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2015年3月31日火曜日

「夏が終われば忘れてしまう」

@tanajun009: これはここに書きつけるくらいがいいのだろうけれど、鈴木さんの『寝そべる建築』所収の立原道造論最後の言葉──「堀辰雄は愛情をこめて立原を、かれの詩は夏休みの宿題を書いているようなもので、それはいいんだけど、夏が終われば忘れてしまう、と言っていたそうである。」・・・泣けてしまう。(田中純)

ここで語られている内容とは、違うのかも知れないが、この田中純氏の昨晩のツイートは、突き刺さるな、なにに突き刺さるのだろう・ ・ ・

われわれは、夏休みの宿題のように、「原発事故」、「テロ事件」、「ネオナチ」などを語っていないだろうか、表面的な、利用しやすい庶民的正義感のはけ口としてのみ。そして《夏が終われば忘れてしまう》。

だが、今は、田中純氏が、おそらく語っている文脈での「突き刺さる」思いを、引用を中心に続けてみよう。

…………

君の詩集(「萱草に寄す」)、なかなか上出來也。かういふものとしては先づ申分があるまい。何はあれ、我々の裡に遠い少年時代を蘇らせてくれるやうな、靜かな田舍暮らしなどで、一夏ぢゆうは十分に愉しめさうな本だ。しかしそれからすぐにまた我々に、その田舍暮らしそのものとともに、忘られてしまふ……そんな空しいやうな美しさのあるところが、かへつて僕などには 〔arrie`re-gou^t〕 がいい。

……ただ一ことだけ言つて置きたい。君は好んで、君をいつも一ぱいにしてゐる云ひ知れぬ悲しみを歌つてゐるが、君にあつて最もいいのは、その云ひ知れぬ悲しみそのものではなくして、寧ろそれ自身としては他愛もないやうなそんな悲しみをも、それこそ大事に大事にしてゐる君の珍らしい心ばへなのだ。さういふ君の純金の心をいつまでも大切にして置きたまへ。(掘辰雄「夏の手紙 立原道造に」)
おまえはもっともらしい貌をして、難しく厳しく裁断するがじつは、おまえは少女たちの甘心を買うためにそういう姿勢をしはじめたのではなかったか。遠いアドレッセンスの初葉の時に。そう云われていくぶんか狼狽するように、これらの自然詩人たちへのかつての愛着を語るときに狼狽を感じる。(吉本隆明歳時記「夏の章――堀辰雄」)

かつてひどく好んだのに、もう長いあいだ忘れてしまっている作品たちの累々とした屍体の墓場というものがあるものだ。







ところで、安永愛による書評『Anne Penesco Proust et le violon interieur (Les Editions duCerf, 2011)』にはこうある。

ヴァントゥイユのソナタの聴取の記述に最も大きなインスピレーションを与えたものと、プルーストの書簡から読み取られるのは、サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタである。しかし奇妙なことに、プルーストはサン=サーンスについて、自分の好みではなく凡庸な作曲家だと、1915年にアントワーヌ・ビベスコ宛ての書簡で述べている。これは一体いかなることなのだろうか。アンヌ・ペネスコは、その答をボードレールについてのプルーストの評論の記述の中に見出している(p104)。それによれば、音楽が「有益な夢想」を与えてくれさえすれば、詩人の賞賛する音楽の客観的クオリティは問題ではないというのである。また、プルーストは未完の小説『ジャン・サントゥイユ』の「粗悪音楽礼賛」のくだりでこう述べているという。「粗悪な音楽を嫌悪したまえ、しかし侮ることなかれ。いい音楽以上にうまく演奏したり歌つたりすれば、音楽は徐々に夢と人の涙で満たされる。(中略)粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ」と。

サン=サーンスの音楽を「粗悪音楽」とは言い切れないだろうが、良い音楽か否かは間わず、「夢」や「涙」と結びつく音楽であればポエジーの糧になるというプルーストの考え、そして彼が必ずしも好みではない音楽家の作品を『失われた時を求めて』における音楽の記述の発想源としていたというのは、興味深い。

実は『失われた時を求めて』執筆の前にプルーストが手がけた未完の二人称小説『ジャン・サントゥイユ』の中には、主人公ジャンがサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタに耳傾ける場面があるのだという。このことから、サン=サーンスを好まないと1915年の時点で書簡にプルーストは書いているものの、人の嗜好は変化するものであって、プルーストのサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタに寄せる思いは、『失われた時を求めて』の語り手がジルベルトに寄せる思いと同じく、初恋のようなものではなかったか、とアンヌ・ペネスコは推測している(p108)。プルーストは、やはりサン=サーンスのヴァイオリン・ソナ夕に魅了されていたのだとペネスコは断じる。かつて愛し、離れてしまったものへの、疼くようなやるせない思いが、文学テクスト上のヴァントゥイユの音楽の創出にあずかっていたというのが、ペネスコの見立てである。

《粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ》だって? いや《サン=サーンスの音楽を「粗悪音楽」とは言い切れない》ように、立原道造も堀辰雄も粗悪の詩人たちではないだろう・ ・ ・

かつまた、《かつて愛し、離れてしまったものへの、疼くようなやるせない思い》だって?

芸術には、「青春の魅力」とでもいうべきものがつきまとっていると見える面があるのも事実で、……人はまた、自分の身にとってみれば、今は失ってしまった「青春」こそ、少なくとも、その理想的な世界にいちばん近いものだったと、思いたがる。

「あの時は、よかった」そうして、実人生では長続きさすことの不可能なその青春の優しさ、汚れのなさを、芸術作品こそは、いつまでもほろびない形で、――つまり、不朽な「美」の形にまで高めてーーその中にとじこめて残していてくれる。こうして、青春・美・芸術という一連のつながりが、人の頭の中に形をとってくる。それに人間は、「創造」ということを考える時、そこにこれからも生命を持ち続けてゆく「若々しさ」をあわせて見ないのは、むずかしいのではないだろうか。

あるいは、人は芸術にぶつかった時、その中にあるほかの何よりも、まず青春の魅力というものに、敏感に感応しやすいというのが、正しいのかも知れない。(吉田秀和『私の好きな曲』上 p50)

さらにはまた、《人は芸術にぶつかった時、その中にあるほかの何よりも、まず青春の魅力というものに、敏感に感応しやすい》だって? だが、《一番早く目につく美は、またあきられやすい美》でもあるだろう。

…スワンや彼の妻はこのソナタに、明瞭にある楽節を認めるのだが、私にとってその楽節は、たとえば思いだそうとするが闇ばかりしか見出せない名前、しかし一時間も経ってそのことを考えていないときに最初はあれほどたずねあぐんだ綴がすらすらとひとりでに浮かびあがってくるあの名前のように、ソナタのなかにあって容易にそれとは見わけにくいものなのであった。また、あまりききなれないめずらしい作品をきいたときには、すぐには記憶できないばかりでなく、それらの作品から、ヴァントゥイユのソナタで私がそうであったのだが、われわれがききとるのは、それほどたいせつではない部分なのである。(……)

そればかりではない、私がソナタをはじめからおわりまできいたときでも、たとえば距離や靄にさまたげられてかすかにしか見ることのできない記念建造物のように、やはりこのソナタの全貌は、ほとんど私に見さだめられないままで残った。そこから、そうした作品の認識にメランコリーがむすびつくのであって、時間が経ってからのちにそのまったき姿をあらわすものの認識はすべてそうなのである。ヴァントゥイユのソナタのなかにもっとも奥深く秘められた美が私にあきらかになったとき、はじめに認めてたのしんだ美は、私の感受性の範囲外へ習慣によってさそわれて、私を離れ、私から逃げだしはじめた。私はこのソナタがもたらすすべてを時間をかさねてつぎつぎにでなければ好きになれなかったのであって、一度もソナタを全体として所有したことがなかった、このソナタは人生に似ていた。しかし、そうした偉大な傑作は、人生のようには幻滅をもたらすことはないが、それがもっている最上のものをはじめからわれわれにあたえはしない。ヴァントゥイユのソナタのなかで一番早く目につく美は、またあきられやすい美であり、そうした美がすでに人々に知られている美とあまりちがっていないのも、まず早く目にとまる美だからである。しかしそんな美がわれわれから遠ざかったとき、そのあとからわれわれが愛しはじめるのは、あまり新奇なのでわれわれの精神に混乱しかあたえなかったその構成が、そのときまで識別できないようにしてわれわれに手をふれさせないでいたあの楽節なのである。われわれが毎日気がつかずにそのまえを通りすぎていたので、自分から身をひいて待っていた楽節、それがいよいよ最後にわれわれのもとにやってくる、そんなふうにおそくやってくるかわりに、われわれがこの楽節から離れるのも最後のことになるだろう。われわれはそれを他のものより長く愛しつづけるだろう、なぜなら、それを愛するようになるまでには他のものよりも長い時間を費していたであろうから。それにまた、すこし奥深い作品に到達するために個人にとって必要な時間というものはーーこのソナタについて私が要した時間のようにーー公衆が真に新しい傑作を愛するようになるまでに流される数十年、数百年の縮図でしかなく、いわば象徴でしかないのである。(プルースト『花咲く乙女たちのかげに Ⅰ』P172-174)

《今は失ってしまった「青春」こそ、少なくとも、その理想的な世界にいちばん近いものだったと、思いたがる》だって?

……中村武羅夫氏は青春という時期の陰湿さを大そう強調している。一方、私に質問した学生は、その時期の明るさを大そう強調している。そして、その強調の仕方がいずれも一オクターヴ高い感じがする。

この一オクターブ高いという感じが、いつも青春というものにつきまとう。そして、陰湿さも明るさも、いずれも楯の両面のような気がする。(吉行淳之介「鬱の一年」)





《彼は、声をあげて泣いていた。その泣き声は泣いている間も、ずっと彼の耳からは離れない。彼は誇張したのだろうか、(……)いやそうとまではいうまい。だがその泣き声が、どんな影響をきく人に与えるかを、彼はよく知っていた。》(吉田秀和)

…………
@Cioran_Jp: もしニーチェ、プルースト、ボードレール、ランボー等が流行の波に流されず生き残るとすれば、それは彼らの公平無私な残酷さと、気前よくまき散らす憎悪のせいである。ひとつの作品の生命を長持ちさせるのは残忍さだ。根拠のない断定だって?福音書の威力をみたまえ。このおそろしく喧嘩早い書物を。(シオラン)

2015年1月13日火曜日

すべての「女」は娼婦である

@Cioran_Jp: 「私の知識は全て娼婦の学校で学んだものだ」と、全てを受け入れつつ全てを拒む思想家なら言うべきであろう。彼は娼婦にならって、物憂い微笑に熟達し、人間どもは彼にとってお客にすぎなくなり、そうしてこの世の歩道は、娼婦が肉体を売るように彼が己の苦渋を売る市場でしかなくなったのである。(シオラン)

ここで、「すべての女は娼婦である」という誰が言ったのか忘れたがーーウェブ上を垣間みると、吉行淳之介が言ったことになっているが、それ以前にもマルクスあたりが言っていてもよさそうだ、ーーそのようなクリシェを想起して話をすすめるつもりはないにもかかわらず、《全てを受け入れつつ全てを拒む》とは、男にはなかなかありそうもなく、「女たち」の特質ではあるかもしれない。

というわけで逆言法で話をすすめる。

《逆言法とは、言わずにすますつもりだと言うこと、つまり黙っているはずのことを言ってしまう修辞法の文彩(あや)のことであり、たとえば、《私は次のことは語らないつもりだ》と言っておいて、その後えんえんと語るやり方》(バルト=花輪光)

「私はスタンダールではないが、二つの性のあいだの関係はつねに文学の中心的課題でした…人々が別の惑星へ行って暮らすようになっても、相変らず事情は同じでしょう! 私のとって、女性は、おそらく男性の知覚よりも深いそれをもつものです。たぶんそれは次のことのよるのでしょうーーでも私の言っているのは愚かなことですーー、つまり彼女は、自分のうちに男性を迎え入れるように物事を受けとることに慣れていて、彼女の快楽はまさにそれを受け入れることにある、ということです。彼女は現実を受け入れるつもりでいる、あえて言うなら、完全に女性的な同じ姿勢のうちに。彼女は、男性以上に、場合に応じて、ぴったり合った解答を見つける可能性をもっているのです」(ミケランジェロ・アントニオーニーーソレルス『女たち』よりの孫引き

女たち? まさか!
いまではほとんどの女は男であると、誰かがとっくの昔に言ったではないか。

……いわば男になろうとする女たちほど、批判されるべきものはない。これがニーチェを反フェミニズムへと駆り立て、ニーチェが女性蔑視の思想家であるかのような錯覚を生んできた。しかし、「実のところ、ニーチェが大いに嘲笑を浴びせているフェミニストの女たちは男性なのだ。フェミニズムとは、女が男に、独断的な哲学者に似ようとする操作であり、それによって、女は真理を、科学を、客観性を要求する、即ち、男性的幻想のすべてをこめて、そこに結びつく去勢の効力を要求するのである。」(デリダ『尖筆とエクリチュール』)けれども、《女》とは、外見の美しさと軽やかな決定不能性によって、「物自体のーー決定可能なーー真理のエコノミー、あるいは、決定者としての去勢のディスクール(プロかアンチか)」(デリダ)の閉域を、つまりは、「真理―去勢の罠」を、やすやすと摺り抜けるものではなかったか? 「女は真理を欲しない。女にとって真理など何であろう。女にとって真理ほど疎遠で、厭わしく、憎らしいものは何もない。――女の最大の技巧は虚をつくことであり、女の最大の関心事は見せかけと美しさである。われわれ男たちは告白しよう。われわれが女がもつほかならぬこの技術とこの本能をこそ尊重し愛するのだ。われわれは重苦しいから、女という生物と附き合うことで心を軽くしたいのである。女たちの手、眼差し、優しい愚かさに接するとき、われわれの真剣さ、われわれの重苦しさや深刻さが殆んど馬鹿馬鹿しいものに見えて来るのだ。」(『善悪の彼岸』)(浅田彰『構造と力』)

とはいえ、いまでも男どもよりは、女たちは豊かな可能性を失わないでいる。

ここで想いだしてみよう、男が妻の前で話をしているありふれた光景を。夫は手柄話を自慢していたり、己の高い理想をひき合いに出したりしている等々。そして妻は黙って夫を観察しているのだ、ばかにしたような微笑みをほとんど隠しきれずに。妻の沈黙は夫の話のパトスを瓦礫にしてしまい、その哀れさのすべてを晒しだす。この意味で、ラカンにとって、ソクラテスのイロニーとは分析家の独自のポジションを示している。分析のセッションでは同じことが起っていないだろうか? (……)神秘的な“パーソナリティの深層”はプロソポピーアの空想的な効果、すなわち主体のディスクールは種々のソースからの断片のプリコラージュにすぎないものとして、非神秘化される。(……)彼は脱-主体化されてしまうのだ。これをラカンは“主体の解任”と呼んだ。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』私訳--ソクラテスのイロニーとプロソポピーア

もちろん男のなかにも女はいる。上のジジェクの記す意味ではソクラテスは女である。あるいはまた、すぐれた小説家は「女」であるだろう、彼らは《全てを受け入れつつ全てを拒む》のであり、ばかにしたような微笑みを隠しきれずに黙って人間=男を観察するのだ。

…ここでの男/女の二項対立が、いかなる先験的な価値判断とも無縁な仮初めのものであることは、今さら念を押すにも及ぶまい。たとえばブルターニュ地方への旅を回顧し、世界と素肌で触れ合い自然と一体化した悦びを語りながら、そのとき自分は海になり、空になり、岩になり、岩に滲み入る水になってしまったと述べる小説家フローベールは、カテゴリー的認識の崩壊を代償とすることで初めて得られるこうした無媒介的な官能の豊かさを文章行為の現場においても全面化させることで、あの尋常ならざるエクリチュールを実現しえたわけだ。『サランボー』や『ブーヴァールとペキュシェ』の作者は、言葉を主体的に操作し成型すること──すなわちあたかも粘土を捏ねて自分の好きな形を作るように言葉を捏ね上げるといった「能動的」な作業など、うまくやりおおせた試しがない。彼はむしろあたりに瀰漫し自分めがけて蝟集する言葉の群れに全身の皮膚をさらし、それにひたすら犯されつづける途を選んだのであり、作家としての彼の生涯は、言葉のなまなましい抵抗感に犯されることの苦痛が倒錯的な快楽に反転する瞬間を辛抱強く待ちつづけることに捧げられたと言ってよい。(松浦寿輝「死体と去勢──あるいは「他なる女」の表象」)

あるいは、次のように引用してもよい、《中上健次は私の家に泊っていった時、ホモの家に来たみたいだな、と言ったものですが、私はといえば、彼を、まったくこれは中上のオバだ、と思いましたし、第一、彼の書く小説は、ある意味で女性的です――そして、それが秀れた小説の特徴なのです。》(金井美恵子 『小説論』)

おわかりだろうか? ――だがこの言い草は男の言葉ではないかーーまあそれはこの際、問わないでおこう・ ・ ・

ニーチェの「ドイツ人に欠けているもの」から抜き出すのなら、ドイツ人、いやそれだけではなく、インテリども、「知識人」どもは、見ることができない。すなわち「女」ではないのだ。

人は見ることを学ばなければならない、人は考えることを学ばなければならない、人は語ることと書くことを学ばなければならない。これら三者のすべてのおける目標は一つの高貴な文化である。――見ることを学ぶとはーー眼に、落ち着きの、忍耐の、対象をしてわが身に近づかしめることの習慣をつけることであり、判断を保留し、個々の場合をあらゆる側面から検討して包括することを学ぶことである。これが精神性への第一の予備訓練である。すなわち、刺激にただちに反応することはなく、阻み、きまりをつける本能を手に入れることである。私が解するような見ることを学ぶとは、ほとんど、非哲学的な言い方で強い意志と名づけられているものにほかならない。その本質的な点は、まさしく、「意欲」しないこと、決断を中止しうることである。すべての非精神性は、すべての凡俗性は、刺激に抵抗することの無能力にもとづく、――だから人は反応せざるをえず、人はあらゆる衝動に従うのである。(ニーチェ「ドイツ人に欠けているもの」『偶像の黄昏』所収 原佑訳 ちくま学芸文庫 p82)

《判断を保留》とあるので、クンデラの《小説の知恵(不確実性の知恵)》をめぐる文章を抜き出してもよい。今ではそこらじゅうで《理解する前に判断したいという欲望》の精神ばかりなのだから。

人間は、善と悪とが明確に判別されうるような世界を望んでいます。といいますのも、人間には理解する前に判断したいという欲望 ――生得的で御しがたい欲望があるからです。さまざまな宗教やイデオロギーのよって立つ基礎は、この欲望であります。宗教やイデオロギーは、相対的で両義的な小説の言語を、その必然的で独断的な言説のなかに移しかえることがないかぎり、小説と両立することはできません。宗教やイデオロギーは、だれかが正しいことを要求します。たとえば、アンナ・カレーニナが狭量の暴君の犠牲者なのか、それともカレーニンが不道徳な妻の犠牲者なのかいずれかでなければならず、あるいはまた、無実なヨーゼフ・Kが不正な裁判で破滅してしまうのか、それとも裁判の背後には神の正義が隠されていてKには罪があるからなのか、いずれかでなければならないのです。

この<あれかこれか>のなかには、人間的事象の本質的相対性に耐えることのできない無能性が、至高の「審判者」の不在を直視することのできない無能性が含まれています。小説の知恵(不確実性の知恵)を受け入れ、そしてそれを理解することが困難なのは、この無能性のゆえなのです。(クンデラ『小説の精神』 P7-9)


ところで中井久夫は「精神科医の自己規定」として、精神科医は傭兵のようなものではないかと自問したあと、続けて「売春婦」のようなものともしている。

もうひとつの、私にしっくりする精神科医像は、売春婦と重なる。

そもそも一日のうちにヘヴィな対人関係を十いくつも結ぶ職業は、売春婦のほかには精神科医以外にざらにあろうとは思われない。

患者にとって精神科医はただひとりのひと(少なくとも一時点においては)unique oneである。

精神科医にとっては実はそうではない。次のひとを呼び込んだ瞬間に、精神科医は、またそのひとに「ただひとりのひと」として対する。そして、それなりにブロフェッショナルとしてのつとめを果たそうとする。

実は客も患者もうすうすはそのことを知っている。知っていて知らないようにふるまうことに、実は、客も患者も、協力している、一種の共謀者である。つくり出されるものは限りなく真物でもあり、フィクションでもある。

職業的な自己激励によってつとめを果たしつつも、彼あるいは彼女たち自身は、快楽に身をゆだねてはならない。この禁欲なくば、ただのpromiscuousなひとにすぎない。(アマチュアのカウンセラーに、時に、その対応物をみることがある。)

しかし、いっぽうで売春婦にきずつけられて、一生を過まる客もないわけではない。そして売春婦は社会が否認したい存在、しかしなくてはかなわぬ存在である。さらに、母親なり未見の恋びとなりの代用物にすぎない。精神科医の場合もそれほど遠くあるまい。ただ、これを「転移」と呼ぶことがあるだけのちがいである。

以上、陰惨なたとえであると思われるかもしれないが、精神科医の自己陶酔ははっきり有害であり、また、精神科医を高しとする患者は医者ばなれできず、結局、かけがえのない生涯を医者の顔を見て送るという不幸から逃れることができない、と私は思う。(中井久夫『治療文化論』P197-198)

こうやって、いまだ限られた男たちであるにしろ、「女になる」こと、「娼婦になる」こと、の偉大さが気づかれつつある。

(中井)……あの、診察している時、自分の男性性というのは消えますね。上手にいっているときは。ほんものの女性性が出るかどうかはわかりませんけど、やや自分の中の女性性寄りです。少なくとも統合失調症といわれている患者さんを診るときはそうですね。

(鷲田)自分からそれは脱落していくのですか。

(中井)いや、機能しない。まあ統合失調症の人を診た直後に非行少年かなんかを診たらもう全然だめなんです。カモられてしまう。(「身体の多重性」をめぐる対談 中井久夫/鷲田清一 『徴候・記憶・外傷』所収より)

ここで再度ニーチェ先生のお出ましを願おう。ニーチェの「強者」とは実のところ「女」のことではないか。《ひとはつねに強い者を、弱い者たちの攻撃から守らなければならない》(ニーチェ遺稿 1888)

道徳の発展がたどる傾向。——誰でも、おのれ自身がそれで成功するようなもの以外の教えや事物の評価が通用しないことを願望する。したがって、あらゆる時代の弱者や凡庸な者どもの根本傾向は、より強い者たちをより弱化せしめること、引きずりおろすことであり、その主要手段が道徳的判断である。より強い者のより弱い者に対する態度は烙印をおされ、より強い者の高級な状態は悪しざまな別名をつけられる。  多数者の少数者に対する、凡俗な者の稀有な者に対する、弱者の強者に対する闘争——。この闘争を最も巧妙に中絶せしめるものの一つは、精選された、繊細な、要求するところの多い者がおのれを弱者として示し、粗暴な権力手段を放棄するときである——(ニーチェ『権力への意志』)

おわかりだろうか? おそらく現在ではなかなか「おわかり」にならない種族があまた棲息していることを惧れるので、やむえず浅田彰の説明を、くどくなることをおそれずに、つけ加えておく。

いろいろ問題があったけれども、やはり<強者>と<弱者>の問題というのが重要だと思うんです。これはさっきのファシズム問題ともつながるけれども、ニーチェの<強者>というのは普通の意味での強者、例えばヘーゲルの意味での強者と徹底的に区別しないと、プロトファシストみたいになってしまうわけです。実際、普通の意味でいうと、ニーチェの<強者>というのは物凄く弱い。ニーチェは能動的なものと反動的なもの、肯定的なものと否定的なもののおりなす系譜をたどっていくのだけれども、なぜか世界史においては必ず反動的なもの・否定的なものが勝利し、能動的なもの・肯定的なものは全面的に敗北しているわけです。

これはなぜかというと、<弱者>の側が力で勝っているからではなく、<弱者>が<強者>に病いを伝染させ、それによって<強者>の力を差っ引くからであるというんですね。これはほとんど免疫の話になっているんですが、たまたま『ニーチェの抗体』という変な論文を書いた人がいて、83年ぐらいに既にAIDSの問題が出かかったときそれとの絡みで書かれた(……)思いつき倒れの論文なんだけれども、面白いことに、ニーチェの<強者>というのは免疫不全だと言うんです。何でもあけっぴろげに受け入れてしまう。それにつけ込んで有毒なウィルスを送り込むのが<弱者>なんです。事実、その論文は引いていないけれど、ツァラトゥストラも、最高の存在というのは最も多くの寄生虫に取りつかれると言っている。全くオープンなまま常に変転しているから、それをいいことにして寄生虫がパーッと入って来て、ほとんどAIDSになってしまうわけです(笑)。だから「<強者>をつねに<弱者>の攻撃から守らなければならない」。(『天使が通る』(浅田彰/島田雅彦対談集))

ーーところで浅田彰のように巧みに解釈する精神とは、男の精神なのではないだろうか。浅田彰とは女になりたくて、なりきれずにいる男なのではないか。

とはいえここで蓮實重彦の浅田彰評を掲げておこう。

浅田彰の言説を特徴づけるものとして、最終的には否定さるべき批判の対象とかなり快く戯れて、ことと次第によっては、自分がその「絶対的スノビズム」であることも恐れないといったところがあり、それがいわゆる若手の文芸批評家どもと彼との絶対的な違いなわけです。つまり、浅田彰はその点で間違いなく優位にあるんだけれど、その優位を彼は余裕をもって遊ぶんで、批評家としての拡がりが出ると同時に、否定と肯定の揺れ動きも大きくなって、たとえば否定さるべきポスト・モダン状況というのを率先して楽しんじゃっているというところがある。(『闘争のエチカ』)

今、批判の対象を楽しんでいる批評家がどれだけいるだろう。この楽しむことが「女」の精神である。それは「患者」になることでもある。

週刊誌ブームが、現代日本文化の一種の病気であると考えるのは勝手であろうが、それが、ただ医者の見立てでは詰まらない。自ら患者になって、はっきりした病識を得てみなくては詰まらない。批評家は直ぐ医者になりたがるが、批評精神は、むしろ患者の側に生きているものだ。医者が患者に質問する、一体、何処が、どんな具合に痛いのか。大概の患者は、どう返事しても、直ぐ何と拙い返事をしたものだと思うだろう。(……)私は、患者として、いつも自分の拙い返答の方を信用する事にしている。(小林秀雄「読者」)


 さて最後に、ラカン先生の言葉をつけ加えておくべきだろうか。

ラカンはエディプスの彼方に女性を見ようとする。女性においては、例外的父親がなくても一応の主体的統一が得られる。これは男性のようなひとつの総体をなさない非総体的な統一であり、いかなる理想像も必要としない。このような論理は、すべての理想機能を一旦停止させて分析を進行させなければならない分析家にふさわしいものであろう。分析家がある理想を持ったまま分析家の場にいると、その理想は分析の障害となる。分析家が自ら分析を受けなければならない一つの理由は、自分自身を構成している理想が何であるかをはっきりさせることである。この点において、分析家は理想なしで個的に存在する女性と共通するものを持っている。

女性と分析家との共通点はまだ外にもある。一人の女性は男性の、ファンタスムの対象の場(a)に自らを置くことに承諾する($→a) 。このことは、分析家が主体の欲望の原因の場(a)にやって来ること(a →$)と、たがいに対象(a)のふりをするという行為において同じである。また、分析家の集団は、一人の長を置き、ヒエラルキーを持ったものではなく、女性のように、非総体的な論理を持った集団であることを要請されるということも、付け加えておこう。

ここで、先に述べたことを少し修正しなければならない。ラカンにとって精神分析は精神病によるものであると言ったが、実は、精神分析は女性によるものである、と言ったほうが正しいであろう。ラカン自身も男性よりも女性のほうが分析家としては適していると言っていたのである。

最後に分析家ラカンのひとつの挿話を付け加えておこう。ある女性の患者がラカンに女であることの難しさを訴えていたところ、ラカンは彼女に「貴女女だけではありません」と答えた。このとき、この患者は、ラカンが女性であることを理解したのであった。(向井雅明「ヒステリーの、ヒステリーのための、ヒステリーによる精神分析」)