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2015年2月21日土曜日

「理解」することは「許す」こと

半月ほどまえに書いた文章だが、投稿せずのままのものである(そもそもこの類の下書きが30ほどあり、かつまたWordには下書きの下書きとでもいうべきものが、これも20ほどある)。なにか別のことをつけ加えようと思っていたのだが、なんだったか思い出せない(それは初老による脳軟化症のせいかもしれない)。というわけで、そのまま投稿する。

…………

イスラム教とは、コミュニズム衰退後にその暴力的なアンチ資本主義を引き継いだ「二十一世紀のマルクス主義」である。(ピエール=アンドレ・タギエフーージジェク『ポストモダンの共産主義』からの孫引き

ピエール=アンドレ・タギエフとは、他にどんなことを言っているのかをいくらか探ってみたおりにめぐり合った丸岡高弘氏の「フランスにおける反人種差別主義的ディスクールの危機」から抜粋してみる。

タギエフはまたテロや暴力やさまざまな社会的逸脱行為の原因を解明しようとする努力がそれらを容認することに転換しやすいという点についてもフィンケルクロートとその危倶を共有する。彼等にとってこの問題について「理解」することは「許す」ことなのである。タギエフによればフランスの知的エリート達は国家が形成される前のナショナリズムを民族自決運動として手放しで承認するために,テロリズムまでも容認してしまう。パレスチナ人は特権的な犠牲者となり,他の犠牲者の存在は顧みられず,テロをうみだす原因(シオニズム)ばかりに注目が集められる。だから極左のひとびとの聞では,テロリズムはアメリカ帝国主義の産物だという転倒した議論がされてしまう。「こんなふうに暴力行為を説明し理解しようとすることはそれを正当化することと等しい 。


冒頭のタギエフの文章それ自体が、イスラム教を理解しようとするものであるかに見えてしまうところがあるが、ここでは素直にタギエフやフィンケルクロートの主張(丸岡高弘氏の論は、フィンケルクロート論である)に従おう、このところパレスチナやらイスラム国などをめぐってメモしてきた自らを諌め、軌道修正のためにも。

……われわれが避けねばならぬのは,「理解するよう努める」ということの罠である.つまり,ボスニア紛争が神秘化される主要な理由は,誰もがそれを「理解しよう」と努めることにある.そういった態度の紋切り型の一つに従えば,「何が起きているかを説明しようとすれば,少なくとも過去 500年の歴史,様々な戦争と宗教的,民族的等々の争いのあれこれについて知識を得なければならない」ということになるが,情勢の「複雑さ」をこのように強制的に喚起させることが結局何に貢献するかといえば,バルカンに注がれる疑似人類学的眼差し,つまりはファンタスムの場としてのバルカンに対して西欧の観察者が保っている距離を維持することに貢献するのである.言い換えるなら,旧ユーゴスラヴィアでの出来事が証明しているのは,「理解することは許すことだ」というお定まりの知恵がもつ愚劣さなのだ.為さねばならぬのは,まさにその逆のことである.ポスト =ユーゴスラヴィア戦争に関しては,いわば逆転した現象学的還元を行ない,われわれに状況を「理解する」ことを許す夥しい過去の亡霊,意味の多様性を括弧に入れなければならない.「理解する」ことの誘惑にあらがい, TVの音を切ることと同じようなことを行なわなければならない.するとどうだ,声の支えを失ったブラウン管上の人物の動きは,意味のない馬鹿げた仕草に見えるではないか …….「理解力」のこのような一時的宙吊りを行なうことで初めて,ポスト =ユーゴスラヴィア危機において政治的,経済的,イデオロギー的に問題となっているもの,すなわち,この戦争を導いた政治的計算と戦略的諸決定の分析が可能になるのである.ジジェク『アンダーグラウンド 』

この文自体、いかようにも読めるだろうが、たとえば、理解しようとしている巷間の「にわか識者」ーーそれは名の知れた評論家のたぐいももちろん含まれるーー、彼らが「僕は理解力の宙吊りを行なったあとで分析しているのだ」などと言い逃れる文章としても使われてしまう可能性があるのではないか。そしてジジェク自身だって「解釈」やら「理解」ばかりしているではないか! と何処かからきこえてきそうだ。

万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きているのである(Human being cannot endure very much reality ---T.S.Eliot)(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』P264)

ただし、わたくし自身はどうあっても、たとえばイスラムやユダヤ問題、あるいはパレスチナ問題について、宙吊りなどしていると言い募る自信はない。このところようやくいささか調べてみただけなのだから。

そしてブログならまだしも、ツイッターというのはどうしても脊髄反射的な書き込みになりがちだ。あれはひとをいっそう阿呆にする装置ではないか。

彼の書くものの中には、二種類のテキストがある。テクストⅠは反応的(反作用的)であり、その動因となっているものは、さまざまな憤慨、恐怖、内心での反論、軽い偏執病、防衛、いさかいである。テクストⅡは能動的(作用的)であり、その動因は、快楽である。しかし、書かれ、訂正され、“文体”の虚構に順応するにつれて、テクストⅠそれ自体も能動的となっていく。そうなると、それはみずからの反応性の表皮を失い、その反応性は、わずか、ところどころに斑(ささやかな丸括弧にかこまれた斑点)としてしか残らない。(『彼自身によるロラン・バルト』)

せめて苛立ちは、《ところどころに斑(ささやかな丸括弧にかこまれた斑点)としてしか残らない》ようにしたいものだ。

さて上に引用したジジェクの文の、ジジェク自身による解釈のような文章を掲げよう、そこには「似非能動性」という言葉がある。ツイッターとは似非能動性の装置である。

人は何かを変えるために行動するだけでなく、何かが起きるのを阻止するために、つまり何ひとつ変わらないようにするために、行動することもある。これが強迫神経症者の典型的な戦略である。現実界的なことが起きるのを阻止するために、彼は狂ったように能動的になる。たとえばある集団の内部でなんらかの緊張が爆発しそうなとき、強迫神経症者はひっきりなしにしゃべり続ける。そうしないと、気まずい沈黙が支配し、みんながあからさまに緊張に立ち向かってしまうと思うからだ。(……)

今日の進歩的な政治の多くにおいてすら、危険なのは受動性ではなく似非能動性、すなわち能動的に参加しなければならないという強迫感である。人びとは何にでも口を出し、「何かをする」ことに努め、学者たちは無意味な討論に参加する。本当に難しいのは一歩下がって身を引くことである。権力者たちはしばしば沈黙よりも危険な参加をより好む。われわれを対話に引き込み、われわれの不吉な受動性を壊すために。何も変化しないようにするために、われわれは四六時中能動的でいる。このような相互受動的な状態に対する、真の批判への第一歩は、受動性の中に引き篭もり、参加を拒否することだ。この最初の一歩が、真の能動性への、すなわち状況の座標を実際に変化させる行為への道を切り開く。(ジジェク『ラカンはこう読め!』p54)

 どうだろうか、〈あなた〉は、事件がある度に、なにかを言わざるを得ない気分になることがないか。他人と同調しつつ、ある人物へ悪口をいうことが公認された義務のような感覚に襲われることはないか。《……公衆の面前で悪しざまに罵倒することができる数少ない公的存在として、世間が○○を選んでしまったのである》(蓮實重彦)

そう、この○○にはいろんな固有名詞が入ることだろう。そして○○に、折りある毎になにかの名を代入しつつ騒ぎ立てる、ツイッター上の振舞いを、ファシズムと呼ぶ。

あらゆる言葉のパフォーマンスとしての言語は、反動的でもなければ、進歩主義的でもない。それはたんにファシストなのだ。なぜなら、ファシズムとは、なにかを言うことを妨げるものではなく、なにかを言わざるを得なく強いるものだからである。(ロラン・バルト『文学の記号学』)

いや罵倒だけではない。「表現の自由」の擁護の無限連鎖! ーーつい最近もあったではないか。あれはファシズムではないのか。ある「真理」やら「理念」を一歩間違って狂信的に扱えば、集団神経症が生れる。

さてこうやって書いてくれば、表題の《「理解」することは「許す」こと》に全く反する文章が「意図せずに」、浮んで来ることになる。

スピノザは、身体からくる受動感情(情念)を”意志”によって克服しようとする姿勢を否定する。感情に対しては、われわれはその原因を知ろうと努めることしかできない。感情にとってかわるのは、意志ではなく、もう一つの感情である。いいかえれば、意志そのものが、われわれが複雑すぎるがゆえにその原因を知らないところの欲望(意識された衝動)にほかならない。くりかえしていうが、スピノザはそのような感情や欲望の不可避性を承認しようとするのであって、それを理性や意志によって克服しようとする態度を否定するのである。

《感情は、それと反対の、しかもその感情よりもっと強力な感情によらなければ抑えることができない》(『エチカ』)。これは、ある意味で、フロイトが宗教についていったことを想起させる。フロイトの考えでは、宗教は集団神経症である。神経症を意志によって克服することはできない。が。彼は、ひとが宗教に入ると、個人的神経症から癒えることを認めている。それは、ある感情(神経症)を除去するには、もっと強力な感情(集団神経症)によらねばならないということである。むろんフロイトは、神経症を集団神経症によって癒すことに反対である。困難であるとしても、個人的・集団神経症に対して立ち向かう方法がひとつある。それはスピノザのいったつぎのことである。

受動の感情は、われわれがその感情についての明瞭・判明な観念を形成するば、ただちに受動の感情ではなくなる》(『エチカ』)。

つまり、それについて「明瞭・判明な観念」をもつこと以外には、受動性のなかにある状態から出られないと、スピノザはいうのだ。この場合、彼は感情のみについて語っているけれども、「受動性」はすべての「意識」についてあてはまる。真理の意識さえでも表象であり、受動性においてある。真理としてのイデオロギーを越えるのは、いつも別の真理のイデオロギーである。

こ こで、すでに示唆してきたように、いくつかの疑問が生じる。それは先ず、真理の意識そのものを表象とみなす「観念」は、それ自体意識ではないのか、ということだ。これはつぎのようにもいいかえられる。われわれが自然史のなかにあり、受動性=表象のなかにあって、それを超越しうるという考えそのものが表象に すぎないとするならば、そのようにいうこと自体は超越なのではないか、と。あるいは、個としての主体を受動的な表象とみなすとき、なおそれをそのようにみ なす主体があるのではないか、と。(柄谷行人『探求Ⅱ』)

さあて、オスキナヨウニ! 読み手しだいである。〈あなたがた〉は、それぞれいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きているのであるから、己れの都合のよいように解釈したらよろしい!

ところで、このわたくしは、なぜ〈あなた〉とか〈あなたがた〉などという二人称単数やら複数の代名詞を使っていま書いているのだろう? それはひょっとして、なにか悪意の意図があるのではないか。

人称代名詞と呼ばれている代名詞。すべてがここで演じられるのだ。私は永久に、代名詞の競技場の中に閉じこめられている。「私〔je〕」は想像界を発動し、「君〔vous〕」と「彼〔il〕」は偏執病(パラノイア)を発動する。……『彼自身によるロラン・バルト』)

そう、もちろんナイーヴな読み手をパラノイア化させる意図があるに相違ない。

いやひょっとしてこっち系かもしれない。

@Cioran_Jp: 街に出て人間どもを目にすると、まっさきに思いつくのは「皆殺し」という言葉だ。(シオラン『四つ裂きの刑』)

「おれの曲に拍手する奴らを機銃掃射で
ひとり残らずぶっ殺してやりたい」と酔っぱらって作曲家は言うのだ

ーー谷川俊太郎「北軽井沢日録」より『世間シラズ』所収

なにひとつまっとうな人間としてものを考えようとしないやつらは、生きてても目ざわりになるから首でもくくって死ね、そうすれば皮でもはいで肉を犬にでもくれてやる、と思ったのだった。(中上健次『鳥のように獣のように』)

…………

加藤周一は、《理解するとは、分類することである》とする。そして《愛するとは、分類を拒むことである》とも。

理解するとは、分類することである。一人の女が他の女に似ている点に注目する(「スイもアマイもかみわけた」見方は、そうでなければ、成立しないだろう)。あるいは、一人の男がもう一人の男に似ている点に(「男はみんなこういうものだ」)。しかし愛するとは、分類を拒むことである。その女を愛するのは、他の誰にも似ていないから、つまりかけ替えがないからである(「オレとオマエの仲だもの……」)。故に理解の内容は、社会的であって―――社会的でない理解はそもそも成立しない―――、愛の内容は、本来非社会的であり、純粋に私的であり、余人に伝え難い。

しかし恋人たちの感情もゆれ動くだろう。ある時の感情が、次の瞬間に、どう変わってゆくのか、たしかな保証はない。相手の心理を忖度しても然り、自分自身の気分を省みてもなおかつ然り。みずからそこにたしかな持続をもとめ、拠りどころを築き、全く衝動的ではない一聯の行動の動機をそこから抽きだすためには、それが「愛」であるとか「恋」であるとかみずからいうほかない。しかるに「愛」にしても「恋」にしても、何かを名づけ、何かをいうためには、言葉を用いざるをえない。しかるに言葉は決して純粋に私的ではなく、社会的なものである。いうことは、社会化することであり、余人を私的空間に引き込むことである。どうすれば余人に伝え難いことを余人に伝えることができるだろうか。

別の言葉でいえば、非社会的なものの社会化は、いかにして可能であろうか。個別的対象の個別性=かけ替えのなさを、切り捨てて分類するのではなく、それを特殊な時と特殊な場所のなかに固定したまま、安定化し、明確化し、その時と場所を越えての意識に対し―――それが自分自身の意識であろうと、第三者の意識であろうと―――、到達可能なものにするためには、どういう手段を用いることができるだろうか。その手段は芸術的表現である。(加藤周一『絵のなかの女たち』)

すなわち愛するとは、理解を拒むことであるといってよいだろう。精神分析的にも、愛するとは「無意識」の心的領域によって起こるものであり、なかんずく対象aにかかわるのだから。

欲望の対象と欲望の対象-原因(対象a)のギャップというのは決定的なんだな、その特徴が私の欲望を惹き起こし欲望を支えるんだから。この特徴に気づかないままでいるかもしれない。でも、これはしばしば起っていることだが、私はそれに気づいているのだけれど、その特徴を誤って障害と感じていることだね。たとえば、誰かがある人に恋に落ちるとする、そしてこう言うんだな、「私は彼女をほんとうに魅力的だと思う、ただある細部を除いて。――それが私は何だかわからないけれど、彼女の笑い方とか、ジェスチュアとかーーこういったものが私をうんざりさせる」。でもあなたは確信することだってありうるんだ、これが障害であるどころか、実際のところ、欲望の原因だったりするのを。欲望の対象-原因というのはそのような奇妙な欠点で、バランスを乱すものなのだけれど、もしそれを取り除けば、欲望された対象自体がもはや機能しなくなってしまう、すなわち、もう欲望されなくなってしまうのだ。こういったパラドキシカルな障害物だね。(『ジジェク自身によるジジェク』私訳)

だから、出会い系、--なんというのだったか? 日本での結婚相手探しのコンパ、あれは自分を商品として提示するという意味で、いかにもなんでも商品化の時代、「新自由主義」的風潮のひとつであろうだろうがーー、破廉恥な反−愛の装置である。

感情的諸関係に関わる過程でさえ、ますます市場関係の流れに即して組織されるようになっている。そうした手続きは自己の商品化に基づいている。インターネットの出会い系や婚活の代理店にとって、出会いや結婚相手を求める人びとは、その品質を列挙し、写真を掲載することに見られるように、自分自身を商品として提示しているのである。ここで見失われていることは、自分に即座に好意をもってくれるようにしてくれたり、自分以外を即座に嫌いにしてくれる特異な魅力を指す、フロイトのいわゆる1本の線 der einzige Zug である。愛は必然性として経験される1箇の選択である。ある点で、人間は、すでに愛しており、他にはどうしようもないという感情に襲われる。定義的に言えば、したがって、それぞれの候補者の品質を比較し、誰と恋に落ちるのかを決意するといったことは、すでに愛ではありえない。だからこそ、出会い系は優れて反−愛の装置である。(「永遠の経済的非常事態」 スラヴォイ・ジジェク 長原豊訳

愛することは理解を拒むことであるのなら、では憎むことはどうだろう(たとえばテロ行為を憎む)。

フロイトの“無意識”とは、……まさに反射性のなかに刻みこまれる。例をあげよう。だれかこの私がヒッチコックの映画の悪党のような人物を“憎むことを愛する”。私は一見この悪役を憎むだけだ。にもかかわらず無意識的には私は(彼を愛しているわけではない、しかし)彼を憎むことを愛するのだ。すなわち、ここにある無意識とは、わたしは反射的に私の意識的な態度に関連させる方法なのだ。(あるいは逆のケースをあげよう。だれかこの私は“愛することを憎む”。フィルムノワールのヒーローは、悪魔的な宿命の女(ファムファタール)を愛さざるをえない、しかし彼女を愛することを彼自身は憎んでいる)。これがラカン曰くの人間の欲望はつねに欲望することを欲望することだの意味である。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』2012 私訳)

悪党は、――「公式的には」、最終的に非難されるにしろ、――それにもかかわらず、われわれの(享楽の)リビドーが注ぎ込まれている、ヒッチコックは強調したではないか、映画とは、ただひたすら悪人によって魅惑的になる、と。なぜ〈あなた〉はホラー映画を観るのか、一度でも己れに問うてみたことがあるだろうか?

いや、やめておこう、このように安易に抜き出してしまえば、また「理解することは許すこと」になりがちだから。あるいはこれでさえも場合によっては、集団神経症という「宗教」を生みがちになるだろう。

フロイトによれば国家も宗教である。日本人なんたら、あるいは「国家とは国民を守る義務がある」やらの寝言をリツイートしつつ騒ぎ立てる〈あなたたち〉は典型的な集団神経症に罹っているのではないだろうか。

国家とは外部があるとき現われる、たとえば戦争によって、とか、国家=暴力=警察やら、国家とは収奪装置であるといったのは誰であったか。いやいや理解しない種族は、国家とは国民を守ってくれるものと思い込んでいればよろしい。

なんの話だったか、--。

いずれにせよ、ただここではひたすら、憎むことは、理解を拒むことだ、とだけしておこう。そして、これでよいのだろうか、われわれは。

第二次世界大戦におけるフランスの早期離脱には、第一次大戦の外傷神経症が軍をも市民をも侵していて、フランス人は外傷の再演に耐えられなかったという事態があるのではないか。フランス軍が初期にドイツ国内への進撃の機会を捨て、ドイツ国内への爆撃さえ禁止したこと、ポーランドを見殺しにした一年間の静かな対峙、その挙げ句の一ヶ月間の全面的戦線崩壊、パリ陥落、そして降伏である。両大戦間の間隔は二十年しかなく、また人口減少で青年の少ないフランスでは将軍はもちろん兵士にも再出征者が多かった。いや、戦争直前、チェコを犠牲にして英仏がヒトラーに屈したミュンヘン会議にも外傷が裏で働いていたかもしれない。

では、ドイツが好戦的だったのはどういうことか。敗戦ドイツの復員兵は、敗戦を否認して兵舎に住み、資本家に強要した金で擬似的兵営生活を続けており、その中にはヒトラーもいた。ヒトラーがユダヤ人をガスで殺したのは、第一次大戦の毒ガス負傷兵であった彼の、被害者が加害者となる例であるからだという推定もある。薬物中毒者だったヒトラーを戦争神経症者として再検討することは、彼を「理解を超えた悪魔」とするよりも科学的であると私は思う。「個々人ではなく戦争自体こそが犯罪学の対象となるべきである」(エランベルジェ)。(中井久夫 「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P88))

「イスラム国」の連中を「理解を超えた悪魔」としているだけでよいのだろうか。




2015年1月26日月曜日

フランス人のマグリブ人に対する敵意

さて、前回、エマニュエル・トッドの名前を出したのだが、寡聞にして殆んど知らない名なので(ジジェクの書き物のなかで一度めぐりあったことはあるが、敬してやりすごした)、ここでは基本的なレベルで、--すなわち彼の著作には当らないままーーウェブ上の情報を拾ってみることにする。

まず、前回も別の箇所を引用した鹿島茂氏の「仏紙襲撃事件は、強烈な普遍主義同士の衝突 鹿島茂氏が読み解く仏紙襲撃事件」というインタビュー記事から。

フランスの社会学者エマニュエル・トッドの説明では国家統一の基には家族類型がある。これは、親子関係と兄弟関係を軸にして4つに分けることができる。親子関係は、同居するのか、子が独立して核家族になるのかで分かれる。兄弟関係は兄弟が平等か、不平等かという遺産相続の仕方で分かれる。

まず、第1に親が権威主義的で子と同居、兄弟は不平等で単独相続の「直系家族」があり、日本、ドイツ、スウェーデン、韓国、それにユダヤ民族がこれに当たる。第2に正反対に親子は独立し自由で、兄弟は平等の「平等主義核家族」。フランスの中心部やスペイン、南米はこれに該当する。第3に、親子関係は独立して自由で、相続は不平等の「絶対主義核家族」が英国、米国、カナダなど。第4に、親は権威主義的で親子は同居、兄弟は平等という「外婚制共同体家族」が、ロシア、中国など。これが、それぞれ、国家のイデオロギーに反映されていると言うんですね。フランスはこの4類型の全部を含んでいるが、中央は普遍主義の平等主義家族、周辺は差異主義の直系家族と理解しておくとよい。中央の普遍主義が主流になったんです。

4つの類型のうち、「直系家族」は「自分たちとそれ以外」と考える。思考パターンはそれしかない。これを拡大していくと、「日本人とそれ以外」と考え、「日本人と外国人は違う」と、なる。ドイツ人や韓国人もそのように考える。「直系家族」のグループ同士はぶつかりやすい。ドイツ人とユダヤ人、日本人と韓国人がそう。

これに対して、「平等主義」のフランス人の考え方は、人間はホモサピエンスであるから、同一であると考える。そのことに比べると、「人種」「言語」「宗教」などは微細な違いでどうでもよいことでしかない。「男女」の差異すらも大きいことではない。これは例えば、フランスのフェミニズムと米国のフェミニズムの違いに現れている。フランスのフェミニズムは「女性という性」をまったく強調せずに、ただ、同権を要求するだけだ。こうした考え方が「一にして不可分」ということであり、フランス人になってしまえば、皆同じということ。

これは調べてみると、WIKIPEDIAの日本語版の「エマニュエル・トッド」の項にも類似した記述がある。それは、トッドが、《1990年、焦点を西ヨーロッパに絞り、家族型の他に識字率と宗教を主要な要素として織り込んだ大部の著書、『新ヨーロッパ大全』 (L'Invention de l'Europe) を著した》にかかわる。だがいまはその箇所を引用することはしない。その箇所に引き続いて書かれている文を抜き出す。

フランスは平等主義核家族であり、普遍主義である。しかしこの家族型はパリを中心とする北フランスにあるに過ぎず、南フランスには直系家族があり、中央山塊と地中海沿岸には外婚制共同体家族があり、ブルターニュには絶対核家族がある。ヨーロッパで見られる四種の家族構造をすべて持つのはフランスだけであり、この例外的な多様性が、フランスを独特な存在にしている。

1992年の調査では、各移民に対してフランス人の何 % が敵意を持つかを調べている。これによると、最も敵意を持たれているのはマグリブ人、すなわちアルジェリア人、チュニジア人、モロッコ人である。




しかしながら、マグリブ人女性の 15.8% はフランス人と結婚する。つまり、民族としては敵意を持つ人が少なくないが、隔離はまったく起きておらず、個人としてフランス人と結婚するのは問題がないのである。

アフリカ黒人移民は多様であり、黒人という分類の無意味さが明らかになる。例えば父系家族のソニンケ人を主体とするマリ移民は、近代化が遅れている。在仏マリ人の私生児の比率は 2%、大学生の比率は 2%、出産率は 10.3 に達する。一方、一子相続で直系家族的なカメルーンのバミレケ人は商才と勤勉で知られ、アフリカのユダヤ人とも呼ばれている。在仏カメルーン人の私生児の比率は 43%、大学生の比率は 26%、出産率は 2.6 である。この場合、私生児率の高さは、女性の地位の高さを示すものである。低い出産率は、近代化が完了していることを示す。フランスの統計ではアフリカ黒人をマリ人、セネガル人、その他に分けるので、バミレケ人を直接計測することはできないが、マリ人を父とする子供のうち母がフランス人なのは 2.1%、セネガル人では 6.2%、その他のアフリカ人では 16.7% であり、明らかにマリ人の統合が遅れている。

フランス人の混血への無頓着は以前から知られている。アドルフ・ヒトラーは『我が闘争』(1925年)の中でフランス人とアフリカ人の混血に触れ、「黒人によるフランスの侵略はまことに急速に進展したので、いまやヨーロッパの地にアフリカ国家が誕生したと、紛れもなく語ることができる」と述べている。

このフランスの同化作用は個人に働くものであるため、移民社会は容赦なく破壊される。マグリブ人は父系内婚制共同体家族で普遍主義であるが、北フランスの双系外婚制の平等主義核家族とは正反対であり、普遍主義同士で衝突することになる。平等主義核家族の自由で平等な価値観は移民にも与えられるため、少数派が弱者として暴力を受けるのに甘んじることはなく、移民も反撃する。この点で、多数派から少数派へ一方的に暴力が加えられる差異主義のアメリカ、イギリス、ドイツとは異なる。

前回の記事で、鹿島茂氏の語る「強烈な普遍主義同士の衝突」という表現に異和を書き込んだが、起源はここにあるようだ。

とはいえ、ここではわたくしの粗忽ぶりを晒すのが意図ではない。1992年の調査で、かなり前のものにも拘わらず、--すなわちその後のマグリブ人によるテロ行為の頻発の前にもーーすでに仏人は、マグリブ人(アルジェリア人、チュニジア人、モロッコ人)、あるいはマグリブ系二世に対してダントツに敵意を持っていたのだな、ということに注目したい。

ところでフランスにおける移民の定義とは、次のようなものらしい。

一般に、移民とは、外国からある国に移り住む人のことを指すが、フランスの統計上で移民と言う時は、外国人として外国で生れた者を意味し、その者が帰化してフランス国籍を取得しても移民として取り扱われる。したがって、移民にはフランス人である者もいれば、外国人である者もいる。(「フランスの移民政策」 2011.7.14 財団法人自治体国際化協会)

もちろん移民二世や三世は「移民」の範疇に入らないのだろう。たとえば前仏大統領のサルコジはハンガリー移民二世であるが、彼は「移民」ではない。

とはいえ、上に引用したヒットラーの驚きもあるように、すなわち《フランス人の混血への無頓着は以前から知られている。アドルフ・ヒトラーは『我が闘争』(1925年)の中でフランス人とアフリカ人の混血に触れ、「黒人によるフランスの侵略はまことに急速に進展したので、いまやヨーロッパの地にアフリカ国家が誕生したと、紛れもなく語ることができる」と述べている》とあるように、フランスは米国と並んで、類稀なる「移民」によって成り立ってきた国家ということができる。

中井久夫は2000年時点でだが、《今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという》と書いている。

少子化の進んでいる日本は、周囲の目に見えない人口圧力にたえず曝されている。二〇世紀西ヨーロッパの諸国が例外なくその人口減少を周囲からの移民によって埋めていることを思えば、好むと好まざるとにかかわらず、遅かれ早かれ同じ事態が日本にも起こるであろう。今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという。現に中小企業の経営者で、外国人労働者なしにな事業が成り立たないと公言する人は一人や二人ではない。外国人労働者と日本人との家庭もすでに珍しくない。人口圧力差に抗らって成功した例を私は知らない。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)


そもそもヨーロッパ諸国は移民や二世、三世の人口がなければ、社会保障制度など容易に成り立ち難いのではないか。あるいは移民たちの多くが貧困でろくに所得税を払っていないとしよう。だが、付加価値税20%の西欧諸国でなら、月に五万円消費すれば、一万円の税金で移住国に貢献していることになる。

ところで先程引用した『「フランスの移民政策」 2011.7.14 財団法人自治体国際化協会』には、次のような図表がある。




マグリブ人(アルジェリア人、チュニジア人、モロッコ人)の比重はかくの如し。ましてや二世や三世まで含めれば、フランス人口におけるマグリブ系の割合はどのくらいになるのか。

アラーは、ヨーロッパにてイスラムの勝利を授けてくれるだろう、剣も、銃も、征服もなしに。われわれにはテロリストは必要ない。自爆テロはいらない。ヨーロッパにおける五千万人超のムスリムThe 50 plus million Muslims (in Europe)が、あと数十年でヨーロッパをムスリム大陸に変えるだろう。(カダフィ大佐Muammar Gaddafi)

ーーとは2010年のメルケル独首相による記事からである(Germany Will Become Islamic State


いくらかの抄和訳(メルケル首相「ドイツはイスラム国家になるだろう」)もウェブ上にあるので貼り付けておこう。

「我々の国は変わり続けるでしょう。また、移民の問題解決を取り上げるにあたっては同化が課題です。」

「長い間我々は、それについて自国を欺いてきました。例えばモスクです。それは今までよりずっと、我々の都市において重要な存在となるでしょう。」

「フランスでは20歳以下の子供の30%がムスリムです。パリやマルセイユでは45%の割合まで急上昇しています。南フランスでは、教会よりモスクが多いのです。

イギリスの場合もそれほど事態は変わりません。現在、1000を超えるモスクがイギリスには存在します。──ほとんどが教会を改築したものです。

ベルギーでは新生児の50%がムスリムであり、イスラム人口は25%近くに上るといいます。同じような調査結果はオランダにも当てはまります。

それは住民の5人1人がムスリムのロシアにも言えることです。」

ところで、なぜ、フランス人がマグリブ人に、1992年の時点で、あんなにも憎悪をもつのか。それはまずは身近な「隣人」ーーフロイト、ラカン的な意味でーーでありすぎるためだろう。

……エイリアンたちはまったく人間にそっくりに見えるし、人間そっくりの行動をするのだが、ちょっとした細部(眼がおかしなふうに光るとか、指の間や耳と頭部の間に皮膚が余分についているとか)から彼らの正体がばれる。そのような細部がラカンのいう対象aである。些細な特徴がその持ち主を魔法のようにエイリアンに変身させてしまう。(……)ここでは人間とエイリアンとの違いは最小限で、ほとんど気づかないほどだ。日常的な人種差別においても、これと同じことが起きているのではなかろうか。われわれいわゆる西洋人は、ユダヤ人、アラブ人、その他の東洋人を受け入れる心構えができているにもかかわらず、われわれには彼らのちょっとした細部が気になる。ある言葉のアクセントとか、金の数え方、笑い方など。彼らがどんなに苦労してわれわれと同じように行動しても、そうした些細な特徴が彼らをたちまちエイリアンにしてしまう。(ジジェク『ラカンはこう読め!』P117-118ーー「彼らの家に土足で上がりこんだ日本人」より)

また過去の植民地政策、あるいはアルジェリア戦争の記憶ーーある意味で隠蔽された記憶ーーのせいでもあるだろう(ここではイスラム原理主義には触れないでおこう)。

すなわちフランス人は負債があるからこそ、アルジェリア人を憎むのである。

「《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』ーー「俺があの男を憎むのは、俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ」より)

…………

※附記

◆「和解 そのかたちとプロセス 河原 節子 河原節子(一橋大学法学研究科 教授(外務省より出向) )」より。


アルジェリアは、 フランスが1830年の軍事占領した後、フランスの国内県に編入されて130年以上にもわたり仏の統治下にあった。アルジェリアを2012年12月に訪問したオランド仏大統領は、アルジェリア議会での演説で、132年間にわたる植民地主義は「極めて不正義で野蛮」な制度だと位置づけ、暴力、不正義、虐殺、拷問についての真実を認識する義務があり、全ての記憶を尊重すると述べた。一方、その前日の公式記者会見では、ある記者より「過去の問題について悔恨の意を表したり、謝罪をするのか」と質問されたのに対し、 同大統領は、 「過去や植民地主義、 戦争や悲劇についての真実を語る」と述べつつ、謝罪や悔恨の意図はないことを暗に示した)。現在の価値基準に照らせば、植民地主義が不適切な政策であったと認めつつも、旧宗主国側が一貫して謝罪に消極的なのは、当時は合法かつ正当な施策として行ってきたとの考え方に加え、謝罪は容易に責任問題としての賠償に結びつきやすいとの側面も考えられる。
他の植民地と異なり、仏はアルジェリアを自国の県として併合し、農地の払い下げ等を通じて多くの国民が移住(植民)し、数世代にわたって居住した。 しかし、 「原住民」 との経済・社会的格差は大きく、 第二次大戦中に独立運動が開始され、50年代半ばにはテロを用いた独立闘争とそれに対する激しい弾圧・軍事行動の応酬となった。ド・ゴール大統領は交渉を通じて独立容認に動いたが、すでに数世代にわたり植民していたアルジェリアのフランス人や仏軍の中で断固としてアルジェリアを仏国にとどめておくべきとの強硬派によって秘密武装結社が組織され、軍事クーデターまで企てられた。アルジェリアのフランス人は秘密結社による武力による独立運動阻止を支持したが、仏本国ではテロの応酬に終止符をうつためアルジェリアを手放すべきとの意見が多数を占めるなど、仏国民の世論が二分された。秘密結社はアルジェリアのみならず欧州各地でテロ活動を行い、 現地では仏国民同士の戦争の様相を呈した。さらに、アルジェリアの仏正規軍は「アルキ(haruki 」)と呼ばれる現地人の補充兵を雇用したため、彼らは、独立闘争を進める団体と戦うことになり、独立後アルジェリア人に「裏切り者」として迫害された。仏・アルジェリア双方において、多くの人々が多様な形で犠牲になった上、同国民同士の戦いの要素もあって、あの戦いがどのような意味を持つのかについて統一的な見解が成り立ちえない、深い傷を残した。そのため、仏政府は当初忘却政策をとり、家や財産を失い、見捨てられたと感じる約100万人もの「引揚者」や、「裏切り者」 扱いされたハルキの困難な記憶は抑圧されていた。 しかし、彼らの苦難や犠牲を認知してほしいとの要求は消えることはなかった。1995年にシラク大統領がナチ占領下でのユダヤ人大量検挙にフランス人が加担したことを公式に認めて記憶する方針を表明したことを契機に、アルジェリアでの拷問や抑圧を不問に付すのはダブルスタンダードとの批判が生じた。 これを契機に、 1999年には、それまで「秩序維持作戦」と通称されてきた戦争を、正式に「アルジェリア戦争」と呼称するための法律が制定された。 そして、 この戦争に関する多様な記憶を有する集団が、自らの記憶を単に個人的記憶ではなく、歴史の中に位置づけたいという思いが強まっていった。その1つが、植民地時代には悪いことのみではなく、良いことも成し遂げたという引揚者の思いであり、2005年の引揚者感謝法第4条第二項において、 「学校の教科は、 ・・特に北アフリカにおけるフランスの存在の肯定的役割を特に認め・・」るという形で反映された。これに対してアルジェリア大統領が激しく反発し、また、常日頃から社会的格差などに不満を有していた北アフリカからの移民の若者が暴動を起こして社会不安につながった。さらに、ピエール・ノラなど著名な知識人が歴史に政治を持ち込むことに反対するアピールを出した。 最終的にシラク大統領は、 大統領令によって同条を廃止したが、 この事例は、植民地時代及び独立戦争に関わる経験と記憶が、一国内においても集団によって大きく異なることが、和解を妨げ、対立を深める要因にさえなることを如実に示しているといえる。


◆「戦略なき朝鮮統治――フランスのアルジェリア支配との比較から」(筑波大学教授 青柳悦子)

……20 世紀に入るとムスリムの状況に変化が起き始める。エリート層のなかにはフランス学校で学ぶことを自ら目指す若者が現れ、フランスで教育を受けたこうした進歩派指導層が本国とのつながりを強めることで、コロンたちとの不平等を解消しようとする傾向が強まっていく。ムスリム側から兵役制度が求められ、 第一次世界大戦では実際にフランスはアルジェリア原住民徴兵により 17 万人の軍人 (うち 8 万人は志願兵)を得た。ジョルジュ・クレマンソー首相はこうしたアルジェリア原住民の貢献を高く評価し、原住民の権利、とくに選挙権の拡大に努めようとした。人口拡大と教育の欠如、高い失業率と貧困といった根源的な問題が深刻化する一方で 1914 年から54 年までに、200 万人のアルジェリア原住民がフランス本国に軍人または労働者として滞在した。高度に発展した社会を直接に経験した多くの民衆を通じて、アルジェリアのムスリムたちは、自分たちの正当な権利はどこにあるかを迷いなく見定めることになる。
アルジェリア戦争のあいだに、 200 万人を超えるフランス人兵士がアルジェリアへ動員さ れることになった。アルジェリア原住民側の犠牲者は数十万人に上るとされる。

…………

とはいえ、仏人の、とくに左翼インテリのあいだでは、次のようなイスラム系住民、すなわちマグリブ人やアラブ人に対する同情を示すという状況もあることは、ここでさらに追記しておこう。



◆「フランスにおける反人種差別主義的ディスクールの危機」(丸岡高弘)より

この論文は、2005年パリ郊外暴動事件(WIKIPEDIA 参照)をめぐるユダヤ系哲学者フィンケルクロートAlain Finkielkrautーー彼は当時メディアに頻繁に登場するマスコミの寵児だったらしいが、2014年アカデミー・フランセーズの会員に選出されているーーのコメント(イスラエルの新聞「ハーレッツ」におけるインタヴュー)が一週間ほど後、「ル・モンド」に紹介・要約されて「人種的敵意を煽り、挑発する行為」として物議を醸したことにまずはかかわる。

スキャンダルになった理由はいくつかあるが、ここではその「反人種差別主義批判」だけに限る。

フィンケルクロートの反レイシズム批判とは次のような見解である。

私は今日、“人種差別にたいする戦い”というこの高貴な思想が徐々に極めてインチキなイデオロギーに変質しつつあると思います。こうした反人種差別主義は、二十世紀における共産主義とおなじような役割を二一世紀いはたすことになるでしょう。つまりそれは暴力の源となるのです。今日、ユダヤ人は反人種差別の名のもとに批判されています。シオニズム=人種差別主義という分離壁が建てられてしまっているのです。

このフィンケルクロートの文を引用して、著者の丸岡氏は次ぎのように書いている。

つまり、パレスチナ人にたいする過度の同情と共感がフランスのイスラム系住民に拡大され、彼等は人種差別主義の犠牲者と見なされる。迫害者はもちろんイスラエルであり、それにたいする敵意がフランスのユダヤ人にも延長され、反ユダヤ主義が横行する。また欧米はその植民地主義的過去と現代におけるマイノリティーの社会統合の失敗、さらにはパレスチナ紛争における曖昧な態度のために、世界のすべての悪の根源とみなされ、イスラム系住民の憎悪の対象となる。こうしたイスラム系住民のユダヤ人やフランス社会への憎悪を、反人種差別主義が煽っているとフィンケルクロートは考えるのである。