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2015年3月6日金曜日

同じではありたくないという意志が等しく共有される場

わたしはベッドの上で上体を起した。そして、小説の中の主人公たちがよくやるように、薄暗い部屋の中をぼんやりと眺めまわした。実際、ベッドの上で主人公が目をさますところからはじまる小説は少なくない。(後藤明生『壁の中』)

こう引用したからといって、わたくしの手元に原稿用紙1700枚に及ぶらしい『壁の中』という書物があるわけではない。蓮實重彦の『小説から遠く離れて』(1989)からの孫引きである。

と、書いたところで、「蓮實重彦が偏愛する本 24」ーーこれはいつ頃提示されたのかは定かではないが、大江健三郎の『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』(2007)が選ばれており、それほど昔のことではないーー、このなかに後藤明生の『壁の中』は含まれているのだったかと覗いてみれば、『壁の中』ではなく、『挟み撃ち』が掲げられている。まあでもそれはこの際どうでもよろしい。そもそも後藤明生の作品はいくつかの短篇小説やエッセイ以外は読んだことのない身である。

蓮實重彦の『小説から遠く離れて』を続けよう(これはなぜか初版を手に入れている)。そこでは、うえの後藤氏の文を引用して次ぎのように書き継がれている。

とりわけ奇態な事実が語られているわけではないこの短い引用文(……)。「わたし」は、自分のしていることが、虚構の作中人物に似ていると思うのだが、しかもその作中人物は、特定の作品の特定の個人にとどまらず、かなりの数にのぼることにたちまち思いいたる。それ故、ここでの模倣はあらかじめ複数化していることになるし、さらには、それじたいが何かのくり返しにほかならぬことを芸もなく反復している自分の滑稽さをも意識せざるをえない。「わたし」は、多くの小説の主人公と同じことをしていると自覚するにとどまらず、その主人公たちが、いまの自分と同じことを、何度もくり返している点にも意識的だからである。

まず想い出されるのは、カフカの『変身』である。そしてゴーゴリの『鼻』、ゴンチャロフの『オブローモフ』もそうだ。ドストエフスキーの『分身』にも同じことがいえる。それぞれの作品の主人公は、職業や社会的な地位の違いにもかかわらず、みんな、作品の冒頭にあたってはベッドで目を覚ましているではないかと「わたし」は思う。「太宰治にも何か、朝目をさますときの気持は面白い、といったふうにはじまる小説があったような気がした」し、「椎名麟三にも、誰々(つまり主人公の名前、それとも、僕という一人称だったか?)は毎朝雨だれの音で目をさますのだ、といった書き出しではじまる小説があったことを思い出した」のである。(蓮實重彦『小説から遠く離れて』pp.67-68)

さて、後藤明生、あるいは蓮實重彦は何が言いたいのだろう? まずはインターネット上から次ぎの文を拾うことができる。

いつだったか一度(あるいはもっと?)書いた通り、ぼくがこうして書いていることは、すべて何かの復習なのです。われわれに残されていたものは、復習しかないということなのです!
われわれのご先祖様たちは、この「予習にまさる復習なし」の精神で、営々と(つまり、前向きに!)文化とか文明とかを作り続けてきた。歴史というものを作り続けてきた。そして文学というのもまた、その例外ではなかったわけです。おかげで、ぼくの本棚はすでに満員、というわけです。そしてぼくは、その本棚の中の時間を、うしろへうしろへと歩いているだけです。そして、ときどき(でもないか?)脇道へそれているだけです。実際、本棚というやつは、アミダクジみたいなものだからね!(後藤明生『壁の中』

さてこうやって「引用」してみれば、《現実の生活にもオリジナルなものの這入り込む余地はない》とする小林秀雄の文章を続けることができる。それは引用としての人生、復習としての人生とでも呼ぶことができる見解である。事実、ツイッターなどで、日本人の生態を、動物園ならず人間園として日夜興味深く観察させていただいているが、--《一九世紀の動物園設立に先立って精神病院の見物が一八世紀都市住民の日曜日の楽しみであった(“人間園”)》(中井久夫『分裂病と人類』)--、そのほとんどがどこかで見た、あるいはどれかの小説で出合った劣化したコピーのように感じないでもないのだ。

寺田寅彦氏はジャアナリズムの魔術についてうまい事を言っていた、「三原山投身者が大都市の新聞で奨励されると諸国の投身志望者が三原山に雲集するようなものである。ゆっくりオリジナルな投身地を考えている余裕はないのみならず、三原山時代に浅間へ行ったのでは『新聞に出ない』のである。このように、新聞はその記事の威力によって世界の現象自身を類型化すると同時に、その類型の幻像を天下に撒き拡げ、あたかも世界中がその類型で充ち満ちているかの如き錯覚を起させ、そうすることによって、更にその類型の伝播を益々助長するのである」。類型化と抽象化とがない処に歴史家の表現はない、ジャアナリストは歴史家の方法を迅速に粗笨に遂行しているに過ぎない。歴史家の表現にはオリジナルなものの這入り込む余地はない、とまあ言う様な事は一般常識の域を出ない。僕は進んで問いたいのだ。一体、人はオリジナルな投身地を発見する余裕がないのか、それともオリジナルな投身地なぞというものが人間の実生活にはじめから存在しないのか。君はどう思う。僕はこの単純な問いから直ちに一見異様な結論が飛び出して来るのにわれながら驚いているのだ。現実の生活にもオリジナルなものの這入り込む余地はないのだ。(小林秀雄「林房雄の「青年」」)


この文章では物足りない人たちのために、『闘争のエチカ』(蓮實重彦・柄谷行人対談集)から、次ぎのように引用してもよい。

柄谷)……たとえば、小説というのはアイロニーだと思います。リアリズムは結局アイロニーとしてしか存在したことがないわけですよね。いわゆるリアリズムというのは、それ自体約束の地であって、現実とは別なのです。しかし、現実とよばれるものも、逆に小説を前提としているのではないか。

たとえば、“事実は小説より奇なり”とかいう言い方があるけれども、その場合、「事実」は、小説を前提しているんですね。そして、小説の約束からずれたものが、「事実」とよばれているわけです。リアリズムの小説であれば、たとえば偶然性ということがまず排除されている。たまたま道で遇って、事態が一瞬のうちに解決したとか、そういうことは小説では許されないわけですが、現実ではしょっちゅう起こっている。そういうのが出てくると大衆文学とか物語とかいわれるんですね。かりに実際にあったことでも、それを書くと、リアリズムの小説の世界では、これはつくりものだといわれる。いちばん現実的な部分が小説においてはフィクションにされてしまうわけですね。

しかし、一方で、僕らがやっていることが、すでに小説に書かれた通りでしかないということがありますね。たとえば大岡昇平の『野火』なんかそうですね。主人公は、小説の通りにやっていることを許しがたいと思う。そこでは、つまり、小説をこえた体験が書かれているというよりも、どんな体験も小説の枠内にあるにすぎないということが書かれている。あれは、パロディです。(……)

リアルというやつはほんとにアンリアルであって、あまりにもリアルにすると、アンリアルになっちゃうということはカフカがやったことですけどね。

蓮實)……「人生」という言葉でわれわれがすぐ納得しちゃうのは、なんか真っさらなものだという話なんですね。ところが「人生」というのは文化であるわけでしょう。どういう形で文化かといえば、滑稽なまでにほかの言葉に犯されて、誰が見たって真剣に自分を考えてみたら滑稽ですよ。それほどまでに、いわば引用とか物語を知っちゃっているとか、物語の逆さえ知っちゃっているという惨めな存在である。そのことを、これまでのいわゆる人生論というのは拒否しちゃうわけですよね。

僕が人生という言葉をいっているのは、ほかの人の言葉に犯された人間であるからだめだとか、そこから自由になって自分の言葉を発見しなければいけないとか、そういうことではなくて、人生というのは初めから滑稽なわけでしょう。その始めから滑稽なことを、たとえばほんとうらしい小説というのは滑稽らしく書いていないですよね。

もちろん、こうやって書いている〈わたくし〉も引用としての人生の実践者であることからまぬがれることなどまったくない。窓の外から吹き込んでくる午後の微風と光に身をゆだねて煙草をふかしているわたくしは、フィクションの登場人物の反復にすぎない。それを滑稽と感じるか、感じないのかという感性の相違はあるのだろうが。

ツイッタラーのなかには、おのれの滑稽さを感受しない図太い神経の持ち主があまた棲息しているようで、それがあの人間園を眺める大きな楽しみのひとつであると、ここで白状しておこう。とくに文学やら芸術やらを愛しているらしき「人間」の囀りというものは、自ら繊細さの衣裳をまとったつもりでいるためにか、いっそうその神経の図太さが際立ち、まことに陶然たる快楽を与えてくれることしきりである。もちろんその囀りの内容は各々「個性」が籠められているには相違ない。だが「形式的」には、ああ、どこかでみたことがある、という既視感に襲われぬことは稀である。それは、たとえば《特殊でありたいといういささかも特殊ではない一般的な意志》であったり、あるいは《違ったものでなければならぬという同じ一つの強迫観念》であったりする。


文学がその自意識に目覚め、文学ならざるものとの違いをきわだたせることにその主要な目標を設定していらい、過去一世紀に及ぶ文学の歴史は、同じであることをめぐるごく曖昧な申し合わせの上に、かろうじて自分自身を支えてきたといってよい。最初にあったのは、同じでありたくないという意志であり、その意志の実現として諸々の作品が書かれてきたのだが、より正確にいうなら、こうした文学的な自意識の働きは、それじたいとして故のない妄執をあたりに波及させてきたわけだ。実際、同じではありたくないという意志が等しく共有される場として文学が機能していたという事実は、何とも奇妙な自家撞着だというべきだろう。作家たちは、また読者たちも、自分が他と違ったものでありたいという同じ意志を、何の矛盾もなく文学の価値だと信じていたからである。つまり、近代と呼ばれる時代の文学は、文学が一般化されてはならず、あくまで特殊な振舞いとして実践されねばならないという一般化されて欲望が、みずからの矛盾には気づくまいと躍起になって演じたてられた悲喜劇にすぎず、それこそ文学の自意識なるものの実体にほかならない。

特殊でありたいといういささかも特殊ではない一般的な意志、あるいは違ったものでなければならぬという同じ一つの強迫観念が、文学をどれほど凡庸化してきたかは誰もが知っている歴史的な現実である。文学の近代的な自意識なるものによって捏造された個性神話というものが、とどのつまりは文学の非個性化に貢献してしまったという歩みそのものが、そのまま過去百年の文学の不幸な歴史にほかならない。(蓮實重彦『小説から遠く離れて』pp.58-59)