第64曲 Am Abend, da es kühle war 夕暮れの涼しいときに、
第65曲 Mache dich, mein Herze, rein おのれを潔めよ、私の心よ
すごいなあ、なんど聴いても。
とくにAm Abend, da es kühle warは、プルーストの小説の冒頭、あの半覚醒のなかを漂っている感覚に襲われる・・・
バッハ的ではないという人はいるのだろうけど、--たとえばフランツ・クラスのようなスタイルを好むひともいるのだろう。
◆Franz Crass "Am Abend, da es kühle war" J.S. Bach
フィッシャー・ディスカウは、フルトヴェングラーともやっているはずだと思い探してみた。だが、ディスカウの歌声はどうでもよくなり、とくに合唱箇所に聴き惚れてしまう。
“Am Abend, da es kühle war(夕暮れの涼しいときに)”の少しまえの箇所(何度もくり返される名高いコラールの部分)から聴いてみよう。
ーー“Mache dich, mein Herze, rein”は省略されており、しかも“Am Abend, da es kühle war”は、たぶんOtto Edelmannが歌っているはず。
ーー“Mache dich, mein Herze, rein”は省略されており、しかも“Am Abend, da es kühle war”は、たぶんOtto Edelmannが歌っているはず。
というわけで、ディスカウのシューマンとシューベルトをかわりに貼り付けておこう。
フルトヴェングラーに戻ろう、わたくしは交響曲はめったに聴かない。ほとんど唯一、シューベルトのD.944がお気に入りというくらいだ(すこし大袈裟にいえば、だが)。
フルトヴェングラー指揮のニ楽章のAndante con motoがことさらすばらしい(かな?ーー最近だんだんと唐突のフォルテッシモに堪えられないようになってきたのだ・・・)。
このアンダンテはリズムと旋律と和声との宝庫である。そうして、ここに登場する楽器たちの、作曲家の手で書きつけられた役割を演じているというよりも、自分で選びとって生きているような動きの素晴らしさ。三つの主題的な旋律が、めんどうな手続きも回り道もせず、つぎつぎと隣接しながら登場しおわったあと(それはイ短調の楽章の最初のヘ長調の部分の終わったところに当るのだが)、弦楽器がppから、さらに、dim.、dim.と小さく、小さく息を殺していって、そっと和音をならす、その和音の柱の中間に、小節の弱拍ごとに、ホルンがg音を8回鳴らしたあと、9回目に、静かに微妙なクレッシェンドをはさあみながらf音を経てe音までおりてくる。(吉田秀和『私の好きな曲』)
シューマンが『全楽器が息をのんで沈黙している間を、ホルンが天の使いのようにおりてくる』とよんだのは、ここである。これは、音楽の歴史の中でも、本当にまれにしかおこらなかった至高の「静けさ」の瞬間である。(同上)
というわけで、最後にグールドのシューベルト!をひさしぶりに聴いてみよう。
なんというこみあげるような、--グールドはシャイミュージックといっているがーー悦ばしい旋律だ、D.944しか聴かないというのは、喰わずきらいにすぎないのだろう、KleiberとAbadoが新しくアップされているな・・・二人とも心地よいテンポでやっているが、とくにアバドのほうは、まるでグールドの歌声がきこえてきそうな軽やかさだ