以下、昨晩書いて今読み返してみるといささか牽強付会気味のところがあると感じるがーー実態は「流れ」が変わっただけなのかもしれないーーそのまま投稿する。
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2015年とは1995年に生れた人間が成年に達する時点だ。さらにいえばその前のバブルによる経済の急激な膨張と突如の破裂から25年ほど経っている。経済的には、銀行の自己資本比率増強を謳った1988年のBIS 規制(「バーゼルⅠ」)が日本のバブル経済崩壊の引き金となり、そのあと貸し渋り・貸し剥がしの“失われた20年”が訪れた。
ところで現在20歳の若者たちの親というのは何歳ぐらいだろうか。以下は第一子出産年齢だが、1995年には男性約30歳、女性約28歳となっている。とすれば平均では50歳前後ということになるが、40代なかば前後の親たちもそれなりにいるだろう。
このあたりの親の世代とは、バブルの荒波をまともにかぶった最後の世代であろう。いや既にバブル後の世代、すなわちバブルの「おいしいところ」やその後の「失望と憂鬱」をたいして経験していない世代のはじまりとさえいえるかもしれない(わたくしの見聞では、80年代末ぐらいに、不動産価格がうなぎ上りとなったとき、無理をしてーー大きな借金をしてーー住宅を購入した連中がもっともひどい目に合っている)。
「おいしいところ」や「失望と憂鬱」とは、「バブルの言語化」にて古井由吉の小説から引用したが、次ぎのような心境・経験ということである。
……物をまともに考えるには足もとが、底が抜けたような時代に入っていた。世間は未曾有の景気と言われ、余った金が土地などの投機に走り、その余沢からはずれたところにいたはずの自身も、後から思えば信じられないような額の賞与を手にすることがあった。ましてや有卦に入った会社に勤めて三十代のなかばにかかっていた夫は、当時の自分から見ても、罰あたりの年収を取っていた。
その頃には世の中の景気もとうに崩れて、夫の収入もだいぶしぼんで、先々のことを考えてきりつめた家計になっていた。どんな先のことを考えていたのだろうか、と後になって思ったものだ。(古井由吉「枯木の林」2011年初出)
ーーいまこうやってふたたび引用してみてようやく気づいたが、「枯木の林」とは「バブル後遺症」の時代を表すひどく象徴的な表題である。
バブル後遺症の世代においては、《ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし》という心境に陥った親たちも多いはずだ。人生はうたかたさ、なにをやっても空しい、政治やらに生き甲斐やらにかかわらず、日々を粛々と生きていくより仕方がないのさ、--バブル後遺症とは(少なくともその典型的なひとつは)このような心境だろう。このような親たちに育てられた子どもは、親の心境、時代の雰囲気に同一化して大きくなっている。
ところで今注目したいのは、両親に影響されてこのような心持をいだく若者たちの存在が長く続いたのではないかと想定されるあとで、2011年春以降、それとは異なった若者たちが漸次現われたということだ。そしてその極めつけは2015年安保において見られるSEALDsであり、高校生たちの政治デモである。
これはひょっとしてバブル後遺症をそれほど蒙っていない親ーーあるいは同じような教師に教えられたーー子どもたちではないか? くりかえせば、景気後退期、失われた20年期に社会で働きはじめた親たちなのだから、バブル後遺症がないと言ってしまうのは語弊があるかもしれないが、要するにバブルで舞い上がったあとの失望と憂鬱、その天と地を経験していないという意味である。
おそらく他の要因もあるだろうが、その前の世代ーーたとえば25歳前後以降のわずか5歳の年齢差の若者たちとさえ比べてもーー異質な若い人たちが現われたとさえわたくしにはみえる。もちろんシールズや高校生たちは実質的にはいまだ社会に出ていないのだから上の世代に依然渦巻くだろう「バブル後遺症」の症状に同一化することも少ないということはあるだろう。
おそらく他の要因もあるだろうが、その前の世代ーーたとえば25歳前後以降のわずか5歳の年齢差の若者たちとさえ比べてもーー異質な若い人たちが現われたとさえわたくしにはみえる。もちろんシールズや高校生たちは実質的にはいまだ社会に出ていないのだから上の世代に依然渦巻くだろう「バブル後遺症」の症状に同一化することも少ないということはあるだろう。
とはいえ、わたくしは海外住まいなので、若者たちに生で接しているわけではない。ただツイッターの発言などをみての「錯覚」だけであるのかもしれず、SEALDsなどや、高校生たちのデモというのは、ただ2011年春が育んだものとするのが妥当かもしれない。
いずれにせよ「異議申立て」の言動の顕れは思いのほか、親たちの姿に影響があるには相違ない。バブルに打ちひしがれた親、失望と憂鬱とにさいなまれた親とは異なった親から生れた若い世代が生れつつあるのではないか、というここでの問いは、以下の中井久夫の文に大いにヒントを得ている。
「学園紛争は何であったか」ということは精神科医の間でひそかに論じられつづけてきた。1960年代から70年代にかけて、世界同時的に起こったということが、もっとも説明を要する点であった。フランス、アメリカ、日本、中国という、別個の社会において起こったのである。「歴史の発展段階説」などでは説明しにくい現象である。
では何が同時的だろうかと考えた。それはまず第二次世界大戦からの時間的距離である。1945年の戦争終結の前後に生まれた人間が成年に達する時点である。つまり、彼らは戦死した父の子であった。あるいは戦争から還ってきた父が生ませた子であった。しかも、この第二次世界大戦から帰ってきた父親たちは第一次大戦中あるいは戦後の混乱期に生まれて恐慌時代に青少年期を送っている人が多い計算になる。ひょっとすると、そのまた父は第一次大戦が当時の西欧知識人に与えた、(われわれが過小評価しがちな)知的衝撃を受けた世代であるかもしれない。
二回の世界大戦(と世界大不況と冷戦と)は世界の各部分を強制的に同期化した。数において戦死者を凌駕する死者を出した大戦末期のインフルエンザ大流行も世界同期的である。また結核もある。これらもこの同期性を強める因子となったろうか。
では、異議申立ての内容を与えたものは何であろうか。精神分析医の多くは、鍵は「父」という言葉だと答えるだろう。実際、彼らの父は、敗戦に打ちひしがれた父、あるいは戦勝国でも戦傷者なりの失望と憂鬱とにさいなまれた父である。戦後の流砂の中で生活に追われながら子育てをした父である。古い「父」の像は消滅し、新しい「父」は見えてこなかった。戦時の行為への罪悪感があるものも多かったであろう。戦勝国民であっても、戦場あるいは都市で生き残るためにおかしたやましいことの一つや二つがあって不思議ではない。二回の大戦によってもっともひどく損傷されたのは「父」である。であるとすれば、その子である「紛争世代」は「父なき世代」である。「超自我なき世代」といおうか。「父」は見えなくなった。フーコーのいう「主体の消滅」、ラカンにおける「父の名」「ファルス」の虚偽性が特にこの世代の共感を生んだのは偶然でなかろう。さらに、この世代が強く共感した人の中に第一次大戦の戦死者の子があることを特筆したい。特にアルベール・カミュ、ロラン・バルトは不遇な戦死者の子である。カミュの父は西部戦線の小戦闘で、バルトの父は漁船改造の哨戒艇の艇長として詳しい戦史に二行ばかり出てくる無名の小海戦で戦死している。
異議申立ての対象である「体制」とは「父的なもの」の総称である。「父なるもの」は「言語による専制」を意味するから、マルクス主義政党も含まれる道理である。もっとも、ここで「子どもは真の権威には反抗しない。反抗するのはバカバカしい権威silly authorityだけである」という精神科医サリヴァンの言葉を思い起こす。第二次大戦とそれに続く冷戦ほど言語的詐術が横行した時代はない。もっとも、その化けの皮は1960年代にすべて剥がれてしまった。(「学園紛争は何であったのか」書き下ろし『家族の深淵』1995中井久夫)