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2015年8月19日水曜日

Beethoven Bagatelle Op.33 No.1

太くて短い、不器用な、動きのにぶい親指、強く器用な2の指、一番長いがゆえに受動的な3の指、日常生活ではあまり使わないが打つ力が以外に強く機敏な、歌うのに適した4の指、筋力はあるが、短くて小さいので打鍵力が弱い5の指(ヨゼフ・ガート)

ある本でーー旅行者が子どもたちのピアノの練習の参考に、といって数年前我が家に置いていった「ピアニストへの基礎」(田村安佐子)ーー上の文を見出したので、さてヨゼフ・ガートとはだれだったかと調べてみると、ハンガリーのピアノ教師らしい。

ネット上には「芸術的表現のための不変なるピアノ演奏テクニック探究 ~名教師ヨーゼフ・ガート教授が遺した偉大なる功績~」(2011)なる日本人による小論もある。

この論を眺めていると次ぎのような画像がある。




ははあ、オレの左手はショパンみたいな手だな・・・わたくしの左小指は机の上に手をポンとのせると、ショパンのように曲っているのだ、それに親指の関節の付け根の骨がひどく出ている。

冗談ぬきで、四十すこし前になるころに左手を熱心に矯正したことがある。薬指を中心にスタカートの練習やら重音のトリルやら。まったく上がらなかったーー小指、薬指、中指を三本、机の上につけて薬指だけ上げようとしても2、3ミリしか上がらなかったーーその指が、今では2センチぐらいは上がる。そのため掌や甲が痛くなったり、前膊から肘まで痺れるようになった時期がある。

とはいえそれでピアノを弾くのがたいして上達したわけではない。やはりピアノの技術も機械体操みたいなところがあり、躰がかたくなるまえにーー10歳前後までに--基本的なところをやっておかないとどうしようもないのだろう。

よく訓練されたピアニストの手というものがある。だいたい小指から眺めると次ぎのような形をしている。




小指がわに手の甲をわずかにひねった形とでもいうのだろうか。小指から掌の縁の線が独特の形をもっている、--はずだが、そうでないピアニストもいるのでこのあたりも一概にいえない。

ところで当地はかつてフランスの植民地だった国なので、ピアノの練習にLes classiques favoris du pianoという仏出版の書を使う。難易度ごとに五冊あるのだが、その三冊目、たぶん日本でいえば中級レヴェルということになるだろう、そこにベートーヴェンのバカテルOp. 33 No. 1があり、それを10歳になる次男が練習している。

これはわたくしもなんとか弾けないではないが、下手さが目立つ曲である。ようする音の粒が揃っていないと、スケールなどの速いパッセージがどうしようもなく醜く聞える。またスタカートの躍動感が手の力が抜けていないとぜんぜんダメだ。


◆Emil Gilels plays Beethoven Bagatelle in E flat Op. 33 No. 1




弾けるといってもギレルスのようなテンポではなく、次ぎのシュナーベルよりもやや遅めのテンポだが、そうであってもわたくしや息子が弾くとどうしようもなく「きたない」。


◆Artur Schnabel Beethoven Bagatelle Op.33 No.1




もうふたりの名手の演奏をきいてみよう、わたくしは十代のころ、グールドの演奏におどろいた口でありこの曲には馴染み深いが、こうやってほかの演奏家の演奏をきいてみるのは今回がほとんど初めてである。

◆Walter Gieseking plays Beethoven Bagatelle in E flat Op. 33 No. 1




◆G.Gould Beethoven - Bagatelle Op.33-1




最近の人はどうなのか、と探してみると、次ぎのものがある。

◆Beethoven, Seven bagatelles op. 33 — Sergey Kuznetsov




Sergey Kuznetsovは1978年ロシア生まれ。魅力的なハイドンの録音がある。

◆Haydn, piano sonata in E minor — Sergey Kuznetsov




ああ、ハイドンとはなんとすばらしいのだろう!

ハイドンをきくたびに思う、何とすてきな音楽だろう! と。

すっきりしていて、むだがない。どこをとってみても生き生きしている。言うことのすべてに、澄明な知性のうらづけが感じられ、しかもちっとも冷たいところがない。うそがない。誇張がない。それでいて、ユーモアがある。ユーモアがあるのは、この音楽が知的で、感情におぼれる危険に陥らずにいるからだが、それと同じくらい、心情のこまやかさがあるからでもある。

ここには、だから、ほほえみと笑いと、その両方がある。

そのかわり、感傷はない。べとついたり、しめっぽい述懐はない。自分の悲しみに自分から溺れていったり、その告白に深入りして、悲しみの穴を一層大きく深くするのを好むということがない。ということは、知性の強さと、感じる心の強さとのバランスがよくとれているので、理性を裏切らないことと、心に感じたものんを偽らないということとがひとつであって、二つにならないからにほかならないのだろう。(吉田秀和『私の好きな曲』ーー「ハイドン ピアノソナタ Hob. XVI:46」より

ベートーヴェンのBagatelle Op.33 は作曲時期は1801-1802年であり中期の作品となるのだろうが、初期ベートーヴェンの名残り、ハイドンの影響の澄明さがあるから好のむのかもしれない。

最近とみにハイドンに惹かれる。ところがピアニストたちはだいたいハイドンに冷たい、なんど残念なことだろう!

ソナタへ長調(第44番Hob.XVI:29 )。この曲をたった一度だけ弾いた場所がロンドンだった。優しいハイドン、あなたが大好きだ。でもほかのピアニストたちはどうだろう。みんなあなたに対しては冷たい。残念なことだ。(リヒテル)

◆Haydn - Piano sonata n°44 Hob.XVI:29 - Richter London 1961