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2015年11月19日木曜日

「パリ10 区・11 区という場所」がなぜテロのターゲットになったのか

謎はかくの如し。ムスリム過激派ーー疑いもなく搾取、植民地主義の支配や破滅的かつ屈辱的な側面に曝されいるーー、その彼らが、なぜ西側の遺産の最もすぐれた部分(少なくとも我々にとって)をターゲットにするのか、すなわち我々の平等主義や個人的自由を。ハッキリした答はこうだ、彼らのターゲットはよく選ばれている。リベラルな「西」をひどく我慢できないものにするのは、彼らの搾取や暴力的支配の実践だけではない。傷口に塩を塗りつけるように、反対物、すなわち自由・平等・民主の仮面の下で、野蛮な現実をプレゼンするからだ。(Slavoj Zizek: In the Wake of Paris Attacks the Left Must Embrace Its Radical Western Roots、2015,11,16)

ジジェクのこの文は、直接には、「パリ10 区・11 区という場所」が標的にされたことには触れていない(かつひどく異なった文脈で記されている)。そもそもこのコラムはすこし以前に記されたコラムへの批判に応じる文であり、やや遠回しに書かれている。

だが、なぜ「パリ10 区・11 区という場所」がターゲットにされたのかの解釈としても読むことができるのではないか。

このコラムの冒頭をいくらか粗訳しておこう。

2015年の前半、ヨーロッパはラディカルな解放運動(ギリシャの Syriza とスペインの Podemos)に没頭した。他方で後半は、関心が難民という「人道的」話題へと移行した。階級闘争は文字通り抑圧され、寛容と連帯のリベラル-文化的話題に取って代わられらた。

11月13日金曜日のパリテロ殺人にて、今ではこの話題(それはまだ大きな社会経済問題に属していた)、その話題さえ覆い隠されて、テロ勢力とのシンプルな対決ーー無慈悲な戦いに囚われた凡ての民主勢力によるーーに取って代わられた。

次に何が起こるのかは容易に想像できる。難民のなかの ISIS エージェントの偏執狂的 paranoiac 探索である(メディアはすでに嬉々としてレポートしている、テロリストのうちの二人が難民としてギリシャを経由してヨーロッパに入った、と)。パリテロ攻撃の最大の犠牲者は難民自身である。そして本当の勝者は、「je suis Paris 」スタイルの決まり文句の背後にあって、どちらの側においてもシンプルに全面戦争を目指す愛国者たちだ。

これが、パリ殺人を真に非難すべき理由だ。たんにアンチテロリストの連帯ショウに耽るのではなく、シンプルな cui bono(誰の利益のために?)の問いにこだわる必要がある。

ISIS テロリストたちの「より深い理解」は必要ない(「彼らの悲しむべき振舞いは、それにもかかわらず、ヨーロッパの野蛮な介入への反応だ」という意味での)。彼らはあるがままなものとして特徴づけられるべきだ。すなわちイスラムファシストはヨーロッパの反移民レイシストの対応物だ。二つはコインの両面である。


さて最初に掲げた文の文脈に戻るが、昨晩、カウンター諸君が、パリ在住の音楽関係の仕事をされているらしい對馬敏彦氏の文章を絶賛していた。

私が何十年も仕事として関わっている音楽、私が信頼して愛しているこのパリの町、そのヴァリューは私たちが守らなければならないと思うのです。それに死刑を宣告する思想には断じて屈服してはならないのです。断じて!(カストール爺の生活と意見

カウンター諸君は、音楽ファンがおおいので、彼らの絶賛は(気持ちとしては)よくわかる。

おまえは死に値する。
おまえは音楽が好きで、スポーツが好きで、混じり合ったパリが好きで、金曜日の夜に華やいだ町で友だちと会って飲むのが好きだ。
 おまえは死に値する。
銃口が私やあなたに向けられたのです。なぜ? おまえは音楽が好きだろう。
私は13日夜から14日未明まで事件を報道するテレビを見続けて、何発も何発を銃弾を撃ち込まれたのです。パリはその論法からすれば、何百回でも何千回でも殺戮テロに襲われなければならない人たちの集まりなのです。(同 カストール爺)

こういった文章に素直に感動できるカウンター諸君は善人である。

まえに出ろ。はなしによれば おまえは善人だそうだな。
お前は金では動かん。だが 家に落ちるかみなりも 金では動かん。
おまえはいったことをまもる。 だがなにをいった?
おまえは正直に意見をいう。 どんな意見だ?
おまえは勇敢だ。 だれに対して?
おまえはかしこい。 だれのために?
おまえは自分が得をしたいとはおもわない。
ではだれの得を考えているのだ?
おまえはよき友だ。 善良な人々のよき友でもあるのか?
おれたちの話をきけ。
おれたちにはわかっている おまえはおれたちの敵だ。
だからおれたちは おまえを壁のまえに立たせる。
だが、おまえのためになるし、おまえはいいやつだから
おれたちはおまえを善良な壁のまえに立たせる、
そしておまえを撃つ 善良な銃から発射される善良な銃弾で、
そしておまえを埋める 善良なシャベルで、善良な地中に

— ベルトルト・ブレヒト「善人の尋問」

われわれはブレヒトだけでなく、過去の古典や歴史により、「善人」や「愛」などは、場合によってはもっとも憎悪を生むことを学んでいる。

・よし悪人がどんな害をおよぼそうと、善人のおよぼす害は、もっとも害のある害である。

・善い者、(……)かれらの精神は、かれらの自身の「やましくない良心」という牢獄のなかに囚われていた。測りがたく怜悧なのが、善い者たちの愚鈍さだ。(ニーチェ、ツァラトゥストラ)
《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

たとえばフランス人のアルジェリアの植民地支配。それは日本の植民地支配のような「愛」によるものではなかっただろう。だが、現在のパリ市民によるアルジェリア系を中心にしたムスリムへの対応は、「表面的には」愛、連帯だろう。それが憎悪に結びつく可能性にたいして、「在日」シンパとして活躍するカウンター諸氏がほとんど不感症であるのをみると、いささか驚いてしまう。

日本の植民地政策の特徴の一つは、被支配者を支配者である日本人と同一的なものとして見ることである。それは、「日朝同祖論」のように実体的な血の同一性に向かう場合もあれば、「八紘一宇」というような精神的な同一性に向かう場合もある。このことは、イギリスやフランスの植民地政策が、それぞれ違いながらも、あくまで支配者と被支配者の区別を保存したのとは対照的である。日本の帝国主義者は、そうした解釈によって、彼らの支配を、西洋の植民地主義支配と対立しアジアを解放するものであると合理化していた。むろん、やっていることは基本的に同じである。だが、支配を愛とみなすような「同一性」のイデオロギーは、かえって、被支配者に不分明な憎悪を生み出すこと、そして、支配した者に過去を忘却させてしまうことに注意すべきである

こうした「同一性」イデオロギーの起源を見るには、北海道を見なければならない。日本の植民地政策の原型は北海道にある。いうまでもなく、北海道開拓は、たんに原野の開拓ではなく、抵抗する原住民(アイヌ)を殺戮・同化することによってなされたのである。その場合、アイヌとに日本人の「同祖論」が一方で登場している。(……)

この点にかんして参照すべきものは、日本と並行して帝国主義に転じたアメリカの植民地政策である。それは、いわば、被統治者を「潜在的なアメリカ人」とみなすもので、英仏のような植民地政策とは異質である。前者においては、それが帝国主義的支配であることが意識されない。彼らは現に支配しながら、「自由」を教えているかのように思っている。それは今日にいたるまで同じである。そして、その起源は、インディアンの抹殺と同化を「愛」と見なしたピューリタニズムにあるといってよい。その意味で、日本の植民地統治に見られる「愛」の思想は、国学的なナショナリズムとは別のものであり、実はアメリカから来ていると、私は思う。岡倉天心の「アジアは一つ」という「愛」の理念でさえ、実は、アメリカを媒介しているのであって、「東洋の理想」ではない。

札幌農学校は、日本における植民地農業の課題をになって設立されたものである。それが模範にしたのは、創設においてクラーク博士が招かれたように、アメリカの農業、というよりも植民地農政学であった。われわれは、これを内村鑑三に代表されるキリスト教の流れの中でのみ見がちである。しかし、そうした宗教改革と農業政策を分離することはできない。事実クラーク博士は宣教師ではなく農学者であったし、また内村鑑三自身もアメリカに水産科学を学びに行ったのであって、神学校に行ったのではない。さらに、内村と並ぶキリスト教徒の新渡戸稲造は、のちに植民地経営の専門家となっている。

北海道は、日本の「新世界」として、何よりもアメリカがモデルにされたのである。そして、ここに、「大東亜共栄圏」に帰結するような原理の端緒があるといえる。(……)日本の植民地主義は、主観的には、被統治者を「潜在的日本人」として扱うものであり、これは「新世界」に根ざす理念なのである。ついでにいえば、こうした日米の関係は、実際に「日韓併合」にいたるまでつづいている。たとえば、アメリカは、日露戦争において日本を支持し、また戦後に、日本がアメリカのフィリピン統治を承認するのと交換に、日本が朝鮮を統治することを承認した。それによって、「日韓併合」が可能だったのである。アメリカが日本の帝国主義を非難しはじめたのは、そのあと、中国大陸の市場をめぐって、日米の対立が顕在化したからにすぎない。(柄谷行人「日本植民地主義の起源」『岩波講座近代と植民地4』月報1993.3初出『ヒュ―モアとしての唯物論』所収)


さて、もうすこし「カストール爺」のブログから引用しておこう。わたくしは決してこれらの文を批判するものではない。ただカウンター諸君のナイーブさは、社会運動をするものたちとしては、いささかいただけない、と感じたまでだ。

報道では「無差別」や「乱射」という表現のしかたをされているようですが、これは場所も 人間もテロリストに意図的に選択されたものでしょう。11 月 13 日、テロリストたちはこれらの場所とこれらの人間たちを狙い撃ちにしたのです。

テレビの報道番組に出たパリ市長アンヌ・イダルゴがこの 10 区・11 区という場所の特殊性を強調して、この場所が選ばれた理由を説明しました。ここはパリで最も若い人たちが集まる地区であり、多文化が最も調和的に同居し、アートと食文化が町にあふれ、音楽が生れ、リズムとダンスを老いも若きも分かち合う、古くて新しいパリの下町です。パリで最も躍動的でポジティヴな面を絵に描いたような「混じり合う」町です。私たちの新しいフランス はこの混じり合いで良くなってきたのです。この混じり合いの端的な成功例が 10 区・11 区 なのであり、今の「パリ的」なるものを誇れる最良の見本なのです。これをテロリストたちは 狙い撃ちしたのです。混じり合いや複数文化やアートを分かち合うことを全面的に否定し、 憎悪し、抹殺してしまおうという考え方なのです。11 区にはあのシャルリー・エブドの編集 部もあった。11 区にはかの事件のあと市民 100 万人を結集させたレピュブリック広場もあ った。テロリストたちはこの町をますます呪うようになったのです。


仮面の下には、なにも隠していない、と彼らは言うかもしれない。われわれには搾取も支配も微塵もないと。だが憎悪とはもともと幻想(ファンタジー)の領域にある。

「見せかけsemblance」の鍵となる公式は、ジャック=アラン・ミレールによって提案された、「見せかけは無の仮面(ヴェール)である」と(Jacques‐Alain Miller, “Of Semblants in the Relation Between Sexes,” 1999)。ここには、もちろんフェティッシュとのリンクが提出されている。すなわち、フェティッシュとはまた空虚を隠す対象である。見せかけ(サンブラン)は、ヴェールのようなものであり、無をヴェールで覆う。ーーその機能は、ヴェールの裏には隠された何かがあるという錯覚 illusion を生み出すことである。(ジジェク、2012)


※追記:異議がある方は、補遺「傷口に塩を塗る「連帯」理念」を読んでから文句を言ってきてください。