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2015年1月26日月曜日

フランス人のマグリブ人に対する敵意

さて、前回、エマニュエル・トッドの名前を出したのだが、寡聞にして殆んど知らない名なので(ジジェクの書き物のなかで一度めぐりあったことはあるが、敬してやりすごした)、ここでは基本的なレベルで、--すなわち彼の著作には当らないままーーウェブ上の情報を拾ってみることにする。

まず、前回も別の箇所を引用した鹿島茂氏の「仏紙襲撃事件は、強烈な普遍主義同士の衝突 鹿島茂氏が読み解く仏紙襲撃事件」というインタビュー記事から。

フランスの社会学者エマニュエル・トッドの説明では国家統一の基には家族類型がある。これは、親子関係と兄弟関係を軸にして4つに分けることができる。親子関係は、同居するのか、子が独立して核家族になるのかで分かれる。兄弟関係は兄弟が平等か、不平等かという遺産相続の仕方で分かれる。

まず、第1に親が権威主義的で子と同居、兄弟は不平等で単独相続の「直系家族」があり、日本、ドイツ、スウェーデン、韓国、それにユダヤ民族がこれに当たる。第2に正反対に親子は独立し自由で、兄弟は平等の「平等主義核家族」。フランスの中心部やスペイン、南米はこれに該当する。第3に、親子関係は独立して自由で、相続は不平等の「絶対主義核家族」が英国、米国、カナダなど。第4に、親は権威主義的で親子は同居、兄弟は平等という「外婚制共同体家族」が、ロシア、中国など。これが、それぞれ、国家のイデオロギーに反映されていると言うんですね。フランスはこの4類型の全部を含んでいるが、中央は普遍主義の平等主義家族、周辺は差異主義の直系家族と理解しておくとよい。中央の普遍主義が主流になったんです。

4つの類型のうち、「直系家族」は「自分たちとそれ以外」と考える。思考パターンはそれしかない。これを拡大していくと、「日本人とそれ以外」と考え、「日本人と外国人は違う」と、なる。ドイツ人や韓国人もそのように考える。「直系家族」のグループ同士はぶつかりやすい。ドイツ人とユダヤ人、日本人と韓国人がそう。

これに対して、「平等主義」のフランス人の考え方は、人間はホモサピエンスであるから、同一であると考える。そのことに比べると、「人種」「言語」「宗教」などは微細な違いでどうでもよいことでしかない。「男女」の差異すらも大きいことではない。これは例えば、フランスのフェミニズムと米国のフェミニズムの違いに現れている。フランスのフェミニズムは「女性という性」をまったく強調せずに、ただ、同権を要求するだけだ。こうした考え方が「一にして不可分」ということであり、フランス人になってしまえば、皆同じということ。

これは調べてみると、WIKIPEDIAの日本語版の「エマニュエル・トッド」の項にも類似した記述がある。それは、トッドが、《1990年、焦点を西ヨーロッパに絞り、家族型の他に識字率と宗教を主要な要素として織り込んだ大部の著書、『新ヨーロッパ大全』 (L'Invention de l'Europe) を著した》にかかわる。だがいまはその箇所を引用することはしない。その箇所に引き続いて書かれている文を抜き出す。

フランスは平等主義核家族であり、普遍主義である。しかしこの家族型はパリを中心とする北フランスにあるに過ぎず、南フランスには直系家族があり、中央山塊と地中海沿岸には外婚制共同体家族があり、ブルターニュには絶対核家族がある。ヨーロッパで見られる四種の家族構造をすべて持つのはフランスだけであり、この例外的な多様性が、フランスを独特な存在にしている。

1992年の調査では、各移民に対してフランス人の何 % が敵意を持つかを調べている。これによると、最も敵意を持たれているのはマグリブ人、すなわちアルジェリア人、チュニジア人、モロッコ人である。




しかしながら、マグリブ人女性の 15.8% はフランス人と結婚する。つまり、民族としては敵意を持つ人が少なくないが、隔離はまったく起きておらず、個人としてフランス人と結婚するのは問題がないのである。

アフリカ黒人移民は多様であり、黒人という分類の無意味さが明らかになる。例えば父系家族のソニンケ人を主体とするマリ移民は、近代化が遅れている。在仏マリ人の私生児の比率は 2%、大学生の比率は 2%、出産率は 10.3 に達する。一方、一子相続で直系家族的なカメルーンのバミレケ人は商才と勤勉で知られ、アフリカのユダヤ人とも呼ばれている。在仏カメルーン人の私生児の比率は 43%、大学生の比率は 26%、出産率は 2.6 である。この場合、私生児率の高さは、女性の地位の高さを示すものである。低い出産率は、近代化が完了していることを示す。フランスの統計ではアフリカ黒人をマリ人、セネガル人、その他に分けるので、バミレケ人を直接計測することはできないが、マリ人を父とする子供のうち母がフランス人なのは 2.1%、セネガル人では 6.2%、その他のアフリカ人では 16.7% であり、明らかにマリ人の統合が遅れている。

フランス人の混血への無頓着は以前から知られている。アドルフ・ヒトラーは『我が闘争』(1925年)の中でフランス人とアフリカ人の混血に触れ、「黒人によるフランスの侵略はまことに急速に進展したので、いまやヨーロッパの地にアフリカ国家が誕生したと、紛れもなく語ることができる」と述べている。

このフランスの同化作用は個人に働くものであるため、移民社会は容赦なく破壊される。マグリブ人は父系内婚制共同体家族で普遍主義であるが、北フランスの双系外婚制の平等主義核家族とは正反対であり、普遍主義同士で衝突することになる。平等主義核家族の自由で平等な価値観は移民にも与えられるため、少数派が弱者として暴力を受けるのに甘んじることはなく、移民も反撃する。この点で、多数派から少数派へ一方的に暴力が加えられる差異主義のアメリカ、イギリス、ドイツとは異なる。

前回の記事で、鹿島茂氏の語る「強烈な普遍主義同士の衝突」という表現に異和を書き込んだが、起源はここにあるようだ。

とはいえ、ここではわたくしの粗忽ぶりを晒すのが意図ではない。1992年の調査で、かなり前のものにも拘わらず、--すなわちその後のマグリブ人によるテロ行為の頻発の前にもーーすでに仏人は、マグリブ人(アルジェリア人、チュニジア人、モロッコ人)、あるいはマグリブ系二世に対してダントツに敵意を持っていたのだな、ということに注目したい。

ところでフランスにおける移民の定義とは、次のようなものらしい。

一般に、移民とは、外国からある国に移り住む人のことを指すが、フランスの統計上で移民と言う時は、外国人として外国で生れた者を意味し、その者が帰化してフランス国籍を取得しても移民として取り扱われる。したがって、移民にはフランス人である者もいれば、外国人である者もいる。(「フランスの移民政策」 2011.7.14 財団法人自治体国際化協会)

もちろん移民二世や三世は「移民」の範疇に入らないのだろう。たとえば前仏大統領のサルコジはハンガリー移民二世であるが、彼は「移民」ではない。

とはいえ、上に引用したヒットラーの驚きもあるように、すなわち《フランス人の混血への無頓着は以前から知られている。アドルフ・ヒトラーは『我が闘争』(1925年)の中でフランス人とアフリカ人の混血に触れ、「黒人によるフランスの侵略はまことに急速に進展したので、いまやヨーロッパの地にアフリカ国家が誕生したと、紛れもなく語ることができる」と述べている》とあるように、フランスは米国と並んで、類稀なる「移民」によって成り立ってきた国家ということができる。

中井久夫は2000年時点でだが、《今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという》と書いている。

少子化の進んでいる日本は、周囲の目に見えない人口圧力にたえず曝されている。二〇世紀西ヨーロッパの諸国が例外なくその人口減少を周囲からの移民によって埋めていることを思えば、好むと好まざるとにかかわらず、遅かれ早かれ同じ事態が日本にも起こるであろう。今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという。現に中小企業の経営者で、外国人労働者なしにな事業が成り立たないと公言する人は一人や二人ではない。外国人労働者と日本人との家庭もすでに珍しくない。人口圧力差に抗らって成功した例を私は知らない。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)


そもそもヨーロッパ諸国は移民や二世、三世の人口がなければ、社会保障制度など容易に成り立ち難いのではないか。あるいは移民たちの多くが貧困でろくに所得税を払っていないとしよう。だが、付加価値税20%の西欧諸国でなら、月に五万円消費すれば、一万円の税金で移住国に貢献していることになる。

ところで先程引用した『「フランスの移民政策」 2011.7.14 財団法人自治体国際化協会』には、次のような図表がある。




マグリブ人(アルジェリア人、チュニジア人、モロッコ人)の比重はかくの如し。ましてや二世や三世まで含めれば、フランス人口におけるマグリブ系の割合はどのくらいになるのか。

アラーは、ヨーロッパにてイスラムの勝利を授けてくれるだろう、剣も、銃も、征服もなしに。われわれにはテロリストは必要ない。自爆テロはいらない。ヨーロッパにおける五千万人超のムスリムThe 50 plus million Muslims (in Europe)が、あと数十年でヨーロッパをムスリム大陸に変えるだろう。(カダフィ大佐Muammar Gaddafi)

ーーとは2010年のメルケル独首相による記事からである(Germany Will Become Islamic State


いくらかの抄和訳(メルケル首相「ドイツはイスラム国家になるだろう」)もウェブ上にあるので貼り付けておこう。

「我々の国は変わり続けるでしょう。また、移民の問題解決を取り上げるにあたっては同化が課題です。」

「長い間我々は、それについて自国を欺いてきました。例えばモスクです。それは今までよりずっと、我々の都市において重要な存在となるでしょう。」

「フランスでは20歳以下の子供の30%がムスリムです。パリやマルセイユでは45%の割合まで急上昇しています。南フランスでは、教会よりモスクが多いのです。

イギリスの場合もそれほど事態は変わりません。現在、1000を超えるモスクがイギリスには存在します。──ほとんどが教会を改築したものです。

ベルギーでは新生児の50%がムスリムであり、イスラム人口は25%近くに上るといいます。同じような調査結果はオランダにも当てはまります。

それは住民の5人1人がムスリムのロシアにも言えることです。」

ところで、なぜ、フランス人がマグリブ人に、1992年の時点で、あんなにも憎悪をもつのか。それはまずは身近な「隣人」ーーフロイト、ラカン的な意味でーーでありすぎるためだろう。

……エイリアンたちはまったく人間にそっくりに見えるし、人間そっくりの行動をするのだが、ちょっとした細部(眼がおかしなふうに光るとか、指の間や耳と頭部の間に皮膚が余分についているとか)から彼らの正体がばれる。そのような細部がラカンのいう対象aである。些細な特徴がその持ち主を魔法のようにエイリアンに変身させてしまう。(……)ここでは人間とエイリアンとの違いは最小限で、ほとんど気づかないほどだ。日常的な人種差別においても、これと同じことが起きているのではなかろうか。われわれいわゆる西洋人は、ユダヤ人、アラブ人、その他の東洋人を受け入れる心構えができているにもかかわらず、われわれには彼らのちょっとした細部が気になる。ある言葉のアクセントとか、金の数え方、笑い方など。彼らがどんなに苦労してわれわれと同じように行動しても、そうした些細な特徴が彼らをたちまちエイリアンにしてしまう。(ジジェク『ラカンはこう読め!』P117-118ーー「彼らの家に土足で上がりこんだ日本人」より)

また過去の植民地政策、あるいはアルジェリア戦争の記憶ーーある意味で隠蔽された記憶ーーのせいでもあるだろう(ここではイスラム原理主義には触れないでおこう)。

すなわちフランス人は負債があるからこそ、アルジェリア人を憎むのである。

「《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』ーー「俺があの男を憎むのは、俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ」より)

…………

※附記

◆「和解 そのかたちとプロセス 河原 節子 河原節子(一橋大学法学研究科 教授(外務省より出向) )」より。


アルジェリアは、 フランスが1830年の軍事占領した後、フランスの国内県に編入されて130年以上にもわたり仏の統治下にあった。アルジェリアを2012年12月に訪問したオランド仏大統領は、アルジェリア議会での演説で、132年間にわたる植民地主義は「極めて不正義で野蛮」な制度だと位置づけ、暴力、不正義、虐殺、拷問についての真実を認識する義務があり、全ての記憶を尊重すると述べた。一方、その前日の公式記者会見では、ある記者より「過去の問題について悔恨の意を表したり、謝罪をするのか」と質問されたのに対し、 同大統領は、 「過去や植民地主義、 戦争や悲劇についての真実を語る」と述べつつ、謝罪や悔恨の意図はないことを暗に示した)。現在の価値基準に照らせば、植民地主義が不適切な政策であったと認めつつも、旧宗主国側が一貫して謝罪に消極的なのは、当時は合法かつ正当な施策として行ってきたとの考え方に加え、謝罪は容易に責任問題としての賠償に結びつきやすいとの側面も考えられる。
他の植民地と異なり、仏はアルジェリアを自国の県として併合し、農地の払い下げ等を通じて多くの国民が移住(植民)し、数世代にわたって居住した。 しかし、 「原住民」 との経済・社会的格差は大きく、 第二次大戦中に独立運動が開始され、50年代半ばにはテロを用いた独立闘争とそれに対する激しい弾圧・軍事行動の応酬となった。ド・ゴール大統領は交渉を通じて独立容認に動いたが、すでに数世代にわたり植民していたアルジェリアのフランス人や仏軍の中で断固としてアルジェリアを仏国にとどめておくべきとの強硬派によって秘密武装結社が組織され、軍事クーデターまで企てられた。アルジェリアのフランス人は秘密結社による武力による独立運動阻止を支持したが、仏本国ではテロの応酬に終止符をうつためアルジェリアを手放すべきとの意見が多数を占めるなど、仏国民の世論が二分された。秘密結社はアルジェリアのみならず欧州各地でテロ活動を行い、 現地では仏国民同士の戦争の様相を呈した。さらに、アルジェリアの仏正規軍は「アルキ(haruki 」)と呼ばれる現地人の補充兵を雇用したため、彼らは、独立闘争を進める団体と戦うことになり、独立後アルジェリア人に「裏切り者」として迫害された。仏・アルジェリア双方において、多くの人々が多様な形で犠牲になった上、同国民同士の戦いの要素もあって、あの戦いがどのような意味を持つのかについて統一的な見解が成り立ちえない、深い傷を残した。そのため、仏政府は当初忘却政策をとり、家や財産を失い、見捨てられたと感じる約100万人もの「引揚者」や、「裏切り者」 扱いされたハルキの困難な記憶は抑圧されていた。 しかし、彼らの苦難や犠牲を認知してほしいとの要求は消えることはなかった。1995年にシラク大統領がナチ占領下でのユダヤ人大量検挙にフランス人が加担したことを公式に認めて記憶する方針を表明したことを契機に、アルジェリアでの拷問や抑圧を不問に付すのはダブルスタンダードとの批判が生じた。 これを契機に、 1999年には、それまで「秩序維持作戦」と通称されてきた戦争を、正式に「アルジェリア戦争」と呼称するための法律が制定された。 そして、 この戦争に関する多様な記憶を有する集団が、自らの記憶を単に個人的記憶ではなく、歴史の中に位置づけたいという思いが強まっていった。その1つが、植民地時代には悪いことのみではなく、良いことも成し遂げたという引揚者の思いであり、2005年の引揚者感謝法第4条第二項において、 「学校の教科は、 ・・特に北アフリカにおけるフランスの存在の肯定的役割を特に認め・・」るという形で反映された。これに対してアルジェリア大統領が激しく反発し、また、常日頃から社会的格差などに不満を有していた北アフリカからの移民の若者が暴動を起こして社会不安につながった。さらに、ピエール・ノラなど著名な知識人が歴史に政治を持ち込むことに反対するアピールを出した。 最終的にシラク大統領は、 大統領令によって同条を廃止したが、 この事例は、植民地時代及び独立戦争に関わる経験と記憶が、一国内においても集団によって大きく異なることが、和解を妨げ、対立を深める要因にさえなることを如実に示しているといえる。


◆「戦略なき朝鮮統治――フランスのアルジェリア支配との比較から」(筑波大学教授 青柳悦子)

……20 世紀に入るとムスリムの状況に変化が起き始める。エリート層のなかにはフランス学校で学ぶことを自ら目指す若者が現れ、フランスで教育を受けたこうした進歩派指導層が本国とのつながりを強めることで、コロンたちとの不平等を解消しようとする傾向が強まっていく。ムスリム側から兵役制度が求められ、 第一次世界大戦では実際にフランスはアルジェリア原住民徴兵により 17 万人の軍人 (うち 8 万人は志願兵)を得た。ジョルジュ・クレマンソー首相はこうしたアルジェリア原住民の貢献を高く評価し、原住民の権利、とくに選挙権の拡大に努めようとした。人口拡大と教育の欠如、高い失業率と貧困といった根源的な問題が深刻化する一方で 1914 年から54 年までに、200 万人のアルジェリア原住民がフランス本国に軍人または労働者として滞在した。高度に発展した社会を直接に経験した多くの民衆を通じて、アルジェリアのムスリムたちは、自分たちの正当な権利はどこにあるかを迷いなく見定めることになる。
アルジェリア戦争のあいだに、 200 万人を超えるフランス人兵士がアルジェリアへ動員さ れることになった。アルジェリア原住民側の犠牲者は数十万人に上るとされる。

…………

とはいえ、仏人の、とくに左翼インテリのあいだでは、次のようなイスラム系住民、すなわちマグリブ人やアラブ人に対する同情を示すという状況もあることは、ここでさらに追記しておこう。



◆「フランスにおける反人種差別主義的ディスクールの危機」(丸岡高弘)より

この論文は、2005年パリ郊外暴動事件(WIKIPEDIA 参照)をめぐるユダヤ系哲学者フィンケルクロートAlain Finkielkrautーー彼は当時メディアに頻繁に登場するマスコミの寵児だったらしいが、2014年アカデミー・フランセーズの会員に選出されているーーのコメント(イスラエルの新聞「ハーレッツ」におけるインタヴュー)が一週間ほど後、「ル・モンド」に紹介・要約されて「人種的敵意を煽り、挑発する行為」として物議を醸したことにまずはかかわる。

スキャンダルになった理由はいくつかあるが、ここではその「反人種差別主義批判」だけに限る。

フィンケルクロートの反レイシズム批判とは次のような見解である。

私は今日、“人種差別にたいする戦い”というこの高貴な思想が徐々に極めてインチキなイデオロギーに変質しつつあると思います。こうした反人種差別主義は、二十世紀における共産主義とおなじような役割を二一世紀いはたすことになるでしょう。つまりそれは暴力の源となるのです。今日、ユダヤ人は反人種差別の名のもとに批判されています。シオニズム=人種差別主義という分離壁が建てられてしまっているのです。

このフィンケルクロートの文を引用して、著者の丸岡氏は次ぎのように書いている。

つまり、パレスチナ人にたいする過度の同情と共感がフランスのイスラム系住民に拡大され、彼等は人種差別主義の犠牲者と見なされる。迫害者はもちろんイスラエルであり、それにたいする敵意がフランスのユダヤ人にも延長され、反ユダヤ主義が横行する。また欧米はその植民地主義的過去と現代におけるマイノリティーの社会統合の失敗、さらにはパレスチナ紛争における曖昧な態度のために、世界のすべての悪の根源とみなされ、イスラム系住民の憎悪の対象となる。こうしたイスラム系住民のユダヤ人やフランス社会への憎悪を、反人種差別主義が煽っているとフィンケルクロートは考えるのである。