのはよく知られている。

浅田彰は「前言語的(イマジナリー)」、「母性的なレヴェル」という表現をしているが、現在のラカン派観点からはイマジネールとリアルとの間にあるS(Ⱥ)の病理のことと捉えうる。



ーーこのボロメオの環の変更版の意味合いについては、「三種類の穴埋め師:S(Ⱥ)- I(Ⱥ) - F(Ⱥ)」を参照のこと。

浅田彰の「母性的なもの」という表現は次の図が表している。

(参照:二種類の超自我と原抑圧


たとえばジャック=アラン・ミレールは次のように言っている。

「父の名 Nom-du-Père」は「母の欲望 Désir de la Mère」の上に課されなければならない。その条件においてのみ、身体の享楽 jouissance du corps は飼い馴らされ、主体は、他の諸主体と共有された現実の経験に従いうる。(JACQUES-ALAIN MILLER L’Autre sans Autre,2013)

ミレール曰く、母の欲望は、 S(Ⱥ)とほぼ等価であり、その S(Ⱥ)の上にS1が課されなければならない。そうでないと身体の享楽(欲動興奮)は飼い馴らされないままである

市場原理主義(新自由主義)とは、(ラカン派的には)資本の欲動が放し飼いになっている時代だという意味である。

これは浅田彰の表現なら、オブラートが溶けてしまった、えげつない資本の素顔の時代ということである。

・歴代の経団連会長は、一応、資本の利害を国益っていうオブラートに包んで表現してきた。ところが米倉は資本の利害を剥き出しで突きつけてくる……

・野田と米倉を並べて見ただけで、民主主義という仮面がいかに薄っぺらいもので、資本主義という素顔がいかにえげつないものかが透けて見えてくる。(浅田彰『憂国呆談』2012.8より)

民主主義というイデオロギーの仮面も機能しない、ともあるが、柄谷行人の表現なら、ヘゲモニーの衰退による弱肉強食の社会ダーウィニズムの時代である。

「帝国主義的」とは、ヘゲモニー国家が衰退したが、それにとって代わるものがなく、次期のヘゲモニー国家を目指して、熾烈な競争をする時代である。一九九〇年以後はそのような時代である。いわゆる「新自由主義」は、アメリカがヘゲモニー国家として「自由主義的」であった時代(冷戦時代)が終わって、「帝国主義的」となったときに出てきた経済政策である。「帝国主義」時代のイデオロギーは、弱肉強食の社会ダーウィニズムであったが、「新自由主義」も同様である。事実、勝ち組・負け組、自己責任といった言葉が臆面もなく使われたのだから。しかし、アメリカの没落に応じて、ヨーロッパ共同体をはじめ、中国・インドなど広域国家(帝国)が各地に形成されるにいたった。(柄谷行人 第四回長池講義 要綱

最後に初期岩井克人の資本の論理(資本の欲動)の定義を掲げておこう。

資本主義ーーそれは、資本の無限の増殖をその目的とし、利潤のたえざる獲得を追及していく経済機構の別名である。利潤は差異から生まれる。利潤とは、ふたつの価値体系のあいだにある差異を資本が媒介することによって生み出されるものである。それは、すでに見たように、商業資本主義、産業資本主義、ポスト産業主義と、具体的にメカニズムには差異があっても、差異を媒介するというその基本原理にかんしては何の差異も存在しない。(岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』1985)

これこそラカンのいう資本の言説ーー《ルーレットように作用する。こんなにスムースに動くものはない。だが事実は、あまりにはやく動く。/自分自身を消費する。とても巧みに、ウロボロスのように貪り食う》ーーである。




2016年9月22日木曜日

地球における最悪の病原菌

地球から見れば、ヒトは病原菌であろう。しかし、この新参者はますます病原菌らしくなってゆくところが他と違う。お金でも物でも爆発的に増やす傾向がますます強まる。(中井久夫「ヒトの歴史と格差社会」2006.6初出『日時計の影』所収)



地球にとってもっともよいのは、三分の二の人間が死ぬような仕組みをゆっくりとつくることではないだろうか。 (ジジェク『ジジェク、革命を語る』2013)

わたくしはおおむね「科学者」という種族をあまり好まなかったのだがーーさらにいっそう福島原発災害のときのツイッターでの「理系専門家」の木瓜の華の百花繚乱ぶりにあきれ果てたーー、最近は、彼らは実のところ近未来、地球に最も貢献する種族かもしれないと思い返すようになり、いままでの蔑視に忸怩たる思いを抱いている。

ラカンは、芸術=ヒステリー、宗教=強迫神経症、科学=パラノイアとして、人間の昇華形式の三様式[…l'hystérie, de la névrose obsessionnelle et de la paranoïa, de ces trois termes de sublimation : l'art, la religion et la science(Lacan,S.7)]と言っているが、次の文はたぶんそれにかかわるはずだ。

1、科学は、象徴界内部で形式化されえないどんなリアルもないという仮定に基づいている。すべての「モノ das Ding 」は徴示化 signifying 審級に属するか翻訳されるという仮定である。言い換えれば、科学にとって、モノは存在しない。モノの蜃気楼は我々の知の(一時的かつ経験上の)不足の結果である。ここでのリアルの地位は、内在的であるというだけではなく手の届くもの(原則として)である。しかしながら注意しなければならないことは、科学がモノの領野から可能なかぎり遠くにあるように見えてさえ、科学はときにモノ自体(破局に直に導きうる「抑え難い」盲目の欲動)を体現するようになる。…

2、宗教は、リアルは根源的に超越的な・〈大他者〉の・排除されたものという仮定に基づいている。リアルは、不可能で禁じられており、超越的で手の届かないものである。

3、芸術は、リアルは内在的で手かないものという想定に基づいている。リアルは、表象に常に「突き刺さっている」、表象の他の側あるいは裏側に、である。裏側は、定められた空間に常に内在的でありながら、また常に手が届かない。どの動きも二つの物を創造する。目に見えるもの/見えないもの、聞こえるもの/聞こえないもの、イメージ可能なもの/不可能なもの。このように、芸術は常に境界と戯れる。境界を創造・移動・越境する。境界の彼方に「ヒーローたち」を送り込むのだ。しかしまた、鑑賞者を境界の「正しい」側に保つ。(ジュパンチッチ、Alenka Zupančič、The Splendor of Creation: Kant, Nietzsche, Lacan、PDF)

いささか図式的すぎる説明であるにもかかわらず、科学の時代ーーエビデンス主義などということがまことしやかに語られる時代ーーの現在においては、豊かな示唆をもっている。

いやわたくしはエビデンス主義というものの実態をよく知らないのだが、たとえば「科学史家」トーマス・クーンの半世紀ほど前の指摘をどうやって処理しているのだろう?

T.S.クーンは、観察そのものが「理論」に依存していること、理論の優劣をはから客観的基準としての「純粋無垢なデータ」が存在しないことを主張する。つまり、経験的なデータが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわり認識論的パラダイムで見出される、とする。(柄谷行人『隠喩としての建築』)

ジュパンチッチの文に戻れば、《科学はときにモノ自体(破局に直に導きうる「抑え難い」盲目の欲動)を体現するようになる》とは、ハイデガーやラカンの「科学と真理」論文などに依拠する考え方である。

はじめて意志が、全面的に技術のうちに整備されて、大地を力づくで疲弊させ、濫用しつくし、人工のものに変えてしまうのである。技術は大地を、それにとって〈可能なもの〉という元来の圏域を超えて、もはや〈可能なもの〉ではなく、したがって〈不可能なもの〉であるようなものへと強いる。(ハイデガー『技術への問い』)

これらは現在なら、まずは環境汚染、原子力開発、あるいは遺伝子工学やクローン技術などを想起すればよいだろう。

このような「無頭の」知の範例的ケースは、(死の)欲動の「盲目的執拗性」を例証している現代科学によって提供されているのではないだろうか?

現代科学(微生物学や遺伝子操作や粒子物理学)はコストを度外視してその道を歩んでいる――満足はここで知それ自体によって提供されており、科学的知はいかなる倫理や公共の目的にも奉仕していない。遺伝子操作や医学実験などについての適正な運営のルールを定めようとしている「倫理委員会」が近頃増えつつあるが、それらのすべての「倫理委員会」は、究極的には、内在的な限界付け(簡潔に言えば、科学的態度に内在的な倫理)を知らない科学の無尽蔵な欲動的-発展を再び刻み付けようとする必死の試みではないだろうか?

「倫理委員会」は人間の目的を制限し、科学に「人間の顔」という限界付けを与えようとしているのだ。近頃の凡庸な叡知(commonplace wisdom)は「科学装置を通して自然を操作する私たちの並外れた力は、生きがいのある存在を導いたり、この強大な力を使うための私たちの能力をしのいでいる」と言っている。このように「欲動を追う」現代倫理は、伝統的倫理と衝突する。そこで人は、適切な基準というスタンダードにしたがって人生を送るよう指導され、人生ののすべての側面を、《善》というすべてを包み込む考えに従属させられてしまう。

もちろん、問題は、倫理についての二つの考えがバランスをとれないということにある。科学的欲動を生命の制限へと再び刻み付けるという考えは、最も純粋にファンタスム的なものである――これはおそらくファシストの基本的ファンタスムであろう。この類の制限はすべて、科学に内在的な論理とはまったく無縁なものである――科学は現実的なものに属しており、享楽の現実界の一つのモードとして、象徴化のモダリティにはそぐわないし、社会生活に影響を与えるようなやり方にもそぐわないのだ。(ジジェク『欲望:欲動=真理:知』

あるいは次のようにゴダール=蓮實重彦を引用することもできる。

ゴダールは)、「20世紀の夜明け」に起こったこととして「テクノロジーは、生を複製することに決め、そこで写真と映画が発明された」ともいっているが、すぐさま「喪の色である黒と白とともに、映画術が生まれたのだ」とつけ加えることをゴダールは忘れない。(……)さらに「映画は生命の動きを模倣しようとしたのだから、映画産業がまず最初に、死の産業に売り渡されたのは、当然で、理に適ったことだった」と語りなおされることになるだろう。(……)

テクノロジーが知らずにいたのはこのことだ。すなわち、生の模倣が死の模倣と同じ仕草におさまるしかないことを、技師者たちはいまなお知ろうとしないのである。

そのことの傍証であるかのように、ゴダールは、「1B」(『(複数の)映画史』)の「ただ一つの歴史」で、『ラ・シオタ駅への列車の到着』のしばらく後、アウシュヴィッツへと人々を運ぶ列車のイメージをフラッシュのようにごく短く挿入してみせる。あたかも、公共機関としての鉄道は、強制収容所へと無数のユダヤ人を運ぶ装置として発明されたといわんとするかのように。

どこで読んだのか定かではないが、デジタル技術の映画への貢献は何かと聞かれたゴダールが、それはイメージの質を向上させるための技術ではいささかもないと断言していたことが思いだされる。それは、イメージを圧縮してまとめて運ぶために考案された技術にほかならず、それは貨車いっぱいに人をつめこんで移送するようなものだと彼はいっていたはずだ。この比喩は明らかに強制収容所へと犠牲者を運ぶ列車のイメージを思わせる……(蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』)

いずれにせよ20世紀に人口爆発だけではなくとんでもないことが起こってしまったということに無自覚な「科学者」たち、とくに工学的な頭の無頭の acéphale の死の欲動が、今度は逆に、ヒトというとんでもない病原菌の猖獗を近未来亡ぼしてくれるに違いない。

繰り返すが、ヴィリリオを引くまでもなく科学技術の問題はきわめて重要だし、「あくまで現実的に何が可能かを見極めようとする工学的な思考」はとことん徹底されなければならない。しかし、それがすべてだ、それ以外のいわゆる哲学的(あるいはもっと広く人文学的)な思惟などと いうのはノンセンスな夢想に過ぎない、という実証主義的批判は、それ自体、大昔から繰り返されてきた紋切型に過ぎず、受け入れることができない。必要なのは、すべてを工学的思考に還元することではなく、人文学的なものを工学的に思考すると同時に工学的なものを人文学的に思考することなのだ。私は「事故の博物館」の頃から(いや、もっと以前から)現在にいたるまで、そのような立場を一貫して維持してきたつもりである。そして、それが最初に示唆するのは、地球 環境問題が、もとより主観的な良心の問題(「やるだけやったし、まいっか」)ではないと同時に、客観的な工学の問題に尽きるものでもなく(現在をはるかに 凌ぐ計算力をもったシミュレータが出現しても、最終的にすべてを明確な因果関係によって把握することはできないだろうが、問題は、むしろ、そうした不完全 情報の下でいかに判断するかということなのだ)、文明のあり方そのものにかかわる思想的・政治的・社会的な問題だということなのである。。(浅田彰『続・憂国呆談』ーー「理系/文系」、あるいは「超越論的」をめぐる備忘

工学的なものを人文学的に思考などしなくてもよろしい、どうせ次のようになるに決まっているのだから。

浅田)アルチュセールがおもしろいことをいっている。科学者は最悪の哲学を選びがちである、と(笑)。細かい実験をやってて、そこではすごくハードな事実に触れているのに、それを大きなヴィジョンとして語り出すと、突然すごく恥ずかしい観念論になっちゃうことがあるわけ。それこそアニミズムとかね。 (浅田彰ーー村上龍との対談、2000)

いうまでもなく「科学者」たちの使命は「三分の二の人間が死ぬような仕組み」作りとその実現であり、優秀な科学者であればあるほどその資質がよりいっそう備わっているのは、彼らの真摯なる破廉恥、その無頭の知、その剰余価値ならぬ剰余知の顕現ぶりが証している。

もちろんここでの「科学者」というのは冒頭近くに掲げたように比喩であり、ようはラカンの言う通り、パラノイド的人格者たちのことである。パラノイド的人格者とは、非去勢の主体、あるいは「病理的ナルシシスト」とも言い換えられるのは周知の通り。

……「病理的ナルシシスト」の出現は、それ以前の二形態の根底に共通してあった自我理想の枠と絶縁する。象徴的法を自分の中に取り入れるのではなく、複数の規則、すなわち「いかに成功するか」を教えてくれる便利な規則がいろいろ与えられる。ナルシスト的な主体は、他者たちを操るための「(社会的)ゲームの規則」だけを知っている。社会的関係は、彼にとってはゲームのためのグラウンドである。彼はそこで、本来の象徴的任務ではなく、さまざまな「役割」を演じる。本来の象徴的同一化を含んでいる、自分を縛るような関わりはいっさい持とうとしない。彼は根源的に体制順応者でありながら、逆説的に、自分を無法者(アウトロー)として経験する。(ジジェク、1991)

これは精神分析だけではなく、心理学の分野で既に1989年前後ーーすなわち最後の「父」の死の後ーーから言われ続けていることももちろんご存じであろう。そしていまでは病理的ナルシシストでない人物を探すのが困難になってしまった。

ツイッターなどでまがおで、一人称単数代名詞を使ってーーいや仮に使っていなくても言表内容の主体 sujet de l'énoncé と言表行為の主体 sujet de l'enonciationが一致している思い込んでいるつもりの連中は、ほとんどすべて病理的ナルシシストである。

すなわち、「私は私自身の主人maîtreである」という妄想的(パラノイア的)信念の言説、--《m'être à moi même》(Lacan,S.17)ーーを振り撒いている連中のことである(参照)。

もっともこのたぐいの錯誤を抱く人間はかねてより多数存在しはしたが、やはり「神の死」にひきつづく「父の死」が決定的であった。

どんなケースにせよ、われわれが欲する場合に、われわれは同時に命じる者でもあり、かつ服従する者でもある、ということが起こるならば、われわれは服従する者としては、強制、拘束、圧迫、抵抗などの感情、また無理やり動かされるという感情などを抱くことになる。つまり意志する行為とともに即座に生じるこうした不快の感情を知ることになるのである。しかし他方でまたわれわれは〈私〉という統合的な概念のおかげでこのような二重性をごまかし、いかにもそんな二重性は存在しないと欺瞞的に思いこむ習慣も身につけている。そしてそういう習慣が安泰である限り、まさにちょうどその範囲に応じて、一連の誤った推論が、従って意志そのものについての一連の虚偽の判断が、「欲する」ということに関してまつわりついてきたのである。(ニーチェ『善悪の彼岸』)

わたくしはーーもちろんこの一人称単数代名詞はフィクションの「わたくし」であるーー、みなさんの仲間入りできなくて残念だが、どちらかといえば「倒錯者」ではないかと疑っている・・・


2016年9月12日月曜日

「シナナイタメニ」





芸術がメドゥーサの髪の毛を多数の蛇として造形することが多いのは、蛇もまた去勢コンプレックスに由来しているからである。注目すべき事実は、それら自体がいかに恐ろしいものでも、実際は「恐怖の緩和」として役立っていることである。なぜなら、恐怖の原因であるペニスの不在をペニスに置き換えているためである。(フロイト『メドゥーサの首』草稿、1922年執筆、1940年(死後)出版)




我々はラブレーの作品に、女にヴァギナを見せつけられた悪魔は退散していることを読む。(同、フロイト、メドゥーサ)





ーーいわば「魔除け」の機能である。





私は、「女性性の拒否」Ablehnung der Weiblichkeit は人間の精神生活の非常に注目すべき要素を正しく記述するものではなかったろうかと最初から考えている。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937)

いわゆるラカン曰くのフロイトの遺書『終りある分析と終りなき分析』で、上のような記述があった後、フロイトが終生執着した去勢不安やペニス羨望が語られているにもかかわらず、その叙述の流れのなかでフロイトは受動的態度(passive Einstellung)という言葉を口に出している。

事実フロイトは『夢解釈』1900)以前に「受動性の最初期経験 initiales Erlebnis von Passivität」(1896b, S. 386,PDF) という表現を口にしているし、かつまた、

本源的に抑圧されている要素は、常に女性的なるものではないかと疑われる。(25 Mai 1897. Freud, Aus den Anfängen der Psychoanalyse, Brief e an W. Fliess、PDF)

ともある。





このフロイトの女性性と受動性をつなげるひとつの解釈を以下に示す。

最初の母と子どもの関係では、子どもは、その身体的なsomatic未発達のため、必然的に、最初の〈他者〉の享楽の受動的対象として扱われる。この関係は二者-想像的であり、それ自体、主体性のための障害を表す。平明な言い方をすれば、子どもと彼自身の欲望にとっての余地がないということだ。そこでは二つの選択しかない。母の欲望に従うか、それともそうするのを拒絶して死ぬか、である。このような状況は、二者-想像的関係性の典型であり、ラカンの鏡像理論にて描写されたものである。

そのときの基本的動機(動因)は、不安である。これは去勢不安でさえない。原不安primal anxietyは母に向けられた二者関係にかかわる。この母は、現代では最初の世話人caretakerとしてもよい。無力な幼児は母を必要とする。これゆえに、明らかに分離不安separation anxietyである。とはいえ、この母は過剰に現前しているかもしれない。母の世話は息苦しいものかもしれない。

フロイトは分離不安にあまり注意を払っていなかった。しかし彼は、より注意が向かないと想定されるその対応物を見分けていた。母に呑み込まれる不安である。あるいは母に毒される不安である。これを融合不安fusion anxietyと呼んでみよう。もう一つの原不安、分離不安とは別に、である。この概念はフロイトにはない。だがアイデアはフロイトにある。しかしながら、彼の推論において、最初の不安は分離と喪失に関係し得るにもかかわらず、フロイトは頑固に、去勢不安を中心的なものとして強調した。

このように、フロイト概念の私の理解においては、去勢不安は二次的なものであり、別の、原不安の、防衛的な加工(エラボレーションelaboration)とさえ言いうる。原不安は二つの対立する形式を取る。すなわち、他者は必要とされるとき、そこにいない不安、そして他者が過剰にそこにいる不安である。

ラカン理論は後者を強調した。そしてそれを母なる〈他者〉 (m)Otherに享楽される単なる対象に格下げされる幼児の不安として解釈した。フロイトの受動的ポジションと同様に、である。

これはラカン理論における必要不可欠な父の機能を説明する。すなわち第三者の導入が、二者-想像的段階にとって典型的な選択の欠如に終止符を打つ。第三者の導入によって可能になる移行は、母から身を翻して父に向かうということでは、それ程ない。むしろ二者関係から三者関係への移行である。これ以降、主体性と選択が可能になる。(PAUL VERHAEGHE,『New studies of old villains』2009「古い悪党たちの新しい研究」)

…………

ところで草間彌生の作品群もフロイトがメドゥーサの首で記したように、「恐怖の緩和」として捉えられるだろうか。浅田彰は彼女の作品を「去勢の去勢」と呼んでいる。





1929年に生まれた草間彌生は、早くから旺盛な芸術活動を展開し、とくに57年にアメリカに渡ってからは、ミニマル・アートやポップ・アートの先駆者として世界的に注目されるようになる。そこで重要なのは、個人史における心的な必然性と、美術史における形式的な必然性が、ぴたりと一致したということだろう。

たとえば、幼い頃からいたるところに斑点の見える幻覚に悩まされていた彼女は、キャンヴァスの上にも執拗に斑点を並べていく。まさしく強迫神経症的な斑点の増殖。だが、それがある閾値を超えるとき、図と地、ポジとネガのめくるめく反転が生じ、観る者を窒息させる斑点の群れに代わって、それらの間の網目状の余白のほうが、前面に浮き出してくるだろう。そのとき、神経症的な自己は、「無限の網(インフィニティ・ネット)」のコズミックな広がりのなかへと消失してゆくのだ。あるいは、男根的なものに脅かされてきた彼女は、そういう男根的なオブジェで、机を、椅子を、いたるところを覆い尽くしていく。だが、ここでもまた、ある閾値を超えるとき、それらはおぞましいというよりむしろ滑稽なものとなり、ユーモラスな不能性を露呈してしまうだろう。

増殖による去勢? いや、単一のシンボリックなファルスによる抑圧やそれへの反抗という図式を逃れ、無数のイマジナリーなペニスと戯れてみせる彼女の戦略は、去勢そのものの去勢と呼んだほうがよい。このように、増殖を通じた消失(オブリテレーション)や去勢の去勢という草間彌生の逆説的戦略は、彼女にとって心的な必然性をもっていたと思われる。それがたまたま、一様な色面にまで行き着いた後でその混沌から抜け出そうとしていた美術史の動きと一致したのだ。

こうして、単純な形態の増殖によって構成される彼女の作品は、最小限の要素の反復によって新しい形態的秩序を作り出そうとするミニマル・アートの先駆けとなり、いたるところにカラフルな水玉を貼り付けて自己と世界の消滅に向かう彼女の過激なパフォーマンスは、美術界の枠を超えて派手な表現を展開しようとするポップ・アートの先駆けとなって、世界的に注目されるようになったのである。(浅田彰、草間彌生の勝利




子どもの最初のエロス対象は、乳幼児を哺乳する母の乳房である。愛の起源は、栄養欲求が満たされることへの愛着にある。乳幼児は最初は疑いもなく、乳房と自らの身体とのあいだの区別をしていない。乳房が身体から離れ「外部」に移行されなければならないときーー子どもはたいへんしばしば乳房の不在を見出す--、彼は対象としての乳房を、原初の自己愛的リビドー備給の一部と見なす。

のちに乳房という最初の対象は、子どもの母という人物のなかへと統合される。その母は、子どもに哺乳するだけではなく世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を子どもに引き起こす。子どもの身体を世話することにより、母は子どもにとっての最初の「誘惑者」となる。この二者関係に、母の重要性の根源がある。

人の全人生にとって、独自で、比べもののなく、変わりようもなく確立されている母の重要性。それは男女どちらの性にとっても、最初の最も強い愛-対象として、のちの全ての愛-関係性の原型としての母である。(フロイト『精神分析概説』( Abriß der Psychoanalyse 、1938年執筆)死後出版ーー英訳よりの粗訳)



いずれにせよ、彼女の、すくなくとも初期の作品は、《書かれぬことをやめぬもの [ce qui ne cesse de ne pas s'écrire]》(ラカン, S.20)としての原不安あるいは原トラウマに衝き動かされて生み出されたに相違ない。そしてそれはフロイトの「ペニス羨望」では解釈しがたい。浅田彰の去勢の去勢が含意するものとして「原去勢(=原不安)の去勢」と言い換えてみれば、それは正鵠を射ているように、わたくしには思える。

浅田彰は後年次のように言っていることも付け加えておこう。

平山郁夫や梅原龍三郎は単なるキヤノンのコピー機のようなもので、今の草間弥生や荒木経惟も札束を刷るだけの芸術家かもしれないけど、パブロ・ピカソもジョージア・オキーフも含めて、芸術家って、自分が最初に描きたいというモチーフやパッションで始まったのが、いつの間にか自分もモダンタイムスの機械になっちゃってるというところを、どうやって打破しようとしてるんだろうね。(浅田彰、憂国呆談2)




浅田彰のいう「キヤノンのコピー機」のより精緻な説明としては次の中井久夫の文がよいだろう。


【四つの軌道】
一般に、作家が創造的でありつづけることは、創造的となることよりもはるかに困難である。すなわち、創造が癒しであるとして、その治癒像がどうなるかという問題である。

一般に、四つの軌道のいずれかを取ることが多い。一つは「自己模倣」であり、第二は「絶えざる実験」であり、第三は「沈黙」である。第四は「自己破壊」である。実際には読者および時代の変化と当人の加齢とに応じて、時とともに変化することが少なくない。


【①模倣】
「自己模倣」はもっとも安全である。彼の書くものがいかにも彼の書くものらしいことを求める「ひっそりとした固定読者」の層に包まれて彼は一種の「名優」となる。わが国においては、詩人あるいはエッセイストの場合でさえ「その人のものなら何でも買う」固定読者が千五百人はいる。彼は歌舞伎の俳優のように芸の質を落とさないように精進していればよい。ただ、読者の移り気は別としても、文学における「自己模倣」は演劇あるいは絵画よりも困難である。林武のように薔薇ばかり描いているわけにはゆかない。こうして彼は第二の「実験」に打って出る誘いを内に感じる。

【②絶えざる実験】
「実験」は画家ピカソあるいは谷崎潤一郎を思い浮かべられればよいだろう。ただ、マルクスが創造的である条件とした「若く貧しく無名であること」が失われている場合、「実験」はショウに堕する危険がある。この場合、彼が実験することを求める騒がしい読者、批評家、ジャーナリストに囲まれて、彼は「絶えざる実験者」となるが、危険は「スター」に堕することである。それはこのタイプの「囲む連中」が求めることである。私は三島由紀夫の例を思い浮かべずにはいられない。この道を全うするには、ゲーテほどの狡知と強制的外向人化と多額の金銭とが必要である。

【③沈黙】
第三は「沈黙」である。これは志賀直哉がほぼ実現した例である。創造的でない時に沈黙できるのは成熟した人、少なくとも剛毅な人である。大沈黙をあえてしたヴァレリーにして「あなたはなぜ書くのか」というアンケートに「弱さから」と答えている(彼は終生金銭に恵まれなかった)。もっとも、彼が無名の時にかちえた「若きパルク」完成のために専念した四年間のような時間は、著名になってからは得るべくもなく、第二次大戦が強制した沈黙期間がなければ最後の大作「わがファウスト」に着手できなかったであろう(死が完成を阻んだが)。

【④自己破壊】

第四は例を挙げるまでもない。己が創ったものは自己の外化であり、自己等価物、より正確にいえば自己の過去のさまざまな問題の解決失敗の等価物、一言にしていえば「自己の傷跡の集大成」である。それらはすべて新しい独特の重荷となりうる。それらはもはや廃棄すべくもないとすれば、代わって自己破壊への拒みがたい傾斜が生まれても不思議ではない。老いたサマセット・モームは「人を殺すのは記憶の重みである」と言い残して自殺している。

【昇華という代償満足】
サリヴァンは、フロイトがあれほど讃美した昇華を無条件な善ではないとして、それが代償的満足である以上、真の満足は得られず、つのる欲求不満によって無窮動的な追及に陥りやすいこと、また「わが仏尊し」的な視野狭窄に陥りやすいことを指摘している。それは、多くの創造の癒しが最後には破壊に終る機微を述べているように思われる。中井久夫「「創造と癒し序説」 ――創作の生理学に向けて」初出1996『アリアドネからの糸』所収)





◆草間彌生の自伝より

百年後の一人のために

 ものごころつく頃より、私は絵や彫刻や文章を、何十年と創りつづけてきたが、本心を言うと、私はいまだに自分が芸術家になれたとは思っていない。ふりかえってみるに、これらは筆やカンヴァスや素材をもって闘った求道への道程であった。

 それらは前方に燦然と輝く星。それを見上げれば、なおいっそう遠くに行ってしまうような、まぶしい星のたたずまいを仰ぎみて、自分の精神の力と、道を求める心の奥の誠実によって、人の世の混迷と迷路をかきわけて、魂のありかを一歩でも先へ近づける努力であった。

 考えてみるに、芸術家や政治家、医者などという職業のみが、特に世にぬきんでて偉いのではない。私がかつて感動した話は、身体障害者が施設で一日、一生懸命努力して、たった三個の小さなネジをやっとはめる仕事によって、神に自分が生かされているということの証を、自己自身感じとって、目を輝かしたということである。




 芸術家が芸術をやっているというだけで、他の人より特に偉いぬきんでた人種であるわけではない。たとえば、労働者であろうと農民であろうと掃除人夫であろうと芸術家であろうと政治家、医者であろうと、その人々が今日より明日、明日より明後日と、自分の生命への輝きと畏敬に一歩でも近づけたなら、虚妄と暗愚の中に埋もれた社会の中で、それは人間として生まれた人間らしい一つの足跡となるのではないか。

 今日、多くの人々は、飽食と猥雑と経済大国への道を求めて、栄達のためにせめぎあい、さまよっている。そうした社会の中で、重い荷物を背負った道を求めて歩むことは、より険しく、より困難になっている。しかし、そうした中でこそ、私はなおのこと魂の光明に近づきたい。

 たとえば、ゴッホの絵は何十億円もするからすごいとか、ゴッホは精神病で天才だからすぐれているとか、そんな考えをする人が世の中には多いが、そんなことではゴッホを観たことにはならない。また、日本の精神科医は、ゴッホが分裂病だの癲癇だのと論議しすぎるきらいがある。私のゴッホ観は、彼が病気であったにもかかわらず、その芸術がいかに人間性にあふれ、強靭な人間美を持ち、求道の姿勢に満ちあふれていたかという、その輝かしい美しさにある。その激越な生きざまにある。




 芸術家を志している私は、理不尽な環境に打ち勝つということは、追いつめられた立場に置かれた己れの苦しい状況に打ち勝つということであり、人間として生まれてきた故の試練であると思っている。だから、私の全人格をもってそれに立ち向かいたい。こういうことに巡り合ったことも、一つの人の世の運命であるから。

 天の啓示によって、私は神に生かされているのである。艱難辛苦、己れを玉にする毎日である。そして、歳月とともに死を意識すること、日一日である。

 光明に近づく求道の姿勢をいっそう深めたいと思い、大宇宙を背景にしても人間はしがない虫けらではないという畏敬の念を感じて、未来への心の位置を高めたい。そのため、私は芸術をそれへの手段として選んだ。これは一生をかけての仕事である。私の心を、死んで百年の間にたった一人でもよい、知ってくれる人がいたら、私はその一人の人のために芸術を創りつづけるであろう。

 そんな思いで、私は絵画を描き、彫刻を作り、文章を書いているのである。




 父・嘉門の死の九年後、1983年(昭和58年)12月に、母・茂が逝去した。母は終生、歌人でもあり、書家でもあった。母の遺稿を繙いていると、次の歌がみつかった。

  大ぜいの知人逝かせてこの年も 暮れなんとすなり つはぶきの咲く
  日の光 春をよびつゝぬかるみに まぶしく光る堤をゆけば
  眠られぬ小夜の臥床にひびきつゝ 列車の音の遠ざかりたり

 私は母のこの三首を、『心中櫻ヶ塚』の末尾に、「追記」として採録した。母に対する私の想いは、そして父に対する私の想いは、万巻を費やしても語りきれるものではないが、自分の著作の中に母の歌を添えることによって、私は父と母の思い出の片鱗を定着させたかった。

 そして、愛憎ともに万感こもごもに至る想いを抱いて生きてきた私ではあるが、今はすべてを越えて、こんなふうに思えている。私にこの年まで生かせてくれ、生死の明暗と、現し世の光陰などの綾なす社会の仕組みを、そして修羅場を見させてくれ、人間としての正しい知恵と真実への憧憬を体験させてくれたのは、父と母であると。従って私は今、私を生んでくださった、私のもっとも尊敬し愛する亡き父と母に、心から感謝をしているのである。





上の文に、《日本の精神科医は、ゴッホが分裂病だの癲癇だのと論議しすぎるきらいがある》とあった。ここでわたくしは彼女の思いに反することを記しているのかもしれない。

ところで中井久夫に「荒川修作との一夜」(『記憶の肖像』所収)というエッセイがある。

冒頭はこう始まる。

私はあわてていた。

前日、京都大学の木村敏教授から電話があった。「アラカワ・シュウサクという画家がボクたち二人にあいたいんだと。哲学者の市川浩さんからの依頼だ。キミといっしょにあったことのある、あの市川さんだ。(……)ひとつ、たのむよ。蹴上の都ホテルだ、三月十七日の夜七時、いいね」。茫然とした、「荒川修作って……」といいかけたとたろで、電話は切れた。

この文の初出は、1990年の「みすず」。中井久夫は、そのときまで「アラカワ」がだれだか知らなかった。

……ホテルのロビーに入ると、木村敏教授と市川教授が談笑しておられる。私の顔を見て市川さんが消えた。やがて、闘志満々、黒ズボンに白いシャツをまくりあげたのが、小柄な白人の女性をともなってやってくる。あれが音に聞く荒川なのか。

五人がおたがいに紹介しあった。荒川は、漆黒の頭髪が波打ち、きゅっとしまった容貌の真中に黒ダイヤの眼が光る。私には見えないものをふくめて、実に多くのものをみつめてきた眼だ。日本人にしては白い肌がニスの光沢を帯びて深いところから赤みがさしているのを、ほとんど美しいと、私は思った。動作はむしろぎこちなかった。時折、顔面をくしゃくしゃさせた。稲妻のように素早く―――。

女性はマドリン・ギンズ。夫人で「同士です」とのこと。……






アラカワとの話のとっかかりは、名古屋の話題になった。アラカワは名古屋の瑞穂区滝子の開業医の息子である。木村、中井両氏は、一時期、名古屋市立大学医学部精神科で伝説の「木村教授・中井助教授」という時期があった。

「母は私がニューヨークでやっていることを知らないはずです」と―――私の聞き間違いでなければ―――荒川は言った。「ぼくがまだ東京でノイローゼの治療していると思っているかも」。彼は東京である診療所にかかっていた。「ぼくの医者はひどいやつでね。ぜんぜん話にならん。最後に、おまえ、医者やめろと言ってやった」―――彼の顔が険しくなった。私たちは医者の名前を聞いて顔を見合わせた。「その人なら医者をやめて医師免許証も返還したという話ですよ。今では別の仕事で有名です。あなたのいうことをきいたのですね」。

今度は、彼が茫然とする番であった。「ほんとう? ほんとう」と彼は不安げに繰り返した。私は心配になった。「あなたはよい助言をされたわけです。彼は自分でも医者がいやだったとどこかで書いていますよ」。荒川はいくぶんほっとしたようであった。

「自分のは芸術ではない。そんな悠長なゆとりのあるものではない。あのね、英語でこういうけど(その言葉をど忘れしたのは私である:エッセイ集にまとめられた時点での注で、exhausted decisionであると、ある時ふっと思い出した、とある)、日本語でどういう?」「火事場の力? 窮地に出る思わぬ底力?」「かな、とにかく、ここでこうなら日本にいちゃだめだと思った。それでニューヨークに出たわけです。もう死ぬと思った。死なないために描いてきたのだ。死なないために、死なないために」。

何度「シナナイタメニ」が繰り返されたことであろう。(……)

彼は言った。「実は精神科医としてのあなた方に会いに来たのだ。あなた方はニューヨークでは有名です」。(……)

とにかく、荒川は、自分を死の瀬戸際に放置した日本の精神医学がその後どうなったか、すこしはましになったのかどうかを知ろうとやってきたのだ。驚くべきことである。……

(ARAKAWA WITH MARCEL DUCHAMP)



私たちが合格と判定されたとは思わないが、準備した話を終えてほっとしたのか、荒川は、シャガールに可愛がられた話を始めた。南フランス、いわゆる紺碧海岸のシャガールのアトリエに荒川が起居した一時期があったのだった。

「シャガールはね」と彼は語った。「朝早く、アトリエに来て、鉄のパレットを取り出す。九十四歳の彼が鉄のパレットだぜ。そこへ色を盛り上げ、カンバスにどしどし色を塗る。たいへんな仕事量だ。そして、夕焼けがアトリエの窓を染めると、部屋じゅうくまなく掃除して、雑巾をかえ、パレットをきれいに洗って、さあ帰ろうという。ある時、見かねてオレがやると言ったら、じいさん何と言ったと思う? 俺を殺す気か、これをやってるから俺は今まで生きてるんだとね、で、またごしごしさ」。いい話であった。私の大好きなライナー・チムニクの童話『クレーン男』のように、日々の力を信じて愚直に生きること―――。私は頭の中で、病なお残る若い身空の荒川になり、床に近いソファに横になって、立ち働く老ユダヤ人画家を見上げてみた。毎日ここにいたら、自分の中の何かが快癒してゆくだろうなと思った。日本の精神科医が治せなかった一青年を癒して画家にしたシャガールの偉大さが身にしみた。

「死なないためにだ。俺は、死なないためにやっているのだ。芸術? そんなのんきなものじゃない」。私は、私の患者たちが描く、時として哀切な美しい画を思った。治癒するとみな平凡な画になる。しかし、才能が涸渇するのではない、必要がなくなるのだ。私の患者たちも「死なないために」やっているのだ。名古屋弁でいえば「必死こいて」―――。(中井久夫「荒川修作との一夜」『記憶の肖像』所収)


以下、草間彌生と荒川周作に反してーー改めて二人の文章は発言を読んで戦慄しこういうことを記しているのは忸怩たる思いがしないでもないが、冒頭から始まる引用の補遺としてーー次のラカン派による(これはこれですぐれた注釈ではある)を付記しておく。


剥奪 (privation) は「想像的父を動作主とする象徴的対象の現実的穴」である。これをパラフレーズするためには剥奪の概念が去勢コンプレクスとペニス羨望を説明するために作られたことに注意しておかねばならない。

剥奪は,女性のペニスの不在(現実的な穴)つまり実在性の次元での知覚(の欠如)を,象徴的な仕方で代理することである(S4) 。たとえば,自らがペニスを持っていないことを発見した女性は,自分を男の子のようにペニスを付けて産んでくれなかった母親を憎み,いつの日かペニスの代わりの子供(象徴的代理)を父からもらえることを望む(ペニス羨望)。一方,男性の場合では,自分はペニスを持っているため,自らのペニスが剥奪されるわけではない。しかし,女性がペニスを持っていないこと(現実的穴)を発見することは,男性にとって外傷的に作用する。男性は女性の剥奪(ペニスの不在)を目にすることによって,自分も去勢されるかもしれないという不安をかかえることになるのである。

しかしペニスの不在が「不在」として知覚されるためには,そもそもその不在の知覚以前にそれが「現前」しているものとして想定されているのでなければならない。つまり,原初的には「男性だけでなく女性も母親をフアルスを授けられたもの,つまり,いわゆるファリックマザーとして考えている 」 ( E686) のである。 それゆえ,母のペニスの不在が知覚されたとき,そこには象徴的なフアルスが発見されているのである。これは例えるなら,図書館のなかで一冊の本がなくなったとき,それは純粋に存在しないわけではなく「あるべき場所に欠けている」わけであって,「ない」という意味で「ある」という性質を持つという事態に似ている ( S4) 。これは象徴的対象だけに起こる事態であって,反対に現実的対象は常にあるべき場所にあり.欠如の可能性をもたない。象徴的なもの,つまりシニフイアンだけが「その場所に欠けることができる」 (E25)のだ。

また,ここでFreudのいう事後性(遡及性Nachträglichkei:引用者)が機能していることも見逃してはならない。男性にとっては,去勢が発達において導入されるには,去勢の脅しが行われるだけでは十分ではない。「そんなことをしていると切ってしまいますよ」というやり方で自慰を禁止したりするだけでは,去勢は効果を発揮しないのである(S5)。去勢の脅しの後に,剥奪,つまり母という女性のペニスの不在(現実的な穴)を発見することによって,事後的に去勢が機能し始める。つまり.「去勢の意味作用は. . .「母の去勢」を発見することに基づいてのみ起こる」( E686 ) のだ。(松本卓也「エディプスコンプレクスの構造論一一フロイト.クラインからラカンへ」2011,PDF


次に、ポール・ヴェルハーゲのPAUL VERHAEGHE,『New studies of old villains』2009(「古い悪党たちの新しい研究」)の私訳の再掲(参照:古い悪党フロイトの女性論)。

一連の文章だが、やや長いので段落を分けて小題をつけている。


【10年のあいだ〈女〉を探し求めたフロイト】
フロイトの自伝(『自己を語る』(……)、最初のヴァージョンである1925年版においては、エディプスコンプレックスは次のように要約されている。少年は性的欲望を母へと集中する。それ故、ライバルである父に対して憎悪感を育む。少女にとっても、類似した状況が当然の如く起る。欲望される対象としての父とともに、母はライバルの役割が授けられる。10年後、フロイトは注を付し、このエディプスの発展の問題において、少年と少女のあいだに想定された類似性を廃棄する。この10年のあいだ、フロイトは〈女〉を探し求めていた。結果として、彼は母に遭遇したのだ。(……)


【男女とも最初の愛の対象としての母】
このフロイト理論の箇所は、比較的よく知られている。というのは、主にその議論の余地が大きい特徴のせいである(Grigg, 1999)。…まず問題含みの箇所を要約してみよう。

少年も少女もともに、母が最初の愛の対象である。息子にとっては、前エディプス期、エディプス期ともに、母は愛の対象のままである。そこで、父の介入がはっきりした効果を生む。すなわち去勢コンプレックスである。去勢不安のせいで、母は(愛の)対象としては放棄される。そして父の権威の内面化が生じる。このように、男性のエディプスコンプレックスは、去勢を施す父への恐怖の影響で、超自我を形成して終わる (『エディプスコンプレックスの消滅』 [1924])。近親相姦の禁止が、族外愛の強制を伴って設置される。いったん男になったら、以前の息子は性交にも同様にアクセスするが、他の女に対してである。この移行が常にはスムーズにいかないことは、既にフロイトによって、偉大な臨床的手練を以て叙述されている (『男性に見られる対象選択の特殊なタイプについて』[1910])。

事実上、前エディプス期の発見は、男-息子にかんするフロイトのエディプス理論に大きな変更を与えていない。ただ一つの例外がある。母はもはや、単に欲望される対象、受身の対象ではなくなる。彼女は前エディプス期の中心的形象となる。


【少女の愛の対象の母から父への移行】
少女にとっては、事態ははるかに複雑である。前エディプス期のあいだ、彼女は母に向けて能動的な愛の衝動をもつ。それは少年と同様である。だが、それからどうやって正式の愛の対象、すなわち父への移行が起るのか? フロイトによれば、これは少女によるペニスの発見と「ペニス羨望」の出現によって引き起こされる。少女がペニスを与えられていないという事実は、劣等感と嫉妬感の上に、彼女は憎悪を以て母から身を翻し父へと向かうことを意味する。父へと向かうのは、彼女に欠けているものを父から受け取ろうと希望するからである。去勢不安の女性版対応物、ペニス羨望は、このようして、エディプスコンプレックスの設置を引き起こすものとなる。そこでは、少年側は事実上、エディプス期の終焉の始まりなのだが(『解剖学的な性差の若干の心的帰結』[1925])。フロイトにとって、女性のエディプスコンプレックスは男性と同じような明確な終焉点をもっていない。そしてこれは、女性の超自我が男性のそれのような厳しさを獲得することが決してないのを説明する。


【二重の置換:クリトリス→ヴァギナ、母→父】
フロイトは二つのジェンダーのあいだの相違を、少女にのみ当て嵌まる二重の置換にて要約している。まず最初に、少女は性感帯を変えねばならない。男根的クリトリスはヴァギナと交換されねばならない。第二に、対象が変更されねばならない。父が母の場を占めるのだ(「女性性」[1933])。

この二つの移行は、さらにはっきりと解明され得る。最初の移行は、能動的・男性的クルトリスが、受動的で迎え入れる性質をもつ女性的ヴァギナと交換されなけばならないことを意味する。対象としての父への移行は、さらに二つの含意がある。第一に、もともと父から来るものとして欲望された対象としてのペニスは、子ども(赤ん坊)への欲望に変換されねばならない。第二に、この子どもは結局、男、彼女の男から欲望されなければならない。この男とは、彼女の父の場所を代わりに占める男だ。結局、フロイトは次のように書くことになる、女も後年、彼女の後の愛の対象として自分の母を探し求める、丁度どの男もそうするように、と(『女性の性愛』 [1931])。


【女になることの困難】
このように考えると、女になることはひどく複雑で困難な試みであるだけでなく、希望をもてないものになってしまう。注意深い読み手なら気づくことだろう、我々は振り出しに戻っていると。すなわち、母とともに始まり、最終的に母に戻るのだ、その母とは、すなわち、彼女自身が母となる少女である。さらに全体の過程は、男-父によって指図されている。男-父が事実上、女-母を生むのだ。この理論は数多くの拒絶反応を引き起こした。それがフェミニストからだけではないのは、驚くことではない。臨床的実践がたいした立証をもたらさないため、批判はさらに強くなる。

実際、ペニス羨望の存在はまったく明らかではない。そしてすべての娘が母から身を翻すわけではない。なぜ少女は父に向けて移行すべきなのか? フロイトの説明ーーペニスの欠如の発見に従った少女にとってのナルシシスティックな屈辱感が、少女を母から身を翻させて父に向かわせるーーこれは、ポストフロイト時代を通して、ひどく疑われた。そしてフロイト自身の論拠においてさえ、あのような展開は袋小路に行き着く。すなわち、少女は女にならない。単に母に変身させられるだけだ。こういったわけで、全く異なった解釈が可能だ。


【受動的ポジションから能動的ポジションへ】
袋小路はしばしば誤った前提の結果である。対象の変更のための動機としてのペニス羨望を、さらにもう少し検討しなくてはならない。フロイトが(少女が)母から身を翻す動機としてペニス羨望を議論したとき、彼は常に数多くの他の動機に言い及んでいた。それらは通常、ポストフロイト派の議論において無視されてしまっているが。

その動機の内で、中心的なものは、受動的なポジションから能動的なポジションへの移行である。我々はこう言うことさえできる、他者の他者であることから主体性への移行だと。ペニス羨望や去勢不安を言う前に、子ども、少年も含んだどの子どもも、既に、母との関係における受動的なポジションから離れて、能動的ポジションに移行しようと試みる。


【原不安としての分離不安と融合不安】
フロイトとともに、私はこの移行に、はるかに基本的な動機を見分ける。すなわち、最初の母と子どもの関係では、子どもは、その身体的なsomatic未発達のため、必然的に、最初の〈他者〉の享楽の受動的対象として扱われる。この関係は二者-想像的であり、それ自体、主体性のための障害を表す。平明な言い方をすれば、子どもと彼自身の欲望にとっての余地がないということだ。そこでは二つの選択しかない。母の欲望に従うか、それともそうするのを拒絶して死ぬか、である。このような状況は、二者-想像的関係性の典型であり、ラカンの鏡像理論にて描写されたものである。

そのときの基本的動機(動因)は、不安である。これは去勢不安でさえない。原不安primal anxietyは母に向けられた二者関係にかかわる。この母は、現代では最初の世話人caretakerとしてもよい。無力な幼児は母を必要とする。これゆえに、明らかに分離不安separation anxietyである。とはいえ、この母は過剰に現前しているかもしれない。母の世話は息苦しいものかもしれない。

フロイトは分離不安にあまり注意を払っていなかった。しかし彼は、より注意が向かないと想定されるその対応物を見分けていた。母に呑み込まれる不安である。あるいは母に毒される不安である。これを融合不安fusion anxietyと呼んでみよう。もう一つの原不安、分離不安とは別に、である。この概念はフロイトにはない。だがアイデアはフロイトにある。しかしながら、彼の推論において、最初の不安は分離と喪失に関係し得るにもかかわらず、フロイトは頑固に、去勢不安を中心的なものとして強調した。

このように、フロイト概念の私の理解においては、去勢不安は二次的なものであり、別の、原不安の、防衛的な加工(エラボレーションelaboration)とさえ言いうる。原不安は二つの対立する形式を取る。すなわち、他者は必要とされるとき、そこにいない不安、そして他者が過剰にそこにいる不安である。


【ラカンの考え方】
ラカン理論は後者を強調した。そしてそれを母なる〈他者〉 (m)Otherに享楽される単なる対象に格下げされる幼児の不安として解釈した。フロイトの受動的ポジションと同様に、である。

これはラカン理論における必要不可欠な父の機能を説明する。すなわち第三者の導入が、二者-想像的段階にとって典型的な選択の欠如に終止符を打つ。第三者の導入によって可能になる移行は、母から身を翻して父に向かうということでは、それ程ない。むしろ二者関係から三者関係への移行である。これ以降、主体性と選択が可能になる。

【エディプスコンプレックス劇場】
「前エディプス」期に先行されるエディプスコンプレックスという考え方は、主体の母、あるいは父への各々の焦点の輪郭を描くことになる。エディプスコンプレックス劇場では、全体として、父母の両方の人物像の配役がある。中心的な登場人物は母を以て始まる。母は、どの子ども、そのジェンダーにかかわりなく、いずれの子どもにとっても、最初の愛の対象である。この最初の関係は、とても特徴ある配役設定をもたらす。

一方で、能動的権力の体現者としての母がいる。拒絶したり、供与したり、さらに悪い場合は、不在である。他方、受動的で、受け取るしかないポジションの幼児がいる。そこでが選択は限られており、受諾か拒絶しかない。

ーー《エディプスコンプレックス自体が、症状である》(ラカン、セミネールⅩⅩⅢ)



【ファリックマザーとの同一化による全能感】
成人の神経症者に見られるいわゆる全能感は、想定された幼児期の全能感に戻ることではない。そうではなく、母の全能性への幼児期の同一化である。実に "Ce que la Femme veut, Dieu Ie veut"(女が欲することは、神も同様に欲する)は次のように読むべきだ、"Ce que la maman veut, Dieu Ie veut" (母が欲することは、神も同様に欲する)と。既に(フロイトの症例ハンスの)小さなハンスが知っていた通りである。

もっとはっきり言うなら次の如し。成人の神経症の全能感は、幼児のファリックマザーとの同一化に戻ることだ(Lacan, 1994 [1956-57])。その意味は、ファリックマザーとは、欠如なしの母であり、母は子どもによってそう感受される。パラノイアが我々に示すのは、この関係性が取る病理的な形式である。より詳細には、母に殺される・貪り食われる・毒される恐怖である(フロイト『女性の性愛』 [1931])。



【母に殺される恐怖/サディスティック衝動】
フロイトの所見によれば、受動性は常に独特の反応を伴う。すなわち能動的反復である。人が受動的に経験しなければならなかった物事の能動的反復である(フロイト『女性の性愛』 [1931])。前エディプス期の母-子どもの関係はこの規則の例外ではない。

子どもは能動的に振舞いたい(上演したい)のだ、母から受動的に我慢せざるを得なかったことを。最初の移行は、母乳を飲まされることから能動的に乳を啜ることの段階にかかわる。それは場合によって口唇-サディスティックな局面を伴う。病理的事例では、これは間違えようがない。母に向けての攻撃
的な口唇-サディスティック衝動はその反対物を見出す。母に殺される恐怖である。
この口唇期の例は単なる暗号ではない。実際、二つの対立する極ーー能動性対受動性ーーは、母と子の関係における享楽の局面に関係する。

受動の極から能動の時空への移行をする子どもの試み(それは少女だけではなく少年も同様)は、次のように理解されなければならない。すなわち、(母の)享楽の受動的対象にあるポジションから逃れ出し、快の能動的コントロールに向かう試みだと。


【子どもを誘惑する母】
最初期の理論にて、フロイトは、父による誘惑という考え方と神経症者にとっての基盤として幼児の性的トラウマを唱えた。神経症の遍在はこの考え方から距離をとることを余儀なくさせたのだ、もっとも実際にはそれを廃棄することは決してなかったが(Freud, letter to Fliess, September 21, 1897 [1978 (1892-99)])。

三十年後、彼はこの考え方を定式化し直した。原初の誘惑は、保育する状況以外の何ものでもない。母が子どもをある享楽の形式に「誘惑する」のだ。後ほど、すなわち最終のエディプス段階に過ぎない、誘惑者のポジションが、子どもの想像力のなかで父に移行するのは。

ついにフロイトは見出したのだ、想定されたトラウマ的誘惑の遍在にとっての本当の基盤を。どの保育状況も、潜在的に、誘惑的であり享楽的である。このまさに同じ状況における、トラウマ的で故にぞっとさせる側面は次の事実に関係する。すなわち、主体は他者の享楽の受動的対象のポジションに陥れられることである。そのような関係の原初のヴァージョンは、初期エディプスの、母と子のあいだの紐帯である。

ーーより詳しくは、「子どもを誘惑する母(フロイト)」を見よ。


【二者関係から三者関係へ】
この二者関係からの退出は、第三の形象、父によって可能になる。それは受動的から能動的なポジションへの移行を伴っている。

初期ラカンの枠組み内での類似の論考は次の通り。子どもはもともと二者関係内で母の享楽の受動的対象である。この享楽は、シニフィアンの象徴的秩序外部に位置するため、シニフィエ(意味づける)ことが不可能である。

ふつうは、父の介入が、意味作用と規制を導入することを通して、象徴秩序を導入する。ふたたび注意すべきなのは、この論旨において、フロイトとラカンともに、危険は母にあり、救いは父にあるということだ。二人のあいだの相違は、ラカンにとって、原父どころか父自身でもなく、父の象徴的機能にアクセントが置かれていることである。

(フロイトと母、1872年、16歳)


【補遺】--ここまでは一連の文章だが、以下は同じ書物の別の箇所から抜き出している。

後期の理論で、ラカンはフロイトの錯誤を公然と非難した。

それにもかかわらず、現在、フランスに精神分析のある保守的な層において、権威ある父の再生された懇願が聞かれうる (NAOURI , A. 2004)

この非難はラカンのセミネールの極めて後期に現れる。それ以前は、フロイトとラカンは異なった時代に書いているにもかかわらず、彼らの理論は、この点に関して、とてもよく似ている。二人ともエディプス理論を展開したのだ。それは父への懇願であったり、父への謝罪でさえある。その父とは、母に関する欲動に駆られた危険に対する不可欠な保証人である。

この二人のあいだにある最も重要な相違は、フロイトにとって、危険は、母への子どもの欲望(事実上、息子の欲望)を起源とすることだが、ラカンにとっては、全く反対方向だということだ。すなわち彼にとっては、子ども(事実上、息子)をあまりにも欲望する母に起源があるということだ。

この相違を脇にやれば、彼らの理論は似通っており、どちらも絶大な権威をもった父の形象から解決を期待している。まさに彼らの理論のこの側面が、私が考えるに、底辺に横たわる問題への神経症的な応答、その治療上の(理論の媒介による)承認に過ぎないのだ。後に詳述するが、この問題は、ラカンがその後期理論にて理解したものとしての「享楽」概念にすべてが関係する。


不思議にもラカンと母の写真は見当たらない。

母はあなたの前で口を開けた大きな鰐である。ひとは、彼女はどうしたいのか、究極的にはあんぐり開けた口を閉じたいのかどうか、分からない。これが母の欲望なのだ。(ラカン、セミネールⅩⅦ)

鰐の口、あるいはヴァギナ・デンタータでもこれといった画像は見当たらない。

かわりに荒木経惟の「書かれぬものをやめぬもの」を貼り付けておこう。





《自然的本性を熊手で無理やり追いだしても、それはかならずや戻ってやってくるだろう》

これはフロイトが『グラディーヴァ』で引用しているホラティウスの言葉である。

われわれの方法の要点は、他人の異常な心的事象を意識的に観察し、それがそなえている法則を推測し、それを口に出してはっきり表現できるようにするところにある。一方作家の進む道はおそらくそれとは違っている。彼は自分自身の心に存する無意識的なものに注意を集中して、その発展可能性にそっと耳を傾け、その可能性に意識的な批判を加えて抑制するかわりに、芸術的な表現をあたえてやる。このようにして作家は、われわれが他人を観察して学ぶこと、すなわちかかる無意識的なものの活動がいかなる法則にしたがっているかということを、自分自身から聞き知るのである。(フロイト「W・イェンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢」1907)




私のチューリップへの関係はひどくリンチアンだな、胸が悪くなるよ、想像してみろよ、あれはヴァギナ・デンタータと呼ばれるものじゃないか、君を飲み込んじまうヤツだ。そもそも花ってのはとんでみない代物さ。わからないかな、あの怖ろしさが。開いた誘いだろ、昆虫や蜂への。「おいで、私を掻き回して!」私が思うに、花ってのは子どもたちには禁じられるべきだね(ジジェク


2016年7月12日火曜日

現代思想・文芸という「支配的思想=支配階級の思想」

「未来」だの「彼方」だの「深さ」だのの捏造」にて、こう引用した。

カーニバル的宙吊りの論理は、伝統的階級社会に限られる。資本主義の十全な展開に伴って、今の「標準的な」生活自体が、ある意味で、カーニバル化されている。その絶え間ない自己革命化、その反転・危機・再興。そのとき、我々は、そのまさに原理が、絶え間ない自己変革機械である状態に対し、いかに変革をもたらしたらいいのか。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)

このジジェクの言っていることの内実をもう少し詳しくみてみることにする。

たとえば、柄谷行人は、『隠喩としての建築』で既に次のように記している。

「形式化」が、たんに形式/内容の逆転ではありえず、{(形式/内容)内容}という構図そのものの逆転であらざるをえないことが明らかになるだろう。そして、この逆転は、{(内容/形式)形式}に帰結するだろう。デリダのいう「自己再固有化の法則」とはこのことである。そして、彼自身が{(差異/同一性)同一性}という形而上学的な構造を根本的に逆転するかぎり、{(同一性/差異)差異}に帰着してしまわざるをえない。彼自身が「自己再固有化」におちいらないようにするために、再び従来の構図を必要とするのである。(柄谷行人「形式化の問題」『隠喩としての建築』所収ーー実存主義→構造主義→ポスト構造主義→ポスト・ポスト構造主義の変遷をめぐって

この考え方は、1989年以降の世界の構造ーー少なくとも先進諸国の構造--についても当てはめることができる。それは、ラカンが1968年を契機に、主人の言説から資本家の言説の時代への移行を指摘したことにもかかわる。

主人の言説とは「例外の論理」(男性の論理)、資本家の言説とは「非全体の論理」(女性の論理)である。

わたくしが資本家の言説を女性の論理と捉えるのは、主に、Levi R. Bryanの叙述に基づく。

女性の論理は、差異性、偶然性、単独性を強調する。
男性的社会構造は、超越性と必然性のタームにて考え得る。主体にかんしての指導者やボス、父親、神、国等々の超越性と、これらの主体が如何に法と関わるかについてである。
反対に女性的社会構造は、内在的かつ偶然的である。ここでの強調点は、断然に、絶えず流動的で変貌する関係性のネットワーク形式にある。これらのネットワークは、前世紀に大惨事を引き起こした集団的幻想と同じような怖るべき分岐形成物を生み出さない限りで、いっそう魅力的であるにもかかわらず、女性的ネットワークは、一連の他の問題を引き起こす。一方で、この社会的形式を基盤としたネットワークは、政治的闘争が決定的に難しい。というのは、敵がどこにいるのかはっきりしないからだ。(Levi R. Bryan,Surplus-jouissance, Desire, and Fantasy

とくに女性の論理は「差異性」の論理であるという表現に注目する。ただし資本家の言説=女性の論理とは、多くのラカン派がその見解を示しているわけではない。とはいえ、ここでは当面こう捉えるという前提で話をすすめる(ジジェクは不思議にもーーわたくしの知る限りーーラカンの「資本家の言説」という語を今まで一度も口にしていない)。

そして、1968年を契機に(約20年の端境期をはさみ)、1989年以降、如実に主人の言説から資本家の言説への移行があったという観点をとる。

これを柄谷流の記述:{(差異/同一性)同一性}→{(同一性/差異)差異}を援用して記せば、

主人の言説:{(非全体/例外 )例外}から
資本家の言説:{(例外/非全体)非全体}への移行

ということになる。

浅田彰=デリダ的に言えば、次の通り。

{(女/男)男}→{(男/女)女}

「(デリダは)ある種の二重の戦略の必要性を力説しています。僕がよく挙げる例なのですが、 man(男)と woman(女)という二項対立があったとして、そこでは明らかに manが womanを暴力的に抑圧しているのだから、その二項対立を転倒し、 manに対して womanを復権しなければならない。  しかし、 manと womanは実は Man(人間=男)という土俵に乗っているのだ から、そこで優劣を転倒しただけでは、ニーチェの言うように勝利した女が  男になった自らを見出すだけという結果に終わりかねない。したがって、転倒と同時に、 Man(人間=男)という土俵自体を脱構築していかなければならない、というわけです」(浅田彰)
「もっと一般的な例では、同一性に対し差異を復権するのはいいけれど、それらはいずれも実は同一性という土俵の上に乗っているので、その同一性とい う土俵自体を「差延」へと脱構築していかなければならないというわけですね。一方では転倒が、しかし同時に他方では脱構築が必要だ ー これがデリダの二重の戦略です」(浅田彰ーー理屈 「デリダ追悼」ーーきみたちの「燻製ニシンの虚偽」


男性的社会構造(例外の論理)は、超越性・必然性の論理のもとにあり、女性的社会構造(非全体の論理)は、差異性・偶然性の論理のもとにある、というLevi R. Bryanの見解を上に引用した。

資本の論理が、後者の差異の論理であることは、かねてよりの指摘がある。

資本主義ーーそれは、資本の無限の増殖をその目的とし、利潤のたえざる獲得を追及していく経済機構の別名である。利潤は差異から生まれる。利潤とは、ふたつの価値体系のあいだにある差異を資本が媒介することによって生み出されるものである。それは、すでに見たように、商業資本主義、産業資本主義、ポスト産業主義と、具体的にメカニズムには差異があっても、差異を媒介するというその基本原理にかんしては何の差異も存在しない。(岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』1985)
資本主義の「正常な」状態は、資本主義そのものの存在条件のたえざる革新である。資本主義は最初から「腐敗」しており、その力をそぐような矛盾・不和、すなわち内在的な均衡欠如から逃れられないのである。だからこそ資本主義はたえず変化し、発展しつづけるのだ。たえざる発展こそが、それ自身の根本的・本質的な不均衡、すなわち「矛盾」を何度も繰り返し解決し、それと折り合いをつける唯一の方法なのである。したがって資本主義の限界は、資本主義を締めつけるどころか、その発展の原動力なのである。まさにここに資本主義特有の逆説、その究極の支えがある。資本主義はその限界、その無能力さを、その力の源に変えることができるのだ。「腐敗」すればするほど、その内在的矛盾が深刻になればなるほど、資本主義はおのれを革新し、生き延びなければならないのである。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』1989)

我々の世界を支える母胎は、いつの間にか、差異の論理(非全体の論理、女性の論理)になってしまっている、としてよいのではないか。そのとき旧世代的思考のまま、つまり母胎が主人の論理(支配の論理、男性の論理)のままのつもりで、差異の論理、自己革命化の論理による対抗言説を発しても機能しない。それ冒頭のジジェク文の言っていることだ、とわたくしは捉える。

これは、柄谷行人が『トランスクリティーク』冒頭近くで言っていることとほとんど同じ内容である。

マルクス主義は、合理論的、目的論的な思考(大きな物語)として批判されてきた。実際、スターリニズムはそのような思考の帰結であった。歴史の法則を把握した理性によって人々を指導する知識人の党。それに対して、理性の権力を批判し、知識人の優位を否定し、歴史の目的論を否定することがなされてきた。それは、中心的な理性の管理に対して多数の言語ゲームの間の「調停」や「公共的合意」を立て、また、合理論(形而上学)的な歴史に対して経験の多様性と複雑な因果性を立て、他方で、目的のためにいつも犠牲にされてきた「現在」をその質的多様性(持続)において肯定することである。

しかし、私が気づいたのは、ディコンストラクションとか、知の考古学とか、さまざまな呼び名で呼ばれてきた思考 ――私自身それに加わっていたといってよい ――が、基本的に、マルクス主義が多くの人々や国家を支配していた間、意味をもっていたにすぎないということである。90年代において、それはインパクトを失い、たんに資本主義のそれ自体ディコントラクティヴな運動を代弁するものにしかならなくなった。懐疑論的相対主義、多数の言語ゲーム(公共的合意)、美学的な「現在肯定」、経験論的歴史主義、サブカルチャー重視(カルチュラル・スタディーズなど)が、当初もっていた破壊性を失い、まさにそのことによって「支配的思想=支配階級の思想」となった。今日では、それらは経済的先進諸国においては、最も保守的な制度の中で公認されているのである。これらは合理論に対する経験論的思考の優位 ――美学的なものをふくむ――である。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

マルクス主義という言葉が出てくるが、もちろんこれはマルクスの思想ではない。むしろ、ここでは「目的論的な思考(大きな物語)/ 資本主義のそれ自体ディコントラクティヴな運動」という対比に注目しなければならない。これは、ラカンの主人の言説/資本家の言説の対比とほぼ等価と捉えられる。

上の柄谷の文には、ディコンストラクションや知の考古学自体、あるいは文学や芸術自体、その本来的性質上、差異の論理(女性の論理)のもとにあり、ある時期以降、これらの言説が、反体制の言説どころか、「支配的思想=支配階級の思想」になってしまっているという柄谷行人の観点が示されている、--そう読めないだろうか。

最後に蛇足ながら、柄谷行人のとらえる「真のマルクス」ーーマルクス主義ではなくーーとは次のようなことだ。

私は『資本論』にマルクスの仕事の最高の達成を見出すにもかかわらず、それをマルクスの最終的な立場として見做すべきでない、と考えている。それはこの本が未完成であるというだけではない。重要なのは、(……)マルクスがたえず移動し転回しながら、それぞれのシステムにおける支配的な言説を「外の足場から」批判していることである。しかし、そのような「外の足場」は何か実体的にあるのではない。彼が立っているのは、言説の差異でありその「間」であって、それはむしろいかなる足場をも無効化するのである。重要なのは、観念論に対しては歴史的受動性を強調し、経験論に対しては現実を構成するカテゴリーの自律的な力を強調する、このマルクスの「批判」のフットワークである。基本的に、マルクスはジャーナリスティックな批評家である。このスタンスの機敏な移動を欠けば、マルクスのどんな考えをもってこようがーー彼の言葉は文脈によって逆になっている場合が多いから、どうとでもいえるーーだめなのだ。マルクスに一つの原理(ドクトリン)を求めようとすることはまちがっている。マルクスの思想はこうした絶え間ない移動と転回なしの存在しない。(柄谷行人『トランスクリティーク』PP.249-250)

ジジェクのコメントを付せば、次の通り。

ヘーゲルがおこなったカントについての基本的な修正は、したがって、次のようなものである。理性の三つの領域(理論的・実践的・美的)は、主体の態度の移行、すなわち「カッコに入れること」で出現する。つまり、学の対象は、道徳的判断と美的判断をカッコに入れることで出現する。道徳的領域は、認識的–理論的関心と美的関心をカッコに入れることで出現する。美的領域は、理論的関心と道徳的関心をカッコに入れることで出現する。たとえば、道徳的関心と美的関心をカッコに入れるなら、人間は、自由ではない、因果的関連に全面的に条件づけられたものとしてあらわれる。逆に、理論的関心をカッコに入れるとすれば、人間は、自由で自律的な存在としてあらわれる。したがって、もろもろのアンチノミーは物象化されるべきではない — アンチノミーをなす複数の立場は、主体の能度の移行によって生みだされる。柄谷の画期的成功は、しかしながら、そのようなパララックスな読みかたをマルクスに適用したこと、マルクスその人をカント主義者として読んだことにある。 (ジジェク『パララックス・ヴュー』)

もし現在の支配的論理が、主人の言説(男性の論理)に対する資本家の言説としての差異の論理(女性の論理)であるならばーー《合理論に対する経験論的思考の優位》(柄谷行人)であるならばーー、それを批判しないままでは、マルクス的フットワーク、あるいはカント的視差(パララックス)はない、ということになる。

では今、何が必要なのか、といえば、ジジェクの言葉遣いなら「主人のシニフィアン」であり、柄谷行人なら「統整的理念」(構成的理念ではなく)である(参照:主人のシニフィアンと統整的理念)。