このブログを検索

2015年5月16日土曜日

ハイドン ピアノソナタ Hob. XVI:46

ハイドンのピアノソナタ第46番(第31番) 変イ長調 op.54-3(n°31 Hob.XVI:46)はひどく好みの曲なのだが、あまり多くの演奏家はやらないようで、YouTubeでざっと眺めても、名高い演奏家のものが上がっているのは、リヒテルとポゴレリチぐらいだ(名高いといっても、寡聞のわたくしにとって、という意味だが)。

今、Ivo Pogorelić, 1958年10月20日のカタカナ名は記そうとして、検索してみたら、《1958年10月20日生れ…。イーヴォ・ポゴレリチは、クロアチアのピアニスト。1980年、22歳のとき当時43歳の師の女流奏者アリザ・ケゼラーゼと結婚したり、弱音指定の箇所を強打するなど型破りなことでも知られる》などとある。

長いあいだ彼はロシアのピアニストだと勘違いしており、今ごろクロアチア生まれであることを知った。

ハイドンのピアノソナタ第46番は、7,8年前、路上で自転車の荷台に積まれたDVDの山からたまたま探り当てたーーわたくしの住んでいる国はCDやDVD販売が整備されておらず、多くの場合、海賊版をそのようにして日本円にして100円、200円の値段で購入するーーポゴレリチの演奏で初めてめぐり合ってひどく魅せられた。





彼は1983年、日本でもこの曲をやっているようで、その演奏録音に昨晩めぐりあった。





ーーやや神経質になっているところがあるようにも思えるが、耳に新しいせいか、この演奏のほうがいまは魅力的にきこえてくる。

いずれにせよ一楽章はポゴレリチがお気に入りだ。ただしニ楽章のアダージョはリヒテルがいいと感じていた。だが、昨晩たまたま探ってみたのだが、これも名を知らなかったエルンスト・レヴィErnst Levyという音楽学者の1956年の録音のアダージョに魅せられた。

ここでは、別にAriel Lanyiというまだ若いピアニストのHaydn Piano Sonata in A-flat major Hob. XVI:46全曲演奏を貼り付けておく。





ハイドンのソナタはモーツァルトやベートーヴェンに比べて退屈だというのが定評だがーーモーツァルトの半音階的な要素もすくなく、ベートーヴェンのダイナミクスもないーー、わたくしはこのハイドンのソナタよりも好みのものとして、モーツァルトやベートーヴェンのソナタからどれかを選べるだろうか。

ハイドンをきくたびに思う。何とすてきな音楽だろう! と。

すっきりしていて、むだがない。どこをとってみても生き生きしている。言うことのすべてに、澄明な知性のうらづけが感じられ、しかもちっとも冷たいところがない。うそがない。誇張がない。それでいて、ユーモアがある。ユーモアがあるのは、この音楽が知的で、感情におぼれる危険に陥らずにいるからだが、それと同じくらい、心情のこまやかさがあるからでもある。

ここには、だから、ほほえみと笑いと、その両方がある。

そのかわり、感傷はない。べとついたり、しめっぽい述懐はない。自分の悲しみに自分から溺れていったり、その告白に深入りして、悲しみの穴を一層大きく深くするのを好むということがない。ということは、知性の強さと、感じる心の強さとのバランスがよくとれているので、理性を裏切らないことと、心に感じたものんを偽らないということとがひとつであって、二つにならないからにほかならないのだろう。(吉田秀和『私の好きな曲』「《弦楽四重奏曲作品64の5 (ひばり)》)

ここで吉田秀和は誰と対照させて語っているのかは、いうまでもない。

彼は、声をあげて泣いていた。その泣き声は泣いている間も、ずっと彼の耳から離れない。彼が誇張したとはいわないが、その泣き声が、どんな影響をきく人に与えるかを、彼はよく知っていた。

ーーという偉大な作曲家である。とはいえ、ベートーヴェンも晩年、とくにその小品には次のような曲がある。それは初期のーー本来の?--ベートーヴェンが生き返ったような作品である。





四分の三の力―― ひとつの作品を健康なものらしく見せようというなら、それは作者のせいぜい四分の三の力で産み出されていなくてはならぬ。

これに反して、作者がその極限のところまで行っていると、その作品は見る者を興奮させ、その緊張によって彼を不安におとしいれる。

あらゆるよいものは、いくぶん呑気なところがあって、牝牛のように牧場にねそべっている(ニーチェ『人間的な、あまりに人間的』下Ⅰ 107番)

※高橋悠治が最近のコンサートでーーテーマは、簡潔な線 透明な響き Gesualdo Bach Haydn Wolff 見えないフクシマのための沈黙の音ーーハイドンの《ソナタ》 ハ長調 Hob.XVI/50, L.60をやっているようだ。このソナタは、わたくしにはリヒテルもブレンデルの演奏もいけない。ぜひ高橋悠治の演奏で聴いてみたいものだ。

※追記:吉川隆弘によるSonata in G minor Hob. XVI 44