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2015年8月31日月曜日

異質なものを排除するムラ社会の土人

どこかのムラ社会の土人が「おまえらおれたちばかりにやらせるなよ すこしは世界の警察官の仕事手伝ってくれ」をめぐってなにやら言っているようだが、シリアという中東の窓国の難民の話かい? それともムラ社会の土人の庶民的正義感かい?

川上泰徳 @kawakami_yasu

難民問題では、紛争地の周辺国はもちろん受け入れている欧米も苦労している。実際にシリアやイラクの難民たちの話を聞いて、さらに現在のような難民たちの悲劇が続く状況に接すると、日本だけが「特殊な事情」を挙げて、問題を分担していないことに、疚しさ感じざるを得ない。日本って、そんなに特殊?
日本も難民を受け入れねばならないというと「理想はそうだけど」という人がいるが、これは理想の話ではなく、国際社会の「現実」に日本はその「主要メンバー」として役割を果たすという、非常に現実的な話。いまの日本の難民問題対応では、国際社会の外の、自身の「空想」の中で生きているということ。

とはいえ日本ではやはり《国際社会の外の、自身の「空想」の中で生きている》「特殊」なムラ社会の土人たちがいまだ多いのだろう。とくに感想はない。資料を並べておくよ、オレは親切なほうでね。貴君は中井久夫ファンじゃなかったっけ?

……被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。

社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・外傷・記憶』所収)
少子化の進んでいる日本は、周囲の目に見えない人口圧力にたえず曝されている。二〇世紀西ヨーロッパの諸国が例外なくその人口減少を周囲からの移民によって埋めていることを思えば、好むと好まざるとにかかわらず、遅かれ早かれ同じ事態が日本にも起こるであろう。今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという。現に中小企業の経営者で、外国人労働者なしにな事業が成り立たないと公言する人は一人や二人ではない。外国人労働者と日本人との家庭もすでに珍しくない。人口圧力差に抗らって成功した例を私は知らない。好むと好まざるとにかかわらず、この事態が進行する確率は大きい。東アジアに動乱が起こればなおさらである。アジアに対する日本の今後の貢献は、一七世紀のヨーロッパにおけるオランダのように、言論の自由を守り、政治難民に安全な場所を提供することであると私は考えている。アジアでもっとも言論の自由な国を維持することが日本の存在価値であり、それがなければ百千万言の謝罪も経済的援助もむなしい。残念ながらアジアにおいてそういう国は一七世紀のヨーロッパよりもさらに少ない。政治難民が数万、数十万人に達する時に、かつての関東大震災の修羅場を反復するか否かが私たちの真価をほんとうに問われる時だろう。それは日本が世界の孤児となるか否かを決めるだろう。難民とは被災者であり、被災者差別を論じる時に避けて通ってはならないものである。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)

…………

いまの日本の社会のあり方に対して、あなた方はいつまでも黙っていてはいけないでしょう。それは私たちの世代が若かった時におかした過ちです。自分で考えて下さい。あなた方が自分の頭で判断を下す必要が出てきている、いまの社会は、そういう状況になっています。そのためには,まず「思うこと」です。そして、もっと「学ぶこと」が必要です。たしかに日本国は改革を必要としていると思います。もし、私がこれまで言ってきたような改革や革命が実現することがあるとすれば、それはきっとあなた方がやることだと、私は思っています。
ほんとうに怖い問題が出てきたときこそ、全会一致ではないことが必要なのだと私は考えます。それは人権を内面化することでもあるのです。個人の独立であり、個人の自由です。日本社会は、ヨーロッパなどと比べると、こうした部分が弱いのだと思います。平等主義はある程度普及しましたが、これからは、個人の独立、少数意見の尊重、「コンセンサスだけが能じゃない」という考え方を徹底する必要があります。さきほど述べたように、日本の民主主義は平等主義的民主主義だけれど、少数意見尊重の個人主義的な自由主義ではない。それがいま、いちばん大きな問題です。(加藤周一、『学ぶこと・思うこと』2003)

…………


《民主主義とは、国家(共同体)の民族的同質性を目指すものであり、異質なものを排除する

人々は自由・民主主義を、資本主義から切り離して思想的原理として扱うことはできない。いうまでもないが、「自由」と「自由主義」は違う。後者は、資本主義の市場原理と不可分離である。さらにいえば、自由主義と民主主義もまた別のものである。ナチスの理論家となったカール・シュミットは、それ以前から、民主主義と自由主義は対立する概念だといっている(『現代議会主義の精神史的地位』)。民主主義とは、国家(共同体)の民族的同質性を目指すものであり、異質なものを排除する。ここでは、個々人は共同体に内属している。したがって、民主主義は全体主義と矛盾しない。ファシズムや共産主義の体制は民主主義的なのである。

それに対して、自由主義は同質的でない個々人に立脚する。それは個人主義であり、その個人が外国人であろうとかまわない。表現の自由と権力の分散がここでは何よりも大切である。議会制は実は自由主義に根ざしている。(柄谷行人「歴史の終焉について」(『終焉をめぐって』所収)p162)

民主主義とは、共同体の同質性を目指すものであり、異質なものを排除するのであれば、この観点からは、(誰もが知っているように)日本はムラ社会的民主主義先進国である。

日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(……)

労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』)

実際、このムラ社会のシステムは、なんと「民主主義的」であろう。権威の王座には誰も坐っていない。ただし「空気」としての権力はある。

一般に、日本社会では、公開の議論ではなく、事前の「根回し」によって決まる。人々は「世間」の動向を気にし、「空気」を読みながら行動する。(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」
一般的にいって、匿名状態で解放された欲望が政治と結びつくとき、排外的・差別的な運動に傾くことに注意すべきです。だから、ここから出てくるのは、政治的にはファシズムです。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)
公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェルで構成される共感の共同体。......それ はむしろ、われわれを柔らかく、しかし抗しがた い力で束縛する不可視の牢獄と化している。(浅田彰「むずかしい批評」(『すばる』1988 年 7 月号


まだいくらでもあるがカボチャ頭にはこの程度がいいだろうよ、オカアチャンの子宮に守られている共感の共同体の囚人にはな。ああそういえば貴君は四国出身なようだな、心性は四国の谷間にひきこもったままなんだろうよ、だったらいっそうやむえないね、ムラの土人であることは。

……「この窪地に朝鮮人が来てからというもの、谷間の人間は迷惑をこうむりつづけでしたが! 戦争が終ると、朝鮮人は、土地も金も谷間から捥ぎとって、良い身分になりましたが! それを少しだけとりかえすのに、何が同情してかからねばなりませんかの?」

「ジン、もともと朝鮮人は望んで谷間に入って来たのじゃないよ。かれらは母国から強制連行されて来た奴隷労働者だ。しかも僕の知っている限り、谷間の人間がかれらから積極的に迷惑をかけられたという事実はない。戦争が終った後の朝鮮人集落の土地の問題にしても、それで谷間の個人が直接損害をこうむったということはなかっただろう? なぜ自分の記憶を歪めるんだ?」

「S次さんは朝鮮人の殺されましたが!」とジンは僕に対する警戒心を急速に回復しながら訝しげにいった。

「あれもその直前に、S兄さんの仲間が朝鮮人を殺したことの報復だよ、ジン。それはよく知ってるじゃないか」

朝鮮人が窪地に入って来てからろくなことがないと誰でもいっておりますが! 朝鮮人などみな殺しになればよい!」とジンは自分自身を理不尽に励ますべく異様に力をこめていった。いまや彼女の眼は怨嗟にみちて暗く沈んでいる。

「ジン、この窪地の人間に対して朝鮮人が一方的に害をしたということはない。戦後のいざこざは両方に責任がある。それをジンもよく知っていながら、なぜそんなことをいいはるんだ?」と僕は咎めたが、ジンは憂わしげな大頭を重い荷をおろすようにやにわに垂れて僕の言葉を無視し、僕の眼の位置からはセイウチの頸さながらに見える項を、ぶりかえした荒い呼吸に波だたせるのみである。僕は晴らしようのない苛立たしい憤懣にとらえられて嘆息した。「こういう愚かしい騒動をはじめて、結局みじめな報いを受けるのは、谷間の人間なんだよ、ジン。スーパー・マーケットの天皇は、かれのチェーン・ストアの一軒が略奪されたくらいで打撃はうけはしないだろうが、谷間の人間の大半は、戦利品のおかげで、これからずっとみじめなうしろめたさを味わいつづけるんだ。分別盛りの大人たちまでが、よそから戻った鷹などに煽動されて、いったいどうしたというんだろう?」

「谷間の人間みなが、平等に恥をかいて、結構なことですが!」とジンは頑固にうつむいたまま他人事のようにくりかえして、僕に彼女の表現の内なる「恥」という言葉の独特の意味を納得させた。(大江健三郎『万延元年のフットボール』P.271-273)