いつの間にか連込み宿にはいっている。二人だけではなく一人の子供がいる。男の子のようだが、たしかではない。いずれにせよ邪魔になる。女は子どもの世話をしている。うまく女とできるだろうか? オレは不安に思って目が醒めた。
目覚めたあと、この若い女は二十代なかばごろ、職場で魅惑された山本という色の白いしなやかな軀をした美女だったように思う。突然(三十年ぶりぐらいに)、この女、それに名前を思い出した。ことさら横顔、姿態の美しい女だった。山本なんといったのかは想い出せない。京都の良家のお嬢さんではある。この女とはヤッテいない。
――……ずっと若い頃に、かなり直接的に誘われながらヤラなかったことが、二、三人についてあったんだね。後からずっと悔やんだものだから、ある時から、ともかくヤルということにした時期があったけれども…… いまはヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあって、ふたつはそうたいしたちがいじゃないと、回想する年齢だね。(大江健三郎『人生の親戚』)
《ヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあった》という心持からは、ほど遠い気分におそわれる。むしろ悔みの感情をおぼえる。かつまた縄の扱いを本式に習っておくべきだった、と。
植物の熱気、おお、光、おお、恵み!…/それからあの蠅たち あの種の蠅ときたら、庭のいちばん奥の段へと、まるで光が歌っているかのように!(「サン=ジョン・ペルス詩集」多田智満子訳)
そう、まるで光が歌っているかのような女だった。昨晩この詩を読んでいた。蠅と縄は漢字がよく似ている。
想いだすのは塩、黄いろい乳母が私の眼尻からふきとらねばならなかったあの塩。/黒い妖術師が祭式に際してしかつめらしく宣言していた、〈世界は丸木舟のごとし。ぐるぐる廻り廻って、風が笑わんとするか泣かんとするかをもはや知らぬ…〉/するとたちまち私の眼は 輝く波にゆられる世界を描こうと努めて、木の幹になめらかな帆柱を認め、葉陰に檣桜をまた帆桁を、蔓草に支檣索を認めるのだった。/そのしげみでは 丈高すぎる花々が/鸚哥(いんこ)の叫びをあげてかっと開くのであった。(同上)
棕櫚…!/あのころおまえは緑の葉の水にひたされたものだ。そして水はまだ緑の太陽のものであった。おまえの母の下婢(はしため)たち、大柄で肌つややかな娘らがふるえているおまえのそばで熱いふくらはぎを動かしていた…
…ところでこの静かな水は乳である/また 朝の柔らかな孤独にひろがるすべてのものである。/夜明け前、夢の中のように 曙を溶かした水で洗われた橋が空と美しい交わりをむすぶ。そして讃うべき陽光の幼い日々が いくつも巻いたテントの柵をつたって じかにぼくの歌に降りてくる。/…/いとしい幼年期よ、追憶に身をゆだねさえすればよい…あのころぼくはそう云ったろうか? もうあんな肌着などほしくない/…/そしてこの心、この心、ほらあそこに、心は橋の上をずるずると裾ひきずって行くがよいのだ、古びた雑巾ぼうきよりもつつましく 荒々しく/くびれ果てて…
あのころはいつもお祭りだった。家を出て通りを横切れば、もう夢中になれたし、何もかも美しくて、とくに夜にはそうだったから、死ぬほど疲れて帰ってきてもまだ何か起こらないかしら、火事にでもならないかしら、家に赤ん坊でも生まれないかしらと願っていた、あるいはいっそのこといきなり夜が明けて人びとがみな通りに出てくればよいのに、そしてそのまま歩きに歩きつづけて牧場まで、丘の向うにまで、行ければよいのに。「あなたたちは元気だから、若いから」と人には言われた、「まだ結婚していないから、苦労がないから、むりもないわ」でも娘たちのひとりの、びっこになって病院から出てきて家にはろくに食べ物もなかったあのティーナ、彼女でさえわけもなく笑った、そしてある晩などは、小走りにみなのあとをついてきたのが、急に立ち止まって泣き出してしまった、だって眠るのはつまらないし楽しい時間を奪われてしまうから。(パヴェーゼ『美しい夏』 La bella estate 河島英昭訳)
そして多田智満子は矢川澄子とセットになっている。
矢川澄子は蠅に関係があるのか、縄に関係があるのかはよく分からない。もちろん彼女は澁澤龍彦の妻だった時期がある。
前回(子どもを誘惑する母(フロイト))、ファム・ファタールをめぐっての叙述をした。とはいえ、夢がそれに関係あると言い募るつもりはまったくない。