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2015年7月12日日曜日

くらがりにうごめく「得体の知れないもの」

《批評というものが不可能になったとか、力がなくなったとか言われるけれども、僕の理屈では、むしろ消費者や素人ほど批評家であらざるをえない。(略)彼らがデータとして頼りにできるものは、最低限、自分の身体的な反応しかないわけで、それに対して疑いを持ちつつ、どうそれを解釈、判断し、それに賭けるか。それが日常生きていく上で常に強いられる。これは基本的に批評の原理そのものでしょう。》(岡崎乾二郎)

レストランを選ぶのだって「批評」だからな、
日々ひとは「批評」を生きている
では女を選ぶのは? 
あれは選ぶのではない、唐突にくる
あれは「批評」ではない、あれだけは違う。

では音楽に惚れるのは?
やっぱり「得体の知れないもの」のせいだよ
あなたのなかにあってあなた以上のものせいだよ
対象aのせいだよ

――男性のファンタジーはどんな具合なのですか?

最初の一瞥で愛が見定められることがとても多いのです。ラカンがコメントした古典的な例があります。ゲーテの小説で、若いウェルテルはシャルロッテに突然の情熱に囚われます、それはウェルテルが彼女に初めて会った瞬間です。シャルロッテがまわりの子どもたちに食べ物を与えている場面です。女性の母性が彼の愛を閃かせたのです。ほかの例をあげましょう。これは私の患者の症例で次のようなものです。五十代の社長なのですが、秘書のポストの応募者に面接するのです。二十代の若い女性が入ってきます。いきなり彼は愛を表白しました。彼はなにが起こったのか不思議でなりません。それで分析に訪れたのです。そこで彼は引き金をあらわにしました。彼女のなかに彼自身が二十歳のときに最初に求職の面接をした自分を想いおこしたのです。このようにして彼は自分自身に恋に陥ったのです。このふたつの例に、フロイトが区別した二つの愛の側面を見ることができます。あなたを守ってくれるひと、それは母の場合です。そして自分のナルシシスティックなイメージを愛するということです。(ミレール 「愛について」(Jacques-Alain Miller: On Love:We Love the One Who Responds to Our Question: “Who Am I?”より

女の愛はどうだって?
そんなことしるか、オレは女じゃない

でもものづくりの側はそんなことを言っていてもはじまらない
惚れ続けているのならやはりその形式性に眼を配らなくちゃ

……この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)

《くらがりにうごめくはっきりしない幼虫》に震えるのはいいさ
だが《せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった》のに
どうして惚れるのか、どうしてあれが《思いも設けなかった友人》になるのか

欲望の対象と欲望の対象-原因(対象a)のギャップというのは決定的なんだな、その特徴が私の欲望を惹き起こし欲望を支えるんだから。この特徴に気づかないままでいるかもしれない。でも、これはしばしば起っていることだが、私はそれに気づいているのだけれど、その特徴を誤って障害と感じていることだね。たとえば、誰かがある人に恋に落ちるとする、そしてこう言うんだな、「私は彼女をほんとうに魅力的だと思う、ただある細部を除いて。――それが私は何だかわからないけれど、彼女の笑い方とか、ジェスチュアとかーーこういったものが私をうんざりさせる」。でもあなたは確信することだってありうるんだ、これが障害であるどころか、実際のところ、欲望の原因だったりするのを。欲望の対象-原因というのはそのような奇妙な欠点で、バランスを乱すものなのだけれど、もしそれを取り除けば、欲望された対象自体がもはや機能しなくなってしまう、すなわち、もう欲望されなくなってしまうのだ。こういったパラドキシカルな障害物だ。(“Conversations with Ziiek”(Slavoj Zizek and Glyn Daly)私訳)

◆捨てられた女中さん(シュワルツコフ)




……ヴォルフの歌曲、私は自分の好きな曲に数えて良いかどうか、知らない。嫌いというのではないが、これをきいていて楽な気持、楽しい気持になったことは、ほどんどないのである。

しかし、歌の中のある部分、ある旋律の描く線、あるいは伴奏と歌の声部とのからみあいの具合、そこから生まれてくる和声の流れ、時々きいていて気がつくフレーズの組立ての不規則さの非常な微妙さ、それから言葉を旋律にのせる上での比類をみないほどの精緻なリズムの扱い、音楽全体の歩みの中から放射されてくる光と影の移行の仕方、あるいは交錯の仕方の霊妙さ……こういったものの中には、私をひきつけてはなさないものがあるのは事実である。

そうして、彼の歌は、まるで思いがけない時に、私を襲う。いや、襲うというのは少し強すぎる言葉だ。しかし、まるでちがうことをしている時、私は自分の耳の中で、彼の「音」、彼の「ふし」が鳴っているのに気がつくのである。

こんなわけでヴォルフで、私にいちばん親しいのは、彼の歌の全体というより、細部であり、音楽の中のある局面である。そこでは彼の歌は、ほかにくらべるもののないくらい、美しい。しかも、その美しさは、何かぞっとするような妖気を含んでいることが多い。(吉田秀和「ヴォルフ 《アナクレオンの墓》『私の好きな曲』1977)

さて何の話だったかーー
形式性の話だったな

岡崎氏は言う。《だからぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。》

これは決して「得体の知れないもの」を軽視しているのではなく、逆に得体の知れないものの「得体の知れなさ」を熟知しているからこその態度なのだ。「得体の知れないもの」の「得体の知れなさ」を固定化してそれにに溺れてしまうことは、その「得体の知れないもの」に触れている時の「経験」の本質を取り逃がしてしまうことでしかないのだ。《だからイメージに取り憑かれて、つまりそう見えてから分析をはじめていてはすでに手後れであると僕は思います。いわば、そう見えなかったものが、そう見えるようになったこの転換こそを、記憶術たらしめるいわば想起の問題として捉まえなければならないと思うのです。》(岡崎乾二郎に関するテキスト 古谷利裕

◆シンポジウム「日本近代絵画の核心」(浅田彰・岡崎乾二郎・高島直之・松浦寿夫)についての古谷利裕氏のまとめ(2004)より

…松浦氏が、「鏡」という比喩を持ち出し、我々が観ることが出来るのは「鏡像」のみであって「鏡」そのものは観られない、という岡崎氏の発言に触れる。そして、鏡像を成立させている物であるにも関わらず観ることの出来ない「鏡」そのものを、なんとか露呈させようとするのがモダニズム=リアリズムの営みなのではないかと口にした後、たんに「鏡像」と戯れているだけの日本的なポップに対する強い嫌悪を表明する。

それに対し浅田氏が、クールベの「現実的アレゴリー」という言葉を引きつつ、イメージというのは結局アレゴリーとしてしかあり得ず、それはクールベにおいてもそうなのであって、問題はそのような鏡像 (アレゴリー)でしかないものを確信犯的に使いつつ、どうそれを「現実的」なものにまで突き抜けさせることが出来るのかという点にあるのであって、だからポップであること(マンガみたいであること)は、近代美術の規定的な条件としてあるのではないか、と応じる。

さらに岡崎氏は、絵なんていうものはどう描いても結局マンガみたいにしかならず、そのことは少しでも絵をまともに描いたことのある奴なら知っているはずで、だからこそ逆に、絵をろくに知らない奴こそが平気で「あえてマンガ的なものを導入した」などと言うのであって、そんなことを言う奴はマンガに対して失礼だ、と、かなり強い調子で言い、しかし同時に、例えばデュシャンや熊谷守一が、自分の作品が意図せざるスキャンダルを起こして評判になってしまうと嫌になって作品の発表をやめてしまう、というような意味でのポピュリズムへの断固たる拒否(観客を選ぶという態度)が、モダニズムにははっきりとあるのだということも言う。

このマンガの話はなにも絵画だけではないので
あらゆる芸術はマンガからはじまる
《それを「現実的」なものにまで突き抜けさせる》形式を探さなくちゃ

鑑賞者だけであるなら、「得体のしれないもの」やら「深淵」やらと言っていればいいさ
(オレもどちらかというとすこしまえまではその口だったが)
ーーああなんと深い!、なんとデモーニッシュだ! やらと
くりごとのように言っていればいいさ、
マヌケまるだしでな

彼らは、芸術作品に関することになると、真の芸術家以上に高揚する、というのも、彼らにとって、その高揚は、深い究明へのつらい労苦を対象とする高揚ではなく、外部にひろがり、彼らの会話に熱をあたえ、彼らの顔面を紅潮させるものだからである。そんな彼らは、自分たちが愛する作品の演奏がおわると、「ブラヴォー、ブラヴォー」と声をつぶすほどわめきながら、一役はたしたような気になる。しかしそれらの意志表示も、彼らの愛の本性をあきらかにすることを彼らにせまるものではない、彼らは自分たちの愛の本性を知らない。しかしながら、その愛、正しく役立つルートを通りえなかったその愛は、彼らのもっとも平静な会話にさえも逆流して、話が芸術のことになると、彼らに大げさなジェスチュアをさせ、しかめ顔をさせ、かぶりをふらせるのだ。(プルースト「見出された時」)

じつはラカンのJA→JȺ ってのもこれにかかわるのさ
深淵派から表層派(表面のズレ)に
超越的から超越論的に、な

最後のラカンにとって、現実界は、象徴界の「内部にある」ものである。Dominiek Hoensと Ed Pluth のカント用語にての考察を捕捉すれば、人は同じように、最後のラカンは現実界の超越的概念から、超越論的概念に移行した、と言うことができる。 ( Lacan Le-sinthome by Lorenzo Chiesa)
われわれは「現実界の侵入は象徴界の一貫性を蝕む」という見解から、いっそう強い主張「現実界は象徴界の非一貫性以外のなにものでもない」という見解へと移りゆくべきだ。(ZIZEK『LESS THAN NOTHING』2012)

"Le Reel est à chercher du côté du zéro absolu" (Lacan, Seminar XXIII)
《現実界は全きゼロの側に探し求められるべきだ。》

これが比較的後期の仕事だと思われているラカンのセミネールⅩⅩ(アンコール)から
セミネールⅩⅩⅢ(サントーム)における転回(移行)さ

現実界という「得体のしれないもの」は
形式の非一貫性にしかない
わかるか? そこの「深淵派」のボウヤよ

物自体はアンチノミーにおいて見い出されるものであって、そこに何ら神秘的な意味合いはない(柄谷行人ーー「超越論的享楽(Lorenzo Chiesa)」)

《現実は現実界のしかめっ面である》(ラカン『テレヴィジョン』)

現実は象徴界によって多かれ少なかれ不器用に飼い馴らされた現実界である。そして現実界は、この象徴的な空間に、傷、裂け目、不可能性の接点として回帰する。(François Balmès, Ce que Lacan dit de l'être)

とはいえ、オレが深淵派に徹したっていいだろ
寿命がつきるまじかの鑑賞者だからな
いまさら音楽を分析するなんてとんでもないぜ

「ああ、なんと深いのでしょう!」

バーンスタインは、音楽における意味を四種のレベル、すなわち

1)物語的=文学的意味 
2)雰囲気=絵画的意味 
3)情緒反応的意味 
4)純粋に音楽的な意味 

に分類したうえで、 
4)だけが音楽的な分析を行うに値すると述べて、
「音楽を説明すべきものは音楽そのものであって、
その周囲に寄生虫のように生じた、
音楽以外のもろもろの観念ではない」とする

おまえ、若いうちから「寄生虫」派やるなよ



2015年6月13日土曜日

夕暮れの涼しいときに、おのれを潔めよ

◆Fischer-Dieskau/Karl Richter 1959(マタイ受難曲)

第64曲 Am Abend, da es kühle war 夕暮れの涼しいときに、
第65曲 Mache dich, mein Herze, rein おのれを潔めよ、私の心よ





すごいなあ、なんど聴いても。

とくにAm Abend, da es kühle warは、プルーストの小説の冒頭、あの半覚醒のなかを漂っている感覚に襲われる・・・


バッハ的ではないという人はいるのだろうけど、--たとえばフランツ・クラスのようなスタイルを好むひともいるのだろう。

◆Franz Crass "Am Abend, da es kühle war" J.S. Bach





フィッシャー・ディスカウは、フルトヴェングラーともやっているはずだと思い探してみた。だが、ディスカウの歌声はどうでもよくなり、とくに合唱箇所に聴き惚れてしまう。

“Am Abend, da es kühle war(夕暮れの涼しいときに)”の少しまえの箇所(何度もくり返される名高いコラールの部分)から聴いてみよう。

ーー“Mache dich, mein Herze, rein”は省略されており、しかも“Am Abend, da es kühle war”は、たぶんOtto Edelmannが歌っているはず。

というわけで、ディスカウのシューマンとシューベルトをかわりに貼り付けておこう。









フルトヴェングラーに戻ろう、わたくしは交響曲はめったに聴かない。ほとんど唯一、シューベルトのD.944がお気に入りというくらいだ(すこし大袈裟にいえば、だが)。

フルトヴェングラー指揮のニ楽章のAndante con motoがことさらすばらしい(かな?ーー最近だんだんと唐突のフォルテッシモに堪えられないようになってきたのだ・・・)。

このアンダンテはリズムと旋律と和声との宝庫である。そうして、ここに登場する楽器たちの、作曲家の手で書きつけられた役割を演じているというよりも、自分で選びとって生きているような動きの素晴らしさ。三つの主題的な旋律が、めんどうな手続きも回り道もせず、つぎつぎと隣接しながら登場しおわったあと(それはイ短調の楽章の最初のヘ長調の部分の終わったところに当るのだが)、弦楽器がppから、さらに、dim.、dim.と小さく、小さく息を殺していって、そっと和音をならす、その和音の柱の中間に、小節の弱拍ごとに、ホルンがg音を8回鳴らしたあと、9回目に、静かに微妙なクレッシェンドをはさあみながらf音を経てe音までおりてくる。(吉田秀和『私の好きな曲』)



シューマンが『全楽器が息をのんで沈黙している間を、ホルンが天の使いのようにおりてくる』とよんだのは、ここである。これは、音楽の歴史の中でも、本当にまれにしかおこらなかった至高の「静けさ」の瞬間である。(同上)


というわけで、最後にグールドのシューベルト!をひさしぶりに聴いてみよう。




なんというこみあげるような、--グールドはシャイミュージックといっているがーー悦ばしい旋律だ、D.944しか聴かないというのは、喰わずきらいにすぎないのだろう、KleiberAbadoが新しくアップされているな・・・二人とも心地よいテンポでやっているが、とくにアバドのほうは、まるでグールドの歌声がきこえてきそうな軽やかさだ







2015年5月16日土曜日

ハイドン ピアノソナタ Hob. XVI:46

ハイドンのピアノソナタ第46番(第31番) 変イ長調 op.54-3(n°31 Hob.XVI:46)はひどく好みの曲なのだが、あまり多くの演奏家はやらないようで、YouTubeでざっと眺めても、名高い演奏家のものが上がっているのは、リヒテルとポゴレリチぐらいだ(名高いといっても、寡聞のわたくしにとって、という意味だが)。

今、Ivo Pogorelić, 1958年10月20日のカタカナ名は記そうとして、検索してみたら、《1958年10月20日生れ…。イーヴォ・ポゴレリチは、クロアチアのピアニスト。1980年、22歳のとき当時43歳の師の女流奏者アリザ・ケゼラーゼと結婚したり、弱音指定の箇所を強打するなど型破りなことでも知られる》などとある。

長いあいだ彼はロシアのピアニストだと勘違いしており、今ごろクロアチア生まれであることを知った。

ハイドンのピアノソナタ第46番は、7,8年前、路上で自転車の荷台に積まれたDVDの山からたまたま探り当てたーーわたくしの住んでいる国はCDやDVD販売が整備されておらず、多くの場合、海賊版をそのようにして日本円にして100円、200円の値段で購入するーーポゴレリチの演奏で初めてめぐり合ってひどく魅せられた。





彼は1983年、日本でもこの曲をやっているようで、その演奏録音に昨晩めぐりあった。





ーーやや神経質になっているところがあるようにも思えるが、耳に新しいせいか、この演奏のほうがいまは魅力的にきこえてくる。

いずれにせよ一楽章はポゴレリチがお気に入りだ。ただしニ楽章のアダージョはリヒテルがいいと感じていた。だが、昨晩たまたま探ってみたのだが、これも名を知らなかったエルンスト・レヴィErnst Levyという音楽学者の1956年の録音のアダージョに魅せられた。

ここでは、別にAriel Lanyiというまだ若いピアニストのHaydn Piano Sonata in A-flat major Hob. XVI:46全曲演奏を貼り付けておく。





ハイドンのソナタはモーツァルトやベートーヴェンに比べて退屈だというのが定評だがーーモーツァルトの半音階的な要素もすくなく、ベートーヴェンのダイナミクスもないーー、わたくしはこのハイドンのソナタよりも好みのものとして、モーツァルトやベートーヴェンのソナタからどれかを選べるだろうか。

ハイドンをきくたびに思う。何とすてきな音楽だろう! と。

すっきりしていて、むだがない。どこをとってみても生き生きしている。言うことのすべてに、澄明な知性のうらづけが感じられ、しかもちっとも冷たいところがない。うそがない。誇張がない。それでいて、ユーモアがある。ユーモアがあるのは、この音楽が知的で、感情におぼれる危険に陥らずにいるからだが、それと同じくらい、心情のこまやかさがあるからでもある。

ここには、だから、ほほえみと笑いと、その両方がある。

そのかわり、感傷はない。べとついたり、しめっぽい述懐はない。自分の悲しみに自分から溺れていったり、その告白に深入りして、悲しみの穴を一層大きく深くするのを好むということがない。ということは、知性の強さと、感じる心の強さとのバランスがよくとれているので、理性を裏切らないことと、心に感じたものんを偽らないということとがひとつであって、二つにならないからにほかならないのだろう。(吉田秀和『私の好きな曲』「《弦楽四重奏曲作品64の5 (ひばり)》)

ここで吉田秀和は誰と対照させて語っているのかは、いうまでもない。

彼は、声をあげて泣いていた。その泣き声は泣いている間も、ずっと彼の耳から離れない。彼が誇張したとはいわないが、その泣き声が、どんな影響をきく人に与えるかを、彼はよく知っていた。

ーーという偉大な作曲家である。とはいえ、ベートーヴェンも晩年、とくにその小品には次のような曲がある。それは初期のーー本来の?--ベートーヴェンが生き返ったような作品である。





四分の三の力―― ひとつの作品を健康なものらしく見せようというなら、それは作者のせいぜい四分の三の力で産み出されていなくてはならぬ。

これに反して、作者がその極限のところまで行っていると、その作品は見る者を興奮させ、その緊張によって彼を不安におとしいれる。

あらゆるよいものは、いくぶん呑気なところがあって、牝牛のように牧場にねそべっている(ニーチェ『人間的な、あまりに人間的』下Ⅰ 107番)

※高橋悠治が最近のコンサートでーーテーマは、簡潔な線 透明な響き Gesualdo Bach Haydn Wolff 見えないフクシマのための沈黙の音ーーハイドンの《ソナタ》 ハ長調 Hob.XVI/50, L.60をやっているようだ。このソナタは、わたくしにはリヒテルもブレンデルの演奏もいけない。ぜひ高橋悠治の演奏で聴いてみたいものだ。

※追記:吉川隆弘によるSonata in G minor Hob. XVI 44




2015年3月31日火曜日

「夏が終われば忘れてしまう」

@tanajun009: これはここに書きつけるくらいがいいのだろうけれど、鈴木さんの『寝そべる建築』所収の立原道造論最後の言葉──「堀辰雄は愛情をこめて立原を、かれの詩は夏休みの宿題を書いているようなもので、それはいいんだけど、夏が終われば忘れてしまう、と言っていたそうである。」・・・泣けてしまう。(田中純)

ここで語られている内容とは、違うのかも知れないが、この田中純氏の昨晩のツイートは、突き刺さるな、なにに突き刺さるのだろう・ ・ ・

われわれは、夏休みの宿題のように、「原発事故」、「テロ事件」、「ネオナチ」などを語っていないだろうか、表面的な、利用しやすい庶民的正義感のはけ口としてのみ。そして《夏が終われば忘れてしまう》。

だが、今は、田中純氏が、おそらく語っている文脈での「突き刺さる」思いを、引用を中心に続けてみよう。

…………

君の詩集(「萱草に寄す」)、なかなか上出來也。かういふものとしては先づ申分があるまい。何はあれ、我々の裡に遠い少年時代を蘇らせてくれるやうな、靜かな田舍暮らしなどで、一夏ぢゆうは十分に愉しめさうな本だ。しかしそれからすぐにまた我々に、その田舍暮らしそのものとともに、忘られてしまふ……そんな空しいやうな美しさのあるところが、かへつて僕などには 〔arrie`re-gou^t〕 がいい。

……ただ一ことだけ言つて置きたい。君は好んで、君をいつも一ぱいにしてゐる云ひ知れぬ悲しみを歌つてゐるが、君にあつて最もいいのは、その云ひ知れぬ悲しみそのものではなくして、寧ろそれ自身としては他愛もないやうなそんな悲しみをも、それこそ大事に大事にしてゐる君の珍らしい心ばへなのだ。さういふ君の純金の心をいつまでも大切にして置きたまへ。(掘辰雄「夏の手紙 立原道造に」)
おまえはもっともらしい貌をして、難しく厳しく裁断するがじつは、おまえは少女たちの甘心を買うためにそういう姿勢をしはじめたのではなかったか。遠いアドレッセンスの初葉の時に。そう云われていくぶんか狼狽するように、これらの自然詩人たちへのかつての愛着を語るときに狼狽を感じる。(吉本隆明歳時記「夏の章――堀辰雄」)

かつてひどく好んだのに、もう長いあいだ忘れてしまっている作品たちの累々とした屍体の墓場というものがあるものだ。







ところで、安永愛による書評『Anne Penesco Proust et le violon interieur (Les Editions duCerf, 2011)』にはこうある。

ヴァントゥイユのソナタの聴取の記述に最も大きなインスピレーションを与えたものと、プルーストの書簡から読み取られるのは、サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタである。しかし奇妙なことに、プルーストはサン=サーンスについて、自分の好みではなく凡庸な作曲家だと、1915年にアントワーヌ・ビベスコ宛ての書簡で述べている。これは一体いかなることなのだろうか。アンヌ・ペネスコは、その答をボードレールについてのプルーストの評論の記述の中に見出している(p104)。それによれば、音楽が「有益な夢想」を与えてくれさえすれば、詩人の賞賛する音楽の客観的クオリティは問題ではないというのである。また、プルーストは未完の小説『ジャン・サントゥイユ』の「粗悪音楽礼賛」のくだりでこう述べているという。「粗悪な音楽を嫌悪したまえ、しかし侮ることなかれ。いい音楽以上にうまく演奏したり歌つたりすれば、音楽は徐々に夢と人の涙で満たされる。(中略)粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ」と。

サン=サーンスの音楽を「粗悪音楽」とは言い切れないだろうが、良い音楽か否かは間わず、「夢」や「涙」と結びつく音楽であればポエジーの糧になるというプルーストの考え、そして彼が必ずしも好みではない音楽家の作品を『失われた時を求めて』における音楽の記述の発想源としていたというのは、興味深い。

実は『失われた時を求めて』執筆の前にプルーストが手がけた未完の二人称小説『ジャン・サントゥイユ』の中には、主人公ジャンがサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタに耳傾ける場面があるのだという。このことから、サン=サーンスを好まないと1915年の時点で書簡にプルーストは書いているものの、人の嗜好は変化するものであって、プルーストのサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタに寄せる思いは、『失われた時を求めて』の語り手がジルベルトに寄せる思いと同じく、初恋のようなものではなかったか、とアンヌ・ペネスコは推測している(p108)。プルーストは、やはりサン=サーンスのヴァイオリン・ソナ夕に魅了されていたのだとペネスコは断じる。かつて愛し、離れてしまったものへの、疼くようなやるせない思いが、文学テクスト上のヴァントゥイユの音楽の創出にあずかっていたというのが、ペネスコの見立てである。

《粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ》だって? いや《サン=サーンスの音楽を「粗悪音楽」とは言い切れない》ように、立原道造も堀辰雄も粗悪の詩人たちではないだろう・ ・ ・

かつまた、《かつて愛し、離れてしまったものへの、疼くようなやるせない思い》だって?

芸術には、「青春の魅力」とでもいうべきものがつきまとっていると見える面があるのも事実で、……人はまた、自分の身にとってみれば、今は失ってしまった「青春」こそ、少なくとも、その理想的な世界にいちばん近いものだったと、思いたがる。

「あの時は、よかった」そうして、実人生では長続きさすことの不可能なその青春の優しさ、汚れのなさを、芸術作品こそは、いつまでもほろびない形で、――つまり、不朽な「美」の形にまで高めてーーその中にとじこめて残していてくれる。こうして、青春・美・芸術という一連のつながりが、人の頭の中に形をとってくる。それに人間は、「創造」ということを考える時、そこにこれからも生命を持ち続けてゆく「若々しさ」をあわせて見ないのは、むずかしいのではないだろうか。

あるいは、人は芸術にぶつかった時、その中にあるほかの何よりも、まず青春の魅力というものに、敏感に感応しやすいというのが、正しいのかも知れない。(吉田秀和『私の好きな曲』上 p50)

さらにはまた、《人は芸術にぶつかった時、その中にあるほかの何よりも、まず青春の魅力というものに、敏感に感応しやすい》だって? だが、《一番早く目につく美は、またあきられやすい美》でもあるだろう。

…スワンや彼の妻はこのソナタに、明瞭にある楽節を認めるのだが、私にとってその楽節は、たとえば思いだそうとするが闇ばかりしか見出せない名前、しかし一時間も経ってそのことを考えていないときに最初はあれほどたずねあぐんだ綴がすらすらとひとりでに浮かびあがってくるあの名前のように、ソナタのなかにあって容易にそれとは見わけにくいものなのであった。また、あまりききなれないめずらしい作品をきいたときには、すぐには記憶できないばかりでなく、それらの作品から、ヴァントゥイユのソナタで私がそうであったのだが、われわれがききとるのは、それほどたいせつではない部分なのである。(……)

そればかりではない、私がソナタをはじめからおわりまできいたときでも、たとえば距離や靄にさまたげられてかすかにしか見ることのできない記念建造物のように、やはりこのソナタの全貌は、ほとんど私に見さだめられないままで残った。そこから、そうした作品の認識にメランコリーがむすびつくのであって、時間が経ってからのちにそのまったき姿をあらわすものの認識はすべてそうなのである。ヴァントゥイユのソナタのなかにもっとも奥深く秘められた美が私にあきらかになったとき、はじめに認めてたのしんだ美は、私の感受性の範囲外へ習慣によってさそわれて、私を離れ、私から逃げだしはじめた。私はこのソナタがもたらすすべてを時間をかさねてつぎつぎにでなければ好きになれなかったのであって、一度もソナタを全体として所有したことがなかった、このソナタは人生に似ていた。しかし、そうした偉大な傑作は、人生のようには幻滅をもたらすことはないが、それがもっている最上のものをはじめからわれわれにあたえはしない。ヴァントゥイユのソナタのなかで一番早く目につく美は、またあきられやすい美であり、そうした美がすでに人々に知られている美とあまりちがっていないのも、まず早く目にとまる美だからである。しかしそんな美がわれわれから遠ざかったとき、そのあとからわれわれが愛しはじめるのは、あまり新奇なのでわれわれの精神に混乱しかあたえなかったその構成が、そのときまで識別できないようにしてわれわれに手をふれさせないでいたあの楽節なのである。われわれが毎日気がつかずにそのまえを通りすぎていたので、自分から身をひいて待っていた楽節、それがいよいよ最後にわれわれのもとにやってくる、そんなふうにおそくやってくるかわりに、われわれがこの楽節から離れるのも最後のことになるだろう。われわれはそれを他のものより長く愛しつづけるだろう、なぜなら、それを愛するようになるまでには他のものよりも長い時間を費していたであろうから。それにまた、すこし奥深い作品に到達するために個人にとって必要な時間というものはーーこのソナタについて私が要した時間のようにーー公衆が真に新しい傑作を愛するようになるまでに流される数十年、数百年の縮図でしかなく、いわば象徴でしかないのである。(プルースト『花咲く乙女たちのかげに Ⅰ』P172-174)

《今は失ってしまった「青春」こそ、少なくとも、その理想的な世界にいちばん近いものだったと、思いたがる》だって?

……中村武羅夫氏は青春という時期の陰湿さを大そう強調している。一方、私に質問した学生は、その時期の明るさを大そう強調している。そして、その強調の仕方がいずれも一オクターヴ高い感じがする。

この一オクターブ高いという感じが、いつも青春というものにつきまとう。そして、陰湿さも明るさも、いずれも楯の両面のような気がする。(吉行淳之介「鬱の一年」)





《彼は、声をあげて泣いていた。その泣き声は泣いている間も、ずっと彼の耳からは離れない。彼は誇張したのだろうか、(……)いやそうとまではいうまい。だがその泣き声が、どんな影響をきく人に与えるかを、彼はよく知っていた。》(吉田秀和)

…………
@Cioran_Jp: もしニーチェ、プルースト、ボードレール、ランボー等が流行の波に流されず生き残るとすれば、それは彼らの公平無私な残酷さと、気前よくまき散らす憎悪のせいである。ひとつの作品の生命を長持ちさせるのは残忍さだ。根拠のない断定だって?福音書の威力をみたまえ。このおそろしく喧嘩早い書物を。(シオラン)