わたくしは元仏植民地だった国に住んでいるのだが、実際、仏人たちがいわゆる「現地人」たちと結婚する事例の多さは、ドイツやイギリスとは大違いなようだ。わたくしの親族のなかにもフランス人のハーフであったりクオーターであったりする人間がいるし、血は混ざっていないが長く海外に住んでこの地に戻って来ている親族は、十人ちかくいる(もっとも親族がひどく多い国ではある。妻の祖父の家にテト祝いでは、正月の三日間に百人以上の親族が、それぞれの日に別の顔ぶれで集る。五人の妻をもち、数えたことはないが二十人は軽く超える子供がいる艶福家であり、いまだ同じ日に集るわけにはいかないらしい)。
このグレアム・グリーン原作の『静かなアメリカ人』やらデュラス原作の『愛人』にかつて魅せられたということもあるのだが・ ・ ・、当地の女性はみかけとは違って、生やさしいものではない?のがしだいに分かった(で、どうしたというわけではない、やはり女たちはうつくしい)。
たとえば、フランスにいるアルジェリア人の問題と、ドイツにいるトルコ人の問題はまったく異なる。鹿島繁氏によれば、《トルコ人は永遠にドイツ人にはなれない。しかし、トルコ流にやっていてもかまわない。フランスは、フランス人になることを認める代わりに、殻の中に閉じられたようなイスラムの家族は解体されなければならないし、宗教は前面にだしてはいけない》とのことだ。
だがそのフランスでも、《そもそも「他者に開かれた多文化社会」を目指しつつ、実際は移民をフランス人の嫌がる仕事のための安価な労働力として使い、「郊外」という名のゲットーに隔離してきた》(浅田彰)のは、イスラム系住民による2005年の暴動事件、すなわちパリ郊外のクリシー・ス・ボワで二人の少年が警察に追跡されて変電所に逃げ込み感電死をしたことを受けての、ムスリムたちが怒り狂ってのフランス全土での騒乱事件や、今年初めの『シャルリー・エブド』事件などで誰もが知るところになった。
だがそうはいってもアメリカ合衆国やフランスは「他者に開かれた多文化社会」をつねに目指している国であろうし、人権などの「普遍性」が生まれるのは、あるいは、かりに今後「普遍性」概念が何らかの形で再生されることがあり得るのは、このような国からでしかないだろう。
ジジェクは最近のインタヴューで次のように言っている。
しかし私は確信している、我々はかつてなくヨーロッパが必要だと。想像してごらん、ヨーロッパなしの世界を。二つの柱しか残っていない。野蛮な新自由主義の米国、そして独裁的政治構造をもった所謂アジア式資本主義。あいだに拡張論者の野望をもったプーチンのロシア。我々はヨーロッパの最も貴重な部分を失いつつある。そこではデモクラシーと自由が集団の行動を生んだ。それがなくて、平等と公正がどうやってあると言うんだ?(Zizek,The Greatest Threat to Europe Is Its Inertia' 2015.3.31)
もっともこの文は、次の文と同時に読まなければならない。
確かに、ヨーロッパは死んだ。しかし、どのヨー ロッパが死んだのか、と。これへの回答は、以下である。ポスト政治的なヨーロッパの世界 市場への組み込み、国民投票で繰り返し拒絶されたヨーロッパ、ブリュッセルのテクノクラ ットの専門家が描くヨーロッパ──死んだのはそうしたヨーロッパなのだ。ギリシアの情熱と 腐敗に対して冷徹なヨーロッパ的理性を代表してみせるヨーロッパ、そうした哀れなギリシ アに「統計」数字を対置するヨーロッパが、死んだのだ。しかし、たとえユートピアに見えよ うとも、この空間は依然としてもう1つのヨーロッパに開かれている。もう1つのヨーロッパ、 それは、再政治化されたヨーロッパ、共有された解放プロジェクトにその根拠を据えるヨー ロッパ、古代ギリシアの民主制、フランス革命や10月革命を惹き起こしたヨーロッパである。(ジジェク「永遠の経済的非常事態」2010)
さて先に掲げたジジェクの文では、新自由主義としての米国への否定的見解が述べられているが、他方、移民を受け入れ、国の中にあらゆる民族がいて、しかも商品も資本もかなり自由に行き来できるというアメリカという国がある。《西欧民主主義などという原理の勝利じゃなくて、移民を受け入れるという事実の勝利》(岩井克人)の国である。
いずれにせよ、アメリカ合衆国やフランスに住んでいれば、たえずアメリカ人とは何か、フランス人とは何かというアイデンティティの問いが生まれざるをえない。祖父の代やら曽祖父の代まで遡れば、純アメリカ人、純フランス人である人びとは少数派なのだろうから。そのため、日本のように日本で生まれ日本語を話せば日本人であると素朴に思っている人びとは少ないだろうから。たとえば前仏大統領のサルコジーーパリ郊外の移民を「社会のクズ」と呼んだ「チビ・ナポレオン」(バディウ)――はハンガリー移民二世であるが、彼の評価は別にして、移民二世が大統領になりうる国であり、日本で「在日朝鮮人」が首相になりうるかどうかをすこしでも想起してみたら、両国の相違は歴然としている。
日本だけが特殊な国だというつもりはないが、日本のような国からはけっして「普遍性」はでて来ないだろうから、フランスや米国の猿真似をしてもいたしかたないという観点はあるだろう。
磯崎新は、2010年の毎日新聞のインタヴュー記事「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか」でこう語っている。
日本は鎖国状態でやっていけますか? 「日本は鎖国状態を恐れる必要はありませんよ。今の日本は、米国から外される、中国から追い抜かれるとビクビクしている。だけど、日本はむしろ孤立した方がいいんです」。意外な答えが返ってきた。
「僕はこの鎖国状態の期間を『和様化の時代』と呼んでいいと思います。歴史を見れば、和様化の時代は、輸入した海外の技術を徐々に日本化していく時期にあたります。今はこの和様化、つまり『日本化』を徹底する時期だと思いますね」
磯崎さんに言わせれば伊勢神宮もしかり。漢字とひらがなが入り交じった日本語も、外国語をいかに日本化するかを考えたことから今の形となった。戦 後で言えば、自動車やカメラだ。日本が始めた産業ではないにもかかわらず、実用化、大量化、精密化して世界の群を抜く製品化に成功した。
「どう言ったらいいんですかね」などと言葉を探しながら語る磯崎さん。
「歴史を振り返ると、日本人は鎖国状態の時期、非常に細かい技術を駆使して、発案した人たちを脅かすものをつくり続けてきた。そして、その時期にできた日本語や自動車などの日本的なものが、日本の文化や産業の歴史的な主流になってきています」
「鎖国」のすすめと読みうる見解だが、これは経済的な観点、すなわち少子高齢化社会トップランナー日本では、移民がなければ社会保障制度は破綻するのは瞭然としていることが全く考慮はされていないと批判することはできるだろう。
少子化の進んでいる日本は、周囲の目に見えない人口圧力にたえず曝されている。二〇世紀西ヨーロッパの諸国が例外なくその人口減少を周囲からの移民によって埋めていることを思えば、好むと好まざるとにかかわらず、遅かれ早かれ同じ事態が日本にも起こるであろう。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)
だが日本という共同体では、移民政策はなかなか実現しそうもない。それでも経済的観点から「好むと好まざるとにかかわらず」受け入れざるを得ない状況にあるわけだ。曽野綾子の物議を醸した「移民を受け入れ、人種で分けて居住させるべき」との主張は、実は日本という共同体はそれしかないだろうという残念ながら現在の「真理」を突いた認識を示しているさえ言い得る。岩井克人は1990年に「ぼくは日本人は百パーセント、レイシストだと思いますよ」と言ったが、外国人との接触が極端にすくない日本人の大半はいまでもレイシストであることを免れているとは到底思えない。
ところで、なにが日本というこの共同体を生んだのだろうかといえば、たとえば古くは中村光夫の指摘がある。
もっとも《外国から全面的な侵略や永続する征服をうけたこと》がないというだけで日本民族の連続性、一貫性を主張するのは、単純すぎるという見解は当然あるだろう。たとえば司馬遼太郎は。日本も、応仁の乱あたりで一編切れたと考えてもいいぐらいだと言っている。
とはいえ江戸時代である。ここで真の日本的なものが育まれた。柄谷行人は、かつてコジューヴの日本文化論(日本的スノビズム)を語りつつ、《日本的な生活様式とは実際に江戸文化のこと》としている。
江戸文化とは、江戸幕府の基本政策によって醸成された。
かりにこのような日本的なものがいまだ21世紀の日本に生き残っているならーーおそらくいまだ蟠踞していると思われるがーー、「普遍性」など目指しようがない。移民政策をいまさら推進したら、フランスであれ移民居住区がゲットー化しているのだから、日本では、かねてよりの得意技「ムラ八分」が起こるに決まっている。《一般に、日本社会では、公開の議論ではなく、事前の「根回し」によって決まる。人々は「世間」の動向を気にし、「空気」を読みながら行動する》(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」)――このような社会でどうして移民との共存があり得えようか。
加藤周一は、この類の批判、ーー日本の「共感の共同体」、コンセンサス主義などの変奏をもってーーを終生何度もくり返している。
さて、もちろん表題の「鎖国のすすめ」は、わたくしの思いとしては反語である。だが「鎖国」的メンタリティは癒しようのない日本の症状なのかもしれないとはときに思う。
蓮實重彦の言い方をするなら、日本人はいまだ文化的にすこぶる「制度的な」存在なのだ。そしてくり返せば、それはある意味ではやむえないのかもしれない。
もっとも反=制度的な振舞いを演じてしまうこと自体、ーーたとえばわたくしが今いささかやっているのかもしれないことだがーー制度的な存在ではあるのを忘れてはならない、《 制度に抗うには、 少なくとも抵抗すべき対象を見据えうる程よく聡明な視線がそなわっていなければならぬ。 その意味で、 あらゆる反抗者は、いくぶんか制度的な存在たらざるをえないだろう》(『凡庸な芸術家の肖像』)
この蓮實重彦と近似した論理を、晩年のラカンも表明している。
結局、告発するだけではラチがあかない。対抗運動を組織するしかないのだろう。マルクスはイデオロギー批判において、ひとが自分をどう考えているかではなく、現実に何をしているかが問題だという意味合いのことをくり返している。とはいえ、次のようにフロイトの言葉を引用しておこう。
いずれにせよ日本人の多くは閉じられた共同体の徹底的な「制度的な」存在である。
フロイトは言っている、
もちろんこの「ユダヤ人」は、ユダヤ共同体を意味していない。《ここでの「ユダヤ的であること」は、いかなる共同体にも帰属せずその「間」に立つことである》(柄谷行人『探求 Ⅱ』)。
とすれば日本人はどうか。フロイトをパラフレーズしておこう。
「日本人であるせいで、私は、 この列島の曖昧模糊として春のような文化に染まり、ことごとく「 空気」を読みながら行動するようになりました。そして知力を行使する際に著しい制約の憂き目に遭い、数多の偏見にまみれることになりました。日本人の故に私はまた、知らず知らずのうちにムラ八分的な排斥運動に身をそめてしまうのですし、固く結束した多数派に組みすることにうっとりと慰安を見出すのでした。」
わが国が歴史時代に踏入った時期は、必ずしも古くありませんが、二千年ちかくのあいだ、外国から全面的な侵略や永続する征服をうけたことは、此度の敗戦まで一度もなかったためか、民族の生活の連続性、一貫性では、他に比類を見ないようです。アジアやヨーロッパ大陸の多くの国々に見られるように、異なった 宗教を持つ異民族が新たな征服者として或る時期からその国の歴史と文化を全く別物にしてしまうような変動は見られなかったので、源平の合戦も、応仁の乱も、みな同じ言葉を話す人間同士の争いです。 (中村光夫『知識階級』)
もっとも《外国から全面的な侵略や永続する征服をうけたこと》がないというだけで日本民族の連続性、一貫性を主張するのは、単純すぎるという見解は当然あるだろう。たとえば司馬遼太郎は。日本も、応仁の乱あたりで一編切れたと考えてもいいぐらいだと言っている。
とはいえ江戸時代である。ここで真の日本的なものが育まれた。柄谷行人は、かつてコジューヴの日本文化論(日本的スノビズム)を語りつつ、《日本的な生活様式とは実際に江戸文化のこと》としている。
江戸文化とは、江戸幕府の基本政策によって醸成された。
江戸幕府の基本政策はどういうものであったか。刀狩り(武装解除)、布教の禁と檀家制度(政教分離)、大家族同居の禁(核家族化)、外征放棄(鎖国)、軍事の形骸化(武士の官僚化)、領主の地方公務員化(頻繁なお国替え)である。(中井久夫「歴史にみる「戦後レジーム」」)
かりにこのような日本的なものがいまだ21世紀の日本に生き残っているならーーおそらくいまだ蟠踞していると思われるがーー、「普遍性」など目指しようがない。移民政策をいまさら推進したら、フランスであれ移民居住区がゲットー化しているのだから、日本では、かねてよりの得意技「ムラ八分」が起こるに決まっている。《一般に、日本社会では、公開の議論ではなく、事前の「根回し」によって決まる。人々は「世間」の動向を気にし、「空気」を読みながら行動する》(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」)――このような社会でどうして移民との共存があり得えようか。
日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(……)
労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』)
加藤周一は、この類の批判、ーー日本の「共感の共同体」、コンセンサス主義などの変奏をもってーーを終生何度もくり返している。
ほんとうに怖い問題が出てきたときこそ、全会一致ではないことが必要なのだと私は考えます。それは人権を内面化することでもあるのです。個人の独立であり、個人の自由です。日本社会は、ヨーロッパなどと比べると、こうした部分が弱いのだと思います。平等主義はある程度普及しましたが、これからは、個人の独立、少数意見の尊重、「コンセンサスだけが能じゃない」という考え方を徹底する必要があります。さきほど述べたように、日本の民主主義は平等主義的民主主義だけれど、少数意見尊重の個人主義的な自由主義ではない。それがいま、いちばん大きな問題です。(加藤周一、『学ぶこと・思うこと』2003)
さて、もちろん表題の「鎖国のすすめ」は、わたくしの思いとしては反語である。だが「鎖国」的メンタリティは癒しようのない日本の症状なのかもしれないとはときに思う。
現代日本の精神構造は、中世の魔女裁判のときやヒットラーのユダヤ人迫害のときの精神構造とそれほど隔たったものではない。ほとんどの人は安心してみんなと同じ言葉をみんなと同じように語る。同じ人に対して同じように怒りをぶつける。同じ人に対して同じように賞賛する。(中島義道『醜い日本の私』)
蓮實重彦の言い方をするなら、日本人はいまだ文化的にすこぶる「制度的な」存在なのだ。そしてくり返せば、それはある意味ではやむえないのかもしれない。
たしかに蓋然性という点からすれば、いま、大部分の日本人が日本語で話し、かつ読んでいることに間違いなかろうが、そうでない残りの部分、つまり日本人でありながらも日本語を話さず、読んでもいない人たちや、逆に日本人でないにもかかわらず日本語で話し、読んでいる人たちは、決して不自然さの中に仮に身を置いているわけではない。余儀なくそうしているのであれ、あるいは自分から進んでそうしているのであれ、その理由はともかくとして、割合からいえば確かに少数者であるに違いないこの残りの部分の存在を無視したばあい、二十世紀の地球はたちどころに地球として機能しなくなるはずであり、その意味で、それは不自然とはほど遠い一つの現実にほかなるまい。だから、いま、この日本語のつらなりを日本人として読んでいるあなたは、決して自然さに保護されているわけではなく、選ばれた不自然を自然であるかに思いこんでいるに過ぎない。選択された不自然を自然だと信ずることへの確信を、ここではとりあえず「制度」と呼んでみたいが、この「制度」が、懐しさの訪れようもない世界へと人びとを閉じこめてしまうことはいうまでもない。「制度」は、それ自体として余白も陥没点も持たない充足しきった空間である。無知のまわりには、知識へと向う強烈な磁力が働いている。誤謬の前には正確さが立ちはだかって正確さへの道を告げる。理性は、非理性を訓育する。正常は狂気を哀れに思う。しかも、こうした二元論をどこまでも堅持すべく、ときには狂気の祭典、非理性の反乱、誤謬の顕揚、無知への郷愁といった儀式をすら「制度」は計画し現実に演出したりもする。そして、いたるところで懐しさの可能性が絶たれてゆくのだ。懐しさとは、知識でも無知でもなく、正確さでも誤謬でもなく、理性と非理性、正常と狂気といった差異そのものを無効にする徹底した曖昧さにほかならぬからだ。(蓮實重彦『反=日本語論』)
もっとも反=制度的な振舞いを演じてしまうこと自体、ーーたとえばわたくしが今いささかやっているのかもしれないことだがーー制度的な存在ではあるのを忘れてはならない、《 制度に抗うには、 少なくとも抵抗すべき対象を見据えうる程よく聡明な視線がそなわっていなければならぬ。 その意味で、 あらゆる反抗者は、いくぶんか制度的な存在たらざるをえないだろう》(『凡庸な芸術家の肖像』)
この蓮實重彦と近似した論理を、晩年のラカンも表明している。
資本主義のディスクールを告発することは、それに規範を与え、つまり完成させ、結局、それを強化することになる。(ラカン『テレヴィジョン』)
結局、告発するだけではラチがあかない。対抗運動を組織するしかないのだろう。マルクスはイデオロギー批判において、ひとが自分をどう考えているかではなく、現実に何をしているかが問題だという意味合いのことをくり返している。とはいえ、次のようにフロイトの言葉を引用しておこう。
知性が欲動生活に比べて無力だということをいくら強調しようと、またそれがいかに正しいことであろうと――この知性の弱さは一種独特のものなのだ。なるほど、知性の声は弱々しい。けれども、この知性の声は、聞き入れられるまではつぶやきを止めないのであり、しかも、何度か黙殺されたあと、結局は聞き入れられるのである。これは、われわれが人類の将来について楽観的でありうる数少ない理由の一つであるが、このこと自体も少なからぬ意味を持っている。なぜなら、これを手がかりに、われわれはそのほかにもいろいろの希望を持ちうるのだから。なるほど、知性の優位は遠い遠い未来にしか実現しないであろうが、しかしそれも、無限の未来のことというわけではないらしい。(フロイト『ある幻想の未来』)
いずれにせよ日本人の多くは閉じられた共同体の徹底的な「制度的な」存在である。
フロイトは言っている、
ユダヤ人であったおかげで、私は、他の人たちが知力を行使する際制約されるところの数多くの偏見を免れたのでした。ユダヤ人の故に私はまた、排斥運動に遭遇する心構えもできておりましたし、固く結束した多数派に与することをきっぱりあきらめる覚悟もできたのでした。(『ブナイ・ブリース協会会員への挨拶』)
もちろんこの「ユダヤ人」は、ユダヤ共同体を意味していない。《ここでの「ユダヤ的であること」は、いかなる共同体にも帰属せずその「間」に立つことである》(柄谷行人『探求 Ⅱ』)。
とすれば日本人はどうか。フロイトをパラフレーズしておこう。
「日本人であるせいで、私は、 この列島の曖昧模糊として春のような文化に染まり、ことごとく「 空気」を読みながら行動するようになりました。そして知力を行使する際に著しい制約の憂き目に遭い、数多の偏見にまみれることになりました。日本人の故に私はまた、知らず知らずのうちにムラ八分的な排斥運動に身をそめてしまうのですし、固く結束した多数派に組みすることにうっとりと慰安を見出すのでした。」