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2015年5月3日日曜日

三つの「父の死」

【星の沈黙】

1955年のセミネールにおいてラカンは聴衆に対して一つの奇妙な質問を出す。「星はどうしてしゃべらないのだろうか」と。これにたいするラカンの回答は「第一に、星には何も言いたいことがないから、第二に、星には時間がないから、第三に、星を黙らせてしまったから」というものであった。(……)

かつてわれわれが夜空を眺めていたとき、星たちはわれわれにこれらの話を語りかけてきたのであり、われわれはそれにやさしく耳を傾けていた(……)。だが現代のわれわれにはもうそれが聞こえない。あるときから星たちは突然黙りこくってしまったのである。むしろラカンの言うように、星を黙らせてしまったのだ。いったい誰が星を黙らせたと言えるのだろう。

それはニュートンである。ニュートンが宇宙を支配する万有引力の法則を発見し、世界を何の意味もない数式にして書きとめ、パスカルの言う「無限空間の永遠なる沈黙」をうちたてたのである。以後、宇宙は何の意味もない数式に還元されるようになり、星には言いたいことはなくなってしまったのである。(向井雅明『真理と知』)

いつ大文字の父が死んだのかは、ラカンが言うようにニュートンが殺したのかもしれず、あるいはフーコーのように「西欧の〈エピステーメー〉全体が18世紀末転覆した」ーー要するにフランス革命前後とする立場もある。

18世紀末以前に、〈人間〉というものは存在しなかったのである。…〈人間〉こそ、知という造物主がわずか二百年たらずまえ、みずからの手でこしらえあげた、まったくの最近の被造物にすぎない。(フーコー『言葉と物」)

おそらく大きな視点からはこれらの見解の方がより「正しい」のだろうが、いまは二〇世紀における三つの「父の死」をめぐって簡単に記述する。

いやそのまえに、奇妙な声が何処からともなくきこえてくる。それはニーチェの有名すぎる「神の死」ではない。もっと厄介な「超自我」の声である。

父の機能を基礎づけるのは父親殺しだと主張さえしてフロイトが父なるものを守っているように、無神論の真の公式は「神は死んだ」ではなく、「神は無意識的である」である。(ラカン『セミネールⅩⅠ)

すなわち、《父は死んだが、父はそのことを知らない》、ーーだが、これについては、ここで記すことはしない。

かつまた、日本の批評家から発せられた猥褻な「超自我」の声さえ耳元を掠める・ ・ ・

王殺しなどかつて起りはしなかったかのごとくに振舞いながら、記憶喪失に徹すること。また一方で、忘れられた王殺しにもかかわらず、空位になった王座に誰もが自分を位置づける権利だけはあると確信すること。(蓮實重彦『物語批判序説』)

二〇世紀とは「記憶喪失」の歴史である。すくなくとも三度「父」が死んでいる。

ーーそしてここでの文脈からはいささか外れるが、二〇世紀とは前代未聞の異常なことが起こった世紀でもある。二十世紀初めの世界人口は二〇億でしかない。今、七〇億超であり百億も遠くない世紀にわれわれは生きている。




ジジェクのジョーク?を付しておこう、

《地球にとってもっともよいのは、三分の二の人間が死ぬような仕組みをゆっくりとつくることではないでしょうか》(『ジジェク、革命を語る』)



【第一の父の死】ーー第一次大戦


フロイトが『文化のなかの居心地の悪さ』(1930)で教えてくれたのは、社会と個人のあいだいは緊張の領域があり、個人の欲望は社会によって拘束されるということだ。彼が仕事を始めたのは、19世紀のいわゆるヴィクトリア朝モラルの社会、すなわち全き父権制社会がいまだ華やかかりし時代であり、そこでは伝統的な階級構造と支配的な宗教による「禁止」、あるいは超=強制倫理の支配する時代だった。

これは日本ではいささか様相が異なるだろう。そもそもフロイトの闘った相手は西欧の一神教文化である。だが日本にはそんなものがあったのは明治以後の一時期だけだ。

かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。(……)

明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになるーーそういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003 『時のしずく』2005所収)

一神教的な超=強制倫理の支配する時代の典型例として、たとえば、第一次世界大戦において、ほとんど全ての世代が自発的に参加し、成人の男たちは、喜んで「思い切った行動」に出て、死に遭遇した。われわれの今の感覚では信じがたい行動であるだろう。あの時代の英国貴族のノブレス・オブリージュnoblesse oblige――そのもとに英国青年貴族の半ばが第一次世界大戦に倒れたーーなど、後期資本主義社会において、どうやってあり得るというのか。いや、原理主義者たちがいるではないか?――だがここではその議論に踏み込まない。

いずれにせよ、後期資本主義社会、あるいは新自由主義の時代に支配しているのは、《 自由、平等、所有そしてベンサム(Freiheit, Gleiheit,EigentumundBentham)だけである》(マルクス『資本論』)。

ベンサム! と言われてもなんのことか分からない人がいるだろうから、こう附記しておこう。

ペンサム! というのは、両当事者のどちらにとっても、問題なのは自分のことだけだからである。彼らを結びつけて一つの関係のなかに置く唯一の力は、彼らの自己利益、彼らの特別利得、彼らの私益という力だけである。そして、このようにだれもが自分自身のことだけを考えて、だれもが他人のことは考えない……(『資本論』)

次ぎのニーチェの文は、上に英国貴族の例を挙げたばかりであり、イギリス人にはやや失礼な言葉だが、ここでのイギリス人は現在ならアングロサクソン流の自由主義者を代入して読めばよい。《人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである》(ニーチェ『偶像の黄昏』)。世界は幸福をもとめて努力する者たちのみの時代なのだ、理念・信念など糞喰らえ!

アングロサクソン流といえば、世界金融資本家でもある。いまや世界は皆ユダヤ人なのだ。いみじくもユダヤ人マルクス曰く、

ユダヤ教の現世的根拠は何か。それは実利的欲求すなわち利己心である。ユダヤ人の現世的崇拝の対象は何か。それはボロ儲けである。ユダヤ人の現世的な神とは何か。それはカネである。よしそうだとすれば、ボロ儲けとカネから、すなわちこの実際的で現実的なユダヤ教から解放されることが現代の自己開放ということになろう(マルクス 『ユダヤ人問題によせて』1844)

さて、なんの話だったか・ ・ ・ヴィクトリア朝モラルの話、超=強制倫理の話である。

精神分析があの超=強制倫理の支配する社会から生まれたのは偶然ではない。『夢判断』(1900)の時代はもちろんだが、フロイトが名エッセイ『ナルシシズム入門』1914や『悲哀とメランコリー』1917を書いたのは、第一次大戦の予感、あるいはその最中のことである。この大戦によって、父権制社会のナルシシズムは情け容赦なく粉々に打ち砕かれ、そして、西欧社会の悲哀の時期が引き続いた。父への悲哀(哀悼)、大文字の父への哀悼である。

ところで、二十世紀前半の偉大な三大詩人、ヴァレリー、エリオット、リルケの代表的な仕事は、第一次世界大戦直後に生まれている。

二十世紀をもっとも大きく動かした詩は結局、フランス詩のポール・ヴァレリー( 1871-1945年)の「若きパルク」『魅惑』の一対、ドイツ詩のライナー・マリア・リルケ(1875-1926年)の『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』の一対、そして英詩のT・S・エリオット(1888-1965年)の『荒地』に落ちつくかと私は思う。

これらの詩は一九二二年を中心とするごく狭い時期に出ている。「若きパルク」だけは一七年春に刊行されたが、この詩人が世に広く知られるのは一九年である。二二年は『魅惑』『荒地』との刊行の年である。翌二三年早々に『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』が伝説的な短期間で完成する。

これらの詩は成立の時間が近いだけではなく、互いに密接な関係にある。「若きパルク」『魅惑』の衝撃がリルケが書き悩んでいた『ドゥイノの悲歌』を完成させ、その傍らに『オルフォイスへのソネット』を生んだ。リルケは『魅惑』の独訳にその後の短い晩年の多くを費やすとともに、フランス語で詩作するようになる。エリオットの『荒地』だけは詩でなく十九年に英国の雑誌に掲載されたヴァレリーのエッセイ「精神の危機」と密接な関係にある。ともに西洋の精神的危機を正面からとりあげたものである。(中井久夫「私の三冊」

彼らの代表作さえ、大文字の父への哀悼のなか(少なくとも哀悼の予感のなか)で書かれているのだ。ヴァレリーの「精神の危機」とは、大文字の父の危機ーーヴァレリーはフランスと英国の「父」に同一化していたーーでもあるだろう。『精神の危機』(1919)は次ぎのように始まる、《我々文明なるものは、今や、すべて滅びる運命にあることを知っている》 。

さて、第一次大戦によって西欧文明の大文字の父への哀悼が起こったとしても、世界的には、「父」は弱体化しつつも生き残っていたとすべきだろう。たとえば米国人たちの第二次大戦での振舞いはどうだったか。

元商船三井監査役、熊谷淑郎氏によれば、戦争末期も末期、昭和二十年七月、病院船「高砂丸」が米駆逐艦の臨検を受けた。乗艦してきた米水兵は皆船尾に翻る日の丸に向かってきちっと敬礼した。若き乗務員の熊谷氏には「目のくらむような驚き」だった。この時期、日本では米英の国旗を踏みつけていた。米国に兜を脱ぎたくなるのはこういう時である。(中井久夫「国際化と日の丸」(神戸新聞 1991.12.26)『記憶の肖像』所収)

もちろん、この米国人の姿は、今では(とくにヴェトナム戦争以後は)、大いに割引して読まねばならない。

アメリカの戦記は個人をヒーローのように描くことでメリハリをつけている。将軍だけでなく一兵卒も英雄として描かれる。特に、第二次世界大戦はアメリカの「よい戦争」であった。ヴェトナム戦争以後、米国に戦記ものが出ないのも何ごとかを意味しているだろう。米国人の多くは個人的には戦争をよいこととは思っていないと私は感じる。アメリカへの移民の秘められた動機として、戦争を繰り返していたヨーロッパからの徴兵忌避があるときいた。(中井久夫「伝記の読み方、愉しみ方」)

【第二の父の死】--1968年5月

ヴェトナム戦争後は、米国でも「父の哀悼」があった。とはいえ、世界的に注目すべきなのは、1968年の学園紛争である。

「学園紛争は何であったか」ということは精神科医の間でひそかに論じられつづけてきた。1960年代から70年代にかけて、世界同時的に起こったということが、もっとも説明を要する点であった。フランス、アメリカ、日本、中国という、別個の社会において起こったのである。「歴史の発展段階説」などでは説明しにくい現象である。

では何が同時的だろうかと考えた。それはまず第二次世界大戦からの時間的距離である。1945年の戦争終結の前後に生まれた人間が成年に達する時点である。つまり、彼らは戦死した父の子であった。あるいは戦争から還ってきた父が生ませた子であった。しかも、この第二次世界大戦から帰ってきた父親たちは第一次大戦中あるいは戦後の混乱期に生まれて恐慌時代に青少年期を送っている人が多い計算になる。ひょっとすると、そのまた父は第一次大戦が当時の西欧知識人に与えた、(われわれが過小評価しがちな)知的衝撃を受けた世代であるかもしれない。

二回の世界大戦(と世界大不況と冷戦と)は世界の各部分を強制的に同期化した。数において戦死者を凌駕する死者を出した大戦末期のインフルエンザ大流行も世界同期的である。また結核もある。これらもこの同期性を強める因子となったろうか。

では、異議申立ての内容を与えたものは何であろうか。精神分析医の多くは、鍵は「父」という言葉だと答えるだろう。実際、彼らの父は、敗戦に打ちひしがれた父、あるいは戦勝国でも戦傷者なりの失望と憂鬱とにさいなまれた父である。戦後の流砂の中で生活に追われながら子育てをした父である。古い「父」の像は消滅し、新しい「父」は見えてこなかった。戦時の行為への罪悪感があるものも多かったであろう。戦勝国民であっても、戦場あるいは都市で生き残るためにおかしたやましいことの一つや二つがあって不思議ではない。二回の大戦によってもっともひどく損傷されたのは「父」である。であるとすれば、その子である「紛争世代」は「父なき世代」である。「超自我なき世代」といおうか。「父」は見えなくなった。フーコーのいう「主体の消滅」、ラカンにおける「父の名」「ファルス」の虚偽性が特にこの世代の共感を生んだのは偶然でなかろう。さらに、この世代が強く共感した人の中に第一次大戦の戦死者の子があることを特筆したい。特にアルベール・カミュ、ロラン・バルトは不遇な戦死者の子である。カミュの父は西部戦線の小戦闘で、バルトの父は漁船改造の哨戒艇の艇長として詳しい戦史に二行ばかり出てくる無名の小海戦で戦死している。

異議申立ての対象である「体制」とは「父的なもの」の総称である。「父なるもの」は「言語による専制」を意味するから、マルクス主義政党も含まれる道理である。もっとも、ここで「子どもは真の権威には反抗しない。反抗するのはバカバカしい権威silly authorityだけである」という精神科医サリヴァンの言葉を思い起こす。第二次大戦とそれに続く冷戦ほど言語的詐術が横行した時代はない。もっとも、その化けの皮は1960年代にすべて剥がれてしまった。(「学園紛争は何であったのか」書き下ろし『家族の深淵』1995中井久夫)

ーーこの中井久夫のすぐれた指摘において、なかんずく、《「父なるもの」は「言語による専制」を意味する》を強調しておこう。

さて、このようにして、1968年に第二弾の「父の死」が起こった。その父は、「バカバカしい権威」であったかもしれぬが、その権威の死が起こった。こうしてポスト1968.5社会が始まる。

これはヴィクトリアンモデルの逆転である。そこでは、あらゆる「権威」が反故に向かう。もちろんこれは、1948年の世界人権宣言にその根のひとつがあるが、それが主に扱ったのは、女性、子どもであり、かつまた教育、医療等の権利のようなコミュイティの関心領域だ。しかし1960年代からは、それは殆どあらゆる権威の形式に漸次向かってゆき、一般の個人の解放に関わるようになる。すなわち自律した自我と本物の個性の時代であり、可能な限り多くの権利をなるべく享受しようとする。

こうやって、ヴィクトリアの抑圧の代わりに、我々はポスト68年の押し付けを持つことになったわけだ。その押し付けとは、自由でなければならないという強制である。代表的には自由恋愛の「強制」だろう。くり返せば日本ではこの様相はいささか異なるが、それはここでは長くなり過ぎるので割愛する(参照:「おみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ)。


実際、ラカンが「主人の言説」から「資本家の言説」へ、と言い出したのは、1968年学園紛争直後の1969年のセミネールⅩⅦ(精神分析の裏面)からである。

主人の言説は、概ね消滅してしまった(ラカン セミネールⅩⅦ)
もう遅すぎる……、危機、主人の言説のではない、資本家の言説、それは代替だが、それは開いてしまったouverte(ラカン ミラノ 1972/5/12)
資本主義のディスクールを特徴づけるものは、排除(Verwerfung)、拒絶、象徴界の領野すべての外に拒絶することだ。何を拒絶するのか? 去勢を拒絶する。(ラカン、セミネールⅩⅨ 1972/1/6)

ここでの問題は、父なき時代、あるいは資本家の言説の時代になって、社会と個人の緊張はなくなったかどうかである。「父」や「主人」がいなくなって、人びとは超=強制倫理によって抑圧されることなく自由になったのだろうか。もちろんその側面はある。たとえばかつてのようなヒステリー症状はほとんど消滅し、いまではDSM(精神障害の診断と統計マニュアルDiagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)ーー《1980年に米国でDSM‐Ⅲが公刊されると、この黒船によって、日本の精神医学はがらりと変わった》(中井久夫)--、これに引き続くDSM-IVにおいて、ヒステリーという用語そのものが消えてなくなり、「転換性障害」とされるようになった。だが、父なき世代には、新しい「症状」が見られる。

現在、フロイトから百年経て、われわれはまったく異なった症状に直面している。恐怖症の構築のかわりに、パニック障害に出会う。転換症状のかわりに、身体化と摂食障害に出会う。アクティングアウトのかわりに、攻撃的な性的エンアクトメント(上演)に出会う、それはしばしば自傷行為と薬物乱用を伴っている。そのうえ、ヒストリゼーション(歴史化)等々はどこかに行ってしまった。個人のライフヒストリーのエラボレーション、そこにこれらの症状の場所や理由、意味を見出すようなものは、見つからないのだ。最後に、治療上の有効な協同関係はやってこない。その代りに、われわれは上の空の、無関心な態度に出会う。それは疑いの目と、通常は陰性転移を伴う。実際、そのような患者を、フロイトは拒絶しただろう。いささか誇張をもって言うなら、好ましく振舞う(行儀のよい)かつての精神神経症の患者はほとんどいなくなってしまった。これが、あなたがたが臨床診療の到るところで見出す現代の確信である。すなわち、われわれは新しい種類の症状、ことに、新しく取扱いが難しい患者に出会うのだ。(Lecture in Dublin, 2008 (EISTEACH) A combination that has to fail: new patients, old therapists Paul Verhaeghe 

こうして新しい症状の特徴について次の三つが挙げられることになる。

①主に身体にかかわる、さらにいえばソマティックに。
②それらはふつう、パフォーマティヴな特徴がある。
③意味作用の異なったレイヤーが欠けている、ヒストリゼーションの側面の欠如とともに云々、とある。

なぜこのようなことが起こってしまうのだろう。人びとは父の権威が消滅すれば、もっと幸福になるはずではなかったのか。超=強制倫理社会が崩壊して、人びとは平等で自由になるはずではなかったか。

たいてい見過ごされているのは、自我理想(父の権威)の崩壊は必然的に「母なる」超自我の出現を招くということである。母なる超自我は享楽を禁じない。それどころか、享楽を押しつけ、「社会的失敗」を、堪えがたい自己破壊的な不安によって、はるかに残酷で厳しい方法で罰する。「父親の権威の失墜」をめぐる騒々しい議論はすべて、それとは比べ物にならないくらい抑圧的なこの審級の復活を隠蔽するにすぎない。

今日の「寛容な」社会は、「組織人間」、つまり官僚制の強迫的な召使の時代よりも「抑圧」が少なくなったわけではけっしてない。唯一の違いは、「社会的交渉の規則への服従を要求しつつ、その規則を道徳的行動の掟に根づかせることを拒む社会」においては、(……)社会的要求は非情で処罰的な超自我の形をとるということである。(『斜めから見る』

ここでの「母なる超自我」を説明しだすと長くなるが、これは「享楽の父」のことでもある。この享楽の父、あるいは母なる超自我は、「享楽せよ、常にいよいよ、ますます享楽せよ!」[ jouis toujours encore plus ! ]と不可能な命令をする! どうして満腹になったのに、「もっともっと」食べることができよう。満腹(快感)原則の彼岸にある奇妙な命令を発する連中なのだ。

「享楽の父」とは、ラカン派の文脈では、欲望が隠喩化(象徴化)される前の「父」の欲望の体現者なのであり、そこにあるのは、猥雑な、獰猛な、限度を弁えない、言語とは異質の、そしてNom-du-Père(父の名)を与り知らない超自我である。これはラカンが超自我を「猥褻かつ苛酷な形象」[ la figure obscène et féroce ] (Lacan ,1955)と形容したことに基づく。

この享楽の父は、無法の勝手気ままな「母」の欲望と近似する。それゆえ、ミレール=ジジェクによって、「母なる超自我」とも命名される(参照:[PDF]The Archaic Maternal Superego-Leonardo S. Rodriguez - Jcfar.org)。

この欲望が隠喩化(象徴化)される前の「父」の欲望やら無法の勝手気ままな「母」の欲望の jouis toujours encore plus ! などという命令の声を浴びていると、厄介なことが起こる。

厄介なのは、個人の新しい症状だけではない。父の権威が崩壊して、レイシズムとナショナリズムが猖獗する。それは、なぜなのだろうか。

重要なことは、権力powerと権威authorityの相違を理解するように努めることである。ラカン派の観点からは、権力はつねに二者関係にかかわる。その意味は、私か他の者か、ということである(Lacan, 1936)。この建て前としては平等な関係は、苦汁にみちた競争に陥ってしまう。すなわち二人のうちの一人が、他の者に勝たなければいけない。他方、権威はつねに三角関係にかかわる。それは、第三者の介入を通しての私と他者との関係を意味する。(社会的絆と権威(Paul Verhaeghe)ーー「グローバル化で等質化すればするほど世界はバルカン化する」より)


【第三の父の死】--1989年ベルリンの壁崩壊

とはいえ、すこし話を先走り過ぎた。まだ、第三の父の死について記していない。上のような個人の、あるいは社会の症状がいっそう顕著になったのは、この第三の父の死以降だろう。とくにレイシズムとナショナリズムを見よ。それは90年からの目立った現象としてよいのではないか。

……神と宗教のもっともシンプルな定義は、真実と意味は同一のものだという考えにある。神の死とは、この真実と意味とを同じものとする考えの終りであ る。そしてコミュニズムの死もまた、歴史に関しての真実と意味の分離を告げていると、私ならつけ加える。「歴史の意味」にはふたつ意味がある。ひとつは、 歴史がどこへ向かうか、といった「方向性」。もうひとつは、プロレタリアートの手になる人間の解放史などといった歴史の目的である。実際コミュニズムの時 代には、正しい政治判断を下すことは可能だとの確信があった。そのとき、私たちは歴史の意味に動かされていたのだ。……そしてコミュニズムの死は、歴史の領域でのみ、神の二度めの死となるのである。(アラン・バディウ ”A conversation with Alain Badiou, lacanian ink 23 (2004) )

バディウは、神の二度めの死としてマルクスの死を言っているが、ここでの文脈では、第一次大戦、1968年に引き続く、1989年のベルリンの壁崩壊による「三度めの父の死」である。

ある意味では冷戦の期間の思考は今に比べて単純であった。強力な磁場の中に置かれた鉄粉のように、すべてとはいわないまでも多くの思考が両極化した。それは人々をも両極化したが、一人の思考をも両極化した。この両極化に逆らって自由検討の立場を辛うじて維持するためにはそうとうのエネルギーを要した。社会主義を全面否定する力はなかったが、その社会の中では私の座はないだろうと私は思った。多くの人間が双方の融和を考えたと思う。いわゆる「人間の顔をした社会主義」であり、資本主義側にもそれに対応する思想があった。しかし、非同盟国を先駆としてゴルバチョフや東欧の新リーダーが唱えた、両者の長を採るという中間の道、第三の道はおそろしく不安定で、永続性に耐えないことがすぐに明らかになった。一九一七年のケレンスキー政権はどのみち短命を約束されていたのだ。

今から振り返ると、両体制が共存した七〇年間は、単なる両極化だけではなかった。資本主義諸国は社会主義に対して人民をひきつけておくために福祉国家や社会保障の概念を創出した。ケインズ主義はすでにソ連に対抗して生まれたものであった。ケインズの「ソ連紀行」は今にみておれ、資本主義だって、という意味の一節で終わる。社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない(しかしまた、強制収容所労働抜きで社会主義経済は成り立ち得るかという疑問に答えはない)。(……)

冷戦が終わって、冷戦ゆえの地域抗争、代理戦争は終わったけれども、ただちに古い対立が蘇った。地球上の紛争は、一つが終わると次が始まるというように、まるで一定量を必要としているようであるが、これがどういう隠れた法則に従っているのか、偶然なのか、私にはわからない。(中井久夫「私の「今」」1996.8初出『アリアドネからの糸』所収)
私の興味をひいたのは、東側と西側が相互に「魅入られる」ということでした。これは「幻想」の構造です。ラカンにとって、究極の幻想的な対象とはあなたが見るものというより、「まなざし」自体なのです。西側を魅惑したのは、正統的な民主主義の勃発なのではなく、西側に向けられた東側の「まなざし」なのです。この考え方というのは、私たちの民主主義は腐敗しており、もはや民主主義への熱狂は持っていないのにもかかわらず、私たちの外部にはいまだ私たちに向けて視線をやり、私たちを讃美し、私たちのようになりたいと願う人びとがいる、ということです。すなわち私たちは私たち自身を信じていないにもかかわらず、私たちの外部にはまだ私たちを信じている人たちがいるということなのです。西側における政治的な階級にある人びと、あるいはより広く公衆においてさえ、究極的に魅惑されたことは、西に向けられた東の魅惑された「まなざし」だったのです。これが幻想の構造なのです、すなわち「まなざし」それ自体ということです。

そして東側に魅惑された西側だけではなく、西側に魅惑された東側もあったのです。だから私たちには二重の密接な関係があるのです。(Conversations with Žižek, with Glyn Daly(,邦題『ジジェク自身によるジジェク』からだが、邦訳が手元にないので、私訳 を附す)

こうしてまたラカンに戻れば、「資本家の言説」の時代とは、資本の欲動の時代である。すなわち、むき出しの市場原理に対する「抑止力」はない時代である。

欲動は、より根本的にかつ体系の水準で、資本主義に固有のものである。すなわち、欲動は全ての資本家機械を駆り立てる。それは非人格的な強迫であり、膨張されてゆく自己再生産の絶え間ない循環運動である。我々が欲動のモードに突入するのは、資本としての貨幣の循環が「絶えず更新される運動内部でのみ発生する価値の拡張のために、それ自体目的になった瞬間である」(マルクス)。(ジジェク『パララックス・ヴュー』)

【三段階の父の死以後】--「女性の論理」の時代

「資本の欲動」の時代とは、おそらく「女性の論理」の時代ともいい得るかもしれない。このあたりについては、別にもうすこし詳しく記すべきだろうが、--いやいや、誰もこの記事をここまで読んでいまいから安心して、いまは名高いLevi Bryanのブログから一部私訳を掲げておくだけにする。

※なお男性の論理/女性の論理の基本は、「資料:ラカンの男性の論理と女性の論理/カントの力学的アンチノミーと数学的アンチノミー」を見よ。




最初は、我々は考えたかもしれない、女性の論理(非全体の論理)に基づいた社会構造の方が遥かに上手くゆくと。とどのつまり、女性の論理は、差異性、偶然性、単独性を強調する。

ラカンは次のように簡潔に言うのを好んだ、男性の論理は、ホモ-セクシャル的であり、女性の論理は、唯一真のヘテロ-セクシャルであると。男性の論理についてのこの見解は、フロイトの悪評高い『トーテムとタブー』の事例に明らかに見られる。かつまた『集団心理学と自我の分析』における軍隊組織の分析も同様に見られる。

ここでのポイントは、性別化された男性がゲイであるということではなく、彼らが皆、享楽と欲望を統制する一つの同じ法の支配下に置かれるということだ。こういわけで、兄弟の一団が『トーテムとタブー』における原父を殺したとき、彼らは、代わりに、母と姉妹を所有することに対する禁止の法を設置する。

反対に、ラカンが主張するには、女性として性別化された主体は、差異の、異性愛の真の愛を持つ。もちろんそれは「話す存在の非-全体が去勢の法に従属する」限りとしてである。

しかしながら、女性の論理のタームで組織された社会構造もまた、それ自身の袋小路に遭遇する。男性的社会構造は、超越性と必然性のタームにて考え得る。主体にかんしての指導者やボス、父親、神、国等々の超越性と、これらの主体が如何に法と関わるかについてである。

ここでの法は、法への一つだけの例外とともの超越性と普遍性である(多分、この理由で、ブッシュ政権の最後の26%の支持者は彼の行政当局の不正に煩わされるところはないだろう)。

反対に女性的社会構造は、内在的かつ偶然的である。ここでの強調点は、断然に、絶えず流動的で変貌する関係性のネットワーク形式にある。これらのネットワークは、前世紀に大惨事を引き起こした集団的幻想と同じような怖るべき分岐形成物を生み出さない限りで、いっそう魅力的であるにもかかわらず、女性的ネットワークは、一連の他の問題を引き起こす。一方で、この社会的形式を基盤としたネットワークは、政治的闘争が決定的に難しい。というのは、敵がどこにいるのかはっきりしないからだ。(註)

多分、もっと根本的には、女性的ネットワーク社会は、あらゆるタイプのファリックな主人あるいは導師の探求の発生を伴う。(……)

おそらく、これが、ネットワークベース社会によって開かれた新しい欲望の自由が、主体を不安で満たす理由である。というのは、もはや、何を欲望したらいいのかを教えてくれる指針がないからだ、「私が欲望するのを私は知っている。でも、私にとって、正しい欲望とはどんな欲望なのか、どんな欲望が私を欲望させるのか?」。これがまたあらゆる種類の原理主義の勃興を説明してくれる。そこで主体は、欲望の空間を創造するヒエラルキー社会モデルに執着する。かつまたそのモデルにおいては、後期資本主義の虚しい憂鬱な姿勢を回避できる。

ようするに、象徴界の「非-全体」(女性の論理)を認める限りでは、それは数多くの点で好ましいし、真実あるいはリアルに基づいているにもかかわらず、女性の性化が我々を救うとは言えない。

しかしながら、心に留めておかねばならないポイントは、男性と女性の性別化は、父の名とエディプスのまわりに組織された秩序を基盤としていることだ。

言い換えれば、性別化は現実界に直接関係があるにしろ、父の名が、主体性がそれを通して形成される基本的様相である限り、男性と女性の性別化のみがある。後期ラカンは他の可能性を思い描いている。すなわちセミネール23(サントーム)にて、ラカンは表明した、「父の名なしでやっていくことが可能だ、人が父の名を使用する限りで」と。さらに、父の名は複数化される、その機能に奉仕するためにシニフィアン構造のヴァラエティが許容される。

最終的に、精神病は全ての主体に一般的なものとなる。父の名のまわりに組織されたエディプス構造は、ボロメオの結び目をつなぐ一つの方法ーー他のものの中のーーに過ぎなくなる。それは〈大他者〉 (A)の不在に応答する一つの方法でしかない。

代わりに、サントームがRSIの三つの輪をつなぐようになる。それはエディプスの役まわりを必要としない社会的リンクをもたらす。多分、そのときボルメオの臨床は、エディプスを超えて結び目をつなぐ別の方法を提供するが、男性と女性の性別化を超えた異なった形式の袋小路を生み出すだろう。(Levi R. Bryan,Surplus-jouissance, Desire, and Fantasy 私訳)

この文にて、Levi Bryanは、(註)とした箇所に、ジジェクのジョークとして、次の文の要約を掲げている。


…抑圧的な権威の没落は、自由をもたらすどころか、より厳格な禁止を新たに生む。この逆説をどう説明するのか。誰もが子供の頃からよく知っている状況を思い出してみよう。ある子が、日曜の午後に、友だちと遊ぶのを許してもらえず、祖母の家に行かなくてはならないとする。古風で権威主義的な父親が子供にあたえるメッセージは、こうだろう。

「おまえがどう感じていようと、どうでもいい。黙って言われた通りにしなさい。おばあさんの家に行って、お行儀よくしていなさい」。

この場合、この子の置かれた状況は最悪ではない。したくないことをしなければならないわけだが、彼は内的な自由や、(後で)父親の権威に反抗する力をとっておくことができるのだから。「ポストモダン」の非権威的主義的な父親のメッセージのほうがずっと狡猾だ。

「おばあさんがどんなにおまえを愛しているか、知っているだろう? でも無理に行けとはいわないよ。本当にいきたいのでなければ、行かなくていいぞ」。

馬鹿でない子どもならば(つまりほとんどの子供は)、この寛容な態度に潜む罠にすぐ気づくだろう。自由選択という見かけの下に潜んでいるのは、伝統的・権威主義的な父親の要求よりもずっと抑圧的な要求、すなわち、たんに祖母を訪ねるだけでなく、それを自発的に、自分の意志にもとづいて実行しろという暗黙の命令である。このような偽りの自由選択は、猥雑な超自我の命令である。それは子供から内的な自由をも奪い、何をなすべきかだけでなく、何を欲するべきかも指示する。(ジジェク『ラカンはこう読め!』PP.159-160)

フロイトの時代と異なり、いまの世代はまったく異なる「症状」を抱えている。彼らは己れを自由だと錯覚しているが、実際のところいまの世代の享楽の超自我は、彼らから、《内的な自由をも奪い、何をなすべきかだけでなく、何を欲するべきかも指示している》。

《個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである》(マルクス『資本論』)ーー、そう、彼らは自ら、諸関係を超越していると思っているかもしれない、だが、「彼らはそれを知らないが、そうする」"Sie wissen das nicht, aber sie tun es" (同マルクス)。すなわち、彼らは、母なる超自我の命令を知らないが、それに従っている。

上にこのメカニズムを示すジジェクの文章をいくらか掲げたが、もうすこしその前段を含めて引用すれば、次の如し。なにを彼らは「無意識的ににせよ」やっているのか。ーー病的ナルシシスト? いかに成功するか、だけの連中? 他者たちを操るための「(社会的)ゲームの規則」だけを知っている輩?

いずれにせよ、彼らは《根源的に体制順応者でありながら、逆説的に、自分を無法者(アウトロー)として経験する》、--この断言が正しいかどうかは、〈あなたがた〉が自ら判断したらよろしい。

……ここでは、前世紀に資本主義社会の中にあらわれた、主体のリビドー構造の連続した三つの形態を引っ張ってくることによって、いささか性急な「社会学的」な解答に賭けてみたいという誘惑に駆られる。その三つの形態とは、プロテスタント倫理の「自律的な」人間、他律的な「組織人間」、今日支配的になっている「病的ナルシシストpathological narcissist」である。ここでぜひとも強調しなければならない重要なことは、いわゆる「プロテスタント倫理の衰退」と「組織人間」の出現、つまり個人的責任という倫理が、他者のほうを向いた他律的人間の倫理に取って代わられても、そのそこにある自我理想の枠は無傷のままだということである。変わるのはその内容だけで、自我理想は、その個人が属する社会集団の期待として「外在化」される。道徳的満足をあたえてくれるのは。もはや、周囲の圧力に屈せず、自分自身に(つまり父性的自我理想に)忠実でありつづけたという感覚ではなく、集団への忠誠心である。主体は集団の眼を通して自分をみるようになり、集団から愛され評価されるような人間になろうと必死にある。

第三段階、すなわち「病的ナルシスト」の出現は、それ以前の二形態の根底に共通してあった自我理想の枠と絶縁する。 象徴的法を自分の中に取り入れるのではなく、複数の規則、すなわち「いかに成功するか」を教えてくれる便利な規則がいろいろ与えられる。ナルシスト的な主体は、他者たちを操るための「(社会的)ゲームの規則」だけを知っている。社会的関係は、彼にとってはゲームのためのグラウンドである。彼はそこで、本来の象徴的任務ではなく、さまざまな「役割」を演じる。本来の象徴的同一化を含んでいる、自分を縛るような関わりはいっさい持とうとしない。彼は根源的に体制順応者でありながら、逆説的に、自分を無法者(アウトロー)として経験する。もちろん、こういったことは社会心理学ではすでに常識の部類に属する。だが、たいてい見過されているのは、自我理想の崩壊は必然的に「母なる」超自我の出現を招くということである。母なる超自我は享楽を禁じない。それどころか、享楽を押しつけ、「社会的失敗」を、堪えがたい自己破壊的な不安によって、はるかに残酷で厳しい方法で罰する。「父親の権威の失墜」をめぐる騒々しい議論はすべて、それとは比べ物にならないくらい抑圧的なこの審級の復活を隠蔽するにすぎない。今日の「寛容な」社会は、「組織人間」、つまり官僚制の強迫的な召使いの時代よりも「抑圧」が少なくなったわけではけっしてない。唯一の違いは、「社会的交渉の規則への服従を要求しつつ、その規則を道徳的行動の掟に根づかせることを拒む社会」においては、(……)社会的要求は非情で処罰的な超自我の形をとるということである。(ジジェク『斜めから見る』pp.192-193)

さて、ここで終えるのは、やや尻切れとんぼだとは承知している。

ーーというわけで、(おそらく、そのうち続く)、と記しておこう。